黒絹の皇妃   作:朱緒

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第219話

 彼女の説得を行ったフェルナー、ファーレンハイトやキスリング、シュトライトやシューマッハ ―― オーベルシュタインが含まれていないのは、説得に向かう途中で止められたからである。

 

 まだ彼女が天蓋ベッドに引きこもっていた頃 ―― ザンデルスは登庁前に、彼女の説得にあたっているファーレンハイトを邸内で待っていた。

 

 ”木々にうっすらと積もった雪が、いい雰囲気だなあ。向かいの二階から見下ろすと、もっとも綺麗に見えるとか”

 

 彼が待機している場所は廊下。

 旧ブラウンシュヴァイク邸は広く、部屋の両側に廊下が通っていることも珍しくはない。

 ザンデルスが立っている廊下は、アーチ状の柱が連なり、外と繋がっている。

 景色を楽しめる廊下だが、冷たい外気を吸い込むと、彼女はすぐに体調を崩してしまうため、冬の間この廊下は主が通らぬ廊下となり、彼らのような、直接彼女の部屋を訪れることが許されていない使用人たちの廊下となる。

 基本フェルナーやファーレンハイトもこの廊下を通って、彼女の部屋へと向かうのだが、最低でも一日一回は彼女が使っている、大きく明かりが差し込む、上部がアーチ型になった窓が並ぶ廊下を、安全確認を兼ねて通る。

 今朝もザンデルスや護衛の部隊を伴い使用人入り口から邸入りし、護衛部隊を使って彼女が使用する廊下の安全確認を行い、部隊は彼女の寝室入り口前で待機。ザンデルスは帰りの際に使う廊下に先回りして、安全確認を行う。

 

 こうして単身、召使いしか通らぬ廊下で ―― 人通りはこちらのほうが多いが ―― ザンデルスは上官を待っていた。

 雪が積もった庭を眺めていると、廊下に聞き慣れた、だがこの豪奢で絢爛な邸に不似合いな軍靴の音に気付き、音がし始めたほうに視線を送る。

 すると廊下の向こう側から、オーベルシュタインがやってきた。

 ”二日酔い? 珍しいな”

 なんとなく足下がおぼつかず、壁に手をあてて沿うようにして歩いているオーベルシュタインを見かけ、ザンデルスはごくごく普通に、二日酔いかなにかなのだろうと判断した。

 彼女に病気を移してしまうことを警戒している彼らなので、体調不良という線は最初から除外している。

 近づいてきたオーベルシュタインに声をかけるつもりはないが、礼節として敬礼したザンデルスは、

 

「オーベルシュタイン中将閣下。……目はどうなさいました?」

 

 オーベルシュタインが目蓋をしっかりと閉じていること、その目蓋が明らかに凹んでいるので ―― 義眼を装着していないことに気付き、思わず声をかけた。

 オーベルシュタインは足を止め、彼女が治るまで姿を見られたくないと言っていると聞いたので、間違って見ることがないよう義眼を外してきた。不自由がないとは言わないが、盲目であった期間も長いので、彼女の身の回りの世話ならできると。

 話を聞いたザンデルスは「その手があったか」と手を叩いて、いい話を聞いたと ―― オーベルシュタインを見送り、その背を眺める。

 

 ”俺も目を刳り抜けばいいんだな。義眼って幾らだったっけ? 戦傷じゃないから実費だよな”

 

 遠ざかって行くオーベルシュタインの背中を見ていたザンデルスは、ふとこのまま彼を彼女やファーレンハイトたちがいる部屋に行かせてはマズイと気付き、

 

「ヤバイ!」

 

 雪が降り積もり静謐な空気が漂う空間を切り裂くかのように軍靴で蹴り上げ、全速力で駆け出しオーベルシュタインの腰にタックルを決めて、美しい大理石の廊下に叩きつけるよう突き倒した。

 

「待ってください、中将閣下! その話を聞いたら、うちの提督やフェルナーさんが”その手があったか”と、目玉を抉ってしまいます! 確実に、絶対に、一切ためらわず! 正直、提督の眼球がどうなろうとも、俺の知ったことじゃありませんし、ジークリンデさまに捧げるなら良いとは思いますが、ジークリンデさまが悲しまれてしまいます。どうか、どうか、まずは義眼をはめてください」

 

 ザンデルス自身、なんの疑いも無く自分が義眼になればいいと思ったくらいである。

 ファーレンハイトたちが義眼という選択肢を選ばない可能性は低く ―― オーベルシュタインは彼女を悲しませるのは本意ではないので、義眼をはめ直し、彼らに義眼は避けるようにと説得した。

 

 オーベルシュタインと言えば、生来、眼球というものを持っていなかったこともあり、眼球を刳り抜くという発想が出てこなかったのでこのような行動を取ってしまった。

 

「あやうく、義眼艦隊になるところだった」

 

 とは、ザンデルス。

 この騒動は、もちろん彼女の預かり知らぬところである。

 

**********

 

 彼女の傾国の美女ぶりは留まるところを知らず ――

 

 

 ラインハルトは基礎学校と基幹学校を増設しようとしていた。

 銀河帝国は教育は特権階級の者だけが受ければ良いと考える社会なので、人口に対して学校の数は極めて少ない。

 その上、女性の学問を重視しないので、女性も漏れなく基幹学校に進学させるとなると、学校の数が足りなくなる。

 よって学校を増やす ―― ラインハルトの政策に対して、貴族はまずは反対するのが、最早「型」となっている。今回も同じであったが、最終的には上手く収まった。

 

 そこに至るまで、色々とあった。貴族特権の確保と引き替えだとか、とくに大学は彼女の美貌に屈した ――

 

 ラインハルトが女性の就学率や進学率を上げようとしているので、彼女も協力しようと、大学に不文律として存在する女性合格枠の撤廃(三百五十人合格ならば、女性は五人で男性が三百四十五人)や、奨学金枠の拡大などを目論んだ。

 彼女はまず女性の大学進学率を上げるべく、自分が大学を受験すると申し出た。

 もちろん「女は勉強などするものではないと存じておりますし、そう思ってはおりますが、陛下のために道筋を……」と、あくまでも国策に従うのだという姿勢を崩さず。

 

 ただ彼女はアビトゥーアで躓く自身があった。

 なにせ帝国の大学は、選ばれし者しか通えないところ。同盟のように、全ての国民に教育を……といった考えはなく、帝国の大学はただひたすら、パワーエリート養成所でしかない。

 基礎学校では、取り立ててなにをせずとも勉強も運動もトップ。

 実科学校でも、教科書を一読するだけで成績一位……な人間が集まるところである。

 

―― ワープアウトの時間計算とか、理解不能よ。なんで貴方たちできるのよ。それも「まあなんとなく。読めば分かります」って、どういうことなの!

 

 過去の問題に目を通した彼女は、アビトゥーアを受けて、零点を取る自信すらあった。だが、アビトゥーアを受けることすらできない事態が発生する。

 銀河帝国の全ての大学の学長が、彼女の入学を拒んだ。

 ”学生たちの学業が疎かになるので”なる理由で。

 講義の際、傾国の美女たる彼女が講堂にいたら、隣の席の学生も、講義をする教授も、間違いなく言葉を失ってしまう。

 彼女には絶対従う彼ら、フェルナーやオーベルシュタインやファーレンハイトはもちろん、キャゼルヌなども学長の懸念はもっともだと、そのことは彼らが一番よく知っていた。だが、大学が機能停止になろうが、彼女の願いを希望を叶える手伝いをするのが、彼ら ―― 大学に平民や女性を進学させるための行動が、大学の機能を停止させてしまう恐れがるあたり、亡国の女皇と呼ばれるのも頷けるというものである。

 ”傾国の美女、手始めに大学を滅ぼす”

 大学側の言い分は、誰もが納得するところであったが、彼女は納得しなかった。

 

―― 後々、全ての女性を「美しいから駄目」の一言で、入学させないつもりですね。そんな前例、作らせません!

 

 自分の美貌が他者にどれほど影響を与えるか、もっとも理解していない彼女は、これは大学側の陰謀だと ―― 実際ここで彼女が引いたら、美しい女は入学させないというおかしな前例が生まれ、それを引き合いにして入学が更に狭き門になる可能性はある。

 

 大学を統括する学芸尚書も、学長たちが言いたいことを理解し、控え目に彼女に大学入学は諦めて欲しいと申し出た。

 学芸尚書は最大権力者である彼女の意見にもの申す形になるので、進退伺いを皇帝に提出はしていた。

 彼女は学芸尚書と対立すれども、辞任を認めるつもりはない。乗りかかった船ならば、最後までやりきれ ―― ということを、カタリナに告げていたため、進退伺いはカザリンの鋏使いの練習用紙となり、粉々になったのち焼却処分された。

 

「容貌で入学拒否とは何事だ!」

 

 美醜に無頓着なラインハルトが、彼らの言い分に怒りを露わにした ―― 彼も下手をしたら、入学拒否くらうレベルの美貌だが。とにかく、こうしてラインハルトと彼女は共闘し、学長たちと学芸尚書と衝突する。

 

 その結果、どうなったか?

 ラインハルトの希望はほぼ通った。唯一通らなかったのは、彼女の入学だけ。

 大学の門戸を多くの人に開く。女性の大学入学枠を撤廃する。基礎学校や実科学校の数を増やす。平民にも適用される、新たな奨学金制度を作る。容姿端麗な女性の入学を拒否しない ―― 等、それら全てと引き替えに、彼女の入学は取りやめられた。

 

「どれほど、私に入学して欲しくなかったのかしら」

 

 自分が入学しないことと引き替えに、ここまで彼らが譲歩するなどとは思っていなかった彼女は、呆れるしかできなかった。

 学校関係の書類に目を通し、サインをしている彼女の側に控えていたフェルナーは、

 

「そうですね」

 

 あらぬ方向を向き、遠い目をしながら、彼女の言葉に応えた。

 

「それにしても、何故あれほど、私がアビトゥーアを受験するのを嫌がったのでしょう」

 

 一応の決着をみた、教育問題なのだが、彼女はどうしてもソレだけは納得できなかった。

 

「合格点を弾きだしたら、拒否のしようが無いからですよ、ジークリンデさま」

 

 あ、それ分からなかったんですか? と、フェルナーが彼女がサインし終えた書類を纏めて、各省から国務省に派遣されている、書類受取人に連絡を入れる。

 

「合格点なんて、出せるはずないでしょう。なんで私が合格点を出すこと前提で、彼らは話していたのかしら?」

「それは、ジークリンデさまが賢いからですよ」

 

 フェルナーは一礼してから別けた書類の束を持ち彼女の側を離れ、各省の受取人の顔と名前を目視で確認後、IDカードで本日の受取人として登録されているかどうかを、再度確認してから書類を渡す。

 執務室に戻り、姿勢良く執務机についている彼女を見て、内心で安堵する。

 さすがに彼女も、先日の椅子振り回しからの流産(偽)コースで懲りたので、大人しくしていた。

 

「フェルナー、先ほどの続きですけれど、私はとくに賢くはありません。なぜそのような勘違いが?」

 

 カザリン同様お飾りの尚書だったはずの彼女。

 だが蓋を開けてみれば、治安も政治も安定している ―― 戦争やテロなどとは無縁で、重火器を所持しているのは特殊な人のみな国家で生きていた記憶のある彼女にとっては、治安が安定していると褒めそやされると、なんとも面はゆいのだが、国家形態と国が置かれている状況が違えば、治安に対する認識も異なるもの。

 皇帝の代わりに彼女が管理している社会は、概ね平和であった。

 

「若干二十一歳で、尚書を問題なくおつとめになっているところとか、各政策とか色々な実績が、賢夫人なのだなという認識を高めているようです。もともと、ジークリンデさま賢夫人としての評価が高かったので」

「各省が上手く回っているのは、私の力ではなく、手足となって働いてくれている貴方たちの才能の賜でしょうに。それに……私のどこが賢夫人ですか」

 

 椅子を振り回してからの大惨事を思い返し、彼女は手で顔を覆い俯く。

 ほっそりとした首筋に、揺れたイヤリングの影がかかる。

 

「椅子のことは、あれはもう気になさらないでください。なにより、ジークリンデさまが振り回せるような椅子を置いた私たちの失態ですので」

 

 フェルナーは”もう気になさらなくていいのですよ”と ――

 彼らはあの後、彼女には振り回せないサイズと重さの椅子を用意し、寝室に設置した。

 もちろん座り心地など考慮しない、ただ彼女の希望にそえる椅子の形をした ―― なにか。

 

「本当に……でも、賢夫人はないでしょう」

「えーまあ、ジークリンデさまがご自身のことをどう思われていようとも、世間では頭脳明晰にして才色兼備な傾国の皇女殿下な訳でしてねえ」

「それは、誰のことを言っているのですか」

「ジークリンデさまのことですよ。ほら、大伯父上があの名門校の主席、父上も兄君の成績優秀とくれば、ジークリンデさまも賢くて当然だと」

 

―― いや、頭の出来がまるで違いますから。あの人たちの頭脳の五百分の一も……

 

「勘違いって怖いわね」

「勘違いとは言い切れませんがね」

 

 彼女は”なにを言っているの”と笑みを浮かべつつ、自分が座っている椅子をさりげなく指さす。

 フェルナーは心得ておりますと、椅子を引き、手を差し出し、彼女は手を乗せて、立ち上がった。

 

**********

 

 彼女に対する勘違い ―― 彼女は信じている ―― と、それを上回る美貌によってもたらされた教育改革。

 彼女はその結果どころか、芽が出るところすら見ることなくこの世を去ることになったが、それに関して不服や不満はなく、まして不安もなかった。

 

 ラインハルトが、完璧に成し遂げてくれるだろうと ―― 後を託した夫に絶大な信頼を寄せて。

 


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