黒絹の皇妃   作:朱緒

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第180話

 シルヴァーベルヒの工部庁長官就任だが、任せて安心だとは分かってはいるものの、全て当人に任せては、自分の影響力が及ばなくなると考え、各尚書相手の根回しは彼女がすることにした。

 ラインハルトとロイエンタールをシルヴァーベルヒの実績で納得させ、他はいつも通りパーティー会場で、扇子で口元を隠して微笑みながら。

 その手際は鮮やかの一言に尽きる。

 帝国で新たな利権を得られる部署を作る際、貴族間の根回しや調整がもっとも厄介。そこを彼女は、なんなくやってのけた ―― 幼少期からリヒテンラーデ公に連れ回されていれば、当人が意識していなくとも、かなりの経験を積んでいるもの。

 そのスキルと、持って生まれた美貌を使えば、大体のことはかたがつく。

 こうして工部庁長官就任を確実としたシルヴァーベルヒは、彼女の期待に添うべく、勢力的に動き ―― 新庁としては異例の速さで工部庁が設立された。

 

 同時期に設立が決まった民政庁だが、庁の性質上、門閥貴族の真っ向から喧嘩を売っている上に、それを指示しているのが門閥貴族と相容れぬラインハルトで、さらに長官予定がフォンの称号を外して云々のカール・ブラッケでは、工部庁ほど簡単にはいかず。

 だがそれでも、少し遅れて開庁の運びとなった。

 

 工部庁長官となったシルヴァーベルヒは、各省の尚書や事務官たちを集めて、彼女の意を受けた帝国システムの再建案をプレゼンテーションする。

 普段は会議には出席しない彼女だが、こればかりは自分が提案したことなので、眠気と戦う覚悟で会議に臨んだ。

 

―― 会議、出席したくなかったわー。だって、意味分からないんですもの

 

 費用がどの程度掛かるのかくらいは分かったが、他のことは彼女にとっては、ほとんど意味不明。

 そして才能は本物ゆえに、シルヴァーベルヒのプレゼンテーションは、会議に参加した者たちをほぼ納得させた。

 唯一納得しなかったのは彼女。

 

「シルヴァーベルヒ」

「なんでございましょう、大公妃殿下」

「この帝国再建案は、辺境が併合されても、なんら支障はないのかしら?」

 

 説明を聞いた彼女は、この再建案が現帝国国内だけで終わっているような気がした。

 近いうちにラインハルトが統一するのだから、それを組み込んだ再建案にしたほうが良いだろうと。

 

―― 間違ったことを聞いても、何も知らない女性だからで通りますしね

 

 もちろん自分だけが、聞いたものの理解していなかっただけとも考えたが、満足に学校も出ていない身だということは、この場にいる全員が知っているのだからと、気楽にシルヴァーベルヒに聞いてみた。

 

「辺境が組み込まれても、問題はありませぬが」

 

 シルヴァーベルヒの答えに彼女は頭を振り、その辺境ではないと。そして迂遠に言っても始まらないと、帝国では認められていないが、通りの良い名称を使って聞き直す。

 

「辺境というのは止めましょう。自由惑星同盟が所持している領地のことです。あれを併合しても、大丈夫なのですか?」

 

 シルヴァーベルヒは、もちろん銀河帝国領内でしか考えていなかったので、彼女の唐突な質問を前にして答えに詰まる。

 無類に有能なのだから、先ほどまで見せていた自信満々の表情で、さらりと答えてくれるとばかり思っていた彼女は、場の空気が冷たくなったことに気付き ―― 助け船のつもりで、ラインハルトにその意思があることを確認した。

 

「エッシェンバッハ公」

「なんだろう? オラニエンブルク大公妃」

「あと数年のうちに、自由惑星同盟を征服なさいますね?」

「あなたに誓おう。必ずや征服する」

 

 ざわつく議場を完全に無視し、彼女はシルヴァーベルヒに、二度手間にならぬよう再建案を手直しすることを命じた。

 会議は終わり、彼女は最初に議場を後にする。シルヴァーベルヒは資料の後片付けを部下に任せ、彼女を追った。

 

「大公妃殿下もお人が悪い」

「確かに私は、他の追随許さぬ悪人ですけれど。突然どうしました? シルヴァーベルヒ」

 

 声をかけられた彼女は立ち止まって振り返る。

 シルヴァーベルヒは後一歩で、彼女に手が届く位置に近づけたが、キスリングに制止される。

 もう少し近づいて話したかったシルヴァーベルヒだが、キスリングの制止を越えれば問答無用で殴り付けられると聞かされていたので、不満ながら立ち止まる。

 そして彼女に、同盟領込みで開発計画を立てるように教えて欲しかったと意見を述べた。

 言われた彼女は、小首を傾げて、何も知らぬような素振りで答える。

 

「私は当たり前のことを言っただけですよ。自由惑星同盟と名乗る叛徒を倒し、帝国の威信を宇宙の隅々まで行き渡らせる。私よりも十以上も年上のあなたなら、もっと刻み込まれているでしょう」

 

―― 本当に言い忘れただけと言いますか、言わなくてもあなたなら、そういう形で計画してくれるとばかり思っていたので

 

 彼女としては、仕事の話をしただけのつもりだったのだが、シルヴァーベルヒはこの受け答えで、俄然彼女に興味を持ち、軽く口説きにかかる。

 野心家の男は、女を口説くのにも自信があった。

 

「大公妃殿下は、意外と大胆なお方ですな」

 

 だが彼女は社交界で人妻だと分かっていながら言い寄る男を、これでもかと振り続けた女である。彼らの口説き文句は多種多様だが、目的は同じなので、主要な部分は当然同じ。

 

「大胆と言われたのは初めてよ。大胆な女は嫌いかしら?」

「いいえ。むしろ好みです」

 

 彼女は慣れた口調でシルヴァーベルヒを遠ざけて、

 

「ああ、それは残念ね。私は大胆さの欠片もない女ですから。では、シルヴァーベルヒ、頑張りなさい。行きますよ、キスリング」

 

 その場を立ち去った ――

 

「私の発言、そんなに大胆だったかしら」

 

 シルヴァーベルヒから離れてから、許可を取って議場に入っていたキスリングに、発言について、どう感じたかを聞いてみると、

 

「大胆と言えば、大胆でしたが」

「そうですか」

 

 申し訳なさそうにだが、そう言われ「大胆な発言だったのですね」と、やっと納得した。

 

「ところで、キスリング。あなたから見て、シルヴァーベルヒは私に興味がありそうですか? 地位や名誉ではなく、女としての私に」

 

 あのように受け答えはしたが、自意識過剰だったかと、第三者の視点を求める。

 

「あります」

 

―― そんな、間髪入れずに言わなくても……聞いておきながらですけれどもね

 

「そうですか。まあ、あの手のタイプが、好むようにあしらったので、しばらくは私に対して興味を持ち続けることでしょう。キスリングに迷惑をかけるかもしれませんが、許してね」

「許すなど……一つ伺っても宜しいでしょうか?」

「いいわよ」

「何故、好むように対応されたのですか?」

「シルヴァーベルヒが家臣だからですよ。あのタイプの男性は、おどおどした女を見下し、自信のある女を好みます。もちろん、あの場で私としては、おどおどしても良かったのですが、そうすると、家臣として扱えなくなります。女性の下で働くのを嫌う男かどうかは分かりませんが、少なくとも、自分の好みではない、自信なく自身を卑下し、ビクついているような女の言うことを聞くような男ではないでしょう。あの男を従わせるには、あの男以上に自信に満ち、大胆不敵でなければ……そうは言っても、私は根が小心者のお馬鹿さんなので、近いうちに鍍金が剥げて、言うことも聞いてもらえなくなるでしょう」

「は、はあ……」

「私としては、あの男に嫌われても困りはしませんし、工部庁長官としての地位も与えたので、あとは言うことを聞かなくても構いもしません。自分で好き勝手に、そして上手にやって行けばいいのです」

「部下でなくとも良いと?」

「ええ。あの男には帝国は任せられますが、私の身辺のことは任せるつもりはありません。要は私の側にいなくても、なんの問題もないということよ。キスリングはいつも私の側にいてくれなくては困るけれど」

 

 ”提督とフェルナーさんが言った通り、悪魔がいる。とびきりの悪魔がいる”

 

 はにかみつつキスリングだけに笑顔を向けて、そう言った。

 言われた方は、もちろん悪い気はせず。

 

「必ずやお守りいたしますので、どこまでもお供させてください」

「改めて言うのも恥ずかしいですけれど、信頼しているわよ、キスリング大佐」

 

 

 ちなみに彼女はシルヴァーベルヒは嫌いではない。

 だがシルヴァーベルヒ=テロで死亡という記憶がある以上、積極的に彼に近づきたくはなかった。

 記憶に引っ張られないように生きるつもりだが、危険回避はそれにはあたらない。

 下手にシルヴァーベルヒに近づいて、テロに巻き込まれて、キスリングたちに迷惑をかけるのは彼女の本意ではない。よって、帝国の発展のためには必要だが、できれば側にいて欲しくない ―― それが、彼女の本音である。

 

**********

 

 彼女は尚書の仕事だけではなく、皇族としての仕事もしていた。

 世間では、とても精力的に公務をこなされていると、大評判なのだが、実際のところ、それほどでもない。

 

―― 地球世紀の小市民的日本人なら、誰でもこの程度のことはしますー

 

 過去、本当に精力的に公務をこなしていた皇族と比べたら、ごくごく普通。

 

―― 比較対象が、フリードリヒ四世だからですよ

 

 だが現在帝国で比較されるのは、約三十年間、即位していていながら、なにもしなかったフリードリヒ四世。

 市井に知られていることといえば、人妻から少女まで際限なく手を出したり、酒浸り生活を送っていたことくらい。

 また、それほどの年でもないのに杖をついて歩き、年齢よりも老けて見える上に、生来の見た目もぱっとせず。体調不良という名の二日酔いで、公務を欠席すること数えきれず。

 帝室の権威を墜落させるのに、腐心していたのかと、疑われても仕方の無い有様 ―― その反動も少しはあったが、それを抜きにしても、彼女の評判は高かった。

 とにかく彼女は美しい。

 髪はしっかりとまとめている時もあれば、両サイドを結うだけで下ろしているときもある。

 けぶるような睫で、大きな瞳は透き通り、見つめられれば吸い込まれてしまうのではないかと錯覚させるほど。鼻筋がまっすぐ通り、鼻は高くもなく低くもなく、完璧な高さと角度。

 きりりと締まった口元。大人というよりは、少女らしさを感じさせる唇。

 微笑みはやや曖昧で、それが人々に切なさや儚さ、あるいは庇護心をあおり、騎士たらんとさせる。

 そんな神聖不可侵を具現化した容姿に加えて、怠惰さなどとは無縁で、上品な立ち居振る舞い。二日酔いで公務を休むこともなければ、事前にしっかりと訪問先のことを調べ、学んでくる勤勉さ。 

 洋服も派手ではなく、誰が見ても仕立ては品が良い。上品で軽やかな色合いのローブ・モンタントに、同色の帽子。

 身につけているもの一つ一つが高価であることを、見た者が納得するその風情。

 

 世間的には、限りなく暗君に近い凡君だったフリードリヒ四世が帝国にもたらしたゴールデンバウム王朝に対する不信を、一掃するほどのものであった。

 

**********

 

―― 微笑みはやや曖昧で、それが人々に切なさや儚さ、あるいは庇護心をあおり立てる ―― 

 

「いつ頃から、普通に微笑めば良いと思います?」

 

 そんな臣民を魅了している微笑みなのだが、彼女としてはある種の保険でしかなかった。

 彼女は一族を失って、まだ一年も経っていない。この状況で、普通に微笑んでいては、臣民が「こいつには、感情がないのか」と不気味がるのではないか、また、親族を失ったことを少しは嘆いている姿を見せたほうが、親近感が沸くのではないかと考えて、なんとなく曖昧にしていた。

 

 無論彼女も、いまだに悲しいが、貴族の姫君として躾けられた微笑みを浮かべるのは、それとは別。

 命じられればすぐにでも、朝露を乗せた白い薔薇のつぼみが綻びるような ―― と称される微笑みを作ることはできる。

 

「今のままで宜しいかと」

 

 聞かれたオーベルシュタインは、充分だと返事をするに留めた。

 

「こんな曖昧な感じでいいのですか?」

「皇族と臣民との距離は、この位が丁度良いと思われます」

 

 だだでさえ人目を引くのに、これに可憐さが加わると、警備が大変になり、逮捕者が増えるのでお止めくださいと ―― 

 

「そうですか。あなたが、そう言うのなら、そうなのでしょう。オーベルシュタイン」

「意見を聞き入れてくださり、誠にありがとうございます」

 

 そうは言わずに、黙って頭を下げた。

 

**********

 

 その日彼女は、満面の笑みでレアチーズケーキを頬張っていた。

 

「お食事が終わって、一時間くらい経過してからにしてください」

 

 その彼女を遠巻きに、フェルナーとファーレンハイトが、どうしたものかと、互いに視線を合わせずに低い声で話している。

 

「分かった……なんなら、代わりにお前が言ってくれてもいいんだぞ、フェルナー」

「嫌です。しっかりとお伝えしてくださいよ、ファーレンハイト元帥閣下」

 

 レアチーズケーキを食べ終え、入浴しゆったりとした時間を過ごし ―― 一時間どころか三時間以上過ぎても、まだ彼女は聞かされていなかった。

 マニキュアを塗り直し、引きずるほど長いシフォンのネグリジェを着て、大判のレースケープを羽織って、天蓋を下ろしたベッドで、弦楽四重奏に耳を傾けていた。

 むろん四重奏は彼女が所持している楽団の団員で生演奏。すでに第三楽章を過ぎており、彼女は曲を聴きながら、ハーブティーを飲んでいた。

 曲が終わり、奏者が礼をすると、曲に満足した場合、彼女が手を拍つ。すると天蓋が少しだけ開き、彼女の手元が彼らに見える。

 拍手はすぐに終わり、彼女は枕元に置いていた扇子を手に取り、開いてから手のひらに打ち付けるようにして閉じ、下がるよう指示を出す。

 

 こうして静けさが訪れたところで、

 

「ジークリンデさま」

 

 何時間も前に帰宅したというのに、マントも外さず待機していたファーレンハイトが、ベッドに近寄り、膝をついて頭を垂れて話し始めた。

 

「なに? ファーレンハイト」

「軍におけるジークリンデさまの階級のことでお話が」

「昇進についてですね」

 

―― 大将は避けられませんか……仕方ありませんよね

 

「はい」

 

 彼女はベッドの縁に近づき、自らの手で天蓋を上げて、姿を現す。

 水をトレイに乗せたフェルナーが近づき、天蓋を手際よく上げる。

 

「あなたに一任したではありませんか」

 

 乗せていた足を下ろして、ベッドに腰をかける体勢となり、彼女は見下ろすような形で聞き返す。

 

「確かに一任されましたが、少々変更点がありまして、それについて確認させていただきたいことが」

 

―― 変更点……階級が下がることは、残念ながらないのよね。ということは……

 

「正式に帝国の後継者になったのだから、大将ではなく上級大将の座に就けと?」

 

 軍がなんなのかも分からないまま、上級大将になるのですかと、彼女は諦めがちに言ったのだが、

 

「……」

 

 ファーレンハイトは頭を下げ無言のまま。姿勢も微動だにせず。天蓋を開けたフェルナーを見ると、彼女から視線を逸らしており、同じく室内にいるキスリングも完全に違う方を向いている始末。

 階級が下がることはない。大将であれば委任されていたファーレンハイトが処理した。だが上級大将でもない。

 となれば、残る階級はただ一つ。

 

「ファーレンハイト、こちらに来なさい。そして膝をつきなさい」

 

 すでにファーレンハイトはその体勢を取っているが、それに誰も触れることはなく、言われたほうは更に頭を下げる。

 

「はい、仰せのままに」

 

 彼女とは正反対の、淡い色彩の頭髪を見下ろしながら、やや強い口調で問いかけた。

 

「もしかして、元帥ですか? 元帥なのですか? 私が元帥なのですか?」

「はい、そのもしかしてでございます」

 

 頭を上げるよう言われていないので、そのままの体勢だが、強い口調で言い切った。

 

「……」

 

 あまりにもしっかりと言われてしまい、彼女は思わず閉口してしまう。

 

「ジークリンデさまが元帥の地位につくことに対し、反対している者はおりません」

 

―― 誰か反対しなさいよ!

 

 現在、帝国軍において全権を所持しているのは、言わずと知れた皇帝カザリン・ケートヘン。三輪車がお気に入りのごくごく普通の幼児だが、銀河帝国軍大元帥の地位に就いている。

 

「出兵に際しての御前会議などを考えますと、陛下よりもジークリンデさまのほうが、話が通じますので。後継者として大元帥代理を務めるにあたり、元帥位をとの運びに」

 

 建前上、出兵の前には御前会議が開かれるのだが、三長官がカザリンの前で、作戦について語るなど、茶番にすらなりはしない。

 親権代理者のペクニッツ公爵もいるが、彼はあくまでも代理者で後継者ではない。本来であれば、後継者と代理者の権限は代理者のほうが強いが、それは必ずではない。

 現帝国においては、後継者が皇帝を追い落とす権力がある ―― 所持している当人に、まったくそんな気がないので、上手く回っているのだが。

 なによりペクニッツ公爵が代わりに会議に出て、三長官相手に何が言えるのか? 反対だった場合、出兵を止めることができるのか?

 彼には到底無理。それは彼自身が誰よりもよく知っていた。

 では対する彼女はどうか? ―― 彼女の現在の地位が、全ての答えである。

 

 皇帝が老齢であったり、病弱であった場合、後継者が代理を務めるのはよくあること。

 

 なにより、まともな神経を持った者ならば、出兵に関する御前会議の際「かじゃりん・けとへん。いっちゃい。だいげんちゅい」の皇帝よりも「ジークリンデ。二十一歳。大元帥代理」たる後継者を相手に選ぶ。

 

 説明を聞けば ―― 本当は聞かなくても、彼女も分かってはいた。

 

「元帥なんて嫌です……」

 

 そして嫌だと言っても無駄なことは分かっているが、心ゆくまでベッドで足をばたつかせて、全身で拒否することにした。

 

 


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