黒絹の皇妃   作:朱緒

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第3話

 ジークリンデが取った行動により、未来が大きく変わってしまい、クロプシュトック侯のフリードリヒ四世暗殺が、本編よりも際どい状態になった。

 フリードリヒ四世は腹痛を起こすことはなく、寵姫二名 ―― グリューネワルト伯爵夫人とベーネミュンデ侯爵夫人 ―― を伴い娘婿が主催したパーティーに出席した。

 ブラウンシュヴァイク公も妻アマーリエと娘のエリザベートと共に出迎える。

 ブラウンシュヴァイク公は中年の中肉中背 ―― 頭髪は貴族にしては短く、しっかりとなでつけている。肌は年相応の色と張り ―― ごくごく普通の中年男性貴族。所持している権力は莫大だが。

 妻のアマーリエは父であるフリードリヒ四世にも亡き皇后にも似ていない。全く違うというわけではないのだが、似ているか、似ていないか? で問われると、誰もが ―― 陛下に似ていらっしゃると気を遣い答えるくらいに似ていない。

 似ているのは灰色の頭髪のみ。顔というか体がふくよかで、枯れ木のようなフリードリヒ四世とは似ても似つかないのだ。

 そして娘のエリザベート。今年十六歳になった彼女は、社交界デビューを果たし、この場にいる。父親のブラウンシュヴァイク公に似た黒髪の持ち主だが、豊かでもなければ艶やかでもなく ―― 金をかけて手入れをしているのだが、父の甥の妻(ジークリンデ)の黒髪があまりにも見事で、比べられ悲しい思いをしている。

 ふつうは皇帝の孫と門閥貴族の娘 ―― 三代遡れば、ジークリンデも皇帝の庶子の血は引いているが ―― を比べたりはしないが、ジークリンデの黒髪はフリードリヒ四世が会う度に称賛するので、他の貴族たちもそれに倣っていた。

 

 主賓親子の挨拶が終わり、しばらくして、皇帝のお気に入りとされる、フレーゲル男爵とその妻ジークリンデが挨拶へと向かった。

 

「陛下」

「フレーゲルか」

 彼女は皇帝より下賜されたネックレスを引き立てるドレスを用意するに、随分と苦労したことを皇帝に短く、楽しく語った。

「ははは。では今度はドレスも一緒に与えてやろう」

「大伯父上に任せるのは止めてくださいませ。大伯父上は国事には優れた手腕を発揮なさいますが、女を喜ばせることに関して無能極まりなしにございます」

 皇帝はジークリンデの言葉がよほど面白かったらしく、肘掛けを叩いて笑い、

「分かった」

 楽しげに約束をした。

 その後二人は皇帝の前を辞し、

「我が友、レオンハルト!」

「アルフレット」

 フレーゲル男爵の元には、友人のランズベルク伯がやってきて、ジークリンデの手を取り、挨拶代わりのキスを甲へと落とす。

 無能なのか有能なのか分かりかねるランズベルク伯。ただランズベルク伯は、誰もが否定できないある一面を持っている。それはラインハルトのことを金髪の孺子呼ばわりしないこと。そう、ランズベルク伯は、性格がすこぶる良い大貴族であった。

「男同士でお話したいこともあるでしょう」

 彼女は二人から離れ、壁に背をもたれさせ、扇子で口元を隠して大きく息を吐き出した。

 

 フレーゲル男爵という男は、人の考えに引きずられる ―― 結婚しそれを見抜いた彼女は、同時にランズベルク伯の毒のない性格に触れ、この男が夫であるフレーゲル男爵に良い影響を与えると考え、二人の友人関係を後押しした。

 ラインハルトが派手に出世するよりも前から、できるだけ敵愾心を抱かぬよう細心の注意を払った。

 それとは別にフレーゲル男爵は、彼女にとって良い夫でもあった。

 本編はラインハルトの物語なので敵は敵として書かれるわけだが、ラインハルトが絡まなければ、本当に良い夫である ―― 

 

「男爵夫人」

「ミューゼル閣下。お久しぶりですね」

 不意にラインハルトに声をかけられた彼女は、壁に預けていた背中を離し扇子で口元を隠したまま挨拶をする。

 ラインハルトは現時点で大将。

 原作と乖離しているのかどうか? 彼女には判断がつかなかった。

 近いうちに元帥となり皇帝となる ―― くらいしか彼女には分からない。

「皇帝陛下の元にご挨拶に向かいたいのですが」

「私でよろしければ同行させていただきますわ。ただし、良人の許可を貰ってから」

 

 アンネローゼを通し、ラインハルトとも顔見知りとなり、ある程度殺されないくらいにはなった ―― だが彼女はまだ安心していない。オーベルシュタインを手に入れるまでは。

 

「お話中のところを失礼いたします」

 涼やかな水色のドレスの裾をさばきながら、ランズベルク伯たちと会話している良人・フレーゲル男爵の元へとゆき、ラインハルトとの同行許可を求める。

「軍人として同格のよしみで、私も同行してやろう」

 フレーゲル男爵は彼女の内助の功のお陰で ―― 彼女自身は気付いていないが ―― 既に大将の地位についており、門閥貴族たちの中ではラインハルトに唯一対抗できる男として認識されている。フレーゲル男爵は鍛えれば軍事的才能が……ということはなく、彼の地位を稼いだのは、彼女の部下ともいえるファーレンハイトだが、貴族たちはそれには触れることはない。

 

 彼女は夫のフレーゲル男爵とラインハルトと共に再度皇帝の元へと行く。

 

「ミューゼルか」

「はい」

 アンネローゼの幸せそうな表情と、シュザンナの穏やかな表情に胸を撫で下ろす。

 彼女が十一歳で、社交界デビューもせず結婚した理由は別だが、その結果、この二人と皇帝のために働くこととなり、問題も彼女が解決しており ―― あとは自らの身を守るために動くだけ。

 

 ラインハルトと皇帝の話が終わり、彼が姉と話をしようとしたとき ―― 辺りが閃光に包まれた。

 ジークリンデは眩しさと体が浮き、そして叩き付けられ……音は聞こえなかった。あまりの爆音に一時的に聴覚が失われているのだ。

 目も見えず、全身の感覚も朧なまま、彼女は必死になにかを捜し求めて手を動かす。

 遠くに聞こえる声、

「レオンハルト!」

 誰の声なのか? 彼女にはまだ分からなかった。徐々に目が色を取り戻し ―― ラインハルトに言わせると悪趣味な壁と柱が見えてきた。

 そして腕の下には汚れてはいるが、見覚えのある美しい金髪。

「アンネローゼ? ……さま?」

 彼女はアンネローゼに覆い被さるような状態となっていた。なにが起こったのか? 分からない彼女はあたりを見回す。右隣に見えたのは、夫のフレーゲル男爵とその下敷きになっているフリードリヒ四世。

「レオン……」

 フレーゲル男爵の背中には棘が生えていた。大きく、金属製と思しきもので、それは容赦なく背中から胸までを貫き、下敷きになっている皇帝の着衣はフレーゲル男爵の血で染まっていた。

 その棘の向こう側に現れたのはラインハルト。ふらつきながらも立ち上がったラインハルトは、

「姉上は?」

 彼女にむかってそう言いながら、隣にいる皇帝とフレーゲル男爵を救出しようとする。

 なにが起こったのか? まだ理解できてはいないが、彼女はアンネローゼの首筋に脈を測るために手を添える。

「気を失っている……だけかと」

 水の中で喋っているような状態だが、彼女は必死にラインハルトに向かって答える。ラインハルトは安堵の表情を浮かべることもなく、必死にフレーゲル男爵と皇帝の名を呼ぶ。

 

「ジークリンデさま!」

 

 遠くから自分を呼ぶファーレンハイトの声が、彼女にはとても遠く感じられた ――

 

 爆発は皇帝の暗殺を目論んだクロプシュトック侯が起こしたものであった。爆発したとき、ラインハルト、ジークリンデ、レオンハルトの三人が皇帝と寵姫二名の前に立っていた。三人がそれぞれ盾となり、皇帝の前に立っていたフレーゲル男爵の元に、殺傷力を高めるために爆弾に込められていた鉄板が飛来し背中を貫き、

「即死だったもようです」

「そうですか」

 ”皇帝を守って死亡”となった。

 病院に運ばれ治療が終わってから、部下であるファーレンハイトから報告を聞き頷いた。

「ジークリンデさま……」

「苦しまずに死に、陛下を守ることもできたのですから……」

 九年も一緒に暮らしていいれば、それなりに情も沸く。なによりフレーゲル男爵は悪い男ではなかった。

「はい。閣下が身を挺したことで、陛下は軽傷で済みました」

「それは良かった。シュザンナさまとアンネローゼさまは?」

「侯爵夫人はミューゼル閣下が、伯爵夫人はジークリンデさまが庇う形となったので、お二人もご無事です」

「ミューゼル閣下は?」

「そちらも軽傷のみです」

「そうですか。重傷でも生きていて欲しかったものです」

 容姿はラインハルトに及ばないし、人間の器も小さかったが、それを補おうと必死に生きて居る姿は嫌いではなかった。人は誰しも鷹揚に誇りと才能を持ち生きていけるわけではない。

「はい……」

 ファーレンハイトは九年仕えている女主人が初めて見せた悲しげな表情に ―― なんと言っていいのか分からなかった。通常の貴族の主従であれば、そんな考えなど出てこないが、彼女はファーレンハイトにとって恩人であり、またフレーゲル男爵はそれなりに世話になった上官である。

「犯人の目星はついているのですか? ファーレンハイト」

「クロプシュトック侯と断定されました」

「そうです……ああ、そうだ! ブラウンシュヴァイク公は無事でしたか?」

「はい。ですがご息女のエリザベートさまが、お亡くなりになりました」

「え……」

 

 彼女はその美しく、黒絹とたたえられる腰の上まである黒髪が爆風で焦げてしまい、頬のラインまで短く切り揃えることとなった。

 


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