時は少々遡る ――
「おい」
バシリオは会社のロゴが大きく入っている制服を着ているため、道ばたで声をかけられ、仕事を持ちかけられることもたまにある。
もちろんそんな仕事は、引き受けない。
会社を通してではないと、後々問題が起こったとき、職務規程違反などで、会社からも損害賠償を求められたりするので、できるだけ騒ぎを起こさず周囲に埋没して生きているバシリオは、声をかけられた時、そういう輩だと思い、いつも通り断るつもりで振り返った。
「……」
バシリオに声をかけてきたのは、アンドリュー・フォーク。
”お姫さまにまとわりついている、同盟のストーカー”と、彼と同じく狙撃用のスコープで、ジークリンデを見守るという名目で盗み見ていたバシリオは、フォークのことをよく知っていた。
「これをジークリンデ・ツィタ・フェオドラ・フォン・フライリヒラートに届けてくれ」
バシリオに差し出されたのは、宛名も差出人も書かれていない、古風な白い封筒。
「ジークリンデ・ツィタ・フェオドラ・フォン・フライリヒラート? どちらにお住まいの方ですか?」
断るつもりだったが、相手がフォークなので、引き受ける素振りを見せた。
「フレーゲル男爵夫人と名乗らされている女性だ」
フォークの目には、男爵夫妻はそう映っていた。
「シュッセンリート迎賓館に滞在していらっしゃる方ですか?」
行為の気持ち悪さでは大差ないバシリオとフォークだが、少なくともバシリオは、ジークリンデが望まない結婚で、夫から逃れたいと考えているようには見えなかった。
どう見たら、そんな風に見えるのか?
同盟の士官学校を主席で卒業した、名家の子息の言動に「実家の病院で精神病だと認定されてしまえ」と毒づきつつ、会話を続ける。
「そうだ」
「あそこはちょっと……」
「お前は高等弁務官事務所に出入りしているだろう」
フォークはたまたま通りがかったバシリオに声をかけたわけではない。
彼が今日、この時間に通ることを調べ上げ、待ち伏せしていたのだ。
”脱帽する調査能力だ。戦場の敵として怖いかどうかは別だが”とフェルナーから聞いていたバシリオは、自分の正体に気付かれたかも知れないと、やや警戒した。
「そこまでお調べでしたら。事前に断っておきますが、料金は前払い、もちろん現金で。会社は通しません。相手からの返事は別の方法で受け取ってください、私は引き受けません。以上のことが守れるのでしたら」
「分かった。だが絶対に直接渡せ。アーダルベルト・フォン・ファーレンハイトや、アントン・フェルナーに気付かれないように」
当然のことながら、ファーレンハイトやフェルナー、シューマッハにシュトライトなどは、軍人だと知られていた。
帝国側が「フォークは主席で……」と調べることができるのだから、同盟側が同程度調査できても、なんら不思議はない。
どちらか一方の諜報能力が格段に優れていたら、どっちつかずの戦況が続くはずもない。
「分かりました」
かなり多めに料金を受け取り、バシリオはその足で会社へと戻り辞表を提出する。
突然のことに驚かれたが、もともと、裏の仕事が仕事なので、なにかあったらすぐに逃げられるよう、簡単に辞めることができる仕事だと調べて働いていたので、引き継ぎもなく難なく離職することができた。
フォークがどこまで自分のことを調べているかは分からないが、表向きの住所は捨てるべきだろうと、バシリオは引っ越しの手続きのため、会社から役所へと直行。
各種手続きをし、処理待ちの間、最初から届けるつもりなどなかったフォークからジークリンデへの手紙を開封し ――
「ぶっ……」
待合席で吹き出し、一つ離れた席に座っている女性や、向かい側に座っていた男性に奇異な目で見られるはめになった。
”やべえ、最後まで読めねえ”
士官学校の受験項目、または授業に「詩」はなかったのだろう ―― 試験があったとしたら、絶対主席は無理であっただろうと思わせるそれを前に、撃沈したバシリオは、手紙を撮影してフェルナーへと送信。
「バシリオ・セルバンテスさん」
名を呼ばれ、手紙をくしゃりと握り締め、ポケットに突っ込んで窓口へと向かった。
**********
「当初はバシリオからの嫌がらせかと思いました」
届いた画像を見たフェルナーは、なにが送られてきたのか理解できず。意味も無く端末を近づけたり、遠ざけたりして ―― 内容が頭に入ってくるまで、三十分ちかくかかった。
フォークはジークリンデが読むことを前提としていたため、手紙は帝国語で書かれていた。文法や単語の間違いなどなく、みごとなまでに帝国語を使いこなしていたが、主席の名に恥じない文面かどうかは別。
「嫌がらせだとしたら、高レベルだな……それで、これはなにを言いたい文面なのだ?」
見せられたファーレンハイトだが、彼も文面が理解できず、だがフェルナーとは違いすぐに読むのを諦めた。
「駆け落ちのお誘いのようです」
手紙には、帰国当日、落ち合う方法が書かれていた。間にジークリンデに対する同盟基準の賛美(帝国的ではないので、分かりづらい)が挟まれているので読みにくいものの、それらを省けば、ジークリンデでも遂行でき、彼らの裏をつくことができそうな案であった。
これを読んだジークリンデが理解したとして、帝国を捨ててフォークと駆け落ちしようとするかは別としても。
「ふーん」
”そっけない”の、見本になりそうなファーレンハイトの表情と声と態度。それは、あまりに反応が鈍すぎて、フェルナーが心配になるほど。
「ちょっと! 人が死ぬ気で解読したんですから、もう少し反応くださいよ!」
「どう反応していいのか、分からんわ」
「准将、なに素になってるの!」
最後の最後までアンドリュー・フォークから目を離しては危険だと、ジークリンデが出立するまでフェルナーが見張ることになった。
ロミオとジュリエットの悲劇は伝達不備が招いたものである ―― だから、一度くらいのすれ違いで諦めてはいけないと、
『生きてさえいれば、必ず再会できる』
フォークは完全な放置プレイを食らったわけだが、その状況すら前向きに受け取った。
**********
フェザーンを離れるその日。
乗り込もうとした軌道エレベーターが、突然の故障により使えなくなったことで、念のため用意されていたシャトルで軌道ステーションへ。
「またね、ミュラー中尉」
客船に乗り込む直前、ジークリンデはミュラーの手をしっかりと握り、別れを惜しんだ。
フレーゲル男爵が歯ぎしりしつつ「お前みたいな平民は、武功をあげても、推薦者がいなくて困ることもあるだろう。こちらに一報を入れれば推薦してやる」と、器の小ささを最後まで披露しつつ、妻の手前、寛大な振りをして ―― ジークリンデのフェザーン滞在は終了した。
**********
フェルナーが仕事を終えて帰国の途についたのは、ジークリンデがフェザーンを発ってから三週間ほど経過してから。
マルガレータのたちの生活に必要な手続き、振り込みや連絡方法はもちろん、日常生活の常識なども教え ―― 完璧とはほど遠いが、いつまでも付き合っていられないので、ある程度のところで切り上げて彼らと別れる。
民間人の出で立ちでフェザーンを出て、すぐに近場の軍事基地へ。そこで航路の警戒を担当している駆逐艦に乗り込んで、最速の帰国を目指した。
「フェルナー少佐」
「なんでしょう、艦長」
煩雑な手続きなどは、事前の申請と、門閥貴族の威光で軽くクリア。基地の責任者と会う必要もなく、すぐに搭乗。
そこまでは手はず通りだったのだが、
「荷物が届いていました」
フェルナーの予期せぬ贈り物が届いていた。
大判のレースのハンカチに包まれた、細かい幾何学模様が目をひく象嵌細工の小物入れ。
「差出人は?」
見るからにジークリンデからの贈り物だが、
「アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト准将からと」
差出人は当然別人。
―― どの面下げて、この繊細な贈り物の、差出人になったんだか……
艦長から受け取ったフェルナーは礼を言い受け取った。
「これと一緒に、心付けがありましてな」
ジークリンデは病後のフェルナー(嘘)が快適に過ごせるようにと、乗り込む駆逐艦や基地などに、酒などを配るように指示を出していた。
―― わー。大事になってる。いや、そういうお方だとは思っておりましたが、たかが一部下にそこまでして下さらなくとも……シュトライトさんやシューマッハ大佐、大変だったろうなあ……准将はきっと、うん……こっちに構っていられないほど、忙しいだろうから
前線経験がないまま中将になったフレーゲル男爵に、短期間で戦術理論を教えて、イゼルローン方面の司令官に仕立て上げなくてはならなくなったファーレンハイトに、そんな余裕はない。
「きっと、平気で殴ったりしてるんだろうな」
軌道エレベーターで見せた殴りっぷりを思い出し、口の端をつり上げて笑った。
用意されていた、特に目を引くものはなにもない、机と椅子とテーブルとベッドに、荷物置きの据え付けの棚があるだけけの簡素な部屋で、白く繊細なレースで包まれている小物入れをしばらく眺め、注意深く結び目を解いて、小物入れの蓋を開いた。
「予想はしていましたけれど」
中には「フェルナー。旅の無事を祈ってます」のメッセージカードとホログラフレター。
媒体を持ったまま、再生するべきかどうかしばし悩み、
「……夫人じゃなくて、閣下かもしれないしな」
再生することにした。
媒体を挿入すると、暗証コードを要求され、フェルナーは「ウィン・ファンデンベルグ」のIDを打ち込む。
残念というべきか、当然というべきか、映し出されたのはジークリンデ。
ミュラーのときと同じように、髪型もドレスも化粧も、最高に「映える」状態で、体調を気遣い、会えるのを楽しみに待ってますと ――
『オーディンで軍服を着たあなたに会えるのを、楽しみに待ってるわ、フェルナー』
そう言った笑顔のジークリンデが、かき消される。
残ったのは煤けたような明かりに照らされる、質素な部屋の壁。
「はあ……もう一度見るか…………あんたには、血も涙もないのか! アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト!」
今回のホログラフレターは、再生回数一回設定。
初期化されてしまった記録媒体は小物入れに、メッセージカードはファイルにとじ、帰国までの間に、報告書を完成させるべく作業にに取りかかった。
**********
旅程の半分を過ぎたころ、書類整理に勤しんでいたフェルナーの元に、ファーレンハイトから連絡がはいった。
『元気にしているか』
「それなりに。……で、なんですか?」
話を聞く前だが、面白いことではないことだけは、フェルナーにも、はっきりと分かった。
『次の補給基地で、ブルーメンタール伯爵夫人を拾ってオーディンまで連れてこい』
「うわ……また、厄介な仕事を。伯爵夫人、なにかしたんですか?」
『ジークリンデさま、殺害未遂』
「お姫さまの人生って、なかなかスリリングですね」
『本気で殺すつもりがあったのか、なかったのかは分からないが、本人がそう自供したので、船から降ろした』
「夫人殺害の理由に、心当たりありそうですね」
『心当たりというか、これしかないと思われる理由が一つ。以前ジークリンデさまが話した、化粧領の話を覚えているか?』
「覚えていますよ」
『ジークリンデさまは父上であるグントラムさまからの他に、国務尚書からも化粧領を与えられている』
「覚えてます、覚えてます。亡くなられたご母堂が嫁ぐ際に、リヒテンラーデ侯から与えられた化粧領を、そのまま受け継いだと」
『グントラムさまが用意したのは商業都市。リヒテンラーデ侯から渡されたのは農業地帯。収益は前者のほうが格段にいい。それで、お前が言った通り、後者の領地は亡くなられた母君が嫁ぐ際に渡されたもので……国務尚書としても、ジークリンデさまには足りないと感じていた』
「ご母堂は、ただの一族の娘扱いだったんですね」
『そうだな。そこで国務尚書は、ジークリンデさまの化粧領の開発に本腰を入れた』
「収益があがるようにですね」
『そうらしい。で……専門家と話し合いの結果、国務尚書が望む収益を上げるには、領地が小さすぎるとなった』
「なんか嫌な予感がしますが……もしかして、お隣さんを取り上げました?」
『ご名答。もっとも国務尚書が所有している領地なのだから、取り上げるも何もないのだが』
「取り上げられたお隣さんが、ブルーメンタール伯爵夫人なんですね」
『化粧領を別の場所に変えただけなのだが、それも癇に障ったようだ。なにより、新しい領地は前の領地と完全に同じもので、一切色が付いていなかったそうだ』
「あー。うん、まあ。気持ち分からなくもないのですが、元凶はリヒテンラーデ侯ですよね。ジークリンデさまは、なにもしていませんよね」
『それはな。なにせジークリンデさまは、そんな計画が進んでいることも知らんしな。収益が増えたら、搾取されているのではないかと心配するだろうが』
「それで、伯爵夫人をどのように?」
『同じ船に乗せていると危険なので降ろし、お前が回収してオーディンまで連れてくるようにとのことだ』
「かしこまりました。一応聞いておきますが、自殺されたら問題になります?」
『ならんだろう。国務尚書のあの顔は……後日、説明があるだろうな』
「それについては、リヒテンラーデ侯から聞けなかったら、教えてください。それにしても、ブルーメンタール伯爵も大ダメージですね。むしろ、終わった?」
『ほぼ発狂しているな。それで、ハイデマリーがジークリンデさまを害しようとしているのに、最初に気付いたのはゲオルギーネだった』
「伯爵の愛人のゲオルギーネ?」
ハイデマリーがジークリンデを暗殺しようとしている ――
それに気付いたゲオルギーネは、どうするべきかを考えた。
知らなかったことにするとは、考えなかったとゲオルギーネは証言した。
だが「知らせる」となると、誰に知らせていいのか、非常に悩むはめに。
ジークリンデが殺害される、もしくは未遂で終わったとしても、犯人捜しが始まる。
その際にハイデマリーの犯行だと「ジークリンデ側の人間により」判明した場合、ブルーメンタール伯爵とそれに連なる者たちは、連座することになり、そこにはゲオルギーネも加えられる可能性が高い。
自分は知らなかった、関係ないと言って、聞き入れられ助けてもらえるなど、よほどの馬鹿か楽天家、もしくはその両方の性質を持ち合わせてでも居ない限り、考えるはずもない。
もう一つ、ハイデマリーの犯行だと「ブルーメンタール伯爵が」最初に気付いた場合、自らの保身のために、ハイデマリーの犯行を隠そうとするだろう。
ゲオルギーネが「奥様が……」などと報告し、それが真実だと判明したとき、ブルーメンタール伯爵がゲオルギーネを生かしておく可能性はきわめて低い。なにせ事情を知っている人間は、少ない方が安心できる。
最悪なのはハイデマリーの犯行を隠すために、偽の犯人を仕立て上げること。その候補に選ばれる可能性が高いのは、命じられてジークリンデの取り巻きとなっている、ゲオルギーネ当人。
なにもしなければ死ぬ。内々で済ませようとすると、やはり死ぬ。ゲオルギーネは死ぬのはまっぴらなので、ジークリンデ側に情報を伝え、己の身の安全を確保することにした。
『そうだ。気付いたゲオルギーネは、自分の立場と置かれている状況を冷静に判断して、シュトライトに伝えた』
ゲオルギーネにとってブルーメンタール伯爵よりも、フレーゲル男爵の部下のほうが信用できたという訳だ。
「下手をしたら殺されてしまいますものね。シュトライト大佐とは、良い人選ですね」
『まあな。ゲオルギーネの好みだとか』
「あー……そういう人選。それでいいの?」
『ブルーメンタール伯爵が使い物にならなくなったら、別の男に乗り換える必要があるから……だと、自分で言っていた。本音かどうかは知らんが』
「好みは大事だと思います。ま、とにかく伯爵夫人をオーディンまで連行します」
『一応貴婦人だから、相応に扱えよ』
「はいはい、一応貴婦人でしたね」
厄介事を押しつけられたフェルナーは、貴婦人に拘束衣を着せ、営倉に放り込むわけにもいかないので、艦長と共に隔離部屋を用意して、ハイデマリーを搭乗させた。
調度品の量にほぼ全員が表情を引きつらせるも、
「随分と少ないな」
「これで少量なのですか? フェルナー少佐」
「衣装ケース二つに食器箱が一つ。宝石箱が一つくらいなら、伯爵夫人の一週間半の旅行の荷物としては、少ない部類だ」
口を閉ざし表情を強ばらせたままのハイデマリーを、簡素な部屋に通し、一時間おきに巡回した。
真相を詳らかにするように命じられたわけでもなければ、生死すらどうでもいいので運んでこいと命じられただけなので、フェルナーはハイデマリーに一切関わらず、
「三週間の滞在でこの程度……とか言われたら、やだなー。褒められても、気持ち悪いけど」
国務尚書に提出する書類を仕上げていた。
一週間ほど完全に無視したところ、ハイデマリーが事件について話したいと言い出した。どんな尋問にも、貴族の矜持で耐えてみせると意気込んでいたハイデマリーだったが、この完璧な無視ぶりに焦りと、それ以上に自分の存在の軽さに恐怖を覚えての申し出だった。
「それは帰国してから、然るべき方にお話ください」
だがフェルナーの態度の素っ気なさは変わらず。
さっさと部屋を出ようとすると、椅子から立ち上がり、僅かな家財道具に八つ当たりを始めた ―― が、生死を問われないので、自傷しようがしまいが、フェルナーの知ったことではないので、そのまま部屋をあとにした。
「嫌ですよ。話を聞いたら、報告書書かなきゃならないじゃないですか」
その後、昼食を運ぶと「話を聞かないと食べない」と言われたものの、あと三日もすればオーディンに到着するので、衰弱はするだろうが、死にはしないだろうと、ここでも完全無視。
泣いて話を聞いてと言われたが、艦長や従卒が、はらはらするほど無視をし通して、オーディンまで会話せずに過ごした。
駆逐艦は夜半過ぎに軍港に入り、フェルナーは到着したことをファーレンハイトに告げ、ハイデマリーを連れ、国務尚書の元へすぐに向かった。
ちなみにハイデマリーが生きていると伝えた時、端末の向こう側からファーレンハイトの舌打ちが聞こえたが、それは聞かなかったことにしておいた。
「連れていけ」
国務尚書はハイデマリーを見ることもなく、書類に視線を落としたまま、部屋に控えていた部下たちに命じた。
男性の部かに両脇を抱えられたハイデマリーは、必死に叫ぶが誰もなんの反応も返さず。
重厚な扉が閉ざされ、金切り声が遮断されたところで、国務尚書は顔をあげた。
「……」
室内は充分な照明で、部屋中くまなく明るいのだが、外の暗闇よりも暗く感じる空気が充満している ―― ように、感じる者がいてもおかしくはないくらいに、冷たく静まり返っていた。
「報告書」
「ここに」
外部に漏れては困るので、紙には書かず、端末の中のみ。
紙をめくる音すらしない室内で、フェルナーは直立不動で待ち、
「これからも、この調子で続けろ」
案の定褒められはしなかったが、認められることになった。
「御意」
国務尚書は立ち上がり、棚からファイルを一つ手に取り、フェルナーに差し出す。
「なんでしょう?」
「ハイデマリーの罪状について。知りたくはないか」
「興味ありません」
「そうか」
ファイルを手に机に戻り、座り心地のよい椅子に腰を下ろし直す。
「私は政敵と手を組むこともある」
部屋には誰もおらず、カーテンが空いたまま、秋の夜空を背負う形になっている国務尚書と、退出許可がもらえず、突っ立ったままのフェルナー。
「敵の敵は味方とは、よく聞きます」
「だが所詮は敵。最後まで手を結び続けるつもりなどない」
「相手も同じでしょうね」
「私は相手を殺す算段を付けてから、手を組む」
もしも軍人と手を組まなくてはならない場合、同盟に殺されるのを期待したりはしない。
じわりじわりと追い詰めるのも良いが、相手がまともな思考をしていれば、状況を打破するためにクーデターに打って出る可能性もある。
「それはそれは」
「時間をかけ、病に見せかけて殺してくれる毒がある」
「……」
「自制心のある女ならば、生かしておいてやったが、あれはそれらに欠けている。ハイデマリーは三年後には、病死していることだろう」
『ならんだろう。国務尚書のあの顔は……後日、説明があるだろうな』
ファーレンハイトから連絡が入った時の台詞が、このことを差しているのだと、合点がいった。
「そういうことでしたか」