黒絹の皇妃   作:朱緒

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第255話

 報告会が終わってから、彼女は一応は医師の許可を得て退院したファーレンハイトの快気を祝して会を開いた。もちろん大々的なものではなく、主賓のファーレンハイトに料理などの手配をしたフェルナー。参加者と扱うべきか護衛と扱うべきかその境界線が曖昧なキスリング。

 

―― オーベルシュタイン、良い子だわ……”子”という年ではありませんけれど。いえ、シュトライトもシューマッハも持ってきてくれましたけど……あら? 持参してないのはフェルナーだけ。キスリングは護衛ですから……フェルナーだけが駄目なのかしら。でもフェルナーらしくて

 

 上記の三人は、声を掛けたところ、快気祝いの品を持参してやってきた。それらを当たり前のことだが、感謝を述べ受け取る姿に、

 

―― ファーレンハイト、私が贈ったもの、こんな素直に受け取ってくれたことないわ。なんか悔しいといいますか……年下の門閥貴族の女から貰うのは、プライドが許しませんか! いや、分かっているのですけれど

 

 自分が贈ろうとすると、ほぼ拒否されてしまうことを思いだし、釈然としない気持ちがわき上がってきた。

 

―― 終わりに、欲しいものがあるかどうか、聞くだけ聞いてみましょう……九割九分、要らないと言われて終わりでしょうけれど

 

 恩賞を断られても折れてなるものか! と、全く意味なく自らを奮い立たせ、

 

―― 私一人だけ座って……いいんですけどね。いいんですよ……退院したばかりなのにー

 

 てはいるが、彼女自身は座っていた。

 主賓なのでファーレンハイトを座らせようと、彼女一人が座るのには大きすぎるソファーを用意させた筈だったのだが、彼女以外の者が座れるスペースに、絹のクッションが所狭しとおかれ、完全に一人仕様になっていた。

 

「ジークリンデさま、最高級スパークリングワインをどうぞ。もっともこれは、ジークリンデさまのものですけれど」

 

 ほっそりとしたグラスに注がれた、ややピンクがかったスパークリングワインを受け取り、彼女は口を付ける。

 

「あなたも給仕ばかりしていないで飲みなさい、フェルナー」

「心配しなくても結構です。あとでジークリンデさまのカーヴにお邪魔して、いただきますので」

 

 彼女は一人シャンパングラス片手に座って、何時ものことだが釈然としない気持ちのまま微笑んでいた。

 

「そう。何を飲んでもいいわよ。好きなのを好きなだけ持ち出しなさい」

「ジークリンデさま、相変わらず太っ腹ですね。実際のお腹ももう少しふっくらとなさったほうが」

「何言ってるのよフェルナー。やっとウェストが50cm切ったのに! 維持するわよ」

 

 このパーティー前の着替えの際に、全身が映る鏡の前に立った時、腰回りが細くなったような気がした彼女は、小間使いに測らせ ―― ウエスト50cmを切ったことを知り、ドレスを新調しようかしらと上機嫌に。

 

「それはおめでとうございます。それで、こちらがチーズの盛り合わせです」

「一個でいいわよ」

「そう言わずに。これとか、高級チーズなんですよ、一般的にはですけれども」

 

 そして彼らは彼女の機嫌が悪くなろうとも、とにかく食べさせる。

 退院を祝してのものなのか、彼女をふっくらさせるのが目的なのか? その目的はともかく、主賓が退院したばかりなので、パーティーは短時間で終わった。

 お開きに ―― なったところで、

 

「ファーレンハイト。なにか欲しいものなどある?」

 

 聞く都度「なにもありません」と返されるのを分かっていながら彼女は言葉をかけた。

 だがファーレンハイトは何時もと違い、

 

「ではお言葉に甘えて」

 

 希望を語ろうとした。彼女は驚き、やや身を乗り出し、珍しいことに瞳に喜色を浮かべて聞く姿勢を取る。

 

「なにかしら?」

「アレクシアさまになんと囁かれたのかを、教えていただけたらと」

「アレクシアに囁く?」

「証言を始める切っ掛けとなった言葉です」

 

―― そうでした。金品や地位を欲しがるような男ではありませんでした

 

 考えてもいなかった希望だが、同時に非常に”らしい”とも。

 知りたいのであれば、教えても構わない台詞なのだが、

 

「そんなことでいいの? あなたが金品などを欲しないのは分かっていますが、休暇とかでもいいのよ」

 

 彼女としてはそれが快気祝いになるなど、到底思えなかった。

 

「そんなものは要りませんし、休暇など必要はありません」

「言うとは思ってましたけど。まあいいわ。でも、教えてあげるけど、あなたは聞いたことがある台詞よ」

 

 彼女の思いも寄らぬ返答に、ファーレンハイトは虚を衝かれたかのような表情に。そこから暫し考え、

 

「申し訳ございません。全く……」

 

 彼らしからぬ、照れ笑いに近い困惑した表情を浮かべて、思い当たらぬことを彼女に詫びた。

 

―― 詫びられるようなものではありませんよ

 

 彼女は閉じた扇子で口元を隠すようにして、万人が心地良く感じる鈴を転がすような声で語る。

 

「シュトライトやシューマッハには、まだ言っていませんが、私がアレクシアに語ったのは”遠からずゴールデンバウムは滅びる。私が滅ぼす”です」

 

 彼女がアレクシアに語った()()は、ゴールデンバウム王朝の滅亡。

 それも彼女自ら滅ぼすと、アレクシアの耳元で囁いたのだ。

 

「アレクシアの本当の目的は、ブライトクロイツ公爵家の存続。そのために起こした事件でした。でもブライトクロイツ公爵家の存続は、ゴールデンバウム王朝があってこそ。それが無くなるのであれば、ブライトクロイツ公爵家を存続させる必要はない。だから全て私に預けて死を選んだのよ」

 

 彼女はかつての彼女を()()しているが、現在の彼女も持ち合わせている ―― それゆえ、門閥貴族の子女の物の考え方を理解しているが、その思考に取り込まれることはない。

 

「こちらは恥ずかしいので言いたくはなかったのですが、最後に”美しい姿で待っているがいいアレクシア”と。約束した以上、地獄で再会しなくてはなりませんが、それはそれで味があっていいでしょう」

 

―― ちょっと台詞を拝借、名前入れ替えたところが恥ずかしくて仕方ないのですが、それは言えませんからね

 

 彼女の羞恥した部分は、それはアレクシアではなくシュザンナでなくてはならないということ。

 

「……あ」

 

 それに改めて向き直ったとき、ふととある偶然に気付き、思わず声を上げた。

 

「どうなさいました?」

「いいえ、なんでもありませんよフェルナー。ファーレンハイト、今ので全てよ。満足したかしら?」

 

 彼女は立ち上がりたいと手を差し出し、それに答えたフェルナーの手を取り立ち上がり、いつもと変わらぬ優雅な足取りで部屋を出ていった。

 

「最後のお言葉は一体」

「なにかに気付かれたようなご様子だが」

「なんだと思う? シュトライト」

「ジークリンデさまの思いつきは、何年お仕えしても分からない」

 

 ファーレンハイトとシュトライトが、彼女の最後の「……あ」について話し合っている時、

 

「驚かれないのですか?」

 

 本日の不寝番はフェルナーのため、その場に残ったキスリングが、王朝の滅びを望んでいることを、初めて聞いたはずなのに、なんらアクションを取らないシューマッハに問う。

 

「驚かない……というより、そのようなお気持ちであることは、感じていたからな。さすがに王朝を滅ぼすまでは思いもよらなかったが」

 

 聞かれたシューマッハは、彼女の最近の行動からある程度気付いていた。

 彼が気付いた理由は、ユーディットの処遇。

 ユーディットを罪には問わず、弟共々、その身柄を貴族の預かりとした ―― いつもの彼女であれば、ユーディットたちを自分の領地に送るはずなのだが、

 

「カタリナさまにお任せしただろう。それが気になっていた」

 

 今回はカタリナにユーディットと弟を預けた。

 

「些細ですが、明らかな違いですね」

 

 彼女らしからぬ判断であり行動。

 

「そうだな」

「シューマッハ大佐……ではなくて准将は、それでよろしいのですか?」

「私如きが、どうこう言う問題ではないだろう。この国は帝室の方々のものだ。その方が滅ぼすと決めたのであれば私は従うまで。卿もそうだろう? キスリング大佐」

「はい」

 

 彼女が滅ぼすと決めたら、誰も止めることはできない。

 

 誰も「……あ」については分からず、またシュトライトも「お望みとあらば」と、あっさりと彼女の言葉を受け入れた ―― 

 

 部屋を後にした彼女だが、まだ眠る気にはなれなかったこともあり、弦楽四重奏団を呼び曲に耳を傾ける。

 短めの曲を三つほど聞き、その演奏が非常に出来がよかったため、褒美を取らせて下がらせた。

 酒精で少々潤んだ翡翠色の瞳で、辺りをぼんやりと見つめる。

 

「ジークリンデさま」

「なに、フェルナー」

「先ほどの”……あ”は、なんですか?」

 

―― 先ほどのあ? ……ああ、あれですか

 

「……気になります?」

 

 思わずこぼした言葉に、そんなに反応されるなどと思っていなかった彼女は、やや上目遣いにフェルナーを見つめる。

 

「それは気になりますよ」

 

 普段でさえ色気があるのに、今は瞳が潤み濡れているので、その色気はさらに増している。

 

「あなたに言っても分からないことですけれど、聞きます?」

「聞かせていただきたいです」

「そう。じゃあ教えてあげますけれど、それに関して説明はしてあげませんよ」

「はい」

「シュザンナは百合という意味を持っている。それだけよ」

 

 彼女の「……あ」は、フリードリヒ四世の言葉を借りて、アレクシアに美しいままで~と語ったこと。その台詞を言われる筈だったのは”百合”なる名を持つベーネミュンデ公爵夫人。だがその台詞を言われたのは百合の紋章(フルール・ド・リス)の一族のアレクシア。

 

―― きっと偶然でしょう

 

「……はあ。なるほど」

 

 聞いたフェルナーは何を言っているのか理解はできなかったが、彼女が本当のことを言ってくれたのは分かったので、彼としてはそれで満足であった。

 

**********

 

 事件は一段落したが、アンネローゼを失ったラインハルトとキルヒアイスの間に溝が生まれたのは、仕方がないこと。

 二人の間を取り持つべきか否か?

 彼女は悩み、執務の合間、オーベルシュタインに二人の友情を取り戻すには、どうしたらいいものか? と尋ねた。

 

「ジークリンデさま。お言葉ですが、あの二人は友人ではなく主従ですので、友情を取り戻すもなにもないかと存じます」

 

 質問されたほうは、あの二人が友人同士に見えるのですか……人にはあまり見せないであろう、驚いた表情で自分の意見を述べた。

 

「友人同士ではない……ですか」

「はい。ジークリンデさまは、あの二人が主従以上に見えることがおありですか?」

「いえ、あの……考えてみます。ありがとう、オーベルシュタイン」

 

 サインするだけの書類に向き直った彼女は、ペンを走らせながら、ただの主従なのか、それとも友人なのかを考える。

 

―― 友達には見えない……ラインハルトさまって呼んでるからかしら。でも、ほら半身と言われて……言われて……あら?

 

 つらつらと二人の関係を遡り考えていた彼女は、キルヒアイスが頻繁にラインハルトの半身と呼ばれるようになったのは、死後のことだったことを思い出す。実際、現段階でキルヒアイスのことをラインハルトの半身のような存在だと思っているものはいない。

 

―― お墓には確かにMein Freundと刻みましたけど……基本、これもキルヒアイスの死後の話なのよね。生前は言わなくても分かってるよねでしたけど……けど……死の直前までキルヒアイスはラインハルト()()って呼んで……

 

 習慣なので死の直前でも敬称を付けていたとも言えるが、あの場面くらいは敬称は必要なかったのではないか等……次々に思い浮かんできて、思わずペンを置き額に手を当てて思い悩む。

 

「ジークリンデさま」

「なに、オーベルシュタイン」

 

 声を掛けられ顔を上げた彼女に、

 

「きっとエッシェンバッハとグリューネワルトはご友人です。友人同士ですので、時間が全てを解決してくれることでしょう」

 

 オーベルシュタインは、そのような些末なことに彼女は悩むべきではないと考え、一般論で適当に収めた。

 

「でも……」

「私はあの二人と、ほとんど会話をしたことはありません。あの二人と長年お付き合いのあるジークリンデさまが、ご友人同士だと言われるのでしたら、それに違いはありません」

 

 オーベルシュタインは悪い顔ではないが、他人の気分を落ち込ませると言われることが多い微笑みを持って返す。

 

「そ、そう。そうよね! 仕事を続けるわ!」

 

 まさに自分が思い悩んでも仕方ないことなのだと ―― 切り替えて、彼女は再びペンを取りサインを再開する。

 

**********

 

 本来は違うのだが、アレクシアが彼女を狙ったことになっている「オラニエンブルク大公妃暗殺未遂事件」から約三ヶ月が過ぎ、彼女は二十二回目の誕生日を迎えた。

 ”そろそろ誕生日を祝って貰うような年でもないのですが”

そうは思ったが、折角なので祝わせてくれと頼まれてしまえば、断り切れず、彼女は好意を受け入れ、一年ぶりに大々的に誕生日を祝ってもらった。

 会場にはラインハルトやキルヒアイスも招待し、彼らも出席してはくれたが、キルヒアイスは怪我の予後が悪く休みがち。ラインハルトは精力的な面がすっかりと消えてしまい ―― キルヒアイスとラインハルトの仲はぎくしゃくしたまま。

 仲良くしたほうが……などと簡単にいえるような状況でもなく時間だけが流れていった。

 

 八月に入り、それでもまだラインハルトの覇気が戻らないことを気にしつつ、数多くの仕事をこなしていた彼女 ―― その月の二十日、そろそろ眠ろうかとベッドに入ったところ、

 

「ジークリンデさま」

「どうしました? シュトライト」

「叛徒の首魁が、辺境全土に重大発表を行うと通達を出しております」

 

 シュトライトが持ち運べるサイズのヴィジフォンを持ってやってきた。

 

「重大発表ですか?」

「はい。叛徒の全将兵に視聴を義務付けたものですので、帝国にも関係するやもしれませぬ。お休みを妨害すること、非常に心苦しいのですが、ぜひご試聴いただきく存じます」

 

 彼女は気にしなくていいわよと、ヴィジフォンをベッドに乗せセットし終えたシュトライトにガウンを持ってくるよう指示し羽織った。

 

「キスリングも此方にきて見なさい」

 

 警護の体勢を崩さないキスリングをベッドサイドまで呼び寄せ、画面をのぞき込む。

 

―― なにかしら? 帝国歴四八九年の八月ってなにか大きな出来事……覚えてな……

 

 ほとんどの年表など覚えていない彼女だが、帝国歴四九〇年六月二十二日にラインハルトが即位することはしっかりと記憶していた。

 今はその約十ヶ月ほど前。この時期の自由惑星同盟が全土に放送には、おぼろげな記憶しか残っていない彼女でも心当たりがあった。

 

―― 叛徒の首魁って最高評議会議長のトリューニヒトのことよね……でも、エルウィン・ヨーゼフ二世はいませんから……でもレムシャイド伯はまだ行方不明

 

 エルウィン・ヨーゼフ二世の亡命(誘拐)そして銀河帝国正統政府の樹立宣言。

 

「いかがなさいました? ジークリンデさま」

 

 まだ何も映っていない画面を前に、震える彼女にシュトライトが声をかける。

 彼女は首を振り、

 

「なんでもありません。少し寒気がしただけ」

「それは」

「大丈夫よ」

 

 彼女はそんなことはないと自分に言い聞かせながら、画面を凝視する。

 そうしていると画面に自由惑星同盟の国章が映し出され、アナウンサーが全市民に視聴するよう促し ――

 

『自由惑星同盟の全市民諸君 ――』

 

 彼女が恐れていた通り、トリューニヒトが映し出される。

 

―― そんな筈はありません、そんな筈はきっと

 

 トリューニヒトはその朗々と通る声で、亡命者があったこと、その亡命者は今までの亡命者とは違うことを告げる。

 

『その亡命者の名は、サビーネ・フォン・リッテンハイム。彼女は先代フリードリヒ四世の孫であり、銀河帝国の正統なる後継者なのです』

 

「え……」

 

 彼女が想像もしていなかった人物の名が挙げられた。

 あまりのことに困惑している彼女は、トリューニヒトの続く演説に愕然とする。

 

『ここに、カザリン=ケートヘンは先々帝オトフリート五世の第三皇女の孫ではないと、カザリン=ケートヘンの父たるユルゲン・オファー・フォン・ペクニッツが署名した書類がある!』

 

 画面に映し出された書類に記されたサインを彼女は凝視した。

 

「ペクニッツ公爵のサインよね」

 

 偽造したと言うのは簡単だが、彼女にはそのサインは本物にしか見えなかった。

 トリューニヒトの演説はさらに続き、サビーネが吃音であること。それが理由で即位できなかったばかりか、帝室の汚点としてリッテンハイム一族が滅ぼされたなど ―― 全て正しいわけではないが、サビーネが即位しなかった理由の大半はトリューニヒトが言う通り。

 

―― ラインハルトが悪人のように言っていますが……たしかに、あの内乱の指揮官はラインハルトでしたが

 

 またトリューニヒトのラインハルトが武力で物事を推し進め、ねつ造した皇帝を立てて権力を握った悪辣な人物であると断言する。

 

「ラインハルトはなにもしていない……などと言っても、どうにもなりませんか」

 

 彼女が”知って”いた通り、正統政府の首相としてレムシャイド伯が現れ、同盟に感謝を述べ、これからの正統政府の展望を語り、続いてアナウンサーが閣僚の名を読み上げる。

 

『軍務尚書メルカッツ元帥』

「あ……それも同……えええ!」

 

 亡命していない帝国の軍務尚書の名が正統政府でも上がり、彼女は驚きの声をあげる。

 

「シュトライト。メルカッツ元帥って他にいるの? それとも同盟……ではなくて叛徒の元帥にメルカッツ? とかいう人いるの?」

 

 彼女のように表に出して驚いてはいないが、シュトライトやキスリングも内心ではかなり驚いていた。

 

「落ち着いてくださいジークリンデさま。メルカッツ元帥はこの銀河帝国にはお一人だけ。叛徒かどうかは、ただいま調べてまいります」

 

 シュトライトはそのように告げ、彼女の元を後にし、全ての放送が終わり、彼女はヴィジフォンを下げさせ、ベッドに体を投げ出して深いため息を吐き出した。

 

「明日からどうしましょう……」

 

 この次に起こるのは、同盟と全面戦争「神々の黄昏」の発動。

 今のラインハルトならば、それを回避することは可能だが ―― 国家間には引き下がれない、戦争をしてでも守らなければならないものがある。

 それこそが今、彼女が直面している事態であった。

 

**********

 

 一夜明け、対策会議の場に彼女は足を運んだ。

 彼女が到着し腰を降ろすよりも前に、

 

「殿下! 閣下は正統政府などとは繋がりはございません」

 

 シュナイダーが、上官は何も知らない、そのような異心など持っていないと、非礼を承知で直訴する。

 

「シュナイダー、私はメルカッツのことは疑っておらぬよ。内部分裂を誘うためにしたことだ。門閥貴族の切り崩し工作の初歩の初歩だ。さすがにそれに引っかかるほど、私は素直ではない。メルカッツ」

「はっ」

「良い部下を持ったな。躾ければもっと良い部下になるであろう。今回のことは、その若さと忠誠ゆえ許す」

「寛大なご処置、ありがたく存じます。殿下ひいては帝国のため、より一層国家に尽くすことを誓わせていただきます」

 

 彼女はそれ以上は必要ないと ―― 深みのある赤の、アンシンメトリーさに目がゆくプリンセスラインのドレスをまとい、椅子に腰を降ろし最初に尋ねたのはカザリンのこと。

 

「まずは、陛下が偽物であると奴らが騒ぎ立てた根拠に関してだ」

 

「陛下がオトフリート五世の第三皇女の孫であることは間違いありません」

 

 フリードリヒ四世にカザリン=ケートヘンを推薦したオーベルシュタインが断言する。

 

「ではあの書類は」

「ねつ造されたものと思われます。ただし、あの署名は本物でしょう」

「どういうことだ?」

「故ペクニッツ公爵は、白紙証文というものを理解していなかったと、ハルテンベルク伯は証言しております」

「ああ、それは私もハルテンベルクから聞いた。そう言えば故人は、その証文の恐ろしさを知らなかったな」

「陛下が即位なされる以前に、サインをしてしまったものと考えられます。話していただけていたら、回収することもできましたが」

 

 ペクニッツ公爵が生きていれば、色々と事情を聞けたが、彼は殺害されている。その死に関し、疑問を感じている者がいた。

 

「なるほど、まあ生きてさえいればその書類が偽物であると…………宮内省でハルテンベルク襲撃に遭遇したローゼンリッターと名乗る輩の、カスパー・リンツ、ライナー・ブルームハルトとやらが言っていたな。狙いはペクニッツではないかと」

 

 ペクニッツ公爵はハルテンベルク伯襲撃の巻き添えではなく、本当の目的であったと、ここに来て判明する。

 

「確かに、そのように言っておりましたな。となれば、先のバイオテロと此度の反乱は一本の線で繋がるということですか」

「フェザーン経由の亡命なのであろうよ。正統政府とやらの設立を叛徒の政府に訴え、実現させたのもフェザーンであろうな。正確に言えば地球教であろうが」

「ド・ヴィリエを尋問いたしますが」

 

 彼女の暗殺未遂事件に関わっていたド・ヴィリエだが、彼は司法取引じみたことをし、監視つきながら普通の生活を送っていた。

 

「……いや聞かなくてよい。厳重な警備をつけて監視しておくように」

 

 彼女は情報を聞き出すよりも、別のことをさせることにした。同盟政府がサビーネを返してくれさえすれば、それは実行はしないが ――

 

「畏まりました」

 

 彼女はオーベルシュタインを下がらせ、

 

「司法尚書。同盟と名乗る輩にサビーネの返還を強く要求せよ」

 

 ロイエンタールに同盟との交渉を任せた。

 

「御意。ところで殿下。交渉の落としどころは? 譲歩はいかほど?」

「そうだなサビーネを無事に返すのであれば、正統政府などと名乗る輩の罪は問わぬとしよう。財産と地位も保証してやる。自由惑星同盟と名乗る叛徒に対しては一切の譲歩は無用」

「畏まりました」

 

 対策会議は一旦解散し ―― 彼女はその場に残った。

 

「アーダルベルト」

「はい」

「イゼルローン回廊を艦隊が通れるよう、要塞の残骸を片付けさせよ」

「大至急手配いたします」

「叛徒に大攻勢をかける。将兵の数は1500万以上で。準備にどれほどかかる?」

「二ヶ月ほどいただければ」

「任せたぞ」

「御意」

 

―― 同盟に向かう際に、イゼルローンは通らないのですけれども……サビーネを返してくれたら、戦いはしませんが、儚い希望でしょうね

 

 彼女を含む大方の予想通り、同盟は帝国の要求を拒否する。

 


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