原作ではいつの間にかどこかへと消えてしまったエリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイク。ジークリンデが現れたことが原因なのかどうか不明だが ―― ともかく、エリザベートは死んだ。
クロプシュトック侯討伐部隊の司令官はブラウンシュヴァイク公。これは当然の人選であった。姉アンネローゼも危機にさらされたラインハルトも願い出たが、甥と娘を失ったブラウンシュヴァイク公にその権利を譲った。
クロプシュトック侯討伐の準備が進むなか、喪服をまとったジークリンデが皇帝の元を訪れたのは、爆破事件から四日後のこと。
自慢の黒髪 ―― 彼女自身は自慢をしたことはないが、誰もが称賛する黒髪ゆえにそのように評される ―― を短く切った彼女を見て、皇帝は痛ましいという表情を隠さなかった。
「陛下」
「無事でなによりだ。ジークリンデ」
「陛下のご無事なお姿を拝見することができ、臣は本当に幸せにございます」
「そなたの夫のことだが」
フリードリヒ四世がフレーゲル男爵について語ろうとした所で、彼女は臣下にあるまじきことをしでかした。
「陛下。私もクロプシュトック討伐部隊に入りたく、こうしてお願いを申し上げにまいりました」
皇帝の言葉を遮り、自らの”通常では考えられない希望”を願い出たのだ。
突然のことに言葉を失う皇帝に、
「身の程知らずとは思いますが、私の我が儘を……最後の我が儘を。良人の仇討ちができましたら、どのような罪であっても……」
彼女は黒いベール越しながら、涙を浮かべた眼差しで皇帝を見つめた。その美しい緑の瞳に、皇帝は分かったと――
「我が儘であるが、最後だなど言うな。よろしい特別に大佐の地位を与える」
皇帝の言葉は絶対。
こうしてジークリンデ・フォン・フレーゲルは、ブラウンシュヴァイク公の討伐部隊の一員となり、弔い合戦へと向かうことになった ――
彼女は戦いが全く分からない。
そして彼女の顧問として付けられた、ミュッケンベルガー元帥のことは嫌いであった。
理由は ―― 原作を読んだ時に「なんだ、こいつ」と思ったのが下地になっている。ミュッケンベルガーは伯爵家の次男で、家督は継げず、だが爵位が欲しいので……フレーゲル男爵に取り入っている貴族であった。リップシュタット盟約の前に引退し ―― その時、フレーゲル男爵経由で爵位を貰い、そのお返しにと旗艦ヴィルヘルミナを譲った。
原作のフレーゲル男爵と共にラインハルトのことを金髪の孺子呼ばわりし、訳の解らん前進命令を出し ―― 結果ラインハルトの名は上がったが ―― 旗艦を譲ったのにも関わらず、彼は門閥貴族の戦いになんら関与しなかった。
門閥貴族たちに勝目がないので組みしなかった ―― それは確かに先見の明はあるが、どうなのだろう? と彼女は思った。少なくとも世話になったのだから、門閥貴族の元に集っても良いのではないかと。退役していたとしても、再び軍服に袖を通しても良いだろうと。
門閥貴族がクズであることは、読んでいた彼女も同意するところだ。だがメルカッツ上級大将が脅されたにしても門閥貴族側につき、その矜持を保ち人格を損なうことなく、最後まで盟主を見捨てずにいた姿が書かれているのにつけて、ミュッケンベルガーの残念さが浮かび上がってくる……ような気がした。
よくよく考えてみると、門閥貴族に媚を売っていたミュッケンベルガー元帥ではなく、部下としては扱い辛いと定評はあるが、人格者であるメルカッツ上級大将を味方に引き込もうとした辺り、ブラウンシュヴァイク公は人を見る目があったのかもしれない。
ともかくミュッケンベルガーはアテにしていたフレーゲル男爵が死亡したので、未亡人となった彼女に、退役した際にはこの旗艦を譲りたいと持ちかけた ―― 爵位をくれというわけだ。
ゆえに操り易かった。爵位が欲しいのならば、黙っていろと。
大佐の地位にはあるが、正式な軍人ではない彼女は喪服を着たまま司令官の席に座り、
「ファーレンハイト」
ファーレンハイトに声をかける。銀髪に軍人としては白すぎるほど白い肌に、透き通るような青い瞳の男は頭を下げる。
「はい」
彼の背後にはラインハルトの代理として討伐軍に加えたキルヒアイスと、偶々配属されたミッターマイヤーが立っており、彼らも同様に頭を下げている。
「クロプシュトック侯を討ってきなさい」
「かしこまりました」
こうしてファーレンハイトの指揮の下、キルヒアイスとミッターマイヤーは烏合の衆を蹴散らし、みごとクロプシュトック侯を討ち取った。
首謀者であるクロプシュトック侯を討ち取ったあとは、本隊のブラウンシュヴァイク公に全てを任せ、彼女は早々にクロプシュトック侯領を離れ、オーディンを目指した。この行動により、ミッターマイヤーが投獄されるというイベントを回避することとなる。
そして帰還中 ――
「ジークリンデさま。マリーンドルフ伯から火急の通信が」
夫人の死後も交流を持ち続けている「未来の国務尚書」マリーンドルフ伯。彼からの連絡と危機、ジークリンデは当初お悔やみだろうと気楽に考えていた。
お悔やみが気楽というのもおかしいが、それが彼女の偽らざる気持ちであった。
マリーンドルフ伯は原作通り良い人である。
唯一の欠点と言うべきか、彼の美点というべきか、娘のヒルデガルトとは話が合わないだろうと ―― 紹介してくれなかったこと。
彼女もヒルダくらい闊達に生きていれば紹介してもらえただろうが、後宮の実質女官長という立場に置かれた彼女には、そんなことはできなかった。
彼女としても女官長の立場を捨てるわけにはいかなかったので ――
「マリーンドルフ伯ですか。つなぎなさい」
ともかく気楽でありながら憂鬱な気分で高速通信を繋がせる。
『ジークリンデ!』
「……マクシミリアン?」
だが画面に現れたのはマリーンドルフ伯ではなく、カストロプ公の息子マクシミリアンであった。
非常に貴族らしく、軍人らしからぬ背中まである長い茶色の髪と、精悍な顔立ち。
ヒルダとは会うことはできなかったが、このカストロプ公の息子マクシミリアンとは、マリーンドルフ伯を介して会うことができ、また今は亡き夫フレーゲル男爵を焚きつけて、こちら側へと引っ張り込み、軍人にすることは成功していた。
軍人にすることに成功した結果が関係しているかどうかは不明だが、マクシミリアンは非常に好青年であった。原作の原型など微塵もない笑顔が無駄なまでに爽やかで、不正を働く父に心を痛め、領民の生活を第一に考えるフレーゲル男爵と同い年。
「どうしたのですか? マクシミリアン。私はマリーンドルフ伯から連絡が……」
『父の不正を告発しようとしたら、命を狙われ、マリーンドルフ伯に匿われているのだ』
好青年過ぎるマクシミリアンは、あの五千億帝国マルクという横領金を告発しようとして、父オイゲンに命を狙われ、隣接するマリーンドルフ領へと逃げ込んだ。そしてカストロプ公が私軍を派遣し、マリーンドルフ伯に息子を引き渡すように脅しているという。
マクシミリアンからの連絡を聞き、
「マリーンドルフ伯は」
『ここに』
「代わってください」
アルテミスの首飾りの行方に思いを馳せながら、援軍を送っても良いか? と尋ね、領主の許可を得てから、
「分かりました。……ファーレンハイト、国務尚書に通信を入れなさい」
「かしこまりました」
正式な許可を得ることにした。
通信が開く前に、
「キルヒアイス大佐」
「はい、ここに」
「先行してマクシミリアンを助けてやってください」
「仰せのままに」
キルヒアイスを派遣し、大伯父であるリヒテンラーデ侯に事情を説明する。
『分かった』
「私はこちらが片付きしだい、戻りますので」
リヒテンラーデ侯は軍隊の派遣については文句などは言わなかったものの、
『部下に任せ、オーディンに戻ってこられないのか』
姪の娘が指揮官として戦場に残ることに関して難色を示した。
「出過ぎた真似はいたしませんよ、大伯父上……艦橋に立っていること自体が出過ぎているといえば、それまでですが」
こうしてブラウンシュヴァイク公の配下たちがクロプシュトック侯領で暴行・略奪に勤しんでいるころ、ジークリンデ率いる部隊はカストロプ公を討つことになった。
「さすがキルヒアイス大佐。見事なものです」
「ファーレンハイトがそのように言うのですから、見事なのでしょう」
彼女はカストロプ公をキルヒアイスとミッターマイヤーに討ってもらおうと考えていたのだが、マクシミリアンが「どうしても」と頼んできたので「キルヒアイス大佐の言うことを聞けるのであれば」という条件で、父の討伐に同行することを許可した。
その間彼女はマリーンドルフ伯の元に滞在し ―― ヒルダはオーディンの大学に通っているため、会うことが叶わず ―― 勝利の報告を待った。
”待った”とは言ったものの、カストロプ公の住む惑星にアルテミスの首飾りは存在しなかったこと、充分は兵力を持たせキルヒアイスとミッターマイヤーを向かわせたことで、最小限の被害で討伐することに成功する。
カストロプ公は戦死ではなく、原作息子の死因 ―― 罪の軽減を望む召使いたちに殺害された。
公領のことはマリーンドルフ伯に任せ、横領で貯めた五千億帝国マルクの証拠を持ち、マクシミリアンは、
「ではオーディンへと向かいましょうか」
彼女が身柄の安全を保証し、オーディンへと向かった。
マクシミリアンは皇帝フリードリヒ四世に父の無法を詫び、横領金全額を返却するが、
「半額でよい」
事前にリヒテンラーデ侯より進言を受けていた皇帝は、不正をただそうとしたマクシミリアンの心意気やよしと ―― 死亡したカストロプ公ほどではないが、貴族たちは大なり小なり私腹を肥やしているので、厳正な処分を恐れるため、それらのことを考慮しての配慮であり、
「……というわけ」
「そういうことなら」
彼女から事情を聞かされ、マクシミリアンは不本意ながらも半額は自らの懐に収めることとなった。
そしてマクシミリアンから感謝と、夫であるフレーゲル男爵のお悔やみを貰い、
「なにかあったら、私のことを頼ってくれ」
「なにかあったらね」
オーディンで是非とも会って欲しい人が居るとマクシミリアンに言われ、彼女は喪服のまま付いていった。
場所はホテルのロビー。重厚な作りに、やや控え目な明かりのそこで、会わせたいという人を待った。約束の時間の少し前に到着した二人の元にやってきたのは、髪を短く切った美しい少女と女性の境目にいる――
「初めまして」
十八歳のヒルデガルト・フォン・マリーンドルフ。
「初め、まして」
突然のことに驚く彼女に、マクシミリアンは追い打ちをかけた。
「彼女との婚約が整った」
「え……」
マクシミリアンに肩を抱かれたヒルダは……少々頬を赤らめてはいたが、怒りや哀しみなどは一切なく、この結婚を喜んでいるようであった。
マクシミリアンと故カストロプ公の確執は、ヒルダを妻にと望むマクシミリアンと、大学に通っているような女は妻には向かんとする故カストロプ公の意見の対立から始まったものであった。
「夫を失ったばかりだが……どうしても、あなたに一番に知らせたかった」
「あ、ありがとう。マクシミリアン」
「これからよろしくお願いいたします。ジークリンデさま」
「こちらこそ。ヒルデガルト」
「ヒルダと呼んでください」
”送る”という申し出を断り、仲良く連れだち去ってゆく二人の姿を見送る彼女。
「どうしてこうなった」
皇帝ラインハルトの皇妃となるはずのヒルデガルドが、なぜかカストロプ公爵の妻となり ―― ジークリンデの計画は大きく狂った。