黒絹の皇妃   作:朱緒

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第151話

 侍従武官の職務に復帰した彼女は、以前と同様に午前中は皇帝カザリンと過ごすことになる。軍事に関して皇帝に伝える仕事を担っているので、ラインハルトについて聞こうと思えばいくらでも聞ける立場にいたが、部下でもあるシュトライトが何も彼女に言わないので、あえて自分から聞くことはしなかった。

 シュトライトとしても、彼女が聞いてこないことに胸をなで下ろしていた。彼はフェルナーやオーベルシュタインとは違い、彼女を上手く誤魔化せる自信がなかったので。

 ラインハルトに関すること以外はしっかりと報告がなされているため、地球討伐に向かった艦隊が制圧を終えて、帰還するなどについては知っていた。

 討伐に向かったロイエンタールやファーレンハイトやビッテンフェルトが無事だったことに、彼女は安堵する。

 

「誕生日、おめでとう」

「ありがとう、カタリナ」

 

 首都に戻った頃には七月に入っており、気付けば彼女の二十一回目の誕生日が訪れた。

 通常ならば、それなりのパーティーを開くのだが、今年は事情が事情なので、祝いなどせずひっそりと過ごすつもりであったが、カタリナがカザリンと共にお茶の用意をして、彼女の出仕を待ち ―― 新無憂宮の奥まった空間で、ひっそりと小さな祝いの席が開かれた。

 

「じく、たんじょ……と!」

 

 ”おめでとう”と言いたそうだが、口が上手く動かず、誤魔化すような形となってしまったカザリンだが、その笑顔に彼女は心から礼をする。

 

「ありがとうございます、陛下」

 

 中心に白いストックが飾れた花瓶が置かれた丸いテーブル。

 その小さめなテーブルを彼女とカタリナとカザリンの三人で囲み、幼児でも飲めるカモミールティーと、バジルのマフィン。

 

 まだ液体をコップに口をつけて上手に飲めないカザリンだが、カタリナに「ジクが喜びますよ」と言われ、この日のために、カップでお茶を飲む練習をしてきて、今日こうして口が広いカップに注がれた、ぬるいカモミールティーを必死に飲もうとしていた。

 陶器の曲線とカザリンの頬の膨らみの対比。めざましいカザリンの成長に彼女は目を細める。

 

「じく」

 

 カモミールティーは飲むよりも、スタイに吸わせたほうが多かったようにも見えたが、

 

「お上手ですわ、陛下」

 

 手を軽く叩き褒めたりと、いつもとあまり変わらぬ時間を過ごすことに。

 お茶も飲み終わり、マフィンの乗った皿も空になったところで、侍女がやってきて、カタリナに耳打ちをする。

 妖艶な赤いカタリナの唇が”くいっ”と持ち上がり、それを閉じた扇子で軽く隠すようにする。

 

「ジークリンデ。あいつらにも、祝わせてやってくれない」

「誰ですか?」

「地球から帰還途中の三十路男ども」

 

 カタリナが通信を繋いでくれたので、彼女は久しぶりに彼らと顔を合わせることに。

 

「それでは陛下。失礼させていただきます」

「カザリンもいっしょ」

 

 カザリンに挨拶をし辞そうとしたのだが、それを許してはくれず ―― カザリンの散歩代わりにということで、彼女と手をつないで、通信室へと向かった。

 まだ手のひらの小さいカザリンは、普通に手をつなぐことができないので、彼女の小指と薬指の二本を握り締めていた。

 

「じく」

「なんでございましょう、陛下」

「じく、カザリンのことすき!」

 

 ”疑問”ではなく”確定”で話し掛けられ ―― 彼女は、それに笑顔で答える。

 

「ジクは陛下のこと、大好きですよ」

「じく、カザリンのこと好き!」

 

 上機嫌なカザリンと共に通信室へと入り、各艦橋から同時に繋がれている三画面を前に、彼女は「お久しぶりです」と挨拶をした。

 

―― 三人と同時に会話ですか……

 

 三人とも出立以前と何ら変わりないように見えて、彼女は”よかった”と言う思いを、素直に表情に現す。

 三者三様のお祝いの言葉をもらい、パーティーなどは開いていないが、カザリンに祝ってもらったことを教える。

 

『それは良かったな、ジークリンデ』

 

 ロイエンタールの言葉の意味は分かっていないであろうが、彼女の膝に座っていたカザリンも、雰囲気は分かるようでやや自慢げ。そして、突如立ち上がり、彼女の首に抱きついた。

 それを背後から見ていたカタリナが、彼らからカザリンの表情が見えるよう、彼女が腰をかけていた椅子を回転させた。

 彼女に抱きついているカザリンの勝ち誇り、彼らを見下すかのような表情と、

 

『……』

『……』

『……』

 

 それを見て、嫉妬を隠さない彼ら。

 帰宅後カタリナは乳母に「三十過ぎた男たちが、一歳の女帝に本気で嫉妬してるとか、どうしようもなくて楽しかったわ」と笑いながらに告げた。

 

 そんなカタリナの視線に、彼らが気付いていたかどうかは不明だが、

 

「陛下、そろそろ帰りますよ」

 

 カタリナはカザリンを連れて部屋を出て、残った彼女は三人と近況を報告し合った。

 会話そのものは楽しいのだが、少しばかり困ったことも。

 

―― すごく、話しづらい……ファーレンハイトは別口で話したかった

 

 ファーレンハイトと込み入った話がしたいのではなく、彼女は立場上、ロイエンタールとビッテンフェルトに対する話し方と、ファーレンハイトに対する話し方が違うので、

 

―― 最後の台詞どうしましょう。「無事に帰還なさることを、祈っております」…………ファーレンハイトには「無事に帰還することを、祈っているわ」よね。どうしましょう……

 

 通話を終える際にかける言葉をどうしたものかと、彼女は悩んだ。

 言葉だけではなく「……祈っております」の場合は言った後に軽く会釈をするが「祈っているわ」は、そのまま通信を切る。

 

―― 普通に考えて、フォン・ビッテンフェルトに合わせるべきよね……

 

 短い時間だが、悩みに悩み、

 

「無事に帰還なさることを、祈っております」

 

 脳内で多数決を取り、二対一だということで、丁寧に挨拶をして頭を下げることにした。なにより事情を説明しなくても、この状況からきっと理解してくれるだろうと。

 画面が暗くなってから、少し間をおいて彼女は入り口に控えていたキスリングとともに、部屋を後にする。

 そのまま帰宅して良いので、定められている出口へ足を向けた。

 

「ローエングラム伯爵夫人」

「ペクニッツ公爵。どうなさいました?」

「これを受け取ってくれ」

 

 北苑と西苑の境で、良く言えば所在なさげ、悪く言えば変質者。普通に言えば亡霊のように突っ立っているペクニッツ公爵に呼び止められ ―― キスリングはこの状況に覚えがあった。以前彼女に、ルビーが埋め込まれた象牙のブレスレットを渡した時と同じ。

 実際ペクニッツ公爵の手には、また宝石ケースらしきもの。

 キスリングは彼女とペクニッツ公爵の間に入り、

 

「警備の関係上、小官が受け取りますが、宜しいでしょうか」

「ああ」

 

 前回は彼女に渡すと言い張ったペクニッツ公爵だが、今回は彼女が受け取ってくれさえすればいいと、キスリングに素直に渡した。

 彼女は間にいるキスリングに避けるよう軽く手を添え、微かに力を込める。それを受けてキスリングは会釈をして、二人の間から身を引く。

 

「よろしいのですか?」

「あなたに似合いそうだったので」

 

―― それはありがたいのですが、料金的な問題も。突っ返すにも……大伯父上もいないし、ラインハルトもいませんし……ファーレンハイトに聞くのも違うような

 

 一度借金し、首が回らなくなり、他者に弁済してもらったような人間は、また同じ間違いを繰り返すことが多々ある。

 ペクニッツ公爵はそういった意味での信頼は、きわめて低い。

 まして彼が恐れていたリヒテンラーデ公亡き今となっては、同じことをしでかす可能性はきわめて高い。

 

「ありがとうございます、ペクニッツ公爵」

 

 品物が公爵の資産状況に対して適正額かどうかを、フェルナーに調べてもらおうと考えつつ、彼女は公爵に礼を言った。

 公爵はそこで彼女と別れ ――

 

「念のために軍の施設に寄って開けてみる?」

 

 出口に向かって再度歩き出した彼女は、贈り物の箱を見ては怪訝さを隠さないキスリングに、そう尋ねた。

 

「そこまで大事にしなくても良いとは思いますが……」

 

 そうは言ったものの、中身がすり替えられていることも考えられるので、結局荷物検査の機械に通し、問題がないと診断されてからケースを開けることに。

 ケースの中身は、以前彼女に送ったルビーと象牙のブレスレットと同じデザインのチョーカー風のネックレスであった。

 異常はないと確認されてから手に取った彼女は、

 

「他の方ならば資産状況は気にしませんが、陛下のお父上でもありますし……」

 

 現在のペクニッツ公爵の財布がどうなっているかを、フェルナーに調べてもらうことにした。

 言った通り他の貴族なら気にはしないが、頼りなくともカザリンの父親。

 

―― この世界がどのように進むかは分かりませんけれど、ラインハルトが皇帝にならないというルートはないでしょうから……陛下は罪に問われないでしょうが、ペクニッツ公爵は問題があればどうなるか分かりませんからね

 

 品の悪いことを頼んでいるのは分かっているが、純粋な心配から無駄遣いをしていないかどうかを調べてもらうことにした。

 

 

 白くほっそりとした指でネックレスをつまみ上げていた彼女は、不意にあることを思い出し、急いでオーベルシュタインに連絡を入れて「あること」を尋ねた。

 その「あること」とは、地球に向かう直前に彼女のもとを訪れたフォン・ビッテンフェルトについて。彼が一体いつ訪れたのか? 彼女は質問した。

 

「二月二十九日です」

 

 オーベルシュタインは訪問者記録に目を通し、抑揚はないが通る声で、日付を伝える。

 

「やはり、そうでしたか。その日、フォン・ビッテンフェルトの誕生日だったのに、お祝いの言葉一つかけないで。嫌だわ」

 

 自分のことで手一杯だった彼女は、すっかりとそのことが頭から抜け落ちていた ―― むろん、あの状況ではそれで当然だが、思い出した彼女はいてもたっても居られなくなり、もう一度通信を入れてもらう。

 

 通信を受けたフォン・ビッテンフェルトは「そんなことを、気にしていたのか」とは言ったが、気にしてもらえるのは悪くないと、彼女に祝いの言葉について礼を述べた。

 

「次はファーレンハイトに」

「畏まりました」

 

 フォン・ビッテンフェルトとの話を終えてから、彼女はファーレンハイトに連絡を入れるように命じる。

 

―― 一人一人と話しているほうが楽。生まれと階級がばらばらだと、話す時、本当に困るわー

 

 序列の面倒さに一人思いをはせていると、

 

『お呼びと』

「ファーレンハイト……提督。お呼び立てして、申し訳ございません」

 

 先ほどの延長とばかりに、普段はしない口調で話し掛けてみた。話しづらい内容なので、できるだけ空気を軽くしたいという考えも少しはあった。

 

『このアーダルベルト・フォン・ファーレンハイト。なにかジークリンデさまのお気に障るようなことを、しでかしましたか』

「いいえ」

『安心いたしました』

 

 あの時期は実家に居ることが多かったこともあり、用意した品を今はない実家に置いていた。

 

「用意したプレゼント、燃えてなくなっていたことに、いま漸く気付いたの。五ヶ月も経ってるのに」

『そうですね』

「なにか欲しい者ある? 帰って来るまでに用意しておくわよ」

 

 同じものを用意するのは簡単だが、あの状況で失われてたため、あまり縁起が良くないような気がして、別に欲しいものはないかと。彼女としては返事は分かっていたが、聞いてみた。

 

『特になにも』

 

 予想通りの答えが返ってきたものの、少しばかり残念であった。

 

「そう。無事に帰ってきてちょうだいね」

『かしこまりました』

 

 こうして二人と通信を終え ―― 彼女が通信を繋がなかったロイエンタールは、面白くはなかったものの、

 

「閣下の誕生日は十月。なんら関係ないので、致し方ないかと」

 

 副官のベルゲングリューンの正論に、なにも言い返すことはできなかった。

 そもそも彼女にとってロイエンタールの誕生日は、触れてはいけない地雷の一つに認識されている。

 生まれてきてはいけなかったと、ミッターマイヤーに散々こぼしていた男の誕生日を、軽い気持ちで祝うなど、彼女にはできない。

 正面から向かい合い、救うつもりで、例え傷つけられても耐えて、信頼を勝ち取ろうというのでもなければ、触れないほうが良い。

 このロイエンタールも似たり寄ったりなので、彼女としては触るつもりはなかった。

 なにより、彼女は部外者のロイエンタール(死体となったリヒテンラーデ公の首を切り落としていたが)に構っている暇はなかった。

 

―― キルヒアイスにはプレゼント贈ったのに、ラインハルト……、正気に戻ってしっかりとしておけば……こんなに悩まなくて済んだのに。内乱中でもお祝いの一つくらい述べられたでしょうし、補給艦隊に贈り物を運んでもらうことくらいできたはず……私のばか……いっつも馬鹿ですけれど……

 

 キルヒアイスの誕生日は一月半ば。今まではメッセージカードを贈る程度であったが、せっかく親しい立場になったのでと、知り合って初めて贈り物をした。

 内乱以前の彼女の行動は、基本「生き延びるため」の打算ばかりであったが、キルヒアイスに対しての贈り物は、打算半分、もしかしたら二度と贈ることができないかも知れないという気持ち半分から。

 もちろんキルヒアイスに死んで欲しくはなかったが、かとってキルヒアイスを生き延びさせる方法も思いつかなかったので、彼女にできることはなかった。

 

「……」

「どうなさいました? ジークリンデさま」

 

 通信を切ってから、目を閉じて悩んでいる彼女に、キスリングは任務を逸しているとは分かっていても、声をかけずにいられなかった。

 

「贈り物について考えていたの」

「提督でしたら、なんでも喜ぶかと」

「あ、ファーレンハイトのことじゃないわ。ファーレンハイトはね、要らないと言ったのに贈ると、不機嫌になるから贈らないわ。昔それで、よく失敗してしまったの」

 

 ”それはまた面倒な提督で……ザンデルスも面倒だって言ってたが”

 なにがあったのか、キスリングは知らないが、きっと彼女に迷惑をかけていたのだろうと、勝手に判断して ――

 

「では、誰への贈り物で、悩まれているのですか?」

「エッシェンバッハ侯へのです。三月が誕生日だったのに、自分のことだけで、すっかりと忘れていて。どうしたものかしらと」

「はあ……そうでしたか」

 

 ”伯爵夫人とキルヒアイス提督だけで祝うの分かってるのに、贈り物をされると……貴族ってそんなもんか”

 

 身内に数えられず、キルヒアイスの誕生日も、除外されていた彼女の健気さに感動すると同時に、キスリングは少しばかり腹が立った。

 苛立ちはラインハルトに対するものではなく、その扱いに甘んじている彼女に対して。

 恋愛結婚ではないことは分かっているが、こうまで蔑ろにされても、文句一つ言わずに尽くすものなのかと。

 門閥貴族はそういうものだと言われてしまえば、キスリングは返す言葉など持ち合わせていないが ――

 

「なにが良いと思います?」

 

 彼女にしてみれば、あの三人の間に割って入るなど考えたこともなく、むしろ誘われないほうが嬉しいくらいなのだが、他者はそうではない。

 

「小官は侯のことを、よく存じませんので。時期をみて、キルヒアイス提督にお聞きになられてはいかがでしょうか?」

「キルヒアイス……そうね、キルヒアイス提督に聞いてみますね」

 

 キスリングの「キルヒアイスに聞いてみたら」という台詞を聞き、彼女はまだキルヒアイスが無事なのだから、内乱は続いているのだと解釈をし ―― 今までも疑ってはいなかったが、より一層、現状を完全に信用してしまった。

 

 

 誰がどのタイミングで、どうやってラインハルトが帰還していることを打ち明けるのか?

 誰も彼も語りたがらぬ中、一人の男が行動に出た。


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