黒絹の皇妃   作:朱緒

244 / 258
第244話

 キルヒアイスの実家近辺の安全が確認されたと報告を受けた彼女は、現場に足を運ぶことにした ―― 無論反対されたのだが、

 

「駄目?」

 

 上目遣いに頼まれ、甘やかしますと明言した手前、彼らはすぐに折れ、周辺の警戒レベルを最大に引き上げ、彼女の希望を叶える。

 

―― 相変わらず、周囲の景色が見えませんね。それどころかバイク部隊まで。バイクって偵察などに使われるのでは……制服からすると憲兵のバイク部隊よね。ウルリッヒの警備なのかしら

 

 装甲車での警護はもちろん、予備の地上車を前後左右に四台走らせる。

 そして上空も軍用偵察機と戦闘機が配備され、警備についていた。

 ゴールデンバウムの皇族は、基本自分の頭上に臣がいるのを好まない。それが警備であろうが、なんであろうが嫌う。

 皇帝はもちろん、皇族たちも嫌うので、上空からの警備というのは皆無。

 だが彼女は生粋の皇族ではなく、警備に関しては全くの素人であり、口を挟むべき事項ではないと認識しているので、文句を付けるようなことはなかった。

 ちなみに彼女が不思議に感じていたバイク部隊だが、これから向かうのは下町。

 上流貴族が住んでいる場所と下町では、道幅などまったく違い、この隊列で進むことができないため、道幅が狭くなったら小回りの利くバイク部隊で、彼女の周囲を固めることになっている。

 通り沿いの家や庭を壊して進むことも可能であり、そのようなことをする特権階級は珍しくないが ―― 彼女の家臣は、彼女の性格を理解しているので、そんなことはしない。

 その代わり、盾にされるほぼ生身の人間が増えることになるのだが、襲撃さえ受けなければ分からないだろうと、この編成にした。

 ただオーディンのバイク部隊はほとんどが憲兵隊に所属しており、彼らを借りる際に、指揮官も借り ―― 今回はケスラーも彼女に従っている。

 物々しい警備に囲まれ、彼女は現場であるキルヒアイスの実家に到着し、地上車から降りたのだが、現場を目の当たりにして俯いた。

 

―― もう一年以上経っていますから、平気だと思ったのですけれど

 

 広がる惨状に、自分の実家が重なり、覚悟を決めてやってきたのだが、思わず俯き、足が止まる。

 

「ジークリンデさま」

 

 顔色を失った彼女に対し、ケスラーが”戻りましょう”という言葉を含んで名を呼ぶも、彼女は頭を振りキルヒアイスの自宅入り口があった辺りを目指す。

 何処が塀で、どこが道なのか分からないが ―― 彼女はあるものに気付き、そちらへと駆け寄る。レースアップのブーツで、外壁だったかもしれない素材を蹴り、腰をかがめて手を伸ばしたのだが、

 

「お待ちください。触れてはなりません」

 

 伸ばした腕をキスリングに掴まれ、ケスラーが摘まもうとしていた破片を手に取る。

 

「これですか?」

 

 ケスラーには青い模様がついている陶器片にしか見えず、元の形は見当もつかなかった。

 

「それよ、ケスラー。私に見せてちょうだい」

 

 彼女は自分の手のひらに乗せてと、ロイヤルブルーのレース手袋に覆われた手を差し出すが、これを乗せてはレースが裂け、彼女の手にも傷がつくと、自分の手のひらに載せて、彼女の眼前へと近づけた。

 翡翠色の瞳はそれをじっと見つめ ―― その陶器片は、以前彼女が訪れた際に、キルヒアイスの父親が「息子から」と、控え目にだが自慢げに語っていた鉢であることを確信し、バッグからハンカチを取り出すよう、それで破片を包むよう命じる。

 

「安全を確認してからで、よろしいでしょうか」

「それは任せるわ、ケスラー」

 

 彼女が自分のハンカチに包むよう命じたので、手元に置く可能性を考慮し ―― 特になにも危険物は検出されないとは分かっているが、自分たちの心の安定のために、詳細な調査を行うことにした。

 

「ところで、これは?」

「キルヒ……グリューネワルトが父に贈った品よ」

 

 彼女は地上車に戻るが、ドアは開けたまま、現在分かっている事柄について説明を求めた。

 爆発は第一報通り、蘭の温室で発生した。

 爆薬は硝酸アンモニウムで、肥料の材料ともなる物質である。

 

「かなりの量が運び込まれていたようです」

 

 近隣住民も相当に巻き添えを食らい、死亡したため、どれほどの頻度で運び込まれていたのかは不明だが、

 

「留守中に蘭の手入れを任された業者を装い、何度も訪れていたものと思われます」

 

 キルヒアイスの父親が蘭を丹精込めて育てていることは、地域の住民は誰もが知っており、また、息子であるキルヒアイスの栄達から、資金には余裕があるだろうと彼らは考え、頻繁に業者を装った爆発犯が訪れても、なにも不審には思わなかった。

 

「業者を見たという者と話がしたい」

「畏まりました」

 

 彼らは彼女が目撃者と会って、話すことを希望することは予想していたので、前日からその手はずを整え ―― 連れて来られたのは、近所に住んでいる二人で一緒に散歩するのが日課の初老の夫婦。

 経歴に瑕疵なく、身体能力も衰えていることから選ばれた。

 

―― きっと前日から用意してくれたのでしょう。あなた達はするべきことをしているだけでしょうけれど……けれど、老夫婦怖がってますから

 

 彼女の警護を担当する親衛隊が中隊編成、憲兵隊も同じく中隊編成、そして周囲を取り囲むこれもまた中隊編成の装甲擲弾兵団。

 善良な臣民が、これらに取り囲まれたら恐怖に戦くのは当たり前。

 また老夫婦が知っているかどうかは不明だが、憲兵を率いているのは憲兵総監、装甲擲弾兵団を率いているのは副総監のリューネブルク。

 普通に考えて、現場に出てくるような立場のものではない。

 補足になるが、キスリングは前者二人と比較すると階級は低いが、彼女の警備に関しこの場では、キスリングが全決定権を所持している。

 平民は経験することはないといえる物々しさのなか、彼女から声を掛けたのだが、相手の声は震えている上に小さくて、聞こえずしまい。

 身分差と階級、警備の問題から、やや離れているので仕方ないとは言え、これではどうしようもないと、彼女は手に持っていた総黒檀製のオリエンタル柄の透かし彫り扇子を、もう片方の手のひらに打ちつけ、どうにかして頂戴と、現場の総責任者に依頼する。

 

「キスリング」

「はい」

「怯えきっていて、話を聞けそうにありませんよ」

「申し訳ございません」

 

 キスリングは一礼し、老夫婦に向き直り、

 

「オラニエンブルク大公妃殿下のご命令である。証人、答えよ」

 

 皇族に側近として仕える軍人として、正しい態度を持ってのぞんだ。

 

―― あの、キスリング。ますます怯えてしまって

 

 彼女は更に怯えた老夫婦を前にして、キスリングだけが原因だと思っているが、そうではない。老夫婦を怯えさせたのは、他でもない彼女。

 次期皇帝候補という地位にある、実質帝国の統治者が要約すると「予が問うたのに、これたち答えぬ」と言ったのだ。挽回できなければ、即処刑コースが老夫婦の脳裏に過ぎっても責められない ―― そうは言っても責められるのが現実。

 このまま彼女に無為な時間を過ごさせるわけにはいかないと、ケスラーが彼女と老夫婦の間に入り、会話を成立させることになった。

 

―― キスリング……リューネブルク……ケスラー……。そうね、ケスラーが最も無難よね

 

 後の二人は陸戦の達人である雰囲気があからさま過ぎ、近寄られると恐いかも知れないと彼女は納得した。

 ケスラーは万が一銃を奪われるようなことがあってはいけないと、自らのブラスターを副官に預けて丸腰で ―― 彼女の元につれてきても良いほど無害な者たちなので、丸腰でも問題はないのだが、彼らはとにかく彼女の身辺に危険が及ばぬよう、細心の注意を払う。

 

―― 聞きたいことが、全然聞けません

 

 最初から分かっていたことだが、直接話をするのとは違い、彼女が思うように話ができない。

 だがこれ以上無理強いするのも……と、彼女は最後に黒檀の扇子を片手で器用かつ優雅に開き、

 

「おまえたちがこの近辺で、ジークフリード・キルヒアイスを最後に見たのは何時だ」

 

 訪問した時に”息子は滅多に帰ってこない”と、キルヒアイスの母親がぼやいていたのを思い出し、雑談として尋ねた。

 母親が喋ったあと、父親に叱責されていたが ―― 彼女は帰る実家はもうないので ―― 彼女は気付かぬふりをした。

 そんなことを思い出していると、老夫婦の話を聞いたケスラーが怪訝な表情を浮かべ、

 

「キルヒアイス夫妻が旅行にいった翌日の夕方頃、帰宅していたのを見かけたとのこと」

 

 まずは夫妻の言葉を彼女に伝えた。

 彼女は何故ケスラーが釈然としていないのか、分からなかったのだが、

 

「ジークリンデさま。グリューネワルトはその頃、艦隊を率いオーディンを出ております」

「え?」

「思い出すのもお嫌でしょうが、パーティー会場でグリューネワルトに迫られましたことを、覚えておいででしょうか?」

「ええ」

「彼らが言っているのは、ジークリンデさまがそのことで、グリューネワルトから謝罪を受けた日です。グリューネワルトは謝罪のあと、すぐにオーディンを離れました」

 

 キスリングに耳打ちされ納得するも、彼女はその後ロイエンタールにも随分好き勝手されたことまで思いだし、恥ずかしさのあまり開いた扇子で顔を隠す。

 

―― 誰かがキルヒアイスの振りをして、家にいたということ?

 

 軍事行動は何時、誰が艦を率いて何処へ向かい、なにを行っているかなどは秘密にされるので、二人はキルヒアイスではないものを見たことになり、それは重要な意味を持つ。

 

「オラニエンブルク大公妃殿下。このウルリッヒ・ケスラーにラウレンツ・ユーバシャール、カリーナ・ユーバシャール両名の、尋問許可を是非ともいただきたく」

「許可は出しましょう。でも尋問はあなたがするのよ、ウルリッヒ。二人を怯えさせては駄目よ。あとあなたに注意する必要などはありませんけれど、傷つけるのもね。でもその前に、一つ聞いて。そこな二人、この兵士たちの中にジークフリード・キルヒアイスと見間違うようなものはおるか? 聞いてちょうだい」

 

 彼女の問いに老夫婦は、いないと答え、そして「背格好が似た人物を見間違えたのかもしれない」そうも言った。

 老夫婦が彼女の前を辞し ――

 

「ウルリッヒ」

 

 彼女はあえて名を呼び、これは唯の雑談ですと語りかける。

 

「はい、お嬢さま」

「私は素人なので、ただの思いつきですが、ユーバシャール夫妻が見間違った相手は、ベネディクトではないかと思うのです」

「何らかの事情を知っていると考えられている、レーゲンスブルク伯爵夫人の夫ベネディクトですか?」

「ええ。彼は赤毛ですし、キルヒアイスと見間違ってもおかしくはない程、身長があります」

 

 キルヒアイスの外見で人目を特に惹くのは、ルビーを溶かしたような赤毛と、百九十㎝とかなりの高身長。

 対するベネディクトは血を連想させるような赤毛ではないが、一般的な赤毛よりも赤味が強く、近衛を務めていたのだから背も高い。

 

「なるほど」

「それに、この家に来たと思われる頃、すでに行方不明になっていたはずです」

「高級車に乗っていたとも証言しておりましたな」

「将校クラスの軍服を着ていたように見えたと言っていたでしょう。近衛はあの特徴的な制服以外に、通常の軍服も支給されているのよ」

 

 近衛兵は白地に黒みがかった灰色の糸で、菩提樹の葉と花によく似たモチーフの刺繍が施された軍服を着用しているのだが、通常の軍服も所持している。

 だが近衛の軍服は全て宮内庁の管轄ゆえ、宮内庁や近衛と関わったことのない軍人は、近衛の制服支給について知るものは少なく、近衛は近衛の軍服以外に所持していないと思われがちであった。

 

「そうなのですか。このウルリッヒ、不勉強ゆえ存じ上げませんでした。貴重なご意見ありがとうございます、お嬢さま」

「見当違いでも、笑わないでねウルリッヒ」

 

**********

 

「両者が即死するよう爆弾を仕掛けてくれたら良かったのに。それなら、ジークリンデさまに知られないで済んだのに」

 

 爆弾を仕掛け、キルヒアイスに重傷を負わせ、アンネローゼの命を奪った相手に対して、フェルナーが最初に思ったのは下手に生き残らせないでくれというものであった。

 

「それに関しては同意する。それで、なにか分かったか? オーベルシュタイン」

 

 ファーレンハイトはそこで区切り、この事件を最初から調査するよう指示したオーベルシュタインに、成果はあったかどうかを尋ねた。

 この事件はキルヒアイスの父親が退職したことが発端となっている。

 退職の理由は、息子が新たな勢力となり栄達したことによる嫉妬や、体制下に不満を持つような子供を育てたことに対する”帝国に対する忠義心”をぶつけられ、業務に支障をきたすようになったため。

 

「これらを行った者たちは、グリューネワルトの父親退職後、尚書の指示により、巧妙に省を追われております。彼らは司法省を辞職することになった原因は知りません。次に最後までグリューネワルトの父親側に立っていた者を調査したところ、一人”旅行”を勧め”旅行中、蘭の世話を任せられる業者”を教えた人物が判明いたしました」

 

 この人物、全く裏はなく、純粋な親切心からの意見であり、情報であったのだが ―― この辺りの情報から、何者かが介入し始めている。

 

「こちらを」

 

 オーベルシュタインが提示したのは、業者のパンフレット。

 表紙は蘭の花で、中には業務内容と料金、そして手入れを指示する人物の写真などが掲載されている。

 

「この手入れや世話の指示を担当していると掲載されている人物は、品評会でも名の知れた人物で、実際に所属しグリューネワルトの父親の蘭も管理していたと証言しております。ただし管理していたのは、先のバイオテロの非常事態宣言が解除されるまで」

 

 帰国予定日がバイオテロ発生と重なり、キルヒアイスの両親は帰国不可能となり、業者の方は外出が制限されていたこともあり、解除されるまで管理し、その分の料金を加算した領収書を作成していると、キルヒアイスから連絡が入り、実家まで運んで欲しいとの依頼を受けることになった。

 実家へと蘭を運び込み、料金を支払って貰い、業者は去って行った。

 その後、実家に別かどうか、周囲の聞き込みでは不明だが、業者が出入りし、爆薬の材料を運び込み、今回の事件が起こった。

 

「グリューネワルトに父の蘭のために割く時間があったとは、思えんが」

 

 この頃キルヒアイスは、新無憂宮を上空から撮影したことで、罪にこそ問われなかったが、査問や報告書の作成、各方面への報告などで余裕がなかったことは、この場にいる四名全員が知っている。

 業者についての調査を任されたキャゼルヌが、

 

「業者についてだが、最初に名が出た会社は、既に店を畳んだ。理由はテロによる資金繰りの悪化だそうだが、会社を興す際の資金源は不明だ。元従業員たちの名簿はファイルに。次に後者だが、そいつは何処にも登録されていない、まさに架空の会社だ」

 

 業者の調査資料を配る。

 

「グリューネワルトのやつは、どこで存在しない業者を見つけたのだ?」

 

 かなり慎重なキルヒアイスらしからぬ失態だが、答えはオーベルシュタインが持っている。

 

「元帥。それに関してですが、グリューネワルトの副官が、全ての処理を行いました」

「副官……誰だ。フェルナー、お前覚えているか?」

「あんた提督でしょうが」

「俺はエッシェンバッハ公の部下を率いることもなければ、共闘することもないからな」

「適当だなあ。あ、誰です? パウルさん」

 

 大多数の人が認識しているフェルナーの姿そのもので、訳の分からぬ業者と連絡を取ってた、その間抜けの名前を教えてくださいと ――

 

「パトリック・マルクス。平民の中尉……どうかしたのか? フェルナー中将」

 

 先ほどまでへらへらと笑っていたフェルナーの表情が一転し、顔写真はないかと言い出す。

 

「これが顔写真。瞳はダークブルー、頭髪は茶色で登録されている」

「あー。こいつに出頭命令出してください、ファーレンハイト」

「分かった。警護も必要か?」

「必要はないかと思いますが、まあ、念のために」

 

 出頭命令を出してから、フェルナーはその理由を語り始めた。

 彼は他者とは違う方向から、この事件を調べていた。

 ほぼ全員が「アンネローゼはキルヒアイスを狙ったテロに巻き込まれて、運悪く命を落とした」と考え、キルヒアイス側から調査をしているのだが、彼は「アンネローゼが狙われていた」そのように仮定し、アンネローゼに恨みを持っている者を調べていた。

 

「時間が足りなくて、名前と瞳と頭髪の色しか分からなかったんですが、間違いはないでしょう」

「エッシェンバッハ公の姉に、恨みを持っている者と重なったのか」

「アレクシア。あなたなら、誰かすぐに分かるでしょう、ファーレンハイト。あの選民意識の塊のお方が、平民の男を身辺に侍らすなんて、相応のなにかがあると疑われても仕方ありません」

 

 オーベルシュタインとキャゼルヌは知らぬ人物だが、二人が知りアンネローゼに関係しているとなれば ―― 寵姫時代になにかあったとは彼らにもすぐに推察がつく。

 

「ほー。あのアレクシアか。元気そうでなによりだ。まさか寵姫殿も、情けをかけ命を救ってやった相手に殺されるとは、思ってもいなかったであろうよ」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告