「アレクシアの証言には、かなり嘘が含まれているように思いますが、アンネローゼ殺害の主犯格で間違いがないのでしたら、問題はないでしょう」
証言映像を観た彼女は、最後まで彼女を大公妃殿下と呼び続けたアレクシアの意図を、ある程度理解できた。
アレクシア本人の気持ちや、本当は何を考えていたのかなどについては不問にすることとした。
「確かに証拠は揃っておりますが」
彼女の元へ報告に上がったケスラーは、非常に歯切れが悪かった。
「なにか問題でもあるのですか? ケスラー」
国務尚書の執務室で、決裁のサインをしなくてはならない書類を前に、彼女はケスラーに何が気になるのかを尋ねる。
「証拠が多く、あからさま過ぎて少々」
「証拠に問題はないのでしょう?」
「それはありませんが。証拠となるものを手元に置きすぎのような」
アレクシアは最初から自分とその一族が重罪人として処刑されるために行動を起こしたのだから、当然証拠を揃えていた。普通であれば、消してしまうような証拠の数々も残しており ―― まさに言い逃れできないようにしていた。
アレクシアの意図は分かっているが、本当の目的を彼らは理解できていないので、消化不良の部分が残る。
事件というものは、全て細部にいたるまで詳らかになるものではないことは、ケスラーも分かっているが、そうであっても釈然としないものである。
そんなケスラーに、彼女はアレクシアの本心の欠片を教えることはなく、
「気にする必要はありません。そうね……馬鹿な門閥貴族だから、で納得しなさい。ケスラーはそのような門閥貴族を、大勢見てきたでしょう」
気にせずに処理しなさいと告げる。
「それを言われますと……」
普段であればケスラーたちは、そのように理解する。平民にとって、門閥貴族の坊ちゃん嬢ちゃんというものは、特権にぬくぬくと守られるだけの、馬鹿な存在でしかない。
彼女もそれを否定するつもりはない。
「嫌味などではありませんよ、ケスラー。事実であり、このような事件を起こした主犯たるアレクシアも、そうであること否定はできません」
アレクシアや自分は、賢くはないのだと良く理解している。
賢ければ、こんなことは起こらなかったのだろうと ――
ケスラーが下がると、刑の執行について確認するために、ロイエンタールがやってきた。
「何時アレクシアの刑を執行する?」
アレクシアは門閥貴族のまま処刑されるため、刑の執行日や方法など、司法尚書の一存では決められず、それらの権限を持つ彼女に尋ねる。
―― 優しいことで……優しい人ですよね、ロイエンタール
「明日にでも」
ロイエンタールは一存では決められないが、彼女は一存でアレクシアを門閥貴族のまま刑に処させることも、門閥貴族の地位を剥奪しただの罪人として処罰することも可能だが、彼女に全て被せるのは酷であろうと ―― その責任を少しくらいは肩代わりしようという気持ちを、彼女は感じ、そして感謝していた。
「分かった。準備を命じておく」
感謝の言葉などを述べられたら、ロイエンタールは「自己満足だ」と、整いきった美貌に笑みを浮かべ、些か怒ったような声で言い返すであろう。
「お願いします」
まして”優しい”などと言おうものなら ――
「ブライトクロイツ一門の処分はどうする」
アレクシアの一族の処分について聞かれた彼女は、すぐに処分を伝える。
「第四親等まで処刑で」
あの証言を聞く前から、彼女の中で決まっていたことである。
「いいのか?」
「はい。これは用意が調い次第、順次執行を。一族だけではなく、使用人たちもある程度処分しなくてはならないかと。それらの選別などは、お願いしてもよろしいでしょうか? ロイエンタール」
「それは構わんが、本当に
原作のラインハルトが、リヒテンラーデの一族を十歳以下の男児を殺さなかったり、女たちを流刑に処したのは、温い処断としかいえない ―― それが彼の優しさであり、強さであり、彼らしさでもある。
彼女がいま下した決断は、年齢も性別も関係なく死罪し処されるもので、ラインハルトの決断に比べたら冷酷非情であるが、大逆罪において第四親等で済ませてもらえるのならば、連なる者たちにとって、それは寛大な措置であり、涙を流して感謝するべきものである。
「他の誰でもありません。私が決めたことです」
彼女が
「了承し……」
「お腹の中の我が子と共に殺されるとは、どんな気持ちなのでしょう。私は幸いにも、経験することはありませんが、自分が殺される絶望以上の絶望を知ることになるのでしょうか……今のは聞かなかったことにしてください、オスカー」
「ああ。ところで……ジークリンデ」
「なんですか? オスカー」
「アレクシアに何を囁いた?」
「さあ、なんでしょうね」
彼女の笑顔は何時もと変わらず ―― その鈴を転がすような声が震えることもなかった。
面会者がいなくなった部屋で、書類にペンを走らせサインをし、十枚ほど決裁をした頃、
「ジークリンデさま」
「なんですか、シューマッハ」
「もうじき、書記官のヤンセンが参ります」
先日、疑似法廷で負傷し、運良く入院を免れた書記官が、職務復帰の挨拶のために彼女の元を訪れることになっていた。
裁判所の書記官、すなわち司法省専属の公僕ゆえ、彼女が挨拶を受ける必要はないのだが、これは彼女の希望でもあった。
「そう。それにしても、怪我の見舞いすら気軽に出来ないのね」
巻き込まれた書記官の見舞いに行こうとしたところ、全員に止められたのだ。
側近でも大公妃に自宅まで見舞いに来られるのは困る。まして直属の部下ですらない、これから直属にするというのならば……と言われて、彼女は諦めて仕方なく彼らが提示した「復帰の挨拶」で手を打つことにした。
彼女としては”それは見舞いでも、なんでもないのでは……”という思いは強いが。
「致し方ないことかと。他にもご報告がありまして」
「なに?」
とにかく怪我をした書記官に声をかけ、あとは賠償金的なものを与えようと考えていた彼女に、
「グリューネワルト伯爵の意識が戻ったそうです」
嬉しいことではあるが、これからのことを考えると、正直頭が痛くなるとしか言えない報告がもたらされた。
「それは良かった。いつ頃会えますか? できれば早めに会いたいのですが」
特殊機器での治療を終えたキルヒアイスが、やっと意識を取り戻した。
色々とあるが、会わないで済ませるわけにはいかないので ――
「明日には面会できます」
「そう……では、アレクシアの自裁前に会います」
「畏まりました。そのグンデルフィンゲン子爵夫人から、ジークリンデさまにお願いがあると」
「なにかしら?」
もはやアレクシアは死ぬ以外の望みはないものとばかり思っていたので、彼女はシューマッハの言葉に驚いた。
やや目を大きく開き、シューマッハを見つめる彼女。
驚きを隠しきれない翡翠色の澄んだ瞳を前に、やや困ったように笑い、希望を告げた。
「是非とも明日の立ち会いには、ブラウンとボルドーのアンシンメトリーでシックなプリンセスラインドレスで起こしいただきたいとのこと」
これが助命嘆願などであれば、彼らは伝えなかったが、害がない部類のものと判断され、伝えられるに至った。
無視することも出来たが、彼女の性格からして、最後にアレクシアに声を掛けることは充分考えられるため、伝えておいたほうが無難であろうとも判断された。
「……他になにか言っていましたか?」
「死ぬ私を憐れに思われるのでしたらなにとぞ、とのことです」
「分かりました」
聞いた彼女は、机の上に置かれている上質で厚いメモ用紙に、明日の立ち会いの際に着用するドレスについて記し、用紙の中心に両端が一直線に合わさるように三つに折りたたみ、その上下の端にかかるよう彼女の名を書く。
「フェルナーにこれを」
「御意」
そんな話をしていると、彼女の執務室から離れた小部屋で行われていた、書記官の精密な身体検査に立ち会っていたキスリングが、その彼を連れてやってきた。
「ジークリンデさま、ヤンセンです」
「通しなさい」
―― ああ、ヤンセンにもキスリングにも、凄い負担をかけてます……見舞いとかしない方がいいのかしら……
立場に身分、そして最近の状況から致し方ないことだが、迷惑をかけて悪いという気持ちが膨らむ。
「ジークリンデさま、実はエッシェンバッハ公が面会を希望し、そこに」
ヤンセンを連れてきたキスリングが、突然の来訪者の名を告げた。
「ヤンセンの後で会うと伝えなさい」
書記官を後回しにしても、誰も異議を唱えはしないが ―― 彼女は面会予約を取っていなかったラインハルトを後回しにし、
「畏まりました」
まずは書記官の快気を祝うことにした。
言葉をかけ、門閥貴族が目下に対し祝いの際に贈る定番の品、金やプラチナの10kgのインゴットを各三十個づつ並べ、好きなだけ持っていくように ――
「全部持って帰っても良かったのに……大丈夫、ちゃんと運ばせるって言ったのに。欲のない男ね」
書記官は彼女からの快気祝いに対し丁重に礼を述べ、金のインゴット一個だけ貰って彼女の前を辞した。
「欲や重さではないのではないかと……小官は思います」
門閥貴族の慣習は聞いていたキスリングだが、本当に目下に与えているのを見るのは初めだった。
「嫌だったかしら。矜持を傷つけないよう、常識の範囲内で用意したつもりだったのに」
彼女の側でインゴットの片付けを行っている部下たちを見張っていたキスリングは、その独り言に、彼女の過去を推測し、
「ファーレンハイト提督に、インゴットを大量にプレゼントして怒られたのですか?」
「よく分かるわね、キスリング。まあ、私の失敗談を聞いていれば、あなたのような聡い人ならば、分かってしまうのでしょうけれど」
「どちらかと言いますと、ファーレンハイト提督が大人げな……余裕がなかったのだなと。インゴットをどの程度贈ろうとして、そのようなことに?」
「貴族の娘は、結婚する際に支度金として金やプラチナ、あとは銀のインゴットを幾つか持参するの。お父さまは私に金と銀、そしてプラチナの50kgインゴットを各四千個ほど用立てて下さって、あとは大伯父上が追加で各二千個。ファーレンハイトが良人の部下になってくれた時、それが全て積み上げられてる金庫に連れていって”男爵さまの部下になったお祝いに、欲しいだけあげる”って言ったら、塵を見るような眼差し向けられたわ。本当に私は品のない小娘でした」
―― 今も怪しいものですけれどね
キスリングはファーレンハイトの態度を大人げないと思う反面、自分も十代の少女に悪気なく、善意だけでそう言われたら……
「ファーレンハイト提督らしいですね」
「キスリングもそう思う?」
「はい」
そんな話をしていると、貴金属の片付けが終わり、彼女はラインハルトの入室を許可する。
「お久しぶりですね、ラインハルト」
「ああ、久しぶりだな、大公妃殿下」
彼女は椅子から立ち上がり、執務机の前に置かれている応接セットのソファーへと移動し、腰を降ろしてからラインハルトに座るよう勧める。
エミールが注意深くシフォン地のドレスの裾を直し、シューマッハが二人の前に珈琲を置く。
「少しは落ち着かれましたか?」
彼女は白いカップに注がれた珈琲に手を伸ばし、口を付ける。
ラインハルトは手を付ける気配はない。
「あなたに頼みがある」
「なんでしょうか?」
―― 白々しいわよねえ
ラインハルトが何を言うかくらい分かっていたが、言って貰わないことには始まらない。
「姉上を害したブライトクロイツ一族の処分に関して、私に譲って欲しい」
「お断りいたします」
―― 言うように促しておきながら、即座に否定……
「あいつらは、俺の姉上を殺したのだぞ! それも惨たらしい方法で」
握り拳を作り、これ以上ない怒気を露わにするラインハルト。彼を目の前にしている彼女は涼しい顔をしているが、恐怖で息すら止まりそうであった。
本来であれば彼女としても、任せたほうが楽である。他人に刑を言い渡し、処断するなど ―― だが、
「ええ、存じております。ですが、あなたは彼らを処分できる立場にはありません」
彼女はラインハルトの申し出を拒否した。
「だからこうして頼みにきたのだ!」
握り拳を自らの膝に押しつけて、今にも怒鳴り出しそうな表情と、ぎりぎりのところで我慢しているであろう大声で、彼女に敵を取らせてくれと、恫喝と表現するのが相応しい声を上げたが、
「何度言われても答えは同じ。お断りします」
彼女は表情を一切変えず、珈琲がまだ入っているカップを、静かにソーサーへと戻し、皇族の権限を発動する。
「シューマッハ、エッシェンバッハが帰るそうだ」
「御意にございます。公爵閣下、出口まで御案内させていただきます」
彼女の命を受けたシューマッハは、殊更不躾にラインハルトの二の腕を掴み、力を込めて引く。
ラインハルトは腕を無理矢理解き、彼女に対して非礼を詫びて退出した。
「…………死ぬかと思いました」
ラインハルトがいなくなった室内で、彼女は震えながら、ソファーに俯せに寝っ転がるような体勢を取る。
―― 殺されるかと……
「ジークリンデさま、医師を呼んで参りましょうか?」
「要りませんよ、シューマッハ。遅れてきた恐怖に戦いているだけですから」
「暖かいものでも飲まれますか? それとも仮眠室で休憩なさいますか?」
「両方を」
「畏まりました。ジークリンデさまを」
キスリングに抱きかかえられて仮眠室に入った彼女は、スパイスの入ったホットビールを、少しずつ飲み、震えが止まるのを待った。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ、キスリング」
―― かなり疲れましたけど
帰宅してベッドに飛び込みたいと思うほど疲れた彼女だが、今日は捕らえたド・ヴィリエについての報告を聞くという、仕事が残っていた。
アレクシアの凶行の一端を担っていたド・ヴィリエの証言。
聞いたところで、ブライトクロイツ一族の刑を軽くすることはなく、アレクシアが極刑を免れることもないが ――
「ブライトクロイツ領内は、孤児が多く、行政側の対応が追いつかず、そこに地球教が孤児院を開き孤児に衣食住を与えておりました」
元々は信者を増やすために行っていたことだが、そこにド・ヴィリエが行き、その手腕を発揮し、簡単に中枢へと潜り込んだ。
ブライトクロイツ領は、急激な人口減少に端を発する、様々な問題を抱えていた。領内のあらゆるものの生産能力の低下、とくに顕著なのが食糧不足で、根本的な解決策を見いだせないまま食糧を輸入に頼り、更なる自給率の低下を招いていたところで、輸出側は足下を見て、食糧を値上げし ―― 不満に思えど食糧を輸入せねば、領民全てが干上がる。ろくな巡航艦や駆逐艦を所持していないため、輸送の際の護衛艦も外注しなくてはならない。
「もって二年、間違いなく破産していたことでしょう」
領内の財政は破綻寸前であった。
それに一つの解決策を提示し、実行に移し結果を出したのがド・ヴィリエであった。
彼は地球教が得意とする薬物の精製を行い、それらを輸出ラインに乗せた。
「サイオキシン麻薬の前段階ですね? オーベルシュタイン」
「はい」
化学合成により人工的に作られるサイオキシン麻薬。人々を死に追いやる麻薬になるまでに、幾つもの工程がありサイオキシン麻薬になる手前の段階の薬は、合成方法により他の薬にも変化するため、逮捕することができない。
それを知っているド・ヴィリエは、逮捕されない段階まで作成し、麻薬に精製できる相手へと売っていた。
「相手は?」
「自由惑星同盟と称する叛徒に紛れている地球教徒です」
「地球教独自の販路ね」
「はい」
罪状などいくらでも作ることはできるが、この際なので彼女は味方に引き込むことにした。
「オーベルシュタイン。ド・ヴィリエと交渉できる?」
「どのような交渉でも、確実にジークリンデさまのお望み通りに」
「では、ド・ヴィリエにサイオキシン麻薬の生産、流通の調査をさせて。報酬は地位と身分。あの男は、宗教は権力を得るための手段としか思ってませんから、よりよい条件のほうになびくはずです」
サイオキシン麻薬を製造している所は、多数あり、各自の資金源ゆえに、相手の工場を爆破するようなこともある。
自分たちの工場を守るために、場所は秘匿され、相手を蹴落とすために工場を捜す ―― 取り締まる側よりも、その中に身を置いている者たちのほうが詳しい。
「ド・ヴィリエにとって、新しい地位や身分を得るためには、後ろ暗い過去は消し去りたいでしょう」
「製造販売を一網打尽に。それをジークリンデさまへの手土産と。この方針でよろしいでしょうか?」
「お願いするわ、オーベルシュタイン」
ド・ヴィリエの野心を考えると、帝国の要職で満足できるかという疑念は付きまとうが、
―― 鎖でつなぐなりなんなりして、コントロールをしたほうが……私には無理ですけどね! オーベルシュタインかロイエンタールあたりに頼みますけれど
監視が可能な人物の配下に置き、有用に使うことができるのではないかと、彼女は考え ―― 彼女はそう考えたのだが、実際は皇帝に即位した彼女自身が、ド・ヴィリエを実に有効に使い、遠く離れた場所から、ヨブ・トリューニヒトを失墜させることに成功した。