黒絹の皇妃   作:朱緒

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第141話

 時は少々遡る ――

 

「おい」

 

 バシリオは会社のロゴが大きく入っている制服を着ているため、道ばたで声をかけられ、仕事を持ちかけられることもたまにある。

 もちろんそんな仕事は、引き受けない。

 会社を通してではないと、後々問題が起こったとき、職務規程違反などで、会社からも損害賠償を求められたりするので、できるだけ騒ぎを起こさず周囲に埋没して生きているバシリオは、声をかけられた時、そういう輩だと思い、いつも通り断るつもりで振り返った。

 

「……」

 

 バシリオに声をかけてきたのは、アンドリュー・フォーク。

 ”お姫さまにまとわりついている、同盟のストーカー”と、彼と同じく狙撃用のスコープで、ジークリンデを見守るという名目で盗み見ていたバシリオは、フォークのことをよく知っていた。

 

「これをジークリンデ・ツィタ・フェオドラ・フォン・フライリヒラートに届けてくれ」

 

 バシリオに差し出されたのは、宛名も差出人も書かれていない、古風な白い封筒。

 

「ジークリンデ・ツィタ・フェオドラ・フォン・フライリヒラート? どちらにお住まいの方ですか?」

 

 断るつもりだったが、相手がフォークなので、引き受ける素振りを見せた。

 

「フレーゲル男爵夫人と名乗らされている女性だ」

 

 フォークの目には、男爵夫妻はそう映っていた。

 

「シュッセンリート迎賓館に滞在していらっしゃる方ですか?」

 

 行為の気持ち悪さでは大差ないバシリオとフォークだが、少なくともバシリオは、ジークリンデが望まない結婚で、夫から逃れたいと考えているようには見えなかった。

 どう見たら、そんな風に見えるのか?

 同盟の士官学校を主席で卒業した、名家の子息の言動に「実家の病院で精神病だと認定されてしまえ」と毒づきつつ、会話を続ける。

 

「そうだ」

「あそこはちょっと……」

「お前は高等弁務官事務所に出入りしているだろう」

 

 フォークはたまたま通りがかったバシリオに声をかけたわけではない。

 彼が今日、この時間に通ることを調べ上げ、待ち伏せしていたのだ。

 ”脱帽する調査能力だ。戦場の敵として怖いかどうかは別だが”とフェルナーから聞いていたバシリオは、自分の正体に気付かれたかも知れないと、やや警戒した。

 

「そこまでお調べでしたら。事前に断っておきますが、料金は前払い、もちろん現金で。会社は通しません。相手からの返事は別の方法で受け取ってください、私は引き受けません。以上のことが守れるのでしたら」

「分かった。だが絶対に直接渡せ。アーダルベルト・フォン・ファーレンハイトや、アントン・フェルナーに気付かれないように」

 

 当然のことながら、ファーレンハイトやフェルナー、シューマッハにシュトライトなどは、軍人だと知られていた。

 帝国側が「フォークは主席で……」と調べることができるのだから、同盟側が同程度調査できても、なんら不思議はない。

 どちらか一方の諜報能力が格段に優れていたら、どっちつかずの戦況が続くはずもない。

 

「分かりました」

 

 かなり多めに料金を受け取り、バシリオはその足で会社へと戻り辞表を提出する。

 突然のことに驚かれたが、もともと、裏の仕事が仕事なので、なにかあったらすぐに逃げられるよう、簡単に辞めることができる仕事だと調べて働いていたので、引き継ぎもなく難なく離職することができた。

 

 フォークがどこまで自分のことを調べているかは分からないが、表向きの住所は捨てるべきだろうと、バシリオは引っ越しの手続きのため、会社から役所へと直行。

 各種手続きをし、処理待ちの間、最初から届けるつもりなどなかったフォークからジークリンデへの手紙を開封し ――

 

「ぶっ……」

 

 待合席で吹き出し、一つ離れた席に座っている女性や、向かい側に座っていた男性に奇異な目で見られるはめになった。

 

 ”やべえ、最後まで読めねえ”

 

 士官学校の受験項目、または授業に「詩」はなかったのだろう ―― 試験があったとしたら、絶対主席は無理であっただろうと思わせるそれを前に、撃沈したバシリオは、手紙を撮影してフェルナーへと送信。

 

「バシリオ・セルバンテスさん」

 

 名を呼ばれ、手紙をくしゃりと握り締め、ポケットに突っ込んで窓口へと向かった。

 

**********

 

「当初はバシリオからの嫌がらせかと思いました」

 

 届いた画像を見たフェルナーは、なにが送られてきたのか理解できず。意味も無く端末を近づけたり、遠ざけたりして ―― 内容が頭に入ってくるまで、三十分ちかくかかった。

 フォークはジークリンデが読むことを前提としていたため、手紙は帝国語で書かれていた。文法や単語の間違いなどなく、みごとなまでに帝国語を使いこなしていたが、主席の名に恥じない文面かどうかは別。

 

「嫌がらせだとしたら、高レベルだな……それで、これはなにを言いたい文面なのだ?」

 

 見せられたファーレンハイトだが、彼も文面が理解できず、だがフェルナーとは違いすぐに読むのを諦めた。

 

「駆け落ちのお誘いのようです」

 

 手紙には、帰国当日、落ち合う方法が書かれていた。間にジークリンデに対する同盟基準の賛美(帝国的ではないので、分かりづらい)が挟まれているので読みにくいものの、それらを省けば、ジークリンデでも遂行でき、彼らの裏をつくことができそうな案であった。

 

 これを読んだジークリンデが理解したとして、帝国を捨ててフォークと駆け落ちしようとするかは別としても。

 

「ふーん」

 

 ”そっけない”の、見本になりそうなファーレンハイトの表情と声と態度。それは、あまりに反応が鈍すぎて、フェルナーが心配になるほど。

 

「ちょっと! 人が死ぬ気で解読したんですから、もう少し反応くださいよ!」

「どう反応していいのか、分からんわ」

「准将、なに素になってるの!」

 

 最後の最後までアンドリュー・フォークから目を離しては危険だと、ジークリンデが出立するまでフェルナーが見張ることになった。

 

 

 ロミオとジュリエットの悲劇は伝達不備が招いたものである ―― だから、一度くらいのすれ違いで諦めてはいけないと、

 『生きてさえいれば、必ず再会できる』

 フォークは完全な放置プレイを食らったわけだが、その状況すら前向きに受け取った。

 

**********

 

 フェザーンを離れるその日。

 乗り込もうとした軌道エレベーターが、突然の故障により使えなくなったことで、念のため用意されていたシャトルで軌道ステーションへ。

 

「またね、ミュラー中尉」

 

 客船に乗り込む直前、ジークリンデはミュラーの手をしっかりと握り、別れを惜しんだ。

 フレーゲル男爵が歯ぎしりしつつ「お前みたいな平民は、武功をあげても、推薦者がいなくて困ることもあるだろう。こちらに一報を入れれば推薦してやる」と、器の小ささを最後まで披露しつつ、妻の手前、寛大な振りをして ―― ジークリンデのフェザーン滞在は終了した。

 

**********

 

 フェルナーが仕事を終えて帰国の途についたのは、ジークリンデがフェザーンを発ってから三週間ほど経過してから。

 マルガレータのたちの生活に必要な手続き、振り込みや連絡方法はもちろん、日常生活の常識なども教え ―― 完璧とはほど遠いが、いつまでも付き合っていられないので、ある程度のところで切り上げて彼らと別れる。

 

 民間人の出で立ちでフェザーンを出て、すぐに近場の軍事基地へ。そこで航路の警戒を担当している駆逐艦に乗り込んで、最速の帰国を目指した。

 

「フェルナー少佐」

「なんでしょう、艦長」

 

 煩雑な手続きなどは、事前の申請と、門閥貴族の威光で軽くクリア。基地の責任者と会う必要もなく、すぐに搭乗。

 そこまでは手はず通りだったのだが、

 

「荷物が届いていました」 

 

 フェルナーの予期せぬ贈り物が届いていた。

 大判のレースのハンカチに包まれた、細かい幾何学模様が目をひく象嵌細工の小物入れ。

 

「差出人は?」

 

 見るからにジークリンデからの贈り物だが、

 

「アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト准将からと」

 

 差出人は当然別人。

 

―― どの面下げて、この繊細な贈り物の、差出人になったんだか……

 

 艦長から受け取ったフェルナーは礼を言い受け取った。

 

「これと一緒に、心付けがありましてな」

 

 ジークリンデは病後のフェルナー(嘘)が快適に過ごせるようにと、乗り込む駆逐艦や基地などに、酒などを配るように指示を出していた。

 

―― わー。大事になってる。いや、そういうお方だとは思っておりましたが、たかが一部下にそこまでして下さらなくとも……シュトライトさんやシューマッハ大佐、大変だったろうなあ……准将はきっと、うん……こっちに構っていられないほど、忙しいだろうから

 

 前線経験がないまま中将になったフレーゲル男爵に、短期間で戦術理論を教えて、イゼルローン方面の司令官に仕立て上げなくてはならなくなったファーレンハイトに、そんな余裕はない。

 

「きっと、平気で殴ったりしてるんだろうな」

 

 軌道エレベーターで見せた殴りっぷりを思い出し、口の端をつり上げて笑った。

 

 用意されていた、特に目を引くものはなにもない、机と椅子とテーブルとベッドに、荷物置きの据え付けの棚があるだけけの簡素な部屋で、白く繊細なレースで包まれている小物入れをしばらく眺め、注意深く結び目を解いて、小物入れの蓋を開いた。

 

「予想はしていましたけれど」

 

 中には「フェルナー。旅の無事を祈ってます」のメッセージカードとホログラフレター。

 媒体を持ったまま、再生するべきかどうかしばし悩み、

 

「……夫人じゃなくて、閣下かもしれないしな」

 

 再生することにした。

 媒体を挿入すると、暗証コードを要求され、フェルナーは「ウィン・ファンデンベルグ」のIDを打ち込む。

 残念というべきか、当然というべきか、映し出されたのはジークリンデ。

 ミュラーのときと同じように、髪型もドレスも化粧も、最高に「映える」状態で、体調を気遣い、会えるのを楽しみに待ってますと ――

 

『オーディンで軍服を着たあなたに会えるのを、楽しみに待ってるわ、フェルナー』

 

 そう言った笑顔のジークリンデが、かき消される。

 残ったのは煤けたような明かりに照らされる、質素な部屋の壁。

 

「はあ……もう一度見るか…………あんたには、血も涙もないのか! アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト!」

 

 今回のホログラフレターは、再生回数一回設定。

 

 初期化されてしまった記録媒体は小物入れに、メッセージカードはファイルにとじ、帰国までの間に、報告書を完成させるべく作業にに取りかかった。

 

**********

 

 旅程の半分を過ぎたころ、書類整理に勤しんでいたフェルナーの元に、ファーレンハイトから連絡がはいった。

 

『元気にしているか』

「それなりに。……で、なんですか?」

 

 話を聞く前だが、面白いことではないことだけは、フェルナーにも、はっきりと分かった。

 

『次の補給基地で、ブルーメンタール伯爵夫人を拾ってオーディンまで連れてこい』

「うわ……また、厄介な仕事を。伯爵夫人、なにかしたんですか?」

『ジークリンデさま、殺害未遂』

「お姫さまの人生って、なかなかスリリングですね」

『本気で殺すつもりがあったのか、なかったのかは分からないが、本人がそう自供したので、船から降ろした』

「夫人殺害の理由に、心当たりありそうですね」

『心当たりというか、これしかないと思われる理由が一つ。以前ジークリンデさまが話した、化粧領の話を覚えているか?』

「覚えていますよ」

『ジークリンデさまは父上であるグントラムさまからの他に、国務尚書からも化粧領を与えられている』

「覚えてます、覚えてます。亡くなられたご母堂が嫁ぐ際に、リヒテンラーデ侯から与えられた化粧領を、そのまま受け継いだと」

『グントラムさまが用意したのは商業都市。リヒテンラーデ侯から渡されたのは農業地帯。収益は前者のほうが格段にいい。それで、お前が言った通り、後者の領地は亡くなられた母君が嫁ぐ際に渡されたもので……国務尚書としても、ジークリンデさまには足りないと感じていた』

「ご母堂は、ただの一族の娘扱いだったんですね」

『そうだな。そこで国務尚書は、ジークリンデさまの化粧領の開発に本腰を入れた』

「収益があがるようにですね」

『そうらしい。で……専門家と話し合いの結果、国務尚書が望む収益を上げるには、領地が小さすぎるとなった』

「なんか嫌な予感がしますが……もしかして、お隣さんを取り上げました?」

『ご名答。もっとも国務尚書が所有している領地なのだから、取り上げるも何もないのだが』

「取り上げられたお隣さんが、ブルーメンタール伯爵夫人なんですね」

『化粧領を別の場所に変えただけなのだが、それも癇に障ったようだ。なにより、新しい領地は前の領地と完全に同じもので、一切色が付いていなかったそうだ』

「あー。うん、まあ。気持ち分からなくもないのですが、元凶はリヒテンラーデ侯ですよね。ジークリンデさまは、なにもしていませんよね」

『それはな。なにせジークリンデさまは、そんな計画が進んでいることも知らんしな。収益が増えたら、搾取されているのではないかと心配するだろうが』

「それで、伯爵夫人をどのように?」

『同じ船に乗せていると危険なので降ろし、お前が回収してオーディンまで連れてくるようにとのことだ』

「かしこまりました。一応聞いておきますが、自殺されたら問題になります?」

 

 

『ならんだろう。国務尚書のあの顔は……後日、説明があるだろうな』

 

 

「それについては、リヒテンラーデ侯から聞けなかったら、教えてください。それにしても、ブルーメンタール伯爵も大ダメージですね。むしろ、終わった?」

『ほぼ発狂しているな。それで、ハイデマリーがジークリンデさまを害しようとしているのに、最初に気付いたのはゲオルギーネだった』

「伯爵の愛人のゲオルギーネ?」

 

 ハイデマリーがジークリンデを暗殺しようとしている ――

 

 それに気付いたゲオルギーネは、どうするべきかを考えた。

 知らなかったことにするとは、考えなかったとゲオルギーネは証言した。

 だが「知らせる」となると、誰に知らせていいのか、非常に悩むはめに。

 

 ジークリンデが殺害される、もしくは未遂で終わったとしても、犯人捜しが始まる。

 その際にハイデマリーの犯行だと「ジークリンデ側の人間により」判明した場合、ブルーメンタール伯爵とそれに連なる者たちは、連座することになり、そこにはゲオルギーネも加えられる可能性が高い。

 自分は知らなかった、関係ないと言って、聞き入れられ助けてもらえるなど、よほどの馬鹿か楽天家、もしくはその両方の性質を持ち合わせてでも居ない限り、考えるはずもない。

 

 もう一つ、ハイデマリーの犯行だと「ブルーメンタール伯爵が」最初に気付いた場合、自らの保身のために、ハイデマリーの犯行を隠そうとするだろう。

 ゲオルギーネが「奥様が……」などと報告し、それが真実だと判明したとき、ブルーメンタール伯爵がゲオルギーネを生かしておく可能性はきわめて低い。なにせ事情を知っている人間は、少ない方が安心できる。

 

 最悪なのはハイデマリーの犯行を隠すために、偽の犯人を仕立て上げること。その候補に選ばれる可能性が高いのは、命じられてジークリンデの取り巻きとなっている、ゲオルギーネ当人。

 

 なにもしなければ死ぬ。内々で済ませようとすると、やはり死ぬ。ゲオルギーネは死ぬのはまっぴらなので、ジークリンデ側に情報を伝え、己の身の安全を確保することにした。

 

『そうだ。気付いたゲオルギーネは、自分の立場と置かれている状況を冷静に判断して、シュトライトに伝えた』

 

 ゲオルギーネにとってブルーメンタール伯爵よりも、フレーゲル男爵の部下のほうが信用できたという訳だ。

 

「下手をしたら殺されてしまいますものね。シュトライト大佐とは、良い人選ですね」

『まあな。ゲオルギーネの好みだとか』

「あー……そういう人選。それでいいの?」

『ブルーメンタール伯爵が使い物にならなくなったら、別の男に乗り換える必要があるから……だと、自分で言っていた。本音かどうかは知らんが』

「好みは大事だと思います。ま、とにかく伯爵夫人をオーディンまで連行します」

『一応貴婦人だから、相応に扱えよ』

「はいはい、一応貴婦人でしたね」

 

 厄介事を押しつけられたフェルナーは、貴婦人に拘束衣を着せ、営倉に放り込むわけにもいかないので、艦長と共に隔離部屋を用意して、ハイデマリーを搭乗させた。

 

 調度品の量にほぼ全員が表情を引きつらせるも、

 

「随分と少ないな」

「これで少量なのですか? フェルナー少佐」

「衣装ケース二つに食器箱が一つ。宝石箱が一つくらいなら、伯爵夫人の一週間半の旅行の荷物としては、少ない部類だ」

 

 口を閉ざし表情を強ばらせたままのハイデマリーを、簡素な部屋に通し、一時間おきに巡回した。

 真相を詳らかにするように命じられたわけでもなければ、生死すらどうでもいいので運んでこいと命じられただけなので、フェルナーはハイデマリーに一切関わらず、

 

「三週間の滞在でこの程度……とか言われたら、やだなー。褒められても、気持ち悪いけど」

 

 国務尚書に提出する書類を仕上げていた。

 

 一週間ほど完全に無視したところ、ハイデマリーが事件について話したいと言い出した。どんな尋問にも、貴族の矜持で耐えてみせると意気込んでいたハイデマリーだったが、この完璧な無視ぶりに焦りと、それ以上に自分の存在の軽さに恐怖を覚えての申し出だった。

 

「それは帰国してから、然るべき方にお話ください」

 

 だがフェルナーの態度の素っ気なさは変わらず。

 さっさと部屋を出ようとすると、椅子から立ち上がり、僅かな家財道具に八つ当たりを始めた ―― が、生死を問われないので、自傷しようがしまいが、フェルナーの知ったことではないので、そのまま部屋をあとにした。

 

「嫌ですよ。話を聞いたら、報告書書かなきゃならないじゃないですか」

 

 その後、昼食を運ぶと「話を聞かないと食べない」と言われたものの、あと三日もすればオーディンに到着するので、衰弱はするだろうが、死にはしないだろうと、ここでも完全無視。

 

 泣いて話を聞いてと言われたが、艦長や従卒が、はらはらするほど無視をし通して、オーディンまで会話せずに過ごした。

 

 駆逐艦は夜半過ぎに軍港に入り、フェルナーは到着したことをファーレンハイトに告げ、ハイデマリーを連れ、国務尚書の元へすぐに向かった。

 

 ちなみにハイデマリーが生きていると伝えた時、端末の向こう側からファーレンハイトの舌打ちが聞こえたが、それは聞かなかったことにしておいた。

 

「連れていけ」

 

 国務尚書はハイデマリーを見ることもなく、書類に視線を落としたまま、部屋に控えていた部下たちに命じた。

 男性の部かに両脇を抱えられたハイデマリーは、必死に叫ぶが誰もなんの反応も返さず。

 重厚な扉が閉ざされ、金切り声が遮断されたところで、国務尚書は顔をあげた。

 

「……」

 

 室内は充分な照明で、部屋中くまなく明るいのだが、外の暗闇よりも暗く感じる空気が充満している ―― ように、感じる者がいてもおかしくはないくらいに、冷たく静まり返っていた。

 

「報告書」

「ここに」

 

 外部に漏れては困るので、紙には書かず、端末の中のみ。

 紙をめくる音すらしない室内で、フェルナーは直立不動で待ち、

 

「これからも、この調子で続けろ」

 

 案の定褒められはしなかったが、認められることになった。

 

「御意」

 

 国務尚書は立ち上がり、棚からファイルを一つ手に取り、フェルナーに差し出す。

 

「なんでしょう?」

「ハイデマリーの罪状について。知りたくはないか」

「興味ありません」

「そうか」

 

 ファイルを手に机に戻り、座り心地のよい椅子に腰を下ろし直す。

 

「私は政敵と手を組むこともある」

 

 部屋には誰もおらず、カーテンが空いたまま、秋の夜空を背負う形になっている国務尚書と、退出許可がもらえず、突っ立ったままのフェルナー。

 

「敵の敵は味方とは、よく聞きます」

「だが所詮は敵。最後まで手を結び続けるつもりなどない」

「相手も同じでしょうね」

「私は相手を殺す算段を付けてから、手を組む」

 

 もしも軍人と手を組まなくてはならない場合、同盟に殺されるのを期待したりはしない。

 じわりじわりと追い詰めるのも良いが、相手がまともな思考をしていれば、状況を打破するためにクーデターに打って出る可能性もある。

 

「それはそれは」

「時間をかけ、病に見せかけて殺してくれる毒がある」

「……」

「自制心のある女ならば、生かしておいてやったが、あれはそれらに欠けている。ハイデマリーは三年後には、病死していることだろう」

 

 『ならんだろう。国務尚書のあの顔は……後日、説明があるだろうな』

 ファーレンハイトから連絡が入った時の台詞が、このことを差しているのだと、合点がいった。

 

「そういうことでしたか」

 


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