「フェルナー。フェルナー」
「なんですか、ジークリンデさま」
ドレスに手をかけて、恥じらいながら少しずつ引き上げる。
「火傷してないの、確認する?」
足首からふくらはぎの中ほどまで露わになったところで、フェルナーが必死に止める。
「お止めください。お止めください。たしかに自分の目で確認したいという希望はありますが、ジークリンデさまの御御足を拝見するなど……おやめくださーい」
「でも、気になるのなら」
彼女は頬を朱に染めて絹の靴下に手をかけ ――。
「それ罰になりませんから。体張って罰を与えなくていいですから、いや罰じゃないです。ジークリンデさま」
**********
旧グリンメルスハウゼン邸 ――
現在シェーンコップたちは、この邸に住み、彼女からの命である、故グリンメルスハウゼン子爵が残した資料の整理をしながら、情報収集を行っていた。
「准将。調べましたよ」
バグダッシュはシェーンコップに言われた通りに、彼女とその周辺に仕える者たちの情報を集めてきた。
「聞かせてもらおうか」
維持するには最低でも二桁の召使いが必要な邸だが、手配されていないためにおらず、シェーンコップにリンツ、ブルームハルトにバグダッシュの四名だけで、邸の維持管理もしていた。
掃除用具を部屋の隅に置き、瀟洒なテーブルに、真っ昼間から黒ビールを缶のまま並べ、宅配料理を皿に移さずそのまま広げて、各自椅子に腰を下ろす。
バグダッシュは缶のまま黒ビールを、半分ほど一気に飲んでから、
「まずはジークリンデ・フォン・オラニエンブルク殿下についてですが」
彼女の生まれや系譜などを、図を交えて説明する。
説明を聞いているのはシェーンコップだけではなく、リンツとブルームハルトも興味深く耳を傾けていた。
「まさに、名門中の名門の生まれだな」
説明を聞き終えたシェーンコップは、彼にしては珍しく、なんの含みもなく呟き、一本目の黒ビールを飲み終える。
「誰もが准将と同じ意見のようです」
「お前もか? バグダッシュ」
「ええ。帝国の階級に詳しくない私でも、名門なのだろうなと分かるくらいですから」
亡命者ではないバグダッシュですら、系譜を調べ”自分とは違う人種”だと、この捻くれた男が、すんなりとそれを受け入れるくらいに ―― 帝国や門閥貴族に複雑な感情を抱き、自らが帝国人であったことを忘れられない彼らにとっては、その影響力は絶大であった。
「そうか」
「説明した通り、一族を失いそれら全ての爵位と領地を継いだ結果、帝国第一の貴族の当主となられました。その他にも内乱で立場が危うくなった元婚家の当主、有名なブラウンシュヴァイク公オットーですが」
「ブラウンシュヴァイク公オットー?」
ブルームハルトが聞き返す。
「先代皇帝の娘を妻に迎えたほどの名門……と言えば分かってもらえますかな、大尉」
「分かった。それで? そいつがどうしたんだ?」
「そのブラウンシュヴァイク公は所持していた大半の領地と軍事力を、帝室に反乱の意思はないと示すために、大公妃に譲渡しました。この当時はまだ、ローエングラム公爵夫人でしたが。その後、門閥貴族一同に請われて、年若すぎて後継者をなせない皇帝の負担を軽くすべく、後継者の座に。その際にオラニエンブルク大公妃の位と、帝室より幾つかの領地を授かったことで、他の追随を許さぬ大領主殿下となられました」
「領民の数は?」
「三十二億人の領民を抱えているそうです。帝国の人口が公称二百五十億人ですから、どれほどの大領主か、おわかりいただけるでしょう」
「そこまでの大領主ならば、軍隊も相当なものだろう」
「帝国に存在する軍隊の、五分の一強は完全に大公妃の支配下に。特に地上部隊は、七割強を大公妃が抑えているそうです」
「地上部隊の七割?」
リンツの疑問に、バグダッシュは口に入れていたレバーケーゼを黒ビールで流し込み答える。
「軍部には、実権を持っている元帥が三名います。軍務尚書メルカッツ、宇宙艦隊司令長官エッシェンバッハ公、そして統帥本部総長のファーレンハイト。この三名、いずれも艦隊戦で名を上げた人物なのですが、一人だけ異質な経歴を持つ人物がいます」
「妃殿下のそばに控えている、銀髪の男か?」
シェーンコップは初めて彼女を見た夜のことを思い出し、隣にいかにも元帥らしいマントをひるがえしていた男がいたことを思い出す。
「ご名答。名はアーダルベルト・フォン・ファーレンハイト。准将より一歳年下です」
「立派なもんだな。それで異質とは?」
バグダッシュはファーレンハイトの表面上の経歴を、ざっと説明する。
「ただ彼は、大公妃の護衛も務めていたため、陸戦部隊などと連携を取っていました。また彼の元の主、大公妃の前の夫なのですが、彼は近衛兵だったこともあり、他の二元帥とは違い、宇宙艦隊と治安維持部隊の両方に実績があります」
ラインハルトは将官の地位についてからは、艦隊戦のみに身を置いていたこともあり ―― 地上部隊の必要性を理解し、難なく最高の指揮を執ることはできるが、実情を知り、実績があるかとなると、それは別の話になる。
「なるほどな。こいつは以前は、妃殿下の専任護衛だったんだな?」
「はい」
「現在の妃殿下の専任護衛は?」
「ギュンター・キスリング大佐、二十七歳」
「二十七で大佐ですか」
「二十代の平民で、その地位はすごいな」
新たに缶ビールを箱ごと運んできたリンツが、自分とさほど年の変わらない、帝国ではあまり出世が望めない生まれの青年の映像をまじまじと見つめる。
「ええ。ただこの大佐は、一年半ほど前は准佐でした」
「妃殿下の部下になってから、昇進に次ぐ昇進というわけか」
「キスリング大佐の昇進は、大公妃の昇進と連動しております。大公妃は帝国初の女帝の誕生により、侍従武官長を務めるために少将に。ああ、説明し忘れていましたが、大公妃は前夫がテロで死亡した際に、どうしても自分で仇を討ちたいので艦隊を指揮したいと皇帝に申し出て、大佐の地位を与えられたということです。大公妃はそれまで艦隊を指揮したことは、一度もありませんでした」
「ご自分で戦われたのか?」
「実際指揮を担当したのは、ファーレンハイト元帥です。前線までは出向かれたそうですが。そして仇を討ったあと、軍籍を返却しようとしたのですが、皇帝がそのまま持っているがいいと。その皇帝の死後、侍従武官長就任のために少将に昇進しました。そこで、キスリング大佐もおこぼれに預かる形で少佐に。その後、大公妃が先ほど説明した通り、一族がテロに巻き込まれ、多くの爵位を継いだことで、少将の地位では足りないだろうと中将に昇進します。小官にはこの辺りのことは分からないのですが、帝国では常識なのですか?」
大量の爵位と、軍の階級。この二つの関わり合いは、バグダッシュには理解しがたいものであった。
「常識だな。伯爵ともなれば中将くらいは必要だし、公爵ともなれば元帥でもおかしくはない。どちらも前線には出ず、予備役のままだがな」
「そうでしたか。ともかく、こうして帝国第一の貴族となられた大公妃、この当時もまだローエングラム公爵夫人ですが、大公妃が昇進したことで、キスリング少佐は中佐に。そしてあの、本国が衝撃を受けた大公妃の尚書就任。この就任については、後々説明しますので、今はこのままキスリング大佐の話を」
彼女の尚書就任は、彼女は想像もしていなかったことだが、同盟に大きな衝撃を与えていた。
同盟はゴールデンバウム王朝を滅ぼし、民衆を解放するという理念を持ち、様々なことに異を唱える。
彼らは帝国の女性の地位の低さ、不平等さを糾弾し、女性にも同様の権利を与えるべきだと ―― そのように主張していた。
その主張自体は特に問題はない。たとえ同盟自身が、女性の最高評議会議長を選出したことがなくとも、彼らの理念は崇高であった。
だが近年……この一年あまりの間に、大きく風向きが変わった。
まずは女帝の即位。
同程度の血筋の男児がいるのにも関わらず、女児が即位したことは、帝国よりも同盟に大きな衝撃を与えた。
だが、女帝カザリンは幼児で、傀儡政権を目論むリヒテンラーデ公の策であり……この辺りは事実だが、とにかく上手く繕ったのだが、最近決まった後継者までもが女性 ―― 男性上位だったはずの帝国の異変に、同盟が勝手に振り回され出す。
この女性後継者 ―― 彼女なのだが、女性ながら帝国で文官の地位を極める。
男女平等を謳っていながら、圧倒的に男性議員の方が多く、女性の閣僚も少ない同盟に対し、男女不平等であり女性蔑視の帝国において三尚書の地位を得た彼女。
これは貴族支配の歪みだと ―― 彼女自身もそうは思うが、同盟市民は「いままで皇女はいても、尚書になったことなかったよな。この人、臣下から皇族になった? 結婚もしないで? 実力ってやつ?」と、冷静に判断し、彼女の登極に興味を持つ者が現れた。
これで皇帝が男性ならば、前の皇帝のように寵姫に地位を与えているのだろうと、簡単に終わってしまうところだったが、現皇帝は女性で幼女。その父親は実権はなし。
夫のラインハルトが権力者だから、妻に権力を ―― 妻のほうが地位が多く、領地も広大。むしろ夫は妻のおかげで今の地位に就けたのでは? などと思う者が現れる始末。
他にも様々あるのだが、例えば帝国では、結婚後、女性は必ず男性の姓を名乗らなくてはならないのが差別だとか、別姓が許されていないのは、個を認めていないだとか言われていたのだが、夫エッシェンバッハ、彼女はローエングラムからオラニエンブルクと、別姓を押し通している現状が伝えられ、トーンダウンするしかなかった。
進学も許されず、男性によって生かされている帝国女性の解放なる名目が、彼女により潰され、同盟市民の間に「これほどのやり手なら、俺たちがほっといても、オラニエンブルク大公妃が帝国女性の権利を拡大し、同権まで持っていくんじゃない? 政治家は他国の女のことを考える前に、自国の女のことを考えろよ」なる考えが蔓延しだす。
そして近々 ―― 彼女主導の元、女性の進学率向上計画が打ち出され、同盟政府に大打撃を与えることになる。
「ああ。続けてくれ」
彼女は帝国国内では、お優しく優雅な大公妃殿下だが、同盟では帝国の改革者扱いになっていた。
本人が聞いたら、驚きの後、頭を抱えてふるふると振り、拒否することであろう。
「帝国では尚書の護衛は大佐が担当すると決まっており、その規則に従いキスリング中佐は大佐へと昇進しました。この頃には、既にファーレンハイトは元帥に昇進していましたので、簡単に昇進できたそうです」
「別の大佐を連れて来るという考えはないのか?」
「大公妃は一度迎え入れた部下は、ずっと手元に置くお方のようです。それにこの大佐、かなり優秀です」
中身が半分ほど残っている三本目の黒ビールの缶を手に持ったまま、バグダッシュは画面に指を滑らせて、キスリングの経歴と賞罰を画面に表示させる。
「そうでなければ、妃殿下の専任護衛などに選ばれんだろうな。それも平民だ……妃殿下の専任護衛は平民だけなのか?」
「いいえ。大公妃の初代専任護衛は、現在の統帥本部総長。門閥貴族ではなく、帝国騎士ですが。キスリング大佐は三代目」
「二代目は?」
「これも意外なことに平民でした。アントン・フェルナー中将、三十歳」
「三十の平民中将か」
「はい。この中将、警備部から諜報部を経て、大公妃の専任護衛に選ばれるという、変わった経歴……初代の元帥も似たようなものですが、特筆すべきは、彼は前の国務尚書、帝国宰相にまで登り詰めた、大公妃の大伯父リヒテンラーデ公に重用されていたことでしょう。ただどのように重用されていたかまでは、さすがに調べられませんでした」
「一癖も二癖もありそうな男だな」
「中将も、准将に言われたくはないでしょうな。それで、このフェルナー中将も、一年半ほど前は准将でしたが、テロの際に大火傷を負いつつも大公妃を救助したことで、少将へと昇進。そして大公妃が尚書となったことで、名代を務める部下が必要になり中将へに」
名代と中将が繋がらないブルームハルトは、ザワークラウトを口へと運ぶ手が止まる。部下の疑問に気付いたシェーンコップは、飲み終えた黒ビールの缶を潰し、ゴミ箱に掘り投げてから答えてやる。
「ブルームハルト。帝国の上層階級のパーティーは、爵位持ちかもしくは中将以上の地位がなくては、会場に立ち入ることすら許されない。妃殿下が招かれるパーティーともなれば、主催者はほぼ門閥貴族だろう。アントン・フェルナーというのは、随分と妃殿下に信頼されているということだな」
「なるほど。でも元帥……元帥は使えないのか?」
「元帥は元帥で、多忙を極めていますから。なにせ、大公妃の領地全ての治安維持を一手に担っているのが彼です」
ローゼンリッターはその性質上、国の治安維持に携わるような任務は、与えられることはない。
よって、彼らとしても具体的な苦労は分からないのだが、三十二億人の領民の身を守ると聞けば ―― 経験していなくても、その苦労は分かるというもの。
酒から手を離し料理にも手を伸ばさず、真剣に彼女と彼らの経歴を比較していたリンツは、
「大体五年ごとに、オラニエンブルク大公妃の専任護衛は替わるのだな」
決まっているものなのかと尋ねる。
「五年と決まっているわけではないそうですよ、リンツ少佐。単純に将官になったから、護衛ではなく他のやりがいある部署に変更……が、大公妃のお考えだそうです」
「オラニエンブルク大公妃の護衛はやりがいはあるだろうに」
「それはまあ。ですが大公妃は、彼らは自分の護衛程度で終わるような男たちではないと。大公妃が言われた通り、彼らは護衛だけでは終わらず、その実力を評価され、相応の立場になっています」
彼女としては、それ相応の地位になってもらわねば、自分の命が危ういと考えてのことであった。今はもう、そんなことは考えてはいないが。
「バグダッシュ。大公妃の今の階級は?」
「上級大将。元帥を懇願されたのですが、ご当人が嫌がって上級大将に」
「嫌がる?」
「貴きご身分の大公妃たるもの、元帥如き下卑なる地位は欲しない……帝国の貴族女性が大反対したとのことです。大公妃に相応しい地位は皇后であって、元帥などという安っぽい地位ではないと。小官のような者には、さっぱり分かりませんが、帝国では多くの者が受け入れた価値観だとか」
バグダッシュは帝国貴族女性にとっての「軍人の地位」その低さに、言葉がなかった。諜報部に属していたバグダッシュだが ―― 彼は身内である軍内の情報収集が仕事で、帝国の情報収集は携わったことはない。
諜報部なので、帝国側の情報に触れる機会はそれなりにあったが、帝国は女性になんら決定権がないため、女性貴族の情報を集めるようなことはなく、その考え方を知る機会はいままでなかった。
「そうもなるだろう」
バグダッシュは驚くが、シェーンコップは特に驚きはしなかった。
彼を連れて逃げた祖父母に、色々と言われて育ったこともあり、帝国の価値観というものを良く知っている。
「ただ階級は上級大将ですが、その地位は三長官を凌ぐ”大元帥代理”だとか。全軍権は大公妃の元にあると解釈するのが妥当かと」
「で、尚書だったな」
「典礼省は門閥貴族関連を全て、宮内省は皇族関係全般、そして各省庁をとりまとめる国務省。若干二十一歳にして、これら三つの省の尚書を兼任していらっしゃいます」
「評判は?」
「すこぶるよろしいです。どの省でも、大公妃が尚書に就任してから、職務が滞納することは只の一度もありません。ただし、この三省の事務雑事を全てこなしているのは、官房長のオーベルシュタイン。小官たちを監視している部隊を統括している、血色の悪いあの人物です」
「あいつか。それで、あいつの経歴は?」
「三十六歳で中将」
「今までとは逆で、貴族なのに三十半ばで中将か」
中将なのは軍服の階級章で分かってはいたが、年齢は推し量れないでいた。これが女性であれば、シェーンコップはあてることが出来たであろうが、白髪が目立つ顔の肉が薄く、表情は更に薄い男の年齢など、興味を持って推測しようとは考えない。
「充分立派な地位ですがね。中将は先天盲で、義眼を装着しているようです。よくできた義眼で、小官もすっかり気付きませんでした」
「余程の大貴族なのか?」
先天性の障害を持っていても、誰も指摘できないような大貴族なのかと、リンツはまっさきにそう考えた。
彼女に直接仕えているのだから、リンツのように考えるのが普通である。
だがバグダッシュは首を振り、そうではないと ―― オーベルシュタインの家系図を彼らの前に広げる。
どこまで遡っても彼女の系譜のように、同盟でも知られているような貴族の名が表示されるわけでもない、そんな貴族がいるのだと ―― 目を通している彼らも、すぐに忘れてしまうだろうなと思う、記憶の片隅にすらない名が並ぶだけの系譜。
「ほぼ独力で、大佐まで昇進しています」
バグダッシュの一言で、底が知れず好き慣れない相手なのは揺るがないものの、ある種の尊敬の念が彼らの心中を、らせん状に駆け抜ける。
「実力があっても、障害を持っている人間は弾かれるのが常だ。なぜオーベルシュタインは、大公妃のお側に仕えることが、許されたんだ?」
「そこですが……」
バグダッシュは、細かなところ ―― フリードリヒ四世がどのように語ったなどは、調べようがなかった。
「前の皇帝の置き土産というわけか」
「はい」
「迫害などはないのか?」
いけ好かないことには変わりはないが、差別をはね除けて生きている人間は嫌いではないリンツは、そこが気になった。
「皆無とはいきませんが、そこは大公妃が庇われております」
「オラニエンブルク大公妃の評判が悪くなるのでは?」
「そんな安っぽく、感情的で頭の悪い庇い方は、なさりませんよ、リンツ少佐」
彼女が感情的にならないのは、貴族としては当然であり、なにより「オーベルシュタインは頭悪い女は、大嫌いでしょうから……私は、頭悪いんですけれど、少しは良さそうに見せるために、知的な受け答えらしきものを!」と考え実行しているのが大きい。
「では、どのように庇われているのだ?」
「先ほど説明した手に入れた経緯を盾に。亡き皇帝陛下に対しての忠誠の証しであり、陛下より下賜されたものを、蔑ろにするなど、帝国の藩屏として許されぬこと……とのことです。皇帝の名を出されては、他の貴族たちは何も言えないようで。それと大公妃は、あまり差別意識を持たれていないお方のようです。こちらの経歴を見てください。学校には通っていませんが、慈善事業に携わること約十年。見事なもんです」
黒ビールは手つかずのまま、彼らは彼女の慈善事業に関する書類に目を通す。彼女のこれらの事業は、ラングの寄付とは違いある程度、人に知られるように行っていた ―― あくまでも、生き延びるための人気を得るための行為なので、関する資料などはほどよく手に入りやすい。
「障害に偏見がないようだな」
「おそらく。本当に蝶よ花よと育てられたお方なのでしょう」
バグダッシュは、彼女が父と母、そして兄と共に映した最後の写真を表示する。
母親は椅子に座り、父親はその背もたれと、兄の肩に手を乗せ、母親と兄の間、父親の前には薄い水色のシンプルなデザインのドレスを着た幼い彼女。目を引くのはスクウェアカットされている襟元に華奢な銀色の鎖と、ト音記号がモチーフのペンダントトップ。
「このいかにも父上なお方、格好いいなあ。これぞ有爵貴族さまですよね、リンツ少佐」
彼らを怒鳴りつけにやってくる、先々代のローゼンリッター隊長を思い浮かべているブルームハルトと、
「そうだな、ブルームハルト。お前さんが言いたいことは、よく分かる」
彼が言わんとしていることを、理解して同調するリンツ。
シェーンコップは、彼女の隣で笑っている貴婦人を視線で追い、指先でそっと撫でる。
「どうしました? 准将」
「懐かしいような、そうではないような」
シェーンコップは仮定の人生などには興味はない男なので、それ以上はなにも言わなかったが ―― 郷愁を感じたのもまた事実であった。