皇位継承者になっても良いと彼女が発言したことを受け、早急に手続きが執り行われることになった。
「逃げませんから、もう少しゆっくりと。帝国の未来に関することなのですから慎重に……」
彼女はこぼすものの、周囲は勢いがついてしまい、尚書に就任するよりも前に、皇位継承者の地位を授かる運びになってしまった。
ちなみに彼女は「次の皇帝を継ぐ座」に収まるのだが、称号は皇太子ではなく「皇位継承者」。
立ち位置は皇太子とほぼ同じだが、皇太子はあくまでも皇帝の子に用いられる称号であり、現皇帝と直接血のつながっていない彼女は、この呼び名が用いられることとなった。
―― ハプスブルクのエスターライヒ=エステ大公も、皇太子ではなく皇位継承者と呼ばれていたと、なにかで読んだ覚えが。……サラエボ事件の切っ掛けになった人ですから、あまり縁起は良くないような……
テロリストの凶弾に倒れたハプスブルクの皇位継承者のことを思い出し、あまり縁起の良くない称号ですね……などと呟いていると、彼女がいる部屋に待ち人が訪れた。
「お待ちしておりました、ラインハルトさま」
訪問者は夫 ―― 相変わらず変わった夫婦関係が続いている二人。それは更に複雑になった。
今までであれば、彼女は「まだ夫婦ですから」と、ラインハルトを出迎えに玄関へと向かったのだが、皇族昇格が内定した現時点では、簡単に妻として夫を出迎える訳にもいかなかった。
「待たせてすまなかった、ジークリンデ」
明日には皇位継承者となる彼女だが、この地位になっても、彼女一人で全てを決めることはできない。彼女がその地位に就くためには、夫と後見人の同意が必要。
後見人のファーレンハイトは、彼女の意思が「皇位継承者の地位を受けます」と分かると、なんの異論も挟まず、各人に同意を伝えた。
夫はというと、妻が皇位継承者の第一候補に挙がっていると聞かされ、当たり前のことだが随分と驚いた。
その後、彼女が尚書就任の時とは違い抵抗を見せず、すんなりと引き受けたことを聞かされ、ラインハルトは一応同意したのだが、不思議に思いそのことを率直に質問した。
「あなたが皇位継承者になることを、否定しているのではない。純粋な疑問なのだ」
―― そんなこと、聞かれるとは思ってませんでした……
まさか「尚書はなった瞬間から責任を負いますが、皇位に関しては、即位しようとも、あなたが早々に簒奪してくれるので、気楽なんです」などと言えないので、言動に矛盾がないよう注意を払いラインハルトを納得させるべく彼女は言葉を選ぶ。
「不思議に思われましたか」
「ああ」
「では私も、率直にお答えいたしましょう。私は生まれながらの門閥貴族にございます」
「……」
「そしてゴールデンバウム王朝の血をも引いております。王朝の血を引いて生まれた以上、政争は避けては通れぬ道。幼いころから教育されておりましたゆえ、ある程度の覚悟はできておりました。尚書は王朝の血は関係ないので、覚悟がありませんでした。その違いです」
彼女は特にこれといった教育はされてはいないのだが、
―― 一族郎党、死に絶えるは、オーディン追放になるわで、知っている人はほとんどいなくなってしまいましたから、嘘ついても分からないわよね……そこにいるファーレンハイトやフェルナー以外は
嫁ぐ前、幼い頃の彼女のことを知っている人物は、ほぼ存在しないので、嘘をつくことにした。
ラインハルトは彼女の嘘を、一切疑わず信じた。彼女の出自と人生は、ラインハルトを簡単に信用させるだけの実績があった。
それは同時に彼女を知る全ての者を納得させるものであった。
最早それは嘘ではなく ―― 当人にとっては嘘なのだが、世間でそれは真実とされてしまうほどのもの。
彼女の覚悟が決まっているのならばと、ラインハルトは明日、同意書にサインをすることを確約する。
「それで、あなたからの話とは?」
「私が皇族となることで、夫であるあなたもゴールデンバウム王家の一員になりますが……宜しいのですか?」
打ち倒すことを誓った王朝の一員になるのは、ラインハルトには苦痛なのではないか? 原作では外孫のどちらかと結婚して……と考えているような素振りはあったが、実際にその立場になった時、どう感じるのか?
「それは……気にしないで欲しい」
「気にしないというのは?」
「遠からず、あなたは自由になる。信じて欲しい」
―― ラインハルトさん、それ、帝国臣民としてアウトです。いや、ファーレンハイトもフェルナーも、簒奪の意思があること分かっているから良いんですけれど……でも、アウトです
ラインハルトの簒奪をほのめかす発言に、彼女は表情を変えはしなかった、もう少し胸のうちにしまっておいて欲しいなと思っても仕方のないこと。
「いまのお言葉、理解できなかったことにしておきます。あとは、皇族となる私と婚姻関係にあることで、色々と言われることもあるでしょうが……」
「大丈夫だ、安心してくれ。私は門閥貴族からの侮蔑は慣れている」
―― そこ、自信満々に言う所じゃないです、ラインハルトさん。私も、何度か見かけましたけれど……我慢したんでしょうねえ
「それは……申し訳ございません」
「いや、あなたはまったく関係ない。あなたは最初から」
身を乗り出し手を握り「あなたは違う」とラインハルトは言いたかったのだが、
「エッシェンバッハ公、お時間です」
フェルナーが次の来客があるのでと、ラインハルトに帰るよう促した。
別に手を握るのを阻害したかったのではなく、本当にこれから、来客があるのだ。
「そうか。では、明日会場で」
ラインハルトが立ち上がり、彼女も”同じ体勢で疲れました”と立ち上がる。
「?…… あ、ラインハルト……」
気付くとラインハルトに抱きしめられていた。彼女はどうしたものかとは思ったが、自分に協力してくれると言っている相手に素気ない態度を取るのは……と、腕をラインハルトの背中へと回す。
「少しの間、耐えてくれ。きっと……」
触れあっている体を通して伝わってくる、ラインハルトの決意に一人焦る。
―― ラインハルト、それ以上は、銀河帝国臣民としてマズイです。それ以上言っては! やめてー。キルヒアイスが生きているのですから、まだ彼とだけ語り合って!
その後、ラインハルトは名残惜しそうに体を離し、彼女に別れを告げて邸を去っていった。
つぎの客は宮内省の次官。
彼女が明日、式の際に身につける宝飾品を運んできた。
恭しく掲げられた宝石箱。彼女はそれを開けるようフェルナーに指示を出す。フェルナーは深みのあるロイヤルブルーの宝石箱を受け取り蓋を開き、彼女の前に差し出した。
―― 皇后ジークリンデのティアラセットだとは聞いていましたが……
収められていたのは、皇后ジークリンデが身につけたティアラとネックレスとイヤリング。
「たしかに受け取りました」
役目を果たした次官は早々に邸を後にする。
彼女は約百五十年前に作られた、百を超えるブリリアンカットのダイヤモンドが並ぶ、フリンジティアラを手に取り、
「ではこれらを身につけて、最終の衣装合わせをしてみましょうか」
ドレスや綬、勲章などが保管されている部屋へと向かった。
皇位継承者の地位を受けるにあたり、式典が執り行われる。
銀河帝国は女性の皇位継承者が立ったことはないので、尚書の時と同じく、衣装については彼女主導で決められた。
だが尚書とは違い「皇族」となるので、宮内省から「皇族縁の装飾品を身につける」ことを求められたので、身につけて欲しい品を持ってくるよう指示を出していた。
「色や形が違うローブデコルテを、何着も仕立てておいて良かったわ」
「そうですね」
念のためにと、公式行事用にローブデコルテを何着も仕立てるも、彼女が成長し、袖を通さぬまま廃棄を繰り返していたのだが、それがここに来てやっと役に立った。
今回着用するのは胸元は大きく開き、襟のようなドレープがついているデザインのもの。
色はやや銀色味を帯びた白で、ティアラとの相性も良かった。
「どこかおかしいところ、ある?」
鏡の前で自分の姿を確認した彼女は、他者の目にはどう映るか? フェルナーとファーレンハイトに尋ねる。
「お似合いです……だけでは、つまらないんですよね、ジークリンデさま」
「つまらない訳ではありませんよ、フェルナー」
「でも実際、お似合いとしか」
明日の準備終えて、また着替え、宝飾品を地下の金庫に保管させ、彼女は一人になりたいと告げ ―― 窓側を向いた椅子が一つだけ置かれている部屋で、眺めるわけでもなく、ただ視線を外へと向け、これからのことを考えた。
彼女が知っている未来とは、大きくかけ離れてしまった現状。
―― 自分が皇族になるなんて、考えたこともなかったわ……この時期のゴールデンバウム王朝の皇族になんて、なりたいものではありませんから。……私が知っている未来だったら、ですけれど。まったく未来が分かりません
「……ふふ……」
未来が分からないと思い悩みため息をついてから、未来は分からないものだったと思い出し、彼女は笑いがこみ上げてきた。
―― もうこれは、知っている未来を捨ててしまいましょう! 私はただの貴族の娘! その事実を受け入れて、私の偏見を取り去って……
まず第一に、ラインハルトの簒奪が成功するとも限らない。二十五歳で死ぬのも同様。簒奪に協力する必要もなければ、先回りして治療方法を探す必要もなし。ラインハルトのことは、ラインハルトに任せましょう。
ラインハルトとの離婚も、この際、考えない。
皇帝になるかどうかも分かりませんし、私が皇子を産むかどうかも不明。なすがままが、一番自然よね。
第二に、カザリンは、帝位に就いたまま。ゴールデンバウム王朝も続くと考える。
皇帝の座は孤独だ云々とかいう、物語じみた考えは止め。カザリンの性に合っている地位かもしれません。退位や存続に関して、ただの家臣でしかない私が考えても仕方ない。
もちろん大人としてできる限りのことはしますが、こうなったらカザリンにはゴールデンバウム王朝で、即位年数最長を目指してもらいましょう。
第三にヤン。
……まあ、どうでもいいか。
私の知ったことではありませんしね、この人。
未来を知っていると、絡みたくなりますけれど、一門閥貴族の子女としては、無視が妥当。でも……やっぱり殺しましょう! 私は皇族として生きて行くのですから、この生活を脅かす可能性がある男を排除するのは正当な権利! 正当な権利などではないことは、分かっていますが、あえて正当だと言い張る。
悩まない、悩まない、さっくり行くわ!
あとは……うん! 未来なんて気にしない。好き勝手に生きていけるお金と、地位と、部下が揃っているのですから。
殺される覚悟は……ちょっとだけ、しておきましょう。
あとは……私は容姿が武器だから、それが衰え始めたら、やっぱり自殺するしかないわよね……あれ? もう衰えている?
未来のことなど知らない、楽観的に生きて行くのだと思うも ―― 最大の武器は期限があり、客観視するのが少々難しい。
なにせ彼女は自身の顔を「少しは整ってる」程度にしか認識していないのだから、判断に困る。
「フェルナー」
「もう、よろしいのですか?」
彼女がいた部屋の廊下側の入り口に控えていたフェルナーは、彼をうかがうように出てきた彼女に近づく。
「ええ。ところでフェルナー。あなた嘘はつかないって言ってたわよね」
「はい」
普通に喋っていても、嘘をついているようにしか見えないフェルナーだが、本人が嘘をつかないと言っているのだからと、直球で尋ねる。
「じゃあ正直に答えて」
「はい」
「私の容姿、衰えた? 嘘つかないでね」
「まったく衰えておりません。むしろ、磨きがかかっておりますよ」
「本当?」
「はい。突然、どうなさいました?」
「色々と思うところがあって」
「そうですか」
なにがどう、思うところがあったのか? 追求したくなったフェルナーだが、
「フェルナーがそう言ってくれるなら良いわ」
腕を組まれ「散歩したいの」と、色気のある長い睫が飾る、透き通る瞳を向けられては抵抗できず。
「腕は組んだままで?」
「そうよ。付き合ってちょうだい」
「喜んで」
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幼児であるということで、ほとんどの公務を免除されているカザリンだが、今回は後継者を任命する式ゆえ、そうはならず、女帝らしく大礼服のマント・ド・クールを着用し式典に臨んだ。
マント・ド・クールは身分が高ければ高いほど、トレーンが長くなるのが特徴。
カザリンは帝国でもっとも身分が高い人物なので、トレーンの長さが十メートルを超えてもおかしくはない……が、身長一メートルに満たないカザリンに、十メートル越えのトレーンを装着させたら、満足に歩くこともできない。
もちろんトレーンは六人から十人の近衛が均等に並び、持ち運ぶのだが、近衛は百八十㎝を越える男ばかりで。彼らが整列し、マントを運ぶとなるとおかしな曲線が描かれ……どう好意的に見ても滑稽になってしまう。
権威は当然だが、式典においては美しさも必要 ―― 女官長が長すぎるトレーンを前に、高枝切りばさみを乱舞させたとか、していないとか、振り回していたのはオフレッサーのトマホークだったなど、様々な噂や憶測が流れたが、最終的にカザリンのトレーンは二メートルに収まった。
その二メートルほどのトレーンは、リュッケが一人で運ぶことになった。
本来は二名の近衛が付く予定だったのだが、カザリンはどうも後ろにいる人が気になり、何度も後ろを振り返ってしまう。
誰も皇帝に注意をしたがらず、女官長は「注意して治るものでもないでしょう」と。その時、メンテナンスを終えた三輪車を押してやってきたリュッケに気付き、試しにトレーンを持たせたところ「こいつは、いつも余の背後をついてまわる、三輪車を押すのが得意な逆臣だ」と、カザリンはまったく気にせず。
近衛ではないが、身分は下っ端ながらも貴族。士官学校を卒業した尉官で侍従武官の地位にある ―― 式を成功させるには、リュッケを使うのが確実だとなり、彼が一人で運ぶことになった。
こうして銀河帝国で、約三十年ぶりとなる皇位継承者を定める式が執り行われた。
カザリンは大好きなジクが、今日も変わらず美しいことにご満悦で、集中力を切らすこともなく式は無事に終了した。
式後、機嫌良く彼女の左手の薬指と小指を握り、リュッケを引き連れ、関係者が待つ大広間へ。
こうして彼女は、銀河帝国史上、女性貴族として初めて婚姻以外で皇籍を賜り、皇位継承者の地位に就くこととなった。
貴族の子女とは違い、皇族の女性は公務として人前に出ることが多くなる。彼女は皇族として初めての公務として、カザリンと共に大広間で彼らの出迎えを受け、
「女帝陛下万歳! オラニエンブルク大公妃殿下万歳! 銀河帝国万歳!」
この歓声を聞いたとき、彼女は思わず小さくため息をついてしまったが、すぐに笑顔を作って歓声に応えた。