黒絹の皇妃   作:朱緒

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第247話

「何事もなければ、アレクシアに関しては明かすつもりはなかった」

 

 朝食後、彼女はフェルナーを連れて着替えに。

 残ったファーレンハイトは、キスリングに事情を詳細に説明する ―― 彼女がアレクシアに襲われたのはブライトクロイツ家のプールでのこと。

 大々的に改装したプールに彼女は招待された。

 当時のアレクシアは、婚約者を失った傷心の……だったのかどうか、本当のところは不明だが、彼女はアレクシアのことを心配し、少しでも気張らしになればと誘いに乗った。改装された室内プールは見事なもので、水槽の中にプール槽を浮かせ、水槽には色とりどりの魚や泳ぎ、白い砂が敷き詰められ、遺跡らしいものまで作られていた。

 

「提督。関係ないことですが、そのプールの長さは」

「五十メートルで、幅は二十五メートル、深さは四メートルほど。周囲を囲んでいる水槽は、プールの約三倍の大きさだ。門閥貴族であれば、ちょっと金をかけた程度だ」

「はあ……話の腰を折って済みませんでした。続けて下さい」

 

 平民には理解不能な規模の個人プールだが、門閥貴族の邸においては、それほど珍しい大きさではなく、金のかけようも、裕福な門閥貴族であればごく一般的 ――

 彼女はそのプールに案内され、アレクシアと二人きりで楽しんだ。護衛のフェルナーは救助に何時でも迎えるよう、また襲撃があっても応戦出来る装備をして控えていた。

 だが場所はプール。

 多少肌が触れあっていても、胸の辺りに手を伸ばしていても「水着が少しズレている」などと言われたら拒否するのは難しく、なにやら肌に触ってきているなと思っているうちに……フェルナーが出遅れた原因でもあった。

 

「では前のご主人は知らなかったのですか」

 

 彼女はアレクシアにキスされたことに関しては、秘密にしておくことにした。

 驚きや恥ずかしかったのは当然だが、前世の記憶を持つ彼女は、マイノリティに対して寛容な精神を持ち合わせている。

 この時も、それらが発動し ―― 自分はそれに応えられないが、ひっそりと、相手と心を通わせて生きてゆくのなら今回のことはなかったことにするとして。

 同性愛を悪とする帝国では、最大限の譲歩であり、相手を認める行動であった。

 

「そうだ。リヒテンラーデ公にも伝えていない」

 

 女性の同性愛という、ファーレンハイトやフェルナーにとっては全く関係のない出来事だが ―― 決して当事者になり得ない彼らは、ある一点において非常に冷静であった。

 アレクシアは女性が好きなのではなく、彼女が好きなのだということだけは、はっきりと分かっていた。

 それに気付いていなかったのは、男性から寄せられる重すぎる愛情をもあまり感知しない彼女本人。

 

「言い辛いでしょう」

「そうだ。俺たちはもちろん、アレクシアも吹聴はしなかった……諦めたとは思ってはいなかった。できる限り会わせないようにしていたのだが」

 

 その後、できる限りアレクシアに会わぬよう ―― だが完全に避けてしまうと、噂が立つので、そうならないよう最低限の付き合いをしてはいたが、親交を深めるようなことはしなかった。

 

「まさか、ジークリンデさまに会いたくて爆破ですか?」

 

 門閥貴族の刑罰を最終的に決めるのは彼女。軽犯罪であれば、次官決裁で済ませられるが、相手は名門の公爵令嬢で、被害者は元下級と平民とはいえ、名家を継いだ人物。罪状は重くなることは必須で、そうなれば「自裁を賜る」こととなり、尚書である彼女が許可しなくてはならない。

 

「そうではないと思いたいが、要人爆破テロの容疑者でもなければ、俺たちも会っていただこうとは思わん」

「……とにかく分かりました提督。ですが、今回は罪人、もしくは容疑者ですので、絶対に近寄らせません」

「期待している」

「話は変わりますが、提督にご報告があります。明日のジークリンデさまの予定、変更になりました。午前中、新無憂宮に出仕なさるそうです。メルカッツ元帥が面会を希望しているようだとか……提督、理由をご存じで?」

「おそらく、尚書兼任依頼だな」

「ジークリンデさまに?」

「そうだ。エッシェンバッハ公は地位を自分で欲し、他人を蹴落として手に入れたのだ。奪われないよう努力するのは当然。例え家族が非業の死を遂げたとしても、悲しんでいる時間などない。悲しみに浸りたいのであれば、公職を辞するべきだ。帝国臣民はエッシェンバッハ公の悲哀に付き合ってやる必要はないのだから」

 

**********

 

 暗殺の恐れが常に付きまとうため、皇帝と皇太子という存在は、あまり近くいることはない。

 まして要人テロが起こり、まだ犯人が特定されていない状況において、

 

「じくりー」

「陛下。お久しぶりにございます」

 

 彼女とカザリンが一緒にいるのは好ましくない。

 そのため、彼女はカザリンに近づかないようにしているのだが、事情を知らないカザリンは彼女に会いたくて、日々駄々をこねていた。

 無論カザリンがどれほど彼女に会いた、当たり散らしていようが、帝国を護るという観点から、それらは聞き入れられないのだが ―― 

 

「お呼び立てして、申し訳ございません」

「構いはしないわ。私も陛下にお会いしたかったですし」

 

 久しぶりの彼女に、カザリンはご機嫌で、普段ならば三輪車を漕いだり、走り回ったりと活発に動き回るのだが、今日は離れないとばかりに彼女にまとわりついていた。

 

「失礼いたします」

 

 彼女は断りを入れてカザリンの頭を撫で、それにカザリンは満面の笑みを持って応える。

 

「じくりー」

「ジークリンデまで、もう少しですわ陛下」

「かざりん!」

「はい、カザリンさま」

 

 カザリンはいつまで話していても飽きないといった状態だが、二人が一緒にいる時間が長くなると危険も増すので、ある程度のところで引き離される。名残惜しそうに、そしてまた来るよう叫びながら、カザリンは連れて行かれた。

 

「陛下の警備は大丈夫ですか?」

「はい」

 

 取り残された彼女は、その場に残っているメルカッツに、警備について尋ねた ―― 無論詳細を説明されても彼女には分からないので、しっかりと警備をしているかどうかについて聞くことしかできないのだが。

 

「それにしても用があるのでしたら、気軽に訪ねていらっしゃい。あなたは軍務尚書ですよ、通さぬはずがないでしょう」

「大公妃殿下が住まわれている御屋敷は、どうも小官には敷居が高く」

「新無憂宮のほうが高いでしょう」

「新無憂宮は任務ゆえ、それほど。それに大公妃殿下と統帥本部総長、そこに軍務尚書という地位をいただいている小官が集まりますと、必然的に危険レベルが増しますので、現状避けたほうがよろしいかと」

 

 彼女が住んでいる邸に警備として出入りしている統帥本部総長。そこに軍務尚書がやってきて、万が一狙われて両者が負傷でもしたようものなら、ラインハルトが全てを取り仕切らなくてはならないのだが、姉を失い絶望している彼にそれは無理。軍の統制がきかなくなる恐れがある。

 彼女としては負傷はもちろん嫌で、絶対にして欲しくはないが、万が一そのような状況になった際、ラインハルトの麾下の将校に地位を丸投げすれば……と思ったが、

 

―― ラインハルトの部下ですから、ラインハルト以上の地位に就けるのは……できないことはないでしょうが、色々と問題がありますね

 

「……そうね」

 

 ラインハルトの部下を奪いたいという気持ちは、今はもうないので、動乱の種をまくような真似をするつもりにはなれなかった。

 

「ただの例えですので、警備に関しては不安に思われる必要はございません。統帥本部総長が、新無憂宮に勝るとも劣らぬ警備をしております」

「そう。その辺りは、信頼しているから良いのですけれど」

 

―― そう言えば、今日も景色が見えない布陣で新無憂宮まで来ましたね

 

 本日も黒尽くめの車に取り囲まれ、到着後、廊下の両端にずらりと兵士が並んでいる間を抜けてきたことを思い出し、全力で警護してくれている彼らに心中で感謝する。

 

「大公妃殿下は帝国を継がれる尊貴の身ゆえ、我々としても幾ら警備を厳重にしても、安心できなく、御不自由をおかけすることになっておりますが、お許しください」

「それは良いわ。仕方のないことですし」

 

 彼女は一騎当千の強者でもなければ、臨機応変にして柔軟な思考で危機を脱することができるような才能などないので、警備に対して文句をいうことはない ―― 内心でやり過ぎでは? と思うことはあるが、概ね黙っている。

 このようなやり取りを経てから、メルカッツは座っている彼女の前に膝を折り、呼び出したことを詫び、そして事情を語り出した。

 

「陛下の名を使い、大公妃殿下に新無憂宮に足を運んでいただいたのは、折り入って頼みがありましてのこと」

 

 メルカッツに同行している副官のシュナイダーと、いまだ預かりのプレスブルクが側におり、宮廷内の侍女などは下がった。

 

「言ってみなさい」

 

 彼女の側から護衛が離れることはなく、座っている椅子の背後と両脇、そしてやや斜め前に立つ。

 

―― 一人で絹のクッションを敷き詰められた、純金製の椅子に座っているのって辛いわ……

 

 内心は辛い状態の彼女だが、その座っている姿は完璧で、表情は穏やかで、ただ座っているだけなのに、その姿は優雅の一言につきる。

 一世紀以上前に作られた技巧を凝らした椅子ですら、彼女が今日このドレスを着て座るためだけに誂えられたかのようであった。

 そんな完璧な彼女に、メルカッツが依頼したのは、ファーレンハイトが予想した通りの厄介事。

 

「財務尚書の地位を、大公妃殿下が預かってくださいませぬか」

 

―― これ以上私に尚書を務めろとか、虐めですか! 虐めですね!

 

 そうは思ったが、まさかそのまま言うわけにも行かないので、彼女はぐっと堪えて口元を総黒檀の扇子で隠し、理由を尋ねた。

 

「理由を聞かせて」

 

 メルカッツが語るには、財務尚書であるラインハルトは現在傷心で、まともに職務を遂行することができない状態にある。

 現在は財務次官が代わりに業務を執り行っている ―― まだ事件から三日しか経っていないのだが、復帰の目処が立っていない。

 今は財務次官が仕事を回しているが、そろそろいつ頃戻るかを決めてもらわねば、財務省だけでなく、様々な省庁が困る。

 

「悲惨な事件だとは思います。心が癒やされるまで、相当な時間もかかることでしょう。ですが、エッシェンバッハ公は地位のある公人です。公はその責務を果たすべく、早急に職務に復帰せねばなりません」

「そうね。公は私のように部下に任せて楽をするような方ではありませんから、公がいないと問題が累積してしまうのでしょう」

「はい。小官は関係のない立場にいるつもりでしたが、これを機にエッシェンバッハ公を退官させ、軍人の手より政治を取り戻そうとする文官官僚派と、一度手に入れた権力を手放してなるものかとする軍官僚派が動き始めておりまして。エッシェンバッハ公の復帰が何時になるか分からないため、小官に財務尚書を兼任させるような動きもございます」

 

 彼女は”権力闘争って大変ね”思うと同時に”それほど尚書になりたくば、私が持っているのをあげます”と、声を大にして叫びたくなったのだが、貴婦人たる彼女、叫ぶどころか、声を漏らすこともできない。

 

「……メルカッツも大変ね」

 

 やっとの思いで口にすることができたのは、彼を労る一言であった。

 

「いいえ、小官は非才で、戦うことはできますが、政治に関しては門外漢。財務尚書など務まるはずありません」

「私でも尚書が務まるのですから、それほど難しく考えなくても……とは思いますが、あなたの言いたいことは分かります…………財務尚書の問題は、私に預けておきなさい。悪いようにはしません。あなたに尚書が渡るようなこともしませんから」

「まことにありがとうございます」

「そう言えばメルカッツ。宇宙艦隊司令はどうなっているのですか?」

 

 彼女は軍については、極力口を挟まないようにしているが、このような状態 ―― 長官は自失状態で、副長官は重体で治療中ともなれば、聞いておく責任があるだろうと水を向けた。

 

「それに関してはご安心を。統帥本部総長が臨時で預かっております」

「ファーレンハイトが?」

「はい」

「あれは私が持っている全ての武力を預けている男ですよ。それに更に宇宙艦隊の全てを握らせるのは、良くないのでは?」

「反対意見はありませんでしたな。なにせ統帥本部総長は大公妃殿下に忠実ですので」

 

―― 私に忠実でも、私がゴールデンバウムの忠実ではない場合を考慮して……

 

 いつか裏切りますよと、彼女は思うも、今までの彼女の態度から、王朝を裏切るとは誰も考えることなどできない。

 

「あなた達がいいのなら、構いはしませんが」

 

 この時、彼女はまさに帝国の宇宙艦隊全てを手に入れた ――

 

**********

 

「わたくしめを……で、ございますか?」

「そうだ」

 

 財務尚書の一件は早急に手を打たねば、尚書四つを兼任させられ「帝国宰相」の呼び声まで出てきそうなので、彼女はとにかく急いで、他に任せられる人物を選び、その者に押しつけることにした。

 

「わたくしめは、工部庁の長官として」

 

 彼女が選んだのはシルヴァーベルヒ。才能もあり、それなりに野心のある男に、機会を与える名目で、面倒を丸投げすることに。

 

「兼任せよ。たかが庁の長官と省の尚書だ。帝国宰相を目指すのであれば、この程度のこと兼任できねば、話にならぬ」

「……」

 

 いきなり国務省に呼び出され、ラインハルトが復活するまで、すぐに復帰したとしても、最低一ヶ月は尚書の代理を務めよと命じられたシルヴァーベルヒは、まずはその明晰な頭脳をフル回転させ、言葉を選ぼうとしたのだが、

 

「期間限定の代理だ。良い経験になると思うが。怖じ気づいたか? だが説明だけはしてやろう。財務尚書の代理を務めている間は、お前の独自路線は打ち出してはならぬ。公が決めたことを踏襲せよ。それで受けるのか? 受けないのか?」

 

 彼女は待たず、即断即決しろと ―― 冷静になって考えられて断られると、最悪彼女自身が引き受けなくてはならなくなってしまうので、とにかく急かして受けさせるよう、強い口調で迫る。

 

「……」

「なにを黙り込んでおる。この私が、帝国の後継者たる私が、選択を許可しているのだぞ。どれほど私がお前に期待しているか、分からぬのか」

「お受け致します」

「よろしい」

 

 優雅に微笑む彼女。その美しさと可憐さにシルヴァーベルヒは息をのみ、吐き出すのを忘れるほど。

 

―― やりました! 尚書代理を手に入れました! ……さて次は、キスリングが用意してくれたアレの配置です

 

 そんな彼女の美しさに、その武器とも言える頭脳が蕩けそうになっているシルヴァーベルヒに、彼女は必要なものを付けてやることにした。

 

「仕事については信頼しておる故、心配はせぬ。して、お前、要人警護の経験は?」

「は? わたくしめは、根っからの文人でして」

「知っておる。私はお前に要人を警護した経験を問うたのではなく、要人として警護された経験はあるかと聞いたのだ」

 

 長官も高官だが、尚書はそれの比ではない。

 まして軍官僚派閥や、文官僚派閥が我が手にと狙っている地位。

 

―― 爆破テロで亡くなる可能性も……精一杯フォローしましょう

 

 その上、彼女の中では死亡フラグが立っている人物。大事な人とまでは言わないが、知り合いは出来れば守りたいのが人というもの。

 そこで彼女はかなりの手練れを警護のために用意した。

 

「それは、ありませぬが」

「そうか。ならば丁度良い、入れ」

 

 彼女の号令を受け、兵士が扉を開け ―― 入室してきたのはシェーンコップ。

 

「警護だ」

「亡命者では?」

「亡命者ではない、ただの俘虜であり、私の一門の末端であり、皇統において親戚やもしれぬ」

 

 驚いているシルヴァーベルヒに、尚書の座を狙っている一派について説明する。

 

「現状において、帝国軍よりも、この俘虜とその一党のほうが信頼できる」

 

 彼女の私兵という手もあったのだが、彼女の私兵が、彼女を尚書にしようと望まないとも限らない。そこで彼女は、戦闘能力については文句の付けようのない、シェーンコップを選んだ。

 

「御意」

 

 人間性や扱い辛さについては、この際考慮していない ―― というより、シェーンコップくらい従わせられなければ、尚書は務まらないだろうと。

 

「この男、扱いづらいと評判だが、お前も文官の頂点を狙うのであれば、この男くらい従わせられねばな。もっとも私はこの男、扱いづらいと思ったこともなければ、反骨心など持ち合わせてもいないように見ておるが。お前はどうだ? シルヴァーベルヒ」

 

 シェーンコップと目があったシルヴァーベルヒは、声は出さぬがその獰猛な笑い顔を見て ――

 

「それは大公妃殿下の徳にあらせられます」

 

 シェーンコップを上手く操るのは早々に諦めた。


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