黒絹の皇妃   作:朱緒

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第214話

 カザリンは叛徒を気に入った ――

 性格などではなく、初めて見る拘束され二人繋がった生き物に、カザリンは興味津々だった。

 ”なんでこいつら、こんなに面白い動きをしているのだろう”と。

 

「じくー」

 

 カザリンはその短い人生経験から、答えを導き出した。

 

「陛下。手首を繋ぐのでよろしいでしょうか?」

 

 ”こいつらは、仲良しだから紐で繋がっているのだ”そのように解釈したカザリンは、自分の髪を結っているリボンを解き、互いに結び合おうと。

 

「小指と手首になってしまいましたね」

 

 ただカザリンの髪を飾っていた赤色のリボンは短く、とても両方手首に回すことができなかったので、彼女は小指、カザリンは手首となった。

 だがそれでも満足で”ふふん! いいだろう!”自慢げに彼女を繋いで歩くカザリン。

 そんな二人に連れ回されるコーネフとポプラン。彼らを見張るオフレッサー、彼女の護衛であるキスリング、そして皇帝の護衛隊長であるレーゲンスブルク卿ベネディクト。―― そして空になった三輪車を押すリュッケ。

 奇妙な取り合わせの一団は広い邸内を歩き回り、そして先ほど会話をしていた部屋近くまで戻ってきたところで、聞こえてはいけない音が響く。

 

「弁償いたしますので」

 

 陶器製のなにかが派手に割れる音。彼女の邸にあるものは、例外なく高級品。

 

「気にせずとも結構、レーゲンスブルク」

「ですが」

 

―― カタリナが壊したかも知れませんしね

 

「形あるものは、いつかは壊れる。それが今だっただけのこと」

 

 部屋に戻ると、名門の女当主二人が争い、それをどうしていいのか分からず、右往左往している近衛や女官たち。ついでにペクニッツ公爵も右往左往していた ―― 調停できる地位にいるはずなのだが。

 

―― ああ。カタリナからもらった壺ですね……最初から壊すつもりだったのかしら?

 

 床には飾られていた壺が欠けて転がっていた。

 彼女は小指を赤いリボンで繋いだまま手を叩き、解散を宣言する。

 

「さあ、終わりですよ」

 

 彼女がリボンを解くと、カザリンは別れがたいと抱きつく。

 

「明日も参りますので」

 

 彼女の言葉を完全に理解しているわけではないが、イントネーションと表情で「明日来る」ことを理解して ―― かなりぐずぐずしながらも、カザリンは彼女から離れた。

 そしてカザリンは部屋から出る筈だったのだが、部屋の隅にいるポプランとコーネフの所へ、子供らしい足音を立てて駆け寄る。

 突然であり予期せぬ出来事に、近衛たちの反応が遅れ ―― オフレッサーがカザリンと二人の間に立ちふさがった。

 カザリンはオフレッサーが邪魔だと、行儀悪く蹴る。

 幼児の蹴りなどオフレッサーには、撫でられるよりも僅かな感触。そこにやって来た女官が、カザリンの体を抱きしめて止めるが、幼い皇帝は面白くないとばかりに暴れる。

 

「お通しはできませぬ」

「…………じくー!」

 

 オフレッサーの一言と、自分の体を拘束している女官に腹を立てたカザリンは、我が儘を叶えてくれる最終兵器である彼女の名を呼んだ。

 

―― 陛下。ポプランのことお気に召したのかしら……さすが、シェーンコップとは種類のちがう女たらし。あ、でももしかしたら、コーネフかも

 

 まさかカザリンがこんなにも気に入るとは思わなかった彼女だが、ポプランやコーネフに興味を持つのは悪くないと考えた。

 

「陛下。どうなさいました?」

 

 リボンを必死に掲げているカザリン。彼女はしばし考えて、そのリボンを受け取り、ポプランとコーネフの人差し指を繋いだ。

 

「陛下。これでよろしいですか?」

 

 カザリンは自分の意図を理解した彼女に満面の笑みで答え、再び三輪車に乗り、リュッケに押させ、彼女の見送りを背に邸を出て、三輪車に乗車したまま地上車に乗り込んだ。

 

「コーネフ。俺たち、銀河帝国皇帝になんだと思われたんだろうな」

「珍獣かなにかじゃないか」

 

 赤いリボンで繋がれた空戦隊の隊長二名は、割れた壺が転がる部屋で、そう呟きあった。

 

**********

 

 カザリンと一緒にやってきたカタリナだけは、一行と共に帰らず、残っている。

 

「いきなり、なにをなさるかと思えば」

 

 そこへカザリンと入れ違いに、ファーレンハイトとフェルナーが彼女の邸へとやってきた。

 ファーレンハイトがそう言っている脇で、フェルナーがシュトライトと共に床に落ちて欠けた壺を抱え置き直し、破片を拾い集める。

 

「この壺。修理に出しますね」

 

 美術品の修復業者のリストを眺めながら、フェルナーが言うのだが、

 

「気にしなくていいわよ」

 

 カタリナが必要ないと言い切った。

 

「気にしなくてといわれましても」

 

 ”いや、前の持ち主はたしかにあなた様ですが、今はジークリンデさまのものでして”と ―― だが強くも言えず。

 そんな困ったような表情を見て、カタリナは楽しそうに、持ってこさせた漆塗りの黒い箱を膝に乗せ蓋を開け、軽快に中身を取り出した。

 

「こんな感じでいいのよ」

 

―― 青磁の茶碗ですか…………ちょっと待って、なにその、黒っぽい金属片らしいの……

 

 カタリナが取り出したのは青磁の茶碗。

 それを無造作に裏返し、ファーレンハイトやフェルナー、そしてシュトライトやキスリングに見せる。

 

「ひび割れを大胆に修復。面白いでしょ。本当はひびが入っているから、こっちを割ろうと思ったのだけれど、やっぱりひびの入っていないほうが、色々と交渉材料になりそうだから」

 

 カタリナの言うところの「交渉材料」がなんなのか、まったく分からない彼ら。

 彼女も分からないのだが ―― 彼らと違い、カタリナが傷物と言ってやまないその青磁の茶碗に、彼女は覚えがあった。

 

―― ヤンの父親ですら、一つだけですけれど、本物の壺を持っていたわけですから、銀河帝国の元勲が複数所持していてもおかしくないわ! むしろ持ってないほうがおかしいわよね!

 

「金属の鎹のようなものを打っているのですか」

 

 芸術品になんら興味のないファーレンハイトが、見て素っ気なく答える。その台詞を聞いた彼女は、確信してしまい声が出なくなる。

 

「これ、どこにあったんですか? カタリナさま」

 

 フェルナーも見て、なんだこれはと言った表情で尋ねる。

 

「宝物庫。その壺の隣にあったの。なんでこんな下手な修理を施したのを、大事にしまってるのか。不思議よねえ」

「記録はないんですか?」

 

―― カタリナ、それ、あれです。美術品に詳しくなかった過去を持つ私でも知ってる、アレです、あれー!

 

「ないわ。ジークリンデ、どうしたの?」

 

 カタリナに声をかけられた彼女は、やっとの思いで声を発し、

 

「カタリナ。それを優しく、テーブルに置いてください。丁寧にお願いします」

 

―― 興味のない人には、ただの雑な修復が施された茶碗でしかありませんが……もしかして割られた壺も……

 

「置いたけど。ジークリンデ、これがなにか分かるの?」

 

 彼女は首を何度も縦に振り、急いで覚えていることを語る。

 

「カタリナ。それは馬蝗絆と言いまして……」

 

 彼女の簡単な説明の後、各自「自分は芸術品を見る目がないな」と噛みしめた。

 

「これ、そんな歴史的な価値があったの。知らなかったわ。あ、そうだ。じゃあ、ジークリンデ、この箱に一緒に入ってた紙に書かれた文字、読める? 今は手元にないんだけれど」

「一度、ノイエ=シュタウフェン公爵家の骨董品を見せてもらえると嬉しいわ」

「一度と言わず、何度でも。私、これらの価値がまったく分からないから。ちなみに、この割った壺、こんな文字が書かれた紙が入ってたの。ジークリンデ、読める?」

 

 彼女は渡された紙に書かれた漢字を見て、懐かしさがあふれ出し”かけた”のだが、そんな郷愁はすぐに引っ込んだ。

 

「えーと。……素直に読むと”いろえふじはなもんちゃつぼ”……ですね」

 

―― なんか私の記憶では、色絵藤花文茶壺は重要文化財の馬蝗絆より更に上、国宝だったような記憶があるんですけど。そう言われて見ると、こういう図柄と形だったような……もう日本ないから、国宝もなにもなさそうですけど……門閥貴族怖いー! せっかく無傷だったのに、割ってしまいましたー。もっと早くに気付くべきですよ、わたしー

 

 連邦崩壊後、核戦争を逃れた財宝も全てルドルフや門閥貴族が手にした訳だが、後の人種差別政策により、特定の言語で書かれている添え書きなどを読める人種が激減し、現在では少数のかなり高齢の門閥貴族が知っている程度。

 

「凄いわ。これ落書きじゃなかったのね! そういえば、ブラウンシュヴァイク家にも、これっぽい文字で書かれた説明付きの芸術品あったわよね、シュトライト」

 

 かつての国宝であろうが、興味の無い人にとっては、そこらの壺と変わらないのも事実。

 

―― 私は政治などに関わっている場合ではなく、これらの芸術品の目録を作ることに心血を注いだほうが良いのでは? せっかくどんな文字でも読めるわけですし

 

「はい、カタリナさま。もう注意書きを読めるものがいなくなってしまったと、閣下が嘆いておられましたが、まさに灯台もと暗しです。たしか、このような形でした」

 

 彼女がそんなことを考えている脇で、シュトライトはキスリングが差し出した紙に「天目」と、絵を描くように記す。

 

「この前に二つほど図形があるのですが、細かくて覚えられませんでした」

 

 彼女は目を通し、ペンを取りこれ以外ないだろうと「曜変」と書いた。それを見て、シュトライトは「これです! よくぞご存じで。さすがジークリンデさま」と感嘆の声をあげる。

 

―― うん、図形。たしかに図形にしか見えないわよね。それにしても、曜変天目茶碗も残ってたんですか……邸に戻ったら、ブラウンシュヴァイク家の所蔵品を見て回りましょう。邸にあるのが稲葉だったりしたら、怖いわー

 

 彼女の嫌な予感は当たるのだが、それは後のこと。今は ――

 

「ジークリンデさま。その文字、どこで覚えられたんですか?」

「……」

 

 フェルナーに知識の出所はどこですかと尋ねられてしまった。

 これがあるので、思わず知識を語ってしまわぬよう、彼女は極力ブラウンシュヴァイク家の歴史有る宝物庫にも近寄らず過ごしてきたのだが、カタリナが馬蝗絆をフリスビーよろしく投げようとしているのを見て、ついついその禁を破り、すぐさまこの状態。

 

「そんなこと、どうでも良いじゃない。細かい男は嫌われるわよ、フェルナー。”そんなこと言うアントンは嫌いです”とでも言ってやりなさいよ、ジークリンデ。すぐに黙るから」

 

 カタリナはそんなことは大した問題じゃ無いわよと、閉じている扇子でフェルナーの手の甲を叩く。

 ”カタリナさま。それは黙るどころか、致命傷になります。下手したら即死です”

 それはお止めくださいと、その場にいる叛徒二名以外は思ったが、被害拡大を恐れ沈黙を突き通した。

 

「そうねえ」

 

 彼女はどう誤魔化そうかと、小首を傾げ曖昧な笑みを浮かべる。

 

―― 嫌いとか言って、本当に嫌われたら困りますから、それ以外で

 

「困らせるつもりはなかったんです。申し訳ございません」

 

 その笑みが、困惑したときに浮かぶものだと知っているフェルナーは、深く追求しないから止めてくださいと ―― 少し寂しげにみえるその微笑みは、見ているだけで苦しくなり、その表情をさせている原因が自分だと思うと罪悪感に苛まれる。

 例えフェルナーのような男であっても。

 

「せっかく貴方たちがいるんだから、話してあげるわ。あ、その叛徒は下げて」

 

 もう追求いたしませんと頭を下げているフェルナーの灰色の髪を、刈るかのように扇子で往復連打しながら、カタリナは唐突にそう告げた。

 邸の管理を任されているシュトライトが、彼らを連れ出す。

 

「カタリナ。フェルナーの頭を叩いては駄目です」

「大丈夫よ、ジークリンデ。ぎりぎりの所を擦っているだけだから」

「え、でも、もうやめて」

「分かったわ」

 

 そんなやり取りをしている間に、ポプランとコーネフは邸から連れ出されていった。そこから彼女はお茶の用意を、彼らは室内が盗聴や盗撮がされていないかを調査する。

 黒地のカップにアールグレイを注ぎ、何種類ものチョコレートを並べ、それを一つつまみ上げ、

 

「言い争いになってから、ベネディクトの愛人をどうにかしなさいって注意したのよ。最終警告といってもいいわね」

 

 そう言ってカタリナはチョコレートを舌に乗せた。

 賢く察しが良く、頭の回転の早い彼らだが、カタリナが何を言おうとしているのか、さっぱり分からなかった。彼らの胸に過ぎったのは、控え目にいっても、かなり余計なお世話というやつではないか ―― ということくらい。

 

―― あ……まあ、確かにあの話題を出すのに、ポプランやコーネフは相応しいですが。でも茶壺は割らなくても良かったのでは?

 

 ただ一人、彼女はカタリナが言っていることを理解した。

 

「シュトライトなら分かったかもしれません」

「貴方たち、本当に貴族のゴシップとか不得意よね」

「申し訳ございません、カタリナさま」

 

 謝る筋合いのものではないが、無駄な説明をさせてしまうのは事実なので、ファーレンハイトが深々と詫びる。

 

「私が説明してもいいけれど、貴方たちのことだから、ジークリンデからの説明のほうが頭に入りやすいでしょう。ジークリンデお願い」

「説明する人はあまり関係ないと思いますが、分かりました」

 

 彼女は紅茶を一口飲んでから、過去から語り始めた。

 

「レーゲンスブルク伯爵家は建国以来続く名門で、武門でもあります。五世紀も続けば、醜聞の一つや二つはあります。レーゲンスブルク伯爵家の醜聞で、もっとも有名……必死に隠しているのに有名というのも、些かおかしなことですが……」

 

 ポプランの曾祖父が同盟へと亡命したときの国境警備の責任者が、フランツィスカの高祖父のレーゲンスブルク伯爵。

 この伯爵、随分と臣民に逃げられた。

 その数だけ見れば無能と言われても仕方がない。だが、ただの無能であれば、醜聞にはならない。

 囁かれ続けるだけの理由があった ―― 愛人に入れ揚げて散財し、更に愛人に貢ぐために、同盟へ逃れようとしている臣民から金を取ったのだ。

 そのようなことは多数あり、今でも存在しているが、伯爵は度が過ぎていた。それに気付いた、当時の内務尚書により伯爵は更迭された。

 見せしめに処刑、もしくは爵位を下げるなどの罰が与えられて然るべきところだが、伯爵の娘が皇帝に気に入られていたこともあり、爵位を息子に譲り、オーディンには二度と立ち入らず、領地で謹慎するだけで済んだ。

 伯爵の愛人は、いつの間にか姿を消し ―― 今でも分かってはいない。愛人について分かっていることは少ないが、容姿はともかく、賢い女だったと伝えられている。

 

「ちなみに、その内務尚書はノイエ=シュタウフェン公爵。まあ、それから十数年後に失脚した間抜けだけれどもね」

 

 カタリナがポプランから、その当時の話へと持っていったのは分かった彼らだが、

 

「レーゲンスブルク卿に愛人ですか。あのおっかない奥さまの目を盗んで? 婿養子ですから、放り出されたら終わりではありませんか?」

 

 最初にカタリナが語った、ベネディクトの愛人については、思い当たる節はなく、フェルナーは”はて?”と首を傾げる。

 

「愛人といっても、人じゃないわ。骨董品よ。下手な女より、よほど金が掛かるわ。ユルゲン・オファーが良い例でしょ」

 

 ユルゲン・オファーとはペクニッツ公爵の名前。象牙細工に入れ込んで借金で首が回らなくなり、それが元で皇帝の父親になった。

 

「あーそっちですか」

「ベネディクト卿が自由にできる金は、それほど無いはずでは?」

 

 婿養子のベネディクトはレーゲンスブルク家の資産には、一切触れることはできない。彼は基本、近衛兵として働いた給与で欲しいものを購入している。

 その給与は、貴族の趣味に使うには足りない ―― もちろん軍人としてみると給与はかなり高額であるが。

 

「ベネディクトの実家は裕福ではありませんから、親からの援助の線はありませんね」

「裕福じゃないどころか極貧よ。娘を社交界にデビューさせることすら出来ない財政状況ですもの」

 

 カタリナの悪意と悪戯が混じった視線が、ファーレンハイトに注がれる。

 骨董品ではなく妹のためにその給与を使おうなどとは、ベネディクトは考えないタイプ。

 

「婿養子になった際に、取り決めなどがあったのかも知れませんな」

 

 十代半ばで家族の生活を全て背負っていたファーレンハイトとは、優劣や正否はさておき、とにかく正反対の男とも言える。

 

「それでね、フェザーンの商人から聞いたのだけれど、ベネディクトのやつ、この間、百二十万フェザーンマルクの骨董品を買ったそうよ。最初に聞いた時は、ながしたけれど、後になって資産を持たない男が、元帥の給与より高い品を買うなんておかしいと思って、ちょっと調べてみたの。それでね……」

 

 カタリナからの説明を聞き、彼らはベネディクトに対して幾つかの策を講じてみることにした。そこまでは良かったのだが、最後に ――

 

***********

 

 元帥府に残って仕事をしているザンデルスの端末に、ファーレンハイトから連絡が入る。ヴィジフォンではなく、ただの通話なのは珍しいなと考えながら通話ボタンに触れる。

 

「提督、ザンデルスです。…………提督、自害でもなされるんですか? 最後まではお供しますよ」

 

 笑いなど一切含まぬザンデルスの口調に、室内の空気が張り詰め、痛いほどの静寂が満ちる。

 

「いや、誰が聞いてもそう考えます。金を出すからキスリングを元気づけろだなんて、提督の口から出る筈が………………女王さまですか。キスリングのやつ、女王さまにやられましたか」

 女王さまと聞いて腰を浮かせていた者は座り直し、ザンデルスを凝視していた者は一斉に視線を逸らした。

 


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