黒絹の皇妃   作:朱緒

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第32話

「……と言う訳だ」

 ロイエンタールの長い説明が終わったのは、もうじきオーディンに到着するという頃であった。

「事情は分かった。だがまだ信用はしていない。こちらでも調べてから、手を組む。それでいいな?」

 ファーレンハイトは説明を聞き、手を組む方向で話を進めることにした。もともと、ファーレンハイトには地球教掃討やサイオキシン麻薬撲滅に関しての全権はない。彼はあくまでも実働部隊であり、それ以上の判断を下せる地位にはない。それらを持つリヒテンラーデ侯が、こうしてロイエンタールを派遣したのだから、手を組めということなのだろうと判断した。

「ああ。それにしても、お前等の警備は完璧で、手の出しようがない。失敗したら、俺が颯爽とジークリンデを助けてやろうと思っていたのにな」

「当然だろう」

「そうだろうな。なにせジークリンデに最初に選ばれた男だ」

「最初に選ばれた分、随分と苦労もしたし、喧嘩もしたがな」

「ジークリンデと?」

「ああ。ジークリンデさまとだ」

「それは意外だった。俺のように最初から、完全服従したものだとばかり」

 今でこそ公私とも完全服従状態で、親愛なる私の帝国騎士と書き残されるファーレンハイトだが、当初は色々とあった。それこそ彼女に、人生を諦めさせたことが何度もあった ―― ああ、もういい! ファーレンハイト手放して、滅亡まで門閥貴族やる! 回避できるか? できないか? に賭けるより、二十歳まで贅沢の粋を極める。もういい! ファーレンハイトなんか、知らない ――

 十一歳少女と二十二歳青年。少女には言えぬ秘密があり、来るべき未来に対する恐怖があり。青年は少女になにかを求められ、頼られていることはすぐに分かったが、肝心な部分ははぐらかされたまま。何度か口を割らせようとしたものの、少女は黙して語らず。

「色々とな。今ではしようとは思わんし、後悔もしているが、脅したこともあった……あの人は寛大だ」

「俺が気に食わんのは、なぜ俺がその時、選ばれなかったかということだ」

「卿はマールバッハ伯の縁者だから選ばれなかった……そうでなくとも選ばれなかったであろうよ」

「何故?」

「卿のような眉目秀麗な美丈夫が選ばれるわけなかろう。レオンハルトさまは、ジークリンデさまの周囲に卿のような色男が近づくのを嫌っていたからな」

「卿を見る分には、俺にも充分、機会はあったと思われるが」

「いやいや。卿と俺とでは、比べものにならん。社交界きっての漁色家と比較されても困る」

 

―― 助けてください、ジークリンデさま。空気が凍ってます

 

 そろそろ到着体勢にはいりますと報告しに来たザンデルスが、己の呼気が白くならないのが不思議だと思うくらいに、室内の空気は冷たかった

 

「俺にジークリンデを落として欲しいと願っていた女が何人いたか? 知らないだろう。ジークリンデが誰かのものになれば、卿の視線が向くのではと願っていた女たちの数は、相当なものだぞ」

「それは卿の作り話であろう。こんな貧乏帝国騎士に興味を持つような女はいない」

「言いきるな」

「大体、俺は最初から人妻のジークリンデさまに仕えているのだ。今更、独身だとか既婚だとかは関係ないのだが」

「だろうな。それに、卿の好みは知らぬが、視線を欲している女たちは卿の好みではなかろう」

「そうだ、卿にジークリンデさまの好みの男を教えてやろう」

「ほお。それは是非とも知りたいものだ」

「ウルリッヒ・ケスラー准将、三十五歳。ジークリンデさまの初恋の相手で、エッシェンバッハ伯が手配した警備責任者だ。残念ながら卿は、ジークリンデさまの好みではない」

「いや、髪の色は近いぞ」

「そうかも知れんな。ジークリンデさまの初恋は五歳の時。相手のウルリッヒは二十歳……ちなみにこれは、結婚式ごっこの写真だ」

 艶やかな腰まである黒髪に、大量の白いフリルで飾られたカチューシャ。桜色のパニエがはいった膝丈のワンピースに、薄手の白いタイツ。コサージュで飾られている、アイボリーのエナメル靴。耳元には最終日にケスラーに贈った、四つ葉のクローバーをモチーフにしているペリドットのイヤリングが揺れている。

 准尉の制服を着ているケスラーは座り、彼女は手を後ろに組んだ状態で、ケスラーの頬にあと数ミリというところまで唇を寄せている写真。

「ははは、可愛らしいではないか。ところで、少々聞きたいのだが……なぜ、卿がこの写真を持っているのだ」

「ジークリンデさまから預かっているのだ。写真の内容が内容なので、処分したほうが良いのは分かっているが、思い出なので消せない……ということで、俺とフェルナーが預かることになった」

 やましくはなく、微笑ましいものだが、良人に見せるようなものでもない。だが相手は既に死亡しているので(実際は生存していたのだが)破棄するのも…… ―― 二人が預かり、彼女は自分の手元から遠ざけた。

「やはり、早くから仕えたかったものだな」

「今では見られないくらい、感情の起伏が激しくて、頬を膨らませ涙目になり、すぐ世捨て人になる、困った男爵夫人だったが」

「……」

「……」

「殴ってもいいか?」

「黙って殴られる趣味はない」

 

**********

 

 ファーレンハイトが帰国すると聞き、出迎えた彼女は、

「ファーレンハイト」

「ジークリンデさま。わざわざ足を運んでくださるとは」

「あの時の怪我、まだ治っていないのね」

 口元が切れ、赤い傷口が生々しいその姿に、鞄からハンカチを取り出し、優しく労るように傷口を押さえた。

 

―― ジークリンデさま、その怪我は新鮮です。つい先程のものです

 

 事情を知っているザンデルスだが、当然黙っていた。

「たいした怪我ではありません。すぐに治ります」

 彼女は傷口を押さえていたハンカチを離し、手袋に隠れた手を見る。その手は白い手袋に覆われているのだが、血が滲んでおり ―― 彼女はファーレンハイトにハンカチを握らせる。

「そう? でも……ゆっくりと休んで、傷を癒やしてね」

「はい。ジークリンデさまはこれからどちらへ?」

「軍法会議所へ」

「軍法会議所……ですか。なにか問題でも?」

 ファーレンハイトは、これからロイエンタールが軍法会議所へと向かい、現役復帰手続きを取ることを知っているので、できれば彼女には近づいて欲しくはないのだが ―― 手を結ぶ際に、彼女に極力触れないようにすると言ってきたので、それを信じてみることにした。

「ちょっと調べ物。イゼルローン要塞について、少し知りたくて」

 口約束だが守れなければ、共同戦線を張る際に、それこそ「弾は後ろからも来る」状態となるだけのこと。

「私も一緒に行きましょうか?」

「大丈夫。ウルリッヒが将校だから、私が欲しい情報は手に入る……准将で手に入らない情報が知りたい場合は、ファーレンハイトに頼むわ」

「そうですか。ところで、なにをお調べに?」

「イゼルローン要塞の建築費用です」

「……また、変わったものをお調べになるのですね」

 ファーレンハイトは付き合いが長い分、彼女が貴族女性としては奇妙なことに興味を持つのは熟知しているが、今回の調査は、それでもやはり変わっていると零したくなるものであった。

「え、まあ。ちょっと思いついただけですから」

「あまりケスラー准将にご迷惑をおかけしないように……お嬢さま」

「…………ばれていました?」

「もちろん」

 

 出迎えてくれた彼女を見送り、ブラウンシュヴァイク公爵邸の一画にある私軍の本部に戻ったファーレンハイトは、ロイエンタールから提示された情報をフェルナーとオーベルシュタイン、キスリングとシューマッハに見せた。

「……で、地球にある本部をマールバッハ伯と共に叩くと」

 フェルナーが”地球教に幹部として潜入していたロイエンタールからもたらされた”情報に目を通す。

「そうなる。問題はこの情報の信憑性だ。マールバッハ伯が、偽の情報を掴まされているとも限らない」

 あらゆる手段を用い、最初から幹部として入信したロイエンタールだが、猜疑心の強い地球教徒が彼をどこまで信用していたか? そこが問題であった。

「少々時間はかかるが、よろしいか?」

「頼む。……国務尚書からか…………キスリング、ジークリンデさまの自宅で待機しろ。パウル、調査には時間がかかっても構わない。しばらく軍事行動は取れん」

 

**********

 

 イゼルローン要塞に関することを知りたい。どこに行けばいいの? ―― 尋ねられたケスラーは、軍法会議所をあげた。

 軍法会議とは軍紀を維持する機関であり、軍の警察、いわゆる憲兵隊を所持している。ケスラーは憲兵隊に所属しており、

「所属部署によって、立ち入ることができる建物に制限がありますので」

 彼としては軍法会議所で調べるのが一番確実であった。

「そうなのですか……そう、でしょうね」

 彼女はリヒテンラーデ侯の権力下にいるので、帝国国内ならば、ほぼ何処へでも立ち入ることが可能なので、改めて言われ少々言葉に詰まった。

「ええ。軍法会議所でも、将校以上でなければ立ち入ることができないエリアもあります」

「貴族が爵位で分けられるのと同じようなものね」

「そうですね。そのイゼルローン要塞に関すること、お急ぎですか?」

「急いではいませんけれど。どうしました? ウルリッヒ」

「キスリング准佐がいませんので。まさかお嬢さまを一人残して調べにいく訳にはいきませぬ。……お嬢さま、よろしければ、軍法会議所を見学なさいますか?」

「見学できるのですか? 私は軍人の階級は持っていますけれど……将校ではありませんし」

「そうでしたね。ですがこの場合は、元帥夫人としての身分を使用しての見学です」

「あ……夫の身分で」

「はい。宇宙艦隊司令長官令夫人となれば、見学することは可能です。イゼルローン要塞に関しての検索はできませんが」

―― ラインハルト、いつの間に宇宙艦隊司令長官になって……ミュッケンベルガーは爵位貰って退役しましたね。そうでしたか……

「連れていってくれる? ウルリッヒ」

 自分の夫が三長官の一人であることを今更知った……とは、とても言えないで、

「はい。喜んで」

 彼女は扇子で口元を隠して、軍法会議所見学をすることにした。

 

 ケスラーが許可を取り、ファーレンハイトの帰国を出迎え、彼女は軍法会議所へと向かった。

「テオドール・フォン・リュッケ准尉です」

 見学案内役の若い士官が彼女を出迎える。宇宙艦隊司令長官令夫人なので、大勢の士官が出迎える所なのだが、あまり仰々しく出迎えられるのは好まない ―― として、護衛を兼ねた案内役を一人とした。

 ケスラーとしても、周囲に大勢がいるよりは警護し易いので、願ってもないことであった。むろん、離れたところに数名配置されているが、彼女に気取られるような実力のない者はいない。

「テオドール・フォン・リュッケですか」

 

―― 聞いたことあるような、ないような……いたような……いないような

 

 彼女は案内役の若い士官に、これから案内してくれることに感謝し、微笑みかける。

「年は幾つ?」

「…………」

 それはフェルナー曰く”従属の微笑み”それを向けられたら、性別問わずほとんどの人間は、従属を希望すると。

「幾つ? リュッケ」

 ごく稀に従属に耐えられる者もいるが、最終的には陥落し、従属を越え隷属するだけだと ―― 隷属してしまったフェルナーがしみじみと、同じく隷属階級に属しているファーレンハイトに語ったことがあった。

 だからと言って、その微笑みを向けないようにと諭すわけでもなく。

「リュッケ准尉……伯爵夫人、少々お待ちください。伯爵夫人のお美しさに、舌が上手く動かぬようです」

 彼女はこのやり取りに慣れてはいるのだが、相手が本当に口をきけなくなっている理由が、今ひとつ信用できなかった。

―― 美しくて口がきけなくなる……と、フェルナーは言うのですけれど。それ程かしら……人よりは優れているようですけれども

「二十歳です! 元帥夫人」

 やっと立ち直った ―― 顔をまっ赤にして敬礼し、リュッケはやっと答えた。その元気の良い声と喋りに、

「私と同い年ですか。士官学校を卒業してすぐなのですね」

 リュッケの隣に立っているケスラーを盗み見て、随分と彼が大人っぽかったのか? それとも自分が子供だったのか? 過去を少しばかり思い出し、軽く噛みしめた。

「はい」

 軍法会議所の見学は、ケスラーが調べ物を終えてからということで、応接室でリュッケから建物の概要説明を聞く。

「地上二階で、地下五階ですか」

 オーディンは新無憂宮よりも高い建築物は建てることができないので、施設は少なくとも地下五階はある。

「はい」

 彼女がいる応接室は地上一階。責任者や貴賓用の来客室は、美しい青空を望める窓がある地上階に。それ以外はほぼ地階となっている。

「軍病院もそうですよね。たしか地上三階、地下七階。受け付けは……貴族以外は地下二階でしたか」

 貴族とは当然、彼女を含む門閥貴族のことで、彼らは地上階で受け付けし、最上階の高級ホテルのような病室に入院することができる。

「はい! 本官は最上階の病室を見学したことはありませんが」

「病室としては、けっこう立派よ。帝国の五つ星ホテルのスイートくらいかしらね」

 リュッケは貴族だが、門閥貴族ではないので、残念ながら彼女の例えを聞いても分からなかったが。

 少々の会話のかみ合わなさは、彼女の笑みとリュッケの惚けで誤魔化され ―― ケスラーが戻ってくるまで、彼女は細かくリュッケに軍法会議所について尋ね、リュッケは彼女に動悸が聞こえてしまうのではないかと不安になりながら答えた。

 軍法会議所は問題を起こした軍人が裁判にかけられる場所でもあるので(例・オーベルシュタイン)建物の造りが複雑になっている。

 裁判所で被告人が被害者の親族に襲われることはままあるので、それらを阻止するために。また被告人が容易に逃走できないように ―― 悪名高い憲兵隊の尋問室もあるので、入り組んでいたほうがなにかと役にたつのだ。

「階段が一階ずつなのですか……災害があった場合はどうなるのですか?」

 非常用に二本ほど地上二階から地下五階まで通じている階段はあるが、それ以外は防犯用に、階段が途切れ途切れになっている。

―― 防犯としては分かりますが、避難経路が足りないような……戦艦も同じようなものですけれど。戦艦って本当に地球時代から変わらない、入り組んだ造りですよね。敵が乗り込んできた際を考えての造りとは聞きましたけど

「各階に避難用のシェルターがあります。ご安心ください」

 リュッケが胸を強く叩いたのだが、その音があまりに大きく、そして本人が咳き込んで ――

「大丈夫? ハンカチ、あ……ファーレンハイトに預けて」

 ”あら、困ったわ”と彼女に考える隙を与えないかのように、応接室の扉が不躾に開き、

「ジークリンデがいると聞いたのだが」

 軍に復帰する手続きを終えたロイエンタールが、軍服姿で現れた。

「マールバッハ伯……どうなさったのですか?」

 だが彼女が気になったのは、軍服ではなくロイエンタールの顔。誰もが認める秀麗な顔に、赤い傷と青い痣ができていた。

「この顔の傷か?」

「ええ」

「心配してくれるのか?」

 彼女としては苦手な相手だが、怪我をしていたら気になるし、痛そうだなとも思う。

「それは……手も怪我なさっているのですか? 血が滲んでいますよ……ファーレンハイトと同じような怪我ですね」

「奴に最後に会ったのはいつだ?」

―― 奇妙な質問ですね……軍服を着ているから、軍人として話でもあるのかな……制服からして准将ですか

「軍法会議所に来る前に会いました」

「奴にここに来ると言ったか?」

「言いました」

「奴はここに来ているか?」

「いいえ。護衛のケスラーだけです」

「そうか。ではまた後日会おう。それではな、ジークリンデ」

 

 マールバッハ伯にしては、あっさりと引き下がったことに関して ―― 彼女は「やっとサビーネの婚約者としての自覚が生まれたのですね」と、かなり好意的に受け取った。この辺りが「ジークリンデさまって、馬鹿じゃないけど緩いところあるよね」とフェルナーに言われる所以である。

 

 嵐のようなマールバッハ伯が去ったあと、

「お待たせいたしました。ジークリンデさま」

 調べ物を終えたケスラーが、息を切らせて帰ってきた。

「では施設を見学させてもらいましょうか」

「その前に、ジークリンデさま」

「どうしました?」

「リヒテンラーデ侯爵閣下から」

 ケスラーが走って彼女の元へと戻ってきたのは、これが理由。むろん内容に目を通してはいないが、急いだほうが良いであろうと

「…………」

 ケスラーから端末を手渡され、彼女は来るべき時が来たことを知る。―― フリードリヒ四世の頭上に死の扉が現れ、それがもうじき開く状態に。

 フリードリヒ四世は心臓麻痺ではなく、アルコールの過剰摂取による肝臓ダメージから、多臓器の動きが悪くなり ―― 治療方法はなく、あとは死を待つのみとされた。

 

―― たしかにアルコールは過剰摂取してたと思うから……そういうこともあるかもね。それにしても、皇帝の日々の健康診断ほど無意味なものもありませんね

 

 ただ皇帝は危篤状態になったが、それは一部の者しか知らない状態。彼女の場合は、知っているが知らない素振りで過ごせと ―― むろん、いつでも即座に呼び出しに応えられる準備をしておくようにとも。

「ジークリンデさま、なにか?」

「大したことではありませんよ、ケスラー。では見学しましょう。案内してリュッケ」

 


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