黒絹の皇妃   作:朱緒

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第206話

 往路、改装が終わったパーツィバルに搭乗した彼女は、その快適さに驚き ―― 内装が邸とさほど変わらないところに「二人とも、一体なにを考えているの」とは思ったが、すぐに軍艦に不慣れな自分のために、色々としてくれたのだと考えて、喜びを見せるだけに留めた。

 

「これで、演習に行けるわね」

 

 そして意気揚々と、演習へ ―― 希望したのだが、

 

「もう少し、お待ちください」

 

 ファーレンハイトが申し訳ございませんと頭を下げる。

 ここは彼女の私室なので、頭を下げることに対して注意はしないが、何ともいたたまれない気持ちになる。

 

「他に必要なものがあるのですか?」

 

―― 用意が、用意がと言って引き延ばして、演習自体をなかったことにするつもりですか!

 

 同時に彼女にしては珍しく鋭い視点で、彼らの内心を読み取った。

 それに気付いているのか? いないのか? フェルナーがクランベリージュースを彼女の前へと置き、にこにこと ―― これほど、この表現が似合わない男のも珍しいが、彼としては含みなく笑顔を浮かべて、グラスにストローを差す。

 彼女はストローに指を添えて吸い、舌の上で少し味わってから飲み込む。

 

「アースグリムの改装ですよ、ジークリンデさま」

「ファーレンハイトの旗艦のアースグリム?」

 

―― なんでアースグリムの改装が必要なの?

 

 彼女ストローを指の腹で少し転がしながら、事情を説明して頂戴とばかりに二人を見つめる。

 

「パーツィバルに万が一のことがあった場合、ジークリンデさまにはアースグリムに移動してもらいます」

 

 銀のトレイを小脇に抱え、もう片方の手を軽く動かしながら彼女に説明をする。

 

「それは分かるわ」

「アースグリムは当然、ジークリンデさまが滞在するスペースがありません」

 

 アースグリムは帝国にある旗艦の中でも、特にプライベートスペースが貧相で、最低限の内装という言葉以外では言い表せないような作りになっている。

 

「ゲストルームで充分よ」

 

 そうだとしても、彼女としては不満はない。

 自分から言い出したことであり、どんな不便さにも耐える覚悟はある。

 

「そういう訳にはいきません」

 

 だが彼女がいくら不便でもいい、耐えるから大丈夫と言っても、彼らが”はいそうですか”と答える筈もない。

 

「えー」

 

 彼女が貴婦人らしからぬ声と態度 ―― 頬を軽く膨らませ不服を露わにする。フェルナーは自分の仕事は終わったと一歩下がり、

 

「ジークリンデさま」

「なあに、ファーレンハイト」

 

 ファーレンハイトが続けて説明をする。

 

「私は華美が嫌いというよりは、必要ないものは全て排除するタイプです」

 

―― あなたが言うと、重みがあるといいますか……もう少し、贅沢してもいいのよ……私が金を渡すとプライドを傷つけてしまうので、そんなことはしませんが

 

 彼女はジュースを飲み、節制し無駄を嫌うファーレンハイトの姿勢を思い出す。その徹底ぶりは彼女どころか、フレーゲル男爵をも驚かせたほど。

 

「それは分かっているつもりよ。でも私は華美も快適さも必要とはしないわ」

「存じております。ですがアースグリムの内装の乏しさは、ジークリンデさまのご想像の遙か上かと。レオンハルトさまは、私の性格を熟知していらっしゃったので、細部に至るまで無駄を省かせました」

 

 ”あいつは、どれだけ貧乏なんだー!”叫び、ファーレンハイトの倹約ぶりに”こいつ、バカだろ!”と、貴族らしからぬ言葉使いで毒づいたフレーゲル男爵。だが後々、彼は無駄を省く姿勢は評価し、ファーレンハイトになにかを与える際は、華美だとか豪奢だとか見栄だとかは除外し、実際に役に立つものだけを与えた。

 

「……そんなに?」

 

 アースグリムの司令官の私室はその極みで、ベッドと鏡と机と椅子と、衣装収納スペースしかない。広さはあるのだが、逆に広い分、異常に殺風景で、通常の神経の持ち主には耐えられないような空間が出来上がっている。

 その数少ない内装品すら、特注ではなく、支給品で済まされており ―― ザンデルスはファーレンハイトの部下になり五年も経っているので、慣れたものだが、先日見学した彼の従卒であるニクラスは、これが元帥の私室なのかと、本気で驚いていた。その前に、彼女のパーツィバルの内装を見学したことも理由の一つだろうが、そうでなくとも驚いたことだろう。

 

「ええ。ですので、あと少しお待ちください。大急ぎで改装いたしますので」

「分かりました」

 

 司令官の私室がそうなのだから、ゲストルームも推して知るべし。これに耐えられぬのであれば乗せはしない ―― だが、彼女が乗るとなると事情は一変する。

 

 そして、それ以外にも理由があった。

 

**********

 

「……で、上手く引っ張ったのは良いんですけれど、演習指揮はあなただと確定していませんよね」

 

 復路、彼女がキスリングと共に艦内見学に向かってから、彼ら二人は監視カメラでその状況を見守りつつ、演習と改装について話し合っていた。

 

「これが、中々な」

 

 あの時フェルナーはアースグリムの改装云々と言い出したが、そんなことは事前に話題にすら出ておらず、でたらめに近い状態であった。だがまったくの嘘ではなく、ファーレンハイトもアースグリムの改装を行おうとしていた。

 

「ジークリンデさまは、あなたを連れて演習見学されるつもりのようですが。まあ、普通に考えたら、あなたですよね」

 

 理由はもちろん、彼女の演習。そして、アースグリムの住居スペースのシンプルさ ―― シンプルというよりは、知らない者が見たら未完成? と、声を上げてしまうようなその空間をどうにかすること。

 

「そうだろうな。だが改装は必要だ」

「そうですが、内装を弄るくらいならすぐに終わりますよ」

 

 キスリング隊の護衛の元、彼女は足取り軽く、ワルキューレの格納庫へ。

 

「内装だけではなく、空調設備も変える」

「どういうことですか?」

「さすがにアースグリムには、ゼッフル粒子は積んでおかねばな」

 

 彼女の旗艦であるパーツィバルは、危険を徹底的に排除するためにゼッフル粒子関連の物資は完全に排除されていた。

 だがアースグリムは、そうもいかない。

 

「演習中は排除しては」

「何があるか分からん以上、陸戦にも対応できるようにはしておきたい。地球教の残党テロリストどもが、どこに潜んでいるかもわからないからな」

 

 艦隊戦ならば彼らに後れをとらぬ自信のあるファーレンハイトだが、テロリストたちは艦隊指揮など執ったことはなく、専らブラスターや毒刃を持ち襲いかかってきたり、施設に自爆特攻をかけるなど ―― 乗り込んでくる可能性のほうが高い。

 なにより彼らは彼女を欲しているので、艦ごと蒸発させるような真似はできないため、陸戦頼り。そうなれば、敵を排除するためにゼッフル粒子の出番になる。いくら彼らが排除しても、テロリストが持ち込み使用する可能性もあるので、

 

「ではジークリンデさまのお部屋用に機器を一つ?」

 

 彼女の私的スペースの空調設備 ―― 空気供給機を一つ別に用意する。

 

「それが確実だろう」

「たしかに、それが確実ですけれど、それはそれで、結構な作業になりますよ」

「あまりお待たせするのも悪い。緊急用の部屋一室分の酸素を供給できる程度の、小型のものでいい。寝室に完備しようと考えている」

「なるほど」

 

 それならば、あまり彼女を待たせないで済む ―― あとは、誰が演習の総指揮代理を務めるかだけ(総指揮は見学している彼女)

 

「ジークリンデさまの寝室の前には、当然俺たちが待機する部屋を作る」

「はいはい」

 

 彼女の寝室は、いかなる場合も侵入者を拒む作りになっている。それゆえ通路に面することはなく、寝室前に一部屋設けられる。どの建物でも、彼女の寝室はこの造りになっているので、疑われることはない。例え戦艦であっても。

 

「その部屋に、煖炉を設置する。もちろん、炎を起こす」

「それは私に対する、嫌がらせですか」

「お前なんぞに嫌がらせしてどうする、フェルナー。嫌味を感じるような精神構造ではなかろう」

「ひでぇ……なぜ煖炉を?」

 

 フェルナーも自分に対する嫌がらに、わざわざ戦艦に煖炉を設置するなどとは思っていない。宇宙空間を航行する際に重要なものを”浪費”してまで、なぜ煖炉を設置するのか?

 

「炎はゼッフル粒子に敏感に反応する。通風口のすぐ下に煖炉を設置することで、異変を察知することが可能だ」

 

 彼女の寝室は、通常は彼らが控えるこの部屋から酸素が供給されるが、薪では到達しない温をが関知すると、即座に彼女の寝室に設置された空気供給機に変わり、ドアはロックされる。

 もちろん室内に高感度センサーを設置しておくことも可能だが、

 

「強襲の場合は、艦内のセンサーをつぶしてくるからな」

 

 それらは万能でもなければ、絶対に故障しないとの保証もない。センサーが壊れていた場合、彼らは一目でその故障を見抜けはせず ―― 起こってからでは遅いので、目視で確認でき、特殊な技能を必要としないものが必要になる。

 

「原始的ですが、確実というわけですね」

「センサー自体も電子制御ではなく、単純な水銀計などを用いる」

 

 煖炉のセンサーと隣室の空気供給機は、壁や床埋め込み型の有線で繋ぐ工事をしてもすぐに完成する。念のために、複数本で繋げば確実。

 

「あー。業者に発注しますね。もちろん、ジークリンデさまのお名前で」

 

 水銀計などの古めかしいものは、懐古趣味の貴族が求める程度で、一般にはあまり出回っていない。逆に言えば、彼女の名で水銀計を求めると、不審がられることはない ―― ファーレンハイトの名前で発注すると、少々どころではなくおかしく、警戒される。

 

「お名前を借りなければならないのが、心苦しいが」

「普段から、もう少し無駄な買い物をしていれば別ですが。まあ無理でしょうし、あなたが散財したら、ジークリンデさまが”ファーレンハイト死ぬの”と泣き出してしまうでしょうから、永遠に変わらないでいてください」

「まったく。俺なんぞのために涙を流されるなど……水銀計を頼む」

「わかりました」

「もっとも酸素が貴重な宇宙空間において、こんな方法でゼッフル粒子の放出を判断することはないが」

 

 この判断方法を用いると ―― 燃料もそうだが、酸素の消費量も考えなくてはならなくなる。彼女は酸素や窒素など、人間が生きて行く上で必要な空気の重要性や、その確保の大変さは知らないが、宇宙を航行する者たちにとっては、水や食料以上に大切なものである。

 

「各種成分の生成媒体を多めに積み込みますか」

 

 大気中の水や二酸化炭素を分解して酸素を作る機器は艦に完備されているが、それらの空気は、人が住める惑星の上で吸う空気に比べて”まずい”

 艦内だけで循環させていると、士気にも関わってくるほど。故に、頃合いを見計らい、空気を新たに作り入れ替える ―― ただ、少々値は張る。

 彼女がかつてフェザーンへ行く際に搭乗した宇宙船。あれは三等客室は再生空気のみで、彼女がいた特等室は完そのような再生空気は一切使用されておらず、いつも新しく作られた空気が供給されていた。その辺りが値段に組み込まれている。

 

「ああ。それと万が一に備えて、軍病院のあの治療器をも」

 

 彼女が生死の境を彷徨った際に、入った治療器の設置。ファーレンハイトは彼女になにかあると困るので ―― もちろん、そんなことにならないよう、細心の注意は払うが、なにが起こるか分からない。

 

「用意するのは構わないんですが、いきなり二器寄こせと言われても、困るのでは?」

 

 かなり高額 ―― 金額はどうとでもなるのだが、在庫があるような機器でもないので、両旗艦に揃えてからの演習となると、何時になるのか分からない。

 

「パーツィバルにもか?」

「必要でしょう?」

「そうだな。まずはパーツィバルに設置するか」

 

 フェルナーは軍病院に問い合わせつつ、

 

「それはそうと、職務中の巡航船と貨物船が追いかけっこしているところに、遭遇しなくて良かったですね」

「そうだな」

 

 最近問題になっているものと遭遇せずに済んだ幸運を、素直に喜んだ。

 

**********

 

 帝国は様々な問題を抱えていた。その一つに綱紀粛正による弊害がある。

 綱紀が粛正されれば全てが良くなるというものでもない。

 例えば ―― ボリス・コーネフ、彼は原作では、地球教の巡礼者を貨物扱いで運ぶ。当人、止むに止まれぬ理由はあったが、人を貨物として運ぶと最終的に決断を下したのは彼自身である。

 

 彼の罪と葛藤などはさておき、人を貨物として運ぶのは、珍しくはない。だが一応は罰せられる行為であり、取り締まりの対象ともなっている。かつては役人に、目こぼしの賄賂を握らせれば丸く収まったのだが、宇宙艦隊司令長官とその腹心の綱紀粛正により、徹底的に取り締まられることになり、人を貨物として運んでいることがバレると、重い罰金刑か、もしくは裁判にかけられる。

 彼らはその事実を知り、非常に厄介だと感じたが ―― その結果、人が貨物扱いで移動することはなくなったか? と問われると、それはないと答えるしかない。

 運ぶほうも、運ばれるほうも、のっぴきならない事情があるのだから、それは当然のことだろう。

 だが厳しく取り締まられる。

 運ぶ側は摘発されかかると、バレて重い罰金刑を食らうのは御免だとばかりに、巡航艦からの停止命令を聞くと、貨物室の扉を解放したり、空気を止めて逃れようとするようになった。

 前者の場合は人が宇宙空間に投げ出され、貨物室は空なので、罰せられることはない。

 後者の場合は、死体が出来上がり、故郷まで運んでいるのだと申し出られたならば ―― 死体は貨物扱いでも咎められることはなくなる。

 

 目の前で惨劇が行われているのだが、帝国人、その中でも特に軍人は命令には従うが、自分で考えたりはしない ―― 兵士として、それは非常に優秀なのだが、このような状況でも、自らの任務遂行だけを考えて、追い詰めれば乗っている者が「貨物」になることを考慮したりはしない。

 むろんそれで正しいのだが ―― 彼らは人の命をそれほど重要なものだとは考えていない。運んでいる貨物船の乗組員たちも、貨物扱いと知って搭乗しているのだから、貨物扱いの果てに死んでも良いだろうと軽く考えている。

 

 人の命は重いなどという考えは、この世界には存在しない。人権などというものが、存在しない国家において、この行動は当然のことと言える。

 

 彼らは任務を遂行し、彼らは貨物を運ぶ。それだけのことである。

 ラインハルトが管理している、綱紀粛正がなされた区域でこれらが多く発生しており、彼女がこれに遭遇しないようにするために、ラインハルトの管轄下の宇宙空間を、五十隻ほどの戦艦を率いて移動したのだ。

 この数の艦がひとまとまりになって移動している場合、民間船は絶対に近づかない。

 

 では帝国全土がそうなったのかと言うと、そうではない。賄賂を受け取り、これら貨物扱いの人間を見逃す航路が存在する ―― 彼女が支配する領域である。

 

**********

 

「バグダッシュ」

「なんですか、ブルームハルト大尉」

 

 階級はバグダッシュのほうが上だが、ヤンの元に下った経緯が特殊であったことや、ローゼンリッターは基本ヤンとシェーンコップ以外に敬意を払うような輩ではないので、このような話し方になる。

 

「ジークリンデ殿下の領地について、なにか知っているか?」

「残念ながら、領地などは航路と密接に関係するので、情報は手に入っていません。どうしたんですか?」

「俺の家族がかつて住んでいた所が、ジークリンデ殿下の領地の一部なら……」

「移動許可は出ないでしょうな」

「訪問したい訳じゃない」

 

 では何のために? 思ったバグダッシュだが、それを尋ねるような野暮なまねはしなかった。

 

「そうですか。小官が耳に挟んだ噂ですが、大公妃はご自分の領地内だけを通過し、オーディンとフェザーンを行き来することができるとか。小官としては、言葉は理解できますが、想像はつきませんな」

 


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