黒絹の皇妃   作:朱緒

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第40話

 派手に行うと貴族として問題になるので、あくまでも控え目に。だが彼女らしく ―― 同盟製義肢の提供と、民間人捕虜に学ぶ機会を与えたこと。

 

 軍人が捕虜になった際、手足を失った場合は治療後、義肢を与えられることなく放置されるのだが、捕虜になる前から義肢を使用していた場合 ―― 帝国製と同盟製では差違があり、故障したりすると、同じく捕らえられた技師はいても部品がなく修理がままらない。

 部品が手に入る帝国製の義肢を使用するとなると、接続部の取り替え手術が必要となるのだが、捕虜に関する条約には明記されていないので、費用を考えて放棄されていた。

 

 宇宙での戦闘という性質上、捕虜前、捕虜後、義肢を必要とする者は捕虜全体からすると極僅かで、彼女が援助したいと申し出ても不審を持たれない数であった。

 同盟製品と帝国製品に違いがあることは、原作知識として朧気にあったことだが、貴族女性としては珍しい意見である。だが、もともと義肢関係各所に寄付を行い、フェザーンも訪れたことのある彼女ならば、同盟製品と帝国製品の違いを知り、フェザーンを通して輸入するということに気づいても、経験によるものであろうと ―― 奇怪な目で見られることはなかった。副産物として賢い御方だと思われたが、それに関して彼女自身は気づいていない。

 

 民間人捕虜は年齢が幅広く、学校に通っている途中で帝国軍に捕らえられ、収容所送りになった者も多い。

 勉強途中で隔離され、いつ帰還できるかどうかも分からない状況 ―― 彼女には捕虜交換の権限などないので、せめて教育だけは受けられるようにした。

 専制君主に傾倒するような授業は行わず、基礎的な学問のみを男女問わず。

 高等教育に関しては、極僅かな成績優秀者に、学部を限定してだが通信制で大学の講義を受けられるようにした。費用はもちろん彼女持ちで ―― これは彼女自身が少しばかり勉強してみようと思い、叛徒に対してどのような授業を行っているか? 観察と偽っての聴講。彼女としてはレポートを出さなくても良いので、割と気楽に不真面目に大学の授業を楽しんだ。

 民間捕虜に教育を施したのは、故国に帰ってからなんの役職にも就けず、全てを恨まれても困るゆえのこと。ある程度の学力を所持して帰れば、道も開けるだろう ―― 彼女はそう考え、それは見事に花開いた。

 

 そして彼女の慈悲を宣伝することに余念のないフレーゲル男爵の手腕により、捕虜にとってジークリンデというのは帝国貴族でも、まれにいる良い人らしいと知られることとなった ―― 大伯父がリヒテンラーデ公なので、引いて見る者もいるが、それなりに成果はあり、万が一同盟に逃げ込んだとき、石を投げつけられたり、後ろから棒で殴られたりするようなことは回避されていた。

 

「モルト少将は喜んで、ジークリンデさまの部下となることでしょう」

「そうですか。それならばよろしいのですが」

 彼女としては「義眼怖し」「ラインハルト怖い」の産物だったのだが、意外なところで効果を生んで ―― 少々驚いていた。

「実はジークリンデさま。そのモルト少将からたってのお願いがありまして」

「なんですか?」

「陛下のご即位により、俘虜の交換が行われることになります」

「喜ばしいことですわね」

―― フレデリカのお父さんが死ななければいいのですが……アンドリュー・フォーク……

「はい。それで、叛徒の民間人俘虜の代表が、一度ジークリンデさまにお会いしたいと」

「私にですか?」

「はい。お話をしたいなどという大それたことは望まぬので、遠くからご尊顔を拝させていただきたいとのことです」

―― ご尊顔を拝するとは……大げさ過ぎる

「私としては会って話してみたいのですけれど」

「よろしいのですか?」

「一度は会ってみたかったのです。でも俘虜収容所は立入が制限されていましたし、良人も許してくれませんでしたから」

 俘虜収容所は当然軍の管理下にあり、オーディンより遠く離れた惑星にある。それを差し引いても、叛徒が大勢集められているところに彼女が訪れるなど、フレーゲル男爵やリヒテンラーデ公が許すはずもない。

 彼女の側にいる、唯一宇宙を行き来する機動能力を所持しているファーレンハイトに提案するも”ばかも休み休み言ってください。休み休み言われても、連れていきませんが”を慇懃無礼にした返事しか返してくれなかったので、仕方なしに諦めていたのだ。

 

 捕虜との面談に関して、大まかな予定を立てて、

「では侍従武官の選出に戻りましょうか。あと一人……シュトライト」

 最後の一人となったとき、彼女の脳裏にとある青年が思い浮かんだ。

「はい」

「階級は私より下なら、どれほど低くてもいいのかしら?」

 侍従は侍従長よりも階位が低い必要があった。モルト少将は彼女と同格だが、爵位を所持していないので、下に置いても良いとされている。

「どの階級のかたを?」

「准尉ですけれど」

「少尉の地位を与えた方がよろしいかと。ケスラー准将が持って来た書類によりますと、ジークリンデさまにはその権限も与えら得ております。私でよろしければ手続きさせていただきます」

「そう。では軍法会議所のテオドール・フォン・リュッケを少尉にして侍従武官に」

「かしこまりました。ところで、どうしてその方を?」

「迷子になりやすくて……ちょっと心配なのです」

「迷子……ですか。たしかにあの建物は、かなり複雑な造りになっておりますな」

 

 こうして軍法会議所で散々迷子になったリュッケは彼女の部下となり ―― 同時に迷子のリュッケ呼ばわりされることになった。

 

 シュトライトがシューマッハたちと手続きを行っている間、彼女は朝からの忙しさが一段落ついたと溜息をついて客間の椅子に体を預けた。

 そこへコーヒーと生クリームが添えられたザッハートルテをトレイに乗せたフェルナーが現れ、

「ジークリンデさま」

 彼女に給仕しながら、にやにやしながら祝辞を述べた。

「なに? フェルナー」

「まずは少将への昇進、おめでとうございます」

「ザッハートルテ共々、受け取っておくわ」

 ケーキは一皿だが、カップは二つ。フェルナーはソーサーごとカップを持ち、立ったまま口を付ける。

「それでお祝いとして、護衛のキスリングを少佐に。それともう一人、専任の護衛を付けます」

「キスリングの昇進は嬉しいわね。もう一人の護衛と会うのも楽しみだわ」

 ブラウンシュヴァイク公専属菓子職人が作るザッハートルテの味を舌で楽しんでいると、

「ご自身の昇進は?」

 フェルナーがくつくつと笑い問いかけてくる

「フェルナー」

「楽しくて、ついつい。それにしても、早くジークリンデさまの軍服姿が見たいものです」

「私が軍服を着たら、ジークリンデと呼ばずに、ローエングラム少将と呼びなさい」

「……」

「なに、その表情は」

「それは、了承しかねます」

「どうして? フェルナーのことも、フェルナー准将と呼びますよ。腕もこうやって額に前に」

 フォークを皿におき、手を額のあたりに持ってくると、

「はぁ……」

 フェルナーが心底嫌そうに溜息を吐き出し首を振り、露骨に否定の意を表した。

「そんなに似合ってない? どこか、おかしい?」

「おかしくはないのですが、なんか慣れませんね。いつも通り、ドレスの裾をつまんで挨拶するほうがよろしいかと」

「一々立ち止まるのですか?」

「そんなまめに挨拶しなくてもいいですよ」

「この敬礼、憧れていたのに」

「なんと言いますか、お姫さまには似合いません」

「フェルナー。私はお姫さまではないと、何度言えば分かるのですか」

「一生分からないと思うので、訂正する必要はありませんよ、ジークリンデさま。あ、そうだ。ローデリヒさまも内務省の重要ポストに就かれましたね」

「お兄さまが?」

―― 私と同じくなにもしていないのに、重要ポスト……でも、お父さまに似て優秀な成績で大学院を卒業しているから、私よりはましですね

「はい。よほど大失敗でもしない限り、出世間違いなしでしょう」

 リヒテンラーデ公の後継と定められた彼女の兄。

 学業は優秀だが、彼がラインハルトと互角にやり合えるかどうか? 早くに結婚したこともあり、兄が学業面や精神面でどれほど成長したか? 彼女には知り得ないことである。

「ザッハートルテ、お代わりしますか?」

「どうしましょう……」

 皿に残る僅かな無糖の生クリームを前に、お代わりをしようとしたのだが ――

「ジークリンデはいるか」

「フォン・ビッテンフェルト」

 乱入者によってその機会は失われた。

「ジークリンデ、打ち合わせだ」

 ビッテンフェルトの後ろには困り顔のシュトライトが従っている。

「はい?」

 打ち合わせと言われても、何のことか分からない彼女に、シュトライトがビッテンフェルトの音量に負けじと声を張り上げて答える。

「ジークリンデさま。侍従武官長は戴冠式の際、錫杖を運ぶ任を受け持ちます」

―― そういうお仕事もありましたね。自分には関係ないと……

 驚いている彼女をビッテンフェルトは軽々と担ぎ上げ、連れ出した。

「いくぞ」

 突然担ぎ上げられた彼女はビッテンフェルトの頭にしがみつき、見下ろす形になったシュトライトに指示を出す。

「シュトライト、後のことは任せました!」

「御意にございます」

 その言葉に見送られ、彼女は新無憂宮の黒真珠の間で小刻みに震えているペクニッツ公爵の脇で、成すべきことを聞くこととなった。

 

 戴冠式の打ち合わせ終了後、当然その場を仕切っていたリヒテンラーデ公を恨みがましく睨み ―― 他者から見ると物憂げな眼差しにしか見えないのだが ――

「どうした? ジークリンデ」

「いいえ。なんでもありません」

「そうか」

 色々と言いたいことはあったが、さりとて口に出していいものか? 悩み、彼女は実家へと立ち寄り、兄の栄達を祝うと共に、自身の役職について伝えた。

 既に連絡が届いていたため、父親はさほど驚きを彼女に見せはしなかったが、帰宅間際に兄が、彼女の耳元で囁いた。

「父上は聞いたとき、かなり動揺していたよ。私も同様だけれど」

 いままで帝国貴族女性として生きてきた彼女が、突如将校に就任すれば驚くもの。

 長いこと離れて暮らしてはいたが ――

「心配をかけぬよう精進いたします。お兄さまも頑張ってください」

「無理はしないように」

 父親と兄は彼女の家族であった。そして義理姉のエルフリーデも。

「いつでも帰ってきてください。お待ちしております」

「ありがとうございます。義理姉さま」

 

**********

 

 翌日、彼女はまずブラウンシュヴァイク公邸を訪れ、

「キスリングを少佐に、そしてもう一人の護衛、ユンゲルス大尉」

 増強された護衛と対面した。

 軍服を着ていても分かる鍛え上げられた陸戦用員らしい体付きと、平素は引き締まっているだろう顔。いまは彼女を前にして、呆然としている。

「ユンゲルス。頼みますよ」

 彼女の問いかけに、当然ながら返事はなかった。

 次に会うことになったのはリュッケ少尉。真新しい少尉の軍服に身を包んだ彼は、

「僕、頑張ります! 元帥夫人!」

 彼女の期待を裏切らない……とは違うものの、

―― 大丈夫なのかしら、リュッケ

 彼女の予想通りであった。

 普段は優秀ながら、彼女の前に出ると緊張のあまり「僕」と言ってしまうリュッケと、彼女を初めて見た人がよく陥る硬直状態のユンゲルス。そして――

「秘書官を用意いたしました。フェルデベルト大佐です」

 ブルネットの青年士官が、秘書として紹介された。

―― 秘書など必要なのですか? それに秘書の地位が高すぎるような気もするのですが、シュトライトが必要だと考えて用意してくれた役職ですから……でも、フェルデベルトってどこかで聞いたことがあるような。ちらっとしか出てなかったけれど、それが余計に印象深いといいますか。誰でしたっけ?

 キルヒアイス亡き後、ラインハルトが副官に任命してすぐに閑職に送られたフェルデベルト准将、その人である。

「フェルデベルト大佐。名前は?」

「……」

 ユンゲルスとフェルデベルトの硬直は解けず、彼女はシュトライトから二人の名を聞いて記憶し、

「フェルデベルト大佐。今日の予定は」

「……」

 声をかけたものの、彼は動くことができなかった。これには慣れているので、この一度で更迭するほど彼女は冷酷ではない。

 そこで慣れているフェルナーを伴うことにした。

「フェルナー。今日だけ私の秘書官になりなさい」

「喜んで務めさせていただきます。それでは、本日のジークリンデさまのご予定ですが――」

 硬直している秘書と、動けない護衛を引きずって、彼女は統帥本部へと向かい軍服を試着し、まだだぶついている部分を詰めさせてから、黒真珠の間で行われる即位式のリハーサルへ。

 入り口から玉座までの間を、転びかけるは躓くわと、酷い有様のペクニッツ公爵を優しく見守りつつ五回ほど錫杖を運び、王冠を掲げるフォン・ビッテンフェルトと昼食を取ってから、

「民間俘虜の代表者との面会ですか……拘置所なのですね」

「まあ俘虜ですから」

 ”叛徒の俘虜”と面会をするために、拘置所へと赴いた ――

 


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