黒絹の皇妃   作:朱緒

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第39話

―― 侍従武官長とは、一体なにをするのでしょう……

 

 ”統帥本部へ出頭しましょう”ケスラーの指示に従い、ケスラーとファーレンハイトを伴い、キスリングの運転で統帥本部へと赴き、

「シュタインホフ元帥閣下」

 彼女を推薦したと思われる元凶、シュタインホフ元帥とさほど待たずして面会することができた。

 好意的に表現するならば恰幅がよい、軍人としては些か問題のありそうな体型のシュタインホフ元帥を前に、彼女は挨拶のあと、この人事について尋ねた。

「本当に私でよろしいのですね?」

「もちろんだ、ローエングラム伯爵夫人。あなた以外に任せられる者はいない」

―― ヤン・ウェンリーに言ってくださいな、そんな台詞

「分かりました」

 彼女は侍従武官長の任を引き受けたのだが、これがどのような役割なのか? 首を捻るばかり。

 なにか聞かねばと思うのだが、あまりにも漠然としていて聞きようがなく ―― 彼女の後ろに立っている三人のうちの一人、ケスラーが口を開いた。

「シュタインホフ元帥閣下。ローエングラム伯爵夫人は軍務について不慣れ。部下が決まるまでの間、委細については小官たちに任せるとのことです」

―― そんなこと、言った覚えはありませんが……お願いしますね、ウルリッヒ

 彼女が知らぬ間に打ち合わせをしていた三人は、次々に決めていた通りに動く。

「そうだな」

 ケスラーから持ちかけられたシュタインホフ元帥も、その申し出には乗り気であった。彼女はその血筋と親族と容姿から適任とされただけであって、実務能力を買われたわけではない。シュタインホフも彼女が軍事に詳しくないことは承知している。だから彼女に説明するのは困難だと ―― 何故そのような人選になるのか? それはやはり、血筋と容姿と親族の絡みで決まる、帝国人事ならではの結果である。

「元帥閣下。質問、よろしいでしょうか?」

「なんだ」

「ローエングラム伯爵夫人の軍服はどうなります? ローエングラム伯爵夫人に男装をさせるおつもりですか?」

 帝国軍には女性兵士はいても、女性将校はいない。

 後方支援担当の女性兵士たちは、男性兵士たちと同じ格好をしている。ゆえに前例に照らし合わせると彼女も通常の将校と同じ軍服を着用する可能性が高く ―― 男装することになってしまう。

「貴婦人にそのような格好をさせるはずなかろう。女性将校専用デザインだ」

 シュタインホフ元帥の部下が、軍人らしい機敏な動きで彼女の前にデザインを広げる。その立体画像を見て、

―― いつか本当の女性将校が生まれたとき、この制服を着ることになるのかしら……その頃は新王朝でしょうから、こんな長い上着の軍服は……

 ”上着長い”という感想しか出てこなかった。

 男性軍人が着用している上着が、爪先しか見えないような長さになっている。新王朝でキスリングたち親衛隊が着用する上着よりも更に長く、ドレスを思わせる膨らみまである。

「採寸はどちらで」

 話が終わったら採寸部屋へ行くことになっていたらしいのだが ―― 時間の短縮を図るべく、この場でするべき話はケスラーに任せ、彼女はキスリングとファーレンハイトと共に、彼女の為に用意された採寸室へと急いだ。

 護衛が二人もついているのは、以前フェザーンで彼女一人で試着室に入ったところ、鏡側から誘拐犯が現れ(誘拐するために作られた試着室)彼女が誘拐されかけたことがあったので、

「男性の方は……」

「その二人は気にする必要はありません」

 無防備になりやすい場所には、必ずついてゆく必要があった。まして今日の採寸する者たちは、身辺調査などしていないので、二人としては絶対に目を離すことができない状況である。

「ドレスを脱ぐのですね。分かりました、外して」

 彼女は後ろ髪を無造作に掴み持ち上げて、首のラインを露わにする。

「ネックレスは私が預かります」

 儀礼用の手袋をはめたファーレンハイトがネックレスを手慣れた動きは外す。

 採寸係がドレスを脱がせ、彼女は下着姿に。

「靴下は脱がなくてもいいですね」

「結構でございます」

 彼女がはいている靴下は、太股の中程より上までの長さがあるシルク製で、人目に触れることはほとんどない両サイドにアール・ヌーヴォー調のバラのデザインが刺繍されている。

「提督」

 その下着姿に薄いケープをまとい、採寸が始まる。

「なんだ」

 目を離すわけにはいかないが、さりとて注視するのはどうかと、

「ジークリンデさまが着ている下着、なんと言うのですか」

 悩みつつ仕事をこなす。

「ゲピエールだ」

 ゲピエールとはブラジャーとウエストニッパーとガーターベルトが一体となったもの。

「ずっと気になってたんですよ」

 年齢相応の経験があるキスリングだが、彼の人生にはあまり馴染みのない下着であった。

「そうか」

「あれって、なんの効果があるんですか?」

「バストアップとウエスト補正とおっしゃっていた……俺の正直な感想としては、どちらもあまり役に立ってはいないと」

 彼女は引き絞らなくてもウエストは細く、胸は寄せて集めるほど周囲に余剰分はなく。

「……ですね」

 褒められているのか貶されているのか? 今ひとつ判断辛い会話が届くこともなく、採寸は無事に終わり、ドレスを着直した彼女は、自分のサイズが書かれた紙を受け取り、しみじみと見つめる。

 

―― 身長166.7cmで体重は44.1kgですか。なぜ採寸なのに、体重まで測るのですか……バストはもう諦めています。ウエストは53.7cm……もっと節制するべきでしょうか。でも……あ、股下意外と長いですね。自分の体型なのに、びっくりです

 

 彼女は体型目標として、オーストリア皇妃エリザベートを掲げている ―― 彼女の記憶にある王族で美女でスタイルが良くて数値を覚えている相手が、オーストリア皇妃しかいなかったのが理由だが、とにかく彼女を目指すべく日々ウエストのくびれを気にしている。

 ちなみにオーストリア皇妃エリザベートは172cmで体重は45~50kg、ウエストはあまりに有名な50cm。

 

 それを目指している彼女としては不本意なウエストだが、一般的には細い部類。

「あっ!」

 ネックレスをつけるために背後に回ったファーレンハイトが、その仕事を終えると、彼女がじっくりと見ていた紙を不意に取り上げる。

「体重44.1kg?」

 彼女はもともと46kg前後の体重で、フレーゲル男爵の死後痩せ42kgに届くほどになった。

「小官は47kgとうかがっておりましたが」

 あまりに痩せたことで、周囲に心配され、医者にも注意されて、体重を戻したのだが、本人としては43~44kgが理想なので、ひっそりと44kg台を維持していた。健康を考えると46kgあったほうが良いのは彼女も理解しているが、それはそれ。

「俺もだ……体重はもう戻ったと聞いておりましたが」

 それがここで晒されてしまい薄い空色の瞳と、トパーズ色の瞳が”嘘をつきましたね”と彼女を見下ろす。

「…………昨日一晩で3kg痩せたの……」

 無理がありすぎる言い訳を前に、

「そうですか。そういうこともあるのでしょうね」

 ファーレンハイトは紙を返して、長い睫が際立つ瞼を閉じて”はいはい”と頷き、

「ジークリンデさまがそのようにおっしゃるのでしたら」

 キスリングは優しさが過ぎるような笑顔をつくり、それ以上触れはしなかった。

 

 釈然としないながらも ―― 採寸室を出ると、ケスラーがすでに待機しており、三人を出迎えた。

「採寸は終わりましたか」

「ええ」

「それでは説明をいたしますが。伯爵夫人、昼食はいかがなさいますか?」

 分厚い書類を持っている腕の反対手首の腕時計を見て、彼女に昼食を促す。

「食事よりも……」

 書類の内容を知りたかった彼女は、昼食もそこそこに説明を聞こうとしたのだが、背後からの無言の圧力に一瞬振り返り、

「キスリング。レストランに予約を。端末リストにある店ならば、どの店でも構いません。予約は四人で個室。あなたたちも一緒に。いいですね?」

 昼食を取ることにした。

 予約を任されたキスリングは、もっとも警護しやすく、有事の際に避難し易いレストランに予約を入れて、

「提督。食事代は後日支払いでいいのでしょうか?」

「受け取っては下さらないだろうが」

 食べる前から食事代の心配をしていた。

「高級店なのは分かるが、それほどなのか?」

 同伴したこともなければ、訪れたこともないケスラーが小声で尋ねる。

「材料は全て時価。明確な料金設定はない」

 

**********

 

 レストランはオーディンの街並を乱すことのない外観に、洞窟を思わせる内装となっている。

 料理を食べながら仕事の話をするのは行儀が悪かろうと、食後酒まで待って彼女はケスラーから話しを聞いた。

「私が選ぶのですか?」

 ケスラーは要所を彼女に説明し、最後に彼女が他の侍従武官を選ぶことを告げた。

「そうなります」

「……」

―― なにをどうしていいのか、まったく分かりません

 問題を丸投げされたとしか思えない状況に、彼女はグラスをテーブルに置き、肩を落とす。その彼女にレストランに来る途中に連絡を入れていたファーレンハイトが”そろそろ準備も整っているだろう”と、

「まずはブラウンシュヴァイク公の所へご挨拶に行きましょう」

 人を捜すのにはうってつけの場所へ行きましょうと声をかける。

「そうですね」

 四人分の食事代をカードを持っているキスリングに支払わせ、ブラウンシュヴァイク公邸へと急いだ。

 彼女が侍従武官長に就任したことは、瞬時に流れ ――

「ジークリンデさま。検査入院中のカタリナさまより、お祝いが届いております」

「見せて……カタリナと、あとは……この方と、この方には返信を。定型文で構いません、後日改めて手書きで手紙を送りますので。任せました、ウルリッヒ」

 端末に溢れんばかりに祝福のメールが送られてきた。

「かしこまりました」

 

 

 新無憂宮近くに建つ、ブラウンシュヴァイク公邸へと到着し、公爵から直接昇進の祝福を受け、和やかに談笑してから、彼女は本題を切り出した。

「適任者をな」

 突然の彼女の申し出。

「伯父さま。お願いです、私に力を貸してください」

 ブラウンシュヴァイク公の体を触るような真似はしていないが、縋るような眼差しと頼りない肩、そして細くしなやかな指を組み、胸元で祈るようにして懇願するその姿。

 

―― 相変わらず、凶悪ですね

 

 部屋の隅に控えているアンスバッハ、シュトライト、そしてフェルナーは顔を見合わせるようなことはしなかったが、三人とも隣に立っている人物も同じことを考えているだろうと、そして自分がブラウンシュヴァイク公の立場であったら、同じ行動を取るだろうことを確信していた。

「アンスバッハ」

「はっ」

「ジークリンデのために、相応しい軍人を選べ。誰でも構わぬ。この私が確実に部下としてやる」

 門閥貴族の当主らしい言い方ではあったが、それは披露されることなく ――

「シュトライト准将はいかがでしょうか?」

 適任者が部屋の隅にいた。

 突如名を挙げられたシュトライトは、僅かばかり驚いたが、

「それはよいな。シュトライト。ジークリンデを補佐しろ。これは命令だ」

「かしこまりました」

 ためらいなく、その任を引き受けた。シュトライトの実力を知っているブラウンシュヴァイク公は、あとは大丈夫とばかりに、体調を崩してベッドに伏せっているアマーリエの元へと彼女を連れて行った。

 アマーリエは彼女が武官になったと聞き、青ざめた表情を強ばらせ、夫であるブラウンシュヴァイク公に”ジークリンデにそのような無茶はさせないで”と懇願したが、シュトライトが直属の部下になると聞き、少しばかり安堵した。

「無理はしないのですよ、ジークリンデ。あなたにまでなにかあったら……」

「自分の身の安全を一番に考えますから。ご安心ください」

「本当にそうならば良いのですが。あなたは、そんな子ではないから」

 アマーリエは彼女のことを心配し、手を離そうとはしなかったが、医者が現れ”お休みください”と二人を引き離し、彼女は寝室を後にすることができた。

 

 彼女が侍女の案内で部屋へと戻ると、シュトライトがケスラーから説明を聞きながら書類に目を通していた。

 

「お戻りになられましたか、ジークリンデさま」

「ええ。それでシュトライト、私としては侍従武官長と侍従武官が一人きりというのは、寂しいと思うのですが」

「そうですな。あと二人は欲しいところです」

「やはり貴族でなければ?」

「貴族の方がよろしいかと」

「……」

 

―― 幼帝が即位ということは、あの狂言誘拐的な事件で自害してしまう、古風な武人さん! ……名前、思い出しておけばよかった。でもあの人、貴族なのかどうか

 

 若干後悔し、かなり焦っている彼女に、救いの手が差し伸べられた。

「モルト少将はいかがでしょうか?」

「モルト少将……ですか?」

―― そういうお名前だったような気がします。階級は違うような気もしますけれど

「はい。誠実でまさに武人といった方です」

「シュトライトが推薦するほどですから、人柄には問題はないのでしょう。ですが、その方が私の下についてくださるかどうか」

「その点はご安心を。モルト少将はジークリンデさまのことを、よく存じておりますので」

「私その方のこと知らないのですけれど」

「モルト少将は現在、俘虜収容所の警備を担当しております。ジークリンデさまの俘虜に対する慈悲に、篤く感服している一人です」

「俘虜収容所の……」

 ラインハルトが「こいつら同盟を本気で滅ぼすつもりないだろう。政争に負け逃げこむ先として、残しておきたいのではないか?」と第四次ティアマト会戦前の作戦会議中に内心ぼやいた通り、彼女は同盟に亡命することも視野に入れ ―― 捕虜に慈悲という名の少しばかり物資援助をおこなっていた。

 


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