黒絹の皇妃   作:朱緒

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第194話

 彼女がムライ、パトリチェフの両名と直接会ったのは、この一度きり。

 新王朝成立後、同盟がなくなったため、捕虜が存在しなくなり解放される。収容所内で九死に一生を得たムライは、生まれ故郷へと帰る途中、惑星マスジットに一人立ち寄りケーフェンヒラーの墓を参った。

 その際ムライは、墓を管理している職員に、この墓に埋葬された人は、大物だったのですかと尋ねられた。

 なぜそんなことを聞いてくるのかと、怪訝な眼差を若い職員に向ける。

 すると職員は、ハイネセンに向かう途中の元帥が、わざわざこのマスジットの地に降り、墓まで足を運んだので ―― 落暉女皇に縁のある人物なのかと思い、こうして尋ねたのだと。

 

 ”オルトヴィーンよ” ”ケーフェンヒラー男爵を継いだのは私が嫁いでから” ”そうね……私が足を運んだところで、何とも思わないでしょう” ”強情なところは、帝国貴族らしいわね。そうよね、ファーレンハイト”

 

 ムライは無言のまま、その場を立ち去った。

 

**********

 

 彼女は予想もしていなかった形で、ボリス・コーネフと会う。

 事の発端はファーレンハイトの妹が、フェザーンの大学に進学したいと希望し、特に問題はなかったので送り出すことになった。

 ”特に問題はない”が、まったく問題がないわけではない。

 元帥の身内ゆえに、護衛の一つくらいは付ける必要がある。

 原作新王朝の場合、元帥や元帥夫人が護衛も伴わず、民間人が使用する宇宙船や、港を使用しているが、一般人からすると、あのようなテロの標的になりそうな要人と一緒に宇宙船になど乗りたくもなければ、出迎えている場面にも遭遇したくないもである。彼らは過剰な警備を嫌う反動で、必要な護衛すら付けず、ことが起こった場合、自分と妻の身以外守らなさそうな元帥が側にいたところで、なんの安心になるのか?

 本当に民間人のことを考えているのであれば、ある程度の棲み分けや、適度な護衛は必要なのだが、彼らはそれが正義であるかのように ―― それはさておき、今はローエングラム新王朝ではなく、ゴールデンバウム王朝。

 この王朝の場合、元帥は従卒だけで一個分隊をなし、民衆を蹴散らして高級車で……が、ごく一般的なものとされている。

 だが元帥があのファーレンハイトで、彼の身内となれば、必要最低限で収まる。彼は彼女に対しては節制することはないが、それ以外の者に対しては、例外なく極力金をかけないようにする。

 そこで、護衛艦は付けてやるが、それは彼女が所有している貨物船に対してであり、妹は積荷の一つまでとは言わないが、贅沢を一切排除したものとなる。

 そのファーレンハイトの妹が乗る貨物船の船長こそが、ボリス・コーネフ。

 船長の名を聞いた彼女は当然驚き、彼に会いたいと ―― シュテファニーのことは、妹のように思っているので、身柄を預ける相手には直接会いたいと言われ、彼らはボリス・コーネフを彼女の元へと連れてきた。

 ただ目の前にいるフェザーン人のボリス・コーネフが、原作のボリス・コーネフなのかどうか? 

 

―― まさか「ヤン・ウェンリーと幼馴染みですか」とも聞けませんし……もう少し、砕けて話せる場を……そうだ!

 

 もっと突っ込んだことを聞くために、彼女は留学するシュテファニーの歓送会を開くことにした。もちろん、ボリス・コーネフの正体を調べるためだけではなく、純粋に妹のように思っていたシュテファニーの門出を祝いたいという気持ちもある。むしろ、その気持ちのほうが大きい。

 招待客は身内だけ ―― ロイエンタールやシェーンコップ、リンツや、遅れてやってきたブルームハルトなど、あまり身内ではない者もいたが、あまりどころか、ほとんど地位や身分にこだわらない者たちを招き、その中にボリス・コーネフや彼と共に商売をしているマリネスク。

 

「第八次イゼルローン要塞攻防戦で捕虜になった、イワン・コーネフ。実はこいつ、わたしめの従兄弟でして」

 

 そして、彼が伴ってきた白いシャツとスラックス姿のイワン・コーネフとも出会うことができた。

 

「あら、思わぬところで再会したのね」

 

―― ヤンが幼馴染みかどうかなどは、聞かなくてもいいですね。これは間違いなく、悪党ボリスなんとかという人です。……では、信頼してもいいでしょう

 

 会ったことのない従兄弟同士、同盟人とフェザーン人が、帝国の皇族の邸で初対面という、かなり変わった状況ではあったが、彼女が信頼するには足りた。

 イワン・コーネフについて話を聞いてると、どうも、彼ともう一人空戦隊の隊長が、オーディンに捕虜として滞在していることを彼女は知り、その人物の名を尋ねた。

 

「オリビエ・ポプラン」

 

 予想通りの名が帰ってきたことで、彼女は是非会いたいと告げ ―― 調査があるので、少々お待ちくださいと言われてはしまったが、会えないとは言われなかったので、彼女は楽しみに待つことにした。

 

「従兄弟の身柄は私が責任を持って預かりましょう。そして、あなたが何をすべきかは、言わずとも分かっていますね」

 

 あとはボリス・コーネフに、シュテファニーを無事にフェザーンに送り届けることを誓わせた。

 

「ジークリンデさま、ありがとうございます」

 

 彼女はブルームハルトも気になったが、このパーティーはシュテファニーを送るものなのであり、旅立てばしばらくは会えなくなる相手なので、彼に時間を割くよりはシュテファニーと、じっくりと話すことにした。

 シュテファニーが感謝しているのは、行きの宇宙船もそうだが、フェザーンでの滞在場所。

 

 彼女は帝国の大貴族らしく、フェザーンの高級ホテルの一室を通年でリザーブしており、この部屋を、シュテファニーに寮として貸すつもりであった。部屋の掃除や、細かな雑事に煩わされることなく、最適だろうと考えたのだ。

 だがファーレンハイトは「妹は高級ホテル住まいできるような性格ではありません」となり ―― 彼女はボルテックを呼び寄せて、邸を用意するよう命じた。

 

「邸の規模はどの程度で」

「こぢんまりとしたもので良いわ。あまり古いのは嫌。最新のシステムが揃っていて、でも趣きがあり、高層建築ではなく、この大学まであまり近くなく、でも遠すぎず。あまり大きくなくてもいいから、庭も欲しいところね。あと護衛の詰め所と、護衛たちが住める家を邸の近くに買って。こちらは、それほどこだわらないし、そこはファーレンハイトの指示に従うように」

「はい、畏まりました。それでお一つだけ、確認させていただきますが、大学にあまり近くない場所……で宜しいのですか?」

「そうよ。あまり近いと遊び出る機会が失われるでしょう。勉強は大切ですけれど、人との交流も必要ですから、あまり近すぎるのも良くないでしょうね」

「了承いたしました」

 

 彼女が「こぢんまり」と言ったものだから、ボルテックはローエングラム邸と、かつて彼女が住んでいた赤孔雀邸、そして新無憂宮を見て、このクラスの邸に住んでいる人物の感覚では、部屋数は最低でも三十は必要だろうと考え、売りに出されていたフェザーン有数の豪商が建てた邸と、近くのこちらは十室程度だが、距離的に良い家を代理で購入して引き渡した。

 

「いいのよ。困ったことがあったら、何でも言いなさい。距離があるから、すぐに連絡しなさいね」

「本当に。あと……先日は申し訳ありませんでした」

「先日? なにかあったかかしら?」

「体調を崩されたと」

 

 彼女は閉じた扇子を口元近くへと持って行き、しばし考えてから、

 

「あれは、気にする必要はありません。まったく、誰がそんなことを言ったのやら。私のことなど気にせず、フェザーンでの生活を楽しんでらっしゃい」

 

 気にすることはないと言い、シュテファニーを送り出した。

 

**********

 

 彼女がボリス・コーネフ、イワン・コーネフの親戚たちに会った時よりも以前、彼女が体調を崩すことになった辺りまで、時間を遡る ―― 

 

「フェルナーよ、アントン・フェルナー」

「ええ!」

 

 彼女はカタリナに”そう”言われ、思わず大声を上げた ―― 彼女はカタリナに「たまには気張らしも必要よ」と、邸に招待され、特に何をするわけでもなく、綺麗な部屋で菓子とお茶に囲まれ、とりとめなくお喋りをしていた。

 ロイエンタールがどこぞの令嬢に告白されただとか、シェーンコップが既にどこぞの美人と……だとか、人生をまったく潤わせない話題に花を咲かせていたのだが、彼女はふと「アンネローゼの好きな人について、カタリナに聞いてみよう」と思い立った。

 皇帝の寵姫時代はこんな話題など持ち出せないが、今はもう問題はない。

 アンネローゼが意識している男性とかいた? と。

 

「アンネローゼは、平民の男が好みみたいね」

「やはり、そう感じましたか」

 

 平民と言われたので、彼女はすぐにキルヒアイスを思い浮かべたのだが、

 

「まあ、確かに年上で格好は良いわよ。将来性もあるし。なにより、あなたに対しての態度が、真摯なのが大きいわよね。あの姿だけみていると、わりと好青年の部類ですものね」

「……え?」

 

 カタリナが語る人物は、キルヒアイスを指しておらず、彼女は誰のことなのか分からなくなる。

 ”あーはいはい、分かります。ですよね”と、彼女より先に見当がついたのは、脇で聞いているキスリング。彼は彼女のように、不必要な情報がないので、物の見方はカタリナに近い ―― そう言われたら、キスリング当人は「そんなことはありません、公爵夫人と同じなど恐れ多い」と、目をそらして辞退するであろうが。

 

「フェルナーよ、アントン・フェルナー」

「ええ!」

 

 その名を挙げられた時、彼女は心から驚いた。その驚きは、アッテンボローが第八次イゼルローン攻防戦で戦死したと聞かされた時よりも、ずっと大きかった。

 

「後宮を訪れる男の中では、最も若かったから目立つし。あの子供のままの弟と、真面目一辺倒の幼馴染みとは、また違った雰囲気だし、なにより、あれモテるものね」

 

 フェルナーがよく秋風を送られているのは彼女も知っているが、さすがにアンネローゼとなると、嘘でしょうと ――

 

「え……あ、そ、そう? 私は全然好みではないとばかり、思っていたから」

 

 当時の彼女はアンネローゼと自分の仲を良好なものにしたいと、必死に努力しており、それには会って話すのが一番だということで、ファーレンハイトやフェルナーを連れて良く、アンネローゼの元を訪れていた。

 アンネローゼが後宮にいた十年間、会って言葉を交わした回数、そして顔を会わせた回数は、キルヒアイスやラインハルトより、彼女の護衛のほうが遙かに多い。

 閉ざされた空間で、外の空気を、それもアンネローゼが外の世界に居た時には、触れたことなどなかったタイプの男性 ―― そのタイプの根底にあるものが、胡散臭さや不貞不貞しさ、図々しさや図太さ、あるいは争い事を好む性質であったとしても、それは初めて感じるものであった。良いか悪いかは、この際関係ない。

 

「あなたはレオンハルト一筋だから、分からなかったでしょうけれど、フェルナーはある種の女を惹きつける魅力があるのは確かよ。その魅力にひっかかったのがアンネローゼ。でもまあ、惹かれたけれど、それだけで終わったみたい。もうすっかりと諦めているわよ」

 

 彼女は心から良かったと ―― 部下の栄達は多いに喜ぶ彼女だが、これは少々異なる。将来開かれるラインハルトの王朝で、グリューネワルト大公家の婿がフェルナーでは、形にならない。

 あくまでもラインハルトの腹心であるキルヒアイスがその立場に収まらなくては、王朝の維持に問題が生じてしまう。

 

「フェルナーがいい顔をするのは、あなたの側に居るときだけだもの。どれほど鈍くても分かるわよ」

「なんですか、それは」

「そういえば、フェルナーが困ってるって知っている?」

「?」

 

 突然の話題の変更ではあったが、フェルナーが困っているのならば、何時も世話になっているので、是非どうにかしたいと、身を乗り出してカタリナの話に耳を傾ける。

 その側で話を聞いていたキスリングは、どうすることもできない我が身の幸運を、心より喜んだ ――

 

**********

 

「トニーわたしはわるいおんなです。あなたがしあわせになれるなら、いくらでもわたしをうらんでちょうだい」

 

 ファーレンハイトは表情一つ変えず、上記の台詞を淡々と話す。

 

「止めろ。それは止めるんだ」

 

 それに対してフェルナーは、嫌そうな表情を隠さず浮かべて言い返す。元帥に対する口の利き方ではないが、ファーレンハイトは気にしてはいない。

 

「トニー。つらいかもしれないでしょうけれど、わたしのしあわせなすがたをみてちょうだい」

「だから止めろと……言っているではないですか」

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 ”居心地悪ぃ……てか、なにしてるんだ、この二人”

 事情が分からないザンデルスは、自分の上官の訳の分からない台詞と、フェルナーの態度を比べながら、なんでも良いから早く終われと願っていた。

 そんな副官の心の叫びが聞こえたところで、完全無視するであろうファーレンハイトと、きっと笑ってやり過ごすだろうフェルナー。二人はしばらく無言でにらみ合い、

 

「なんでカタリナさまに、例の件、知られたんですか?」

「それに関しては、俺が謝罪する」

「何故あなたが?」

「シュテファニーに接触があってな。そのまま、情報がカタリナさまに流れた」

「あなたの妹に接触したんですか……こっちが謝りますよ」

「謝罪合戦は趣味ではない。とにかくカタリナさまが、ジークリンデさまに教えてしまったらしい。ただし詳細は分からないから、説明しに来いと」

「行かなかった場合は、どうなるんでしょう?」

「分からん。だがジークリンデさまもいらっしゃるから、行ってこい」

「分かりました、事情を説明しますよ」

 

 フェルナーは眉間に皺を寄せ、深く息を吐き出してから肩をすくめ、頭を振りつつ、諦めましたと。そんなフェルナーからファーレンハイトは視線を外し、机の引き出しを開けて、鍵の掛かった小さな箱を取り出し、放り投げる。

 

「持っていけ」

 

 受け取ったフェルナーは、箱を見て更にため息をつき、やれやれと立ち上がり、ファーレンハイトの執務室を後にした。

 会話や箱の中身が気になったザンデルスだが、そこは副官の立場を弁えて、何事もなかったかのように仕事を再開した。

 

 ……が、気になったので、後日キスリングに尋ねてみたところ、運良く彼は事情を聞いており、秘密にしておく類いのものでもないのでと教えてくれたが、

 

「大変だったんだな」

 

 聞き終えたザンデルスは、遠い目をすることしかできなかった。

 

「ああ。その結果、ジークリンデさまが、熱を出されて寝込んでしまったからな」

 


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