黒絹の皇妃   作:朱緒

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第237話

 カザリン救出の報を受け、カタリナは彼女の邸を去り ―― しばらく後、ある程度の安全が保障できるということで、彼女はオーディンのローエングラム邸へと戻り、そこで「自称」謹慎生活を送る。

 対外的には、慣れない軍艦生活とテロに対する心労から、休息が必要なので……とされていた。

 

**********

 

 今回のテロは「カザリン=ケートヘンの排除」が、一応の一致した意見であり大義であった。

 

 オーディンのあちらこちらで起こった凶行の中で、真っ先に犯人が割れた事件は、ベーネミュンデ公爵夫人殺害犯であった。

 これは容疑者が絞りやすかったことが要因。

 ベーネミュンデ公爵夫人は元皇帝の寵姫であり、生来気位が高く、下々の者に会うような人間ではない。

 また邸は押し入られた痕跡はあったものの、偽装であることが簡単に見抜かれ、正式な客として訪れたことは明らとなり、その線で調査された結果、リンダーホーフ侯爵が捕らえられた。

 

 その切っ掛けとなったのが、マーキスカットされたインペリアルトパーズ ―― 彼女がマグダレーナ・フォン・ゴールデンバウムの埋葬品であると指摘した宝石。これはこのタイミングで捜査の目をリンダーホーフ侯爵に向けるために用意されたものだった。

 

「あまりにも出来すぎているな」

 

 彼女がケッセルリンクから購入したインペリアルトパーズについて聞かされていたケスラーは、絶妙なタイミングで届けられたフェザーンの独立派とリンダーホーフ侯爵が接触している写真や音声を前に呟いたものの、逮捕には充分足りるものだったため ―― この時点での容疑は殺人に関してではなく、皇族の墓を暴き宝飾品を密売した罪状で憲兵隊を向かわせた。

 

 逮捕後、盗掘と密売ではなく殺人事件に関して尋問していると、リンダーホーフ侯爵がベーネミュンデ公爵夫人の殺害を自白した。

 彼は皇帝の座を欲して、今回のテロに参加したと、居丈高に答える。

 ただ彼はその地位を欲しているが、自分だけでは手に入れられず、彼の言うところの身分が低い者たちと手を組んだ。

 その身分の低い者たちは、リンダーホーフ侯爵に証しを求めた。それがベーネミュンデ公爵夫人の殺害であった。

 持ちかけられたリンダーホーフ侯爵は、皇帝になるためには仕方あるまいと、簡単に受け入れベーネミュンデ公爵夫人を毒殺する。

 そんなにも簡単に人を毒殺できるのか? 相手が平民であれば、人と見なしていないので気にする部分ではないが、ベーネミュンデ公爵夫人は皇帝の寵姫であった門閥貴族である。

 尋問にあたっていたケスラーは、いとも簡単に毒を盛った理由について尋ねた。それで返ってきた答えだが、皇帝の寵姫でありながら殉死しなかった恥知らずな女に、貴族の礼節を教えてやったまでのことと、

 

「平民には分からんだろうがな」

 

 これ以上無いほどに小馬鹿にした口調で、問うたケスラーに答えた。

 

 彼は皇帝になれると思い彼らに与したわけだが、彼らにとってリンダーホーフ侯爵はダミーかデコイかそれ以下かといった存在でしかない ―― 最初からリンダーホーフ侯爵を皇帝に添えるつもりなどなかった。

 

 捜査を少しでも攪乱できれば良し、できなかったとしても惜しくはない。その程度であったと語ったのは、首謀者の一人でヴェストパーレ男爵夫人殺害を強く推したヒエロニムス・フォン・キューネルトであった。

 

**********

 

 リンダーホーフ侯爵が己が王冠を掲げる方法として考えたのはカザリンを退位させ、彼女の夫に収まり即位するというもの。

 ヒエロニムス・フォン・キューネルトの考えた帝国の未来は、カザリンを排除し、彼女の夫を即位させるものであった。

 非常に似ているのだが、両者は動機の面で大きな違いがあった。

 リンダーホーフ侯爵は自身が皇帝に即位したいという欲求があり、また彼女の夫に収まりたいという欲望からの行動だが、キューネルトは自分が皇帝に即位しようと思ったわけでもなければ、彼女の夫になりたいと願ったわけでもない。

 キューネルトは自分を良く知る男であった。

 銀河帝国の常識として、彼程度の身分では彼女の隣に立つことは許されない。彼女の夫になって良いのは伯爵以上の生まれで、爵位を持っている、五体満足で劣悪遺伝子排除法に引っかからぬ人物に限る。門閥貴族が考える彼女の夫の理想像 ―― 存在しているかどうかは別として ―― 彼はそのような人物が彼女の夫であり、この銀河帝国の皇帝であるべきだと。

 そして自分は該当しないこと、そして、そのことに関して不満を覚えることなどなかった。

 ある意味立派な貴族だが、それほど折り目正しい貴族が、皇帝の命を危険に晒すような事件を起こした理由 ―― 彼は女帝否定派であったことが大きい。

 帝国の歴史のみならず、あらゆる歴史を鑑みれば、女性が至尊の座に就くことを拒否する者がいるのはおかしいことではない。それどころか、多数派を占めているといっても過言ではない。

 今回のテロは、女帝を廃するという目的で集まり、また、集められた。

 だが今回のテロが成功し、カザリンが排除されたとしても、跡を継ぐのは彼女。強大な武力を所持している彼女は、カザリンとは違い容易に排除はできない。

 彼らの目的にはそぐわないのではないか? ―― 捕らえ尋問していた者たちは疑問に思ったが、テロの実行犯たちは彼女は女帝には就かず、夫を即位させると確信し凶行を起こしたのだと証言する。

 

 キューネルトたちにそう思わせたのは、最早語る必要もないが、今までの彼女の態度。どれほど権力を与えられようともそれに触れようとせず、人前に出る機会はあれども、決して前に出ることはせず、どのような場面でも夫の後ろに控えている。尚書を預けられたが、いままでと変わらず出しゃばることはない ―― まさに帝国が理想とする門閥貴族の令嬢であり夫人であり、こういう女が皇后であれば良いなと思わせる理想の人物。

 

 ”この男が言う通り、間違いなく平民にとっても理想の皇后陛下になられるであろう”

 

 それは尋ねた治安を守る側も、文句なく同意した。

 

 キューネルトに話を戻すが、彼は女性が家督を継ぐことも帝国の規範に反しているという信念の持ち主であった。

 皇帝が一夜妻など女の性を公然と略取し、居城に集めて囲うことを、誰も不思議と感じない社会において、これも賛同者の多い意見である。

 このような徹底した古き良き帝国を規範として生きているキューネルトにとって、門閥貴族の女性当主は帝国の根幹を揺るがす、悪しきものに見え、その最たるものが女帝カザリンであった。

 

「大公妃殿下はどうなのだ? 卿の理論では、悪しきものではないのか?」

 

 キューネルトの意見によれば、彼女は排除される側のはずなのではとケスラーが尋ねると、彼は首を振り否定した。

 

「大公妃殿下は家督を継がれたのではない、家督を強制的に渡され、門閥貴族の責務として預かっているだけだ」

 

 ケスラーはその言葉に対し、同意も否定もしなかったが、彼女が爵位を欲していない姿を間近で見ていたこともあり、内心ではほぼ全面同意であった。もちろん今回の凶行に関しては全く同意はできなかったが。

 

 ともかくそのような考えを持つキューネルトにとって、男勝りで女の分を弁えぬヴェストパーレ男爵夫人は害悪でしかなく、帝国のためにも排除せねばならぬとテロを成功させるためのメックリンガーもろとも殺害する計画を練った。

 その実行犯に選ばれたのは元憲兵だが、当然のことだが内通者がいた。

 内通者はヴェストパーレ男爵家を殺害された男爵夫人ではなく、一門の男性に男爵家を継がせたほうが良いと考える者たち ―― 男爵夫人の身内であった。

 男爵夫人がもう少し門閥貴族の子女らしい女性であれば、避けられたかもしれないが、男爵夫人は男爵夫人であり、他者にどのように思われようとも我が道を行く人であった ―― 男爵夫人の一門の者たちは、全員男爵夫人のような思考回路でもなければ、考え方も保守的。

 一門の者たちが、大なり小なり反発を覚えるのは必然。

 また男爵夫人がやたらとアンネローゼに肩入れしたことで、寵姫を嫌う者が多かった社交界で肩身の狭い思いをすることも多く、男爵夫人は身内に反感を買っていた。

 むろん男爵夫人は気付いていたが、彼らだけではなにもできないであろうと ―― そこに滑り込み煽り手を貸したのがルパートであった。

 ルパートはまともな判断が出来ぬほどに、彼らを成功後のビジョンを見せ酔わせ、彼らにその手助けと資金援助をする。

 この家督奪取は皇帝暗殺計画の一端。

 事実が明るみに出た場合、ヴェストパーレ男爵家は立場を失うことになるのだが、ルパートの甘言に酔った彼らは、そこまで意識がまわらなかった。そこが彼らの限界であり、結果として男爵家は凋落する。

 

 余談になるが、アンネローゼに対する肩入れに関して、女官長時代の彼女も似たようなものだが、当時の彼女は当主でもなければ、彼女が取った行動のほとんどは、今は亡きリヒテンラーデ公の命令によるものだと解釈されていたので ―― リヒテンラーデ公がそう思われるよう手を回していたため、誰も問題視してはいない。

 

「ツヴィーファルテン侯爵家も巻き添えにするつもりか?」

 

 ヴェストパーレ家もそうだが、一門から皇帝暗殺の首謀者が出たツヴィーファルテン家も、重い処罰は避けられない。

 

「もとより」

 

 キューネルトは拘束されている腕をまるで組んでいるかのようにし、ケスラーの問いにしてやったとばかりに答える。

 ツヴィーファルテン侯爵家はシュトライトが語っていたとおり、息子は社交界を好まず経営者としての才能を持っていなかったが【孫娘】ロザリンデは積極的に領地経営に携わっていた。

 現場の一つを担当しているキューネルトは、侯爵家を継ぐつもりのロザリンデが不快で仕方なかった。

 

「ロザリンデ殿を侯爵にしないためか?」

「ああ、そうだ。貴様らにはどうすることもできまい」

 

 キューネルトは女性に家督を渡そうとしていた侯爵家を潰すのも目的で、それは見事に達成され、侯爵家は財産を没収されて取り潰しとなった。

 ロザリンデの命は助かったとキューネルトに伝えると、彼は興味はないと答える。彼はロザリンデが侯爵夫人にならなければどうでもよいのだ。

 

 実際にキューネルトは寒門出の女帝カザリン個人に対しても恨みなどはなく、ゴールデンバウムを継ぐものとして、夫を迎えその者を皇帝の座に就け、カザリン自身は皇后におさまっていたのであれば、なんの不満を持つこともなく臣下として誠実に仕え、このようなことなど起こさなかったと、胸を張りはっきりと言い切った。

 帝国の性質上、この意見に同調する者は多く、大逆罪ではあるがその原因から、彼は極刑ではなく、刑を減じて流刑にすべきでは無いかという意見が出るほど ―― 彼の意見は帝国においては、叱責されるべきものではなかった。

 

 帝国には拘留期限がないこともあり、刑が決まらぬまま拘留が続き ―― 次の年の九月、自害して果てることとなる。

 

**********

 

―― 帝国が男尊女卑なのは知っていましたが、これほどまでとは……

 

 今回のテロの目的の一つが、女帝を廃するためだったと聞かされた彼女は絶句した。たしかに女は政治に口を出すなと考える男性が大半を占めるのは知っているが、それが高じて、このような事態になるとは考えてもみなかった。

 

「まだ案の段階ですが、ツヴィーファルテン一門に対しての処罰に関してはこちらに」

 

 オーベルシュタインが彼女に分かりやすく、言葉を選んだ特別仕様の書類を差し出した。

 厚手の上質紙に書かれた、名前と罪状と処分を眺める。

 彼女としては、連座などばかげているとは思うのだが、今回は事情が事情なので、累が及ぶ範囲を狭めることも、処分を軽くするわけにもいかない。

 女性皇帝に対しての大逆と男性皇帝に対しての大逆に対する処分を同じにすること。それがカザリンが帝位についている間の安定を得るために必要なことであり、将来、女帝が再び帝位についた際、混乱を起こさぬために必要なことである。そこまで分かっているので、処分に関してなにも言うことはできないが、感情としては複雑である。

 

「どうぞ」

 

 フェルナーが甲斐甲斐しく、彼女に紅茶を差し出す。

 彼女は書類を下げるよう指示し、内側に薔薇の花が描かれているカップを手に取り、香りと紅茶の色を楽しんでから口へと運ぶ。

 

―― 理解はしています、理解はしているんですよ。でも関係ない人が巻き添えを…………はあ。それにしても、そんなに女性に指示を出されるのは、国家に反逆するくらい嫌ですか。なにより陛下が指示を出していないことくらい、分かるでしょう。軍権代理におさまっている私に対して……

 

 彼女はふと気付き、そして考えてはならないことを考えてしまい ―― 思わずカップを持ったまま手が止まってしまった。

 

「どうなさいました? ジークリンデさま」

 

 茶を出したフェルナーは、毒味用のカップに残っていた紅茶を一口含んで、味を確認する。

 特に変わった味はしなかったものの、彼女の手にあるカップを掴み、ワゴンへと戻す。

 彼女は黙ってされるがまま周囲を見回す。

 

「ジークリンデさま」

 

 その仕草を見ていたファーレンハイトは、彼女がなにを考えたのか気付き、やや強めの口調 ―― 普段の口調でもあるのだが、彼女に対しては滅多に使わぬ声で、咎めるとまではいかないが、心外だとばかりに声を掛ける。

 その彼女にとっては、荒めのファーレンハイトの語気に驚き、少々現実逃避していたのだが正気を取り戻し、そして内心を見透かされたことに気付き、俯き加減とになり手を膝の上に乗せてぎゅっと握り締めた。

 

「……」

 

 尚書の地位には就いたものの、極力指示などは出さないようにしている彼女。女性が上司になることを嫌う男性はいるとは思っていたが、女性を仰ぐことを嫌い大逆までおかしたとなると ―― 仕事を預けている彼らのことで、思うところがあり、思わず手が止まってしまったのだ。

 

「なにを考えていたのかは伺いませんので、これ以上は申しません」

 

 無言のままの彼女に、腕を組んだファーレンハイトは、そんなことは考えてくれるなと遠回しに告げた。

 

―― ファーレンハイトもフェルナーもオーベルシュタインも、嫌でしたら従ってくれないような気はしますが、でも……。シュトライトは嫌でも従ってくれそう

 

 彼女は薄紅色の唇を固く結んだものの、軽く首を横に振り、

 

「私が地位に就いていることで、苦労することも多いのではありませんか?」

 

 彼らが自分の意思に従いたくないかどうかについては聞かず、彼らが「女性の上官に従っていることで嫌な思いをしているのではないか?」と尋ねた。

 

「そんな心配は無用ですよ、ジークリンデさま」

 

 彼女に出した紅茶の味がおかしくなかったことが判明し、胸をなで下ろしていたフェルナーは、そんなことは考える必要もありませんと、念のために用意していたスパークリングワインを取り出し、グラスに注ぎ差し出す。

 それを受け取った彼女は、気にはなるものの、答えてはくれないのだろうと諦めて、グラスのワインを半分ほど飲み、一人になりたいと部屋へと戻った。

 ペールオレンジ色ででヨーク襟が目を引く、僅かに引きずる程度の丈のネグリジェに着替え、クロの薄手のショールを羽織り、深みのある真紅の重いカーテンを僅かに開き外を眺める。

 ライトアップされている庭の噴水と、周りの彫刻 ―― 観てはいるのだが、それに感動しているわけでもなければ、心が安らぐわけでもない。

 

―― 帝国五百年の歪みと言えばそれまでですが、それで終わりにしておくわけにもいかないでしょう。ここで陛下が退位なされば、テロは成功したことになってしまいます。でも賛同者が多い……となれば、陛下を危険な目に遭わせるのも心苦しく、臣民に平穏を与えることもできず。だからといって私が即位したとして、苦労するのも神経をすり減らすのも私ではなく。ルドルフの長女カタリナが即位していたら、ここまで拗れなかった……かどうかは分かりませんけれど、少なくとも前例にはなるので……

 

 思い悩み彼女は項垂れる。ほっそりとした首と、俯き加減になったことで、艶やかな黒髪の隙間から僅かにのぞく項の婀娜やかさ。

 項垂れ深いため息を吐き出した彼女の後ろ姿に、声を掛けられる者はいなかった。

 

**********

 

 自らが皇帝の地位に就こうとした者。女帝廃位を目論み行動を立案、実行に移した者。

 これらは帝国人が帝国の倫理観やら、利害により行動した。

 ではフェザーンはなにが目的で、このようなテロに荷担したのか? ―― 計画に加わったのはフェザーンの独立を願う者たち。

 ルビンスキーや地球教とはまた別の勢力で、ケッセルリンクの養父であるミハイル・S・ボグダーノフも属しており、この養父によりケッセルリンクは独立派内部で地位を得ていた。

 だが養父はケッセルリンクが捕らえられたと聞くや否や、養子もろとも独立派を売り、フェザーンの元老院で議席を得ることに成功する。

 養父が本気でフェザーンの独立を考えていたのか、失敗するのを見越して、情報を売り地位を得ようとしていたのか? どちらかは当人以外知る余地はない。

 養父が売った独立派の内情だが、資金提供者の中には、有名な企業に所属している者や、元老院のメンバーも含まれていた。

 彼らは独立を望んでいたのではなく、ルビンスキーを失脚させるために、彼の息子がトップを務める独立派に資金を提供していた。

 彼らは自治領と帝国の国力の差を熟知しているため、独立などできるはずがないことは分かっている。

 このテロが失敗した際にルビンスキーの息子が首謀したことだと暴露し、引責辞任に追い込もうと算段していた。

 フェザーンは自治領ではあるが、あくまでも帝国の一部。皇帝を害そうとしたならば、連座が当然適用される故の計画である。

 だがそんな彼らの思惑通りに物事を進めてやる義理など帝国側にはなく、ケッセルリンクとルビンスキーの繋がりは闇に葬られ、ルビンスキーはその地位を脅かされることはなかった。

 


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