黒絹の皇妃   作:朱緒

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第228話

 彼女が人肌の温かさに微睡んでいる頃、兵士がある男を発見した。

 

「ロイエンタールか」

 

 画質が悪い映像ゆえ、彼の特徴であり罪の証しでもある金銀妖瞳は分からぬが、そのただ立っているだけなのに、計算されつくしたとしか言いようのない眉目秀麗な姿は、違えようがなかった。

 それは静止画像だったのだが、ロイエンタールが細長い棒のようなものを振り回し、近くには血を吹き出し倒れようとしている人物が映っていた。

 ファーレンハイトはその映像をしばし眺め、ロイエンタールがカザリンを保護していることに気付く。

 捜索は成功したのだが、カムフラージュのために更に捜索を続けさせ ―― 彼女が目覚めたら、会いたいので連絡をくれるよう伝えた。

 

 寝室で目を覚ました彼女は、腕枕をしている逞しい腕を見て、ついで背を向けている相手を見てベッドの中で丸まって眠っているふりを続けようとしたのだが、下腹部からにかけての独特の感触を認識し、放置しておく訳にもいかないので起きることにした。

 キスリングは目を覚ましており ―― 彼は最初から一睡もしていないのだが ―― 目覚めた彼女の体を気遣う。

 

―― 止めてーギュンター……じゃなくて、キスリング。居たたまれないからー。そんな優しさは、初めての娘さんか、好きな相手だけにしてー

 

 あまりにも優しく体を気遣われ、決まりの悪くなった彼女だが、肌を重ねるのを込みで愚痴に付き合ってくれた上に、心遣いまでしてくれるキスリングに対し感謝以外の言葉を言う気にはなれなかった。

 身を起こし”ありがとう”とキスリングの下唇を軽く噛むようにキスをし体を離す。

 キスリングは用意しておいた、シルクの薄紅色のナイトガウンを彼女にかける。

 彼女は「そんなに気を遣ってくれなくて良いのに」と思っているのだが、気を遣っているのではなく、鎖骨から乳房の膨らみにかけてのラインを隠してくださいと ―― 片膝を立ててシーツで下半身を誤魔化しているキスリングの現状を、彼女が理解することはない。

 

「提督とは早めにしっかりと会話なされば宜しいのでは」

「そうよね……後回しにしないほうが良いわよね」

 

 ナイトガウンに黒髪が触れ、さらさらとした音を奏でる。

 早くに着替えていただかないと困るなと ―― キスリングに背を押され、身支度を調えた彼女は、連絡を受け寝室へやってきたファーレンハイトとオーベルシュタインから、ロイエンタールの静止画像を見せられた。

 彼に斬られ白目を剝き血を吹き出している部分はカットされている。

 そのロイエンタールが手に持っているのは日本刀。

 ベネディクトが興味を持った骨董品とは日本刀で、今ロイエンタールが手に握っているのは、そのベネディクトが彼女に献上したと思しき物。

 

「これが私の邸の日本刀だと?」

 

 骨董品には疎いオーベルシュタインとファーレンハイトだが、武器の形状の記憶となれば別。

 身支度を調え隊長の顔に戻ったキスリングも、かなり画質は荒いものの、同じものだろうと見た。

 

「はい」

「カットさせていただいておりますが、こちら側にロイエンタール卿に斬られたと思しき人物が写っておりました。卿が装備しているのは銃のみ。刃物と考えられるのはこれだけ」

「そうなの」

 

―― もう西暦で言えば三十六世紀くらいですよね……多分……よく覚えてませんけれど。でも、とにかくまだ使えたんだ。日本刀、凄い……そう言えばベネディクトが手入れしていたはず。役に立ってくれたわ、ベネディクト。そして、なんか格好いいわ、ロイエンタール。東洋の欠片もない容姿なのに、なんでこんなに似合うの。これだから美丈夫って、嫌になるわー

 

 語ったら、誰もが顔を見合わせるようなことを彼女は考えたが、幸いそれが口からこぼれることはなかった。

 

 新無憂宮の邸内に武器を備蓄する場合は、色々な許可を取る必要があるが、芸術品であれば殺傷能力があろうとも、特に書類を提出する必要がなく、武器があることを隠せるという利点があった。

 彼女はそれを利用し、有事の際に少しでも役に立てばと、この日本刀を含め幾つかの刃物を芸術品としてオラニエンブルク邸に飾っていた。

 またその際に、他に武器になりそうな美術品が新無憂宮に飾られているかどうかも調査させ ―― 幾つか殺傷能力のある美術品はあったが、日本刀はどこにも飾られてはいなかった。

 よってロイエンタールが手にしている日本刀は、彼女の邸のものであるのは確かであった。

 

「ジークリンデさまもご存じの通り、ロイエンタール卿一人では、オラニエンブルク邸には侵入できません。リュッケが同行していると考えて、間違いないでしょう。ただリュッケとロイエンタール卿の二人でしたら、早々に新無憂宮を脱出しているはず。彼らが残り、オラニエンブルク邸に向かった理由はフェルデベルトの忠告が原因だと考えられます」

 

 彼らはロイエンタールに、彼女のオラニエンブルク邸についての詳細は一切教えてはおらず、彼女は何度か請われ彼を招いたことはあったが、備蓄や武器を置いている部屋には通さなかった。

 

「フェルデベルト……備蓄品目当てということ?」

 

 カタリナに説明した際に、フェルデベルトが控えていたことを彼女も覚えていた。

 

「はい。おそらくその三名が、皇帝陛下を連れて隠れ、救助を待っている状態でしょう」

「隠れて? 彼らに外の状況が伝わっているの?」

 

 最初にロイエンタールが発見されてから、しばらく彼を追跡させると ―― 所々で姿を現すのだが、随分と上空を気にしているように見えた。

 新無憂宮は非常に危険な状態だが、常識的に考えれば上空からの襲撃はない。

 だがロイエンタールは警戒している。

 その状況から、彼らはロイエンタールが対空砲の存在を知っているのではないか? 先ほど発見した破壊された対空砲はロイエンタールの仕業ではないかと仮定した。

 

「伝わっていないからこそ、隠れているものと思われます。新無憂宮の外が安全かどうかも分からない状況で、三名だけで皇帝を連れ出し安全を確保するのは困難です」

「そう。でもオラニエンブルク邸にいるのなら、通信設備がありますから救助できると連絡を入れられますね」

 

 フェルナーやシューマッハが、機材を運び込み作業しているのを見ていた彼女は ―― 遂に使うときがやってきたのですねと。

 彼女が言う通り、それを使用するのだが、救助を完遂するためには様々な制約がある。

 

「はい。ですが、通信を入れるのは、救助する直前になります」

「どうして?」

 

 今すぐにでも、助けが向かっていると連絡を入れれば、彼らの心に少しは余裕が生まれるのではないかと ―― あの場にいるのがロイエンタールなので、安心から隙が生まれるとは、彼女は考えもしなかった。

 

「頻繁に通信を入れると、傍受され居場所を特定されてしまいます」

 

 彼らもそれに関しては信頼しているのだが、防諜の面での問題がある。

 

「あー……」

「ジークリンデさまもご記憶なさっていられるでしょうが……」

 

 六年ほど前、フレーゲル男爵たちはフェザーンとの間で民間船の通信安定、強化を図るために借地交渉を行った。

 彼女もその会議には出席していた ―― 朝食を食べるのに必死で、あまり会議の内容は覚えていないが。

 民間船の通信が強化、安定が図られた結果どうなったかというと、国内の軍のやり取りが、フェザーンにかなり傍受されることになった。

 

「バイオテロを起こした者たちが、フェザーンの通信基地を抑えていると仮定し、極力連絡を取り合わないようにしております」

「そうなの」

 

 事前の打ち合わせもなしに、救助と息が合うのか? 彼女は少しばかり不安に思ったが、彼らのことを全面的に信用することにした。

 丸投げではなく、今の彼女にできるのは信じることだけ。

 

 何時までも艦橋に指揮官も、その代理も居ないのは良くないだろうと、彼女は軍服に着替え、彼らと共に艦橋へと戻った。

 提督席に腰を下ろし、ファーレンハイトは自分が席を外している間に、何かあったかと、一時任せていたブクステフーデに尋ねる。

 すると彼は、渋面を作りオーディンの宇宙港から、離陸許可申請が幾つも届いているとの報告を受けた。

 バイオテロ発生中なので、当然出入国は制限されている。

 そのくらいのことは、分かっているはずなのに、どうしてなのだろう? と、彼女は思ったが、詳細を聞き ―― 公の場では背筋を伸ばし凜と顔を上げて気高く美しく座る彼女が、珍しく両手で顔を多い俯いた。

 

―― 領地に今すぐ帰りたいって……あなたたち……

 

 安全な自領地に速やかに戻りたいと職員に詰め寄り、軍部は離陸許可は出せないと告げるも、彼女の許可さえ取ればと考えた一部門閥貴族が、こうして無理矢理通信を入れさせた。

 

―― たしかにあなたたちがオーディンに居たところで、なんの役にも立ちませんが…………それはともかく、ファーレンハイトが怖い。なんでそんなに怒るんですか。門閥貴族がこうなのは、良く知っているでしょう。こんなことで、一々そんなに怒っていたら身が持ちませんよ。あ……謝りそびれてました。早くに謝っておかないと

 

 彼女はファーレンハイトが怒ったのは分かったが、正しい理由は分からなかった。こんな我が儘は脱力すれども慣れているでしょうと。

 そんな彼が本気で怒った理由は、軍を通して彼女に通信を入れたこと。

 ファーレンハイトは彼女の身の安全を更に確かなものにすべく、提出していた航行予定を白紙とし、ごく少数の者と話し合い、かつてフェザーンと通信基地を設置する際にわざと作った、民間船の通信が途絶する空間の一つに、彼女の艦隊を移動させていたのだが、この通信で彼女がどこに居るのか晒されてしまった。

 彼女を襲撃できるような武力を持ち合わせているものはいないが、せっかく遠ざけたした危険の一部が、門閥貴族のせいで舞い戻ってきてしまったのだ。

 

 何故、そんなにも怒っているのかを尋ねた彼女は理由を知って、

 

―― 私、いつの間にか移動してたんですか。知らなかったわー。外の景色というか、星図を見ても移動したかどうかなんて分からないし

 

 そういうことかと納得し、せっかく安全のために移動してくれたのに、悪いことをしたなと……ファーレンハイトの心遣いに対する褒美は与えるが、今は目の前の問題を片付けなくてはならない。それも早急に、尚且つ、兵士たちを納得させ、不満を募らせないように。

 この場での彼女の味方は門閥貴族ではなく兵士たち。

 

「オーディンの管制室はもちろん、全艦繋いでいるか?」

 

 背筋を伸ばした彼女は、公人となり指示を出す。

 

「はい、殿下」

「宜しい。オーディンの管制塔、私はオラニエンブルク大公妃だ。そちらでも全館放送に切り替えよ」

 

 管制塔から、全館放送に切り替えたとの連絡を受けた彼女は、少しばかり溜め出国許可を出した。

 

「わが同胞、帝国の藩屏たる門閥貴族諸君。早急に領地へと戻り、かかる帝国再建に備えよ。管制塔、門閥貴族に出国を許可して構わん。帝国の藩屏たる門閥貴族諸君、諸君の領地は諸君に全権を委ねている。領地で何事が起ころうとも、帝国は関与しない。安心せよ」

 

 帰国により領地で感染症が蔓延しても、彼女は手出しはしないと明言した。また、続けていまオーディンに蔓延しているウィルスを、オーディンの外に持ち出した場合、相応の償いをさせるとも言い切った。それでも帰りたければ帰れと彼女は彼らを突き放す。

 

「兵士諸君。卿らは、領地に戻った門閥貴族の中に、今回の騒動の一端を担った者がいるやも知れぬ。それらを裁きの場に連れ出せなくなる恐れがある故、領地に返すなと言いたいのであろう」

 

 まだ門閥貴族が関わっているという証拠はないが、関わっていないという証拠もない。領地に引きこもった門閥貴族は、簡単には司法の場には引きずり出すことはできず、罪に問うのはほぼ不可能。

 逃げた方が得 ―― その状況を誰よりも良く知る彼女は、彼らの不平や不満を解消するには、処断すると明言するしかない。

 なにより、兵士たちよりも彼女自身許したくはない。

 

「無用な心配だ。今回のこの出来事は明確に王家に仇をなしている。僅かでも証拠があれば、叩きつぶす。信用できぬか? 私はフリードリヒ四世に仇なした、建国以来の名門クロプシュトックを、軍を率いて滅ぼした女ぞ。卿らは私に率いられ、クロプシュトックを討った軍ぞ。忘れたか? 我々は帝国に仇なした門閥貴族を討つ軍。卑劣で矮小な輩など裁きにかけてやる価値はない。滅ぼすだけだ、それが奴らに残されたただ一つの道よ。確約しよう、文字通り叩きつぶすと、だから私に付き従え。叩きつぶすために」

 

 彼女は双頭の鷲を背に、何時もは膝の上に乗せている手を、提督席の肘掛けに乗せ言い切った。


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