黒絹の皇妃   作:朱緒

249 / 258
第249話

 アレクシアは悪びれることなく、堂々と証言台の前に立ち、護衛を兼ねているロイエンタールに椅子を引くように命じる。

 

「気の利かぬ男だ」

 

 これぞ大貴族の令嬢といった尊大な口調と、それが似合う仕草に ―― ロイエンタールは腹は立ったが、怒りを露わにするような場面ではないと、彼の貴公子然とした容姿に相応しい態度で椅子を引いた。

 ドレス姿の女性が座りやすい、かなり大きめな椅子に腰を降ろしたアレクシアは、高い位置に座っている彼女を、ベール越でも分かる程に熱い視線を彼女へと向ける。

 アレクシアの目に全く入っていないであろう裁判官が、アレクシア当人かどうかについて尋ねたのだが、

 

「アレクシア・フォン・ブライトクロイツで間違いはありませんか」

「誰の許しを得て、私に話し掛けている。私は名門ブライトクロイツの者だぞ。卑賤の者が口の端に乗せて良い名ではない」

 

 門閥貴族の常識をもって、話し掛けるなとばかりに言い返した。

 

―― こうなるとは思っていました。この裁判官は優秀ですが、帝国騎士階級の出ですから……

 

 会話を成立させるためには、自分が話し掛けるしかないと、彼女は黒い扇子を握り直し、アレクシアと対峙する。

 

「ブライトクロイツ」

「お久しぶりです、大公妃殿下」

 

 裁判官に向けた声とは全く違う、この場に相応しくない明るく弾んだ口調。それはまるで、愛する相手に向けるかのような ―― 彼女の背後に控えているキスリングは、情報を聞いていたこともあり、そう感じた。

 だが彼がアレクシアに注意を向けたのはその一瞬で、あとは緊張しているのか、それとも体調不良なのか、見ただけでは判断が付きかねぬ、赤ら顔で汗を拭いているパトリック・マルクスに警戒を払う。

 

「そうだな」

 

 彼女は傍聴席の後ろにいる副官に、この時点ではまったく目が行かなかった。

 

「今は大公妃殿下とお呼びするべきなのでしょうけれど、ジークリンデと呼ぶのを許してくれない?」

 

 彼女は目の前のアレクシアから、できる限り情報を引き出すことに専念する。

 

「全てを詳らかにするのであらば、ジークリンデで構わぬ。隠し事をするのであれば、大公妃と呼べ」

「隠し事、していいのかしら?」

「それに関しては己の良心に任せる。強制してどうなるものでもなし、自白剤などという無粋なものを使うつもりはない」

 

 アレクシアは白のレースで覆われている指をベールにかけ、上へと持ち上げ後ろへと流す。しっかりと化粧され ―― ウェディングドレス姿にはやや合わない、紫の濃いアイシャドウが塗られた目蓋を二度ほど瞬かせ、

 

「ご立派ですわ、()()()殿()()

 

 オレンジコーラルに塗られた唇で友好的に笑いながら、挑発するかのように ―― 

 

「栄誉あるブライトクロイツの令嬢に、そう言ってもらえるとは、嬉しいものだな」

 

 彼女は今は帝国の後継者の地位に就いているが、生まれは伯爵令嬢。

 貴族の序列であれば、アレクシアには及ばない。その辺りのことを、彼女は弁えており、

 

「私は公爵令嬢は務まりますが、大公妃は務まりませんわ。オラニエンブルク大公妃殿下、なにをお答えすればよろしいのですか?」

 

 アレクシアも大公妃である彼女に対し、公爵令嬢だからといった態度を取ることはない。

 

「まずは、ヘーエンリーダーは何処まで知っている?」

「何も知りませんわ。ただ私に命令されて動いていただけでございます」

 

 アレクシアと違いユーディットは、簡単に死罪が言い渡されてしまう身分なので、こうして公式に書記官が記録する場で、言質を取っておく必要がある。

 

「そうか。オリヴァーの状態は」

「既に快復しております」

 

 世の中には取引として治療してやるといい、それを反故にするような輩も多いが、輝いているアレクシアのブラウンの瞳からは、害意も感じられず。どれほどの重病であろうとも、治療して治る類いのものであれば、アレクシアの持つ資産からすればごく僅か。これは間違いなく治療を施したのだろうと、彼女は判断した。

 

―― ヘーエンリーダーも納得しているようですから、治療後のオリヴァーにも会ったことがあるのでしょう。その辺りは、量刑を軽くする材料にしま……でも、アレクシアがオリヴァーを見殺しにしていたとしても、刑を重くする材料にはならないから……

 

 ここが通常の裁判と違い難しいところで、オリヴァーを治療をしていればアレクシアは当然減刑されるが、平民の治療をしていなくとも、殺していたとしても門閥貴族であるアレクシアは罪に問われることはない。

 不公平としか言えないことだが、社会の構造上これが常識であり、ならば考慮しなくて良いかとなれば ―― 法的には考慮する必要がある。

 

―― これはもう、お父さまの領分ですわ……

 

 帝国のみならず、フェザーンや同盟の法律にも詳しかった故フライリヒラート伯爵のことを思い出した……が、ここで懐かしさに耽り、自分には出来ないと投げ出すわけにもいかないので、話を続ける。

 

「そうか。で、オリヴァーは今はどこに?」

 

 治療が施されていることを確認したかった彼女は、居場所を尋ねたが、答えは得られなかった。

 

「教えられませんわ」

 

―― ……仕方ありません。独自に調べることにしましょう

 

「分かった。では次にレーゲンスブルクのベネディクトはどこだ?」

「さすが大公妃殿下。ベネディクトのことも、ご存じでしたのね」

「本当に掴んでいたら、聞かぬがな」

 

―― アレクシアは、一体なにを考えているのでしょう……なんか……

 

 受け答えをしながら、彼女はアレクシアに対し、僅かながら違和感を覚え、それを確かめるべく、質問を続ける。

 そんな彼女の後ろに控えているキスリングは、他者には見えぬように、また彼女に注意を払いながら、パトリック・マルクスの警護を務めているリュッケに『そいつ、顔が赤く、汗を掻いているが。体調不良か? 即返信しろ』とメッセージを送る。

 受け取ったリュッケは『休憩時間に聞きましたが、昨晩深酒が過ぎたとのこと。いわゆる二日酔いのようです』と返した。

 二日酔いと言われればそれまでだが ―― 彼女がアレクシアとやり取りをしている中、ファーレンハイトに近づき『ブライトクロイツ家の私軍の内訳を、早急に知りたいのですが』と打った端末の画面を見せる。

 ファーレンハイトは手元にある、メモ用の紙に『なにを警戒している』と書いてペンをキスリングに渡した。

 それを受け取りキスリングは『マルクスが爆弾化している可能性は?』素早く懸念事項を記す。

 人間の爆弾化。

 以前子供に爆弾を装着させて、開校式で爆破したようなのとは違い、人体の組成成分のみで爆発させることを指す。

 通常行われる身体検査は簡単にくぐり抜け、かなり特殊な身体検査でも見逃すことが往々にしてある。

 特定の成分値が異常に多くとも、その日の体調であると言われてしまえばそれまで。また爆発させるために必要な成分は、決まってはおらず、本当に検出が難しい。

『できる技術者、費用どちらも持っている。可能性を考慮すべきか』

 ただ爆弾化の難点は費用。

『小官は現物を見たことはありませんが、講習の映像で見たのに似ているような、としか言えません』

 とにかく費用がかかり、また爆弾化させるのに少々時間がかかる。改造できる素体にも条件があり ―― 費用はアレクシアの資産があれば問題はなく、マルクスは素体の条件をクリアしている。後の問題は改造する時間。

 マルクスを再調査するため、ファーレンハイトは一旦休憩を入れることを彼女に提案しようとしたのだが、

 

「大公妃殿下がお聞きになりたいことは、あの下賤が知っているやもしれませぬわ」

 

 アレクシアのほうが先に動いた。

 

―― キルヒアイスの副官でしたね。話を聞こうとは思ってはいましたが……随分と体調悪そうに見えますけれど、聞かれたら困るようなことを知っていているせいかも知れませんし……少しだけ聞いてみましょう

 

 傍聴席のほうに視線を移動させた彼女は、アレクシアを戻し、やたらと汗をかいているマルクスを証言台へと呼び寄せた。

 怠そうに足を引きずりながら証言台へと近づくマルクスを警戒し、

 

「ジークリンデさま。一度、休憩を」

 

 ファーレンハイトは一度休憩を入れるよう、彼女に促す。

 彼女は頷き、証言台の前に立ったマルクスに、パトリック・マルクス本人であるかどうかを尋ね、

 

「離れていた時は分からなかったが、体調が悪そうだな。一旦休憩する」

 

 本人であると認め、証言台で嘘をつかぬと宣誓したところで、彼女は休憩を入れた。それを受けマルクスが一礼し ―― 軋む音と湿ったものが破裂し、そして水気を大量に含んだなにかが降り注ぐ音を、彼女は床に倒れて聞くことになった。

 目の前には軍服の黒に近い濃紺が広がり、覆い被さるようにして彼女を守っている。後頭部はしっかりと手で支えられているが、

 

―― え……なに……

 

 彼女は現状を理解できていない。自分に覆い被さっていたのがキスリングだと気付いた頃には、片腕で横抱きにされ、法廷の裏側に連れ出されていた。

 

「お怪我は? 違和感のあるところはありませんか?」

「え、え、ええ……なにがあったの? キスリング……」

「お怪我は?」

「痛いところは……せ、背中かしら。背もたれの端に打ったかも……キスリング、なんですか、鎖骨の下に突き刺さっている、白くて赤い……のは」

 

 状況が飲み込めていない彼女は、驚きのままキスリングの顔を見上げていたのだが、痛む箇所を尋ねられ、視線を落としたところで ―― キスリングの鎖骨近くあたりに、なにかが生えているのに気付いた。

 

―― ……骨? 赤いの血と肉? 突き刺さっているの? それとも突き抜けて……

 

「キスリング、降ろして」

「大丈夫ですか?」

 

 負傷している人間に抱きかかえられているわけにはいかないと、彼女は降ろしてくれと頼む。

 

「むしろ私が聞きたいわ。大丈夫なの?」

「この位は、怪我のうちには入りませんので」

 

 絨毯が敷き詰められた床に降ろされた彼女は、鎖骨下に刺さっているのか? それとも突き抜けているのか確認せねばと、そう言っているキスリングの背中側に周る。

 

「血だらけよ! キスリング」

 

 背中側は黒い軍服であっても変色がわかるほど。血だけではなく、臓器や肉の欠片などにまみれていた。

 

「ご安心くださいませ。この血、小官のものではございません」

「えっと、なにが……まずは助けを呼ばないと……」

 

 彼女は法廷入り口ではなく、廊下へ出ようと扉へと駆け寄り、開けようとしたのだが、

 

「ジークリンデさま。その扉は、ただいま緊急ロックがかかっておりますので、内側からは開きません」

 

 警備システムが働き、部屋から出られないようになっていた。

 

「誰か! 早く開けて!」

 

 キスリングが怪我をしていなければ、まだ落ち着きを保てたのであろうが、骨らしきものが突き刺さり、誰の者かは不明だが血まみれになっている負傷者を前に、彼女は焦り開けてと、飾り気のない黒いシルクの手袋に覆われた手を握り、ドアを全力で叩き始めた。

 ドアは襲撃にも耐えうる素材を用いた頑丈なものに取り替えられており、彼女が叩いた程度では外になにも聞こえないのだが、そんなことを知らない彼女は必死に叩く。

 

「ジークリンデさま、お止めください」

 

 そんなことをしたら、指が腫れてしまうので止めさせるべく、キスリングが背後から両手首を掴もうとしたのだが、左鎖骨の下に突き刺さっているマルクスの骨のせいで、上手く腕が上がらず。

 

「でも、早く治療しないと」

 

 だが彼女がドアを叩くのを止めそうにないので、キスリングは両手首を右手で掴み、彼女の頭上へと持ち上げ、壁に押しつけて固定する。

 

「落ち着いてください、ジークリンデさま。小官……俺は大丈夫ですから」

 

 少々乱暴で、彼女にはかなり窮屈な体勢となったが、そのおかげで彼女は少し落ち着きを取り戻し、逃げようとする真似はしなかった。

 

「…………大丈夫なのね? それで、何があったの?」

「それについては、フェルナーさんにお聞きください。来たようです」

 

 外側からしか開かない状態のドア。

 それを開けることができるのは ――

 

「ジークリンデさま、お待たせいたしました。さあ、一旦帰りますよ」

 

 フェルナーかファーレンハイトのみ。

 

「フェルナー! あなた、ずぶ濡れじゃない」

 

 ドアを開けて入ってきたのは、キスリングが言った通りフェルナーであった。

 灰色で癖の強い髪から水が滴り、軍服の上衣は脱ぎシャツ姿なのだが、それも水に濡れている。

 

「水も滴るいい男でしょう、ジークリンデさま」

 

 言いながら近づいてきたフェルナーに彼女は、解かれた腕から手袋を脱ぎ、折りたたんで顔の水を拭う。

 

「とてもいい男よ。水が滴っていなくてもね」

「ジークリンデさま。そこは笑って否定してくださいよ」

「どうして? あなた格好良いわよ、フェルナー」

「何時ものことですが、困ったお姫さまです。ジークリンデさま、少々濡れますがご容赦ください」

 

 断りを入れたフェルナーは、彼女の喪服の長いドレス裾を上手に捌き横抱きにして、廊下へと出て走り出した。

 

「キスリングが怪我を」

「すぐに衛生部隊が来ますので、心配はご無用ですよ、ジークリンデさま」

 

 そして彼女は速やかに邸へと連れ戻され、医師の診断を受けてから、事情説明は後でと言われ ―― 入浴しピアノを弾き、少しワルツの練習をし、夕食は楽団の演奏を聴きながら野菜だけのフルコースを出され、それに舌鼓を打つ。

 青いシルク製の両サイドが白いリボンでレースアップ、引きずる裾には白の絹糸でエーデルワイスが刺繍されたネグリジェに着替え、

 

「お疲れでしょう」

 

 フェルナーの腕に座る体勢で抱き上げられ、ベッドへと運ばれる。

 

「それほど疲れていません……」

 

 ここで疲れたと言ってしまえば、事情説明は明日にされてしまうと、彼女は嘘をつく。

 

「本当ですか?」

「本当よ。だから事情を説明して」

 

 彼女の体調が良好かどうか、触ると分かるフェルナーとしては、彼女はかなり疲労しており、早々に休んだほうが良いと判断しているのだが ―― 事情が分からず辛そうな視線を向けられると、他者に言わせれば「あったのか?」と問われる彼の良心が疼く。

 

「それでは」

 

 彼女をベッドに降ろし、天板にかけていたロイヤルブルーのガウンを羽織らせてから、彼女が追い切れなかったあの場の状況から語り出した。

 

**********

 

 パトリック・マルクスは、キスリングの予想通りに爆弾化していた。

 休廷を言い渡され、礼をした際に飽和状態となり、爆発する。爆発直前に骨が軋みを上げ ―― その異音に気付いたキスリングが、彼女の座っている椅子を引き倒し、彼女の体に覆い被さるように動く。

 その際に爆発したマルクスの縦に割れた上腕骨の一部が、左鎖骨下に突き刺さり、内臓や脂肪、血液などの雨を背中に受けることになった。

 その惨状を彼女に見せるわけにはいかないので、顔を自分の体に押しつけるようにするために、キスリングは腕を彼女の頭部に回し、抱きしめるようにしていた。

 キスリングは顔を上げて周囲を見て、ファーレンハイトの左腕が完全に折れているのを確認する。

 片腕が折れているファーレンハイトだが、それを気にするでもなく、ブラスターを構えて警戒しつつ、彼女を連れて下がるよう指示を出す。

 低い体勢のまま彼女を抱えてキスリングは法廷を出た。

 

 ファーレンハイトの左腕の尺骨を折ったのは、マルクスの下顎骨。それが、彼女がいる辺りに飛んできたのを腕で阻止したためである。

 彼女が下がったのを確認したファーレンハイトは、

 

「フェルナー。無事だな」

「横にいましたから。ちょっと血脂の雨を食らった程度です」

 

 赤く染まってはいるが無傷のフェルナーに、彼女を連れて邸に戻るよう指示を出した。

 

「フェルナー以外は退廷を許可せん」

「後は任せました。さっさと腕治して下さいね」

 

 フェルナーは軽やかに法廷を出ると、彼らに与えられた控え室に飛び込み、軍服を脱ぎ捨て、ウォーターサーバーのボトルを取り外し、頭から被って血肉を流し、彼女のもとへと急いだ。

 

「破裂したの……ですか?」

 

 キスリングやファーレンハイトの怪我も気になるが、本人は望んではいなかったどころか、改造されたことも知らなかったであろうマルクスに対し、憐憫の情を覚える。

 

「通常の人間爆弾とは少々違いますが、詳しいことは知らないほうがいいですよ、ジークリンデさま。こんなこと、知っているのは軍人だけでいいんですよ」

「フェルナー……ここに座って」

 

 彼女は直立不動で後ろ手状態で話しているフェルナーに、隣に座るよう光沢あるベージュのシーツに覆われているベッドマットを、整えられ薄紅色に塗られた形良い爪に彩られている手で叩く。

 

「ジークリンデさまの隣にですか? 恐れ多いのですが……失礼させていただきますね」

 

 泣き出しそうな彼女の表情を前に、固辞できなかったフェルナーは腰を降ろす。すると彼女はフェルナーの腕にしがみつき、額を強く押し当ててきた。

 落ち着くまで空いている手で、彼女の絹のような黒髪を優しく撫で ―― 睡眠導入剤で眠りに落ちた彼女の側に一晩中付き添った。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告