イゼルローンが壊されたと聞いた彼女は驚き、報告会に参加しようとしたのだが、彼女が出席しても理解できないと、フェルナーが優しくだが直接的に説得した。
ファーレンハイトにかみ砕いて報告してもらったほうが、分かりやすいこと。また、彼女が席に着いていると、分かりやすく説明を入れなくてはならないので、報告会の時間が倍以上になりかねないと言われて、
―― 作戦だけではなく、報告会の時も大人しくしているべき、それが軍事を知らない上級大将にできる唯一のことでしょうね
時間の無駄遣いを避けるために、彼女は出席しないことにし、フェルナーを伴い予定通りに博物館へと出かけた。
―― よく分かりませんけれど、一体何処に、抜け道に繋がる部分があるのかしら?
博物館の裏側観覧を希望し、館長やら事務局長やらが、ぞろぞろと付き従い説明してくる。それらの説明を聞きながら、どこが新無憂宮まで繋がっている地下道の入り口なのだろうかと、注意深くあたりを観察していた。
「なにか気になるところでもありましたか? ジークリンデさま」
ちなみに当初は、新無憂宮側の入り口を捜そうとしたのだが「皇帝の像」としか覚えていないため、捜しようがなかった。なにせ新無憂宮には、皇帝の像が無数に存在する。
精々推察できたのは「ルドルフ像の下には作らないだろう」だけ。
だが、もっとも数の多いルドルフ像を除外したところで、三桁の像が六十六平方㎞の敷地内に建てられている。それを一つ一つ捜すのは無理。
「いいえ。裏側が珍しくて、ついつい。不作法だったわね、フェルナー」
彼女も最初の頃は捜したのだが ―― エーリッヒ一世の像の台座をさりげなく押してみようと、体を預けるようにして力を込めていたところ、護衛のファーレンハイトに体調不良を疑われてしまう始末。
隠し通路があるかもしれないから、押しているとも言えなかった彼女は「目眩よ」と、体調不良に乗ったのだが「そうですか。ですが像に寄りかかるのは、極力止めたほうが宜しいかと。男爵夫人でしたら、大帝の像以外に寄りかかっても罰せられることはありませんが、間違って大帝の像に寄りかかろうものならば」気をつけるようにと注意されてしまった。
ルドルフの像には細心の注意を払っていたが、彼女はこの時、初めて大帝の像以外にも不敬が適応されることを知り ―― ファーレンハイトに”押してみて”とは言えなくなり、以降、新無憂宮の像側から地下に繋がる通路を捜すのを諦めた。
「そんなことはございませんが」
フェルナーは彼女が収蔵品ではなく、建物自体に興味を持っていることにすぐに気付き、耳打ちしながら尋ねる。
―― フェルナー鋭いわー。でも気になるのよね
相変わらずの鋭さに感心しつつも、存在しない扉を探し続ける。
彼女が捜している原作に書かれていた地下通路への入り口は、帝国博物館ではなく帝国博物学協会に存在しているもの。
―― 第三倉庫入り口近くの扉が怪しい気がします
彼女は見当違いの場所を捜している ―― だが彼女の予感は当たっていた。
新無憂宮と繋がる地下通路は一つではなく、この帝国博物館にも確かに存在しており、後々この通路が使われ、大惨事が起こるのだが、誰も知る術はない。
**********
帝国博物館の見学を終えた彼女は自宅へ。
「まだ時間はありますね」
「充分にありますよ」
予定が合ったので、やっとロイエンタールからあの日の事情を聞く機会を得ることができ、本日の午後、彼が訪問することになっていた。
当初は彼女がロイエンタールの自宅を訪問する予定だったのだが、地球教を裏切った形になっている彼は、上層部と話が付いているなど知らない、末端の地球教徒の残党に狙われていることもあり、彼の家へと行くのは危険だとして、彼女の邸に招くことになった。
昼食を取り終えた彼女は、来客を迎えるために着替える。
ロイエンタールに聞く内容は、リヒテンラーデ公の死についてなど、陰鬱な話題なので、明るい色合いや、肌の露出が多いドレスは避け、光沢のない銀色のロングスリーブでハイカラーのバッスルスタイルのドレスに、三連の真珠のネックレス、髪型は出かけた時と同じだが、装飾品をネックレスと同じく真珠に替えた。
「フェルナー。エッシェンバッハ公に、戦勝のお祝いを届けるように。キルヒアイス、ミュラー両名にローエングラム公爵夫人の名で祝電を。両名が帰還した際には、花が届くように手配を。キルヒアイスには青いアルストロメリアを、ミュラーには……ローダンセをメインに」
花言葉をも吟味して贈るのは当然なのだが、あのような状況になったミュラーに対して、どのような意味を持つ花を贈るべきか? 彼女は昼食中ずっと悩み、
「畏まりました。花を贈る際には公爵夫人? それとも大公妃で?」
フェルナーと話している最中も悩み、ぎりぎりでローダンセに決めた。
「ジークリンデで贈って」
「はい」
ローダンセには『終わりない友情』や『永遠の愛』また『飛翔』などの意味がある。
彼女は準備を終え、応接室で刺繍をしながらロイエンタールの到着を待った。
「……」
これから自分の大伯父の首が切られていた理由を、切ったとおぼしき本人から聞くことになる状況に、彼女は逃げたい気持ちになっていた。
もちろん真実は知りたい、聞きたいと希望したのは彼女自身だが、同時に逃げ出したい気持ちもわき上がってくる。
真実は知らなければ知らなくてもいいのでは? 一針ごとに感情が揺れて、どうしても感情が落ち着かなかった。
「ジークリンデさま。ロイエンタール閣下がご到着なさいました」
「……そう。通して」
彼女は籐の籠に揺れる気持ちが表れている刺繍を放り込み、到着を告げにやってきた侍女に下げるよう命じた。
―― ろくに試験勉強をしないで、試験に臨むような、まったく違うような……
ロイエンタールがやってくるまでの間、彼女はこの緊張をどう言い表すべきかと悩み、そして諦めた。
ロイエンタールは、贈り物用に包まれた鉢植えのレシュノルティア・バローバを持ってやってきた。
差し出された彼女は手を伸ばしたものの、
―― レシュノルティア・バローバの花言葉は、淡い初恋ですよ。……これは、今まで私にレシュノルティア・バローバこと、初恋草を贈ってきた、他の男性たちと同じく、私が初恋の相手だと思って宜しいのですか? ロイエンタールさん
花言葉が気になり、微妙な気持ちになった。
その微妙さは、夫がいる身でありながら深紅の薔薇の花束を渡されていた時よりも、複雑なもの。
「ありがとうございます。ところで、ロイエンタール卿。この花はご自分で選ばれたのですか?」
鉢を受け取った彼女は、目の前の美丈夫に尋ねる。
「もちろん」
「この花の意味はご存じで?」
「ああ。初恋の相手に会いに来るのに、相応しい花であろう?」
「……」
彼女は以前、ロイエンタールと二人きりで話した際「妻になったらいつ好きになったかを教えてやる」と言われていたことを思い出し、
―― 普通初恋って、十歳前後ですよね。遅くても十代半ば……人によっては、二十過ぎてということもありますが……もしかして、四つの私ですか? 十三歳で四歳の私とか……
自らの自意識過剰であって欲しいと願いつつ、彼女は斜め後ろにいるフェルナーに鉢を渡し、ソファーに腰を下ろしてロイエンタールにテーブルを挟んだ向かい側のソファーに座るよう勧めた。
彼女の指示に従いロイエンタールがソファーに腰を下ろす。
そのタイミングを見計らって、侍女たちが飲み物を運んできた。
「410年ものの赤ワイン、446年ものの白ワイン、どちらでもお好きなのを。給仕はフェルナーにさせます」
ロイエンタールの為に酒を用意したのだが、
「お前の淹れた紅茶が飲みたい」
当のロイエンタールは、彼女が淹れた紅茶を希望した。
「お酒ではなくて、よろしいの?」
「ああ。410年ものの赤ワインも、446年ものの白ワインも手に入るが、お前が淹れる紅茶は、手に入るものではないからな……嫌か?」
紅茶が飲みたいと言われた彼女は、
「嫌ではありませんが、それならば前もって言って下さい。茶器も茶葉も吟味して用意しておきましたのに」
彼女は必死に、酒好きな三十代の男性が好む紅茶の銘柄の記憶を手繰るものの、部屋に護衛として残っているフェルナーと、報告会に出席しているファーレンハイトくらいしか知らないので、果たしてサンプルになるのかどうか? 彼女の悩みは解消されなかった。
「お前が淹れてくれるのならば、なんでも」
「適当なものをお出しするくらいならば、淹れません」
「それは……」
話は早く聞きたいが、適当なものを出すわけにもいかない ―― 先日届いたばかりの、オラニエンブルク大公妃の紋章が入った茶器に、無難にダージリンのファーストフラッシュの茶葉を選んだ。
「お口に合うかどうか」
白いカップで、中央にオレンジの葉と実が金で描かれている、持ち手の優美さが特徴的なカップをロイエンタールの前に置き、彼女は自分の分をもテーブルに置き、腰を下ろす。
カップを持ったロイエンタールが、目線よりやや高めに掲げてから口へと運ぶ。
「お口に合いました?」
「ああ、期待以上だ。神が祝福を与えた存在が淹れる茶は、他とは比べものにならんな」
「私は人と比べられるのは、好きではありません」
「そうか。気分を害して悪かったな」
ロイエンタールはカップをソーサーに戻し、リヒテンラーデ公の首を落としたところから語り始めた。
むろん彼女が目的であったことは隠すので、真実を全て語るわけではないが ――
「奴らは帝国を混乱させるのが目的。帝国宰相の生死を不明にすべく、軍法会議所を爆破するつもりだった。そこで俺は、死亡を周知すべく首を落とした。もちろん、死亡後に」
死体を運び出す時間も余裕もなかったことは彼女も分かるが、どうしても首を落としたと聞かされると陰鬱で、飲んでいた紅茶の味も何かおかしなものに感じられてしまう。
「そうでしたか。大伯父上に呼び出された私も、殺される筈だったのでしょうか?」
「帝国宰相がなぜお前を呼びだしたのかは分からん。帝国宰相には何か考えがあったのだろうが、それを確かめる術はない」
ロイエンタールは、紅茶を飲み干す。
「そうですね。ところでロイエンタール」
「オスカーと呼んでくれないか、ジークリンデ」
―― オスカーですか……公式の場ではロイエンタールと呼ぶわけですから、まあいいでしょう
「……分かりました、今だけそのように呼ばせてもらいます。オスカー、さきほど貴方は地球教徒が暴走したと言いましたが、なぜ暴走と考えたのですか?」
「俺は当初の計画を知っていたからだ」
「どうやって、計画を知り得たのですか?」
「俺が地球教の幹部だったからだ」
地球教の幹部だったと、彼自身の口から聞かされた彼女は驚き、落としそうになったカップを、急いでソーサーへと戻すも、動揺が隠せず大きな音を立ててしまった。
「……失礼」
その非礼を詫びてから、彼女はロイエンタールを凝視する。
「俺が地球教徒になったのは、内部を探るためだ。人生に悩んでのことではない」
彼女の視線が”そんなにも人生、悩んでおられたのですか”と物語っていたので、ロイエンタールはすぐに否定する。
「内部を探る……ですか?」
ロイエンタールが地球教の存在に気付いたのは、皇太子の死後。
彼は伯父の手回しにより、典礼省の官吏として皇太子の葬儀に携わることになり、その際遺体を清める役を任せられのだが、
「皇太子が死を賜ったのは、一目で分かった」
「そうですか」
死んだ皇太子を彼女は見ることはなかったので、どのような状態だったのか? 苦悶の表情でも浮かべていたのだろうかと ―― 日々思っているわけではないが、ふとした時に思い出すことはあった。
「安心しろ。皇太子は晴れやかな表情だった」
―― 大伯父上と同じことを……
「そうですか……ありがとうございます。続きをお願いします」
ロイエンタールは当時高級官吏の中では、若輩者であり家柄は代々続いているが、当人は新参者であり、下級貴族の血を引いている……など、色々言われて彼は皇太子の足下を担当することになった。
ロイエンタールはどの部位であろうが構いはしなかった。あまり面白くない仕事ではあるが、完璧に執り行った ―― そこで、皇太子の足首に入れ墨の跡を発見した。
「入れ墨ですか?」
「お前は知らぬようだが、地球教徒は信者の証として入れ墨を彫る」
「……知りませんでした」
「人目に付かぬ箇所を選び、入隊など身体検査される場合は一時的に消すこともある」
「それは知りませんでした。……でも、跡ですか?」
「そうだ。俺は専門家ではないが、あれは死後に焼いたものだろう」
リヒテンラーデ公が例え墓を暴かれたとしても皇太子の名誉が守られるよう、サイオキシン麻薬の温床とも言える地球教と繋がっている証拠を焼き消していた。
「一目で地球教徒と分かる入れ墨なのですか?」
「俺が確認したのはTerraisとhome」
地球教徒の謳い文句とも言える「地球は我が故郷、地球を我が手に」が刻み込まれていた。この皇太子の足首の入れ墨と焼いた跡だけでは、ロイエンタールもおかしいとは思わなかった。
なにかにかぶれて、入れ墨を掘ってしまい、皇族としては恥ずべきことなので抹消されたのだろうと。だが、それに続き、とある出来事が起こった。
「リッテンハイム侯爵夫人、元皇女クリスティーネが埋葬方法に口を出してきた」
クリスティーネはやたらと皇太子の葬儀に注文をつけ、歴代とは違う儀式をするようにと押しつけてきた。
息子の死にすら無関心なフリードリヒ四世。
同じ元皇女だが葬儀には一切口を挟まない、ブラウンシュヴァイク公爵夫人。
一人歴代と違う方法を唱えるリッテンハイム侯爵夫人。
沈黙を貫く帝国宰相 ―― 当時の国務尚書。
そして皇太子の足首に残された文字。
「埋葬方法とは、もしかして棺に収めず、大地に還せと?」
皇族の遺体は防腐処置が施され、密封状態の棺に様々な財宝と共に眠らせ、霊廟に収められる。
それを誰よりも知っているはずの元皇女が、違う方法で埋葬しろと詰め寄ってくるのだから、奇異に感じるなと言うほうが無理な話。
「そうだ」
クリスティーネの意見は当然通らず、リヒテンラーデ公の指揮の下執り行われることになったのだが ―― この時、クリスティーネからロイエンタールに接触があった。
「ご遺体を盗み出せとでも命じられましたか?」
「近い。遺髪を持って来いと言われた。当時の俺は典礼省の新参者で、伯爵家は破産寸前だったことを知っていたので、もっとも言うことを聞かせやすいと考えたのだろうな」
「どうしたのですか?」
「持って行ってやった」
葬儀終了後、ロイエンタールはリヒテンラーデ公に皇太子の足首の火傷について尋ねたが、針のような眼差しを向けられただけで答えはもらえなかった。
だがロイエンタールはそんなことで萎縮するような男ではない。
残されていたTerraisとhomeの単語と、棺に収めずに大地に還すという埋葬方法を取る宗教を探し当てる。
彼がこんなにも簡単にたどり着けたのは、ロイエンタール家がフェザーン人相手にも商売をしていたのが大きかった。
そこで判明した地球教 ―― 皇太子が宗教にかぶれていたのかと、彼は半ば呆れ、次の皇帝が政におかしなものを持ち込むのを嫌った、リヒテンラーデ公あたりが即位前に処分したのだろうと判断を下す。
通常であればここで調査は終わるのだが、彼は実業家でもあった。
「教団の資金繰りが、どうにも気になってな」
そしてロイエンタールは地球教との資金源に、サイオキシン麻薬の販売が含まれていることを知り、そこから更に調査を進めてリッテンハイム侯爵に近づくことになる。
「そうでしたか。ところでオスカー」
「なんだ?」
「あなたも地球教徒の入れ墨を?」
「いいや、俺は内部を探るために潜り込んだだけだ。地球教の奴らには”帝国中枢を探る”と言ってな。だから入れ墨で目立つわけにはいかないと説得した。もちろん、献金も多めにな。あいつらは、献金が高額ならば、入れ墨など彫らずとも文句は言わん」
―― さすがフェザ……じゃなくて、宗教……