「こっちよ! オーベルシュタイン」
「お待ちください」
オーベルシュタインの過去も未来も根こそぎ奪い取っている自覚のない彼女は、腕を組んで、邸内の植物園へと連れてゆく。
彼女が力をこめたところで、オーベルシュタインが本気を出そうものならば、歩かせることなど不可能だが ―― 彼女に腕を引かれた彼は、身長差からやや前屈みになりつつ、彼女に付いて行く。
「私などと腕を組まれては」
オーベルシュタインは誰よりも、彼女との距離に関して気を使う。あまりに使いすぎて、彼女に「貴方の心を奪うわ」と言われるくらいに、距離を置いていた。
「ここは私の城ですよ。気にすることはないでしょう」
**********
彼女がオーベルシュタインと話しをしていた頃、噂の調査をしていたフェルナーの元に、フェザーンの定期便を任せている人物が息を切らせてやってきた。
「おい、フェルナー。大変だ」
「なんですか? コーネフ」
画面から視線を動かさず、興味などないと全身で表現しているフェルナーにめげることなく、ボリス・コーネフは話し続ける。
「ローエングラム公爵夫人……じゃなくて、オラニエンブルク大公妃殿下がフリードリヒ四世の孫だという噂は」
「知っています」
「そうか。じゃあ、こいつはどうだ? ルビンスキー暗殺未遂」
「未遂でしょう。死んだのなら、興味もありますが」
そうは言ったが、フェルナーは手を止めて視線をボリス・コーネフへと向けた。
フェザーン人の商人である彼が、何故ここに居るのか?
ボリス・コーネフは税金が支払えず、労役を課されるところだったのだが、その時、フェザーンとオーディンの私的な定期便が欲しかったフェルナーが、税金を代わりに支払うことで彼らを買ったのだ。
もちろん金の出所はフレーゲル男爵。
フレーゲル男爵は領地の開発をフェザーンと共に行うことにしたのだが、そこで帝国人が商売の交渉事には、あまり役に立たないことを目の当たりにする。
人間の育成の大切さを実感し、優秀な人員を教育することを決意し、実行に移した。
だが彼らが育つまで、領地の開発を止める訳にもいかないので、フェザーンの犯罪者を買って、当面を凌ごうと考える。
無論、人殺しや強盗などの犯罪者ではなく、経済犯罪者を選び、彼らの学歴や経歴などを調べ、使えそうな者を買い取った。
刑務所に入れて税金で生活を賄ってやる必要もなければ、犯罪件数も誤魔化せるフェザーン。それなりに知識のある人間を、人を育てるよりずっと安い金で用意することができたフレーゲル男爵。他人の金で自由になれた犯罪者 ―― 誰もが幸せになれる素敵な構図。
フェザーン人は親兄弟も、犯罪者だって売るのである。
買い取り領地に配置した当初は、勘違いしたフェザーン人が、領民の少女に暴行を加えるという問題も起こしたが、そこはマキャベリの君主論を読んだ領主さまが直々に出向き、暴行犯の足首に太いペグを左右から刺し、その端の輪にロープを通して逆さ吊りにして、生きたまま真っ二つに。
「これがマキャベリズムというものだ! 分かったか、女を見る目がない平民」
「……(違うような)昔の女に関しては触れないで下さい、閣下」
返り血を浴びた姿でフェルナーに自慢げに語り ―― 素朴な領民は、生きたまま真っ二つに罪人を切り裂くことを、マキャベリズムと理解してずっと生きて行くに違いない。
ともかく「お前らの生殺与奪は、この選ばれし門閥貴族である私、フレーゲル男爵にあることを忘れるな」と、実力行使した結果、買ったフェザーン人は従順になり、金の分は誠心誠意働いた。
それでボリス・コーネフだが、フェザーンでの買い出しと情報収集を任じられ、かれこれ三年ほどここで仕事をしていた。
支払って貰った税金分は働いたので、すでに自由の身なのだが、フェザーンに戻って商売を再開するために、資金が欲しいので、ここで働き続けていた。
「この頃フェザーンでは、独立の気運が高まっている」
フェザーンが自治領であるということに、不満を持つ者は少なくない。
「独立なんてしたら、帝国軍に蹂躙されて終わりですよ。フェザーン人は、そんなに頭が悪いとは思わないのですが」
経済を牛耳っているという自負のある彼らだが、彼らが経済封鎖をかけたところで、帝国軍は苦もなくフェザーンを制圧することができる。
「俺もそうは思う。だが事実だ」
ホテルで会食中に独立派に襲撃され、企業の幹部が数名命を落としたが、欠陥工事による事故と発表され、テロがあったことは隠されている。
「何者かは分かりませんが、そいつらはフェザーンを滅ぼしたいのですか? 帝国としては構いませんが」
フェルナーは、フェザーンの新聞社の記事に目を通す。
事故があったことは確かだが、独立派の仕業という証拠もない。
「俺もそうじゃないかと考えた。理由は分からんがな」
「フェザーンの自治権を剥奪するのは可能ですが、管理統治となると難しいですね。独立派はそれを知っての行動かも知れませんが……他に情報はないのですか?」
「俺がつかめたのは、独立派のボスは若い男で、ロビンと呼ばれている。もちろん本名ではないだろうが」
「ロビン……ローベルトかなにかの愛称でしょうか。それだけですか?」
「これは未確認だが、その一派には、オーディンでテロを起こした地球教徒の残党も居るらしい」
地球教に捨てられた彼らをロビンという人物は拾い上げ、そしてより凶悪なテロリストに仕立て上げていた。
「ジークリンデさまを襲った?」
「そうだろうな」
「そうですか……いずれ消えてもらうことになるでしょう。あとはこちらで調べます。ところで、コーネフ、あなたには同盟に従兄弟がいましたね」
フェルナーは話を打ち切り ―― 話し掛けたボリス・コーネフが後悔するほど、怒気を含んでいたので、話が変わったことを彼は非常に喜び、話題に食いつく。
フェルナーは捕虜名簿の中に、見覚えのある名を見つけ、彼の素性を調べ親戚ではないかと、画面を指で軽く叩く。
「イワン・コーネフ。父親は……ああ、従兄弟だな、会ったことはないが」
名簿に目を通し、顔写真を見たボリス・コーネフは、自分とどことなく似ているような、ただ髪と瞳の色合いが似ているだけのような捕虜の写真を、目を細めて見て、従兄弟だと言い切った。
「会ってみたいですか?」
「会わせてくれるというのなら、会ってはみたいが。正直言えば、イワンなんかより、ローエングラム大公妃殿下に直接お会いしてみたい」
ボリス・コーネフは私軍管理下の使用人なので、彼女は存在すら知らない。そうでなかったとしても、一使用人でしかなく「お目通り」が叶うような身分でもない。
「ジークリンデさまにですか。あ、ちょっと待ってください」
発信元が軍務省の尚書室からの通信が入った。
ボリス・コーネフは席を外す。
軍務省からの通信はシュナイダーからのもので、彼の部下となっているプレスブルクに捕虜の名簿を確認させていたところ、収容所で遭遇したことのある士官が含まれている ―― ムライとパトリチェフの二人のことである。
プレスブルクは彼女の実家で、この二人と自分が関係した事件の話をし、その時、彼女が随分と興味を持っていたので、彼らから直接話を聞きたいと言うかも知れないと考え進言した。
『大公妃殿下が興味を持たれるかもしれないとのことで、連絡させていただきました』
「この二名、オーディンに下ろしても宜しいですか?」
『メルカッツ閣下は、そちらに全て任せるとのことです』
フェルナーは即座にファーレンハイトに、二人も下ろすよう連絡を入れた。
ラインハルトの部下が捕らえた捕虜をファーレンハイトに引き渡し、捕虜名簿は全長官の下に ―― 三長官が変わってから帝国軍の風通しは、かなり良くなったために、ここまでスムーズに情報の交換ができている。かつての三長官は、ラインハルトに関して意見が一致してはいたが、それ以外は特に意見が一致するようなこともなく、仕事の面では情報を共有するようなことはなかった。
彼女を主軸にして見ると、仲が悪いのが二名ほどいるが、誰も仕事に私的感情は持ち込まないので、特に問題は起こっていない。
また各自が極秘で対処しようとした結果、彼女とその一族に関し大失態を犯していることもあり、上層部内での情報の交換は、かなり頻繁に行われていた。
こうして捕虜に関し、様々な準備が行われている中、イゼルローン攻略を終えたキルヒアイスとミュラーがオーディンに帰還する。
―― ミュラー。大丈夫なのかしら……
祝勝パーティーに出席した彼女は、ミュラーが病院に寄るので遅れてくると聞き、一人心配をしていた。
「戦闘でよほど深い傷を負ったのでしょうね」
「そーですねー」
彼女の側にぴったりとくっつき、警護しているフェルナーが気の抜けた返事をする。彼女の近くで台詞を聞いてしまった、事情を知っている将校たちは、ばつが悪そうにあらぬ方を向く。
”姫さま。オーディンとイゼルローンの間に、病院たくさんありますから。帰国した時点で、病院に直行しなくてはならないような怪我を、イゼルローンで負うなんてありませんから。そんな怪我を負ったら、ガイエスブルグ要塞の病院で治療を終えてから帰還しますって”
ミュラーの不在、それはフェルナーの呟きが全てを物語っていた。彼は帰国後、負傷したのである。
少々語ると、帰還しラインハルトに報告を終えた後、キスリングに襲撃されて、肋骨を折られたのだ。
「殺されなかっただけでも、ありがたいと思え!」
いきなり現れて大将の肋骨を折った大佐 ―― 通常ならば警備に阻まれそうだが、キスリングは「冬に起きたテロの失敗を反省し」彼女の夫の元帥府にも、自由に出入りすることが許されていた。その特権を使っての、この凶行。
「なんでもない、気にするな。全て私が悪いのだ」
場は騒然としたものの、怒りを露わにするキスリングと、骨を折られた部分を庇うようにして、原因は自分だと言い張るミュラー。
彼女が皇帝の孫だという噂で、最近はかき消されたが、一時期、彼女が下着泥棒の被害にあったという ―― それが胸中に過ぎった副官は、ミュラーに”まさか”と尋ねたところ、
「下着など盗むものか! 奪うのならば、御本人をこの腕に! 盗み去りたい」
聞かせられないことを言い出した。
もっとも、下着泥棒したと言い出されても、醜聞なので聞かせられないのだが。
「ふざけるな! 身分を弁えろ! ミュラー!」
「ふざけてはいないし、身分は承知している。ところでキスリング、公爵夫人は」
「大公妃殿下だ!」
状況から彼女絡みなのは、誰の目にも明らかだった。
肋骨を折られた原因を追求すると、ラインハルト陣営が困るのは明白なので、これはもう、無かったことにしようという運びになり、ミュラーは「いつの間にか肋骨が折れていた」ということになった。
彼女を襲ったのが原因で肋骨を折られたよりは、ベッドから落ちて肋骨折ったほうが、物事は大きくならずに済む ――
その後病院へと運ばれたミュラーは治療を施され、鎮痛剤を打たれてからベッドですこし休む。医師は欠席することを勧めたが、本人の強い希望で遅れて会場入りすることに。
ミュラーがいまだ到着しない会場で、彼女はキルヒアイスと話をしていた。
戦いに勝ったことに祝いを述べてから、世間話をする。当たり障りのない、大人の会話を交わしてから、彼女は丁度良い機会なので、一度ははっきりと聞いておかなくてはならないことを、尋ねることにした。
「ところで、キルヒアイス。愚かしい女の話に付き合ってちょうだい」
「なんでございましょう? 大公妃殿下」
彼女は扇子を開き、口元を隠して、
「耳を貸して、赤毛ののっぽさん」
まさに悪戯な声で語りかける。キルヒアイスは驚くも、すぐに腰をかがめて彼女の口元近くに耳を近づけた。
「キルヒアイスは心に決めた女性はいるの?」
彼女のまっすぐの問いに、キルヒアイスは珍しく狼狽し、年相応の照れを浮かべた。
「いえ、あの」
せっかくキルヒアイスが生きているのだから、アンネローゼとの仲を……そう考えた彼女だが、肝心の当人の気持ちがはっきりと分からない。
アンネローゼとキルヒアイスが相思相愛かどうか? 思い込みで話を進めると、厄介なことになるので、まずは確認をせねばと。
「私が尋ねたのは、興味本位ではなく……まあ、まったく無いとはいいませんが、あなたに興味がある女性たちに、聞いて欲しいと頼まれましてね。将来性のある独身の将校は、それは人気ですから」
”聞いて欲しいと~”は嘘ではない。
キルヒアイスのような若くて将来性のある独身の将校は、帝国の女性にとって憧れであり、獲物である。
「わたくしは……」
「想う方がいらっしゃる……で、よろしいのかしら?」
キルヒアイスは首を縦に振り、同意を表した。彼の特徴とも言える真紅の髪ほどではないが、頬はかなり朱に染まり、
―― こういう話題、苦手なんですね……ラインハルトとはしなかったでしょうしね
もう少しこの手の話題に強くなってもいいのでは? と、彼女は他人事ながら少々心配すらする始末。
ただ傍からは、彼女の顔が近づいたので恥ずかしさを感じているようにしか、見えなかった。
―― アンネローゼのことが好きと、はっきりと聞きたいのですが。もう少し仲良くなってから、聞き出すことにしましょう
そうしていると、二人の元にラインハルトがやってきた。
「ラインハルトさま。キルヒアイスは、上級大将になるのですね?」
彼女は疑問系で尋ねたが、内心では確定だろうと考えていた。
「いや、分からない」
「なぜですか?」
だが、ラインハルトの答えはそうではなかった。
「キルヒアイスが平民だからだ」
帝国に存在する身分の壁が、それを阻むようそびえ立っていた。