感染の原因となった身元不明の女性 ―― フィーネ・フランケンシュタインを彼らは最初から、金を持たない平民密航者を民間船が貨物扱いで運んできたと考えていた。
彼らのこの先入観は、常識からすると仕方のないことであった
理由はウィルス性の感染症により死亡したこと ―― 貴族や裕福な平民は、予防ワクチンを接種しているので、ほぼウィルス性の感染症に罹ることはない。
よって感染症により死亡した死体を見て、上流の出だと考える者は、役人にも軍人にもいない。
よって、もしも”フィーネ”が上流の出だとすると、人の手により強制的に感染症に罹患したことになる。
「先入観を取り払ったことがよいのは分かっておりますが……」
状況から考えて、毒性を高めたウィルスを注入されたことになる。
このウィルスをどのように注入したか? 彼らが考えていたような階級の人間であれば、押さえつけてとも考えられるが、上流となるとワクチンと偽り注射されたと考えるのが、もっとも妥当。
―― たしかに、いままで訪れたことのない惑星に降りるとなれば、ワクチンの追加摂取はごく普通のことで、宇宙を移動した経験の者なら、疑問を感じることはありませんし。抗体もすぐに出来るよう改良されていますから。……いままで訪れたことがない……クリスティーネはリヒテンラーデの領地に足を運んだことは無かったですね。これでフィーネがクリスティーネであるという可能性が高まりました
「予防接種と偽り、ウィルスを注入したとなると、まともな民間船か、貴族の私船のどちらかと考えられます」
軍用船が候補に挙がらないのは、門閥貴族の中でも大貴族に属する女性が搭乗できる戦艦は、彼女が持つパーツィバル以外にない ―― 貴い生まれで、我慢らしいことをしたことのない女性が一般的なタイプの軍用船に搭乗などしたら、騒ぎになっていることは、誰にでも想像がつく。
「逃亡を手助けしているように見せかけて、ウィルスを注入したか」
「はい。追われる者たちにとり、ジークリンデ殿下の領地は隠れるのに最良の場所」
―― 木は森に隠せですね
彼女の領地で発見されれば、内乱関係者の身内でも問答無用で殺される心配はなく、幽閉という形になるであろうが、生かしてもらえると考える ―― と、誰でも推察できた。
実際彼女は、自分の領地で内乱の関係者が発見されたら、尋問の後、身柄を引き取り、余生の面倒くらいは見るつもりはある。ただ残念ながら今のところ、彼女の領地で誰一人として内乱の関係者は、発見されていない。
リンダウは内乱発生から死体が見つかるまでの間、惑星を訪れた宇宙船のリストを作り、普通にゲートを使って降りるとは考え辛かったが、監視カメラの映像の再調査をも行った。
「見つからなかったのだな」
「はい」
―― これは貴族の私船が濃厚ですね
門閥貴族ともなれば、港で入国審査を受けるようなことはない。
特権階級らしく出国前には邸に職員がやってきて、する必要があるのだろうかと首を傾げたくなるような、ぬるい荷物検査を執事などの地位が高い召使い立ち会いの元で行い、地上車で宇宙船の搭乗口まで直行。
到着後も宇宙船に職員が訪れて、やはり召使いとやり取りし、宇宙船を出てすぐの所に地上車のお出迎えで目的地へ、というのが当たり前。
また貴族によっては到着時には、召使いが一人二人減っていることも、珍しくなく ―― 粗相をしたので懲罰のために宇宙に放り出したと言われたら、職員にできる事は船員にハッチを開けたかどうかを確認するくらいのもの。殺人に関して問われることなどない。
余談だが、この貴族特権を生かせばサイオキシン麻薬の密売など、簡単なものである。
最後にリンダウ卿が、移動手段として戦艦を希望したのは、ペンダントトップについての調査もあるが、彼がこうして事後報告をするために彼女の元を訪れることを利用し、警備の緩い民間船内でウィルスに感染させ、オーディンで大惨事が起こる可能性をも考慮してのこと ―― 彼女が感染したら、カザリンにまで届いてしまう。
「最悪、搭乗前にわたくしめ共が感染していたとしても、艦内で封じ込めが可能」
それと軍人は全員主要な感染症のワクチンを接種しているので、被害は最小限に抑えられる。
―― なるほど……色々と考えていたんですね
報告を聞き終えた彼女は、
―― 今回はともかく、ゲオルギーネもカミルも定期の素行調査でも問題はなかったから、このまま任せてもいいでしょう……。定期的な素行調査って……本当に。でもしないとしないで……とはいっても、リンダウは定期的に素行調査されていることくらいは分かっているでしょうけれど
これからも領地を引き続き守るよう命じ、リンダウ卿を下がらせた。
その後、彼女は椅子に座ったまま、目を閉じて扇子で口元を隠し、少し考える ―― 素振りをする。
―― 私が考えたところで、時間の無駄。私の仕事は責任を取ることと、資金を提供することだけ。対策を考えたりするのは私の仕事ではありませんが、すぐパスを出すのもアレですので、少しは考えているふりをしましょう…………なにも案など出せないので、考えていないことなどバレバレでしょうが
目を閉じて考えているふりをしていた彼女だが、眠くなってきたため、ゆっくりと目蓋を開く。
「フェルナー」
「はっ」
名を呼ばれたフェルナーは膝を折る。
―― 立ったままでいいのですけれど……そうも行かないのが……
「買い物をしようではないか。品目は任せる」
彼女の言った「買い物」は、当たり前のことだが通常とは異なる。
手広く商売をしている商人は、さまざまな情報を手に入れ、それをも売るのだが、情報だけを売るということはせず、商品に情報料を上乗せし、その商品を買って契約が成立する。
大体は情報を先渡ししているので、商品を買わずとも情報は手に入るが、そんなことをしようものなら次はなく、誰も相手にしなくなる。
この情報収集はよく行われてはいるが、知らないものは知らない。
またこの買い物は女性、それも女主人の仕事である。
―― 世の中に、こんな面倒なことがあるとは、知らなかったし……まさか、自分から言い出す日が来るとは思いもしなかったわー
結婚後、リヒテンラーデ公がこの任を彼女に与えた。
今でこそ軽々とこの任を引き受ける彼女だが、最初リヒテンラーデ公に振られた時は、驚き愕然とし苦労したものであった。
それまで邸で、父親に好きなものを買ってもらい喜んでいたのとは、訳が違う。
『では、どれを選んでもよろしいのですか?』
『良くはない。あくまでも、普通の買い物だ。自分の好きなものを選べ』
『はあ……』
『安物は買うな、お前の品位に関わる。だが手はあまり触れぬよう、見ただけで判断しろ』
この時、情報を持ってきたのは宝石商。いままでリヒテンラーデ公は、一族の女用に買うという名目でこの商人から情報を仕入れていたのだが、結婚した彼女にそれらを任せることにした。
『畏まりました』
『買うにあたり、商人と話し、さらなる情報を引き出せたならば、尚良い』
―― 手を触れず、商品の中から高級品を選び、なおかつ話しをして情報を奪う……大伯父上は、いつも私に無茶させられると言っていましたが、あなたも相当なものでしてよ
『大伯父上のご希望に応えられるよう、努力いたします』
こうしてリヒテンラーデ公に鍛えられた彼女は、レースや香水や宝石やドレス、絵画や酒や書籍など、様々な分野に精通していった。
「御意」
情報さえ彼らの手元に集まれば、あとは彼らが上手く回してくれるはず ―― 彼女は謁見室を後にし着替え、キャゼルヌ家の女性たちとゲオルギーネが、手作りアップルパイを持ってやってくるのを待った。
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このような経緯で、彼女は彼らに情報を集めさせ、分析対処を命じ、自分の仕事である支払いのために商人の訪問を許し(招きではなく、許す)素知らぬふりをして彼らと対峙する。
―― 初めて見る商人ですね
情報込みで売る商人は特殊なこともあり、あまり顔ぶれが変わらないのだが、今回一人、新しい商人が混じっていた。
若者で ―― とは言っても、彼女よりは年上。頭髪は茶色で、線は細く、やや才気走った感のある白人男性。
「お目にかかることができて光栄にございます、大公妃殿下。わたくし、ドミトリー・ボグダーノフと申します」
彼女は若いのに、凄いわね……と感心しつつ、彼が持ってきた宝石を見る。
―― ルースの専門ですか
ルースとはカッティングは施されているが宝飾品になっていない宝石のこと。石の善し悪しが良く分かる。
―― …………はあ……
彼女はいつも通り商人たちと会話を交わし、最後に持ち込まれた商品を幾つか選ぶ。
「全部」
ボグダーノフの商品だけは、全て買い取った。
驚いているボグダーノフに、彼女は閉じた扇子で軽く手のひらを叩き、笑顔で応える。
「私のところにたどり着いた祝いだ」
「全部買っていただけるのでしたら、この三倍は持ってきておくべきでした」
「三倍とは随分と謙虚だな、三百倍でも構いはせぬぞ。ボグダーノフ、お前フェザーン人ではないのか?」
「大公妃殿下には敵いませぬな」
ボグダーノフは苦笑し、そう言ってから深々と頭を下げた。
―― 言ってるだけよー言ってるだけ。実際、この三百倍とかあったら、全部買ったりしないわよー。誰が買うもんですかー
そんな会話をし、商人たちは彼女の前を辞し、キャゼルヌから小切手を受け取り邸から去った。
彼女は購入した商品を前にして、ため息を吐く。
召使いたちがやってきて、買った商品を所定の場所へと運ぼうとしたので、それを止めて、茶と菓子を持ってくるように命じる。
それらが運ばれ、召使いが部屋を辞し、室内には彼女とキスリングだけになり ―― ザッハートルテを口に運ぶ。半分ほど食べたところでフォークを置き、ボグダーノフが持ち込んだ宝石の一つに手を伸ばし、気になっているそれを掴みあげる。マーキスカットされたインペリアルトパーズ。キスリングの瞳と言われるトパーズとは色合いが違い、こちらはシェリー酒色をしている。
彼女はルースを光にかざし、そして首を傾げる。
「キスリング。これの鑑定書を」
「はい」
キスリングは積み上げられている鑑定書の山から、言われた鑑定書を探し出し彼女の前に置く。
彼女は鑑定書と見比べ ―― 深くため息をついた。
声をかけるべきかどうか、悩んだキスリングだが、職務上声をかけるわけにもいかなければ、彼女が困っている理由が目の前の宝石なのは明白。キスリングは宝石に関する素養は皆無で、相談相手にもなれない。
ということで、彼は黙っていることに ――
「キスリング」
「はい」
「本来ならば棺に副葬品として収められている筈の宝石が、目の前にあった場合、どうしたら良いと思います」
したのだが、彼女に尋ねられた。
その内容に”それは首を傾げたくもなるでしょう、ため息も出るでしょう”と同意し、一般的な対処方法を述べる。
「まずは棺を暴いて盗まれたものなのか、埋蔵の際にかすめ取られたのかを確認するべきかと」
「そうよねー。でも、私にはこれ、皇族の副葬品に見えるの。暴かれたものだとしたら大問題よね」
「たしかに」
「もう一つ問題なのは、ボグダーノフ。彼は私に対してなにか取引を持ちかけているのか? それとも本当になにも知らずに手に入れて私の元へと持ってきたのか……普通に買った場合は後者でしょうけれど、情報を売る商人ともなれば前者の可能性が高いわよね」
―― それとも、なにか試されてるのかしら。ボグダーノフに試されるような覚えなんてないんですけれど
彼女はインペリアルトパーズを鑑定書の上に置き、残りのザッハートルテを食べ、少しぬるくなった茶を飲む。
「ジークリンデさま、よろしいでしょうか?」
「なに、キスリング」
「これは誰の埋葬品とお疑いなのですか?」
「マグダレーナ・フォン・ゴールデンバウム……ゴールデンバウムに、マグダレーナはそれこそ掃いて捨てるほどいましたね。エーリッヒ二世と共にアウグスト二世を討ったローエングラム伯コンラート・ハインツ。彼の息子フィリップが事故を起こし、マグダレーナ皇女が死亡した。そのマグダレーナです」
キスリングはてっきり最近死亡した皇族の誰かだと思っていたのだが、予想もしていなかったほど昔の人物の名が登場したことで ―― 墓が暴かれたのだろうと予測した。
「よくご存じですね。貴族の方々は、常識で?」
十五代皇帝の娘など、キスリングの人生には、まったく関係ないこと。彼女がなぜそんな昔に死んだ、特にこれといった特徴もなにもない皇女の副葬品のことを記憶しているのか?
「あまりご存じないでしょう。私は単にリンダーホーフ侯爵が説明していたのを、覚えていただけです」
彼女に付きまとっていたリンダーホーフ侯爵が、家柄自慢の一つとして語ったもの。
―― 結構、何度も、ちょっと眠くなるくらい繰り返されたのよねー。……いいえ、私、嘘つきました。軽く眠ってました