彼女とミュラーのデート ――
移動に使われるのは彼女の自家用車。その車を取り囲み護衛している車の中には、ロケットランチャーが積み込まれている。
護衛部隊を率いるのは、もちろんキスリング。彼の指示で広範囲な、警備体制が敷かれている。
少し離れた場所で待機している兵士たちは小銃を装備し、身辺を守る兵士はブラスターに催涙閃光弾を装備。手にはスイッチを入れると、人間を制圧するのには不必要な高圧電流を帯びる、悪名高き旧憲兵仕様の警棒。
隊長のキスリングは警棒の代わりに、元帥杖を下げていた。
キスリングは大佐。当然のことながら、彼の元帥杖ではない。では誰の ―― 言わずもがな、ファーレンハイトのものである。
帝国の元帥は国家反逆罪以外は罪に問われない。”何をしても、俺が責任を取る”なる意思表示として、キスリングに手渡し、受け取った側も、前回ミュラーと彼女を会わせた際、未遂事件が発生したので ―― 今回もしも同じことがあったら、大将であろうとも殺せということを心を理解し、容赦はしないことを誓う。
水族館を楽しんだ彼女とミュラーは、少し遅めの昼食を取るためにレストランへ。
帝国は身分社会で、住む階層ごとに生活エリアが決まっており、そのエリアに似つかわしくない人物が居ると目立つ。
今日彼女がミュラーと共にやってきたのは、中流階級層が集うエリア。もっとも中流ではあるが、どちらかと言えば上流寄り。―― 裕福な平民や、それなりに資産のある帝国騎士などがメインのエリアである。
ミュラーも現時点では平民としてはこれ以上はない、大将の地位に就いているのでこのエリアを使用するのには相応しい。
ただ彼女は明らかに、このエリアでは異分子である。
二人が食事を取るために入ったレストランは、個室などはなく、人気はあるが、時間をずらせば、予約なしでも座れる。
彼女は初めての店に興味津々で、店の前に停車した車中で待つ。
キスリングたちが先に店内に入り、確認後ミュラーにドアを開けてもらい車を降りて、店内からキスリングがドアを開けてレストランへ。
―― 軍服だったのですか……てっきり、私服だと
軍用コートではなかったので、私服に着替えてやって来たものだとばかり思っていた彼女は、コートを脱いだら大将の礼服を着ていたことに驚いた。
―― 罰として急に呼びだしたんですものねえ。着替える暇もなかったんでしょう
彼女はミュラーは何らかの事情があって、礼服で仕事をしていたと考え流したが、そんなことはない。彼はわざわざこの礼服に着替えてやってきたのだ。
彼女と連れだって歩くのだから、相応しいとは言えないが、平民としてはそれなりの地位に就いていることを、外側にアピールする必要がある。
これは彼女が気にする、しない以前の問題。
このレストランには似つかわしくない護衛付きの二人の客を、店員がテーブルまで案内し、
「どうぞ、ジークリンデさま」
椅子はミュラーが引き、彼女は腰掛ける。
ミュラーは丸テーブルの向かい側に座り、運ばれてきたメニューを開いて彼女の前へ。
一度だけだがフェザーンで経験したこともあるミュラーは、あの時フェルナーがしていたのと同じように、見やすいようメニューの背に手を添えてやや斜めにし、
「次のページを」
「はい」
言われるとページめくる。
さすが元大貴族、現皇族はメニューを見る仕草も圧巻だと、店内にいた他の客は、その動きに圧倒され、そして納得する。
そんな周囲の視線になど気付いていない彼女は、
―― 変わった料理が食べられるとミュラーは言っていましたが……ヤンソンの誘惑ということは、スウェーデン料理が幾つか混じっているのですね。確かにオーディンでは珍しいわ。パンの販売もしているのですか。シナモンロール買おうかしら。アイシング掛けられてるわよね、掛かってなかったら、帰ってから掛けてもらおうかしら
ひたすらメニューを読み続け、どの料理を注文するかを真剣に悩んでいた。
「ではヤンソンの誘惑とクランベリーソースのミートボール。あとは白のグラスワインを二つ」
店の料理はどれも一皿、二三人前で、取り分けて食べるようになっているので、彼女はミュラーと話し合って、二皿だけ頼んだ。
料理が出てくるまでの間は、当然ながら会話を楽しむ ―― のだが、
「もしかして、緊張しているのかしら? ミュラー」
「え、まあ……やはり分かりますか?」
彼女の向かい側に座っている、若き帝国軍大将は、彼らしくもないほどに緊張していた。
「いいえ。表面上では、まったく分かりませんわ。ただ、最近ファーレンハイトと昼食を取ることもあるのですが、どうも落ち着かないのよ。今のあなたより、ずっとそわそわするのよね。気になったから理由を尋ねたら、私と同じテーブルについて食事をするのは、緊張するのだと言っていたので、あなたもそうなのかな? と思って」
”うん、あれは緊張以外の何ものでもないな。仕方ないことだが”
彼女の言葉に頷くわけにもいかないが、そうですねとばかりに内心で頷く。この場にいる者で、彼女以外にファーレンハイトの緊張ぶりを知っているのは、キスリングのみ。
「元帥閣下のお気持ち、分かります」
「私って、そんなに相手を緊張させる?」
「ジークリンデさまの前では、どのような大小にかかわらず、失敗したくないのですよ」
”あーうん。分かる分かる”
ミュラーの背後に立ち、彼女の身辺を見張っているキスリングは、ミュラーの意見に同意する。
「それを言うのなら、私だって同じですよ。貴方たちの前で失敗したくはないわ」
彼女は失敗=嫌われる=死亡という図式が頭にあるので、ずっと失敗を恐れ……ていた割には、かなりの失敗をしていたが、なんとか生き延びた。
「ジークリンデさまの失敗は、どのようなものであろうとも、私たちにとって微笑ましいものですが、私や元帥閣下の失敗は、どうあっても微笑ましさの欠片も存在しませんので」
「そうでもないわよ。女は男性自身が思いも付かないことに、可愛らしさを感じるものよ。例えば今のあなたの発言とかね」
カタリナはオフレッサーの言動にですら「可愛らしさ」を感じるのだから ―― 語られた彼女も、それに関しては割と素直に同意している。ただオフレッサーとしては、貴婦人に可愛らしいと言われては、装甲擲弾兵総監として仕事に差し支えがあるので、頼むから表立って言わないでいただきたいと、頭を下げて頼んでいた。
オフレッサー、彼は何時も「現体制下で様々な不条理に耐えてようやく出世した人物にとっては……」を体現する人物である。
「ジークリンデさまに可愛らしいと言われると……でも、男は皆、ジークリンデさまに良いところを見せたいのです」
「それでは私と一緒にいると、疲れてしまうということですね」
―― 私は緊張を強いているつもりはないのですが、やはり身分でしょうか……身分よねえ。男を癒やせるような女になりたいわ
一切の失敗を見せたくないと思わせる自分の空気に反省し、癒やし系を目指すべきだろうかと、運ばれてきた白ワインを持ち、ミュラーと乾杯し口へと運ぶ。
彼女はワイングラスを置き、ミュラーはグラスを持ったまま、
「それが、そうではないのですよ。ジークリンデさまのお側にいると、心が安らぐのです」
そんなことはございませんと。
―― 矛盾した答えに聞こえますが、この好青年の笑顔の前には、理由もなく納得させられますわ
”その好青年は、貴方を襲った男ですが……”彼女の内心の呟きゆえ、誰も突っ込むことはできなかったし、例え語ったとしても「知らないことになっている」ため、誰もなにも言うことはできないが。
「あらお上手ね、ミュラー」
なんにせよ、襲われた(ぎりぎり未遂)当人が、許してしまっているので、彼らとしては、彼女の見えないところで、氷水をぶっかけたり、肋骨を折ったり、ハイキックをきめる程度のことしかできない。
「嘘ではありません」
「あら、そうなの。男心って複雑なのね」
二皿同時に、料理が運ばれてきて、ミュラーが両方を皿に取り分けて彼女に渡す。
唐突だが今日の彼女のコートは、パール色の華やかなケープコート。
襟元と袖ぐり、ケープとコート両方の裾には同系色のファーが付き、バックはやや青みを帯びたリボンが目を引くレースアップ。あまり広がりはしないが、生地が良いものなので優雅さがある。
ドレスはエンパイアスタイル。裾は後ろを少し引きずる程度で、彼女が好むレースのハイカラー。季節が冬なのでもちろん長袖だが、腕にぴったりとしたもので、華奢さを際立たせる。色はダークグリーンで、首から胸の下辺りまでと、裾の引きずっている部分に、真珠が縫い付けられている。
アクセサリー類もそれに合わせて真珠。首元は一連のチョーカー耳元はやや大きめの、ピーコックグリーンが美しい黒真珠で飾っている。
最初に盛られた料理を食べ終えた彼女は扇子を開き、テーブル越しにミュラーに顔を近づけるよう手招きする。
ミュラーは身を乗り出し彼女へと近づく。
彼女は扇子で口元を隠して、
「今日はいっぱい食べるために、コルセットなしのドレスにしました」
そう言い、ミュラーから離れて空になった皿をミュラーに差し出す。
「過去に何度も、コルセットの締め付けで、食べたくても食べられなかったので」
フェザーンのホテルでアフタヌーン・ティーを取り、上段の皿までたどり着けなかった彼女を思い出し、
「そうでしたね」
ミュラーは皿を受け取り、再度料理を取り分けた。
彼女は取り分けてもらったヤンソンの誘惑を口へと運んでいたのだが、
―― あれ……ヤンソンの誘惑って、ハイカロリーだったような……
ヤンソンの誘惑はたまねぎにアンチョビ、そしてじゃがいも、そして大量の生クリームで作るキャセロール。
寒いスウェーデンの冬を乗り切るための料理なのだから、とにかくカロリーが高い。
そんなことを、彼女は思い出したものの、
―― 厳格な宗教家ですら抗えなかった味ですもの。私ごとき抗えるはずもありません。いいんです、明日からダイエットに気を使えばいいのです
カロリーを忘却の彼方に押しやりつつ、明日から”必要のない”ダイエットをするのだと誓った。
食後彼女は、水を運んできた店員に、もう一度メニューを持ってくるよう告げる。
店員は運んできたメニューをミュラーに渡し、先ほどと同じくミュラーが開き彼女の前へ。
「パンを買って持ち帰りできるらしいの」
「そのようですね」
「それでね、シナモンロールが欲しいの」
「かしこまりました。幾つ用意いたしましょうか?」
「私は二つ。ミュラーは?」
「あの、私はシナモン苦手でして……」
「そうなの。じゃあ無理する必要はないわ。でも今日は良い日ね、貴方のことまた一つ知ることができたわ」
”相変わらず悪魔でいらっしゃる。問題はないが”
やり取りを見ていたキスリングは、他人事のようにそう呟いていたのだが ―― その彼に彼女はバッグを持って、パウダールームについて来るよう促す。このような一般な店のパウダールームは、注意書きする必要もなく、男性の立ち入りは禁止だが、階級章と元帥杖を店長にちらつかせて、難なく同行を勝ち得た。
店側も彼女になにかあったら、大問題なので、元帥杖などなくとも、キスリングの階級だけで何も言わずに通した。
この世界で大佐は、あまり大したことのない地位のように思われがちだが、一般社会ではかなりの高官である。
ましてキスリングは若くて平民。この若さと階級で大佐で、職務も皇族の専任護衛となれば、善良な帝国臣民は何の疑問も持たずに頭を下げるくらいには高官であった。
彼女は誰も居ないパウダールームで、バックから化粧直しようのコンパクトやリップを取り出し、自分の手で直す。
「……」
化粧直しの部屋なので、大きな鏡の前に座るのだが、彼女の背後に立っているキスリングも同じ鏡に映ってしまう。
キスリングは周囲を警戒し、鏡に映っている化粧直し中の彼女を極力見ないようにしていたのだが、ふと鏡の中の彼女と目が合い、
「気になりますか?」
かなり気にしているように見えたので尋ねた。
普段彼は、化粧直しの際は鏡に映らない位置に控えているのだが、このレストランのパウダールームは小さく、護衛の任を果たそうとすると、どうしても真後ろに立つしかなかった。
フェイスパウダーをはたき終えた彼女は、
「召使いを気にするなど、大伯父上に叱られてしまいますわ。……ほとんどの者は気にはなりません。でも、あなたのように、いつも近くにいてくれる人は気になります。ただの召使いではなく、人として……いいえ、それ以上と意識しているからなのでしょう」
そう言って微笑み、今度はリップを取り出した。
―― 提督、フェルナーさん、ジークリンデさまは相変わらず悪魔でいらっしゃいます。かなり嬉しいのですが、悪魔です。もちろん、構いはしませんが
リップを塗り紙をあてて、余った分を取り、唇の形がついた紙を折って、鏡越しにキスリングに目配せしてそれを渡す。
「外で化粧を直したさいには、使った紙などは残してゆくものではないと教えられているので。ゴミを持ち歩かせることになりますが、邸までお願いね」
「お気になさらぬように」
キスリングはそれを受け取りそっと胸元にしまう。彼女はバッグに化粧品を戻し、
「終わった?」
キスリングは店内を伺い、彼女が座っている席のテーブルに、シナモンロールが入った紙袋が置かれているのを確認する。
「はい。精算は終わったようです」
彼女が席を外したのは、ミュラーに会計を済ませる時間を与えるためでもあった ―― なにせ今日は彼に罰を与える場なので、料金は全てミュラー持ちにしなくてはならない。
支払っている当人は、それは幸せな気分なのが問題だが。