黒絹の皇妃   作:朱緒

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第221話

 新帝国歴一年六月二十二日、一人の男が惑星ハイネセンで狙撃された。

 その日死んだ者は大勢いたが、その男以外はトマホークで肉を切り裂き、骨を絶たれ、失血死したものばかり。

 

 銃撃戦は行われなかった。

 

 そんな中、その男だけは右目を撃ち抜かれて死ぬ。

 騒ぎが収まってから、男がどこから撃たれたのか? 調査が開始される。

 男は立ち入り禁止になっていた、政府のビルの高層階からライフルによって撃たれたことが分かった。

 現場には射殺に使用したライフルと、出所を調べればすぐに解るであろう、高級用箋と封筒に認められた手紙と、黒い旗が残されていた。

 手紙の内容は、男を射殺した人物 ―― 手紙に「この男」と書かれていることから、かろうじて男だと判断できた ―― を、罪に問うてはならぬというもの。

 男の射殺を命じたのは、つい先日まで彼らの頂点に立っていた女皇。

 現場に残っていた旗が、黒地に銀糸で双頭の鷲が描かれた、滅亡したゴールデンバウム王朝のもであったので、手紙の主が女皇であったことは驚きではあったが、それと同時に誰もが納得した。

 手紙には男を射殺する理由は書かれてはいなかったが、男は新王朝では生きていけないであろうことは、誰にも容易に推測することができた。

 

 射殺された男も、射殺した男も幸せだなと ―― 事態を収束させたロイエンタールは呟く。

 

 ロイエンタールは女皇の副官となり、大遠征に付き従い、ハイネセンに置き去りにされた。

 残され半ば絶望していたロイエンタールだが、女皇からの命令を受けており、ハイネセンをある程度安定させた後、新皇帝よりハイネセン駐在高等弁務官として派遣されたレンネンカンプにその任を譲り、新帝国の首都となるフェザーン入りし、司法尚書を長らく務めた。

 ロイエンタールは新皇帝の元で尚書としての仕事をこなしながら、素知らぬ顔をして新帝国を揺るがす未曾有の反乱の首魁に協力する。

 ロイエンタールが協力したからこその、未曾有の反乱でもあった。

 反乱の首魁 ―― レンネンカンプが謀殺され同盟を滅ぼした後、現新領土の初代総督となった男。

 彼は新皇帝と直接戦い戦死した。

 その後、調査が行われ、ロイエンタールが関与していたことが判明する。

 ロイエンタールはなにも申し開きなどはせず、それどころか処刑されるのを喜ぶ。

 

 これでやっと女皇の元にいける ――

 

 だが、彼に死は訪れなかった。

 ロイエンタールの罪は不問とされ、尚書解任の後、新領土の二代目総督に任命される。

 その際、ロイエンタールは新皇帝から理由となる、女皇からの手紙を渡された。

 女皇はロイエンタールと新皇帝が戦うことを「望んではいないが、望んでいた」女皇は新皇帝が戦いのない世界では生きられないことを理解しており、彼が生き続けるために敵となれと。

 先の反乱で死亡した首魁も、女皇から同じようなことを言われていた ―― ただ首魁には、戦わず生きて行けるよう支え続けるようにも言っていた。

 だが男は結局戦い、そして散り、残るはロイエンタールだけ。

 それが望みならばと、ロイエンタールは新領土の総督の座につき、新皇帝と戦うべく準備を行う。

 

 新帝国歴二十五年七月二十六日。新皇帝はロイエンタールと刃を交えることなく、この世を去る。享年四十七 ―― その報告を新領土総督府で聞いた時、

 

「ああ、ジークリンデも、生きていれば四十七歳か」

 

 ロイエンタールはそう呟いた。それだけであった。

 もう反乱する必要がなくなったロイエンタールは、新領土総督を辞任する意思を固める。

 新領土総督を辞任し、そのまま公職から引退するするつりだったのだが「楽できるとか思わないでよ。あんたは死ぬまで、こき使われるのよ。嫌なら皇帝になってもいいのよ」と、宮内尚書となった顔なじみの公爵夫人に挑発され、国務尚書の座に就くことになった。

 

 新領土総督の引き継ぎを終えたロイエンタールは、迎えを墓の前で待つ。

 当初迎えなど要らないと言ったのだが、本国首脳部という名の公爵夫人に聞き入れてもらえず、仕方なく承諾した。

 

 

―― ロイエンタールは女皇の副官となり、大遠征に付き従い、ハイネセンに置き去りにされた ――

 

 

 ハイネセンに残るよう女皇に言われたとき、ロイエンタールは拒否した。

 共に連れていってくれと、彼を彼たらしめる矜持を捨て、平素の彼からは考えられぬほど無様に、そして生涯一度きりと言い切れるほどに必死に女皇に縋ったが、許しを得ることはできなかった。

 それどころか、簡単には死ねぬよう、幾つも物事を託され ――

 

「貴様が羨ましい、アンドリュー・フォーク」

 

 墓石に刻まれた名を、低く深みのある男らしい声に、言葉では表現しきれぬ感情を込めて呟いた。

 ロイエンタールが墓石を見下ろしていると、迎えの男が駆け寄ってきた。

 迎えの男は、手に持っていたユーストマの花束を、さっと墓前に置き立ち上がる。

 

「もう少し、ゆっくり故人と対面してもいいのだぞ。急ぐ必要などないのだから」 

「いいえ」

 

 迎えにきた男は首を振り、二人は立ち去った。

 

 アンドリュー・フォーク。女皇が自ら手を下した、ただ一人の人物。

 

**********

 

 彼女は新無憂宮で、カザリンの三輪車を交互に押しているリュッケと、

 

―― 子供の扱い上手なんですね、ポプラン

 

 何故かカザリンに気に入られ、三輪車を押すことを許されたポプラン。

 この二人と、ペダルにかけている足が、この頃うまく動くようになってきたカザリンを眺め、

 

「じくー」

 

 楽しげに彼女に手を振ってくるカザリンに、白一色で縁に、同色でローエングラム公爵家の家紋刺繍が施されている、シンプルな手袋をはめた手で、彼女は皇族の気品と威厳と風格を兼ね備えていると評判の、閑雅な振りで返す。

 

「へい! プリンセス!」

 

 微笑み手を振り返す彼女にポプランは、いけしゃあしゃあと、誰もがそう呼びたいのに、我慢している呼び方で軽く声をかける。

 

「へぇい! ぷりんつぇっしん」

 

 するとカザリンが真似をして、帝国語で”お姫さま”と呼びかけてくる ―― 誰が「姫」を教えたのか彼女は気にはなったが、いずれ覚える必要のある単語なので、犯人捜しをしても仕方ないだろうと。

 ちなみに教えたのは、カタリナである。

 

「お止め下さい陛下。止めないか、捕虜番号HTU2997番!」

 

 並んで歩く形になっているリュッケが、その生来の真面目さを発揮し、ポプランを捕虜番号で呼び咎める。

 

―― もう、ポプランって呼んでいいのよリュッケ……真面目な帝国軍人には無理よね

 

 基本捕虜は番号で管理されているので、リュッケは正しい。

 これが同盟ならば、ムライでもない限り、生真面目に正式番号をフルで言う人はいないだろうが、ここは帝国。それも生真面目で規律を重んじ、もっとも格式高い場所。

 ともなれば、正式番号で呼ぶのが当然。

 

「HTU2997番め」

 

 ポプランの言動に対し彼女の護衛キスリングは、やはり正式番号をフルで言いつつ怒りを露わにする。

 

―― ポプランでいいのよ、キスリング……

 

 態度に日々腹立たしさを感じる彼らと、部屋が牢になってもめげないポプラン。不屈の慇懃無礼は、今日も今日とてオリビエ・ポプランであった。

 彼女はカザリンに手を振りかえし、ポプランだけが振った場合は無視をして ―― それすらもポプランは楽しそうにしているが、とりあえずこれで誤魔化していた。

 

―― なんか、凄く幸せな空気が……は! こうしてはいられません!

 

 幸せなカザリンと、間違いなく何処でも生きていけるに違いないポプランと、絵に描いたような真面目、でも迷子になりやすいリュッケの三人は、見続けていても飽きはしないのだが、今の彼女はその幸せに浸っている場合ではなかった。

 

 公休日のベネディクトをわざわざ新無憂宮に呼び出し、以前ベネディクトに対して彼女たちが考えた策を実行に移したのだ。

 

 ベネディクトに対しての最大の疑問は、なぜ附けで購入することができるのか? ということ。彼にはろくな資産はなく、妻であるフランツィスカの資産には決して手を出すことができない。

 また彼は才能が無いとは言わないが、これ以上の昇進は望めそうにもなく、さりとて利殖の才能に恵まれてはいない。

 妻との間に見目麗しい娘が生まれて、皇帝の寵愛を……などという夢見ることも現状では不可能。

 

 美術品の購入、回収の目処が立たない借金。

 

 門閥貴族だから金は払ってもらえるだろうなどという、甘い考えをフェザーン商人が持っているとは考え辛く、この借金にはなにか思惑があるのだろうと。

 

「レーゲンスブルク」

「お呼びと、大公妃殿下」

 

 そこでベネディクトに附けで美術品を売っている商人を調べたところ、エリザベートに求婚しているのが判明した。

 このエリザベートはベネディクトの妹 ―― エリザベートが多いので、ここではこのエリザベートのことをエリスと呼ぶことにする。

 

―― ベネディクトの実家は裕福ではありませんから、親からの援助の線はありませんね ――

―― 裕福じゃないどころか極貧よ。娘を社交界にデビューさせることすら出来ない財政状況ですもの ――

 

 以前彼女とカタリナが語っていた通り、ベネディクトの実家は幾重にもオブラートに包んでいうと貧しく、普通に言えばカタリナの言葉通り極貧。

 そんな貧乏貴族の娘エリスを、フェザーン商人が血筋目当てに買おうとしているのだ。

 金が全てとは言っているフェザーン人だが、貴族というものに憧れる者は多く、没落した貴族の娘を買おうとすることは珍しくない。ただ購入できるかというと、それはまた違ってくる。

 フェザーン商人と続柄になるのを嫌う門閥貴族が多く、一族総出で拒否するため成立することは稀である。無論、純粋に愛し合い、家を捨てるということもあるが、大体は結ばれることなく終わる。

 

 エリスと商人の関係に気付いたのはフェルナー。

 彼はベネディクトが借金をしてまで、美術品を購入していると聞いたとき、娘を家付きで売りに来た一人が、ベネディクトの親フェーレンバッハ卿であったことを思い出した。

 ”そういえば、邸を維持できていますね”

 邸を維持できていることを、不審に思わなかったのは、ベネディクトから少しは援助があって、なんとかなっているのだろうと ―― 娘付きで家を売りに来た者たちの中では、唯一職に就き、収入を得ている者が近親者にいたので、特に疑問に感じなかったのだ。

 

 だが実家に援助するどころか、趣味の品を買いあさり借金漬けになりつつある。となれば、話は違ってくる。

 

 競争率が高いため避けていたであろうロイエンタールの元へ行った筈と、直接当人に尋ねてみたところ、ロイエンタールには覚えはなかった。

 だがいつの間にかロイエンタールの秘書官に収まっていたベルゲングリューンから、娘込みで売りにきたが、取り次がずに帰したと聞かされる。

 

 そこでどこから維持費が出ているのかを調べたところ、フェザーン商人からの援助があることが判明し、その援助の理由がエリスと婚姻を結ぼうとしていること、また一族から結婚を大反対されていることが判明した。

 フェルナーはファーレンハイトの元に娘付きで邸を売りに来た貴族全てを調査した。すると、不可解なことが判明する。

 その中で、フェーレンバッハ家がもっとも婚姻を結びづらい家であった。

 他に有力な貴族や、名門一族との僅かなつながりすらなく、この苦境を救ってくれるのであれば、名前ごと娘を売っても良いとしている家ばかり。

 家柄が欲しいだけであれば、エリス以外の娘のほうが効率が良い。そして ―― エリスは絶対にフェザーン商人に嫁ぐことはない。

 五親等内にそのような”異分子”が存在すると、新無憂宮に割合簡単に出入りできてしまう近衛兵は除隊され、女官は退官を余儀なくされる。

 警備の関係上、これは当然の措置ともいえよう。

 もっとも、そうでなくともエリスの義姉である、気位の高いレーゲンスブルク伯爵夫人フランツィスカが許すはずがない。

 

 

 例外として自治領主との婚姻は許されているが、それも本国の同族同士との結婚とは比べ物にならないほど条件がつく。

 

 

 話を戻すが、商人がエリスに心から惚れているという可能性が、まったく無いとは言い切れないのが、人間の難しいところだが ―― 附けで骨董品を買わせる理由にはならない。

 調べれば調べるほど、裏がありそうなフェザーン商人と、ベネディクトの関係。

 彼らの予想では、借金で首が回らなくなったところで、金では解決できないことを要求すると見ていた ―― ベネディクトに近づいたところから、新無憂宮絡みであると考えられる。

 

 そこで当初カタリナは、借金を更に増やすべきだと提案した。

 ちなみにカタリナの案は、ベネディクトの商品を売っている商人に、ベネディクトが好んで買っている商品を売りつけ、それをベネディクトに買わせて破産まで追い込もうというもの。

 これは、ベネディクトの首が回らなくなる他に、商人の財力を測るのに丁度良い筈だと。

 彼女は代案は思い浮かばなかったので、それで良いとも思ったが、最初から疑って突き放すのもどうだろうと考え、一度だけ機会を与えてみようと提案する。

 

「これを譲って欲しい。もちろん、相応の支払いはする」

 

 カタリナが商人から聞いた「百二十万フェザーンマルクの骨董品」を買うと申し出た。

 惚れ込んで買ったものゆえ、購入時よりも金額を上乗せしてよいとも告げた。それで借金を清算し、フェザーン商人から逃れるも良し ―― 一種の蜘蛛の糸とも言えよう。

 ちなみに公休日のベネディクトを、わざわざ新無憂宮の南苑に呼び出したのは、妻帯者を一人邸に招くのは、あまり良くないだろうと考えて。

 ”ふしだら”と噂されるのは、今の彼女としては望むところだが、相手は選ばなくてはならない。

 そこで公衆の面前で、誘いをかけたのだ。

 だがベネディクトはその誘いには乗らず、

 

「また良いのを見つけたら、献上させていただきますって……」

 

 それどころか、無料で骨董品を彼女に差し出してきた。

 ”うん、そうなるとは思っていました。そう思っていなかったのは、ジークリンデさまだけですよ。男心の解らなさにかけては、さすがとしか”

 借金持ちからプレゼントされた、興味のない骨董品を前に崩れ落ちる彼女に、フェルナーは当然でしょう……と、優しい眼差しを向けていた。

 男性ならば彼女に対して、格好をつけ、良いところを見せたがるのは仕方の無いこと。

 フェルナーは床に崩れおちた彼女をそっと抱き上げ、ソファーに座らせて「別にジークリンデさまが悪いわけではありませんから」と、慰めとは少々違うが、とにかく彼女に気にせぬように言葉をかける。

 ベネディクトの破滅に拍車をかけるような形になってしまった彼女は、ソファーの背もたれに寄りかかり顔を埋めた。

 

―― どうして借金持ちから、贈り物をもらうことになってしまうのですか。ペクニッツ公爵とか……ペクニッツ公爵はまだいいわよね。国費ですけれど、借金は精算されていますし、細君は亡くなられているから、私に贈り物をしても。でもベネディクト、あなた妻帯者じゃないですかー! フランツィスカに首飾りの一つでも。

あーでも、フランツィスカ喜ばなさそう。自分の趣味にあった物以外は要らない、ある意味、素直な人ですから。でも、素直さだけでは夫婦生活は送ることはできないわ……私に言われたくないですよねー

 

 彼女は借金で贈り物されるのは、作戦の一環といえど嫌だな……などと考えていたのだが、それは無用の心配となった。

 ベネディクトは彼女との面会の翌々日から、行方不明となる。


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