黒絹の皇妃   作:朱緒

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第227話

 カザリンの生存を信じて彼女は次の手を打つ。

 居場所を特定したところで、救出せねば意味がない。

 未だカザリンが救出されていないことから、地上に残っている部隊が、救出に向かっていないのは明らか。

 

―― おそらく、誰が敵で、誰が味方なのか分からない。それに逆手に取られた……いや、これを狙っていたのでしょう

 

 内乱ゆえ、敵と味方の判別が難しいのは当然だが、敵がどこまで侵入しているかも分からない。

 また最近、オーディンに滞在している兵士たちに対し、バイオテロに対してのワクチンを接種させていた。これは先日彼女の領地で発生したバイオテロが原因なのだが ―― ワクチンを接種した兵士が発症し、オーディンにウィルスを蔓延させた。

 ワクチンの中に、幾毒性を弱めていないもを紛れ込ませ接種、潜伏期間を経て今に至っている。

 ウィルスによって潜伏期間は異なり、またどのウィルスを接種されたのかも不明。オーディンの兵士のほとんどが、テロ対策のためにワクチンを接種している。

 

 人間性に信頼が置けても、ウィルスを保持している可能性がある。

 ウィルスを保持していなくとも、人間性に信頼が置けない場合がある。

 

 前者をカザリンの救出に向かわせた場合、カザリンが罹患する可能性が極めて高い ―― むろん致死率も高い。

 後者をカザリンの救出に向かわせた場合、殺害されてしまう。

 どちらか片方であれば、メルカッツももう少し手の打ちようがあるのだが。

 

―― 確実にウィルス感染していない兵士は、この艦隊にいる者たち。彼らを早急にオーディンに差し向ける

 

 カザリンに近づけても、感染させることはない安全な兵士はここに居る。

 彼らのことも信じているが、オーディンに向けるには、確実なものが必要であった。

 

「叛徒の艦と我が艦を幾つかを選び、オーディンへと向けてワープさせろ」

 

 カザリンを救出するには上空からしかないと彼女は考え、ポプランとコーネフを向かわせることにした。

 皇帝の救出に叛徒を使うなど ―― 先ほどの静寂とは打って変わり、辺りがざわつくも、彼女はそれらを気にすることはなかった。

 

「殿下。それは、お止めください。ワルキューレのエースパイロットを救出に向かわせます」

 

 新無憂宮の航空撮影だけでも危ういのに、更に戦闘艇を降下させ救出を試みるなど、言い逃れのしようがない。その上、使用するのがワルキューレではなく、スパルタニアン。パイロットは帝国人でもなければ亡命者でもない、ただの捕虜となれば、狂気の沙汰と取られて当然。

 

「ワルキューレは着地し、コックピットを開き、人質を救出、同乗させ飛行を再開するという任務には向いていない」

 

 彼女が言う通り、救出に使用するのであればスパルタニアンの方が向いている。どちらも戦闘機ゆえ、あくまでも向いているだけであるが。

 

「短時間でスパルタニアンのパイロットに仕立て上げますので、ご再考を」

 

 余計なことは言うなと命じられたファーレンハイトだが、考え直して下さいと進言しないわけにはいかなかった。

 だが彼女は聞き入れるつもりはなかった。

 内乱の常だが、現状最大の問題は、敵と味方の区別がつかぬこと。毎日顔を合わせていた同僚が裏切り者の可能性もある。

 

「賊にとっての誰が敵なのは分からぬことが最大の武器。あれたちは、それを潰す唯一の手段。この帝国で、私以外の者が叛徒にスパルタニアンの出撃を命じられるか? 私の庇護なくして、あれたちがオーディンへと行けるか? スパルタニアンに帝国人が乗っていたとしたら、信用できるか? 新無憂宮において帝国人が信用できぬ、惨めな状況だ」

 

 オーディンの空を叛徒が操縦するスパルタニアンが駆ける。それを実行できるのは、彼女ただ一人。

 

 彼女からの命を受けた二人は、答え倦ねていた。

 行けと言われたら行くのが軍人だが、彼らと彼女は同じ軍に属しているわけでもなければ、主従でもない。命令になど従う必要はない。

 だが彼女としては、行ってもらわなければならない。

 

「貴様らは親が罪人であろうとも、子には罪はないとしているのであろう? 齢一つの娘子はなんぞ罪をおかしたか? 専制君主に見えたか? お前らからみれば、ただの人の子なのであろう? 人道とは何ぞや。帝国において人倫とは、大人は全力を挙げて子供を救うこと。自由惑星同盟の人倫はいかに。叛徒、返事はいかに!」

 

『拝命いたします』

「よろしい」

 

 コーネフではなくポプランが答えたことに、彼女は少々驚いたものの、そんなことはおくびにも出さず鷹揚に頷く。

 

『絶対に救出して参ります』

「ほう、殊勝な心がけだな」

『妃殿下が皇帝になったら、同盟に勝ち目がないんで。このまま陛下に在位してもらわないと困りますんで』

 

 ポプランはそう言い ―― 画面は強制的に切られた。

 

「……あれは大任の前ゆえ、暴行は控えよ」

 

 皇族に対しての態度がなっていないと、頻繁に牢に放り込まれていること、その過程で殴られていることは知っているので、彼女は今回だけは我慢するよう告げる。

 

「もう一人、ボリス・コーネフの従兄弟がおります」

「アーダルベルト。陛下がお気に召しているのは、オリビエ・ポプランのほうだ」

「でしたな」

 

 ポプランとコーネフはラオ中佐が操縦する艦に、それをホフマイスター率いる分艦隊が見張りと護衛を兼ねて同行し一路オーディンを目指す。

 彼らはその準備に取りかかった。

 叛徒に帝国領内をワープ移動させることを、不安に思う者もいたが(演習の際、同盟艦の移動は、帝国兵が行った)、「イゼルローン要塞を落とされた時点で、叛徒共に帝国全土の航路は知られている。今更不安を感じてもしかたあるまい」とファーレンハイトが余計なことは考えるなと、それらをねじ伏せた。

 ここまでは順調……と言っていいのかは不明だが、とにかく彼女の希望通りに事は進んでいたのだが、

 

「殿下。悪い知らせが」

「なんだ」

 

 新無憂宮の様子を窺っていた兵士が、対空砲の残骸を発見した ―― ロイエンタールたちが破壊したものである。

 

「対空砲……なぜ、対空砲を積んだ軍用車が宮殿内に?」

 

 ファーレンハイトから報告を受けた彼女は、対空砲の存在に驚く。

 

「上空からの襲撃を警戒して……だけとは思えませぬが、作戦の遂行が些か難しくなります」

 

 武装解除したスパルタニアンでカザリン救出に向かう。

 丸腰で敵地に突っ込むのだが、これは新無憂宮に対空設備がないことが前提の上での計画であった。

 だが破壊されたとは言え対空砲があり、他にも似たような軍用車が幾つも発見される。

 ほとんどの車はシートで荷台を隠しており、対空砲の有無は確認できないが、対空砲が一つだけとは考え辛い。

 

「…………」

「殿下、撃ち落とされでもしたら」

 

 カザリンが搭乗したスパルタニアンが撃ち落とされたら ――

 

「アーダルベルト」

「はい」

「賊は陛下が乗ったスパルタニアンを撃つと考えるか? 陛下が搭乗したスパルタニアンを狙い撃つということは、賊の望みはなんだ?」

 

 皇帝が死ねば、皇太子が立つ。今は皇太子はいないものの、皇位継承者がいる。

 

「皇配の地位。殿下の夫君の座」

「私の夫の座を狙う、平民はいるか?」

「存在しないとは申しませんが、新無憂宮のこの配備を見る分に、宮殿内に詳しいものだと」

 

 かつて彼女に連れられ、時にはリヒテンラーデ公に従い新無憂宮内を歩き、現在宮内尚書に、宮殿内警備の助言という名目で一任され内情に詳しいファーレンハイトから見て、地下通路を抜け軍用車が配置されているポイントは、どこも新無憂宮の重要な部分。

 よほど詳しく無い限りは、不可能なものであった。

 

「敵は同族か。忌々しい。……ならば尚更引けぬわ。私は大罪人となり、奴らの思惑を踏みにじってやる。オリビエ・ポプラン、イワン・コーネフ、策は変えぬ、無手でゆけ」

「殿下」

「やつらの狙いが私ならば、ここで黙っているわけにはいかぬ。黙っていたら、即位することになってしまう。それに、やつらの中に少しでも頭が回る者がいるならば、スパルタニアンに乗った陛下は撃てまい。スパルタニアンは私が救助を命じたという確たる証拠、それを撃ったとなれば、次の皇帝たる私が黙っていないことくらい、分かるであろう……分かって欲しい。一縷の希望であり、やつらに対する最後の慈悲だ」

 

 彼女は全てが終わった時、カザリンが乗ったスパルタニアンに向けて砲門さえ開いていなければ、この内乱に参加していても、命だけは助けるつもりであったのだが ――

 

「三日後には到着いたします」

 

 オーディンに向けて分艦隊と救出部隊が発った。

 

「あとは、陛下を見つけ出すだけか」

 

 彼らがオーディン近くにワープアウトするまでに、カザリンの居場所を特定し、どうにかして救助が向かうことを知らせ、救出体勢を取らせる必要があった。

 

「はい。発見されたら、ご報告いたしますので、しばしお休みください」

 

 カザリンは既に死んでいるものだと考えていたファーレンハイトだが、襲撃された軍用車とその脇に転がっていた死体を見て、微かだが生存の可能性を感じた。

 無論確証を得るまでは彼女に告げるつもりはない。

 また最悪の事態に関しての考えも未だ考慮している。万が一、カザリンの無残な死体が庭先に転がっていたりでもしたら ―― 考えて、彼女に休んでもらうことにした。

 

「代理を任せる」

「御意」

 

 意地を張っても仕方が無いというよりは、意地を張れる気力もあと僅か。

 彼女は忠告に従い、キスリングに連れられて部屋へと戻ることにした。

 提督席から立ち上がり、艦橋から通路に移動すると、足下が柔らかくなったような感覚になり、体勢を崩してキスリングに支えられる。

 艦橋と通路の材質は変わらず、柔らかさなどもない。

 ただ彼女の精神的なものである。

 彼女は徐々に息苦しさも感じ、キスリングに抱き上げられて部屋へ。

 原因の心配事が無くなる、もしくは目処が付いたなら収まりそうだが、どれほど兵が必死になろうが、それにはしばらく時間を要する。

 

「殿下……ジークリンデさま」

 

 ベッドに降ろされた彼女は、子供のように泣き出した。

 

「うっうっ……どうしよう」

 

 先ほどまでとは打って変わって ―― 本来の姿とも言えるが、無防備に、そして不安げに泣き続ける。

 

「陛下はご無事ですよ。それに作戦はきっと上手くいきます」

 

 普段のキスリングならば、こんな不確かなことは言わないのだが、今は彼女を落ち着かせるのが先決。カザリンが無事などとは、全く思ってはいないが、安心させるためならば軽く嘘をつくこともできる。

 作戦が上手くいくかどうかについては、白兵戦が専門のキスリングは門外漢なのではっきりとしたことは言えないのだが、ここでも彼女を励ます。

 もっともキスリングは彼女よりは遙かに専門的な知識を持ち合わせているのだが、正直彼女が講じた策は、なまじ学んだ彼にとっては、思いつきもしないもので、その先など皆目見当もつかなかった。

 

「それは……信じています。全員経験豊富な専門家ですから……」

 

 彼女はキスリングの言葉に頷くも、涙が収まる気配はなかった。

 何をそれほど心配しているのか?

 見当がつかない彼は、どうしたものかと ―― 彼女ともっとも付き合いの長いファーレンハイトは、彼女の命を遂行すべく艦橋で指揮を執っており、優秀なオーベルシュタインは早々に”察し”退室していた。

 キスリングも”提督の領分です”と察してはいるのだが、任務の関係上、彼女を放置して去るわけにはいかない。

 

「何が不安で?」

 

 さほど精神的に強くない彼女は、全力で縋る。

 それは誰でも良いわけではなく、信頼している者に限られる。

 キスリングの袖を両手で握り締め、澄んだ翡翠色の瞳から大粒の涙を流し、白い頬を濡ら、助けてと声には出さないが、可憐な唇を薄く開き ―― 心細さを全身で表し、側にいてと訴える。

 

「不安なの……」

 

 キスリングは空いている手を彼女の背中に回して、引き寄せて抱きしめる。

 彼女は袖から手を離し、細く華奢な腕をキスリングの背中に回し、肩口に顔を埋めた。

 彼女の不安さは、キスリングには分かりかねる。それは彼の精神が強いということではなく、彼が体験することのない種類の重圧が、彼女の肩にのし掛かっていること。彼は帝国の命数に決断を下すことはない。

 

「小官は非才ゆえ、ジークリンデさまの不安を解消する術を、ほとんど持ちませんが」

 

 ”持たない”とはっきりと言い切れなかったのは、彼がこの空気に流されている証拠であり、言葉半ばで彼女に口づけた。

 泣き顔は庇護心を刺激し、泣き声は謳い誘う。

 不安だからと縋ってくる腕は心地良くすらある。

 唇を離すと彼女はキスリングの背に回した手を解き、そのままベッドに仰向けに落ちる。

 

「何が不安なのですか? お教えいただけると嬉しいのですが」

 

 彼女の軍帽を脱がせ、髪を解く。

 

「フェルナー、こんなことになるなんて……」

「誰にも知られていないから大丈夫ですよ」

 

 胸元を緩めて柔らかな胸の膨らみを撫でる。

 

「国璽、預けてくるんじゃなかった……襲撃されたら……」

 

 最終的にことが終わり、キスリングの腕の中で彼女は寝息を立て ―― しばし不安から解消された。

 彼女を眠らせたキスリングは艶やかな絹のような黒髪を手で梳きながら、彼女の不安をどのように解消すべきか考える。

 ”フェルナーさんは無理だ。賊はこの分だと国璽も探し回っているだろうが、下手に連絡を取ったり、警備を厳重にしたらかえって怪しまれる。ごくごく普通の邸の警備を……重要人物を匿うことができたら、厳重警備も可能だが。まああの人たちのことだ、心配はないだろう。でもジークリンデさまは帰国するまで心配し続けるだろうなあ。さっきみたいに”

 

 彼女の滑らかな肌に舌を這わせつつ、不安を聞いていたキスリングなのだが「フェルナーが……ファーレンハイトが……フェルナーが……ファーレンハイトが……」と、別の男の名を呟き続けていた。

 ここまではっきりと、別の男の名を呟いている女性を抱いたのは、キスリングも初めての経験だったのだが ―― 抱く前は庇護心を煽っていた泣き顔が、行為の最中は加虐心を擽り、男の征服心が随分と満たされた。ただ嫉妬は沸いてはこなかった。

 自分はこんなにも妬心がない男だったかと自問自答するも、彼女の寝顔を見て、彼女だからそう言った感情がわいてこなかったのだと。

 彼女がラインハルトに抱かれても、嫉妬もしなければ、怒りもしない(合意がない場合は別)ファーレンハイトを不思議に思っていたキスリングだが、実際に抱いてみたらその気持ちがはっきりと分かった。

 

”提督怒ってるに違いないか……確かに、それはなあ。ジークリンデさまが無茶なされるから。あの人の機嫌を直す………………俺には無理だが、ジークリンデさまなら簡単じゃないか。考えるだけ、無駄だった。俺にできるのは……”

 

 髪を梳いていた手を止めて、緩く抱きしめ直した。


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