黒絹の皇妃   作:朱緒

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第211話

 手紙を出し、エミールから届けたとの報告を受け取ってから、彼女は軍務省の会議室に招集をかけた。

 部屋には三長官とそれぞれの副官、オーベルシュタインと呼びだされたシュトライト。彼女はキスリングと共に会議室へと入り、椅子に腰を下ろし、彼らの挨拶を受け、オーベルシュタインからボルテックの情報の重要な部分だけを抜き出した書類に目を通しつつ、とある情報を語った。

 

「ツヴィーファルテン侯爵領で不可解な出来事が起こった……と言う、噂を聞いた」

 

 帝国には正規帝国軍が立ち入れない空域が存在する ―― 門閥貴族の領地である。

 不入権を持つ門閥貴族の領地で発生した事件は、当主や領主が届け出ず、内々に処理するのが当たり前。彼女の領地で発生したパンデミックも、届ける必要はないし、届けてはいない。ただ中枢にいる者たちに私的に話したので知られているだけのこと。このような状況に、行政府がなにかをすることはないし、する権限もない。

 

「ツヴィーファルテン侯爵領です」

 

 彼女の言葉を受けて、シュナイダーが円卓の中心に帝国全体の地図を映し出し、ツヴィーファルテン侯爵が支配している部分を色分けする。

 

―― 要点が纏まっていて、分かりやすいわー。バカでも理解できてしまう、報告書というものですね。ステキよ、オーベルシュタイン。一段落ついたら、褒美を上げますからね……なにが良いかしら。で、ボルテック……フェザーンに踊らされるのは嫌です。まあ、私は上手に踊れはしませんが

 

 ボルテックの情報を読み終えた彼女は、オーベルシュタインにゼルニハウゼン惑星を拡大するように指示する。

 オーベルシュタインは画像を二つに分け、侯爵領全体とゼルニハウゼン惑星を並べる。

 

「問題があったのは、ゼルニハウゼン惑星」

 

 彼女は要点を纏めた書類をオーベルシュタインに返して、立体画像を指さした。

 

「どのような問題が発生したのでしょうか? 大公妃殿下」

 

 メルカッツの問いに、彼女は小耳に挟んだ、確証もなにもない、ただの噂を少々楽しげに語る。無論楽しさは皆無。余裕があるように見せる必要もないのだが、彼らの言うことなど聞かない、自分の意見を押し通すのには、大公妃の態度でいる必要があった。

 

「噂の域を出ていないが、ゼルニハウゼン惑星でなんらかの爆弾が使用され、被害が出た。本当に爆弾が使用されたのかどうかを調べるため、フォン・ビッテンフェルトに暴発してもらう」

 

 彼女はそれを確認するために、ビッテンフェルトに戦艦で、それも統合本部の命令を無視して出撃してもらう必要があった。

 

「大公妃殿下が、門閥貴族の権利を侵害しようとなされるとなると、余程のことがあるのでしょうな」

「もちろん」

 

 有人惑星に核兵器が使用されたともなれば別だが ―― 基本、領地で爆弾を使用し領民に被害が及んでも政府は咎めることはない。調査隊を送ることも不可能。

 

「ジークリンデさま。もしかして、爆破されたのは薬品工場が立ち並んでいた一帯でしょうか」

 

 サイオキシン麻薬の密造関係の調査をしていたファーレンハイトは、国内の製薬工場はほぼ網羅しており、このゼルニハウゼンにも製薬工場があると記憶していた。

 彼女も同じ経緯で工場を覚えており ―― 噂を聞いて気になった。

 

「そう。キューネルト家が管理している。あの工場、ワクチンも作れるそうだ。ワクチンを作れるとなると、ウィルスを兵器化することも可能だとか」

 

 彼女はオーベルシュタインが持っている報告書を、指先で軽く叩く。

 

「可能です。ただ安全に作れるかとなると、別ものですが」

「製薬工場を潰す理由は見つからない。だから捜してやった……バイオハザードを引き起こしたのではないか? ならば爆破も頷ける」

 

 その地区にあった製薬工場は古いものではなく、あと二十年はなんの問題もなく稼働できる施設。

 またこのような施設は、悪事を働くつもりはなくとも、監視衛星に映らない位置に作られるのが常で、この製薬工場も”そう”であった。

 

 監視衛星には映らず、国が軍を派遣することもできない。皇帝の勅命を使えばなんでもできるが ―― ここぞと言うときに使うべきものであり、乱発してよいものではない。

 彼女の私兵を派遣すると、他の門閥貴族たちが警戒する。

 

「正規軍を出すわけにはいかぬ。私兵も問題がある。ゆえに、命令に従わず、私の領地や公路を避けて進軍しようとしたフォン・ビッテンフェルト……が撮影するという運びだ」

 

 領内に突然侵入したとしても、ゼルニハウゼン惑星を目指したものでなかったと知れば ―― 彼らの出方によって、対処が決まる。

 

「噂が真実であった場合、いかがなさるおつもりで?」

「特にはなにもせぬ、しばらくは泳がせる。どこまで関わっているかを見極めるためにもな」

 

 領のトップである侯爵まで関わっているのか、それとも領地を管理しているキューネルト家のみなのか。侯爵は関わっていないが、侯爵の近い親戚筋まで関わっているのか、もしくはフェザーンが絡んでいるのか。

 

「ツヴィーファルテン侯爵を捕らえてしまえばいいのではないか?」

 

 ラインハルトはまどろっこしいことをせずに、直接聞けば良いのではないかと。それは当然のことだが、

 

「ツヴィーファルテン侯爵は、民政庁にとって必要となる人物だ。下手な接触はするな」

 

 教育改革にどうしても必要な人物なので、彼女は侯爵に関して触れるつもりはなかった。

 侯爵と民政庁のつながりが分からないラインハルトは、後で説明があるのだろうと引き下がった。

 彼女は扇子を開き口元を隠し、

 

「個人的には、ツヴィーファルテン侯爵は関わっていないと思います。ここに居る方はあまりご存じないかもしれませんが、ツヴィーファルテン侯爵領はかつては叛徒からの亡命者が多く住み着いた領地でした。その経緯をここで説明するつもりはありません。とにかく、かつては推奨しておりましたが、現在はさほど。ですが今でも叛徒の技術者”崩れ”を受け入れております。その技術者がフェザーンと結託していないとも限りません」

 

 大公妃ではなく、ローエングラム公爵夫人として私的な意見を述べる。

 

―― 個人的には侯爵が関わっていたほうが、余程楽ですとも。製薬工場を破壊して、そこからの売り上げをどのように誤魔化すつもりなのか。侯爵が関わっていれば、誤魔化しは必要ありませんが……下手したら、侯爵殺されてしまうのかしら……でも、侯爵が関わっていたらいたで。ああ、門閥貴族の権利の強さが。でも、これを剥奪すると……

 

 パンデミックにフェザーンの影がちらつくことに、各自不快さを感じたが、それらを押さえつける。

 

「フォン・ビッテンフェルトに関しては任せた。さて、もう一つ、噂があってな。聞きたくはなかろうが、付き合ってもらうぞ」

 

 扇子を閉じた彼女は微笑み、彼らは姿勢を正す。

 

「シュトライト。宝石を」

 

 彼女に命じられたシュトライトは、言いつけ通り持ってきた、例のインペリアルトパーズと鑑定書をトレイに乗せて、一人一人の席へと行き見せて回る。

 ラインハルトとキルヒアイスは意味は分からないが宝石を眺め、鑑定書に目を通す。ファーレンハイトは知っているので”必要ない”と手を振る。

 メルカッツは一瞥したが、彼は宝石には縁の無い生活を送っていたので、見事な宝石なのか、ガラス玉なのか、瞬時に見分けることはできないため、鑑定書に目を通しただけ。

 見せて回ったシュトライトはトレイを彼女の前へと置く。

 彼女はその大きなインペリアルトパーズを手に取り掲げ、キスリングに説明したことを、もう一度語った。

 議場にいるほとんどの者は事情を知らなかったので驚いた。

 

「フェザーンが帝室の霊廟を荒らしていると」

 

 ゴールデンバウムを嫌うラインハルトであっても、墓が荒らされたと聞けば不愉快にもなる。まして忠誠を誓っているメルカッツともなれば、その腹立たしさはどれほどのものか。

 表情はほとんど変わらないが、その怒りを含んだ声は、当然のことだろう。

 

「それに関して軍務尚書が心配する必要はない。問題はこの宝石を売りに来た人物だ」

 

 墓を荒らされたのかどうかも、かなり面倒な問題なのだが、この場では話題にするのは ――

 

「ドミトリー・ボグダーノフがどうかしましたか?」

 

 情報を売りに来た商人の身元は、調査しているので、おかしなことは出てこない……筈であった。

 

「ファーレンハイト。ドミトリー・ボグダーノフではなく、ドミトリー・A・ボグダーノフだ」

「失礼いたしました」

「この男が気になったので、調べてみた。通常の調査であれば、お前たちを使うが、今回私が気になったのは、この男の出自。とくにAが気になってな。そこでフェザーン人にAは”アドリアーノヴィチ”ではないのかと聞いたところ「そうです」と返ってきた」

 

 フェザーンは正式名称は「名」・「父称」・「姓」で構成されている者も多くいる。ドミトリー・ボグダーノフもその一人なのだが、

 

「ボグダーノフの養父はミハイルです」

 

 彼の養父の名を名乗るのであれば、ミハイロビッチである。

 

「聞くところによると、フェザーンでもっとも有名なアドリアーノヴィチの実の息子だそうだ」

 

 アドリアーノヴィチを口の中で小さく呟き、彼らは顔を見合わせる。フェザーンでもっとも有名な「アドリアン」

 

「アドリアン・ルビンスキー?」

「そうだ」

 

 ラインハルトの挙げた名に、彼女は頷き返す。

 

「養子になる前は、ルパート・ケッセルリンクと聞いておりましたが」

 

―― 調べついてたんですかー。教えてください……といっても、今は正式名がドミトリー・ボグダーノフですから……言ったところで無駄ですがね

 

 オーベルシュタインの言葉に、彼女はドミトリーの実の父親がルビンスキーであることを確信したが、彼女の記憶は証拠にはならない。

 裏の取れていない噂話も ―― もっとも、フェザーンの女性の情報網の精度と速度は驚異的。

 

「ただこれはフェザーン人の女性一人から聞いただけのことで、裏は取れていない。まあ、本当かどうかは分からぬが、夫が浮気をした当日、上機嫌で帰宅したら、自宅はもぬけの殻。自宅のテーブルにはいつの間にか撮られた証拠写真に弁護士の名刺と、裁判所の呼び出し状が置かれていることも珍しくはないそうだが、それでも別の証拠は必要であろう」

 

―― って、キャゼルヌ夫人が言ってました。笑顔で語るオルタンスさん、怖いわー

 

「エッシェンバッハ公、明日とある医師が医学長に就任するための後援者を募るパーティーを開く。その医師は産科医ゆえ、国内の産科医にパイプを持つ。それに調査させよ…………ラインハルト、あのですね」

 

 彼女はラインハルトのことだから、全て知っているに違いない。ラインハルトが知らなくても、キルヒアイスはきっと知っているはずだと考えて話したのだが、どうも二人には通じていないらしいことに気付き、話しやすい何時もの口調に切り替えて、細かく説明をすることにした。

 

「調査をさせようとしている、学長を目指している医師は、二十一年前、私を取り上げた医師です。産科医は取り上げた貴族の栄達に呼応して、医学界での地位が上がります」

 

 彼女を取り上げた産科医も例外ではなく、帝国の医師として最高峰に到達しようとしていた。

 

「おこぼれに預かるというわけか」

「そうとも取れますし、否定はいたしません。ちょうど良い機会なので、ここで一つ説明しておきたいのですが、帝国の医師の中で地位が高いのは産科医です。と言いますのも、もともと産科医、婦人科医、小児科医になれるのは、頭のよい金持ちだけだからです」

 

 士官学校付属医学部で、苦労して軍医の資格を取る ―― 学費がない者が医者になる唯一の手段なのだが、付属の医学部はあくまでも軍医を作るための施設であり、軍には小児科も産婦人科も必要ないので、最初から学ぶことができない。

 よってこれらの医師になれるのは、彼女が言った通り、頭の良い金持ちだけ。

 

「一切学んでいないため軍医は医学界では、栄誉ある地位に就くことはできません」

 

 通常の医学部を卒業して医師になった者からすると、軍医はほとんど半人前でしかない。

 

「なるほど」

「また帝国ではこのような事情で、産科医が少なく、出産時に産科医にかかれるのは富裕層だけです。しかし、フェザーンは少々事情が違いまして、九割以上が病院で産科医にかかって出産します。よって、ルパート・ケッセルリンクは確実に記録が残っているでしょう。また病院側は、取り違えなどを防ぐために、親と子の遺伝子を調査します。それらの情報を手に入れれば、あとは調査は簡単です。そこで医師の出番です。情報そのものは、私たちでも集めることは可能ですが、カルテの見方などになると、専門が必要となりますから、どちらにしても産科医の協力は必要です。言って信じてもらえるいかどうかは分かりませんが、私は人の秘密を暴くのは嫌いです。ですが、あえて暴こうと思っております」

 

 彼女としては、遺品を売りにこなければ、そこまで調べるつもりはなかったのだが、生物兵器と遺品盗難の二つにフェザーンが関わっていることもあり、容赦している場合ではないと ――

 

「あなたが聞いたらどうだろう? ジークリンデ」

 

 ラインハルトは聞き上手な彼女ならば、上手く依頼できるのではないかと考えたのだが、

 

「私がエーラース……医者の名前ですが、エーラースに聞いたら、おかしく思われてしまいます。ラインハルトが上手く聞いてくださらないと」

 

 彼女がそんな依頼をしたところで、裏に誰かいると思われて終わりである。

 その後、ラインハルトはファーレンハイトのほうが不自然ではないのでは? とも。だが産科医は小児科医でもあり、彼女は嫁いでからもその医師にかかっており、ファーレンハイトは医師を呼び出したり、立ち会ったり、説明を聞いたりと。

 

「私がそんなことを話題にしたら、驚くでしょうし、違和感を覚えることでしょう。まったく関わりのない、尚書でもある閣下のほうがより自然でしょうな」

 

 彼らが違いに押しつけあっているのは、相手の産科医が「大公妃殿下がご懐妊したさいは是非とも……」と話題にしてくるのが分かっているため。

 できる限りその話題に触れたくない二人にとって、その相手は避けたい相手であった。

 

―― なにを二人で押しつけ合っているのかしら。そんなにパーティーに行くの嫌なのかしら? ……嫌よね。どちらも嫌いそうです

 

 二人の押し付け合いっぷりを、事情を知らない彼女は他人事のように見守り ―― 収拾が付かなくなったため、最終的に大公妃権限で、ラインハルトを伴って行くことに決めた。

 


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