黒絹の皇妃   作:朱緒

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第231話

 カザリンが上機嫌で、見つけた彼女の公務用のドレスを着て楽しんでいるとき、彼らが待ちわびた通信が入った。

 

『陛下。お待たせいたしました』

 

 彼女の薄紅色のドレスに埋もれていたカザリンは、画面に映った彼女を見て大喜びでドレスから抜け出す。

 

「じくー!」

 

 カザリンの身の安全を確認し彼女は安堵した。その後の救出に関する伝達はファーレンハイトに任せる。

 彼らは言葉少なく、手早くやり取りをしてから通信を切った。

 暗くなった画面に手を伸ばすカザリンをリュッケが抱き上げ、小型の端末をフェルデベルトが持ち、

 

「武器は持ったな」

 

 彼らはオラニエンブルク邸の三階テラスへと急いだ。

 大理石の手すりが緩やかなカーブを描いている半円状のテラス。

 周囲の景色を楽しむことを目的としているため、このテラスを覆い隠すような木々も建物も存在しない。

 捕捉して下さいと言わんばかりの場所で、ロイエンタールはライフルのスコープで辺りを窺いながらリュッケに指示を出す。

 

「リュッケ、見えるか?」

 

 彼は空を見上げた。

 上空から救助を差し向けると言われたとき、掛け値無しで彼らは驚いた。あのロイエンタールでさえ。

 ただロイエンタールは立ち直るのも早く、対空砲がいたるところに設置されていることを伝えた。”確認はしている。だが戦闘艇は武装していない”そのひと言に、彼らは黙って頷いた。

 首都の空気は随分と汚染されているのだが、空は澄み渡りその日差しは輝いていた。

 降りてくる音をかき消す、向こう側から聞こえてくる軍用車の走行音。

 そして耳をつんざくような爆音が、白を基調としたオラニエンブルク大公妃邸の壁を震わせる。

 リュッケに黙って抱きかかえられていたカザリンが、その大きな音に体を硬直させ ―― 泣きはしなかった。

 

 度胸が据わっているのではなく、あまりの轟音に声が出なかったのだ ―― 後にカザリン本人がそう語っている。

 

 彼らですら耳を覆いたくなる音だが、彼らの手は耳を覆っているような余裕などない。

 

「ワルキューレじゃない……」

 

 通信で”武装していない戦闘艇を向かわせる”としか聞いていなかった彼らの前に現れたのは、百五十年来の敵である自由惑星同盟の戦闘艇。

 まさかスパルタニアンが遣わされるとは思ってもいなかった彼らだが ―― 邸の外壁に前方部分をめり込ませながら、前のめりにテラスに突っ込んできた一機の搭乗員を見て、彼らは驚愕する。

 

「こっちだ、陛下」

「オリビエ・ポプラン!」

 

 カザリンに顔を知られている戦闘艇乗り ―― 渡して良いのか? と、頭を過ぎるも、ポプランほどこの陰謀に無関係な男はいないと、彼らもすぐに判断し、皇帝の身柄を預けることにした。

 リュッケは手を伸ばし、同じく操縦席から身を乗り出しているポプランにカザリンを手渡す。

 素直に移動したカザリンは、

 

「ておー」

 

 リュッケも来るものだと思っていたのだが、彼を乗せるスペースなどない。

 搭乗部が閉じられ、リュッケたちは急いでテラスから離れて室内へと戻る。ポプランは機体の姿勢を整え、コーネフが盾になり対空ミサイルからポプラン機を守りつつ二機とも新無憂宮を離れようとしたのだが、新無憂宮の外から飛んできた新手の対空ミサイルにコーネフ機が撃ち落とされた。

 破壊音が轟き地面が揺れる。

 ポプランは墜落したコーネフ機に近づくことなく、隙をつき無事に新無憂宮から遠ざかった。

 ポプランはそのまま、指示された空域へと向かい、軍港に停泊している戦艦で待っていたメルカッツに、無事カザリンを引き渡す。

 ポプランはコーネフを救出すべく、新無憂宮に引き返そうとしたのだが ―― 彼は既に救出され、軍病院に運ばれたと連絡を受け、プレスブルクが同行し病院へと急いだ。

 

***********

 

 事件が起きてから四日目の朝、カタリナは新無憂宮を観ながら、大笑いをして噎せたあと”アレはなんだったのか?”と、隣で観ていてフェルナーに尋ねる。

 

「フェルナー。あの新無憂宮の上空を飛び回っているのはなんなの?」

 

 彼女よりよほど貴婦人であるカタリナは、単座式戦闘艇など知らない。まして ――

 

「スパルタニアン。叛徒の単座式戦闘艇です」

 

 同盟の戦闘艇など、知るはずもなかった。

 

「叛徒が攻めてきたのかしら?」

「それはあり得ません」

「ええ、分かっているわ。でもあれは、叛徒なのでしょう」

「はい」

「新無憂宮の上空にあれ達を舞わせ、陛下の救出を命じることができる人物なんて、銀河中でも一人しか居ないでしょう」

 

 だがその正体を聞き、誰が命じたのかはっきりと分かった。

 それはカタリナだけではなく、隣で見ていたフェルナーも、すぐにわかった。なにせポプランとコーネフは彼らの愛機で ―― 一般兵の塗装ではなく、彼らであると一目で分かる ―― オーディンの上空を我が物顔で飛び回っているのだ。

 演習関連の書類に目を通していたフェルナーには、その出所がどこなのかすぐに分かる。

 

「ゴールデンバウムの本気ってやつね」

「そのようです……止めてくださいよ、ファーレンハイト……」

 

 ただ、カタリナとは違い、フェルナーの顔色は非常に悪く、足下を見て髪をかきむしる。

 

「あなたみたいな、神経図太い男でも、顔色失うってことがあるのね」

 

 カタリナは聞き慣れない騒音と、新無憂宮の居たるところから現れる光の球を見て ―― それが対空砲から発射されたミサイルであることは、純粋なる門閥貴族の公爵夫人であるカタリナには、やはり分からなかった。

 

「カタリナさま、あれは……」

 

 カタリナに分かることは、この救出方法を考え実行した人物は、罪に問われるということだけ。

 

「まあ、下手したら、あなたが考えているくらいの罰は受けるでしょうねえ。そんな顔しないのフェルナー。あなた程度の平民が幾ら考えて動いても、できる事なんてないんだから」

 

 フェルナーにそう言いながら、どうしたら彼女の罪を軽くすることができるかを考えたカタリナ。その眼前で一機のスパルタニアンが撃ち落とされ ―― もう一機はミサイルを避け新無憂宮から遠ざかっていった。

 

 カタリナの元にメルカッツからカザリンが無事だという連絡が届いたのは、それから一時間後ほど経ってから。

 シューマッハが部隊を率い、カタリナを護衛しカザリンの元へと連れて行く。

 カザリンが新無憂宮より無事に脱出を果たしたことで、あとは何が起こっても大丈夫とばかりに、大部隊が送られ五時間後には制圧が完了した。

 大部隊の指揮を執ったのは ――

 

***********

 

「落ちたな」

 

 カザリンを乗せなかった方 ―― コーネフのスパルタニアンが撃墜される。

 抵抗する手段を一切持たない上に、所有者はともかく宇宙でもっとも歴史ある建築物をできるだけ傷つけぬよう、カザリンが同乗しているため高速を出せないポプラン機の盾になり、ミサイルを一手に引き受けていたのだ。並のパイロットならば、とっくに撃墜されていておかしくはない。

 超低空飛行をしていたことと、直撃は操縦技術で免れたこともあり、スパルタニアンの大破だけは避けられた。

 だが搭乗しているコーネフは負傷し、自分で脱出することは不可能な状態。

 壁面の一部が崩れたオラニエンブルク邸。

 ここに残っていては危険だということで ―― 最後に通信を入れ、スパルタニアンの落下地点情報を端末に送ってもらい、彼らは邸から離れ救出するために急いだ。

 敵も然る者、戦艦との通信をすぐに追尾し、彼ら三人の居場所と、コーネフが落下した地点をかすめ取り、その場所へと部隊を差し向けた。

 敵の目的はコーネフの奪取ではなく、コーネフの救出に向かうであろう三名、その内の一人 ―― ロイエンタールが狙いであった。

 

 敵の数は多く、こちらは三名で、これから負傷者を回収し脱出しなくてはならない。

 彼らは敵に遭遇しないよう辺りを警戒しながらコーネフの元へと急いだが、数は敵の方が圧倒的に多く先を越されてしまった ―― が、ロイエンタールの奮闘する。その騒ぎの最中に連れ去るのを困難にすべく、リュッケはコーネフの足を撃つ。自力で立てなくなったコーネフを引きずる敵と、それに襲いかかるロイエンタール。

 彼女の邸に飾られていた日本刀は砕け散り ―― 背負っていたトマホークを取り出し、再度振りかぶり頭を割る。

 

 そこに援軍の部隊が到着し、事情を聞き出すために生かされた者もいたが、ほとんどの敵は屠られた。

 意識が朦朧としてきたコーネフに、部隊の誰よりも敵を倒し、異様な強さを誇っていた部隊長が膝を折り顔を近づけ、ヘルメットのフェイス部分を上げる。

 さすが大部隊を率いる部隊長と感心していたコーネフは、象牙細工のような繊細で美しい顔だちを前にし ―― 天は二物を与えたことに不満はなかったが、容姿と似合わぬ才能だなとは思った。

 

「助けに来るのが遅くなってしまったな」

「元帥閣下……」

 

 ラインハルト自ら部隊を率いてやってきていた。

 その後、コーネフは軍病院へと運ばれ、治療が終わり一眠りして目覚めると、ベッドサイドで、クロスワードパズル雑誌を睨んでいるポプランを見つけた。

 

「よお、コーネフ」

「ポプランか。作戦は?」

「無事終了。陛下はご無事、大公妃殿下ももうじきおもどりになる」

「そうか」

 

**********

 

 カザリンとコーネフの無事を、艦橋の提督席で聞いた彼女は安堵した。

 

―― 次は自分の身を案じましょうか

 

 オーディンに戻ったら今回の作戦を強制した責任者として、どんな罰でも受けるつもりであった。

 

―― 結局流刑になる定めなんでしょうねえ。それはそれで、良いんですけれど……一族流刑じゃなくて、独りぼっち流刑ですか……辛いわ

 

 過去皇族が下された例を確認して「きっと流刑」と彼女は一人、勝手に覚悟を決めていた。

 流刑になるその前に、褒賞を与えねばと、カザリン救出の手がかりとなったロイエンタールを発見した兵士たち四名を、艦橋へと呼び寄せた。

 

「受け取れ」

 

 彼らの前には、彼らの希望通りカードや銀行振り込みではなく、現金が目の前に積まれていた。

 ただ彼らは四人で発見したので、百万帝国マルクを四等分して与えられるのだろうと考えていたのだが、彼女は一人に百万帝国マルクを用意した。

 

―― 現金を見たのは久しぶりですけれど……少なっ! なんか地味になってしまいました

 

 ほぼカード支払いで、現金そのものを見ない生活を送ってきた彼女は、想像よりも大したことのない札束に、どうしたものかと。もちろん、そんなことはおくびにも出さないのだが、内心で「微妙……いいえ、紛うことなく格好悪い」と、兵士たちの希望を聞いたことを、少しだけ後悔していた。

 

「殿下」

「なんだ、アーダルベルト」

「実は……」

 

―― 現金は要らない……ですか

 

 彼女の側にいるファーレンハイトが、兵士たちからの更なる希望を伝えた。

 彼らは報奨金ではなく、彼女に拝謁しお声をかけてもらい(名を呼んで欲しい)出来ることなら、つま先にキスをさせて貰えたらと ――

 

―― お金も貰いなさいよ

 

 彼らの希望を聞いた彼女は、それくらいは金を受け取っても叶えてやると、ファーレンハイトに返したのだが、

 

「持ち慣れないので、怖いのです。殿下には無縁の恐怖でしょうが」

 

 大々的に金をやると命じ、褒賞を与えている今も回線を開き与えるシーンを見たい者は見られるようにしているので、言葉は悪いが集られる恐れもある。

 

「身を持ち崩しかねないと」

「そうか」

 

 そこまで言われたら彼女としても、渡しようがない。そこで彼らの希望を叶え ―― 彼女としては何とも釈然としないが、彼らは感動に打ち震え、更なる忠誠を誓い彼女の前を辞した。

 

「毎月、三万帝国マルクを上乗せするとかどうかしら、ファーレンハイト」

 

 退役までの間、給与を知らぬまに増やすのはどうだろうかと提案してみたものの、

 

「伍長が毎月三万帝国マルク超えの給料は、不自然ですよジークリンデさま」

 

 ファーレンハイトに却下された。

 


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