黒絹の皇妃   作:朱緒

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第256話

 彼女としては今回の一件に関して「譲歩はしないが、すぐ武力には訴えない」方針で折衝をさせたのだが、同盟の態度は戦いを誘発するかの如きものであった。

 同盟側はラインハルトの非道を詰り、正統政府と共闘するとしているが、ラインハルトがトリューニヒトの演説通りの、悪辣で武力で宇宙を征服しようとしている人物ならば、彼らの取っている行動は自殺願望でもあるのかといった所だが ――

 

「私が甘く見られてのことか」

 

 ラインハルトが仕掛けようにも、最終的に許可を出す人物が別におり、その人物はあまり争いを好まない ―― 彼女がいる間は、簡単に武力衝突にはならないと同盟側は踏んだ。

 幼帝であるカザリンの存在に関して、同盟側は最早いないものと見なしている。

 

「殿下を甘く見ているのではなく、無用な争いは避けると思われているようだが」

 

 不良なワクチンを接種した捕虜が感染し、帝国内であわやパンデミックがとなりかけた際、生物兵器と断じ会戦を訴えていた者たちを説得したのは彼女 ―― 実際は少々違うが、同盟にはそのように伝わっている。

 

「同じことであろう、司法尚書」

 

 正統政府の首相にして国務尚書であるレムシャイド伯や彼と共に要職についている門閥貴族たちも、彼女がリヒテンラーデ公の一族の娘とは思えない性格であること、争いを好まないこと、そして軍部を止める権力を持っていることを知っているため、攻められることなどないと考えていた。

 

「殿下のお優しさに、奴らも甘えているのかと」

 

 上記の以外でも、彼女が優しく慈悲深いことは、捕虜解放などで同盟にも広く知られている。

 元々は自分が亡命しなくてはならなくなった時、受け入れて貰うためにしたことなのだが、それがここに来て交渉の障害になるとは、彼女としては想像もしていなかった。

 

「私は臣民と無辜の奴隷には慈悲を与えるが、それ以外の者に対しては断固たる対処を取るつもりだが」

「言っても分からぬかと」

「そうだな」

 

 ロイエンタールが下がってから、彼女は書類一つない片付けられた机に肘をつき、頬杖をつく。

 

―― カザリンが皇族か否か……どちらにしても……

 

 彼女はシュトライトを呼び、退位宣言書と()()宣言書の両方を作成するよう指示を出す。

 命じられた方は、何を聞くこともなく「直ちにお持ちいたします」と拝した。

 先日のトリューニヒトの演説と証拠の書類のせいで、カザリンを皇帝の座に就けておくのは難しくなってきたため、近いうちに退位させ、しっかりと国内を統制できる人物に即位して「もらおう」と考え、宮内尚書であり国務尚書でもある彼女が、それらの書類を用意することにした。

 退位と対になっている書類が”禅譲”というところからも分かるように、彼女はこの時点ではラインハルトを即位させるつもりであった。

 ラインハルトの感情を考慮せず、彼の頭上に強制的に王冠を乗せ、新国家の命運と銀河の行く末を任せようと。

 そのためには始末しなくてはならない存在がいた。

 

「フェルナー。自裁用の毒を用意しなさい」

 

 用意させる書類が禅譲なのだから、ゴールデンバウム王朝の後継者の身分を持つ彼女は、身を引く必要がある。

 

「離婚なされるだけでよろしいのでは?」

「公が即位したら、権力を持って私を皇后の座に就ける可能性があると語ってくれたのはあなたでしょう、フェルナー」

 

 彼女としてはラインハルトがそこまで自分に執着するとは思っていない……とも言い切れないのが現状であった。

 アンネローゼの死後、執着と簡単には言えないが、執着以外の言葉が見当たらないような態度を取るようになったラインハルト。

 決して姉の代わりを求めてなどではない。それに関しては他者も認めているのだが、ならば何をしようとしているのかと聞かれたら ―― おそらくキルヒアイスでも答えに窮するような状態である。

 会話を交わすこともなく、肌を重ねるわけでもなく、単に彼女を側に置き見つめる。

 ラインハルトと彼女は、鑑賞に値する美貌だが、精神はそうもいかない。

 彼女は医師でもなんでもないので、はっきりとしたことは分からないが、現状がラインハルトにとって良くないこと、この状況から早く抜け出さなければならないことを、それこそ肌で感じ取り、この機会に強制的に離れることに決めた。

 それがこの度の禅譲であり死である。

 

「確かに申しましたが。禅譲ではなく、ゴールデンバウムの婿として帝位を継ぐので、よろしいのではありませんか?」

 

 フェルナーとしては彼女が死ななければそれで良く、皇帝になる人物も好きではないが、彼女を害する心配がないので、皇后になることは仕方ないが諦めましょうと ―― 以前ならば同盟に亡命という手段もあったが、サビーネを擁する正統政府が同盟に存在する以上、彼女に逃げ場所はない。

 

「公はゴールデンバウムの皇帝にはなりたくはないと思いますが」

 

 彼女が笑って答え、対するフェルナーの表情が消えた。

 

「私はエッシェンバッハ公の気持ちなど、一切考慮したくはありません。なんであいつの感情を考慮して、ジークリンデさまが死ななくてはならないのですか。あっちを亡き者にすればよろしいかと。許可さえいただけたら私が暗殺します」

 

 言葉使いは乱雑だが、語気は荒くなく ―― その分、彼の内心の怒りが垣間見えるものであった。

 

「止めなさい。……勝手に行動に移すのも駄目よ」

「ですが」

 

―― 飄々と毒薬を用意してくれると思っていたのですが、当てが外れました……良い方に外れた……と思っていいのかしら

 

「分かりました。これに関してはもう少し考えてみます。……で、暗殺はなしよ。絶対変な行動取らないでね」

 

 彼女はフェルナーに念を押したものの、大胆な行動を取りかねないという心配を払拭できず、シューマッハに監視を依頼した。

 

「この書類は誰が?」

「シュトライトです」

「……」

 

―― 不備の一つ、読み取り方によりどうとでも取れるような文章などどこにもありません……さすがシュトライト

 

 シューマッハは彼女の依頼を引き受けたものの、その条件として「自決の撤回」を文書に認めサインまで記すはめになった。

 サインはしたが、自分の身の処遇を考えると ――

 

「跡取りを産むことができない私なぞに、皇后は務まらないのに」

 

 ぽそりと正直な気持ちを呟いた彼女に、

 

「やはり愛人の子はお嫌ですか?」

 

 皇帝は愛妾や情人を幾人か持つのが普通だと、ごく一般的な帝国臣民の思考を持つキスリングが、これまたごく一般的な解決策を用いるのは嫌ですかと尋ねる。

 

「愛人の子?」

 

 彼女にとってラインハルトは愛人を持つタイプの男だとは思わないのだが、世間がそう考えるかとなると別物である。

 今は男女間の営みについては奥手だが、後々は……というのは珍しいことではない。

 ラインハルトは愛人を持たないとされるのは、彼がそれを貫き死んだ時に初めて言われることであり、二十二歳の若者に下される評価ではない。

 

「エッシェンバッハ公も必要とあらば愛妾の一人や二人、召し抱えることでしょう」

 

 彼女を皇后に添える条件として、跡取りを愛人に産ませることを提示すれば、ラインハルトも頷くであろうと ―― 彼の性格上、実力あるものが跡を継げば良いと言い出しそうだが、それを言い出すと彼女を皇后として手元に置くことができなくなる。

 よって彼らとしてはそれでも構わない、むしろ望むところだが、ラインハルトがそのことに気付かないはずもなく、そのような方針は打ち出せない。

 現時点ではラインハルトが皇帝になった場合、彼の後継者に関しては全く先が見えない状態でもあった。

 

「……そうね。いずれ後継者を産んだ方に、皇后の地位を譲ってもいいわけですしね」

 

 無論キスリングはそんなつもりで言った訳ではないのだが、彼女はそのように受け取った。

 

「はあ……ですが、そうなりますと、愛妾は確実にゴールデンバウムの血を引かれている方のみになるのですね」

 

 禅譲ではなくあくまでも世襲の形を取るとなると、血筋はどうしても外すことはできない条件である。

 

「そうなりますね」

 

 彼女としてはそれもどうかと思うのだが、突き詰めると自分の体のことがあり、それに責任を感じさせるわけにはいかないので、適当に言葉を濁した。

 

―― とにかくラインハルトを説得して即位してもらいましょう。新王朝設立の方向で。私は……でもラインハルトの性格上、愛人を抱えるのは無理でしょうし、私の体のことも知っているはずですから、きっと…………やっぱり処分しかないと思うのよねえ。まあ、私はゴールデンバウムの血を引く人間ですから、殺したがっている人もそれなりにいるでしょうし。……でも殺されるのは嫌だわー。自裁するー

 

 彼女は自分が即位するなど、微塵も考えていなかった。

 だがその考えを覆す事件が起こる。

 

「また全土に放送?」

 

 同盟が全域に放送するので、視聴するよう指示を出した。それを傍受した軍は内容を確かめ ―― 全容を確認したファーレンハイトは、彼女に見せたくはなかったが、重要な内容ゆえ伝えないわけにはいかず、仕方なしに報告した。

 

「サビーネさまのお言葉を放送するとのことです」

「サビーネの言葉?」

「はい。記者会見方式でお話になるそうです」

 

 サビーネは中程度の吃音症で、それを知られないようにするために、人前で話すことを極力避けてきた。

 

「お話できるのかしら」

「分かりません」

 

 人前で話せるのであれば話してもいいと彼女は思う。

 吃音も気にする必要はないと ―― 言うのは容易いが、サビーネ自身がそのように考えているのかと問われれば、彼女は答えることはできない。

 

 内容がどのようなものかは分からないが、会見の発言によっては即刻抗議をしたりなど対処しなくてはならないこともあるので、今回は折衝に当たっているロイエンタール、同盟の事情に詳しいシェーンコップ、同じくポプラン。その他彼女の側にいつも控えているファーレンハイトにフェルナー、そして護衛のキスリングと、会見後の彼女の判断をラインハルトに伝えるためにミュラーたちと共に、彼女はその放送を見ることにした。

 

 距離があり”こちら”に向けたものではなく、勝手に拝借しているので仕方のないことだが、少々荒い映像が画面に映し出される。

 

「サビーネ……」

 

 画面に映し出された金髪の少女は、その荒さがあっても、一年というブランクがあっても、確かにサビーネと ―― サビーネを知る者にはすぐに分かった。

 同盟においてのサビーネは、謂われない差別を受け、故国を追われ、新たな地でその故国を解放するために戦う、もうじき十七歳になる美少女。だがそれは、完全に見世物であった。

 矢継ぎ早に飛び出す同盟語の質問。帝国語に翻訳された質問を聞くが、首を振り必死に拒否するサビーネ。 

 もう止めてと、彼女は喉まで出かかったが、それを発したが最後、画面は消され観ることができなくなってしまう。

 最後まで見届け、そして国としての方針を定めねば ―― 異国の地で本人が一切望んではいないであろう状況に心を痛めながら見守った。

 

『一言お願いします!』

 

 とある記者が質問し、翻訳が入る。その最中に、サビーネは大声で叫んだ

 

『助けて! ジークリンデさま! 助けて!』

 

 大きな瞳に涙を浮かべて少女は助けを求め、映像は途切れ、放送が再開することはなかった。

 

 ”反対側”でサビーネの叫びを聞くことになった彼女は、両手で顔を覆い俯く。

 

「ジークリンデは、門閥貴族では珍しい名前よね、フェルナー」

 

 俯いたまま彼女は彼らに聞いた。

 もちろん自分の名前が門閥貴族としては珍しいことを知っていて。

 

「はい。非常に珍しい名です」

 

 市井には大勢いるが、門閥貴族には少ない。

 かつてフェルナーがフェザーン行きの宇宙船内で、彼女の名前が門閥貴族に多いエリザベートではなく、マルガレータでもなくカタリナでもないことを喜んだことがあったものだが ――

 

「ロイエンタール」

「なんだ?」

「サビーネに、ジークリンデという名前の知人は私以外にいたかしら?」

「……いないな」

 

 サビーネは確かに彼女に向けて助けを求めた。

 俯いていた彼女はゆっくりと顔を上げ ―― その表情には迷いも悲しみもなく、凜とした佇まいは、明らかに覚悟を決めたそれであった。

 

**********

 

 帝国歴四八九年八月二十五日 ジークリンデ・フォン・【ローエングラム】の名で自由惑星同盟に対し一言通信が送られた。

 

”降伏せよ”

 

 サビーネの返還請求ではないことに、自由惑星同盟は些か驚いたが、特に気にはせず、長々とした演説で返信を寄こした。それは要約すれば当然のことながら拒否。

 返答を受け取った彼女は、特に何か意見を述べることはなく、机の上に用意していたカザリンの退位宣言書に親権代行者としてサインする。

 これをもってカザリン=ケートヘンは銀河皇帝の座を退き、

 

「シュトライト。即位宣言書をここに」

「御意にございます」

 

 即位に関する書類に後継者である彼女がサインをし ―― 静寂の中、第三十八代銀河帝国皇帝が誕生した。

 サインを終えたペンを机に置く。

 その微かな音に反応し、彼らは膝を折り頭を下げる。

 

「何か言いたいことがあるのなら、言いなさい。私は皇帝になりましたけれど、私は私ですよ」

 

 彼女は口調は変えず、彼らに聞きたいことはないか? 言いたいことはないかを尋ねた。

 暫しの沈黙、それを破ったのはオーベルシュタイン。

 

「陛下は何故、即位の道を選ばれたのですか」

 

 彼女は即位後にすることを、既に彼らには伝えていた。その内容だが ―― 彼女が即位せずとも、傀儡であるカザリンを皇帝の座に就けたままできる事ばかり。

 

「私が即位した理由は、帝国を滅ぼすためよ。何も知らないカザリンにその責務を負わせるわけにはいかないわ。これは私の責任よ」

 

 カザリンを最後の皇帝にすることも出来たが、彼女はそれを選ばなかった。

 幼帝の背に隠れて、生きるのを良しとはしなかった。

 

「王朝を個人の意思で滅ぼすのですから、皇帝一人くらいは王朝に殉じるべきでしょう。まさかカザリンに殉じさせるわけにはいきませんし、公式にゴールデンバウムの血を引いているサビーネも、私より若い娘です。ここは年長者であり滅ぼすことを決めた私が、専制君主国家の全てを背負うべきと考えて即位の道を選んだの。これはあなたの質問の答えになったかしら? オーベルシュタイン」

「はい」

「そう、良かった。きっと次の帝国は、障害者を最初から差別するような法律はないでしょうから、少しは生きやすくなるでしょうから、期待なさいオーベルシュタイン」

 

 きっとゴールデンバウム帝国より過ごしやすい国になりますよと、彼女は心からそう告げたのだが ―― それを聞いた頭を下げている者たち、ファーレンハイトやフェルナー、シュトライトやシューマッハ、そして護衛で立ったままのキスリングが笑いを堪えて肩を震わせる。

 

「お言葉ですがジークリンデさま、エッシェンバッハ公が作る国家など私には、なんの関係もございませんが」

 

 一人笑わなかったオーベルシュタインは、何を仰っていらっしゃるのですか ――

 

「……どうして?」

 

 彼女は顔を上げて話しているオーベルシュタインと、頭を下げたままの彼らを見比べ、”どういう意味か分かる?”とキスリングを大きな瞳で見つめる。

 

「皇帝陛下お一人で旅をさせるわけには参りませんので」

 

 キスリングは死出の旅路にも付き従いますよと宣言したのだが、

 

「あーそれですか。それは……ファーレンハイトは道連れといいますか、死んでもらおうかと思っていましたが、あなた達は別についてこなくていいの……」

 

 彼女の考えでは、あまりにも軍を掌握させ過ぎ、次の王朝に武力を引き渡す際、いざこざを起こしかねないファーレンハイトだけは連れて逝く予定はあったが、他の面々は大規模内乱を起こすような武力を所持していないため、新王朝でがんばってちょうだいね ―― と。

 

「ジークリンデさま酷い。私のこと嫌いなんですね」

 

 殉死から最も遠い所にいると彼女は思っていたフェルナーが肩を落とす。

 

「そんなことはないわよ、フェルナー……なんですか、シュトライト、シューマッハ。大体あなた達は伯父さまの部下で、私に従うなんて」

 

 確かに以前、王朝を滅ぼす際に従えと彼女は言ったが、実際その状況になってみると、連れて逝こうなどとは到底思えなかった。

 

「ジークリンデさま。あなたさまは、銀河帝国第三十八代皇帝でございます。皇帝陛下に従わぬ臣民がおりますでしょうか。そうであろう、シューマッハ」

「シュトライトの言う通り」

「いや、私は死ぬ時はもう皇帝ではありませんから。爵位もなにも持たない唯の女として死ぬだけですから」

 

 必死に付いて来ると言い張る部下たちを宥めていた彼女。その両肩に突然手が置かれ、驚き体を硬直させる。

 

「ジークリンデさま。小官は?」

 

 背後に立っていたキスリングが、自分はどちらに入っているのですか? と尋ねてきた。

 

「え……あ……一人って言ったでしょ……分かりました、分かりました」

 

 途轍もなくキスリングが恐かった彼女だが、

 

「分かっていただけましたか」

「ええ。誰一人連れていきません。これでいいでしょう」

 

 死者を増やすくらいならば、一人も連れてゆかないと ―― 当然のことだが、誰も味方になってはくれず、聞き入れてももらえなかった。

 

―― ちょっと、私皇帝なのよ! 言うこと聞きなさいよ! 皇帝の……死ぬ瞬間まで皇帝であっても、死んでしまえば言うことは聞かせられないし……ああ。あなた達には楽しい未来があるのに

 

**********

 

 翌、帝国歴四八九年八月二十六日 

 

”滅ぼす”

 

 皇帝の名で宣戦布告がなされた。皇帝の名はジークリンデ・フォン・ゴールデンバウム。

 

 即位した彼女は演説を行い、自分は自由惑星同盟と名乗る叛徒を滅ぼしたあと退位することを表明する。

 後継者はラインハルト・フォン・ローエングラム。

 次の皇帝はゴールデンバウムではなく、新たな王朝が始まると宣言した。

 


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