黒絹の皇妃   作:朱緒

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第24話

 常日頃、上官が奢ってくれないとぼやいていたザンデルスやブクステフーデ、ホフマイスターは、このたび目出度く上官に奢ってもらう機会に恵まれたのだが、

「遠慮せずに飲め」

「……」

 全く酒が進まなかった。

 いままで奢った分を取り戻すくらい飲む ―― 普段であればそうしたが、とてもではないが飲める空気ではなかった。

 そもそも居る空間そのものが、非常に居心地が悪い。怒りを露わにしているわけでもなければ、落ち込んでいるわけでもないのだが、ファーレンハイトが出す空気が尋常ではなかった。伊達に三十代で帝国軍大将になったわけではない……部下たちは、自分の上司の本気をひしひしと肌で感じるしかなかった。

 

 キスリングとオーベルシュタインは話を聞き、無言のまま酒杯を傾けていた。

 ファーレンハイト、オーベルシュタイン、キスリングが嫌な空気をまとい、表情穏やかに酒を飲む空間。居心地が悪い程度では言い表すこのできない”それ”

 部下たちは逃げたいと願い、たまたま飲みに来てしまってこの現場に遭遇して、帰るに帰れなくなった者たち ――

 そんな空気を鋏でぐだぐだ切ってくれそうな男が現れた。

「まだいた、よかった。奢ってくれるって聞いたから急いできたんだ」

 かなり遅れてフェルナーがやってきた。

「ああ。祝いの酒だ、遠慮なく飲め」

「やった」

 凍りついた空気をものともせず、そして再度ファーレンハイトが説明をし ―― 先程漏れ聞いてしまった者たちは、心中で”やめて、やめて”と……そんな彼らの気持ちを知っていようが、気にしないフェルナーは最後まで話を聞き、グラスを持ったまま、

「ファーレンハイト。ちゃんとジークリンデさまに”ご結婚おめでとうございます”って言った?」

 誰も指摘しなかったことについて問い質す。

「……」

 ファーレンハイトは口元を手で軽く隠し、視線を浮かせる。

「その表情。忘れたな」

「控え室の扉を開けるまでは覚えていた。開けた瞬間に全て忘れた」

「あまりにもお美しくて?」

「ああ。それに泣きそうになるのを我慢するので精一杯だった。花嫁の父というのは辛いものだな」

 ファーレンハイトが彼女の花嫁姿を見るのは二度目。

 一度見たことがあるので、驚きはしないだろうと自分に言い聞かせて扉を開き ―― 花嫁を花婿に引き渡すことにためらった。

 彼女が嫌だという素振りを見せたら、どこかに連れて逃げようと思うくらいには。むろんファーレンハイトは、自分が彼女の伴侶に収まるという気持ちはない。

 ただ彼女は結婚をためらわなかった。帝国貴族女性の気概と矜持に、ファーレンハイトは従った。

「はいはい、独身、独身。花嫁の父になるどころか、自分の花嫁のアテすらないでしょうが、もてるのに。後日お祝い持っていこうな。キスリングもパウルもお祝いするだろ。合同でだそう」

「え、はい」

 突然話を振られたキスリングはややためらいがちに。

「よろこんで」

 オーベルシュタインは淀みなくフェルナーに返事をした。

「でもファーレンハイトいいな。前の式も直接見たんだよね」

 彼女は十一歳で結婚したが、式を挙げたのはそれから二年後の十三歳のとき。

「ああ」

 結婚するまでの期間が四日と短く ―― 本日その記録を塗り替えたのだが ―― 結婚後からドレスなどの用意が始まり、十三歳の六月にやっと式を挙げることができた。

 その頃にはフレーゲル男爵から直々に彼女の護衛を任されるようになっていたファーレンハイトも、式に参加することを許された。

「十三歳の頃と今、どっちが美しかった?」

「今だな。あの時は、これ以上美しい花嫁を見ることはないだろうと思ったものだが……」

「そうか。旦那様もお可哀想なことで」

 フェルナーは彼女の父親、フライリヒラート伯爵グントラムのことを”旦那様”と呼ぶ。これは深い意味はなく、単に彼女の周囲に伯爵が多くて”名前覚えるの面倒です”と、持ち前の横着さを全面に出して ―― 彼女の父親はフェルナーのことをいたく気に入っていた。

「伯爵は納得なさったか?」

 リヒテンラーデ侯は彼女の番犬にファーレンハイトを選んだが、彼女の父親は彼女の側に置くのはフェルナーのほうが良いと考えていた。

 特に父親はフェルナーのことを心底気に入っており、どこぞの貴族の家の養子となり相応の身分を持って、娘と結婚してフライリヒラート伯爵家を継いで欲しいと ―― 息子のローデリヒがリヒテンラーデ侯の跡を継ぐことが決まった際、フェルナーは直接その話を持ちかけられたが、やんわりと断った。

 フェルナーは彼女のことは嫌いではない。それどころか全てを捧げることも苦ではない ―― だが違うのだと。

「納得するしかないでしょう。報告したら何回も聞き直されたけど”それは本当か? 間違いではないのか?”って」

「まあ、そうなるだろうな」

「倒れられて医者を呼んでと、大騒ぎになってさ」

「だから来るのが遅かったのか」

「うん。旦那様、やっとジークリンデさまと暮らせると喜んでいらっしゃったのになあ」

 彼女をなかなか手放そうとしないブラウンシュヴァイク公爵夫妻との折衝を請け負ったのもフェルナーで、彼が言う通り”やっと”折り合いを付けて、完全ではないが帰宅させたのが三週間ほど前のこと。

「そうだな。グントラムさまも……」

「若干弱ってるけれど、まだ歩ける旦那様差し置いて花嫁の父やったファーレンハイトさん。そろそろ部下を解放してあげなよ」

「お前等、もういいのか?」

「はい」

 

 フェルナーが突如出した助け船に全員うまく飛び乗り、彼らは礼を述べるや否や去っていった。

 

「控え目だな」

「上司が反面教師なんじゃない」

「そうか。いい上司を持てて幸せだな」

「そうだねー。私は奢ってもらいますけれども。そうそうパウルさん、キスリング。ジークリンデさまのお祝いの品なにがいいと思う?」

 

 翌日、彼らは二日酔いすることもなく ―― リヒテンラーデ侯に呼ばれ、ブラウンシュヴァイク公爵邸へとやってきた。

「小官は呼ばれていないが」

 呼ばれたのはフェルナーとファーレンハイトの二人だが、

「許可はとるから心配するな」

 彼らはオーベルシュタインを連れてきた。

「リヒテンラーデ侯が私たちを呼び出すってことは、間違いなくジークリンデさま絡み」

「ジークリンデさま絡みならば、卿を伴ったほうがよい」

「卿らの期待に添えるよう最大限努力する」

 公爵邸は広く、成人男性三人が横に並んで歩けるほど廊下の幅があり、壁も重厚で音漏れなどすることは ―― 稀にある。

「……」

「……」

「扉の向こうから声が」

「安普請の官舎ならともかく、公爵邸でこの声の漏れかた」

「フォン・ビッテンフェルトでしょうね」

 三人とも足を止めて、聞こえてくる、轟音と表現するしかないような声に肩を落とした。

「俺たちが呼ばれたのは、装甲兵としてか? 取り押さえろというのか? あれを」

「かもね。どうする? ファーレンハイト」

「面倒だから扉を開けたら即撃て、フェルナー」

「相手皇族なんですけど」

「ためらうお前か?」

「いや。私かなり腕がいいんで、本当に当ててしまうよ」

 立ち止まっていてもどうしようもないので、三人は歩きを再開した。

「当てて構わんだろう。そうだ、パウルは白兵戦いけるほうか?」

「あまり得意ではありません。クロスボウなら自信はありますが」

「そうか。じゃあゼッフル粒子でも撒くとするか」

「ファーレンハイトに粗方同意なんだけど、オイゲンには世話になっているから、話だけは聞いてあげましょう」

 

 扉の前にオイゲンがいたので、挨拶を交わして ―― 

 

「参りました」

「来たか、提督」

 まずはファーレンハイトが入室し、オーベルシュタインを同席させる許可をとる。

「国務尚書閣下」

「なんだ? 提督」

「ジークリンデさまに関することでしょうか?」

「そうだ」

「では先日配下に加えたオーベルシュタイン中佐の同席を許可していただきたい。彼の元にジークリンデさまの情報を集めて精査しているので、二度手間を省くためにも」

「あの4670721か。よかろう。お二人もよろしいな」

 リヒテンラーデ侯に促され、ブラウンシュヴァイク公とビッテンフェルトが同意し、見張りとして廊下にオイゲンを残して室内へと足を踏みいれた。直前に ―― ビッテンフェルトさまのこと、お願いします ―― 小声で頼まれたフェルナーは視線を逸らしつつ、だがそれでも”うん”と答えたのは、いままで散々世話になった過去があるためだ。

 

 ファーレンハイトとフェルナーは二人掛けのソファーに座るよう指示され、オーベルシュタインは背もたれの後ろに立ち、リヒテンラーデ侯の話が始まった。

 テーブルの上に乗っているフォトフレームに映し出されたのは、やや茶色がかった黒髪の男。

「ファーレンハイト提督、フェルナー准将。この男を覚えているか?」

 リヒテンラーデ侯の問いかけに、二人はすぐに答えた。

「アンドリュー・フォーク。叛乱軍の士官だったと記憶しております」

「アンドリュー・フォーク。ジークリンデさまのストーカーですね」

 五年前、彼女がフレーゲル男爵とフェザーンに滞在した際、遠巻きながらつきまとっていた男。それがアンドリュー・フォークであった。

「やはり覚えていたか」

「この男がなにかしでかしましたか?」

 負の方向で懐かしい男の登場に、ファーレンハイトは身構えながら尋ねた。―― この男が地球教徒にでもなったのか ―― と。それはある種の正解だが、まだ正解にはなっていない。

 

「そのアンドリュー・フォークなる男が、このたびの忌々しい侵略作戦の計画立案者だ」

「……」

 フォトフレームに今の彼の映像が映し出される。それは五年前とほとんど変わらなかった。あの時彼らが遭遇した、異様な目の輝きも健在。

「今回の叛乱軍の”落としどころ”が明かではないことは、聞き及んでいるであろう」

 銀河帝国と自由惑星同盟の戦争の終わりは、どちらかの国家滅亡である。だが毎回、国家の存亡がかかった戦いを繰り広げているわけではない。

 艦隊戦を行って、ある程度消耗して帰還する ―― だからこの大侵略作戦もオーディン陥落が目的ではなく、どこかで退くのであろうと考え、帝国は情報を求めたのだが、情報をいくら集めても、そんな明確な目的が見当たらなかった

 集まる情報はといえば「大軍をもって帝国本土へ侵攻する」「高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処するらしい」というものばかり。

「はい」

 オーディンを落とすと明言するわけでもなく、皇帝を倒すと叫ぶわけでもなく、帝国軍を駆逐するというわけでもない。

「大きい選挙ってやつがあるんじゃないんですか?」

 彼らの欲するところはなにか?

 ルビンスキーが突如情報を提示したことについてリヒテンラーデ侯は裏を考えたが、なにも見つからなかった。そして導き出された答えは ――

「ない。それはお前も調べておろう、フェルナー准将」

「え、まあ。選挙はありますけど、過去に例のあるものですから、この大出兵に関係するとは思えません……我々には分からないだけかも知れませんが」

「この男、独自のルートで計画を持ち込み、明確な目的を持たずに出兵させた……と言われておった。そして先日、ルビンスキーにジークリンデは売らぬと連絡を入れた際に、突如五年前の写真を送ると言いだしてな。何者かと思い調べさせたところ、すぐに正体が割れた。お前たちが過去にあげた報告書によってな。この男の病的なまでのジークリンデに対する執着心」

「叛乱軍の大侵略の目的はジークリンデさまだと?」

「お前たち、否定できるか?」

 ファーレンハイトは無表情のまま、フェルナーは苦笑を浮かべて首を振る。

「否定できませんね。妄想が限界点に達したんでしょう」

「この戦いは妄想によって起こったものだというのか? フェルナー」

 やや苛ついた咎めるような声でビッテンフェルトが尋ねる。

「アンドリュー・フォーク立案ならば、あり得ます。この男、妄想猛々しいストーカーでして」

「どんな妄想だ?」

「妄想の深い部分までは分かりませんが、覚えている限りでは、ジークリンデさまとこの男は、敵対する家柄の生まれだが、一目で恋に落ちた。だが家が許さない。けれどもジークリンデさまは自分に助けを求めている。あの微笑みがなによりの証拠だ……と」

「は?」

 フェルナーの説明は、その現場を見たファーレンハイトには分かるのだが、ストーカー思考とは無縁のビッテンフェルトには理解しがたいものであった。

「フォン・ビッテンフェルトが言いたいことはよくわかるんですけれども、そういうものなんですよ」

「この男はジークリンデさまがレオンハルトさまに笑いかけている横顔を見て、ジークリンデさまが自分に好意を持ち、笑いかけていると考える類の男なのです」

「卿らの言っていることが理解できん」

 二人の説明を聞いたビッテンフェルトは腕を組み、忌々しそうにして背もたれに乱暴に体を預けて脚を組む。

「理解できなくて普通です。とにかくこの男はジークリンデさまを救うべく、軍を率いて銀河帝国を滅ぼし、救われたジークリンデさまが感涙して自分の胸に飛び込んでくる……と思っているはずです。男のなかではそれが正しく、男にとって想像は現実なのです」

 彼女の護衛を務めていたファーレンハイトやフェルナーは、彼女に対して妄想を抱くストーカーを何人も逮捕し、尋問したことがあるので、存在そのものには驚かない。

「頭がおかしいやつもいるもんだ」

「同意いたします。フォン・ビッテンフェルト」

「些か危険な話になりますが……」

「どうした? ファーレンハイト」

「なんらかの事情でジークリンデさまがアンドリュー・フォークの手に落ちたとします。その際ジークリンデさまが、アンドリュー・フォークの思い描いたとおりの言動を取らなかった場合、殺害される可能性もあります」

「想像のジークリンデと、現実のジークリンデさまが違うと、認められず殺すこともあります。大侵略を計画するほどの執着です、ジークリンデさまに対する妄想も肥大化していることでしょう」

 

 侵略の目的が彼女である可能性が高い ――

 


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