黒絹の皇妃   作:朱緒

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第245話

 西苑関連のことは知らない二人は、話が見えてはこないが、特に口を挟むことなくファーレンハイトとフェルナーの会話を聞いていた。

 そうしていると、宮内次官のハルテンベルク伯より、オーベルシュタインに連絡が入った。オーベルシュタインは黙って聞き、最後に「許可する」とだけ言い、通話を切った。

 

「グリューネワルトの実家に、不審人物がいたもようです」

 

 彼女があの場で老夫婦から聞いた話を、詳しく調査するために、ケスラーが宮内省にベネディクトに関する書類を全て開示してほしいと依頼した。

 ハルテンベルク伯は宮内庁内ではかなり自由があり、己の裁量で判断することを許されているが、他の管轄からの依頼に対しての決定権はないため、それらを所持しているオーベルシュタインに早々に連絡を入れ許可を得てから ―― ケスラーが希望している情報を渡した。

 一緒にいた彼女に直接依頼すれば、すぐに済みそうだが、そこは神聖不可侵の皇帝が支配する銀河帝国。たかが平民中将が、公衆の面前で大公妃から許可を得るなど以ての外。

 

「なぜハルテンベルク伯のところに?」

「ジークリンデさまが、その者はベネディクトではないかと仰ったそうです」

 

 ベネディクトの容姿を思い出し、

 

「テロ関係者の中で、グリューネワルトを偽るのに、もっとも適しているな」

 

 可能性は高いだろうと頷く。

 

「ベネディクト、死んだかもしれません」

 

 同じ報告を聞いたフェルナーは、舌打ちをして悔しがる。

 

「どうした?」

「ベネディクトって、元はアレクシアの取り巻きの一人だったそうで」

「アレクシアは金持ちだからな」

 

 そしてベネディクトは容姿が優れた、貧乏門閥貴族。金につられて、アレクシアの周囲に侍っていたとしても、なんら不思議ではない。

 

「例の事件の後、新しい婚約者捜しとなったわけですが、ベネディクトはアレクシアさまを、振ったそうです」

「アレクシアからの誘いを断ったと。ただでさえ、苛烈な性格なのに、それでは容赦しないだろうな……一石二鳥を狙って、見事成し遂げたわけか」

「確証はありませんけれどね。ファーレンハイト、アレクシアさまにお越しいただけないか、お伺いを立ててください。一応統帥本部総長ですから、きっと話くらい聞いてくれますよ。最悪、お力をお借りするしかありませんが」

「ジークリンデさまのお力な……ジークリンデさまには報告しなくてはならんからな。俺は先触れとして行ってくる。後は任せた」

 

 副官に外出すると連絡を入れ、自らの執務室から出てゆく。

 

「誰なんだ? アレクシアってのは」

 

 彼女が少々インテリアに手を加えたものの、相変わらず使われていない部屋と間違えられそうなほど簡素な元帥の執務室に残された三名のうち、事情が分からない一人であるキャゼルヌが、肩をすくめて”どうぞ”と”嗤った”フェルナーに、誰にところに行ったのだと尋ねた。

 

「現在でもそこまでの勢力を保っている、五年ほど前に婚約者がいたアレクシアとなれば、ブライトクロイツ公爵の姉か?」

 

 オーベルシュタインは脳裏で貴族年鑑の上位から思いだし、門閥貴族としては適齢期をとうに過ぎている女性の存在にいきあたった。

 

「ご名答ですパウルさん」

「ブライトクロイツ公爵家ってのは、ジークリンデさまの親戚じゃなかったか?」

「そうですよ」

「資金調査だが、ジークリンデさまに近いやつらは、調べてなかった。再調査する」

「お願いします」

「どの程度、調べればいい?」

 

 遠縁ながら彼女の親族なので罰するのかどうか? 下手に罰して、彼女にも被害が及ぶのは、キャゼルヌとしても本意ではない。

 

「全てを明らかにしてください。握り潰すにしても、こちらが主導権を握るためには、情報は多数あったほうがいいので」

「分かった」

 

 二人の会話が終わったところで、

 

「そのアレクシアは、アンネローゼに何をされたのだ?」

 

 オーベルシュタインが彼らが”そう”考えた理由を尋ねた。

 

「アンネローゼはアレクシアや現ブライトクロイツ公爵ディートヘルム、この二人の命を救いました。皇帝にお願いしてね」

「二人がなにかしたのか?」

「二人はなにもしていませんが、アレクシアの婚約者が、連座クラスの事件を。ちなみにアレクシアの婚約者は従兄です」

「なにを?」

「寵姫暴行未遂。話が話なので、ジークリンデさまのお耳には入れてません」

「……なるほど」

 

**********

 

 遡ること約五年 ――

 

 フェルナーにしては珍しく、呼ばれてもいないのに国務尚書であるリヒテンラーデ侯に会うために省まで足を運んだ。

 警備や受付やフェルナーの顔を見て、リヒテンラーデ侯が呼び出したのだろうと考え、何も聞かずに通す。

 ”それで良いのか、警備”

 ザルにも程があると思うが、フェルナーはそれらに口を挟む立場ではないので、悠々と広い廊下を歩き、誰にも止められることなく執務室前までやってきた。

 扉の前には二名の兵士が警備にあたっているが、この二人も特になにを言うでもなく、敬礼してフェルナーが入るのを止めなかった。

 礼儀知らずな訪問者に秘書官たちは驚いたが、部屋の主であるリヒテンラーデ侯はちらりと見たが、すぐに書類に視線を戻す。

 フェルナーは大きな執務机の側に行き、敬礼をした。

 

「閣下、改めてお聞きしたいことがあります」

「なんだ」

 

 リヒテンラーデ侯は視線を向けはしなかったが、帰れとも言わなければ、無視を決め込むこともしなかった。

 

「忙しいと言われないのですね」

「貴様はジークリンデのこととそれ以外のときでは、随分と表情が違うからな。全くもって分かりやすい犬だ」

「さすがは国務尚書閣下。では私が人払いをして欲しがっているのも、お分かりでしょう」

 

 リヒテンラーデ侯は、秘書官たちに下がれと手で合図を送り、書類を右脇に伏せて置き、針のような視線を向けた。

 

「それで、なんだ?」

「私はジークリンデさまの身辺だけを守っていれば良いのでしょうか?」

 

 フェルナーの一言に、帝国の政治と皇室の雑事を担っている頭脳は、すぐさま答えをはじき出し指示を出す。

 

「手隙であれば、グリューネワルト伯爵夫人の身辺を守ってやれ」

「さすが閣下、話の全容は分からなくても、指示は完璧ですね」

「それで何があった?」

「今のところは何もありませんが、近々狼藉を働きそうなのが一名。若い典礼省の高官です」

「名は?」

 

 フェルナーの危険を察知する能力を評価しているリヒテンラーデ侯は、証拠などは求めなかった。なによりこれは、事件が起こってからでは遅い。

 

「カールさまです」

 

 カールはよく使われる名だが、若い典礼省の高官で、皇帝の寵姫に邪な感情をもち、実行しそうな人物となれば、リヒテンラーデ侯にとって推察するのは簡単である。

 

「ブライトクロイツの縁者か」

「はい。なので、どうしたものかと」

 

 ブライトクロイツが彼女の縁戚なので、どのように扱うのか? フェルナーは前もって聞きに来たのだ。

 

「陛下に畏怖と尊敬を持たぬ、藩屏と呼ぶに相応しくない者が多くて困る」

 

 皇室の権威低下を招いた皇帝は、門閥貴族からさほど怖がられてはいない。ただ怖がられていないだけならばまだ良いのだが、長じて軽んじるものも現れる。

 そうならぬよう振る舞うのが皇帝の責務だが、フリードリヒ四世にそれを言ったところで無駄なのは誰もが知るところ。先代皇帝の叱責ですら治らなかったのだ、もはやソレは不治の病である ――

 

「閣下も大変ですね」

 

 もしも室内に他者がいたら、上面にも程があると、見ているだけで背筋が寒くなりそうなフェルナーの態度だが、言われる方は、この程度のことは気にならない。

 

「お前は他人を気遣うような言葉は言わぬほうが良いぞ」

「気を付けますが、改善はしないでしょうね」

「ふん、面の皮の厚い男だ」

「閣下ほどではございません」

 

 不貞不貞しい男は、用は済んだので退出しようとリヒテンラーデ侯に頭を下げたが ―― 

 

「陛下は控え目で優しい女を好む」

「はあ」

「だが本当に控え目でなくともよい。優しいような感じでよい。例えば極刑が相応しい者を”お許しに”と言うような。殺さなくてもよい人間を殺すのも、殺すべき人間を助けるのも、どちらも権力の間違った使い方だが、後者の方は受けはよい。誰にとは言わぬが」

 

 独り言に近いものだとは感じたフェルナーだが、下げた頭を上げて姿勢を正し、言わんとしていることを読み取ろうと、痩せぎすで頬骨が目立つ顔に、浮かぶことが少ない表情を探る。

 

「そうですね」

「陛下は可憐な女を好む」

「存じております」

「グリューネワルト伯爵夫人は可憐であろう」

「そうかもしれません」

「ジークリンデは可憐だな」

「そうかもしれません」

「高貴な庭には花が必要だ。その花が踏みにじられたら、新しい花を用意せねばならぬ。それが他人の庭に咲く花であってもな」

「植え替えたら、枯れてしまうかもしれませんよ」

「花が枯れるのは見たくないか?」

「はい」

「では、することは分かるな」

「畏まりました。お忙しい閣下の時間をこれ以上いただくわけには参りませんので。失礼いたします」

 

 フェルナーが退出すると、リヒテンラーデ侯は机の引き出しを開け、パーティーの招待状の束を取り出し、フルール・ド・リスが金箔押しされた封筒を抜き出す。

 出席するつもりがなかったので、封も開けずに放り込み、後日纏めて処分するつもりだったのだが、彼が記憶しているアンネローゼの外出予定リストに、ブライトクロイツ公爵家で開かれるパーティーがあったことを思い出し、急遽出席することに決めた。

 

 

 当主が皇帝を軽んじていると、一門の者も当然それに従う。

 皇帝を軽んじていれば、その寵姫などもっと低い存在であり、それが下級貴族出ともなれば見下しの対象でしかない。

 華やかなことに背を向けているアンネローゼだが、背を向けるだけの理由がある。冷笑や蔑みを持って迎えられる場に好んで向かうものはいないだろう。

 

「離してください」

 

 美貌は武器となるが、武器は上手く使えなければ、自らの身を傷つけることになる。

 いつものように招待を受けたが、冷笑に囲まれ一人過ごしていたアンネローゼは、いつも会場の外れにおり、その日も一人庭を眺めていたところ、主催者の親族だと名乗るカールに声を掛けられ、気付くと人気のないところに連れ込まれ腕を強かに掴まれ、壁に押しつけられ誹謗を受ける。

 それに対してアンネローゼが反論することはなかった、これらに対してなにを言っても無駄であることは分かっていた。

 ただアンネローゼが考えていたのは、助けを呼んで誰か助けてくれるだろうか? というもの。

 逃げられないかともがいてみるが、男の手が解ける気配はない。

 ”陛下がお許しになりません”そう言うのは簡単だが、相手がそれを信じるかどうか。また、皇帝の寵愛が不変のものであるとも思っていない、このような出来事で早急に皇帝が興味を失うことも考えられる ―― ラインハルトは姉は皇帝の権力に守られていると考えていたが、あの皇帝が生きている間は姉だけを側に置き続けるというのは、彼らにとってアンネローゼが至高の人だからこその思い込みの部分も大きい。

 

「初めましてカールさま。小官はフェルナーと申します」

 

 アンネローゼが助けを求める前に、どこからか現れたフェルナーが、カールの腕を掴み引きはがす。

 

「貴様! 私を誰だと思っている!」

 

 話をしたことはないが顔見知りで、悪意を向けてくることのない相手の登場にアンネローゼは安堵する。

 

「門閥貴族の方を止めると、毎回聞く台詞ですね。問答集でもあるんですか?」

「私を侮辱するのか!」

 

 ”また同じ台詞だ。精神構造の問題か?”お決まりの台詞を聞きながら、早く自分の背後でこちらを見ているリヒテンラーデ侯やオッペンハイマー憲兵総監に気付いてくれないかな……と軽く考えながら、相手の神経に障る笑い顔に、愉快そうな声で話し相手を務める。

 

「いえ、侮辱はしておりません。ただ逮捕するだけです」

「貴様が何を言ったところで、誰も信用はせん!」

「私は命じられて止めただけです。あとはあちらの方々とお話を」

 

 この日、フェルナーは彼女のお供ではなく、リヒテンラーデ侯の随員として会場を訪れていた。

 

 フェルナー相手ならば、門閥貴族の力でねじ伏せられると考えたカールだが、リヒテンラーデ侯と憲兵総監の登場に、顔色を失い、あとは老獪な政治家が片手間に仕上げたシナリオ通りにことが運んだ。

 

 事態は大事であるが、醜聞でもある。

 寵姫が襲われたなど、公にして良いことはなにもない。

 そこで極秘裏に処理が行われることになった。カールとその家族は処刑。彼ら一門の当主たるブライトクロイツ公爵家の当主一家も処刑の対象となった。

 監督不行届ということもあるが、カールが当主の長女であるアレクシアと婚約していたことも大きく影響している。

 フリードリヒ四世は、原作でアンネローゼが襲撃されたと報告を聞かされても、取り乱したり激昂したりするような人物ではなく、今回も特に怒りを露わにするようなこともなかった。

 もちろんお気に入りの寵姫ゆえ「恐かったか」と気遣うくらいのことはしたが ――

 

「この方々は、公金横領の罪で処刑されることになります」

 

 アンネローゼに危害を加えたものが処刑される。

 西苑の邸で、アンネローゼはフェルナーから報告を受けていた。

 

「そうですか。わざわざご報告、ありがとうございます」

「まだ本決まりではありませんけれど。ですから、小官が非公式にこうしてご報告に上がりました」

 

 これはまだ確定ではない。

 

「伯爵夫人」

 

 この日彼女は西苑には来ていなかった。

 用事があるので、休みを取ったのだと ―― 良いタイミング過ぎて、リヒテンラーデ侯が動いたことをフェルナーは確信していた。

 

「なんでしょうか? 少佐」

「フリードリヒ四世は、あまり苛烈な女性は好まないとか。小官なぞより、お側にいることが多い伯爵夫人ならば、お分かりでしょう」

「……」

「お優しい方が好みだそうで。その寵愛は、弟君の栄達のために必要かと」

「……どなたまでなら、助命しても許されると思いますか?」

「ブライトクロイツ公爵家の嫡男ディートヘルムさまと、アレクシアさまくらいならば良いのではありませんか?」

 

 これは無論、フェルナーの意見ではない。そのように誘導しろと言われてしているだけのこと。

 

「陛下にお願いしてみます」

「どうぞ、これからも可憐な寵姫として、お勤めください。弟君のためにも、是非」

 

 アンネローゼには、ずっと控え目で弟思い、思ったことはほとんど口にせず、たとえ冷たく接せられても、できる限り優しく慈愛に満ちた態度を取って皇帝の興味を惹きつけてもらわなくてはならない。

 

「それでは失礼いたします、アンネローゼ」

「また、ジークリンデさまと一緒にお出でください」

 

 アンネローゼはフェルナーに欺されていることは分かっていたが ――

 

**********

 

 姉弟はアンネローゼの願いにより助かり、家も弟が何とか継ぐことはできたものの、人の口に板は立てられぬとされているとおり、どこぞからひっそりと噂が巡る。

 それでも門閥貴族はアンネローゼを嫌っていたこともあり、公爵家に対して同情するものも多く ―― 下らない話など耳に入れる必要はないということで、彼女は知らず終い。知ったとしても、このような事件さえ起きなければ、彼女がなにをすることもなかったが。

 

 途中まで処刑リストに入っていたアレクシアは、ほとんどの事情を知っていた。

 気位の高いアレクシアは、婚約者のカールが処刑されるのに関しては何も思わなかったが、彼がアンネローゼのような下卑な女に手を出そうとしていたという事実に激怒し、誰よりも強くカールの処刑を希望し、貴族としての尊厳など必要ないと毒殺ではなく銃殺刑を希望したりと、大変な状態であった。

 

 

「……卿はこのようにして、没落貴族の女性を付き合い始めたのだな」

 

 出頭したパトリックにフェルナーは、女性貴族と付き合い始めた経緯を聞き出す。

 聞かれた方はなぜプライベートを聞かれるのだろうかと、不審に思ったが、質問には包み隠さず答えた。

 

「はい、閣下」

 

 室内には尋問しているフェルナー以外に、四名ほどの兵士が控えており、丸腰のパトリックを取り囲み見張っている。

 

「卿が嘘をついているとは思わぬが……ところで卿が付き合っている女性の名は、アレクシア・フォン・グンデルフィンゲンで間違いないか」

「ありません」

「ではこの女性か?」

 

 端末に映し出されたアレクシアの写真を、パトリックに見せた。象牙色の肌に紫がかった青い瞳。やや尖ったような感じを与えるが鼻筋は通っており、やや薄目の唇には鮮やかな赤の口紅が塗られている。

 瞳は目蓋が少し降りているように感じられ、それが魅力的な気怠さを作り出す。

 

「いいえ。違います」

 

 パトリックは自分の恋人はこんなに美しくはないと首を振るが ―― 彼は恋人の写真を持っていないと言い、自分が証明できないことで罪に問われるのではないかと、恐怖を覚えた。

 

「そうであろうな。その性格を見抜かれたのであろう」

 

 パトリックにとってアレクシア・フォン・グンデルフィンゲンは、没落貴族の令嬢で、没落した理由はリッテンハイム侯が起こした内乱であり、それを治めた人物の部下たる自分が手に入れた栄達の証し ―― 歪んだ虚栄心を満たすものであり、長年貴族のに虐げられてきた恨みをぶつける相手でもあった。


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