黒絹の皇妃   作:朱緒

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第246話

「戻った。……ああ、尋問中か」

 

 フェルナーが副官のパトリックを尋問している部屋に、本来の主であるファーレンハイトは気のない挨拶をし、尋問を受けている副官の横を通り抜け、椅子に腰を降ろした。

 

「会ってくれましたか?」

 

 尋問中の副官を置き去りにし、二人は会話を始める。

 

「もちろん。ジークリンデさまの使者と名乗ったら、正面玄関から案内され、豪華な応接間に通され、椅子まで勧められた」

「良かったですね。それで、首尾は?」

「出頭に了承してくださった」

「明日ですか?」

「いいや、四日後。ジークリンデさまも同席してくださるようにとのこと」

「そうですか。場所はここですか?」

「場所というより、エッシェンバッハ公に言いたいことを言わせない限り、証言はしてやらないとのことだ。公が来られるならここで、そうでなければ滞在中の邸の方に」

「なにかご存じなんでしょうかね?」

「それは分からんが、行列に女の地球教徒が混ざっていた」

「あなた、いつの間に一目で信仰を見分けられるようになったんですか?」

「メイドの格好をしていたら分からんが、ローブを被って首から”地球を我が手に”と書かれたストラを提げていたら、誰にでも分かる」

「おや、アレクシアさまの近辺に、そいつらの気配はなかったはずですが」

「お前が調査している頃はな」

「最近ですか」

「そうらしいが、はっきりとした答えはもらえなかった。パトリック・マルクス中尉。卿がつきあっているアレクシア・フォン・グンデルフィンゲンとは、これか?」

 

 ファーレンハイトは端末に、癖のない金髪でセミロングの女性の写真をパトリックに見せた。

 そのパトリックの驚きぶりに、見せた側は納得し、フェルナーの方に画面を向ける。見せられた方は、”誰ですか、それ?”と共に、

 

「貴族には見えませんが」

 

 根本的な疑問を口にする。

 この二人は門閥貴族の女性の八割弱は直接見たことがあり、ほぼ十割の顔は押さえている。その彼らからすると、顔を知らないのも怪しいが、なにより顔だちが門閥貴族ではなかった。

 ”どう”とは二人とも表現できないのだが、門閥貴族とそうではない者の顔だちは、明らかに違う。

 

「三ヶ月ほど、貴族の礼儀作法を仕込んだ娼婦だとのこと」

 

 五百年ちかく近親結婚を繰り返しているのだから、それ以外とは違う特徴が出てもなんら不思議なことではない。

 

「やっぱりそうでしたか。毛髪は似ていますが、それ以外は特に似ているところはありませんね」

 

 下級貴族ともなればまた事情は異なるが、グンデルフィンゲン子爵を名乗る人物の顔だちではない。

 

「まあな」

 

 二人の会話に、パトリックは思わず身じろぐが、周囲の警備に肩を強く掴まれ、動きを止めた。

 

「アレクシアさまがいらっしゃらないのでしたら、ここで尋問する必要もありませんし、今日は終わりましょう」

「パトリック・マルクス中尉は証人として身柄を拘束しておけ。警備も付けろ」

 

 疑問だらけのパトリックを退出させた。

 

「副官の女についてまで、目が届かなかったようだな」

「恋人というよりは、愛人のような。栄達したら有力者の若い娘と結婚するつもりだったようで。そのために、周りにも知られないようにしていたようです」

 

 フェルナーが短時間しかなかったとは言え、容姿まで手に入れることができなかったのは、交際を知られたくないと考えていたパトリックが隠していた為であり、その理由はフェルナーが語った通り。

 たしかにキルヒアイスの副官となったのだから、出世の道は開けていた ―― 今はもう閉ざされてしまったが。

 

「どのような未来設計をしても構わんが、結果いいようにされただけか」

「騙し合いという勝負に負けたのですから、仕方ないでしょう」

 

 パトリックは騙しているつもりで、アレクシアの名を騙っていた女に騙されていた。その女は騙していることを知っているのか、本当のアレクシアに騙されているのか? 現時点では分からない。

 

「パトリックに処分についてだが、軍規に照らして処分すべきか、政治的判断として葬るべきか」

 

 軍規に照らした場合は処刑とまではいかないが、余計なことを知っている場合は流刑などで済ませるとはいかず、処刑しなくてはならない可能性が出てくる。

 

「アレクシアの出方が分からない限り、どちらとも言えませんね。なにより、アレクシアをどう処分するのか」

 

 パトリックに関してはファーレンハイトの一存でどうにでもできるのだが、門閥貴族となると、典礼尚書たる彼女が判断を下さなくてはならない。

 

「アレクシアの処分はジークリンデさまの領分だ」

「黒幕がアレクシアだった場合、それを知った宇宙艦隊司令長官閣下が引くかどうか」

 

 フェルナーが面白そうに口の端を歪める。

 

「失礼します」

 

 そんな話をしていると、副官が端末を抱えてやってきた。

 

「どうした? ザンデルス」

「色々とご報告がありまして」

「おい、ザンデルス」

「なんですか、提督」

「お前、変な女と付き合ってないだろうな」

 

 部下のプライベートに関しては、触れないファーレンハイトだが、キルヒアイスの一件を受けて、そうも言ってはいられない。

 

「ご安心を。副官に就任して以来、上司にこき使われて、そんなことにうつつを抜かしているような余裕はありませんので。身辺調査でもなんでもどうぞ」

「そうか。連絡とはなんだ?」

「つい先ほど、シューマッハ大佐から”ジークリンデさまが、お前たちのことを心配しているので、お休み前に一度戻ってくるように”とのこと。他は急を要するものはありませんが、エッシェンバッハ公の邸に立ち寄った際、警備を担当しているコルネリアス・ルッツ中将の瞳が藤色だったと、キスリングから報告がありました」

 

 ”そうなるのではないかと推測はしていたが……”

 今回のラインハルトが滞在している邸の警備についてだが、ファーレンハイト側から一つ指示が出された。

 それは妻帯者と子持ちは接触させいないように ―― ミッターマイヤーとワーレンは近づけるなというもの。

 そこで独身の三名で、ローテーションすることになったのだが……

 

「お顔を拝見させていただくか」

「そうですね。アレクシアのこともありますし」

「では地上車を回します」

「ところでアレクシアは、何をしたかったんでしょう、地球教徒まで側において」

「さあな。あの女は、想像もつかん」

 

**********

 

 キルヒアイスの実家跡の視察と、ベネディクトがいたと思しき証言を得た彼女は、彼女はラインハルトが滞在している邸へと地上車を向かわせた。

 彼女としてはラインハルトが会っても良いと言うまで、会うつもりはないが、放置しておくつもりはなく、できる限りまめに足を運んで、身辺を守っている者たちから現状を聞くなど、できる限りのことをするつもりであった。

 ラインハルトがアンネローゼの遺体とともに滞在している彼女の邸は、新無憂宮からはやや離れたところにある、貴族しか居住することが許されない区画に建っている邸で、道路に面していない三方向に隣接する邸などもない。

 邸は彼女がオーディンで所持しているものにしては小さめだが、無論小さくなどはない。見た目はかのアゼールリドー城によく似ているが、屋根の色は鮮やかなグリーンである。

 正面門を通り抜け、道の両側に広がる庭を彼女は眺め ―― もう少し手入れをしたほうが良いなと思うも、現状では業者を立ち入らせるわけにもいかないので、殺風景ではないが、どこか寂れた感じのする庭をそのままにしておくしかなかった。

 正面玄関前に停車しドアが開き、整列している兵士たちの間をゆっくりと歩き邸内へ。

 

「今日の警備責任者はルッツですか」

「はい」

「花は届いて居ますか?」

「届いております」

「案内を」

「御意」

 

 ラインハルトの警備を担当している直属の部下ルッツに声を掛け ―― 花を用意させておいた部屋へと案内させる。

 邸内は彼女が訪問すると知らせがあったこともあり、どこも暖かいのだが、どうしても室内の空気は重苦しく冷たさを感じさせる。

 

「部屋から出た際に、少しでも気晴らしになれば」

 

 彼女は息苦しい空間に、目立たぬ場所に丹精込めて花を生け、僅かばかりの安らぎを作る。

 

「この辺りに閣下はお越しになりませんので、移動させましょう」

「あなた達の目に入るでしょう。少しでも楽しんでもらえると嬉しいわ」

 

―― 今のラインハルトには、何をしても気晴らしにはなりませんからね

 

 時が癒やしてくれるというのは、嘘ではないことを彼女も身を以て理解してはいるが、時だけが全てを癒やしてくれるわけでもないのも知っている。

 どのような言葉をかけられても、その言葉が理解できない ―― 難しい言葉ではないのだが、言葉が分かっても理解できず、上滑りしてどこかへと消えてしまう。

 

「明日の邸の警備は誰?」

 

 彼女はかつて自分がそうしてもらったように、ラインハルトが立ち直れる時間を作るため、一層の努力をしようと ――

 

「ケスラーになっております」

「そう。先ほどまで、ケスラーとは一緒にいたのよ」

「お供できて、喜んでいることでしょう」

「そうかしら?」

「それに関してはこのルッツ、絶対とお約束できます」

「あなたにそこまで言われたら、信じないわけにはいかないわね。その次の警備は誰?」

「ミュラーです。此方の邸の警備は、我ら三名で行いますので」

「分かりました。ルッツ、あなたは好きな花ある? 次あなたが担当の日にはあなた好みの花を飾るわ」

 

 他愛のない話をし、警備に当たっている部下たちに数名に声をかけて、明日何を用意しようか等を考えながら、景色が全く見えぬ車窓から外を眺めた。

 

―― 早く犯人見つかって欲しいわ

 

 キルヒアイスが入院している軍病院にも寄り、治療の進捗等についての報告を聞き、姿は見えないが治療器の前まで足を運び、軽くそれに触れ、

 

「早く治って貰わないと……」

 

 意識のないキルヒアイスに届かぬ声を掛けた。

 

 帰宅した彼女はいつも通りに過ごし ―― 僅かに湿っている髪を下ろしたまま、刺繍をしながら、近況報告を受ける。

 事件の調査報告などはまだ入っておらず、専ら通常の行政業務 ―― オーディンだけではなく、地方行政関連、宇宙船航行の安全、株価の動向等。

 どれも彼女が判断を下す必要もなければ、責任を取る必要もない出来事で、オーベルシュタインが部下を使い滞りなく行っていた。

 最後にリュッケが直接やってきて「陛下がジークリンデさまに、お会いしたいようです」と。

 側にいたシューマッハやキスリングは「陛下は何時もジークリンデさまに会いたいと言っているだろうが」と思ったが、何も言わなかった。

 要人暗殺を受けて、現在新無憂宮の警備は厳重で、それらをメルカッツが担当している。

 メルカッツが指揮担当することになった理由は、彼の近辺にいる者が暗殺の対象になっていないことが大きい。

 

「警備は良しと言っているのかしら? リュッケ」

「はい。メルカッツ元帥も、是非ともお越しにと」

「分かったわ」

 

 彼女はどちらかと言えば、暗殺対象側に近い人間なので、新無憂宮に近づかないようにしていたのだが、警備を指揮しているメルカッツがどうぞと言うのならば ―― むしろメルカッツが会いたいようなので、足を運ぶことにした。

 

「リュッケ」

「はい」

 

 退出しようとしているリュッケに、彼女は声をかける。

 

「メルカッツに伝えなさい。何時でも面会くらい受けると」

「あ……あ、はい」

 

 彼女の台詞に、明らかに動揺した表情を浮かべ、ぎこちなく答え、ぎくしゃくとした動きでリュッケは彼女の前を辞した。

 

「メルカッツも軍務尚書なのですから、気にせず出頭命令を出せばよいものを」

 

 刺繍していた手を止めて、刺繍枠ごと膝の上に置きシューマッハに手を伸ばすと、彼は”どうぞ”と白葡萄ジュースが入ったグラスを手渡し、

 

「メルカッツ提督はご性格からして、とても出頭命令を出せるようなお方では。なにより、軍務尚書と言えども帝国の後継者を呼びつけるのは」

 

 彼女本人は若干忘れがちだが、彼女は銀河帝国の次の皇帝の座に就くことが公式に決まっている立場の存在。

 そのような人物に出頭命令を出すなど ―― あり得ないことである。

 

「そんなものかしら?」

「あまり聞いたことは、ございません」

「そう」

 

 彼女は半分ほど飲んだグラスをシューマッハに渡し、刺繍を完成させて枠を外す。

 

「シューマッハ」

「なんでございましょう」

「爆破に関して、なにか報告は?」

「まだ何も届いておりません」

「そう。調査は進んで……いるのでしょうね」

「はい。ジークリンデさまの宸襟を悩ますことは、早急に片を付けるのが彼らの使命でございますので。少々お待ち下されば、ただいま聞いて参ります」

 

―― 宸襟ってシューマッハ……私は天子でもなんでもありませんよ

 

「聞かなくてもいいわ。戻って来た時に聞きますから……いつ頃戻ってくるかは知りませんけれど」

「畏まりました」

 

 席を外したシューマッハは、二人に連絡を入れ ――

 

**********

 

 翌朝 ――

 

 昨晩帰宅した二人に、話があると言われた彼女だが、とりあえず二人に休むよう、話は明日聞くと言い、

 

「アレクシアがですか?」

 

 朝食のエッグスタンドに置かれた半熟卵をスプーンで口に運び、話を聞き遠縁のアレクシアが関係していることを知らされた。

 

「はい。三日後に全てを語るとのことですが」

「私もその場にいなくてはならないと」

「お嫌でしたら、同席せずとも結構です」

 

 ファーレンハイトが優しげな笑みと共に気遣う ―― ただし、同席しない場合アレクシアは事実を喋らないので、公爵令嬢に自白剤大量投与コースとなる。

 さすがにそのくらいのことは、彼女も分かるので、会わないという選択肢はない。

 

「個人的には会いたくはありませんが。そうも言ってはいられません……キスリングには事情を説明しておきましょう」

 

 だが会えば確実に真実を語ると信じられている。

 

「キスリング」

「はい、なんでございましょう、ジークリンデさま」

「アレクシアにキスされないように、守って」

「……誰がアレクシア嬢にキスされるのですか?」

「私……です」

 

 過去アレクシアに強引にキスをされた、それは親愛の情などではなく ―― ただ男女の愛とも違うが……とにかく許可も得ず、夫のいる女性(この頃は男爵夫人)に、性的としか表現のしようがない口づけ、耳元で愛を囁いてきた。その時のことを思い出すと、彼女はなんだかよく分からない気持ちと、それ以上に怖さがひたひたと迫ってくる。

 

「アレクシアはジークリンデさまのことを愛している。私もよく分からないが」

 

 隙を突かれて彼女の唇と口内を奪われた際、警備を担当していたフェルナーが腹立たしげに自分の髪を毟るようにして言い捨てた。

 

「それは、会わせたくないですね」

 


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