彼女はオーベルシュタインは原作とは違って優しいなどと思っているが、実際はさほど変わりはなく、その冷徹さは徐々に、だが確実に広まっていた。
その冷酷なるオーベルシュタインだが、彼は卑しい人間性を持つ者がどのような行動をとるのか、ほぼ網羅しており、それらの対処を怠ることもない。
新無憂宮の被害調査の際、霊廟や棺も徹底的に調べることが決まると、オーベルシュタインは宮内次官に、全ての皇族の埋葬品目録を作るよう命じた。
それらが完成すると、買い取りを扱う業者全てにデータを送りつけ、これらを持ち込んだ者がいたらすぐに連絡するよう通達を出した。また「知らなかった」「部下が買い付けたので」などは一切受け付けないことも。通報は持ち込まれてから二十四時間以内に行われなければ「一味」と見なす……なども記されていた。
それらのデータ配信や通達が無駄になるようなことはなく ―― 墓を曝いた翌日、業者から宝飾品を売りに来た兵士がいるとの連絡が届き、埋葬品であることが確認され、盗み売った者が特定され、午後には処刑のための裁判が執り行われていた。
作業にあたっている兵士全員に警告を出す意味で、一時調査を中断し、全員をホールに集めての。
彼女から直接拝命した任務、そして軍人が起こした窃盗。ファーレンハイトの怒りがどれほどのものか、分かっている副官などはそちらを見ようともしない。
彼らに残されている道は、即日処刑のみ。
戦地で敵に囲まれて命乞いするよりも絶望的な状況 ―― 助かる可能性は無といっても過言ではない状況。
「処刑場の準備が整い次第、執行する」
弁護や嘆願など聞き入れるような素振りはなく、誰もそんなことを口に出すどころか思い浮かびもしないほど ―― 静まり返っていたホールに、軽く柔らかな”なにか”が落ちた音がする。
音は壇上脇の緞帳あたり。
微動だにせず直立し、前を見ていた兵士たちは、音がした辺りから、華やかな色が零れだしているのに気付く。
ふわりとした薄い緑色の布、そして ――
―― ……恐かった。ファーレンハイトとオーベルシュタインの恐いこと、恐いこと。知ってはいましたけれど、才能で万の兵士を従える男の怒気って……
あまりにも無防備に近づいた結果、彼女は恐ろしさに足がすくみ、膝から崩れ落ちてしまった。
彼女を見つけた彼らは壇上から消え、処刑が決定している兵士たちや、その他の兵士たちは立ち尽くしたまま ―― 処刑場の準備が整ったことを伝令が伝えに来た時も、ホール内は異様に静まり返っていた。
そんな兵士たちを放置する状態で、
「お連れするなと言っただろうが、フェルナー」
「ジークリンデさまが、どうしても言われたんですよ」
「先触れくらい出せるであろう」
「驚かせたいと言われたので。結果が決まってる裁判を長々とやってるほうが悪いんですよ。気にしなくて結構ですよ、ジークリンデさま」
椅子に座っているジークリンデの脇で、ファーレンハイトとフェルナーが言い合っていた。オーベルシュタインと言えば、彼女を驚かせてしまったことを、跪いて詫びている。
状況がまったく分からない彼女は、オーベルシュタインになにをしていたのかを聞き、
―― 盗難対策をしてくれていたのですね……
「全く考えていませんでしたし、思いつきすらしませんでした。あなたがいてくれて良かったわ、オーベルシュタイン」
なんの対策も取っていなかった自分を恥ずかしく思いつつ、彼を褒めた。
褒められた方は首を振って否定する。
「このようなこと、ジークリンデさまが考える必要などございません。なにより本来であらば、お耳に入れることですらございません」
彼らは墓荒らしのことなど、彼女に報告するつもりはなかった。
そして話を聞いた彼女は、知らぬふりをするつもりはなく、
「どのような処分を?」
フェルナーとの言い合いが収まったファーレンハイトに尋ねる。
「極刑で」
聞かれた方は正直に答えた。それにより刑が軽くなる可能性も出てきたが、彼らとしては彼女の判断に従うまで。
「極刑とは……銃殺のことですよね?」
「はい」
「…………盗んだ品は?」
フェルナーが素早く端末に盗品画像と解説画面を表示して、彼女の前へと出す。
「ジークリンデさまのお好きなように処分なさって結構ですよ」
「……え、でもあなたが」
「わたしはあくまでもジークリンデさまの代理ですので。むろん、このまま私に任せて下さっても構いませぬが」
言われた彼女は小首を傾げるようにして ―― 形の良い耳朶からまろやかな頬、そして滑らかな首のラインに誰もが息を飲む。
桜色の柔らかな唇が開き、
「では、好きにさせてもらうわ。ついていらっしゃい」
そう告げて、軽やかに立ち上がった。
壇上へと戻った彼女は、にこやかに微笑み兵士たちに告げた。
「全て許すゆえ、霊廟を荒らし、盗みを働いた者は前に並べ」
彼女の言葉に兵士たちは一斉にざわつくが、彼女は気にすることなく、
「ファーレンハイト。私の命に従うな」
「御意」
彼女の前に元帥が膝を折って頭を下げるのを見て ―― 裁判にかけられていた兵士以外にも、六名ほどが名乗り出た。
「では約束通り不問にしてやる」
彼女は先ほどよりも更に鮮やかに笑い ――
「副官よ、名は控えたか。よし下がれ。盗んだ品は好きに売りさばけ。どうした? 好きに売って良いし、売ったところで逮捕もされぬわ。私が逮捕しないと言ったのだ、逮捕はされぬよな、オーベルシュタイン」
「御意にございます」
兵士たちのざわつきは一層増すが、彼女は一切気にする素振りなく、罪人たちを無罪放免にしてやると ―― 彼らにはそう聞こえたが、実はそうではない。
ただ兵士たちに真意を教えることなく、彼女は立ち去った。
壇上から降りた彼女は、オーベルシュタインに通報した業者に、早急に自分の元を訪れるよう伝えるよう指示を出した。
「ジークリンデさま、一体なにをお考えで」
その後、昼食を取りながら ―― 彼女の真意が分からぬ彼らは尋ねたのだが、業者が来たら分かるとして、しばし食事を楽しむ。
食後のデザートが運ばれる頃、業者の責任者が青い顔をしてやってきて、彼女に必死に弁明をする。責任者が必死になる理由は「お前のところは、盗品を扱っているのか?」と思われたら終わりであり、それらを回避すべく必死に弁明しているのだ。実際、盗品を扱う業者としてそれなりに名が知られてはいるが。
チョコレートケーキを食べながら、それらを聞いていた彼女は、
「私はお前から、それを買い取るために金額を知りたくて呼んだだけだ」
そう言い終えると最後の一口を舌に乗せる。
責任者は彼女の言葉を理解できず、だが相手の身分が高すぎて質問など出来る筈もなく、泣き出しそうな笑顔を顔に貼り付けて、せわしなく辺りを見回し、吹き出す汗を拭いう。
「ジークリンデさま。ご説明しては、いただけませんでしょうか?」
切り出したファーレンハイトは、無論責任者を憐れに思ったわけではなく、単に自分が知りたいからに他ならない。
聞かれた彼女は、するりと答えた。
「”魔が差す”ような者を、あなた達の部下にしたくはない。それだけよ。あなた達のように極刑で引き締めるのも悪くはないけれど、あれでは他の者たちを見つけるのが難しいでしょう。だから許したの。これであなた達の側から、信頼に値しない兵士を取り除くことができるでしょう。二度とあれたちは部下にしてはいけませんよ」
彼女はくすくすと笑い、いまだ汗が噴き出している責任者に視線を移す。
「これらは貴き方々の棺に戻さねばならぬ。本来であれば捕まえ取り上げるべきであろうが、私の大事な部下に相応しい兵士を選別するために、窃盗犯を捕らえぬことにした。これは私の一存であり、我が儘であり、当然の責務である。だから買うのだ。ぬしはこれを兵士から買い取った、私はぬしの言い値で買ってやる、好きな金額を言うがよい。買値の十倍であろうが二十倍であろうが構わぬぞ、ほれ」
責任者は理解すると、すっかりと乾いた口で、支払う金額分だけで充分ですと必死に紡ぎ、絨毯に額をこすりつけ懇願した。
「欲がない商人ほど信用出来ぬものはないがな」
彼女としては好きなだけ払ってやると言っているのだから、吹っ掛けてくれば良いのにとしか思っていないが、
「ジークリンデさま」
「なに、フェルナー」
給仕をしていたフェルナーが軽く笑って、諫めるわけではないが、お止めくださいと助け船らしきものを出した。
「ジークリンデさまの”それ”に乗ってくるのは、フェザーンの黒狐くらい図太く狡猾で、さらに尊大な自信過剰でなければ無理ですよ。ここにいるのは、ごくごく普通の盗品売買をしている身の程を弁えた小者です。ゴールデンバウムの大公妃殿下に吹っ掛けるなど、とてもとても無理ですよ」
責任者はフェルナーの言葉に、目眩でも起こすのではないかと彼女が心配するほど首を振って同意し、彼女が全く求めていない更なる帝国への忠誠まで誓い、壊れた機械のような足取りで退出していった。
「ジークリンデさま。あの業者嫌いなんですか?」
「嫌いなわけないでしょう、フェルナー。今初めて知ったのですから」
金を払ってやると言っているのに、どうしてあれほど怖がられなくてはならないのか? 彼女としては納得がいかなかった。
「ですよね。確かに嫌いな相手に取るような態度ではありませんが……それはそうと、ジークリンデさま、本気ですか?」
「なんですか?」
「盗品を買い取ると」
「それは本気よ。お墓を荒らすような人間を、あなた達の部下にしたくはないもの。私にとって大切なあなた達、その部下の選別をするのは当たり前でしょう」
彼女の「良いこと思いついたんですよ」笑顔を前に、どうしようかと思うも、彼らにはどうすることもできず ―― ただ盗難に関してはぴたりと止まった。
***********
「あなた達、この手帳の内容知りたい? 知りたくなければ正直に言いなさい」
「知りたいですね」
「そう。全部は教えられませんけれど、それでも良いかしら?」
「もちろん」
「そう。ではこの部分を教えるわ」
彼女がグリンメルスハウゼン子爵が書いたものだと推測している部分、その数字を指さす。
「ⅢとⅣとⅤですか」
ギリシャ語はほとんど誰も知らないが、ギリシャ数字は彼女が暗号に用いたことからもわかるように、装飾として使用されており、ごく普通に生き残っている。とくに時計の文字盤として使用されることが多く、彼らも簡単に読むことができる。
「そうよ、オーベルシュタイン。そのⅢはカールが三人、そちらのⅣはルートヴィヒが四人という意味。そこまで言えば分かるわよね」
ゴールデンバウム王朝には、皇位に就けなかった皇太子ルートヴィヒが四人、おなじく就くことができなかったカールが三人存在し、現在ではどちらも忌避されるべき名とされている。
四人目のルートヴィヒは彼女が直接関わった皇太子。
なぜこんな名を付けてしまったのか? 皇太子に冊立された際に改名すれば良かったのに……と言われていた人物である。
「では、このⅤはなんですか? ジークリンデさま」
「皇位を継げなかったルートヴィヒは、四名ではなく五名と書かれているわ。書いたのは間違いなくグリンメルスハウゼン子爵リヒャルトでしょうね」
ルートヴィヒが皇太子になった頃、グリンメルスハウゼン子爵は彼女が知っていた人物。その彼でなくては、五人目だと指摘することはできない。
「五人?」
「そう。私たちと同時代のルートヴィヒ殿下は五番目よ」
「私たちが知らないルートヴィヒ皇太子がいると?」
「その質問には”いいえ”と答えるわ、ファーレンハイト」
「違うと」
「知らないのはあり得ないわ」
彼女の答えに彼らは、どういう意味だと ―― 系図を脳裏に描いたオーベルシュタインは、ふとある人物が思い浮かんだ。
「ジークリンデさま。もしかして、誰もが知っている人物でしょうか?」
「そうよ。誰もが知っているけれど、誰も名前は知らない後継者」
「ルドルフの寵姫マグダレーナが産んだ男児、ですね」
この男児は有名でありながら名がなく、それを誰もが当たり前だと思っている。だがその男児には名前があったのだと。
「ええ。これにはそのように書かれているわ。確かめようはありませんけれど。あとは男児が埋葬された場所が書かれています」
老人の戯れ言かもしれないが、誰にも言わなければ困りはしないだろうと彼女は考えて、それを認めることにした。
「どちらで?」
「新無憂宮の一角です。場所が場所なので、花を手向けるわけにはいきませんけれど」
「どちらですか?」
「それは教えられないわ、フェルナー」
「そうですか、残念です」
彼女はその場所を語ることはなかったが、自らが皇帝の座に就いた際、新無憂宮内のとある場所に花束を置くようフェルナーに命じた。
その明らかに花束を添えるのに相応しくない場所に ―― 彼女の意図を理解した彼らは、それ以上なにも言うことはなかった。
彼女が他者に語った手帳の内容はそれのみで、あとは胸に秘めたまま ――
**********
彼女が面白み皆無な、焼き捨ててしまいたくなるような内容の手帳 ―― 例えば奴隷の選定方法、辺境に追放して人を遣い潰して殺した理由など ―― を読み進めているころ、
「サビーネ・フォン・リッテンハイムの遺体は見つからなかったな」
霊廟を含め新無憂宮の調査が終わり、彼女抜きで報告会兼対策会議が行われていた。
出席しているのは、先の台詞のファーレンハイト。
「ルパート・ケッセルリンクに薬を増量し尋問しておりますが、サビーネ・フォン・リッテンハイムに関してはなにも。クリスティーネ・フォン・リッテンハイムのことでしたら幾つか」
オーベルシュタインのその一言に、知らないのだろうなと出席者は考えたが、自白剤の投与を止めるよう言うものはいなかった。
「サビーネについては、俺が捜索の指揮を執る」
サビーネの行方は捜索は行われていなかったが、今回クリスティーネが発見されたことにより、捜索隊が組まれることとなり、その指揮はロイエンタールが取ることになった。
「首謀者のケッセルリンクは、クリスティーネ・フォン・リッテンハイムに関してなにを語った?」
そしてラインハルト。
「ケッセルリンクは、クリスティーネ・フォン・リッテンハイムは新無憂宮内に侵入するルートを得るために仲間に加えたと申しております。リッテンハイム侯爵夫人は皇女。脱出経路を知っていても不思議ではありません」
聞かれたオーベルシュタインは、引き出すことができた情報の全てを伝えた ―― ほんの僅かでしかないが。
彼はそれ以外に、必要と思しき証言や、情報を添付し彼らの前の端末に映し出す。
「霊廟の警備を担当していた衛兵の証言によりますと、この一年の間元リンダーホーフ侯爵ヨハンがエーリッヒ二世の霊廟を参拝したのは六回。そのうち五回にレーゲンスブルクのベネディクト容疑者が同行しております。この同行に関しては元リンダーホーフ侯爵ヨハンも間違いはないと申しておりました。その目的は棺を開けての盗み、それとリッテンハイム侯爵夫人より入手した侵入経路の確認と確保。ただし後者はベネディクト容疑者に任せ切りで、元リンダーホーフ侯爵ヨハンは、彼を霊廟へと案内する役割だったそうです」
オーベルシュタインが書類を読み上げ ―― 元リンダーホーフ侯爵の死亡証明書が配布される。
「ヨハンからはこれ以上は無理か。ベネディクトの行方は?」
誰もが一瞥し証明書の画面を閉じ、よほど事情を知っているであろうベネディクトについての情報を、憲兵総監を率いるケスラーの上官たるラインハルトに尋ねるも、彼は首を振るだけ。
「門閥貴族同士の繋がりが、今ひとつ不明で手間取っている」
腐敗を正すという目的で、憲兵を一新したのがここで悪い方向に働いた。腐敗を正すのはもちろん良いのだが、彼ら新憲兵たちは門閥貴族と全く関係のない故、調べるべき箇所がはっきりと掴めないでいた。
「ファーレンハイト元帥、なにか知らないか?」
「ロイエンタール尚書閣下のほうが、ご存じなのでは」
「俺は近衛に知り合いはいなくてな。その点、卿は以前近衛団副団長の部下であったろう」
フレーゲル男爵は類い希な乗馬の技術と権門の生まれ、そして身長と体格で近衛に選ばれ、末は団長と目されており、事実二十代の若さで副団長の地位に就いていた。
「たしかに近衛の副団長の部下ではあったが、そちらの方にはほとんど関わっていなかったので分からん。シュトライト少将であれば、何か知っているかもしれないが」
ブラウンシュヴァイクに連なる彼に近寄り、出世を目論むものは多かった。とくに近衛は名門でも二男や三男が多く、良くを持っているものが大半を占めている。そういった人物を懐に入れて、上手く使うのが後々の公爵たる男の才の見せ所であり、生まれも育ちも権門であるフレーゲル男爵は、それらの工作を非常に得意としていた。
故にこれらに関してファーレンハイトやフェルナー、
「昨日シュトライト少将に聞いてみたが”卿が何か知っているかもしれない、力になれなくて申し訳ない”とのことだ」
そしてシュトライトやシューマッハなどの助けを必要とはしていなかった。
「そうか。役に立てないようだな。……ジークリンデさまは、なにもご存じないぞ」
門閥貴族のことであれば、彼女がなにか知っているのではないか? とは、誰もが真っ先に考える。
「そうか」
残念そうに呟くラインハルトに、ファーレンハイトは伝えて頂戴と彼女に言われたことを、周りに気取られぬほど小さなため息を吐いたあと ――
「エッシェンバッハ公。ジークリンデさまよりの伝言です。“フランツィスカの夫を庇うことができそうな貴族、全てに聞いてみましたが、どこも知らぬとのこと。彼らが嘘をついているようには思えませんでしたので、貴族以外の者が匿っていると考えたほうがよろしいでしょう”……以上です。信用なさるかどうかは、ご自由にとも」
「手間を掛けさせてしまったようだな」
「ジークリンデさまは、手間だとは思っていないようでしたが。余計なことですが、ジークリンデさまは、帝都防衛司令官を解任されたケスラー総監に、挽回の機会を与えたえてやりたいようです」
「ケスラーに手柄を?」
「御本人は口になされたことはありませんが、間違いはないかと存じます」
彼女はケスラーがベネディクトを捜していると聞き、できる範囲で調べた。門閥貴族はもちろん、ケスラーによって解雇された元憲兵たち、あまり近づきたくはないと思っているベヒトルスハイム新社会秩序維持局局長や、局長に返り咲くことを切望しているラングなど ―― そこまで調べたのだが、ベネディクトの行方は杳として知れなかった。
彼女の行動とそこから得た情報を聞いている彼らは、ここまで行方が分からないということは、同盟に亡命したか、既にこの世にいないかのどちらかではないかと考えていた。
「ベネディクトの潜伏先、聞き出せるか? オーベルシュタイン官房長」
「ルパート・ケッセルリンクの心臓が頑丈であることを祈っていただきたい、司法尚書閣下」
この会議のあと、彼女はクリスティーネの死体が見つかったことを知らされ、皇女の遺体をひっそりとゴールデンバウムの霊廟に埋葬するよう指示を出した。
またルートヴィヒ皇太子の遺体が見つかったことも知らされ、彼が埋葬しなおされる際には立ち会った。
五年以上経った皇太子の遺体だが、防腐処理が丁寧に行われていたこともあり、生前と変わらぬ姿で ―― リヒテンラーデ公が言った通り、皇太子の表情は穏やか。
それで彼女の心の澱が晴れるわけではないが、彼女としては一つなにかが終わったような気がした。