黒絹の皇妃   作:朱緒

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第230話

 夕食を取りながら会話をし、そこでファーレンハイトがテロ発生以来、タンクベッドで細切れに休んでいる程度で、ほとんど眠っていないことを知り、

 

「ちゃんと休まないと駄目ですよ」

 

 彼女が言うも、

 

「この程度、大丈夫です、慣れています」

 

 ファーレンハイトはそう返した。

 だが彼女は引かず、そしてファーレンハイトの周りには援護してくれる部下はいなく ―― 大元帥代理の部下ですからと、自分の副官にも軽くかわされ、睡眠を取ることになった。

 当初はタンクベッドで時間を取って休みますと言うも、普通の睡眠も取らなくてはならないことを知っているので、彼女は強行に言い張り ―― 出来の良いファーレンハイトの副官は”遠征期間が延長になったため、これからタンクベッドのメンテナンスを行うことになりましたので使用できません”と、見事なまで彼女に忠実であった。

 無論メンテナンスを行う予定はないが、彼女の希望を叶えるためならば ―― 

 彼女の目の前で”おい、お前ら”と言いかけたファーレンハイトだったが、

 

「笑わないでね。実は宇宙空間で独り寝って、怖いのよ」

「畏まりました」

 

 指を組み口元に持ってきて、上目遣いで見られ、そう言われては拒否のしようもなく、彼女の寝所に侍ることになった。

 無論休ませるのが目的なので、肌を重ねるようなことはない。

 それは生殺しではと側に仕えている者たちは思ったが、口に出しはしなかった。

 要らぬ気遣いの達人である彼女は、ファーレンハイトの好みのネグリジェに着替える始末。

 一寸やめてあげてと思った部下だが ―― ファーレンハイトは疲れていたことと、手の届く範囲に彼女がいることの安心感により眠りに落ちた。

 彼女をがっちりと抱きしめたまま。

 彼女はと言えば、

 

―― 抱き枕に最適なサイズと言われて続けて早十年。レオンハルトだけではなく、ファーレンハイトにも最適サイズでしたか

 

 己の抱き枕人生に想いをはせ、そして遅れて眠りについた。

 

 そうして眠りに落ちた彼女は、隣の体温が離れる気配を感じ、眠い目をこすりつつ起きる。

 

「……? あら、ファーレンハイト。いま何時ですか?」

「午前の五時半です」

「もう仕事なの。早いわね」

 

 見覚えのある部下が、ファーレンハイトの側で書類を片手に話し掛けている姿。見慣れた風景。

 

「はい。起こしてしまって申し訳ございません。ジークリンデさまは、ごゆっくりお休みください」

「気をつけてね、ファーレンハイト」

 

 彼女はファーレンハイトにそう言い横になる。

 側仕え ―― 本来ならば従卒の仕事なのだが、しどけない寝姿を前に若い従卒にはこなすのは無理だろうと、エミールは寝所に入ることは許されていないので、護衛のキスリングが再び寝息を立て始めた彼女にシーツを掛けて離れる。

 ファーレンハイトが彼女の寝室を出て身支度を調え、艦橋へと向かう頃、

 

「……………………あっ!」

 

 彼女が飛び起きた。

 

「どうなさいました? ジークリンデさま」

 

 驚き辺りを見回す彼女にキスリングが声を掛ける。

 

「ごゆっくり休んでいる場合じゃありませんでした! いつもと勘違いしてしまって……」

 

 すると彼女は、勘違いしていたのですと頭を抱えて、ベッドの上で丸くなった。

 

「大丈夫ですよ、ジークリンデさま。特に問題は発生しておりませんから」

 

 白いシルクのシーツに広がる、それ以上の光沢を持つ黒髪が広がる。

 キスリングが何事もありませんよと言うも、寝直していられるような状況ではない ―― つい先ほど、さっくりと寝直したのだが。

 彼女はこうしてはいられないと、起き上がり、ベッドから飛び降り”よう”とした……ところ、

 

「そういう訳にはいかないでしょう。急いで準備っ……」

 

 裾についている、チュールレース製の解けたリボンを小さな足で踏み、ベッドの上でつんのめり、危うくベッドから転落しかけた。

 

「ジークリンデさま!」

「びっくりしました」

 

 そこは当然、優秀な部下であるキスリングが抱きとめ、事なきを得た。

 

**********

 

 基本どのような状況でも、彼女は彼女である。

 

「パウル」

「なんでしょう、提督」

 

 無理矢理、だが誰もが羨む休息を取らされたファーレンハイト。彼は、普段の彼女の思考回路と行動を熟知していることもあり、オーベルシュタインに休息するよう忠告する。

 

「そろそろ休んだほうがいい」

「心配は要りません」

「心配はしていない。俺たちのような軍人は、二徹、三徹くらいできなければ、やっていけないのは分かっている」

「ではなぜ?」

「ジークリンデさまが心配なさる」

 

 オーベルシュタインが徹夜で倒れようが、そこは自己管理不足であり、彼の関知するところではないのだが ―― オーベルシュタインが倒れれば彼女が間違いなく気に病む。それも自分の命令が原因で眠っていないとなれば、泣くかもしれない。

 

「……」

 

 それだけは彼らとしては避けたいので、オーベルシュタインに休むように忠告したのだ。

 

「お前が休んでいないと知ったら、俺のようにジークリンデさまの閨に呼ばれるぞ。それでも良いというのなら」

「休んできます。しっかりと休んでいると、お伝えください」

 

 オーベルシュタインは彼女の寝所に滅多なことでは近づかない。

 不具である自分が不用意に近づき、あらぬ噂がたち、彼女の名誉に傷がついてはならないと二人きりになることを、出来るだけ回避していた。

 美しく優しく慈悲深く差別せず ―― 更に、仕事もできて(彼女は認めないが)軍をも率いることができる様を前にして”お仕えできて光栄でございます”を通り越し、神をあがめるかのごとき姿勢を、隠すこともしなくなっていた。

 そのオーベルシュタインの姿勢に対し誰も異議を唱えることもなく、好きなようにさせていた。

 

 つんのめり、鼓動が収まるまでキスリングに抱きつき ―― 着替え、一仕事を終えてから朝食を取っていた彼女の元に、ファーレンハイトが報告を持ってやってきた。

 彼女は料理を口に運びながら、あまり聞き慣れない軍の用語があちらこちらに散りばめられている報告に耳を傾ける。ファーレンハイトは彼女がこれらに詳しくないことは分かっているので、できる限り彼女に分かるようかみ砕いているのだが、言い換えられない部分も多く、フォークを持った彼女が小首を傾げる様を何度も見るはめになる。

 ”凶悪という表現がこれほどまでに似合いながら、全く似合わないな”とはキスリング。

 小首を傾げ、透き通った眼差しを向けられ無言で「教えて」と ―― その仕草は、可愛らしいと表現する以外になく、説明する前に説明しなくてはならない事柄が全て頭から消え去るほど。

 ファーレンハイトはそれに耐え無事報告を終えた頃、彼女も朝食を取り終えた。

 

「ファーレンハイト、オーベルシュタインは?」

 

 そして彼女は何時もの彼女らしく ―― ファーレンハイトがろくに休んでいなかったのだから、オーベルシュタインもそうなのではと尋ねる。

 

「タンクベッドで休憩中です」

 

 尋ねられると思っておりましたと、ファーレンハイトはおくびにも出さずに答えた。

 

「通常の睡眠のほうが良いのでは?」

「仕事がまだ片付いていないようですので、そこは許してやってください」

「そう……ところで、どのタンクベッド?」

「この私が嘘をついていると?」

「ファーレンハイトが嘘をついているとは思いませんけれど、ファーレンハイトが嘘をつかれている可能性はあります」

 

 口先だけで、実際は仕事をしているということは、充分に考えられる。

 ファーレンハイトも休むと言われただけなので、本当に休んでいるかどうかまでは知らない。

 

「確かに。コードを確認させます」

 

 タンクベッドはIDカードを挿入して使用するため、使用されていればどの誰がどのベッドを使用しているか、使用時間とモード設定などは記録されているので、確認調査は容易い。

 

「本当に休憩しているようね。あら、そろそろ目覚めそうね」

 

 使用者リストの名前の部分に触れると、オーベルシュタインの顔写真つきの勤務表が現れ、画面の下部にタンクベッドから出る迄の時間のカウント。

 

「行かれますか?」

「そうね。あまり根を詰めないよう、声を掛けてきます。それから艦橋に行きますから」

「お待ちしております」

 

 オーベルシュタインはタンクベッドから出て、目の前に立っていた彼女に声を掛けられ抱きつかれ ―― 自分はまだ眠っているのかと、もう一度タンクベッドに入り直した。

 

「提督、オーベルシュタイン中将が再度タンクベッドを使用しましたが」

「ほっといてやれ」

 

 長いこと彼女に仕えているファーレンハイトは、彼女が何をしたのか大体想像がついていた ―― 何をするかも想像はついていたが、それに関しては止めることもなければ、注意もしなかったわけだが。

 

「冷凍睡眠モードになってるんですが」

「ジークリンデさまがお越しになったら、行って切ってこい」

 

―― 疲れが残っていたのですか……ゆっくりと休んでねオーベルシュタイン

 

 キスリングに「オーベルシュタインどうしたの?」と尋ね「疲れが残っていたのでしょう」と。彼は優しい表情で答えながら、オーベルシュタインが忘れたタイマーをセットしてやった。その際に間違って冷凍睡眠モードにしてしまったのだが、セットした方も、見ていた彼女も気付きはしなかった。

 答えを貰った彼女は、素直にそれを信じ、タンクベッドから出てきたら、絶対に根を詰めないよう告げようと心に決めて艦橋へと向かう。

 

**********

 

 朝食前に彼女が終えた仕事とは、キャゼルヌに連絡を寄こすように連絡を入れたこと。

 連絡を入れるよう指示を出すのは、大変なことではないが、その後に行うことを考えると彼女にとっては一仕事であった。

 艦橋へと行くと、座り職務に精を出していた兵士たちが立ち上がり彼女に敬礼をする。

 

―― 挨拶は大事ですけれど、いいのよー。私が席を外したり、戻ってきたりする度に、その見事な全員一致の敬礼をしてくれなくてもー。……とは言えませんけれど

 

 彼女は頷き提督席に腰を下ろし、座るよう手で指示を送る。

 

「キャゼルヌとの通信、整っております」

「そうか。繋げ」

 

 他の面々との会話の際は、全艦隊との通信は切るが、キャゼルヌとの話は全艦隊に繋ぐ必要があった。

 それも現在彼女が率いている艦隊だけではなく、彼女の領地の治安維持を任されているビューローやアイゼナッハやシュタインメッツの艦隊にも、届けなくてはならない類いのものである。

 

「キャゼルヌ」

『は、ここに』

 

 画面に現れたキャゼルヌは、まるで変わったところはなく、さすが精神がワイヤーロープと言われるだけのことはあると、彼女は内心感動していた。

 そう思っている彼女だが、兵士たちから見れば、物事に動じることなく指示を出し、焦燥の欠片も疲労の片鱗も見せず更に輝きを増す美貌。その姿に感動し ―― 知らぬは当人ばかりという状況。

 

「キャゼルヌ、兵士たちの今月の給与は」

 

 彼女が気にしていたのは、兵士たちの給与。明日支払われることになっているのだが、この混乱でどうなるか? それがどうしても気になっていた。

 これを聞いた兵士たちは、彼女がわざわざ本国に通信を入れて、自分たちの給与の心配をしてくれたことに驚いた。

 給与? なんだそれは。収入? 生活? 領地からの収入や利子でどうともでなるであろう……が普通の門閥貴族。

 その社会において、元帥艦隊の食い扶持を一人で維持している大貴族の、大貴族らしからぬ言動とも言えよう。

 彼女にしてみると、この兵士たちはほぼ私兵。カリスマを持ち合わせていない自分が ―― そう思っているのは彼女だけだが ―― 兵士たちの反逆されず、目的地まで連れて行くためには金は絶対に必要だと。

 彼女がそんな心配をしていた兵士たちだが、彼らは”俺たちのローエングラム大公妃殿下”の命令を完遂することを優先しておし、ほぼ全員、明日が給与日であることを忘れていた。彼女の私設艦隊は、正規軍よりも食事もよければ、酒の無料配布もあるので、あまり給与を必要としないということもあるのだが。

 ともかく、そんな貴族社会の中心人物たる貴人が、下々の自分たちの給与を気にして下さっていたとは ―― 通信を聞いていた兵士たちの驚きを余所に彼女はキャゼルヌを見つめる。

 

『一切の滞りなく。支払日である明日、全員に支払われます』

 

 事務処理能力に優れている男は、オーディンがウィルスにより混乱、停滞していようとも己の仕事は漏れなくやり遂げていた。

 ご安心くださいと頭を下げるキャゼルヌに、彼女は内心で拍手を送った。

 国が混乱している最中に、これだけの仕事をやってのけるのは ―― 細かい手はずは分からないが、きっと大変だろうと彼女は純粋に感心した。

 

「良くやった、キャゼルヌ。兵士諸君、聞こえたか。諸君の先月の働きに対する報酬は、確実に支払われる。そして今月の働きに対する報酬も、来月の約束の期日に支払われることを約束する。諸君らにただ働きを強制するようなことはしない。このローエングラム、契約は必ずや履行する。諸君は任務を果たせ」

 

 クーデターをも引き起こすことができる暴力装置たる武力を、手なずけ従わせ、暴走させず、士気を維持するためには、まともに給与を期日に支払わねばならない。それが働きに見合ったものかどうかは不明だが、先月分の働きに対する約束された金額は確実に支払うことを誓う ―― 彼女にとっては大仕事であった。

 

「こうして給与が期日に満額支払われること。これこそ、オーディンが落ち着きを取り戻せる証拠に他ならない。諸君は来月の給与日には、手当が含まれた今月よりも多目の給与を懐に入れ、今回の事件を肴にして「オーディン」の酒亭で酒を飲んでいることであろう。これも約束しようぞ」

 

 どのような状況下でも、ただ働きはさせない、来月には治安が回復しオーディンで酒を飲ませてやるとも宣言する。

 ちなみにこの時彼女がローエングラムと名乗ったのは、兵士たちが自分のことをローエングラム大公妃と間違って呼んでいることを知り、武門の名なので彼らとしても安心できるのだろうなと勝手に解釈し、あえてローエングラムと名乗った。

 こうして兵士たちの士気を保ったまま、彼女は別働隊がオーディンに到着するのを待った。

 

**********

 

 オラニエンブルク邸に立てこもった三人と皇帝は、救助を待っていた。

 ただ救助しにきたという名目で近づいてきて、殺されて元も子もない。相手を注意深く見極める必要がある。

 

「通信は?」

「ありません」

「ここに居ることに、気付いていないのでは?」

 

 誰を信用するかと考えたとき、この邸の持ち主である彼女が遣わす部隊が確実だろうと ―― 彼らは、邸に設置されていた通信が入るのを待っていた。

 

「心配する必要はないだろう」

「そうでしょうか?」

 

 ロイエンタールは彼女の邸にあった日本刀を手に、彼女に絶対の信頼を寄せて通信が来るのを待ち、そして遂にその時がやってきた。

 


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