黒絹の皇妃   作:朱緒

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第133話

 フェルナーが偽造したジークリンデの手紙 ――

 

 彼らは顔を知られているため、迂闊に殺し屋の住居に近寄るわけにはいかない。

 フェザーンでは芸能人の住居に贈り物を届ける際に、民間のメッセンジャーをよく使うので、彼らもそれを利用した。

 運ぶ品物によりけりだが、通常の配送業者よりも、倍以上の金が掛かるが、その分迅速で確実に届ける ―― 帝国には存在しない仕事でもある。

 

「ミラベル・ボーヴォワールから接触はあったか?」

「そっちからの接触はありませんでしたが、バシリオ・セルバンテスと名乗る人物から会いたいとの連絡が」

 

 手紙を発送してすぐに、フェルナーの端末に男性の声で連絡が入った。

 非通知ではなく、相手のコードが画面に表示され ―― 覚えのないものだったので、怪訝に思ったが、すぐに回線を開いた。

 

「テルエスのもう一人か?」

 

 フェルナーが持つ端末の通話コードは一般には知られておらず、フェザーンではコードは調べようがない。

 その端末にどのようにして連絡を寄こしたのか?

 

「そうだと言っています」

 

 フェルナーが偽造した手紙に「部下の端末のコード」を忍ばせておいたからに他ならない。

 もちろん、本物のジークリンデなら絶対にしない行動。

 

「では、そいつに会ってみるか」

「どこで?」

「高等弁務官事務所で」

 

 二人とも何も言わないが、接触してきた人物に心当たりがあるので、場所を高等弁務官事務所に設定した。

 彼らが思い描く通りならば、接触してきた人物は高等弁務官事務所内に、難なく入ってくることができる。

 

「了承しました。そう言えば、准将はあまり驚いていないようですね」

 

 殺し屋の懐柔が上手くいきそうなことに、ファーレンハイトはあまり驚いてはいなかった。

 

「過去に何度かな」

「仲間割れ?」

「仲間割れというより、雇い主の命令に背いて、ジークリンデさまを自分のものにしようとする輩同士で殺し合い」

 

 ジークリンデは一人きりになることはなく、また侍女だけを連れて歩くような不用心な真似もしないため、誘拐する側は最低でも二人は必要となる。

 確実を期すならば五人は必要だが ―― 人が増えれば、個人の思惑や感情も同じ数だけ増える。

 だがジークリンデは当然一人だけ。そうなったとき、彼らは仲間割れをする。

 

「率直に言わせてもらいますけれど、すごいですね」

 

 ジークリンデが気を失っている間に、犯人たちが血で血を洗う争いとなっているのだが ―― 自業自得と言えばそれまでだが。

 

「美しさのせいで誘拐されかけて、美しさによって、その相手を破滅させるような人だ」

 

 来るかどうかは不明だが、バシリオを高等弁務官事務所に呼びだしたところ ―― 予想通り、何事もなく、面会場所までやってきた。

 

「やはり、メッセンジャーでしたか」

 

 手紙の配達を依頼したメッセンジャーこそが、バシリオ・セルバンテス。

 

 バシリオは二人を褒めたが、難しいことではないとフェルナーが否定した。

 

「連絡来るのが早すぎたんで。あの時間に連絡を入れてくるってことは、どう考えても一番に受け取った人物としか考えられなかったので」

 

 彼らはフェザーンの民間事業については、さほど詳しくはなく、メッセンジャーも高等弁務官事務所から紹介された者を使用していた ――

 

**********

 

 バシリオの話をまとめると、テルエスの二人は、依頼料が破格だったため、フリーデリーケからの仕事を引き受けた。

 またターゲットが重要人物だというのも、テルエスの興味を誘った。

 難しい相手を殺害すれば名は売れる……という理由で。

 いつも通りミラベルがルビンスキーやその周囲から情報を集めて、バシリオとともに、殺害計画を立てたまでは良かったのだが、ジークリンデが彼らの想像以上に美しかった。

 

「当初の予定では、到着してすぐに射殺する計画だったそうです」

 

 彼らは逃げ場のない軌道エレベーター内で移動している際に、ジークリンデを射殺する計画を立てた。

 

「ポイントとしては最良だな」

 

 軌道エレベーターはさほど広くはなく、位置が定まると地表に降りるまで、それほど立ち位置が変わることはなく、また移動速度も一定のため、理論的にはポイントを予測しやすい。

 対流圏も半分を過ぎ、そろそろ地表だというとろこで、斜め下から顎を撃ち抜く ―― 狙撃に使われる銃の射程距離は4kmだったわけだが、平地ではかなりの距離だが、軌道エレベーターに搭乗している人を撃ち抜くとなると、さほど使い勝手が良いわけでもない。むしろ地表ぎりぎりまで待たなくてはならない。

 

「そうですね。腕がよくなければ、まず無理ですが」

 

 もちろん銃を構え狙う場所も必要なのだが、そこは軌道エレベーターの地下を確保していた。

 要は地中から地表1kmくらいのことろで撃ち殺す ――

 軌道エレベーターに搭乗した時点では、まだジークリンデが狙われていることを誰も知らなかったので、この方法で狙撃されたら、彼らには防ぎようがなかったのだが、軌道ステーションに降り立ったジークリンデは、彼らが思っていた以上に美しかった。

 

「先に裏切ったのはバシリオか」

 

 万全の体制を整えて地下に潜り込んだバシリオは、軌道ステーションに現れたジークリンデの姿を見て愕然とし ―― 撃ち殺すことができなかった。

 バシリオがジークリンデを射殺しなかったことを怪訝に思ったミラベルだが、その日のパーティーで、ジークリンデを見た彼女は、バシリオが撃ち殺せなかったことを理解して、二人は仲違いをする。

 バシリオが撃てなかったことを怒ったわけでも、ミラベルが仕事を引き受けたことを責めるわけでもなく「一方が一方に”テルエス”の今までの罪を、全てなすりつけて、もう片方は何事もなかったように生きてゆこうとした」ために起きた仲違い。

 

 両者が諍いを繰り広げ ―― 

 

 殺し屋の件が無事とは言いがたいが”終わった”と ―― 二人は暗殺者のヴィクトールに報告するために会っていた。

 話の内容もそうだが、長くなる話なので、人目を避けるべく、今は誰もいないシュッセンリート迎賓館での密談。

 

「それで、そいつらは?」

 

 三日後にはシュッセンリート迎賓館に戻ってきて、公務が再開することもあり、彼らは「ジークリンデさまの安全確保のために、巡回してきます」と申し出て、自由時間と迎賓館に立ち入る許可を得た。

 

 無人の迎賓館で、各自見回りのための懐中電灯を持ち、窓と面していない廊下で、壁に背中を預けての会話。

 

「証言と引き替えに、生命財産を保証」

 

 無人と分かっているがフェルナーが盗聴を含め、辺りをうかがい、ファーレンハイトが事情を説明する。

 

「ぬるいな」

 

 テルエスに対する処遇を聞いたヴィクトールは、処分してしまえと。

 

「フェザーン人なので手加減をした」

「……」

「そんな表情するな」

 

 壁に背中を預けての会話なので、互いの顔など見てはいない。

 

「こちらを一切見ていないのに、表情が分かるのか」

「分からんな」

「だろうな。ところで、侯爵家のフリーデリーケはどうする?」

「さあ。貴族階級の策略は、小官が知るところではない」

「逃げたな」

「暗殺者が雇われるとしても、お前が雇われることはないだろう」

 

 これから手順を踏んでフレーゲル男爵に事情を説明して、あまり激高させずに、上手く取りなすための下準備に「シュトライトが」追われていた。

 シュトライトは貴族に知り合いが多く、その中にはボルネフェルト侯爵家に連なる人物もいるため、彼としては被害を最小限に抑えたく、自ら志願したのだ。

 

「なんにせよ、姫君から危険が遠ざかったということだな」

 

 ヴィクトールはそう言ってから、メモリーを取り出しつきだした。

 中身がなんなのか? 聞くこともなくそれをファーレンハイトは受け取り”そろそろ出るか”と裏口に向かって歩き出す。

 青白い小さな明かりに照らされた、人気のない闇に埋もれてしまったような大理石の廊下は、絢爛さは微塵も感じられない。

 

「そう言えば、初日の夜にテルエスについての情報もらった訳ですが、事情を知ると無意味だったわけですね」

 

 顔の辺りに懐中電灯を構え、ブラスターを握っていたフェルナーが「そうそう」とばかりに語り出した。

 たしかにフェルナーが語る通りなのだが、それに触れるか? と ――

 

 三人で迎賓館を後にするわけにはいかないので、ヴィクトールが辺りをうかがい、人に見られぬように去ったあと、警備システムを作動させて迎賓館を後にする。

 

「さすがだな。俺でも言わんことを、あっさりと言ってのけたな」

「よく言われます」

 

 上着のポケットに突っ込んだメモリーを指先で触り、確認しながら二人は帰途についた。

 

**********

 

 事情が分かれば危険は無かったも同然だったのだが、そんなことは知りようもない。

 これから行う事後処理のほうが、色々と面倒なのだが、ジークリンデが殺害される危険が確実に一つ去ったことは大きく、二人の表情は晴れやかであった。

 

「なにか良いことあったの?」

 

 そのすがすがしさは、ジークリンデが気付くほど。

 

「それはもちろん、ジークリンデさまとお食事を一緒にできるのが嬉しいからですよ」

「そう。嬉しいわ」

 

 本日のジークリンデはフェルナーやファーレンハイト、ミュラーにフェザーンの警官二名ほどと共に、形式張った高級店ではない店で夕食を取る予定になっていた。

 隠れ家的で店の雰囲気がよく、帝国では食べられない類いの料理をだし、その料理はもちろん美味く ――

 ジークリンデのふんわりとした依頼をしっかりと精査し、フェルナーは適する店を探し出し予約を入れた。

 

「このドレスですか」

「はい」

 

 普段ジークリンデが足を運ぶ店は、正装した貴婦人が優雅に歩くことができるスペースが維持されているが、今回向かう店は、ちょっとお高いところだが、パニエで大きく膨らんだAラインのドレスだとか、バッスルスタイルのドレスなどを着用した貴婦人は想定されていないので、店内の広さを考えたドレスが必要。

 パニエを着用しないでドレスを着せる案もあったが、もともと大きく膨らむことを前提に作られたドレスなので、そのスタイルにしてしまうと、どれも今ひとつ。

 似合わない格好を、公衆の面前でさせるわけにはいかないので、彼らは連れてきた仕立て屋に「こういった店に着ていける服」を注文した。

 注文を受けた仕立て屋と針子は、女家庭教師がよく着る服(地味なタイト風ロングスカートに、白いブラウス)を元にし、地味にならないように、派手にもならないように、胸元や袖口をフリルで飾り、花柄の刺繍が施されたロングのフレアスカートを仕立て上げた。ジークリンデにしては、随分な軽装といえる。

 

 こうして着々と準備を整えていたフェルナーたちだったのだが、

 

「くじ引き……ですか?」

「そうよ、アーダルベルト」

 

 計画通りに物事が進まないことは、よく理解している彼らだが、ジークリンデの行動は「想定外中の想定外」

 護衛の警官を二人選ぶと聞かされたジークリンデは、自分でその二人を選ぼうと、自分で編んだレースの片端に、赤い糸で印を付けて当たりくじを作っており、これで選びたいと言い出した。

 

「レースに細工をなさっているのは、知っていたが」

「まさかご自身で”くじ”を作るとは、思ってもみませんでした」

 

 ファーレンハイトとフェルナーは「警官は無作為に選びますよ」とは告げたが、本当に無作為に選んだわけではない。

 帝国側は男ばかりなので、フェザーンは婦警に限定。

 そのフェザーンの婦警だが人種がまちまちなので ―― 当然のことながら、白人を選んだ。

 

「白人の婦警が当たりを引いてくれることを、願いましょう」

 

 正当な結果を出すくじ引きを拒否したいところだったが、

 

「ああ、そうだな」

 

 彼らはジークリンデに弱かった。なので、譲れない「婦警限定でお願いします」と、そこだけ譲歩してもらい ―― そしてくじ引きの結果、黄玉華(ファン ユーファ)とスヴェトラーナ・ドブロフスカヤという、当初除外されていた二名が引き当てた。 

 

「宜しいのですか? ファーレンハイトさま」

「仕方あるまい」

 

 黄玉華は名の通り東洋系の黄色人種。

 スヴェトラーナ・ドブロフスカヤは名こそロシア系だが黒人。

 婦警二人は、くじには細工がされていて、自分たちが引き当てることなどないと、安心して引いたのに、同行することになり動揺が隠せなかった。

 凶悪犯に立ち向かうだとか、暴漢を射殺するだとかは、動揺なく冷静に遂行できる自信はあるが、門閥貴族の夫人と同じテーブルにつき、食事を取るとなると、そうはいかない。

 

 こんな感じで悪意は一切なく、人種に関して過去の記憶のまま、まったく気にすることなく、飲食店とは分からない、看板一つ出ていない店へ。

 

 素っ気のない鉄製の一枚扉を開け、客に気付いた黒いズボンに白いシャツという制服を着用した店員が、小走りに近づいてくる。

 端末を取り出し、予約画面を見せた。

 

「アントン・フェルナーさま……ですね」

「そうだ」

 

 店に予約を入れる際には、有り触れているフェルナーの名で予約した。

 店側は喋り方や、単語の選び方から、生粋のフェザーン人ではなく、オーディンからの旅行者だろうと考えて ―― その考えは的中していたのだが、まさか大貴族の連れがいるとは思わなかった。

 艶やかな黒髪と、日焼けとは無縁であろう白く滑らかな肌。そして誰もが見惚れ、人によっては呼吸すら止まる。

 

 案内の店員も、ご多分に漏れず、しばし動きが止まり、そして ―― 早くに客席に通すべきだとは分かっているが、さまざまな事情が思い浮かび、どうして良いか分からなくなってしまった。その店員を助けるべく、別の店員が店長を連れてやってきた。

 

 話を聞いた店長は、とりあえずジークリンデに待合席に座ってもらい、

 

「フェルナーさま、ちょっと」

 

 予約を取ったフェルナーを、離れた場所へと連れ出した。

 

「なんですか?」

「まことに言い辛いことなのですが、当店は白人以外の方もお客様として扱っておりますので」

 

 フェザーンは金さえ払ってくれるなら、誰でも受け入れるのが基本。

 この店も、当然その考えに基づき経営しているので、客の人種はさまざま。店内にはすでに、黒人客もおり、食事を取っている。

 最初の店員が焦ったのは、門閥貴族を他の人種もいる店内に通していいのかどうか? 悩んだためである。

 

「気にしなくて結構ですよ」

「ですが……」

 

 店長は要点をかいつまんで説明したが、フェルナーは動じることなく、ジークリンデは当初の予約席に通された。ちなみに店長はいわゆる雇われて店長なので、急ぎオーナーに連絡を入れ”彼女”が来るまで、失礼がないようもてなすように指示された。

 

「サプライズ?」

 

 席に着いたジークリンデは、メニューよりも先に”なんの話をしてきたの?”と尋ねる。

 そこでフェルナーは、店長から聞いた話を、うまく再構成して伝えた。

 

「そうです。隣の予約席はカップルだそうで、男性が女性に結婚を申し込むそうです。プロポーズが成功したら、みんなで拍手するそうですよ」

 

 帝国では馴染みのないプロポーズ方法だが、ジークリンデは遠くおぼろげに一度か二度、そのような現場に遭遇した記憶があった。

 

「私も拍手して良いのかしら?」

「もちろん、構いませんよ。店内の客、みんなで祝うそうですから」

「まあ、楽しみだわ」

「それで、ここから重要なのですが」

「なんですの? アントン」

「隣の席の予約客は黒人です。ドブロフスカヤ刑事と同じ黒人です、宜しいでしょうか?」

 

―― どれだけ私は、人種差別する人間だと思われているのですか……仕方ないとは言え、傷つくわー

 

 貴族の令嬢は人種差別すると思われて傷ついたりはしないので、ジークリンデがどれだけ傷つこうが、これは仕方のないこと。

 

 そこまで一緒にしてはいけないと分かっているのなら、席を離したら ―― そう思われそうだが、そう簡単でもない。

 ジークリンデが座っている席は、壁側にクッション席、向かい側に椅子席。入り口が見え、調理室から出てくる店員も見え、手洗いも座ったまま監視できる唯一の席。

 ジークリンデは壁側のクッション席の真ん中で、両脇はファーレンハイトとフェルナー。向かい側はミュラーで、側面に黄とドブロフスカヤが着く形。

 この席以外では、目視から回避行動を取るのに、遅れが生じるので移動はできない。

 

 ではまだ到着していない、隣の席の客を別のテーブルに……だが、隣の客もフェルナーと同じく、テーブルも指定していた。

 カップルにとって、初めてデートした時に座った記念の席なので、是非とも、その席でプロポーズしたいので、日付はいつでも良いが、かならずその席を ―― その条件で予約を受けた以上、勝手に別の席に変えるわけにもいかなかった。

 

「大皿料理で、取り分ける形です。コースじゃないんで、好きな料理を好きな順に注文していいんですよ。この前のブルーベリーケーキのような悲しい思いはしなくていいんですよ」

 

―― 知ってますー。適当に注文して良いのは知ってますー

 

 丁寧に説明してくれるフェルナーに”ありがとう”との思いを込めて、

 

「じゃあ、デザートから注文していいのね」

 

 お菓子から攻めますよ! 宣言したところ、

 

「まずお食事にしましょうね、ジークリンデさま」

 

 ファーレンハイトに”それは駄目です”と、やんわり全否定された。

 


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