黒絹の皇妃   作:朱緒

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第215話

 自分の直属の上司から、自分の同期を励ますように命じられたザンデルスは ――

 

「事情は聞いたが、どうやって励ますのだ? ザンデルス」

「それはおいおい。だが来てくれて、本当に助かった、シュナイダー」

 

 ”第三者”あるいは”審判”として、同期のシュナイダーに来てくれるように頼んだ。

 正真正銘の好青年シュナイダーは、励ます方法は思い浮かばなかったが、少しでも力になれればと、敬愛する上官であるメルカッツに事情を説明し ―― 事情があちらこちらに拡散しているが、今はそれを気にしている場合ではない。

 

「まあ……そうだろうな」

 

 シュナイダーはそう言い、既に酔いつぶれたかのようにテーブルに俯せているキスリングを見る。

 シュナイダーが声をかけようが微動だにせず、こうして二人が話していても顔を上げようともせず。彼は腰をかけ給仕が注いだワインを一口飲んで”ずっと、この状態なのか?”とザンデルスに視線で尋ね、頷きを持って返された。

 もう一人が来てから話を進めようと、キスリングを無視して酒を飲む。

 

「先ほど、料金は気にしなくていいと言っていたが、本当に大丈夫なのか?」

「ああ、大丈夫だ。これから来るミュラーに払わせるから」

 

 キスリングを連れ出すという命令を謹んで受けたザンデルスだが、金は要らないと断った。

 

「遅れて済まない」

 

 二人が二杯目のグラスを空けたころ”財布兼サンドバッグ”として呼びだしたミュラーが到着した。

 もちろんサンドバッグとは言葉ではなく、物理的な意味で。

 

「遅えよ」

 

 上官に似てたのか、元々なのかは不明だが、ザンデルスがミュラーにもっと早く来いと。

 

「本当に済まなかった」

 

 ゆったりとした一人がけの革張りのソファーに腰を下ろしたミュラーは、本当に悪かったと詫びる。そして寝ているのだろうかと思える程に動かないキスリング。

 ”まず顔を上げさせるのだけで、一苦労だな”と落ち込んでいるキスリングを眺めて、シュナイダーはそう考えたのだが、

 

「秘蔵のジークリンデさま映像見せてやるよ」

 

 ザンデルスが端末を弄り、そう言って動画を再生する。

 

『どこにいるの? あっ! 見つけた!』

 

 男性ばかりの空間に、鈴を転がすような少女の声。

 勢いよく頭を上げたキスリングの前に、ザンデルスが端末を差し出した。

 

「これは」

 

 いつの間にか立ち上がりキスリングの後ろを陣取り、ミュラーが端末をのぞき込んでいた。

 シュナイダーは後で見せてもらおうと、画面を凝視している二人を眺めながら、グラスに酒を注ごうとした給仕を手で制して待った。

 

『もっと側になければ、守れないでしょう』

『ジークリンデさまが、突拍子もない動きさえなさらなければ、この警備体制で万全です』

『まあ、ひどい。ところで、今日のドレスはどう?』

『お似合いですよ』

『可愛いとか、美しいとか、びっくりしたとか、そういうのは無いのですか』

『私にそのようなものを、求められましても』

 

 動画は十三歳のころの彼女で、挙式後のパーティーの最中のもの。

 

「これは、ジークリンデさまが副官に就任した際、俺に下さったものだ」

「なるほど……あーこれはもしかして、ファーレンハイト提督の良さを知ってもらおうと?」

 

 一度見たミュラーとキスリングから端末を取り上げ、シュナイダーに見せながらザンデルスは説明する。

 

「そう。あの人ほら……なあ」

 

 人に好かれようという努力をまずもってしない上に、誤解を受けやすいがそれを解こうともせず、誰にどう思われようが気にしない……まるでオーベルシュタインのことを書いているようだがファーレンハイトのことである。

 誰かにどう思われるかを気にするような性格であったら、提督の列に今すぐ加われと言われたからといって、加われはしない ――

 

「まあ誤解はされやすいだろうな」

「半分以上は誤解じゃないけどな。それはともかく、ジークリンデさまは、提督と俺の間が上手くいくようにと、提督が笑っているシーンを下さったんだ。提督が笑ってるシーンなんて、気味悪いから要らないんだが、ジークリンデさまの部分だけ抜き出して持ってたら粛正されるからな」

 

 さくっと殺す粛清の他に、栄転にして安全地帯におくると見せかけて精神破壊するものもある。後者の正体はほとんど岩塩に覆われている惑星に作られた製塩工場。膨大な広さで、ほぼオートメーション。そこにブロック監視者という名目で送られる。

 一日中塩がラインに乗って移動するのを見て、報告リストをチェックして送るという作業を繰り返す。オートメーション化されているので、修理以外の者は最小限でよく、北海道ほどの広さに一人配置されるような状態。外との会話もなければ、娯楽もなく ―― 白さに精神がむしばまれ、息絶える世界。

 もちろん、なにもしなければ送られはしない。

 前者は目隠しされて、棒に縛り付けられ「撃て」で終わる親切設計 ―― ただし後者と違い、残された者たちは犯罪者の親族として、辛い人生を送ることになる。(後者は事故死扱い)

 

「粛清されるのか。……仕方ないだろうな。これは式後のパーティーのものか」

「そう」

「三日目だろう、そのドレス」

 

 酒には手を付けていないが、テーブルに俯せなくなったキスリングは、覚えがあった。

 

「おう。でも良く覚えてたな」

「挙式から続くパーティーの映像を観ながら、貴族間の人間関係をシュトライトさんから教えてもらった」

 

 門閥貴族の縁戚関係を学ぶには、持ってこいの映像である。

 

「なるほどね」

「だが、こんなシーンはなかったはずだが?」

 

 全編見る必要はないと言われたキスリングだが、主役の彼女が映っているので、暇を見つけては標準速度で全編に目を通していた。

 

「選ばれし名門公爵家の跡取りの挙式パーティーの編集映像だぞ。どこの馬の骨かも分からない大佐なんて、映り込んでるだけで事故だ。カットされるに決まってるだろう」

 

 この映像のファーレンハイトは、フレーゲル男爵がそうだったように結婚祝いのお裾分けで大佐に昇進し、真新しい大佐の制服を着ている。

 

「どこの馬の骨って、お前の上官だろう」

「俺の上官だが、公爵家ではそんなもん。でもフレーゲル男爵がカットされた部分を集めて、ジークリンデさまにプレゼント。その一部を俺がもらったってところだ」

「なるほど……それでキスリング、何があったんだ。いや、聞いてはいるが」

「…………」

 

 キスリングはシュナイダーの問いに、大きなため息を吐き出した。

 

**********

 

 キスリングがこの状態になったのは、カタリナの一言が原因。

 彼女が少しカタリナから離れた時、

 

「ねえ。キスリング。あなた、警備以外の才能ないの?」

 

 そうキスリングに耳打ちしたのだ。

 ただ耳打ちには少々声が大きく、その場にいたフェルナーとファーレンハイトの耳にも入った。

 

 フェルナーとファーレンハイト。この二人、警護として採用されたのに、気付けば片方は艦隊司令官、もう片方は警備に執事に諜報員。特に執事の能力は突出し「娘と結婚しないか」と亡き伯爵に言われたほど。この経緯を知っているカタリナは、そろそろキスリングも違う能力を発揮するのでは? と思っていたのだが、未だに護衛だけ。この護衛は、護衛以外しないのかしら? と ―― カタリナのこの質問、まったく悪意はない。それに関しては二人とも同意する。

 だから余計に性質が悪いとも言えた。

 対するキスリングは警護だけ。それは正しい姿なのだが。

 

「あ、オーベルシュタイン? 私、ジークリンデよ。一つ、頼みがあるのですけれど、いいかしら? 忙しかったら」

『なんでもお申し付けください。ジークリンデさまの命令にお応えすることこそ喜び』

 

 一人オーベルシュタインに連絡を入れていた彼女だけが、その言葉を聞かなかった。

 

「……」

 

 いきなり”才能ないの?”と問われたキスリングはどう答えるべきなのか悩んだ。適度な自信もあれば、ある程度才覚もあると自負している。

 

「あなたは、なんでもできるから、ついつい頼ってしまって」

『なんでも命じてください』

「そんなことを言うと、本当に色々なことを頼んでしまいますよ、オーベルシュタイン」

 

 間が悪い……としか表現しようのない、彼女とオーベルシュタインの会話が、豪華絢爛な室内に響き渡る。

 彼女がどうして離れているのか?

 非常事態でも無い限り、新無憂宮に立ち入ることができないオーベルシュタイン。この話題が始まる前に「ここかヴィジフォンで連絡して、内部がどうなっているかを見せるというのはどうでしょう」「それはいいですね、パウルさん喜びますよ。あ、もちろんその映像にはジークリンデさま収まってくださいね。そっちの方が喜びますから。あ、私たち? 私たちは邪魔ですから離れてます。私たちが撮影? 何言ってるんですか、こういうときこそ”一人で出来ます精神”ですよ。失敗する? 大丈夫、パウルさんはジークリンデさまがすること、どれも失敗だなんて思わないから」と ――

 

「では、もう一つ頼むわ。近衛の配置図を確認して、警備の穴などはないかを確認して」

『御意にございます』

 

 悪い方向に絶妙なタイミングで、彼女はキスリングの専門である警備体制についてまでオーベルシュタインに依頼する。

 ただこれは、職業軍人の中でも選りすぐられた隊員を率いているキスリングに警備の穴など捜してもらったら、全部駄目と言われそうなので、彼よりも少し判断が緩そうなオーベルシュタインに、まずは見てもらおうと彼女は考えてのこと。

 

「それで、これが中庭の景色よ」

 

 後は思いつく指示はないわと、彼女は彼らに言われた通り、自分が映り込むようにして中庭を映す。

 

「パウルって警備にも精通してるんだ。あの男に出来ないことって、あるのかしら」

「……」

 

 そんな無言の彼を放置したまま、

 

「ジークリンデ。話終わった?」

「ええ」

「唐突なんだけど、パウルって出来ないことあるの?」

 

―― 本当に唐突ですね。でもオーベルシュタインのこと、もっと気に入ってくれると嬉しいから

 

「出来ないこと……ですか? 艦隊戦はあまり得意ではないはず、多分ファーレンハイトには及ばないでしょう。あとは育ちが貴族ですから、フェルナーのような甲斐甲斐しく世話をするような事は、出来ないでしょうね。そのくらいじゃないかしら」

 

 記憶を探り、そう述べた。

 

 ”カタリナさま、もうそれ以上言わないで下さい。ジークリンデさま、嬉しいのですが……”と思った彼らだが、もちろん口は挟まなかった。

 二人は彼女に対しては無類に甘いが、普段は他人に興味なし。例え仲間であろうとも、二十七にもなった大佐に、わざわざ助け船を出すような性格ではない ―― 下手に口を挟んで、自分の精神を削られるのが嫌だった……訳ではないと自らに言い聞かせるも、思うところはあったので、ザンデルスに「浮上させろ」と命じた。

 

**********

 

「だがはっきりと、大公妃殿下に”警備だけ”と言われたわけではないのだろう?」

「まあな」

「やはり御本人に直接伺うべきではないか?」

「”警備以外の才能ありませんね”と言われたら……」

「だがはっきりと、大公妃殿下に”警備だけ”と言われたわけではないのだろう?」

「まあな」

 

 才能が無いと言われたら立ち直れないのは分かるが、

 

「ミュラーとキスリングの会話、ループしていないか」

「良くあることだ」

 

 会話のループはどうか? と、シュナイダーは酒を少しずつ飲みながらこぼす。対するザンデルスは、上官がフェルナーと同じようなことを言い合っているのを、何度も見たことがあるので慣れたものである。

 

「どうなるんだ、これ」

「最終的には”ジークリンデさまに直接うかがおう”になる」

 

 解決策はそれしかない。

 

「……最初からそれで済ませられたのでは?」

 

 ただ始まった場所に彼女はいたのだから、その場で聞けば済んだのでは? と、シュナイダーは”酒を一口も飲まずに、ループ会話を続けている”キスリングを眺める。

 

「切羽詰まらない限り、ジークリンデさまにお伺いするなんて選択肢は出てこねえよ。軽々しくそんな選択肢を出したら、栄転工場おくりだ。ところでシュナイダー、ミュラーのやつ何杯目か覚えてるか?」

「一杯空けただけだと記憶しているが」

「そうだよな。ほぼ素面と素面が、堂々巡りしている姿……? キスリング、着信だぞ。M・V・Fって……ジークリンデさまの侍女フォイエルバッハじゃないのか」

 

 テーブルに置きっぱなしになっていた端末画面に、マリーカの名が表示される。一応彼女に近づける侍女たちには、緊急事態もそうだが、何かおかしいと感じたら、気にせずに連絡するよう依頼していた。

 

「ああ……」

 

 キスリングは通話ボタンに触れて ―― 

 

「邸で賊の襲撃があったと……」

 

 興奮気味の侍女を宥めて、連絡してきた理由を聞き出したところ、彼女が襲撃されて応戦し、ファーレンハイトが負傷したとのこと。

 通話を切り、テーブルについている三人に視線を送ると、

 

「軍務省のほうには、そのような報告は届いていない」

 

 と、シュナイダー。

 

「元帥府からの通達はないな」

 

 と、ザンデルス。

 

「憲兵総監に尋ねてみたが、報告は届いていないそうだ……まあ、こちらには全て終わってから報告書が届くのみだから、なんとも言えないが」

 

 と、ミュラー。

 

「邸に行く。今日は迷惑をかけたな」

 

 フェルナーに連絡を入れつつ、キスリングは立ち上がる。それにほんの僅か遅れて、ミュラーも立ち上がった。

 

「私も同行していいか?」

「……」

 

 どの面下げて ―― と眉間に皺を寄せて睨みつけるも、この場で怒鳴るわけにも行かないので、

 

「明日の任務に差し支えるかもしれないぞ」

 

 キスリングは最大限穏便に、そして遠回しに付いてくるなと言い返す。だが、

 

「明日は公休日だから、心配は無用だ」

 

 ”休みなら素直に休んでろ仕事中毒” ―― 先日の演習で好成績をおさめ、その褒美として十五日の休暇が与えられたにもかかわらず、返納して職務についていたキスリングが言って良い台詞かどうは不明だが、彼は内心で毒づいた。

 

「ミュラー、支払い頼む」

「事情が分かったら、教えてくれ」

 

 別々の元帥府に所属する、大将と大佐という不思議な組み合わせの二人を見送り、彼らは飲んでいたグラスを空にしてから店を後にした。

 

 その翌日ザンデルスは上官を迎えにやってきた邸で、世にも珍しいテンションが高いキスリングと、滅び行く世界に絶望するかのごときミュラーに遭遇することになった。

 あの後、何かあったのだろうなと思い、興味もあったが、下手に聞いて巻き込まれたら面倒だと彼は口を閉ざしたまま。

 

「提督、打ち身って……転んだんですか?」

「気にするな」

「分かりました」

 

 彼女に挨拶をし、さっさと邸から立ち去った。


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