黒絹の皇妃   作:朱緒

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第250話

 彼女はいつも通り着替えて朝食を取りながら、報告と今日の予定をフェルナーから聞く。

 まず最初の報告は、昨日の爆破事件において、爆発したマルクス以外に死者はでなかったこと。

 それを聞かされた彼女は、複雑な思いながら、死者の数が最小限に食い止められたことに安堵した。爆発による負傷者は四名で、うち三名が入院。

 

「ファーレンハイトとキスリング、あとゾルゲは入院しております」

 

 フォークを持っていた手を止め、彼女はゾルゲが誰か? を考え、

 

―― ゾルゲ? ゾルゲ……ああ! 裁判官がゾルゲでした

 

「ゾルゲの怪我の程度は」

 

 何事もなかったかのような素振りで聞き返した。

 ”お忘れでしたね”とフェルナーは当然気付いたが、それに触れることはなく返答する。

 

「軽傷ではありませんが、中傷というほどでも。表現としては曖昧ですが、軽い中傷といったところでしょうか」

 

 裁判官でもあるゾルゲは、悲惨な遺体などは見慣れていることもあり、精神的な面ではまったく問題はなかった。

 ただ運動神経がさほど良くなかったこと、人間の爆弾化というものについて詳しく知らなかったこともあり、判断が遅れ中傷を負った。

 

「そう。命に別状はないのね」

「はい」

 

 守られていなければ、死亡していた可能性もある彼女は、完全に巻き込まれただけのゾルゲが無事なことに胸をなで下ろす。

 

「ゾルゲに見舞いの品を送る……もう手配済み?」

「はい」

 

 家臣の有能さを料理とともに噛みしめながら、彼女はフェルナーを褒める。

 

「いえいえ、見舞いを手配したのはシュトライトですので、是非ともシュトライトにお褒めの言葉を」

 

 褒められた方は、昨晩は彼女に付き添っていたので何もしておらず ―― 朝食のために彼女が着替えている間に、剃刀をあてながら報告を受けていただけなので、実際に動いた方を褒めてくださいと。

 

「分かりました。ゾルゲを見舞うことはできますか?」

「可能です」

「では今日中に見舞いたいので調整を」

 

 昨日狙われたと思われる彼女が見舞うとなれば、充分な警備をする必要がある。そうでなくとも万全な警備体制は敷くのだが、今日は全幅の信頼を置き彼女の盾を任せられるキスリングが入院しているので、その部分を補う人員の選出など、しなくてはならないことが山積みだが、

 

「畏まりました」

 

 そこは彼らの仕事であり、万全を期して当たり前のこと。

 

「ところで、ファーレンハイトはどうして入院したの?」

 

 巻き添えを食ったゾルゲには悪いことをしたと思い、心配もしているが、こと彼に対しての心配は、種類や質が全く違う。

 ファーレンハイトが骨折したことは聞いていた彼女だが、現在は単純な骨折は薬ですぐに治療され、入院するようなことはないため、他を負傷したのだろうと考えた。

 

「感染症対策のために入院です」

「感染症?」

 

 入院の本当の理由は骨折。ファーレンハイトの骨折は開放骨折で、感染症などの恐れがあるため入院していた。

 他に、生体爆弾の特性ともいえる体液による感染を防ぐ必要もあるのだが、開放骨折のほうが遙かに重かった。

 

「お食事中に相応しくないのですが、あの爆弾は血や骨が凶器で、怪我をさせる他に感染症をも引き起こすんです」

 

 開放骨折のほうは隠し、感染症対策のために入院していると告げる。

 

「怪我はそれほど酷くはないのね?」

 

 本当のところはかなり酷く、もう少しで千切れるほどで、下手をしたら義手になるところであったが ―― 実際、義手にした方が復帰は早く、苦痛も少なくて済むのだが、負傷の原因が彼女の可能性が高く、後に判明して気に病まれては困るので、時間と()をかけて復元治療することになった。

 

「はい。ファーレンハイトが最も多く被弾したので、大事を取って入院です。ほら、あれでも元帥ですし」

「あれでもって……キスリングは、肩の下に刺さっていた以外の負傷は?」

「多少被弾しましたが、明日には退院して、職務につけますよ」

「もう少し休んでもいいのに」

「もう大丈夫です、今日から職務につけますって言ってるのを、無理矢理一日延長させたくらいですから」

「本当に怪我は大丈夫なの?」

「はい。それで、今日の予定ですが、ジークリンデさまがファーレンハイトとキスリングのお見舞いに行きたいというと思いまして、病室で報告会にしました。これなら一石二鳥でしょう」

 

 見舞いをさせないと、彼女が落ち着かないであろうということで、元帥ではあるが元帥が使用する個室など、彼女が見舞うからと言われなければ絶対に使わないであろうファーレンハイトを納得させ、警備の問題上ということでキスリングも元帥の病室に押し込み、彼女が見舞った際に不自由ないようにと、早朝からシュトライトが出向いて部屋の内装を整えている。

 それに彼らも、事情は早く知りたいので、この部屋割りは受け入れた。

 

「……そうね。ところでフェルナー」

 

―― 無事とはとても言えませんが、二人の顔を見て安心したいわ……

 

 彼女は朝食を半分近く残し下げさせた。

 

「なんですか? ジークリンデさま」

 

 普段ならば無理矢理食べさせるフェルナーだが、昨日の今日では食欲が湧かないのも仕方ないと見なかったことにする。

 

「負傷者が少なかったのは良かったのですが、こう……あれは正面だけが被弾するものなのですか?」

 

 負傷者四名のうち入院はしなかった一名は、彼女の下斜め前にいた書記官で、両サイドや後ろに負傷者はいないことを知り、彼女はそれが「偶々なのか」それとも「そういうものなのか」について聞いた。それにより、目的や罪状が変わってくるためだ。

 

「ジークリンデさまの予想通りです。大雑把にいいますと、起爆剤が心臓でして、心臓の力を使って肋骨を開くんですよ。肋骨は一部が胸骨とは接していないこともあり、前腹部側のほうが開きやすいんです。肋骨自体、それほど衝撃に強くありませんし」

「そうでしたか……となると、あの配置は完全に私を狙って、でしょうかね」

「でしょうね。ジークリンデさまの発案で、法廷形式での陳述になりましたが、当初は謁見方式で聞く予定でしたので。防弾になる机やスペースはありませんから、キスリングがもう少し負傷していたでしょう」

 

―― 法廷方式にして良かった……

 

 フェルナーはもう少し……とは言ったが、法廷のように足下に隠れる場所がなく、椅子が簡単に引き倒せない謁見の間では、キスリングは確実に死亡していた。

 そういった意味では、彼女が選んだ法廷方式は、重傷者が出たものの良い判断であった。

 

「フェルナー」

「はい」

「病院へ行く時の同行者は誰?」

「私ですよ」

「……あなた、寝てないでしょう」

 

 いつも不寝番が付いており、危険に遭遇した際は、よほど信頼している者以外は立ち入りを許さないので ―― 昨晩の不寝番はフェルナー以外には考えられなかった。

 

「ご安心ください、ジークリンデさま。私はお側に控えていながら、居眠りという名の仮眠を取っておりましたから、問題ございません」

 

―― 本当にそんなに不真面目でしたら、寝室にあんな固いスツール用意したりしないでしょう

 

 さらりと嘘をついてくるフェルナーに、

 

「着替えにメイク、髪を結うのに二時間はかかるわ。その間、タンクベッドで休んできなさい」

 

 付いて来るな、休めといっても無駄なので、彼女としては不本意な休息だが、取らせないよりはマシだろうと指示を出した。

 

「本日はお着替えにそれほど時間は」

 

 軍病院に向かうので、軍服を着用するため、何時もより時間はかからない。

 

「二時間です。これは譲りませんし、あなたを置いていったりはしませんから安心なさいフェルナー。ああ、そこの、ゼッレを呼んで」

 

 彼女は小間使いにエミールを呼んでくるように命じ、

 

「ゼッレ。フェルナーの警備を任せるわ」

 

 二時間タンクベッドで休ませるために、見張りに付けることにした。

 

「はい」

「何者かがタンクベッドの調節を触る可能性もあるので、しっかりと見張るように。それとゼッレにブラスターの携帯を許可します。アントン・フェルナーのこと、任せたわよエミール・フォン・ゼッレ」

「御意にございます」

 

 元気よく少年は敬礼し、彼女の命令をしっかりと果たした。

 

―― ゾルゲに見舞いとして何を上げましょう。金銭以外に、地位かしら。地方惑星の判事長……でも中央のほうが良いかも。となると……でも司法関係ですから、ロイエンタールと話し合う必要がありますね

 

**********

 

 フェルナーの休息で、予定よりやや時間が遅れたものの、そこは彼女が遅れたことになるので問題にはならず ―― 病室入り口ホールにて、ロイエンタール、オーベルシュタイン、ケスラー、入院しているキスリングとファーレンハイトに出迎えられることになった。ファーレンハイトは軍服を着用しマントを羽織り、左腕は不自然に隠れている。

 

―― なんで大人しくベッドに横になっていないのですか

 

 そう彼女は思うものの、大公妃殿下がお越しになるとなれば、意識不明の重体でもない限り、医療用スモックを着てベッドに横たわっていられるような性格でもない ―― 彼女でなければ、ファーレンハイトはそのままの体勢でいそうではあるが。

 

「出迎えご苦労。ところで、何処で話を」

「応接室のほうで」

 

 元帥が入院する際に使われる病室は、玄関ホールに応接室、食堂に衣装部屋、複数のベッドルームに書斎部屋と、下手な一軒家より余程広い。

 彼女は立ち止まり、

 

「オーベルシュタイン。報告はあなたが?」

「はい」

「応接室でなければ、報告はできませんか?」

「いいえ」

「では寝室で」

 

 場所をベッドのある部屋へと移した。

 そして、軍服を脱げとは言わなかったが、

 

「横になりなさい」

「ですが」

 

 横になることを強要した。

 

―― その点滴はなんですか! 治療のために点滴が必要なのでしょう? 点滴を受けながら聞きなさいよ!

 

 ベッド脇には二種類の点滴が置かれ、パックの中身から、途中で止めたのがはっきりと分かった。

 

「横になりなさい」

「ずっと横になっていたので、出来れば立ったまま」

 

 ファーレンハイトはいつも通り、立って話を聞くと言い出す始末。忠実な家臣は、決して臣下の分を違えることない。

 

―― 怪我人を立たせて話を聞くって、どんな極悪人ですか。私を極悪人にしたいの! そうですか、なら極悪人に!

 

「ファーレンハイト、あなたが選べるのは二つだけ。私の隣に座るか、ベッドに横になるか。立って話を聞くことは許しません」

「それでは……横にならせていただきます」

 

―― 私の隣はそんなに嫌ですか! まあ、横になってくれたほうが良いからいいのですが……なんか、釈然としないわー

 

 一人「納得いかない」「そんなに嫌ですか」としている彼女だが、元帥や尚書と後継者の間として、これでも近すぎるほど。

 もう一人の怪我人、キスリングは早々に「小官の怪我は完治しておりますので」と告げ、彼女の隣に座らされるのを見事に回避し、

 

―― ロイエンタールくらいは、座ると思ったのに……着席は私だけですか。まあ椅子が一つしか用意されていないから……シュトライトの用意は何時も完璧で困ります

 

 負傷しているファーレンハイトをのぞき、全員が立ったまま、報告が始まった。

 

「まずはマルクス中尉の改造に関してですが……」

 

 抑揚のない口調でオーベルシュタインが語り出す。

 彼によると、マルクス中尉の改造はユーディットとの逢瀬の後に行われていたとのこと。

 

「改造途中は倦怠感を覚えるそうですが、それらの倦怠感は、事後のものと勘違いしたもようです」

 

 マルクス中尉はユーディットとの関係を周囲に隠しており、逢瀬は人目につかない寂れたホテルを使用していたのだが ―― そのホテルをさりげなく勧めたのはユーディットで、

 

「グンデルフィンゲン子爵夫人が買い取り、ホテルの地下に改造に必要な設備を整えておりました」

 

 それ自体が既に罠であった。

 オーベルシュタインは各人の端末に、地下の写真を送る。そこには、古びたホテルの地下とは到底思えない、塵一つない空間に最新鋭の機器が並んでいた。

 マルクス中尉とユーディットがホテルで行為を行っている最中から睡眠ガスを流し、事後の気怠さに見せかけ眠らせる。

 清掃員の格好をした者たちが部屋へと入り、リネン類回収の籠に入れられ運び出され、従業員通路を使い地下へと連れて行かれたマルクス中尉は、そこで改造され、再び同じようにして部屋へと戻された。無論ユーディットも眠っているので、マルクス中尉が目覚めた時に違和感を覚えるようなことはない。

 

「これらの設備ですが、今から証拠を集めるのは不可能です」

 

 次に映し出された画像は、古びたホテルがあった場所が更地になっているもので、地下は全てコンクリートが流し込まれており、地上から超音波で調査したが、機器は完全に撤去されている。

 

「この映像は何時、誰によって撮影されたものだ?」

 

 画像を見ていたロイエンタールが尋ねると、オーベルシュタインはベヒトルスハイム社会秩序維持局局長によるもので、撮影されたのは一ヶ月半前だと答えた。

 彼は憲兵時代に築いた独自の情報網を持って、アレクシアが秘密理に取っている行動に気付き、調査を行っていた。

 

「この機器を見れば、なにが行われるのか分かったのではないか?」

 

 非合法行為に長けているベヒトルスハイム元憲兵が、これらの機器を見て、この先行われることが分からないなど、考えられないことである。

 

「分かったようだが」

「なぜ報告しなかった?」

「報告しても、取り合ってもらえんと考えたと本人は証言している。実際は憲兵隊、ひいてはエッシェンバッハ公に対する意趣返しであろうな」

 

 ベヒトルスハイムを処分したケスラーが眉を顰めたが、なにも言わなかった。

 

「なるほど。では、ベヒトルスハイムはアレクシアの意図を理解していたのか」

「それに関してだが、ベヒトルスハイムはグリューネワルト伯、もしくはエッシェンバッハ公を殺害するための爆弾化だと考えていたとのこと。狙いがジークリンデさまだと知っていたら、すぐに我々に報告したとのことだ」

 

 彼女は過去一度たりともキルヒアイスの副官と顔を合わせたことはないので、ベヒトルスハイムの証言は、誰もが納得するものであった。

 

「他の証言はともかく、狙いがジークリンデだったことを知らなかったのは、事実であろうな」

 

 キルヒアイスの副官という立場は、彼女を殺害するのには不適格な立場である。アンネローゼを殺害しようとしたのであれば、ある程度は有功だが ――

 

「それに関しては、司法尚書閣下に同意いたします」

「お前に同意されてもな、官房長。他は?」

「マルクス中尉の爆弾化について、少々」

「なんだ?」

「最大威力を発揮する時期を、やや過ぎていたとの報告が」

 

 人間の爆弾化はピークの調整も難しく、ある時期を過ぎると威力が低下し爆破に必要な成分が毒素化し、体内にそれらが回ることになり、最終的に心臓壊死で死亡する。

 昨日の破裂の後、飛び散った肉に骨、内臓の欠片を広い集め検査した結果、毒素が検出されたため、人間の爆弾化のピークを過ぎた可能性があると報告された。

 また頭部が下顎骨だけが外れ、前頭骨が外れていないのも、時期を逸している特徴である。

 早すぎた場合は頭蓋が外れて飛び散ることはなく、眼球が吹き飛ぶくらいのもであるという報告もなされた。

 

―― 想像したら……具合悪くなってきました。でも話はしっかりと聞かなくては……

 

 彼女以外の者は、現場の死体の写真と、過去の実験例の映像を比較しながら話を聞いているが、彼女は窓の外へと視線を向け、手元のグレーのハンカチをぎゅっと握り締めながら、少々涙目で青空の景色を無理矢理楽しんでいた。

 その潤んだ瞳で物憂げに外を見つめる横顔は、とても儚く美しく ―― 彼女の内心の修羅場を理解していながら、彼らは一瞬見惚れる。

 

「調整が合わなかった……訳でもなさそうだな」

 

 臓器が全て吹っ飛び、腰から下だけが残っているマルクスの映像を消し、ロイエンタールが、端末の端を人差し指で叩く。

 

「グンデルフィンゲン子爵夫人の財産、人脈を用いれば、そのようなことは考えられないかと」

「聞いてみるとするか」

 

 アレクシアはあの後、帰宅している。彼らにはあの時点でアレクシアを拘束する権限はなく、司法尚書のロイエンタールでも、証拠らしい証拠がない状況では、門閥貴族の特権の前には為す術はなかった。

 当のアレクシアは「慌てる必要はない。私は逃げも隠れもしない」そう言い、悠々と邸へと消えていった。

 ユーディットは平民ゆえに拘束が可能。また何らかの事情や、直接は知らなくともヒントを持っていることも考えられるので、身の安全を図ることも含めメルカッツが保護しており、無事に過ごしている。

 

「アレクシアから事情を聞いてきてください」

 

 ユーディットはオーベルシュタインでも事情は聞けるが、アレクシアとなればロイエンタールくらいの地位と身分がなければ、邸内に立ち入ることすらできない。

 呼び出すにしても ―― 彼女がいなければ呼び出しに応じないのは明らか、昨日の今日で彼女をまた危険な目に遭わせるわけにもいかないため、ロイエンタールが出向くことになっていた。

 

 人間の爆弾化がアレクシアの仕業だとすると、ロイエンタールを赴かせるのは心配だが、その心配と同程度に信頼していた。

 きっとロイエンタールなら大丈夫だろうと ―― してはならない身分だが、心配と信頼を伝えるため、病室の入り口ホールまで見送り、

 

「では、五時間後に会おう」

「気を付けてくださいね、ロイ……オスカー」

 

 名前で呼び微笑む。

 その透き通るような美しい微笑みと、鈴を転がすような声で呼ぶ名に、ロイエンタールに対して厳しいフェルナーですら「好意を知っていて、素気なくしていながら、それですか。少しばかり同情します。するだけで、フォローはしませんけど」憐れに思ったほど。

 

「ああ、行って来る」

 

 ロイエンタールは彼女の意図を読めず、いつも通りの挨拶で去っていった。

 

「あなたも重々注意なさい、オーベルシュタイン。怪我することは、許しませんよ」

「御意」

 

 ロイエンタールの後にオーベルシュタインが、ユーディットやベヒトルスハイムに尋問するために出て行く際に声をかける。

 

「ではジークリンデさま、また後で」

 

 またアンネローゼの棺の前で沈んでいるラインハルトに、報告すべくケスラーも病室を後にする。

 

「ウルリッヒ」

「なんでございましょうか」

「昨日のことですが」

 

 声を掛けられたケスラーは、最初なにを言われたのか分からなかった。彼にとって腕を撃たれたのは、自業自得とまでは言わないが、ラインハルトを落ち着かせられなかったこと、また落ち着かせるにはあれしかなかったとは言わないが、それ以外を選んでいる余裕はなかったことも分かっており、納得していたので ――

 

「昨日のことですか? この物わかりの悪いウルリッヒに、詳しく教えていただけますでしょうか?」

 

 彼女は昨日撃たれたと思しき箇所に触れる。

 

「ここ撃たれたでしょう」

「あ、ああ。はい。もう傷は塞がっておりますし、痛みもございません」

「そう。……」

「どうなさいました? お嬢さま」

「私が謝るものでもなし、ファーレンハイトも謝罪はしないでしょう。エッシェンバッハ公も謝罪を求めることはなく、あなたもそんなことは必要としていないでしょうが……痛かったでしょう」

 

 ケスラーは彼の腕に触れている彼女の手に、己の手を重ね笑顔で頷いた。

 

「お嬢さまに心配していただけるなど、このウルリッヒ、身に余る光栄です」

「……そう。また後で会いましょうね」

「はい」

 

 ケスラーは自分の腕から彼女の手を優しくはがし、その手を持ったまま膝をつき、彼女の手に頭を下げた。

 彼女は少しだけケスラーの手を握り、するりと手を抜いて彼に背を向けてホールから立ち去った。彼女の気配がホールから消えてから、彼女が先ほど触れていた箇所を掴み病院を立ち去った。

 

「ではジークリンデさま。着替えましょう」

 

 ケスラーを残してホールを立ち去った彼女は、これから皇族の公務を行う。

 

「どこで着替えるの?」

「元帥の病室は大きいので、準備万端ですよ」

 

 事前にシュトライトが衣装を選び小物なども整え、着付け、髪の結い直し、化粧を直す小間使いと共に運び込んでいた。

 

「衣装直しの間は、キスリングが付きますので」

「なんでキスリング?」

「仕事したいそうです。させてやってください、ジークリンデさま」

「分かりました」

 

 何故二人が入院している病室に、自分のドレスが十着もあるのだろう……と思いながら、彼女は公務に向かうべく、小間使いたちに身を任せた。

 

「化粧が映えますね、ファーレンハイト元帥」

 

 彼女の側を離れたフェルナーは、不調を彼女のメイクを行っている小間使いの手により、化粧で誤魔化しているファーレンハイトを笑いながら、一応は気遣う。

 

「うるさい。ジークリンデさまのご様子は?」

「食が細くて困ります。今朝は半分程度しか食事を取ってません。昨晩は食べましたけれど、それでも三分の二程度でしたね」

「どうにかしろ」

「ご心痛が原因で食が細くなってるわけですから、ご心痛の元の一つであるあなたの復帰が何より望まれます。ところで、大丈夫なんですか?」

「最長でも一週間で、復帰できるようにしろと命じている」

「精々無理してください。怪我については、隠しておきますから。ジークリンデさまがいない間、薬を大量投与して体調を誤魔化しておいてくださいよ」

「言われなくても」

 

 怪我については隠しきるはずだったのだが ――

 

「ファーレンハイト提督、ジークリンデさまに提督の怪我の度合いがバレたようです」

 

 それから四時間ほど経ったころ、フェルナーからキスリングに連絡が入った。

 

「どこで判明した?」

 

 彼女は公務を終え、昼食を取ってからゾルゲを見舞った。

 

「裁判官を見舞って、そのまま医師を呼び出し、提督の点適薬の効能、どのような怪我を負った場合に使われるのかなど、説明を求められたとのこと」

 

 軍病院は現在も軍人以外の診察、入院を受け入れていない。アンネローゼですら軍病院に運ばれなかったのだから、裁判官を入院させるわけにもいかず。

 裁判官が負傷した経緯を外に漏らしたくない彼らは、息のかかっている普通の病院に入院させた。彼女のことなので、直接見舞いたいと希望することも考慮し、何度も訪れているジークリンデ記念病院を選んだのだが、

 

「寄付の額と、ジークリンデさまの地位の前にはどうしようもないかと」

 

 寄付だけでも嘘を付こうとは思えないのに、今や近いうちに即位すると囁かれているような人物に命じられたら……結果、ファーレンハイトが非常に重い怪我を負っていることが知られてしまった。

 

「まさか薬の名前を覚えられているとは、思わなかった」

「お叱りを受けるのでしょうか」

「叱責されるのは構わんが……悲しそうにされると堪える」

 

 戻ってきた彼女は、ファーレンハイトの予想通り、悲しそうな表情で ―― 怪我について触れてくることはなかった。

 


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