黒絹の皇妃   作:朱緒

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第27話

 ラインハルトの憎悪の対象であるフリードリヒ四世と、西苑という名の後宮。原作においてフリードリヒ四世の死後は幼帝が二代続くことになるので、側室たちが存在するのはこの代で最後になる ――

 かなり未来が変わっている現時点だが、リッテンハイム侯爵令嬢サビーネが最有力候補なので、やはり側室たちはいなくなる。

 

 蝶の羽ばたきと歴史の修正力のせめぎ合いと【未来を知る転生者】の失敗 ―― 

 

**********

 

 翌朝彼女はアイゼナッハの妻子と、シュタインメッツの恋人というか内縁の妻を会うために、久しぶりにめかし込んだ。

 裾から上へと蔦をイメージした刺繍が施された鮮やかな山吹色のドレスに、ダイヤの一連ネックレス。多くの人が思い描く、貴族のお姫様の格好をして、

「結婚二回もして、お姫様もなにも……」

 鏡の前で少し自虐的な気分になりながら、ブラウンシュヴァイク公爵邸へと向かった。

 彼らと会う前に、ブラウンシュヴァイク公爵夫妻に結婚の報告を ―― 彼女は気まずかったが、夫妻も貴族、きっと分かってくれるだろうと。

 そして彼女が知らない事情を知っている夫妻は、もちろん彼女を責めるような真似はしなかった。また彼女を諦めないとも ―― むろん、それは本心である。

 困ったことがあったら、いつでも頼るといいと力強く言われ、彼女は”はい”と頷く。

 

 そして彼らと家族との対面である。

 

 彼女がアイゼンナッハと覚えていた沈黙提督は、髪は確かに錆びた銅色に見える。だがあの特徴とも言える後ろの一房のハネはなかった。

「初めまして、エリザベート・フォン・アイゼナッハと申します」

 彼の妻が気合いを入れてあのハネを直したものと思われる。

 アイゼナッハ夫人は、彼女も予想した通り、非常によく喋る女性であった。夫の分も喋るのだろうと ――

「あなた、どうしたの? いつもみたいに、話しなさいな」

「ファーター、伯爵夫人とお話したいって言ってたー」

 妻子に話せ話せと言われている姿を見ながら、彼女はアイボリーの扇子で口元を隠して微笑む。

 

―― 私も一度でいいから話してみたいといいますか、声聞いてみたい。奥様頑張って! 私に話しかけさせて。ギルベルト君も、沈黙提督に揺さぶりをかけて。それにしてもギルベルト君は、両親の血を引いてると一目で分かるわ。どちらにも似ているというか。奥様は癖の強い黒髪が特徴ですね。やっぱり沈黙提督と話すのは無理かしらね

 

 沈黙提督が話しかけてくれるのを待ちつつ(妻子以外はほぼ諦めている)シュタインメッツとその恋人グレーチェン・フォン・エアフルトとも話を弾ませる。

 とは言ってもこちらも男のほうは喋らず、話すのはもっぱらグレーチェンのみ。

 もっともシュタインメッツとしては、このブラウンシュヴァイク公爵邸の一画、彼女が元夫と住んでいた邸で「かつてエッシェンバッハ伯の艦長を務めておりました」とはなかなか言えない。

 言えば彼女は「ああ、そういうこともあったはず」と”思い出す”のだが。

「ファーターファーター。いつもみたいにお話しようよ!」

「…………」

 喋らない夫に見切りをつけたアイゼナッハ夫人も会話に参戦し、非常に女性らしい会話が繰り広げられ ――

「そうなりますわよね」

「ええ。でも良いのです」

 グレーチェンとシュタインメッツが内縁関係 ―― 同棲している場合、内縁関係と見なされる ―― にあることと、結婚できない事情についてつらつらと。アイゼナッハ夫人の見事な聞き出しの話術に「これは、沈黙提督。家では喋るだろう」と誰もが納得するくらい感動した。

 グレーチェンとシュタインメッツが結婚しないのは、身分の壁が原因であった。

 平民と貴族の結婚はあるにはあるが、ほとんど男性が貴族で女性が平民。逆はあり得ないに等しい。

 

 グレーチェンは聞けば男爵家の分家の娘だが、特に本家と繋がりがあるわけでもなく、病弱であった両親を看病し看取り、気付いたら二十代後半になっていた。

「そうは見えませんが」

「そうですか? そう言っていただけると嬉しいです、伯爵夫人」

 ブロンドの艶やかな髪にふっくらとした頬と唇は、まだ二十代半ばで充分通用する。

 だが三十間近の貴族女性となると、余程美しいか、財力を持っているかでもない限り、後妻に収まるくらいしかない。

 男爵家のほうで、そのような相手を何人か候補を挙げてきた。両親を失った寂しさに囚われていたグレーチェンはそれでも良いかと思ったのだが、そこでシュタインメッツと出会い恋に落ちたのだという。

 

―― シュタインメッツ、まっ赤になりすぎ。いいよ、いいですよ。グレーチェンの買い物袋、いい仕事したよ。シュタインメッツの近くで破れるなんて、つくも神が宿っていたとしか言い様がないですね。転がった林檎もよくシュタインメッツの足元に転がっていった。それを拾って、荷物運んであげるなんていいじゃないですか。そして自宅まで付き添って、自宅でお茶でもどうぞと誘われたけれど、女性の一人暮らしの家に上がらないその紳士ぶり。いいですよ。交際に発展してよかったです

 

 彼女はやや扇子を開き、頬のあたりまで覆って笑いを隠す。もちろん馬鹿にして笑っているのではなく、あまりにも微笑ましく、ついつい幸せな気分になったためだ。

 だが幸せな気分はそこまでで、あとはお決まりの現実が待っている。彼女は本家からの見合いを断り、だがシュタインメッツとの結婚は障害が多すぎ。

 ラインハルトが新王朝を興した暁には結婚できるかもしれないが、主君が結婚するまで入籍を控え回廊の戦いで死んでしまったシュタインメッツの性格を考えると、

 

―― ラインハルトが自由惑星同盟を滅ぼすまで入籍しないとか、ヤン・ウェンリー倒すまで入籍しないとか言い出しそう……

 

 彼女はそんな考えが思い浮かんでしまった。

―― 宮内省と典礼省に少し頼めば、帝国騎士くらいなら……門閥貴族の力でやってしまうべき?

「卿が望むのであれば、帝国騎士になれるよう手続きをするが」

 だが彼女が口を開く前、冷静で抑揚の少ない声が打開策を告げる。

「いや、ですが」

 突然の提案にシュタインメッツが声を詰まらせるが、オーベルシュタインは気にせずに話続けた。

「卿の帝国軍に対する貢献と、ファーレンハイト提督の推薦さえあれば帝国騎士に叙されることは可能だが」

「協力するのは構わんぞ……私に推薦されたほうが得策だろうな。ジークリンデさまが国務尚書閣下と陛下の前で”お願いいたします”しかねんような……考えていらっしゃったでしょう?」

 ファーレンハイトに言われ、彼女は素直に認めた。

「え、ええ。でも陛下には言いませんよ。大伯父上には事前に話しますけど」

「リヒテンラーデ侯閣下に話したらいつも通り、あの眉をぴくりと動かして”まあ、よかろう”って。ジークリンデさまが宮内省と典礼省に行く前にやっちゃいますよ」

「確かにそんな気はしますけど……」

「シュタインメッツ提督が貴族号を授与されるついでに、ローエングラム侯爵夫人にされたりしそうですが」

「なにもしていないのに陞爵とか嫌です」

 そんな軽い話合いの結果、彼女ではなく、

「多少時間はかかるが、いいな?」

「はい、ファーレンハイト提督」

 軍側が手続きをすることになった。

 グレーチェンがこれを期待して彼女に会いたいと言ったのだとしても、不満はなかった。なにより彼女に会わずとも、

「それにしても、カール・ロベルト・フォン・シュタインメッツか。長いな」

「全体的に長いアーダルベルト・フォン・ファーレンハイト大将には、言われたくはないと思いますが」

「ああ、そうかも知れんなフェルナー准将」

 シュタインメッツが帝国騎士の地位を得ることは出来たのだから。

 たまたま彼女がいた、ただそれだけである。

 

 アイゼナッハ夫妻の馴れ初めは、聞いたのだが誰も信用ができなかった。アイゼナッハが……

 

「世の中には分からないことがあるものですね」

 帰りの地上車中、運転しているキスリングに彼女は思わずそう言ってしまった。そして返ってきた言葉は、

「はい、ジークリンデさまのおっしゃる通りです。世の中には小官如きでは理解できない世界が……」

 やはり同意であった。

 衝撃のアイゼナッハ夫妻の馴れ初めに呆然としたまま伯爵邸へと帰宅した。

 

**********

 

 リヒテンラーデ侯に呼ばれ、出仕前に国務尚書執務室に立ち寄ったところ、カストロプ公の結婚式において名代を務めるよう言い渡された。

 いきなり名代を務めろと言われ、彼女は違うだろうと思いながらも「大伯父上の?」と聞くも、無常にも「陛下だ」とリヒテンラーデ侯に返され、事情説明を求めて ―― 彼女の誘拐計画だけを伝えた。

「誘拐の恐れがあるので」

「……わかりました」

 ファーレンハイトの暗殺は彼女に関係ないので、伝えることはしなかった。

 彼女は庇護対象なので、すべての情報を伝えられることはない。彼女としても、全部報告されても、自分自身ができることは、逃げる際にしっかりと抱きつくことだけなので、聞いても仕方ない ―― だが、今回のキュンメル事件に似たものは、聞いていれば防ぐことができた……後の祭りではあるのだが。

 

―― ネルトリンゲンに乗れるのは嬉しいけど、客船キャンセルに……帰宅して準備に取りかからないと

 

 リヒテンラーデ侯からの通達を聞き、用意するものを脳裏に描きながら、彼女は西苑へと向かい、休みの間のことをいつも通り、女官長代理に任せる旨と、

「カタリナさまがお会いしたいとのことです」

 代理には務まらない仕事をこなす。

「そうですか。今すぐ訪問してもいいか? 聞いてください」

「かしこまりました」

 カタリナからは”お待ちしております”という返事がすぐに返ってきたので、キスリングを連れてゆっくりと向かった。

 

「結婚おめでとう、ジークリンデ」

「ありがとう、カタリナ」

 彼女を出迎えた邸の主 ―― 皇帝の側室 ―― カタリナは、ノイエ=シュタウフェン公爵令嬢である。ただし当主の娘ではなく、遠縁から迎えた養女にあたる。

 

 西苑というのは皇帝の情を受けるために女が集められる場所であり、階級は様々であった。そう貴族だけではなく、平民も混ざっている。

 実は銀河帝国は身分の低い美しい娘を入内させるため、一度権門の養女にして身分を付けて送り出す ―― という思考があまり浸透していない。

 全くではないのだが、アンネローゼが帝国騎士の娘のまま召し上げられたことからも分かるように一般的ではない。

 

 カタリナは膝まである栗毛がまず人目を惹く。顔立ちは少々つり上がった気の強そうな青い瞳と小ぶりながら、色鮮やかで形のよい唇が特徴。

 肌は白く滑らかで、年は彼女より四つ上。貴族の女性にしては表情が豊かで、少女らしさが残っている。

「ねえねえ、護衛。私とジークリンデ、どちらが綺麗?」

 彼女の頬に頬を寄せたカタリナが、キスリングに無茶な質問をぶつける。

 どう答えても”詰む”としか思えないそれに対し、

「……」

 キスリングは沈黙した。

 カタリナはその態度が面白いとばかりに、口元を手で少し隠して大笑いをする。

「カタリナ。あまりキスリングのことをからかわないでください。フェルナーじゃないのですから」

「だって。正直に言っていいのに。でも、そのトパーズ色の瞳は正直ね」

「……」

「前任のフェルナーは”ジークリンデさまです”と、あの憎たらしい笑顔で即座に言い返してきたわよ。私、ああいう男好きよ。でもあなたみたいな瞳の男も好きよ」

 仮にも皇帝の側室が男に向かって好きというのは許されなさそうだが、カタリナという女性はあまり気にしないし、彼女もカタリナの性格を知っているので、最早注意しない。

 カタリナは一通りキスリングをからかい、満足するといつもの話 ――

「またやってたわよ」

「私も聞きました」

 西苑内の陰湿な女の嫌がらせに関して情報を交換しあう。

 

 前述の通り「養子縁組してから入内」が一般的ではないため、公爵令嬢と平民が同じ立場 ―― ということがままある。

 もっとも、育ちのよい公爵令嬢ともなれば鷹揚であり、揺るぎなき自信があるので、このカタリナのように、貴族令嬢然として平民をいたぶるような真似はしない。

 また平民のほうも立場を弁えており ―― 皇帝の寵姫ともなれば別だが、それは天文学的な数字である ―― 目立たぬよう、渡りなしで退去させられる日を待つ。

 

 公爵令嬢と平民は天と地ほどの開きがあるので争いにはならない。

 

 西苑でもっとも危険なのは、帝国騎士、新興男爵、子爵のご令嬢。

 この辺りは階級が近く、とくに帝国騎士の娘は「アンネローゼ・フォン・グリューネワルト」という、存在するだけで貴族の恨みを買う寵姫の身代わりとして、いじめの対象になった。

 先代まで帝国騎士であった男爵家の令嬢が、帝国騎士の娘を悪し様に罵る姿などを見ると、彼女は権門の力をかさにきて排除したいと思ったことが何度もあった。

 

 だがそこは、原作で「門閥貴族の悪いところ」と感じていたので、彼女は堪えた。

 

「たかが男爵って言ってしまうと、私の実家も男爵なのよね」

 カタリナはノイエ=シュタウフェン公爵一門の男爵家の娘であった。むろん新興男爵とは違う、由緒正しい男爵。

「私も前夫が男爵でしたから、たかが男爵とは言えませんが」

 フレーゲル男爵は言わずと知れたブラウンシュヴァイク公爵一門の、栄誉ある男爵家。

「でもね」

「ですね」

 その後、宮廷人らしく幾つかの華やかな話をして、退出際に、

「おそらく今日か明日、陛下のお渡りがあるでしょう」

「ありがとう。ジークリンデ」

 フリードリヒ四世の訪問を告げて、邸を後にした。

「……帰宅前に少し」

「はい」

 

 彼女はフリードリヒ四世に側室を薦めることができる立場にいる、数少ない人間の一人である。この遊郭の主人のような権限、彼女は当初使用しなかった。アンネローゼから寵愛が遠のくのを避けることもあるが、それ以前に嫌悪感が強かったためだ。

「年金、ですか」

「微々たるものですけれどもね」

 西苑の庭園の一つに移動し、彼女は透かし彫りの枠が美しいベンチに腰を降ろし、大量の水を噴き上げる噴水群を眺めながらキスリングに話しかける。

 

 フリードリヒ四世は彼女のことを気に入っているので、話題として取り上げれば興味を持つことが多い。

「駄目でもいいからやってみて……と、カタリナに頼まれたのが始まりです。カタリナは公爵家の養女なので、ここで実績……陛下のお渡りなんですけれどもね、とにかく実績がないと、西苑を出されたあと野垂れ死ぬと。野垂れ死ぬは言い過ぎですけれども、公爵家からの援助がもらえないのですよ」

 西苑以降 ―― 側室たちはフリードリヒ四世の死後のことを考える。誰も大っぴらには語れないが、彼女たちは老いた皇帝が死ぬ前に、自分たちの将来を用意する必要があった。むろん、そんなことに頭が回らない者もいるが、カタリナはよく考えており、西苑にいる女性の中でフリードリヒ四世に近い人間に取りなしてもらうことにした。

 彼女は養女とはいえ、ノイエ=シュタウフェン公の娘など薦めたくはなかったのだが、カタリナの説得に折れて「あまり期待しないでくださいよ」と保険をかけてから、フリードリヒ四世に「仲良くなった側室が、陛下のお渡りがないので可哀想。カタリナです。カタリナ・フォン・ノイエ=シュタウフェン」彼女は言ってみた ―― 結果、カタリナは宮内庁からの年金と、西苑後、公爵家からの生活保護を獲得することができた。

「西苑という場所は”男にとって”女の最盛期を捧げる場所でもあります。西苑を出た女は”男にとって”最盛期を過ぎた状態。あなたを責めているわけではありませんよ、キスリング。ただそうなのです。だから微々たるものでも年金は欲しいのですよ。愚かにも私は、懇願されるまで気付きませんでしたけれども」

 以前、一人の帝国騎士の娘が彼女の前に跪いた。

 彼女の視界はすぐに警護していたファーレンハイトの背中によって遮られ、その向こう側から懇願された。

「帝国騎士の娘でした。その女性はグリューネワルト伯爵夫人の実家と同じくらい貧乏でした。女性は自活の道を模索し、軍の採用試験を受け合格していたそうですが、その美貌が関係者の目に止まり西苑へ。もちろん採用は取り消され……私に懇願した時は、軍の採用試験に再挑戦できる年齢を過ぎていました。西苑を出たあと、手に職をつけて働くつもりだが、手に職をつけるまでの間の糊口を凌ぐために、どうしても年金が欲しいと」

「どうなさったのですか?」

「ここまで話しておきながら……秘密です。でも私の周囲にはもういません」

「気苦労の多いお仕事ですね」

「彼女たちに比べたら軽いものですけれど……フェルナーが西苑で刺されたことは聞いていますか?」

「聞いております」

「現場はここです。あれ以来、来ていなかったのですけれども……キスリング」

「はい」

「私は傷を負ったあなたをおいて、逃げなくてはいけませんか?」

「はい」

「意識が戻ったフェルナーに散々叱られました」

 伯爵令嬢としてこの世界に生まれから、もっとも叱られたと言っても過言ではない。あの場面ではフェルナーをおいて逃げるべきであったと。留まっていても、なにもできないのだから。それは事実で、彼女も他者がそのような場面に遭遇していたら、なぜ早く逃げないのかと言えるのだが、当事者になると思っているようには動けない。

「警護している者にとって、対象者を守りきれないほど悔しいことはありません。自分が死ぬことよりも」

 刃物を持った相手と対峙したのはあの一度きりなのだが、二度目は脇目もふらずに逃げると ―― 実行できるかどうか? 彼女には自信がない。

「……分かりました。私の誘拐計画があるようですが……できれば怪我などせずに、守ってください、キスリング」

「必ずお守りいたします。怪我のほうはお許しください」

 


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