黒絹の皇妃   作:朱緒

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第193話

 その日のうちに、シェーンコップがこちら側についたと聞かされた彼女は、

 

―― もしかして私、自分が思っているより綺麗なのかしら……闇夜と炎の効果よね

 

 何となく自分の美貌を自覚しかけたが、誰にとっても残念なことに、自覚しかけただけで終わってしまった。

 

 シェーンコップをどのように使うかは、オーベルシュタインに任せている彼女だが「皇太子の落胤」として扱う以上、押さえておくべきことがある ―― シェーンコップの生活について。要するに資金繰り。

 

「既にアルベルトと呼ばれているようですね」

「はい」

 

 オーベルシュタインが下準備していたこともあり、シェーンコップがリヒャルトの落胤であるという噂は、彼女がフリードリヒ四世の孫だという噂を食う勢いで広まった。

 それも懐かしき詐欺師の名と共に。

 詐欺師アルベルト大公 ―― 二十九代皇帝ウィルヘルム二世と側室ドロテーアとの間に生まれたアルベルト大公。彼は侍従武官と地下迷宮に迷い込み、そのまま行方不明になった。

 その後、アルベルト大公と名乗る人物が現れ、次の皇帝になるかと思われたが、詐欺行為を働き金と宝石と侍女を持って、どこかへと消え去った。以来アルベルトは詐欺師の代名詞であり、カスパー、ルートヴィヒに並び、皇位を継ぐべき男児の名として避けられるようになった。

 突然現れた皇太子の落胤。その話を聞けば、臣民はまずアルベルトを思い浮かべる。

 

「それも計画に折り込み済みでしょう」

「はい」

「そんな完璧なあなたの計画を壊すようで悪いのですが、私の頼みを聞いてくれない?」

「何でも仰って下さい」

 

 彼女の頼みごとは、グリンメルスハウゼン子爵に関すること。門閥貴族のゴシップそのものについては興味などない彼女だが、それを誰かが手にして、恐喝をするかもしれない。彼女としてはそんなことは避けたく。また、彼女の実家も帝国建国以来続く名門で、叩けば埃の一つや二つどころではなく出てくるだろうことは自覚しているので、できることなら回収したいのだ。

 門閥貴族である以上、家の名誉はできるだけ守りたい。

 それがはフライリヒラート伯爵家を継いだ彼女にしかできないことであり、自分を育ててくれた伯爵家にできる最後の恩返しでもあった。

 

 また、彼女に託した遺言についても気になっており、邸になにか手がかりが隠されているかもしれないと考え、邸を内装品ごと買い取ることにした。

 むろん、国に返還される分の代金は支払い、

 

「買い取り額の半分を、子爵の親戚たちに均等に分配し、残り半分をシェーンコップの生活費に充てなさい」

 

 邸にシェーンコップたちを住まわせることにした。

 こうすることで、邸の警備を厳重にしても、誰も疑わず、邸内に忍び込むものを監視でき、

 

「彼らに与える、極秘の任務にしましょう」

 

 人員を割く必要もない。

 また彼らの性格上、それを秘匿し自分たちの懐を潤すようなことはしないと ―― この辺りは明かすことはできないが、彼女はそう判断した。

 

 オーベルシュタインは彼女に私財を使わせたくはなかったのだが、シェーンコップを詐欺師にするわけにもいかなければ、帝国の財源は無駄にしたくない。

 

「一族の面倒をみるのも、当主の仕事ですからね」

 

 なによりシェーンコップは皇太子の落胤ではないが、彼女が当主を務める一門の端に連なる者である。

 通常、逆亡命してきた場合、真っ先に頼られる立場であり、政治的な効果を狙うという目的はあるが、彼らを庇護してやるのも当主の役目であった。

 

「畏まりました。そのように手配いたします」

「計画を変更させてしまって……許してくれる?」

 

 彼女の”許してくれる? お願い”の表情は、人間の精神だとか理性だとかを、軽く破壊してくれる。

 

「許すもなにも。そのようなお気遣いは無用にございます。準備がありますので、これで失礼させていただきます」

 

 彼女に見つめられ、その美しさを前に本能的に義眼を引っこ抜かなければ! と思ったオーベルシュタインだが、そんなことを気取られるわけにはいかないので、全精神力を使い彼女の前から、何事もなかったかのように退出し、本当に廊下で義眼を取り外し、肩で息をする。

 彼女の執務室前に付いている二名の衛兵はオーベルシュタインの行動に驚いたが、顔を見合わせて”分かる”と ――

 

**********

 

 こうして渦中の人となった逆亡命者シェーンコップが「正式」にオーディン入りし、なにも知らない門閥貴族は、彼女の元へとやってくる。

 

―― 来るとは思っていましたけれど……そして、何を言いたいのか、さっぱりわかりません。愚痴言うだけなら、ご自宅でどうぞー

 

 彼らは色々と言うのだが、具体的な策などは出せず、ただひたすら愚痴を言うだけ。

 それは鬱陶しいが、質問をしてこない分、楽でもあった。

 ある程度頭の回る門閥貴族は、なぜ彼女がシェーンコップの生活基盤を整えてやったのかを尋ねてくる。

 それに対して彼女は、噂が本当かどうかは分からないが、もしも本当であった場合、皇族を蔑ろにしていたことになりかねず、嘘であった場合、シェーンコップ家を翼下に収めていた、一門の当主である彼女が、皇太子の落胤だという噂を信じ、金を預けた者に対し補填しなければならず ―― 宮内省の官吏たちと話し合った結果どちらにしても、彼女が金を出すのが最良であると答えが出たのでと返した。

 

 他に多い質問は、シェーンコップは本当にリヒャルト皇太子の落胤なのか? というもの。彼女が生まれるより前の話だが、シェーンコップが逃れた経緯に、リヒテンラーデ公が関わっているようにねつ造したこともあり、かの老宰相にもっとも信頼されていたと、誰もが認める彼女に、何かを託したのではないかと考える者が大勢いた。

 その質問については、

 

「私は女ですので、そのような込み入ったことは。お兄さまは何か聞いていらっしゃったかも、知れませんが……」

 

 彼女は貴族の子女であることと、家族を亡くしたことを最大限に利用し、質問した相手の罪悪感を煽りつつ話を終わらせた。

 もっとも、実際彼女は何も聞いていないため、このようにしか答えられず。また亡き兄のことを語ると、幼い頃の楽しい思い出が蘇ってきて、本当に悲しくもなる。

 ここまでは、予想通りであり、次の事案も予想通りではあるのだが、彼女にとっては大問題であった。

 その大問題とは「皇太子殿下の棺を開けて、DNA調査をしてみよう」なる提案。

 血を引いているかどうかを調べるのに、これほど確かなものはないのだが、ここで語られている「皇太子」は、実父とされるリヒャルト皇太子ではなく、フリードリヒ四世の息子ルートヴィヒ皇太子のこと。

 リヒャルト皇太子の遺体はあるのだが、遺体の破損が激しく、現代の技術でも、正しい遺伝子を抽出するのは不可能。

 なにせ一時期、父である皇帝を弑逆しようとした濡れ衣を着せられ死を賜り、遺体も皇族待遇を受けることなく「野ざらしではなかった」程度の扱いしかされず。名誉回復後にゴールデンバウム王家の霊廟へと戻されたが、その時の遺体は毒により変色した皮膚が骨にまとわりつき、髪も抜け落ち、虫の寝床と化していた。

 そのまま棺に収めるわけにはいかないと、体内に住み着いた虫を取り払うために、大量の薬物を散布した。この薬物、生きている人間には使えないほどの劇物で、肌の色がまた変わったほど ―― この経緯から、リヒャルト皇太子から遺伝子情報は採取できない。

 それを知っている者たちは、甥にあたるルートヴィヒ皇太子の遺伝子情報をとなった。ルートヴィヒとリヒャルトの落胤は、父系つながりで男性同士なので、Y染色体の情報を調べることで、嘘か誠か分かる。

 むろん、ここにフリードリヒ四世の情報もあれば、より確実だが、皇帝の墓を暴くわけにはいかないので、ルートヴィヒ皇太子の墓を開けて調査をしようと。

 かつての皇太子の棺を開ける許可を出せるのは皇帝だけだが、カザリンにはそのような判断は下せず。

 カザリンが成長するまで、詐欺師かもしれない男に落胤を名乗らせるわけにもいかない。

 となれば、誰かが早急に決断を下さなくてはならないのだが、ペクニッツ公爵単独では決められず、宮内や典礼との話し合いが必要となり、それはとりもなおさず、彼女が決定するということ。

 今のところ彼女は「棺開けるの怖い」でやり過ごしているが、次官には色々と話が持ち込まれていると報告を受けている。

 

―― 否でも応でも、殿下の墓を暴かなくてはならないのかしら……はあ……

 

 このような騒ぎの中シェーンコップは、オーベルシュタインの提案に従う条件である、彼女へ面会するために、彼女の邸を訪問する。

 この時シェーンコップは、彼の護衛としてカスパー・リンツと伴ってやってきた。

 

―― カスパー・リンツ……カスパー・リンツ……誰でしたっけ? ブルームハルトは覚えているのですけれど。死んだローゼンリッターは記憶にあるから、生き残った人? なのかしらね。まあ、どうでもいいですけれど

 

 必要なのはシェーンコップで、その部下は特に必要とはしていないので、彼女はすぐに考えるのを止めて、シェーンコップとの会話のシミュレーションを再開した。

 

―― 喋ると絶対にぼろが出ると思うのよー。いや、思うではなく、絶対にぼろが出ます。……あんな皮肉屋、私の話なんて聞かないでしょうし、なにか話しても鼻で笑うに違いありません

 

 会ってはみたいが、話をするのは憂鬱な相手。それが彼女の正直な気持ちであった。

 だが、会わねば始まらないので、邸の謁見の間で、顔を合わせることに。

 謁見の間は見上げる程高く、成人二人でも腕が足りないほどの大理石の柱に、巨大なシャンデリア。当主が腰掛ける椅子は総金製で、座面には赤いビロードが張られており、もちろん数段高い位置に置かれている。

 当主の椅子の頭上高くにはローエングラム家の家紋入り天蓋 ―― 真紅に黄金の獅子の刺繍のもの。部屋の両サイドには、アーチ状の窓が並ぶ。

 

 オラニエンブルク大公妃である彼女が謁見を受ける部屋に、ローエングラムの家紋なのか?

 この邸はローエングラム公爵夫人の邸であるため、謁見室に掲げられるのはローエングラム家の家紋、オラニエンブルク大公妃の邸は新無憂宮の一角にあるので、ここで大公妃の旗を掲げることもなければ、家紋を飾ることもない。

 彼女が新無憂宮に住まず、貴族街のローエングラム邸に住み続けていたことも、彼女がローエングラム大公妃殿下と呼ばれる原因の一つでもあった。

 後世なんと呼ばれようが彼女としてはどうでも良く、

 

「顔を上げなさい、シェーンコップ」

 

 今問題なのは目の前で跪き、頭を下げているシェーンコップへの対応。

 彼女の言葉を受けたシェーンコップがゆっくりと顔を上げる。その顔は美男という形容が相応しいものであったが、それ以上にその雰囲気に彼女は驚いた。

 シェーンコップは貴族男性の格好で現れたのだが、その姿に違和感は一切なく、ずっと帝国に住み続けていたのではないかと思わせるほど、着こなしていた。

 高貴な人食い虎に見えると言われる笑いも、まさにこれがそうなのだと、見た彼女も納得できる物であった。

 リンツの顔も見たいとは思ったが、ここは顔を上げさせる流れではないので、後日の楽しみとし、彼女はシェーンコップだけに集中することに。

 

「陸戦が得意だと聞いたけれど」

「はい。帝国でも一、二を競える自信はあります」

 

―― 聞いておきながらですけれど、知ってます。そして、なんともまあ、自信満々と言いますか……まあ、いいわ

 

「そう。では帝国に残っていたら、私の嫁入り道具くらいには、なれたでしょうね」

 

 貴族は嫁入り道具として、召使いをも連れて嫁ぐ。彼女の母親がお気に入りの料理人を連れて嫁いだように、彼女もシェーンコップが残っていたら、我が儘を言い、嫁入り道具の一つとして連れて嫁いだ。―― この場合は気に入っているというよりは、才能が欲しくてだが。

 

「妃殿下の嫁入り道具ですか?」

「道具と言われるのは嫌かしら?」

 

 彼女はくつくつと笑いつつ、フェルナーが持っているソーサーから、紅茶が注がれているカップを手に取り一口飲む。

 

―― ああ、緊張する。もーどう出てくるのか、さっぱり分からないー

 

 内心の動揺を気取られぬよう、ソーサーにカップを戻し、膝の上に置いていた扇子を手に取り、開き口元を隠す。

 

「いいえ。祖父母に連れられ帝国を去り二十七年。妃殿下が嫁がれてより十年。些か戻ってくるのに時間が掛かりましたが、お許しいただけるのでしたら、輿入れの品として、これからお側でお仕えさせていただきたい所存であります」

 

―― 誰ですか、あなたは……いや、シェーンコップなのは分かりますが、なんであなた、そんなに素直なの。嫁入り道具は言葉の綾です! なんとなく、そう言っただけです。私はあなたのような、癖のある伊達男は部下には要りません。間に合ってます! 帝国男だけで充分です!

 

 想像の遙か斜め上をゆく、従順すぎるシェーンコップに、彼女は背筋に寒さを感じたが、控えている四人にとっては、当然の返事であり、これ以外の答えが返ってくるとは思わなかった。

 

「もう部下も愛人も夫もいるから、あなたは必要ないのよシェーンコップ。帝国に帰って来るのが遅すぎたのよ。少しは残念かしら」

「大いに」

 

 力強く言われた彼女は ―― 自分の手に負えなさそうなので、あとは全てオーベルシュタインに任せることにした。

 

「その悔しさと私の冷たさをバネに、頑張りなさい。ワルター・フォン・シェーンコップ」

「御意にございます」

 

―― シェーンコップの御意にございます……格好良くて様になるから困るわ

 

 シェーンコップの一連の動作は、堂に入っており、所作と雰囲気だけで見れば、この男、本当に三十年近く自由惑星同盟で生活していたのかと疑いたくなるほどであった。

 

「もっとも、どれほど努力しようとも、例え私のために切り刻まれて殺されようとも、私にとって後ろにいる四人を越えるような存在になることは、ありません。空白の二十七年を噛みしめるといいわ」

 

 シェーンコップを下がらせてから、

 

「あんな感じで良かったのかしら?」

 

 四人に尋ねると、全員から作ったかのような笑顔で「完璧です」と言われ、彼女は笑顔の意味が分からなかったが、妙に彼らの機嫌が良いので、彼女もつられて笑顔になった。

 

 シェーンコップとの面談の翌日、彼女はプレスブルクを呼んで、ムライとパトリチェフと会い、エコニアでの出来事についての話を聞いた。

 二人は自分たちが捕虜になっているのにもかかわらず、プレスブルクが無事帰還したことを、パトリチェフはおおらかに、ムライは小言付きで喜んだ。

 エコニアとケーフェンヒラー、そしてアッテンボローに関しての話を聞き終えた彼女は、二人に収容所ではなく、オーディンに滞在できるよう取り計らってもよいと告げたが、ムライは兵士たちの監督をする必要があるので収容所行きを希望し、パトリチェフはムライ一人では大変だから、ありがたいが辞退させていただくと。

 彼女としても、無理に引き留めるつもりはなかったので、プレスブルクと直通連絡が取れるよう手配をし彼らを帰す。

 

―― アッテンボローが戦死ですか。驚きました……アッテンボローというキャラクターは嫌いではありませんし、展開上しかたないのは分かりますけれど、ヤンの死後、軍の代表者の座に就かなかったのは……。ユリアンがヤンのあとを継ぐのは、物語的には面白いんですが、どう考えても、民主主義的ではないし、まさに権力の世襲。ムライが脱落者を連れてイゼルローンをあとにしましたけれど、あの半数は経験も実績もないのに、ヤンの身内だということだけで革命軍? ……革命軍の司令官に十代のユリアンをそえたことに対しての反抗だと……私の勝手な想像にしか過ぎませんけれど、私があの立場ならそう思うでしょうし、アッテンボローが継ぐのが妥当だと。もう関係ないことですけれど

 

 殺しても死ななそうとは言わないが、しぶとく生き延びそうであったアッテンボローの戦死。

 これがどのように作用するだとか、原作との乖離が……などと呟く時期は、とうに終わったている。彼女は驚き、そして”ああ、そうですか”と受け入れるだけ。

 この先、彼女を困らせることがなくなった、同盟の一将校の死を、帝国の皇族として悼むことなく記憶から消し去った。

 


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