黒絹の皇妃   作:朱緒

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第212話

 無事にビッテンフェルト艦隊を止め、その後、ファーレンハイトとシュトライトが謝罪を兼ねた事情説明のために、オーディンに滞在している侯爵のもとを訪れた。

 彼女が足を運んでも良かったのだが、やはりここは礼節を持って ―― 軍内では三長官のほうが高い地位にあるので、軍の誠心を示すため、また規則にも倣っている。

 事情を聞いた侯爵は、それならば仕方ないと、門閥貴族の鷹揚さをもって許す。

 

「それにしても、事情を聞けば、ファーレンハイト君のほうが、しでかしそうなことだがな」

 

 齢七十を越える侯爵は、面識あるファーレンハイトに、悪気無くそう言う。言われたほうは、

 

「地位をいただいたことで、出遅れました。恩知らずな叛徒共の、のど笛をかみ切る機会を他者に譲ったのは、痛恨の極み。この地位、返上することも考えたほどです」

 

 ”俺もやる気はあったぞ”と、それは丁寧に答え、隣のシュトライトが笑いをかみ殺しつつ肩を震わせた。

 その答えが楽しかったのか、侯爵は大笑いをし、機嫌は更に良くなった。

 

「侯爵閣下」

 

 笑いを収めたシュトライトは彼女から預かった有名画家の絵を”どうぞ、お納めください”と。

 侯爵は手土産の一つくらいは期待していたが、同時に、現三長官の色気のなさを知っていた。なので、味気ない品だろうと考えていたのだが、彼の好みに見事なまで合致し、少しばかり興奮した。

 絵画を持ち顔を近づけ、大喜びする。

 

「この絵はたしか大公妃殿下が所蔵していた筈だが」

「元帥就任の祝いに、幾つか」

「ほお。これだけでなく、幾つかとは。この一枚でも、かなりの物なのだがのう。さすがは大公妃殿下」

「私は価値の分からぬ男ゆえ、一度は辞退いたしましたが、元帥たるものなにごとかが起こった場合、絵画や宝石、楽器などが役立つから受け取っておけと」

 

 彼女はファーレンハイトの元帥就任祝いに、絵画や宝石などは与えていない。今回、侯爵の元へ出向くので「祝いにもらったと言って渡しなさい」と、侯爵好みの絵画を手渡した。

 本当に彼女から祝いでもらった品であれば、ファーレンハイトはどのような状況であろうとも横流しなどはしない。

 

「そのお言葉通りになったというわけか」

 

 しばらく来客を放置し、絵画を眺めることに没頭していた侯爵だが、

 

「侯爵閣下、失礼いたします」

 

 応接室に「先ほど呼んだ」人物が入ってきたことで、正気に戻り、絵を控えている執事に渡す。

 

「ヒエロニムス・フォン・キューネルトと申します」

 

 やって来たのは彼女が探ろうとしていた製薬工場がある一帯を管理している、キューネルト家の当主。

 侯爵は、まずはもらった絵画をキューネルトに自慢し、彼は上手く答える。当主の好みくらい理解していなければ、領主代理など務まらない

 それらのやり取りを眺め ――

 

「侯爵はなにも知らないでしょうな」

 

 帰途についた車中で、シュトライトが先ほどの態度と出来事から、侯爵は今回のことには関係していないと判断した。

 

「やはりそうか」

 

 侯爵がキューネルトに一通り絵画を自慢し、満足するまで賞賛を受けてから、本題にはいった。それは「治療薬を提供する」というもの。

 今回の事態により、品薄になった薬を無償で提供したいと申し出てきた。

 彼女からの絵画の提供もあったので、元々乗り気であった侯爵は、更に乗り気に。彼らは自分の一存では決められない、だが彼女は喜ぶでしょうと答え、すぐに返事を持ってくるのでと邸を辞した。

 

 薬の無償提供 ―― そうは言うものの、無料で好意だけを受け取るわけにはいかず。後々なにか、難題を押しつけられることも考えられるので、勝手に受けるわけにはいかない。

 

「今年度の収支が合わなくても、気になさらないでしょうな」

 

 会話の端々から、薬の無償提供はキューネルトが申し出たのは明白。薬を無償で提供したことによる、収入減と告げられれば、侯爵の性格からして気にはしない。

 この辺り、賛否はあるだろうが、ある程度金を自由にさせるのも貴族の甲斐性。領地の管理を任せているとなれば、隠し予算も与えられているであろうし、足りなかった場合は、当座自分で自由にできる金で凌ぐということもある。無論、それについては後日、当主に報告しなくてはならないが、ある程度の誤魔化しはきく。

 彼女もある程度の隠し予算(美容代として計上)を彼らに与え、自由にさせており、その明細について尋ねることはない。美容代を横領していようが、博打に使っていようが、家を買っていようが、恋人に貢いでいようが、彼女としては気にしない ―― もっとも彼女が用意した隠し予算を私的に使う者はいないが。

 

「侯爵はともかく、子息はどうだ? シュトライト」

 

 侯爵はまだまだ元気だが七十を越えている。

 代替わりを上手に行うためには、仕事を割り振りし、覚えさせるのも当主の役目。

 

「子息は領地経営などにはあまり熱心ではありませんが、侯爵の孫は積極的に関わっているようで。侯爵も学者肌で、社交界に興味を示さない息子より、孫に期待をかけているようです」

「そうか……孫といっても年齢は、俺たちとそう変わらなかったな」

「それとなく、大学時代の知人に当たってみます」

 

 侯爵家は家督相続に関して、それなりに上手くやっている ―― ように見えた。

 

**********

 

 ビッテンフェルトはゼルニハウゼン惑星の、彼女が希望していた箇所の撮影には成功した。

 製薬工場があった筈の場所は更地。だがこれだけでは、誰も気付かぬうちに解体したのではとなる。

 それを調べるのが彼らの仕事。

 製造された薬の流通ラインの調査や、近くを回っている軍事衛星の情報解析。その結果、薬は以前と変わらず売られている状態。

 衛星の情報解析 ―― 直接その場所を撮影できなくとも、紛れ込んでいることは多々ある。数ある衛星からの画像を調査したところ、三ヶ月ほど前、キューネルトが管理している地区の上空に、不可思議な光が確認された。

 その閃光を兵器情報と照らし合わせて、サーモバリック爆弾が使われたことが判明した。

 

「この威力のサーモバリック爆弾程度なら、簡単に手に入るな」

 

 製薬工場を爆破するほどの爆弾だが、この時代の兵器としては、特段目を見張るような威力があるわけでもなく、領地を持つ門閥貴族ならば、所持していたところでおかしくもない兵器。

 

「一応、購入ルートを洗ってみますよ、ファーレンハイト。つきましては、誰を捕まえます?」

 

 フェルナーは看過できる程度の、兵器の横流しを行っている者のリストを取り出し ―― 彼らの調査を行っている過程で、そちらにも事情を聞きたいと話しを持ってゆく手はずだ。

 

「どいつでも構わん。とにかく、感づかれるなよ」

 

 彼らは賄賂はある程度目を瞑るが、彼女の資産をかすめ取るような横領には容赦がない。

 

「努力はします。努力だけはね。でもツヴィーファルテン侯爵領ですから、フェザーンから買ったと考えるのが、普通ですよね。フェザーンが絡むと、秘密理に調べるのが面倒で」

 

 彼女があの場で説明したとおり、ツヴィーファルテン侯爵領は、かつて大勢の亡命者を受け入れていた。

 それは侯爵領がフェザーン領の近くにあるのも、理由の一つであった。その位置関係上、フェザーンから購入していた場合、隠れて調査するのが難しい。

 

「いっそ、ルビンスキーに直接聞くか」

「誤魔化されて終わりのような気もします。それにルビンスキーも、敵は多いですし」

「二代目の自治領主は失脚後、事故死だったな」

「失脚イコール死、のような世界ですから、ルビンスキーも必死でしょう。建国百年を超えて、独立の気風も高まっているようですしね」

 

 フェザーンは帝国の一部でありながら、女性は当たり前のように学校に通うことができ、インフラは同盟や帝国よりも充実し軍役もない。

 多少面倒な手続きはあるが、同盟にも簡単に行くことが可能。もちろん、帝国には自由に入ることができる。

 この世界にあっては、夢のような国……良いこと尽くめの国ならば、フェザーン籍を求めて人が集まり、人口が密集する筈だが、そうでもない。

 まず第一に、フェザーンは非常に税金が高い。これは帝国の一部であり、貢納義務を負っているため、毎年、結構な額を本国(銀河帝国)に収めなくてはならないからである。

 それだけ支払っておきながら、インフラ整備が行き届いているのは、それを維持することができる程の金を集めているからである。

 税金を滞納すると、理由など一切考慮されることなくフェザーン籍を剥奪、追放されてしまう。

 同盟に亡命しようにも、フェザーン籍を取り返してでなくては亡命申請は通らず、帝国で農奴になるしかない。ここから巻き返せる者もいるが、大半は農奴から抜け出せぬまま終わる。

 

 またフェザーンは、帝国の一部らしく、弱者を完全に切り捨てており、それがインフラ整備に向けられていた。

 ルビンスキーの息子ルパートは、父に捨てられて母子で苦労したと語っているが、それは生活保護に該当するような社会政策が一切ないためである。

 母子手当もなければ、生活保護もなく、当たり前だが障害者雇用枠もなければ控除もない。障害者に関して迫害はないが、当然税金は掛かるので ―― 後は説明する必要もないだろう。

 金を稼げない人間は、必要ないとばかりに切り捨てるのがフェザーン。

 

 もっとも母子手当が存在するのは、女性の権利を認めていない帝国だけ。同盟は男女が平等の権利を持っているので、母子家庭を特別扱いする必要がないのだ。

 

 フェザーンは確かに金さえあれば住みやすいが、フェザーンで快適な生活を送れるほどの資産を持っている人間は、帝国にいようが同盟にいようが、フェザーンと同じ生活を送れるのだ。

 

 話が少々逸れたが、この税金の高さを不服に感じる者、税金が支払えずフェザーン籍を剥奪された者たちが集まり独立を目指している ―― ただ以前はそれほど過激な組織ではなかったのだが、このところ暴走が目立つようになっている。

 

「厄介だな」

「厄介ですよね」

 

 どうしたものかと、愚痴混じりに話していたのだが、突然ファーレンハイトの表情が真剣になり、

 

「……おい、トニー」

 

 いきなりフェルナーに愛称で呼びかけた。

 

「トニーはやめろ。あんたのこと、アード兄さんって呼ぶぞ」

 

 何を言い出すんだ、この野郎とばかりにフェルナーが言い返す。だがファーレンハイトは気にせず、

 

「トニー。ルパートの愛称はなんだ?」

 

 ボリス・コーネフが語った独立派のボスと目される若い男 ―― 名はロビン。

 

「いきなりなんですか。ロブとかロビン……」

 

 ドミトリー・ボグダーノフの以前の名がルパート・ケッセルリンク。ロビンと呼ばれていても、なんら不思議ではない。

 

「フェザーン独立派を、内側から潰すためにルビンスキーが放ったとは考えられないか」

「どうでしょうねえ。ないとも言い切れないのが。でも同一人物というのは、当たりかもしれません」

「フェザーン独立戦争が、帝国内にも飛び火する可能性もあるのでは」

「商人の顔で情報を集めて……いるように見せかけて、内乱を煽ると」

「帝国が国内にかかり切りになっている際に、完全独立を目論む。あり得ないわけでもなかろう」

「でも、帝国が立ち直ればすぐに平定しますよ。とくに今は、まあ言いたくはありませんが、三長官全員、間違いなく有能ですから」

「それが狙いなのかも知れんぞ。ルビンスキー個人に対する復讐を、帝国の手で成し遂げる」

「帝国軍が傭兵扱いですか。面白くないですね」

「同感だ」

 

**********

 

 彼らに調査を任せている彼女だが、彼女なりに色々と考えて、行動していた。

 

 パンデミックが一段落ついたので、彼女はやっとオリビエ・ポプランに会うことができた ―― 実はパンデミック前に会えるはずだったのだが、リンツがシェーンコップに言った通り、ポプランはポプランらしく警備の帝国兵たち(経歴:ブラウンシュヴァイク公軍→オラニエンブルク大公軍。所属年数十年の生え抜き・或いは狂信者)に「お姫さまってどんな人。セクシーな美人?」と軽口を聞き、無言の説教の後に、独房に放り込まれるという事件が起こり、少しばかり伸びた。

 

 もちろん彼女はそんなことがあったなどとは知らず、ポプランに会った。

 美形ではないが不細工でもなく、決して平凡な顔だちではない顔だち。雰囲気は華やかではないが暗くはなく、空気のようなものとは違う。

 埋没してしまうような無個性ではないが、突出した何かがあるようだが、上手く言い表すことができない。

 好青年とはほど遠いが、性格の悪さは感じられない。安心感を与える空気を持っているようで、非常に危険な空気も併せ持つ ―― どうも言葉で言い表しづらい。彼女は初対面のポプランを見て、そのように感じた。

 

 態度そのものは、ポプラン以外の何者でもなく、彼女とポプランの間で護衛についているキスリングから、異音が聞こえる。

 

―― いま、歯ぎしりの音が聞こえたような……し、失礼な態度ですもね。叛徒の一兵卒が大公妃にとって良い態度ではないですものね

 

 ポプランは彼女に対して、ヤンに対するような口のきき方で話していた。敵地のど真ん中でも変わらないあたり、非常にポプランらしいのだが、そんなことキスリングの知ったことではなく、度が過ぎたら排除するのも彼の役目。

 

―― ああ、どうしましょう……今にも殴り掛かりそうな気配が……。ポプラン、手足拘束されているのですから、少しは……そこで引かないのがあなたよねえ。シェーンコップよりも、厳重に拘束されてるのが

 

 態度が態度で、反省の色がまったく見えなかったこともあり、ポプランは手足を拘束された状態で彼女に拝謁していた。

 今にも殴り掛かりそうな護衛と、殴りに来いよ! とばかりに挑発する捕虜と、一緒に拝謁していたクロスワードことイワン・コーネフ。この混沌とした状況を打破すべく、彼女は ――

 

―― 良いこと、思いついた!

 

**********

 

 ファーレンハイトは端末に届いた緊急報告に目を通し、

 

「……」

 

 目を閉じて目頭の辺りを摘まむ。

 

「どうしたんですか? ファーレンハイト」

「キスリングから連絡が入ったのだが……ヤツの打ち間違いだと思いたい」

 

 画面をのぞき込んだフェルナーは、自分の端末を取り出し、大急ぎで「カタリナ」に、本当かどうかを尋ねる。

 

『ジークリンデさま、叛徒の二人を陛下のところへ連れていくそうです……さくっと許可出たんですけど、いいんですか? 許可出た以上、俺には止めようはありませんが』

 

 


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