黒絹の皇妃   作:朱緒

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第257話

 生まれ持った美貌だけではなく、洗練された動き ―― 彼女は自分を美しく見せることに長けている。

 意識しなくとも、どの角度から見られたところで完全な美しさを誇る彼女だが、それだけではなく見せ方も習得していた。

 それらの集大成とも言えるのが即位の儀であった。

 彼女は即位するつもりなどなかったため、これといった衣装を用意はしておらず ―― ラインハルトの即位の際には皇妃として絢爛豪華なマント・ド・クールを着用したが、己の即位の際には軍服で望んだ。

 戦うために即位した彼女に相応しい着衣とも言えよう。

 帝国随一の貴婦人と謳われた彼女の即位にしては地味であった ―― などということはなかった。

 彼女専用の長い上衣の軍服に、ゴールデンバウム皇帝に相応しい黄金の身長より長いマント。勲章の類いは一切着用せず、首元をブリーシングの首飾りで飾り、退位したカザリンが、今か今かと待って居た黒真珠の間で、先の皇帝に頭上に王冠を乗せてもらう。

 王冠を戴いた彼女は歓声に応え、そして直ぐに王冠を降ろし玉座に乗せ、緩やかに纏めていた黒髪を解いた。

 艶やかな黒髪が流れるように、音もなく広がる。

 彼女は即位後髪を下ろす。自分は貴族の子女ではない、銀河に唯一人の皇帝であり、それは女という枠に捕らわれてはならぬとして。

 

 彼女はその黒髪を両腕で弾いた。ただそれだけの仕草であったが、それは優雅さでもなく気品でもなく ―― ゴールデンバウム王朝が謳う神聖不可侵であると、誰もが納得した。

 

 結われることなく、降ろされたままになる黒髪なのだが、後ろから見ると彼女の黒髪を際立たせる輝きが、あるものによく似ていた。まさにゴールデンバウム皇帝に相応しいとされる ―― その黒髪には双頭の鷲の紋章が映し出されていた。

 

 彼女の後ろ姿を見た者全てが直ぐに気付き、かなりの騒ぎになった。

 そんなゴールデンバウムを体現したかのような彼女は、

 

「ゴールデンバウムに忠誠を誓う者は余の親征に随行し叛徒を滅せよ。新王朝を望む者は新たな皇帝を即位させるために余の親征に従い、叛徒を滅ぼせ」

 

 親征を宣言する。

 そして同盟に対しサビーネの身の安全を確保すべく、

 

「有人惑星に核を投下し、全惑星を焼き尽くす。脅しだと思うか? 奴隷ども。余の恐ろしさを忘れたか? 余はゴールデンバウムぞ」

 

 サビーネの身に何かがあった場合、同盟を焼き滅ぼすと宣言した。

 さすがにコレに関しては、性質の悪い脅しだと同盟は反論するも、

 

「余とて余の大切な臣民には核など投下せぬわ。だが辺境におるのは反乱奴隷であろう。反乱奴隷が我が臣民と同じ扱いを求めるのか? 栄誉ある銀河帝国の臣民と同じ扱いをしろと、皇帝である余に意見するのか。身の程知らずも極まれり、度し難き者どもだな」

 

 ”貴様らを人間として認識はしていない”と返した。

 そもそもゴールデンバウムという国家は、そういう国家であり、だからこそ同盟は銀河帝国打倒を掲げて戦争を続けてきたのだ。今更その銀河帝国に対し、道義的な問題云々を論じたところでどうにもなりはしない。

 だがこれはサビーネの身の安全が図られていれば避けられること。

 

「自らの身の安全を図りたくば、余の一族に縋るがよい。惨めに憐れに愚かしく、己に相応しい態度でな」

 

 サビーネを帝国に返そうという意見も当然出たが、既に帝国側が交渉を一切受け付けない姿勢を取っているため、どうすることもできなかった。

 どうすることも出来ない同盟だが、亡命者の身の安全の確保は同盟憲章に記されているため放り出すわけにいかず、サビーネに怪我を負わせようものならば、同盟の惑星は核で焼かれるが、人権を尊重し、銀河帝国の民を解放するという理念を掲げている以上、同じように無辜の民を焼くなどと言うこともできず ―― 軍はどこまで戦うべきか? どのようにして講和に持ち込むか? など、彼らは頭を抱えることになる。

 

**********

 

 長いこと新無憂宮に務めてきた彼女だが、その中でも馴染みのほとんどない、軍関係者と会談する間に、今回の出兵に伴う将を集めた。

 神々の黄昏に該当する戦いにのぞむ彼女だが、皇帝の座に就いたからには有能と分かっている人物を使わない手はないと、ラインハルト麾下の将のほとんどを連れてゆくことにした。皇帝の命ゆえに逆らえないということもあるが、戦いに勝てばラインハルトの治世が始まるのだから、彼らとしては望むところではある。

 麾下の将兵でオーディンに残るのは、帝都防衛司令官のワーレン。彼に憲兵総監を一時的に兼任させることになった。役職上、出征できないことは分かっていたワーレンだが、非常に悔しがった

 征けと言われれば何処へでも征くのが軍人ではあるが、彼らはある疑念を抱いていた。それはラインハルト即位後の彼女の去就。

 庶民や一般兵士は、彼女は退位して次の皇帝ラインハルトの皇妃になるのだと、なにも疑わず信じているのだが ―― 

 

「陛下はどのようなお考えなのでしょうか?」

 

 ミッターマイヤーが代表し、彼女に真意を尋ねた。彼女は信頼を得るためにと、正直に自裁することを告げた。

 

「ゴールデンバウムは余であり、余はゴールデンバウムなのだ。ゴールデンバウムが滅びるというのは、余がこの銀河から去ると言うことだ。分かったか」

 

 皇帝にここまで断言されてしまっては、彼らとしてはそれ以上なにかを言うのは不可能であった。

 

 この神々の黄昏だが、寄せ集めの軍になる同盟と同じくらい、帝国も利害が一致しない、ぎすぎすとした艦隊の集合体であった。

 ラインハルトの麾下の将兵で簒奪軍とも言えるのがミッターマイヤー、ルッツ、ケスラー、ミュラーそしてキルヒアイス。

 ゴールデンバウム皇軍としてビッテンフェルト。そして彼女の親衛隊軍を指揮するファーレンハイト。彼女もつい先ほどまで知らなかったが、この親衛隊軍にレンネンカンプも所属している。

 簒奪軍とゴールデンバウム皇軍、親衛隊軍という、不協和音が鳴り響きそうな構成。

 さらに ――

 

「ロイエンタール」

「ここに」

 

 文官であるロイエンタールが、何故か呼び出されていた。

 呼び出された当人すら、理由に見当がつかなかったのだが、皇帝直々の出頭命令とあらば何処へでも出向くのが家臣。

 

「司法尚書を解任する」

「御意」

「お前を幕僚総監に命ずる」

 

 解任までは驚きのなかったロイエンタールだが、幕僚総監に任じられたことには驚きを隠せず、非礼とは知りながら彼女の顔を凝視してしまう。

 

「謹んでお受けいたします」

 

 幕僚総監という地位は、ゴールデンバウム王朝において閑職、ないしは名誉職の扱い。わざわざ司法尚書を解任してこの地位に就ける利点は、通常はないのだが、

 

「地位は中将。主席幕僚を務めよ」

 

 この場にいる将校の誰もが、主席幕僚はファーレンハイトだと、疑っていないどころか、それ以外はないだろうと、それに関して考えてもいなかった所にこの人事。

 なにか理由があるのかと考えるのが普通である。

 

「喜んで」

 

 彼女としてはロイエンタールに軍を指揮させる必要があった。

 その本心はここでは語らず ―― 表向きの理由だけを語る。

 

「叛徒を制圧した後、惑星ハイネセンに総督府を設置すること、すでにローエングラムと決めておる。お前にはその総督を命じる。行政権と軍権の両方を持った地位ゆえ、ある程度軍を動かせることを此度の会戦で立証せよ」

「御意」

 

 彼女は同盟を制圧したのち、高等弁務官を送るのではなく、最初から統治方向で進めることにした。

 ロイエンタールの才能があれば充分で、反乱すら起こせるほど ―― その未来を知りながら彼女はあえてロイエンタールに権力を与え総督の地位に就けることにした。

 

**********

 

 新無憂宮の正統な主となった彼女だが、九月の半ばにはオーディンを発ち、ガイエスブルク要塞に向かうことになっており、

 

「不在を任せたい」

「喜んで、陛下」

 

 その間、新無憂宮をカタリナに任せることにした。

 高い天井から分厚い赤い天鵞絨のカーテンが垂れ下がる黒真珠の間に呼び出し、彼女はフェルナーとキスリングを従え玉座に、カタリナは立ったまま頭を下げての会話なのだが、

 

「その見返りとしてだが……普通に喋ってもいいかしら? カタリナ」

 

 カタリナを前にするとなんとも恥ずかしく、いつも通り話すことを思わず希望してしまった。

 

「構わないわよ。私としては、あなたの帝王然として語り口も好きだけど、そこは陛下のお心のままに」

 

 彼女の一言にカタリナは面を上げて、ドレスの両端を掴み笑顔で軽く会釈をする。

 

「茶化さないでください、カタリナ」

 

 黒真珠の間の黒さえ色褪せる、艶めく漆黒の黒髪を揺らし頬を赤らめる。

 

「分かったわ。ところで見返りってなにかしら?」

 

 透き通るような声は、黒真珠の間にはなんとも似合わないものであった。

 

「ローエングラム王朝においての身分と特権の保障」

「もらっていいの?」

「ええ。その代わりに、面倒事を」

「え、なに、恐いわ。私のような特段優れたことのない門閥貴族の子女にできること?」

 

 フェルナーが”貴方様がなにを仰っていらっしゃいます”と、あからさまに気持ちを顔に出すも、カタリナは完全に無視。

 

「意志の強さとか精神力なんかは、人並み外れているとおもいますけれど」

 

 右脇にいるフェルナーの表情は、彼女には当然分からないのだが、なんとなく変な表情をしているであろうことは気付いた。なにせフェルナー、割と失礼な男である。

 

「皇帝になったあなたには及ばないわ」

 

 彼女に精神力の強さを評価されたカタリナだが、自ら即位し帝国を滅ぼすと言い切った彼女には及ばないと、赤く塗った唇が楽しげな声で否定する。

 

「私はどちらかと言いますと、弱いから皇帝になったような」

「あなたかなり強情で、()()と決めたら譲らない性格じゃない」

 

 玉座の両脇で護衛と従者の両方を務めているキスリングは、カタリナの台詞に心から同意したが、同時に彼女の自身に対する評価にも頷く。

 滅ぼすために皇帝になると言い、実際に即位し、滅ぼすために大攻勢を仕掛けるなど、よほど強情でなくては不可能。

 ただ彼女は強情なだけで、精神そのものは弱いことも知っているので ―― 最後まで精神を病まずバランスを保ったままで、全てを終えられることを望み、そのために支えようと。

 

「否定はできませんか……。それでですね、まずノイエ=シュタウフェン公爵家には、今までと変わらぬものを用意します」

「それだけもらえれば充分よ」

「それで、陛下……ではなく、カザリンのことを任せたいの」

 

 父母はなく親戚も、故ペクニッツ公爵の借金の状態から考えて役に立ちそうないので、ここは縁戚のカタリナに任せることにした。

 

「言われなくても、ちゃんと面倒みるわよ」

 

 カタリナとしても、白紙証文の怖さすら教えないような教師陣しか用意できなかったペクニッツとその親戚に、一度は()王朝の皇帝の座に就いたことのある幼児を任せるつもりはなかった。

 

「言ってくれるとは思っていましたが。それで、カザリンですけれど、生活費どうします?」

「”どう”って?」

「領地を用意するか、毎年年金を幾ばくかもらうか。後者のほうが楽ではありますけれど、門閥貴族の矜持は傷つきますね」

 

 門閥貴族たるもの領地を持ってこそ。禄を食んでいるような貴族は門閥貴族にあらず ――

 

「両方は?」

「構いませんよ」

「では両方で。矜持がなければ門閥貴族ではないけれど、矜持だけでは生きていけないことも理解しているわ」

「分かりました。そのように手配します」

「あと、領地と財産の管理でき、尚且つ信頼できる人間も用意してちょうだい」

「それに関しては心配しなくていいわ。カザリンにはブラウンシュヴァイク公爵家の養子になってもらいますから。仕えている家臣もそのまま引き継げるので、管理に問題はないかと」

 

 退位したカザリンは現在ペクニッツ公爵家を継ぎ、ペクニッツ公爵夫人を名乗っているのだが、ペクニッツ家は先代のユルゲン・オファーの借金、その精算などで、領地を失っていた。

 カザリンが皇帝の座に就いていた際には、ペクニッツ公爵家は帝室の領地を拝していたのだが、ユルゲン・オファーの死後は当たり前ながら返上されており、結果、現在カザリンは無収入の公爵夫人である ―― 二歳の子供が無収入なのは当然とも言えるが、収入が無くては二歳児であろうとも生きてはいけない。

 カタリナが年金だけよいと言えば、カザリンはペクニッツ公爵夫人で済んだが、領地を得るとなると、どこかから得なくてはならない。

 無論新王朝から拝領することも可能ではあったが、それらを管理する人員となると新たに用意する必要があるのだが ―― 良質で善良、有能で忠誠心篤い者など、そうそう簡単に手配できるものではない。ペクニッツ家の類縁を見回しても、あまり信頼おけそうな者がいないため、それならば有能な家臣が仕えている家の養子にしようと。

 そこで彼女は継いだかもしれない嫁ぎ先の公爵家に打診した。

 皇帝の命により、先代皇帝を跡取りに ―― 通常は断られはしないのだが、ブラウンシュヴァイク公は難色を示した。

 ブラウンシュヴァイク公爵家の安堵のためにもカザリンを養子にすべきだと説得したのだが、ブラウンシュヴァイク公は退位した彼女が帰ってきて継ぐべきだと言い張り、首を縦に振らなかった。

 そこで彼女は最終手段に出て ―― ラインハルト即位後に自害することを告げた。

 ブラウンシュヴァイク公は二の句が継げず、彼女を驚いた表情で見つめるのみ。

 少々間を置き、画面越しに何を言っているのか分からない状況になり、控えていたアンスバッハが「ブラウンシュヴァイク公。そこにおわしますのは陛下にございますぞ」何とか宥めた。

 その後話し合い、彼女がブラウンシュヴァイク公爵家の跡取りの筆頭候補で、次がカザリンということでなんとか説得が完了した。

 

「そんな訳で、カザリンはもうしばらくペクニッツ公爵夫人のままで。生活費は支給するよう手配しますから」

「分かったけれど、やっぱりあなた死を選ぶのね、ジークリンデ」

 

 はっきりと彼女の意思を聞いてはいなかったカタリナだが、宣言の端々から彼女が死を選ぶことは感じ取っていた。

 だが当人の口からそれが語られると ―― 分かっていても、ショックは大きいものである。

 

「ええ」

「そうもあっさりと、気負わず言われてしまうと……臣として、なんと言っていいか分からなくなりますわ陛下」

「カタリナ」

「失礼いたしました。話を戻すけど、カザリンは後々はブラウンシュヴァイク公爵夫人ね……フライリヒラート家は良いの?」

「私の実家は私の代で終わらせます。私が継いだ爵位はすべて、ゴールデンバウムと共に無くします」

「アレクシアも喜んでるでしょうね」

「カタリナは気付いていましたか」

「それはね。むしろ気付かない馬鹿どもに吃驚よ」

 

 彼女の両サイド、特に右側に立っているフェルナーを見つめながら、からからと笑う。

 

「次はサビーネのことです」

「サビーネも私が保護すれば良いのね」

「お願いします。こればかりは、カタリナ以外に頼めませんから」

「嬉しいこといってくれるわね、ジークリンデ」

「この保護は、かなり面倒なことになると思います」

「そうでしょうね。ゴールデンバウム王朝が滅ぶ直接的な原因ですもの。王朝に忠誠を誓っている者たちにとっては、怨嗟の対象でしょう」

「たしかに色々な状況が考えられます。でも保護しないわけには」

「分かるわ。私がサビーネを守るために必要なもの、用意してくれるんでしょう?」

「ノイエ=シュタウフェン公爵軍、総司令官メルカッツ元帥……で、どうかしら?」

 

 メルカッツは自分はゴールデンバウム王朝の軍人であり、王朝が滅ぶのであれば、それに殉じると ―― 殉死希望者が続出して彼女は頭を抱えたが、メルカッツは彼女個人に対してではなく王朝そのものに殉じようとしていることに気付き、ならば公職を辞し、最後のゴールデンバウムになるであろう少女を守ることを命じた。

 ゴールデンバウムに忠誠を誓っている老将は、皇帝たる彼女の命を謹んで受けいれた。

 

「メルカッツ、軍務尚書辞めるの?」

「新王朝に仕えるつもりはないそうです」

「そうなの。指揮官がメルカッツなのは良いけれど、率いる軍は? メルカッツは私軍なんて所持していないでしょう」

「私が持っていた軍の一部を譲渡します。今回の戦いが終わってからになりますけれど、必要な分は確保しますから、安心してちょうだい」

「分かった。サビーネの身柄の安全はメルカッツに任せるとして、サビーネの身分は?」

「リッテンハイム侯爵夫人でどうかなと」

 

 別の爵位を与えることもできたが、ここは罪と向き合って貰うためにリッテンハイム侯爵を名乗らせることにした。

 罪とはサビーネの父であるウィルヘルムが起こした内乱のこと。

 様々な事情があり、やむを得ない部分もあるが、それで帳消しになるわけではない。

 親の罪を子が償う必要はないが、名を継ぐとなれば責任や罪を当然のことながら背負う。それが貴族というものであり、生まれた者の宿命である。

 

「あえてリッテンハイムね。それも良いかもね。そうそう、ジークリンデ。あなたが新無憂宮に連れてきた叛徒はどうするの?」

 

 カザリンやサビーネとは違い、何処に放り出しても生きていけそうな成人二名の処遇なのだが、

 

「オリビエ・ポプランとイワン・コーネフの二人の生活も、任せていい?」

 

 彼らの国を滅ぼすので、返すこともできない。

 この時期に帰国させようものなら、スパイとして尋問され、最悪どころか最良でも殺されてしまうであろう。

 この二人以外にも施設に捕虜は大勢いるのだが、彼らは国が滅んでから解放されることになる。

 

「問題はないけれど、あの二人が私に使用人として仕えるかしら」

「コーネフは大丈夫でしょうが、ポプランは……皇帝として厳命していきます」

「あなたからの命なら聞くでしょうね」

「どうかしら」

「私が使用人として雇うのは二人だけでいいの? あの第二のアルベルト大公とその仲間たちは?」

 

 収容されていない捕虜の一団、皇帝の落胤と名乗っているシェーンコップと彼が率いているローゼンリッターの隊員。この処遇だが、

 

「陸戦が得意ですから、彼らも後々サビーネやカタリナの警護のために送りたいとは思っていますが、ローゼンリッターは今回の作戦に使うので、生き残ったら……となります」

 

 彼女は今回の戦いに、ローゼンリッターを連れていく。死傷者もでそうなので、これに関しては確実に何名送れるとは言えなかった。

 

「そうなの。でも、あいつらも言うこと聞かなさそうね」

「第二のアルベルト大公ことワルター・フォン・シェーンコップ。彼に断絶したシェーンコップ男爵家を継がせ、隊員たちはその領民として養い、それをカタリナの一門に加えるようにします。ノイエ=シュタウフェン公爵家の武門担当といったところね。ただシェーンコップが死んでしまったら、どうしようかな? とは思っています」

 

 シェーンコップ家の領地は彼女が所有しているので、それを下賜することは容易い。あとの問題は、シェーンコップの生死。だがこれに関して、彼女は楽観視していた。

 彼の強さならば、まず死ぬことはないだろうと。

 

「死にそうよね」

 

 だがカタリナの意見は正反対。

 

「なんで。いかにも死ななそうな男じゃないですか」

「どう見ても、あなたのためになら死ねる男よ。むしろあなたのために死のうとする男」

 

 強さや精神力の問題ではなく、死に場所を求めているように ―― カタリナには見えた。

 

「いえいえ、あれはそういう男じゃありませんよ」

 

 彼女はシェーンコップはそんな男ではないと知っているが、彼女が知っているシェーンコップが彼の全てというわけでもない。

 

「やだ、陛下ったら情人未満に冷たい」

「何を言っているのですか、カタリナ」

 

 だから、どのように転ぶかは分からなかった。

 

 

 

 カタリナは彼女の命令に従い、カザリンを養育し、メルカッツと共に不満分子からサビーネを守り、ポプランにコーネフを養う。

 シェーンコップに関してだが、詐欺師アルベルト大公と同じように、いつの間にか消息不明となったため、カタリナが部下として召し抱えることはなかった。ローゼンリッター隊員たちも同じく新帝国に消えていった。

 それと ―― 新無憂宮を預かっていたのは、彼女が退位を宣言した帝国歴四九〇年六月二十日まで。退位宣言を聞いたカタリナは、息のかかった召使いを全員引き連れ、新無憂宮どころかオーディンから風のように去り領地へ向かったため、二日後の帝国歴四九〇年六月二十二日、ラインハルトは新無憂宮で即位する際に随分と苦労するはめになった。

 

**********

 

 彼女は戦いに出る前に、片付けておきたいことがあった。

 それは彼女に仕える武人にはできぬ類いのもの ―― 出来るのかもしれないが、彼らにとっては不得手であり、それが苦手なところで、問題はないどころか、賞賛されるべきことであった。

 その片付けに彼女は地球教の幹部、ド・ヴィリエを選んだ。

 彼を選んだ理由は、片付ける相手が同盟にいるので、同盟にも拠点を持つ地球教徒を使えること。彼は未だに地球教徒の大主教であり総書記代理ゆえ、教徒を自由に使える。

 彼女はド・ヴィリエを新無憂宮ではなく、アースグリムが停泊しているドックへと呼び出した。だがアースグリムに搭乗させられることはなく、ドックの奥の倉庫へと連れて行かれた。

 見上げるほどの大きさと、その扉に見合った重さの扉が開かれ ―― ド・ヴィリエの見張りはそこまで、彼は一人で倉庫に足を踏み入れる。

 殺風景なはずの倉庫の床には赤い絨毯が敷かれ、正面には彼女が座る曲線が美しい椅子が置かれ、その背後には黒真珠の間のように天井からドレープが目を引く、群青色のカーテンが掛けられ、戦艦の格納庫の一角とは思えぬ造りになっていた。

 室内にはファーレンハイトがおり、ド・ヴィリエが膝を折ったのを確認してから、彼女に声をかけ ―― 軍服を着用し、髪を下ろしたままの彼女がやってきて、その椅子に腰を降ろす。その際に黄金のマントを彼女は優雅に捌く。

 頭を下げているド・ヴィリエには見ることができなかった仕草だが、倉庫内にいるごく少数の兵士たちは、その動きの美しさに息をのんだ。

 

「ド・ヴィリエ」

「御前に」

「お前に命じる。自由惑星同盟の最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトと名乗る男を、サイオキシン麻薬中毒にし、表舞台から消し去れ。復活も許さん」

 

 彼らの得意とする分野で、何らかの策を打って来る可能性のある政治家を葬ることにした。

 言葉を失っているド・ヴィリエに彼女はたたみかける。

 

「ド・ヴィリエ。お前たち地球教徒がサイオキシン麻薬を販売していること、信者を中毒にしテロを起こしていたこと、どれも余は知っておる」

「な……」

 

 面を上げたド・ヴィリエを、高い所に設置された椅子に座っている彼女は見下すしかないのだが、その物理的な見下し以上に ―― 至尊の座についている皇帝と、そうではない者の差があからさまに現れていた。

 

「お前たちの麻薬密売の障害はリヒテンラーデではあったが、リヒテンラーデだけではなかった。せっかくルートヴィッヒにまで近づいたのに、残念であったな。宮中に上がって一年にも満たぬ小娘にしてやられて」

 

 ド・ヴィリエは皇太子が死んだ年と、彼女が表舞台に現れた時期を比べ齟齬がないことに気付くが ―― それでも目の前で微笑む皇帝が、彼らの策略を阻んだとは思えなかった。

 

「まさか陛下が」

 

 信じようとしないド・ヴィリエの前で、彼女は白い手袋をはめたほっそりとした指を、彼らが引き起こした事件の名を挙げながら指を折る。

 事件の名が一つ挙がる度に、ド・ヴィリエの口は渇き、目の前の若く美しい皇帝が、全てを知っていることを実感し戦く。

 だがその震えは戦きだけではなく、得体の知れぬ喜びが含まれていた。そのことに、ド・ヴィリエ自身も気付いてはいないが。

 

「まだまだいくらでも挙げられるが、この位にしてやろう。さて、お前、余にはしてやられたが、余はルドルフの末裔にして銀河帝国の皇帝ゆえ、仕方のないこと。だがそんなお前でも、ヨブ・トリューニヒトくらいは出し抜けるであろう。それともお前は、あの最高評議会議長と名乗る男以下の存在か? ド・ヴィリエ」

 

 その目に凶悪さを孕む光を宿したド・ヴィリエ。

 

 彼女は会話が得意であり、彼女と話をしている男性は、非常に満たされた気分になる。それは彼女が、その男性の触れてはいけない箇所を察知し、褒めて欲しいところを見つけるのが得意だったからこそ ―― ファーレンハイト相手に散々やらかし、経験を積んだ賜でもある。

 彼女はその研鑽を重ね、何時もは良い方向に使っていた能力を、ここで逆方向に使用した。

 

 ド・ヴィリエはトリューニヒトは自分よりも下だと思っている。世間的にはトリューニヒトのほうが遙かに有名で実績もあるが、ド・ヴィリエにとってそれは正しいものではない ―― フォークの正気を奪った悪魔の甘言。ド・ヴィリエがなぜあれほどまでに、フォークの欲した言葉が分かったのか? それは彼自身が、評価されることを望みながら、評価されていないからである。

 

「まさか。あの程度の男相手に、遅れをとるようなことはございません」

「そうか、ならばヨブ・トリューニヒトとだけではなく、その家族全員をサイオキシン麻薬中毒せよ。ただし殺すな。できるのであらば、トリューニヒトは議会が全土に放映されている最中に奇行に走らせよ」

「御意」

「よい返事だ」

 

 そして彼女は()()を与える。

 

「好きなだけ使え」

 

 彼女その言葉を合図に、背後にかかっている大きな幕が落とされる。そこにはサイオキシン麻薬が倉庫の天井に届くほど山積みになっていた。

 

「……!」

 

 重い音を立て床に落ちた天鵞絨。見上げる程のサイオキシン麻薬は製造販売していたド・ヴィリエでも一度に見たことはない量。

 

「最高純度のサイオキシン麻薬だ。地方都市惑星の全住民を、一夜にして中毒死させても、まだ余る量だ。不服はあるまい?」

 

 惑星を容易に滅ぼすことができる量のサイオキシン麻薬を前に、

 

「それほど必要はありませぬ」

 

 ド・ヴィリエは任務を達成できなかった場合、自分は殺されることを理解した。だが達成したとしても、身の安全を保証してくれるかどうか ――

 

「全てくれてやるぞ。売らずともよいのか? 売れば一生遊んで暮らせるそうだが。捕らえられてしまえば死刑だが」

 

 せめて成功したのならば、命を保証してくれと、彼は言いたかったのだが、

 

「ド・ヴィリエ。本当はな、余のパーツィバルが停泊しているドックで話をしようと考えていたのだが、余の忠実なる家臣が、万が一のことを考えて、全ての責は自分が負う、そのためにも自分の艦が停泊しているドックで話してくれと懇願してきてなあ。己が命も厭わぬ忠臣に余は更なる信頼を寄せておる。ド・ヴィリエ、お前は私の信頼を得るに値する男か」

 

 保証を求めたら成功したとしても処刑される未来を予測できたので ―― 彼は保証を求めるのを諦め、任務を必ずや遂行すると明言して去る。倉庫に設えられた椅子に座ったままの彼女に、ファーレンハイトは押収したサイオキシン麻薬の処分に関する書類を差し出す。処分の全権はファーレンハイトであり、責任も全て彼が背負うものになっていた。

 

「アースグリムの私が滞在する部屋を見たいわ」

「どうぞ」

 

 今まで任せていたのだから、最後まで任せようと、彼女は書類を返し立ち上がった。

 以前の演習の際、彼女用に改装されそのままになっている部屋まで足を運び、煖炉の前で立ち止まった。

 

「この煖炉、最後に使いたいから、しっかりと手入れしておいてちょうだいね」

「畏まりました」

 

 煖炉をどのような目的で使用するのかについては、ファーレンハイトは聞かなかった。使いたい時に使えるようにしておく、彼の使命はそれだけ。

 

**********

 

 まだ朝靄が木々の葉を濡らす中、

 

「あなた……お別れに参りました」

 

 彼女は前夫の墓参りにやってきた。

 彼女は今日オーディンを発つので、墓を参るのはこれが最後になる。

 若くして死んだ良人の墓は、目に焼き付けておきたいようなものではなかったが、二度と足を運べぬとなると感慨深く、なにより離れがたい。

 フレーゲル男爵が気に入っていた中心が白で、縁が紫色のユーストマの花束をそっと置く。

 色々と報告したいことはあったが、

 

「あなたと同じお墓に入りたいと思っておりましたが、私は宇宙に散ることに決めました…………いってまいります」

 

 それだけ言い、しっとりと濡れた墓石を指先でなぞり、名残惜しさを込めて口づけ、フレーゲル男爵の墓をあとにした。

 

 

 五万の将兵が皇帝の出陣を見送る ――

 

 ガイエスブルク要塞まで彼女の護衛を務めるファーレンハイト艦隊は、すでに宇宙空間に停泊しており、彼女はキスリング率いる護衛部隊と、幕僚総監にして主席幕僚のロイエンタールを伴い、メルカッツとラインハルトの間に立ち、自らが搭乗するパーツィバルを臨む。

 風が吹き ―― 彼女の体力や筋力を考え、やや軽めの素材で作られている黄金のマントがたなびく。

 

「メルカッツ」

「ここに」

「帝国本土防衛は任せた」

「身命にかえても」

「……もう会うこともないであろう。さらばだメルカッツ」

 

 彼女はラインハルトには声をかけなかった。彼には前日のうちに、必要なこと全てを告げていたので、ここで会話を交わす必要がなかったのだ。

 

「ご武運を」

 

 メルカッツに帝都防衛を任せ、ラインハルトの宇宙艦隊司令長官の任は解いていない ―― 会戦に参加したくば来るが良いと告げていた。

 ラインハルトが来るのかどうか、彼女にも分からないが、赤い絨毯が敷かれた道を、敬礼し見送る将兵の間を抜けて、パーツィバルに乗り込んだ。

 

 帝国歴四八九年九月十九日

 作戦名・神々の黄昏を発動し、ゴールデンバウム王朝最期の皇帝はオーディンを発ち ―― 戻って来ることはなかった。

 

 

【破】片翼の双頭鷲〔後編〕・終

 

 

 彼女が二度と戻ってこないことを知らないカザリンは、その日も新無憂宮の庭でポプランが押す三輪車に乗り機嫌良く遊んでいた。

 


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