黒絹の皇妃   作:朱緒

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第213話

 叛徒と皇帝を直接会わせる。

 その方法だが、彼女が新無憂宮内のオラニエンブルク邸へと二人を連れて行くだけのこと。

 同盟からの亡命者であっても、新無憂宮に立ち入った例はいくつかある。

 今回もその一つであり「たまたま」ペクニッツ公爵と陛下が、叛徒が居る時に、彼女の邸を訪れる ―― という形を取るのだと、フェルナーとファーレンハイトの元に報告が届いた。

 

「偶然を装うって……」

 

 彼女から連絡を受けたシュトライトが、大急ぎで新無憂宮内の彼女の邸へと向かい 準備を整えている最中で、手伝っているリュッケが状況を送ってきた。

 

「……行かないわけにはいかないと思うが、立ち入れるか?」

 

 ビッテンフェルト艦隊の再編など大量の仕事があるファーレンハイトだが、無視するわけにはいかない。

 

「どうでしょう。一応あなたは元帥ですから……」

 

 だが新無憂宮に立ち入れるかとなると、難しい。通常ならば、元帥の地位で立ち入ることは可能だが ―― 皇族が「通さないように」と命じれば、どうすることもできない。

 

「フェルナー。最悪、お前だけでも潜入しろ」

「下っ端とは言え、代々続く帝国騎士の元帥で統帥本部総長が立ち入れないのに、平民中将にどうしろと? そもそも私が新無憂宮に立ち入れるのは、カタリナさまのご慈悲なんですから。カタリナさまがお許し下さらなければ、門前で銃殺されて終わりです。もちろん、警備は結構ザルなので、潜入できますけどね」

 

 新無憂宮の警備は未だに近衛がメインで、機械による警備システムなどは導入されていない。

 近衛や兵士の配置は、重要で関係者以外には伏せられているが、ファーレンハイトやフェルナーは関係者なので、配置リストなどは揃っており、また潜入スキルを持つ兵士たちも持っている。

 

「潜入してどうする。ジークリンデさまの忘れ物をお届けに参りましたで、どうにかなるだろ」

「えーまあ、それはそうですけれど。忘れ物を届けに……なら、あなたでもできるでしょう」

「まあな」

「とりあえず行きますか、新無憂宮」

 

 ここ ―― ファーレンハイトの元帥府 ―― にいても仕方ないと、二人は新無憂宮に向かうため、ザンデルスに地上車を回すよう連絡を入れ、早々に部屋を出た。

 

**********

 

―― 当然といえば当然ですけれど……

 

 コーネフとポプランは、後ろ手で手首を拘束され、それを細い首輪とつなげられている状態。

 行動を制限するために、首輪と腕の拘束具を繋ぐワイヤーはかなり短めで、楽な体勢が取れないようになっている。

 あとはコーネフとポプランの足首を、片方だけ相手に繋いでいた。

 拘束具はどれも細く力を込めれば肉に食い込むタイプ。地肌にそれらを装着させ、洋服で隠している。

 

「こいつが、新無憂宮ってやつかあ」

 

 だがポプランはめげることなく、いつも通り。

 

「少し黙ってろ、ポプラン」

 

 コーネフも特に変わりはない。

 二人には悪いことをしたなと思いつつも ―― 彼女は気にせぬ素振りで、カザリンの到着を待った。

 新無憂宮内の彼女の邸だが、皇帝一家が住んでいる南苑の中心からは、かなり離れたところで、東苑の端にちかい場所に建っている。

 

**********

 

 彼女は大公妃となった際、皇帝の親族ではないので、皇帝一家とは離れた所に邸を求めた。そんな彼女に提示されたのは東苑よりの、格の高い邸 ―― いま彼女が居る邸である。

 南苑の中心に皇帝とその一家が住む。政務が執り行われる東苑側には、皇太子やその他、政治に直接携わる成人皇族が居を構える。そういった慣習からすれば、彼女に東苑に近い邸が与えられるのは当然のことで誰も異論を挟まなかった。

 ただ一人、彼女だけが格の低い西苑寄りの邸を希望した。彼女にしてみれば、生まれながらの皇族ではないので、格の低い邸が妥当だと。

 西苑よりの邸の格が低いとされるのは、皇帝の子を産んだ側室が、その辺りに邸を賜るためである。

 

 彼女が格の高い邸を求めないのは、彼らも理解していたが、どうしても西苑よりではなく、東苑よりに住んでもらわなければならない理由があった ―― 西苑閉鎖による、警備の脆弱さ。

 新無憂宮の警備は近衛が担当している。

 その近衛、軍人ではあるが、宮内省に所属しており、軍とは完全に独立した存在で、彼らは自分たちのテリトリーに正規軍の警備部が入ってくることを極端に嫌う。

 近衛は有能ではあるのだが、近衛になれる身分というものが必要で、そのため数が少ない。

 近衛団の下部組織もあるが、そちらも入団するには一定の身分が必要。近衛はそれなりに有能なので程度はカバーできるが、広大な新無憂宮の警備には足りず ―― よって、人が住んでいない苑は警備が手薄になってしまいう。

 現皇帝は西苑も必要なければ、北苑も必要とはしておらず、この二つの苑の警備は非常に頼りなく、フェルナーくらいの潜入スキルを所持していると、忍び込むことができる。

 

 逆に皇帝の住居である南苑と、政治が執り行われている東苑は警備体制が整っているので、彼らとしては出来るだけ東苑よりの邸に住んで欲しいと考えた。

 

 普段であれば彼女の希望を叶える彼らだが ―― 軍人の警備を増やせば良さそうだが、ことはそう簡単でもない

 

”近衛以外の軍人は野蛮。禁中を任せるわけにはいかない”

 

 近衛はこのような考えであり、態度を隠さないので、職業軍人たちと協調できるはずもなく。

 この状況に無理矢理職業軍人をねじ込み、軋轢を生んでも悪い結果を生むことはあっても、良い結果が得られる可能性はない。

 そこで彼らは、彼女に話しをつけた。それも正攻法ではなく、彼女の弱点をついて。

 

「ジークリンデさま」

「なにかしら? シュトライト」

「こちらの邸を望みとお聞きしたのですが」

 

 新無憂宮内の邸について、彼女は部下の侍従武官たちに管理を任せることにした。

 彼女が侍従武官長に選ばれた経緯からも分かるように、侍従武官は一時的だが宮内省にも属する。よって彼女は新無憂宮内の邸を、侍従武官たちに任せることにした。

 その中でも、特に貴族や皇室に詳しいシュトライトが、総責任者になるのは、当然の流れと言える。

 

「ええ。住むわけではありませんから、小さめの邸で充分ですからね」

 

 彼女は新無憂宮内に住むつもりはなく、また、あまり数の多くない彼ら侍従武官に警備を任せるので、小さめな邸を選び、彼らの負担を極力減らそうと考える。

 ちなみに部屋数は十一。新無憂宮内では、誰もが頷く小ささだが、平民が住む街中にあれば豪邸であるのは言うまでもない。

 

「たしかに充分でしょう。ですが、一つお耳に入れておきたいことが」

 

 東苑よりの邸を選び、そして好奇心旺盛な彼女が、西苑よりの邸まで足を伸ばさないように、恐怖心を煽ることにした。

 

「なんですか?」

「この邸は、出ると評判です」

 

 彼女は幽霊の類いが非常に苦手 ―― だが同時に、それらの話が大好きでもあった。よってついつい耳を傾けてしまう。

 

「…………出る?」

 

 シュトライトの真剣な表情を前に、彼女は完全に信用した。それが幽霊などという、非科学的な存在であっても。

 

「はい。幽霊が出ると、密かに噂されておりまして」

「どんな幽霊ですか……」

 

 彼女は占いなどは信じない性質だが、怖い話は信じてはいなくとも ―― 一人で寝られなくなるくらいには恐怖する。

 

「あの邸は子を失い、絶望した側室が自害して果てたことが、過去四度ほどあります」

 

 彼女が最初選んだ小さめな邸は、皇帝の子を産んだがその後、子が死亡したり、皇帝の渡りが無くなり、日陰の中でしおれて死んで行くしかないような女性たちが住んでいた邸。

 

「よ、四人もです……か」

「私が聞いただけで四人。それ以上はあっても以下はなさそうです」

 

 これは嘘ではなく、実際記録に残っている。

 

「これも噂ですが、どうも女性だけが、幽霊とおぼしきものを目撃するようなのです」

 

 こちらの噂は別の邸のものだが、それをシュトライトは上手く混ぜ、真剣な面持ちで彼女に語る。

 

「……貴方たちは見ない?」

「はい。同性のみが目撃するらしく。無論、噂だけだとは思いますが、このような噂のある邸は避けたほうがよろしいのではないかと存じます」

「そうね……」

「それで勝手ながら調べさせていただきましたが、西苑寄りの邸は無念の死を遂げた側室の方々が住んでいたという記録が多々残っております。私どもは気にはいたしませんが、女性ゆえと言いましょうか、噂ではとにかく女性にまとわり付くようです……その点、東苑は邸で毒を仰ぐようなお方は存在しません。私としては、ジークリンデさまには東苑よりの邸に入っていただいたほうが安全ではないかと結論づけました。ご一考いただければ嬉しいのですが」

「………………」

 

 彼女は東苑よりの自殺者が一度も出ていない邸を、素直に賜った。

 

**********

 

 幽霊が出るという噂のない邸はかなり豪華な造りで、侍従武官だけに管理させるのは難しいと考え、彼女は週に一度は召使いたちを連れて足を運び、邸の手入れをしていた。

 よって寂れた感じは一切なく、豪奢で宮殿の風格を保っていた。

 彼女は絹のクッションが敷き詰められたソファーに、居住まいを正した、そのソファーに腰掛けるには相応しくない凜とした姿勢で座り皇帝を待った。

 

「大公妃殿下、失礼する」

 

 大理石のアーチ天井に、格子模様の廊下。壁も多種多様な色の大理石で飾られ ―― 室内には十五の巨大シャンデリアに、二百五十本の蝋燭が灯される五十の燭台。天井にも絵が描かれている。

 彼女が腰をおろしている絹のクッションが敷き詰められているソファーには天蓋がついており、その枠は精巧な金細工で飾られ、天蓋は青緑色で縁が金細工と一体にみえるよう刺繍が施されていた。

 

 そんな邸には似合わない粗野な声が響き渡る。

 

「来ましたか、オフレッサー」

 

 空戦隊に属する二人であっても、帝国のオフレッサーには一人心当たりがあった。もちろん容姿などは知らないが ―― 眩いばかりのシャンデリアが吊される部屋に不釣り合いな、顔に傷のある大男の姿に、これが”あの”オフレッサーなのだと、二人とも確信した。

 同盟にも名を知られているオフレッサーは、二人に近づき部下共々、動いたら止められる位置についてから、安全が確認されたと連絡をする。

 

「じくー」

「お待ちしておりました、陛下」

 

 それからさほど待たずして、カザリンが三輪車に乗って現れる。もちろん後ろを押すのはリュッケ。

 その後にぞろぞろと、ペクニッツ公爵や近衛兵や女官などが付き従う。その姿を見て”あれが皇帝か。普通の子供だなあ”と、ポプランにしては独創性の欠片もない言葉だけが思い浮かんだ。

 ただ思ったことがすぐ口に出るポプランだが、さすがにこの場でこの台詞はマズイだろうと口を噤む。

 コーネフも彼にとっては不本意であろうが、ポプランとほぼ同じ感想を持っただけであった。

 

「陛下。ミルクを用意いたしました。いかがですか?」

 

 彼女はテーブルへと移動し、用意していたポットに手を伸ばす。

 

「やー」

 

 三輪車のペダルに足を引っかけ、手を差し出されるも、自分でできるとリュッケの手を払いのけ、自慢げに大理石の床に降り立ったカザリンは、ジークリンデの元へと駆け寄る。

 彼女とカザリン ―― 子供用の椅子がないのでカタリナの膝に座る形 ―― と、当たり前のようにペクニッツ公爵が席に着き、楽しいと言うには護衛たちにとっては少々無理がありそうだが、皇帝にとっては掛け値無しに楽しいお茶の時間が始まった。

 カザリンは、もてる語彙の全てを駆使して、彼女に話し掛け、彼女はそれに笑顔で答える。その彼女の横顔を幸せそうに見つめるペクニッツ公爵。

 その時間がしばし続き、カザリンの話しが途切れたところで、カタリナが白身がかった緑色の手袋で覆われた手でポプランとコーネフを指さす。

 

「ねえ、ジークリンデ。あれはなに?」

「叛徒です」

 

 彼女は言い訳せずに、事実のみを答えた。

 

「なんで叛徒をここに連れてきたの?」

 

 室内の誰もが抱いている疑問について、カタリナが軽やかに触れる。カザリンは膝の上に座っているのは飽きたと、上質で滑らかな絹のドレスを、ズロースを見せつつ滑り降り、再び三輪車に跨がった。

 

「それはもちろん、正道に戻すためによ。陛下のご威光に触れるのが一番の近道ですから」

 

 侍従武官に三輪車を押させ、本人としては歌を歌っているつもりのカザリン。その姿は可愛らしいが、皇帝の威光というものはない。だが、誰も皇帝の威光はないとは言えない。

 

「なるほど、そういうこと。確かにそれが最短ね。それで、そこの叛徒。どう? 戻ってくるつもりになった?」

 

 唯一言いそうなカタリナだが、カタリナにも思うところがあり、否定しなかった。

 いきなり声をかけられた叛徒二名 ―― ポプランとコーネフは、どう答えたものかと、さすがに悩む。

 周りは同盟では滅多にお目に掛かることのない門閥貴族と、絶対に見ることはない皇帝。そして彼らの横にいるオフレッサー。

 彼らの性格上、オフレッサーが怖いわけではないが、下手なことを言ったら殺されることくらいは分かっているし、彼らは死にたがりではない。

 そんな彼らの逡巡を見てカタリナは、口元を半分だけ扇子で隠し、誰が見ても企んでいるのが分かるよう嗤いを浮かべた。

 

「金髪じゃないほうの叛徒。そう、あなた。あなた今ここから逃走しない? もちろん、人質なんて取らないで、単身で逃げ出してみなさいよ」

「は、はあ?」

 

 金髪じゃないほうの叛徒ことポプランは、カタリナにそう言われ、さすがにどう答えていいのか分からず。

 

「二度も奴隷に逃げられる、無様なレーゲンスブルク伯爵家を見てみたいのよ」

 

 室内の空気が凍り ―― ポプランはカタリナの台詞に瞬時に怒りを露わにした、一人の女性に気付く。黒い髪をしっかりと纏めた緑色の瞳の貴婦人。

 

「カタリナ」

 

 彼女がいさめるものの、カタリナがわざとらしく目を開き、見えないように扇子で隠しつつ、そっと口元に人差し指を立てる。

 

―― なにかしら……そう言えば

 

 新無憂宮につれて行くとカタリナに連絡を入れた時、画面の向こう側で「ちょっと待って。警備責任者が誰かを……良いわよ! 最良のタイミングだわ。すぐ来て!」カタリナが笑顔でそう言ったことを思い出した。

 カタリナのその態度があろうがなかろうが、警備責任者には一報を入れるので、彼女も本日の現場の警備責任者が誰なのかは知っている ―― レーゲンスブルク卿ベネディクト。

 さきほど怒りを露わにした貴婦人の夫である。

 

―― カタリナとフランツィスカが仲悪いのは知ってますけれど、ベネディクトには今までなにも……なにかしら?

 

「陛下。邸内を散策なさいませんか? 叛徒の二人も付いてきなさい」

 

 事情は後で聞こうと、彼女は激しい言い争いになるであろうその場を後にした。

 


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