黒絹の皇妃   作:朱緒

205 / 258
第205話

「リンツ。ポプランのヤツはどうした? もう妃殿下にお目通りしているはずだろ?」

「それがですね隊長。コーネフから連絡があったのですが、軽口を叩き肉体言語で注意されたあと、独房おくりになったそうです」

「あいつらしい」

 

**********

 

 なぜ彼女がやってきたのか?

 

 ”まさか俺に会いに来てくれたのか? いやいや、そんなことはないだろう……でもジークリンデさまだから……。お出でになる前にご連絡をいただけたら。提督やフェルナーさんも、連絡を……まあ、あの人たちに何か言っても無駄だしな。シュトライトさんもシューマッハさんも同じだし。リュッケのやつは……皇帝陛下のご機嫌とるのに大忙しか”

 

 事情が分からぬまま、様々なことを考えながら、キスリングは飲んだ酒を吐き出し、強制的に酒を抜き、髭を剃りシャワーを浴び、髪をセットする。

 鏡に映る自分の人相の悪さに、自分自身で若干引くも、司令部より放送で呼びだしがかかり、急ぎ向かう。

 廊下を突き進むキスリングの表情は、演習終了直後の殺気立ったような状態で、向こう側からやってきた者が、道を避けるほど。

 

―― 二位だったんですか。すごいわー

 

 その頃彼女は、司令室で今回の演習の結果を見ていた。

 キスリングの隊は惜しくも二位。一位とは僅差で、最後まで拮抗していた。

 

―― 所々、黒塗り……実際黒く塗られているわけではなく、消されているのが気になりますが、外部に公表できない部分なのでしょうね

 

 彼女は軍の機密なのだからと ―― 気にはなったものの聞かなかった。

 それら空白の欄は、死亡者数や重傷者数、負傷の状況などが記入されていたのだが、そこら辺は事前にフェルナーが消去していた。

 彼女にはあくまでも「ちょっと厳しい演習でした」で済ませるために。

 むろんこの部分の情報提示を求められたら、彼らには隠し通すことはできないが、今回彼女は”慰問に訪れた皇族”としてこの惑星にやってきたので、機密と判断したものには触れないだろうと。

 ちなみに彼女が軍人として訪れなかった経緯は、ファーレンハイトが同行したからに他ならない。

 ファーレンハイトが同行すること自体は、彼女としては異論はなかったのだが、どうしても彼は、いかなる場面でも彼女に跪いてしまう。

 軍事施設で三長官の一人である元帥を、上級大将に跪かせるわけにはいかないと、当然彼女は考える。

 彼女はしてはいけないと言うも、努力はいたしますが、反射的なものなのでお約束できかねます ―― とはファーレンハイト。

 十年も膝を折り頭を下げていた相手に、いきなり上から声をかけられる男ではないことご存じでしょうなどと、フェルナーにも言われ、

 

―― 平気なタイプだと思いますよ

 

 何一つ納得できなかったのだが、元帥が跪きかけて体勢を直すなど、あまり良いものではないと判断し、限りなく私的訪問に近い形での慰問となった。

 

 また同行を許さないという手段は、取ろうと思えば取れたが、改装後の戦艦の調子を確認したり、護衛艦へ指示を出したりなどはファーレンハイトの専門。

 フェルナーも出来ぬ訳ではないが、確実を期するにはファーレンハイトの方がよい。”民間船ならまだしも、軍艦、それも小さいながらも隊を組んでの移動となれば、ファーレンハイトは外せませんよ”フェルナーの説得もあった……が、

 

―― 元帥って一万隻以上の艦隊指揮する立場よね。今回私に同行するの、五十隻程度なんですけれど……いいのかしら? フェルナーも階級的には指揮できるわよね。国内ですし……

 

 この説得も、納得はいかなかったが、確かに安心はできるので任せることにした。もっともフェルナーのこの説得は、彼女に聞かせられない裏があったのだが ――

 

「ギュンター・キスリング大佐であります」

 

 彼女の訪問の目的であるキスリングが、司令室へとやってきて、扉の向こう側で名乗り司令室内へ。

 彼女はやってきたキスリングの方を向く。

 

―― えっと……キスリング? 声はキスリングですし、髪の色も、特徴的なトパーズの瞳も……人相が違うように見えるのですけれど……頬がこけて、目つきが鋭くなって、顔の彫りが深くなったような……

 

 彼女は自分が覚えていたキスリングと、容貌がかなり違うので受け入れられないでいた。これが一年、もしくは半年ほども会っていないのであれば、この変化もすんなりと受け入れたであろうが、最後に会った時から二週間ほどしか経っておらず、あまりの変わりぶりに、声も出ないほど驚いた。

 

「どうなさいました?」

「……大丈夫? キスリング」

 

 それでも何とか声を絞り出し、体調を気遣う。

 

「どこも負傷しておりませんので、ご心配には及びません」

「怪我がないのは良いことですが、そうではなくて……屈んで」

 

 屈んで顔を近づけるよう指示を出し、両手で頬にそっと触れる。

 

―― かなり痩せたわよね。すごい痩せたのに……やつれたという感じじゃなくて、精悍で格好良いわ。いや、何時ものキスリングのほうが良いんですけれど、戦場帰りの影のある大人の男性といいますか、危険な雰囲気って言うのかしら。ロイエンタールとはまた違う……でも痩せたわー。大人びてるー。いや、大人ですけれど

 

 彼女はキスリングの骨張った顔を手袋をはめた手で、何度もなぞる。

 

「ジークリンデさま」

 

 あまりにも撫でられ、気恥ずかしくなったキスリングが、お止め下さいと、自分の顔を撫でている手に自分の手のひらを乗せる。

 

「随分と痩せましたけれど……」

 

 ファーレンハイトも会戦終了直後は似たようなもの、フェルナーも潜入捜査を終えた直後は、同じく似たようなものだが、前者は復調してから連絡を入れ、後者も身辺を整えてから戻ってくるので、彼女はいままで、任務により短期間で十kg近く痩せるなどとは、思ってもいなかった。

 

「任務終了後は、こんな感じになります」

 

―― 演習って、そんなにハードなものなの? 人相がこんなに変わってしまうほどに? ……酒?

 

 吐いて、更に水を飲んで吐いて酒を抜いてきたキスリングだが、まったく酒を飲んでいない彼女には、すぐに飲酒していたことがバレてしまう。

 むろん休憩時間なので、飲酒していても ―― そもそも帝国軍は、職務中に飲酒していても問題にはならず。休憩時間に黒ビール大ジョッキで一気飲みしている者も珍しくはないような所なので、呼気にアルコールが含まれていたところで、何ら問題はない。

 

「お酒を飲んでいたところに来てしまって、ご免なさいね」

「あ、いえ……飲んでいたわけではなく、飲んで寝ていたのですが、まだ抜けていないだけでして」

「眠っていたのを起こしてしまったのですか」

「そろそろ起きる時間でしたので」

「そうなの」

 

 しどろもどろになっているキスリングを、ファーレンハイトとフェルナーが、薄ら笑いを浮かべて見つめる ―― その様は、同室している司令官(中将)にとって、背筋が寒くなるようなものであった。

 

「楽しみにしているわ」

「御意にございます」

 

 いつまでも司令室を占領し、司令官に相手をさせるわけにはいかないと、彼女はパーツィバルで夕食をと招待し、司令室を後にする。

 そして次に向かった先はカフェテラス。

 もっともカフェテラスと図面には書かれているが、外の商売人と内の軍人が色々とやり取りする場所 ―― 先ほどキスリングの部屋から出ていった女が、別の男と話をしているような所である。

 彼女がやってきたことで、喧騒が静まり返り、異様な空気になっているのだが、割と何時ものことなので、彼女は気にせず。幾つも並ぶ丸テーブルの空いている席を指さし、フェルナーがそちらへと誘導する。

 

「フェルナー。ここに座ります」

「はいはい。お待ちください」

 

 座面を手で払い、持って歩いていた布をかぶせ”どうぞ”と頭を下げる。彼女が椅子に腰を下ろす。

 

「キスリング。座る、それとも跪く?」

 

 見上げて話すのは嫌なので、できれば向かい側に座って欲しかった彼女だったが、キスリングは、しなやかに音もなく、当然のことのように床に膝を折り、頭を下げる。

 

 隣のテーブルに座っている伍長や一等兵は、まさに硬直し、彼女から目を離せず。

 

「ゼッレ。箱を」

「はい、大公妃殿下」

 

 司令室の外で待機していた従卒のエミールが、手に持っていた煌びやかな箱 ―― 宝石箱にしか見えない、五十㎝以上ある箱の蓋を開けキスリングの前へ。

 箱はもちろんエミールが持ったまま、彼も跪く体勢で。

 中身は焼き菓子とチョコレートの詰め合わせ。それも、キスリングが好きなものばかり。

 

「顔を上げなさい。疲れが取れるのではと考えて、甘いものを持ってきたのですけれど、お酒のほうが良かったかしら?」

 

 ”え、なんでバレた”と、喜びより驚きが露わになっているキスリングの表情を、彼女は良いほうには取らず「やっぱり外しましたか……」扇子で口元を隠した。

 

「いいえ。光栄でございます……が」

「苦手な菓子でも混ざっていましたか?」

 

 アマンドショコラにチョコレート味のフィナンシェ。レモン味のマドレーヌに、ガトーガナッシュ。生チョコレートはシャンパンとコニャック。

 

「好物ばかりで、驚きました」

 

 彼女の邸で、彼女専属の菓子職人が作ったものではなく、オーディンの菓子店のもの。だが種類により店が違う ―― 彼が好きな菓子を一つ一つ買い、箱に詰め直させたもの。

 

「好物だけ持ってくるのは、当然でしょう」

 

―― 当たってて良かった。フィナンシェだけは自信がなかったのよね。どっちの店も美味しいんですけれど……正解だったみたい

 

「なぜご存じなのかと」

「ああ、それ。あなたが菓子を食べている時の表情から、私が推察しました。中々の観察眼でしょう」

 

 専任護衛など召使いと同じく家財道具同様の扱いであり、その程度の認識でよい ―― だが、彼女としては出来ることなら仲良くなりたいと考え、お茶の相手をしてもらっているときに、食べる早さなどを比較して、好物を割り出した。

 

―― キスリングはあまり表情を崩さないから、苦労しました。フェルナーと違って好みを言ってくることもないし。ファーレンハイトはさすがに付き合いが長いから分かりますし

 

「……」

 

 箱から視線を上げて彼女を見つめるキスリング。その視線に、

 

―― あら……もしかして、気持ち悪いことしてました、私。引かれてる?

 

 彼女は居心地の悪さを感じ、誤魔化しようがないので、視線を逸らしたら負けだとばかりに、彼の容姿の最大の特徴でもあるトパーズの瞳をじっと見つめる。

 彼女とキスリングがそのようなやり取りをしている間に、周囲には動きがあった。着席していた兵士たちが全員、こそこそと、会話の邪魔にならぬように立ち上がり、椅子を元の位置に戻し、壁側にずらりと、階級順に何層にも並ぶ。もちろん立ち姿勢は、彼女の背後に後ろ手で直立不動で立っているファーレンハイトに倣って。

 女たちは彼女の顔が見える方に。これまた足音を気にし、ハイヒールを脱いでの移動。

 

「お気にかけていただき、感謝の言葉もございません」

「嫌われてしまったかと思って、焦りましたよ」

「ジークリンデさまを嫌うだなんて」

 

―― 笑うと何時も通りね。良かった……

 

 そうしている間に、彼女の”お越し”を知ったキスリングの部下たちが、上官同様シャワーを浴びて、軍服を着込んで続々とカフェテラスに集まり出す。

 彼等は人の層の隙間を抜けて、最前列へと急ぎ、彼女の警護につく。

 

「あなたが司令室に来るまでの間に、演習順位に目を通していたのですけれど、立派な結果でしたね」

 

 彼女はキスリングを注視しており、あまり周囲には注意を払っていないので、現状にまるで気付いていない。

 

「お言葉はありがたいのですが、ジークリンデさまの護衛を担当する者としては、不甲斐ない成績です」

 

―― 二位を喜ぶような性格だとは思っていませんでしたとも!

 

 彼女は少し身をキスリングの方へと乗りだす。彼女の頭部を飾る白く長いマンティージャが揺れ、そして床につく。

 汚れてはいけないと、キスリングはそのベールを手のひらに乗せるようにして持ち上げる。

 

「あなたが一位を取ったら、私はあなたを手元に置いておくことができなくなってしまうわ」

「……」

「あなたが一位を取ったのなら、あなたとあなたの隊を、私は陛下の身辺を守るに相応しい部隊であると、推薦しなくてはならないでしょう。二位で良かった」

 

 繊細な透かし彫りのスペイン櫛。その櫛をも覆い、座れば床についてしまいそうな長さの白いベール。深みのある赤色のドレス ―― 肩から胸、そして手首までを覆うのは同色のレース。黒い立体的なフリルに、輝くように宝石が縫い付けられている。

 彼女が着るドレスは、どれも彼女に似合っている。その中で、キスリングの好みは、このデザインのドレスと、彼の人生のなかで見たこともなかったこの髪飾りとベール。

 

「一位でしたら、小官は?」

「一位用の祝福の言葉も用意しているわ。もちろん、あなたを手放すつもりなど、微塵もない台詞をね」

 

 彼女は扇子を開き口元を隠し、更に身を乗り出してキスリングの耳元へ顔を近づけ、ゆっくりと囁く。

 

「悪い女でしょう、私」

 

 その声の甘やかさと、香り玉を含んだ爽やかな吐息。白く小さい歯は綺麗に並び、艶やかな唇と桜色の舌。口紅もキスリングの好みの色。

 

「いいえ。次は一位を取りますので、是非ともお聞かせください」

「期待しているわ。でも今回の成績も立派よ」

「ありがとうございます」

 

 彼女は姿勢を直す。

 

―― あら? 周囲の人たちが、全員立ってこっちを見てるような……確実に見ているわよね

 

 ほっとしたのもつかの間、辺りの状況に、彼女はどうしたものかと、振り返りちらりとファーレンハイトに視線で意見を求める。

 

「場所を移動しましょう」

 

 ”こうなることくらい、分かっていただきたいものだが……ジークリンデさまは、ご自身をそこまでとは思われていないのが……”

 当然でしょうと思いつつ、彼女に手を差し出し、エスコートして別の場所へと移動した。

 そこで話をしていると、司令官やその直属の部下や家族たちとの会食準備を終えたフェルナーが訪れ、そろそろ時間ですよと告げにきた。

 

「ジークリンデさま。お召し替えの時間です」

 

 彼女自身としては元気よく、他の者からすると優雅に立ち上がり、

 

「では、また明日。見送りはいいわ」

 

 声をかけて立ち去った。

 彼女とフェルナーと護衛の足音が遠ざかってから、

 

「キスリング」

「なんしょう? 提督」

 

 部屋に残ったファーレンハイトが、休暇返上で付いてくるかと ――

 

「明日の夕方、帰途に就くが、同行するか? もちろん休暇ではなく、任務として」

「お供させていただきます」

 

 翌日、キスリングは部隊の半数 ―― 全員が帰還に従うと申し出たが、半数に「休暇を消化してくるように」言い残し、パーツィバルに乗り込んだ。

 

「良かったですね、ジークリンデさま。これで艦内を歩き回れますよ」

「良いかしら? キスリング」

 

 往路は人員不足なのでと、艦内見学をさせてもらえなかった彼女だが、

 

「喜んで」

 

 復路はキスリングたちと共に、兵士たちが活動している艦内を見学することに。

 

「気をつけてくださいね、ジークリンデさま」

「キスリングを困らせるのは構いませんが、お怪我などしないようにお気を付けください」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告