黒絹の皇妃   作:朱緒

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第132話

 器の小ささを存分に披露してくれたフレーゲル男爵と、行動には気付いていないが、良人の器が小さいことなど、結婚前から知っているジークリンデは、軽く馬を走らせて戻ってきた。

 

「お楽しみでしたね、男爵閣下」

 

 フェルナーは楽しそうに声をかけた。

 

「まあな」

 

 馬から下りたジークリンデは、ファーレンハイトと婦警たちを伴い休憩所へ向かったので、この場にはいない。

 

「ですが、そのくらいになさったほうが宜しいかと。これ以上は、煽りかねませんよ」

 

 フェルナーとしては、周囲に夫婦の仲むつまじいところを見せつけるのは構わないのだが、それにより煽られ、ミュラーが思いも寄らない行動に出ることを危惧……とまでは言わないが、そうなりかねないと進言せずにはいられなかった。

 

「……ふん! 言われなくても分かっている」

「差し出がましいまねをしたこと、お許し下さい」

「まあ、許してやろう。ありがたく思え、平民」

「御意にございます」

 

―― お姫さまのこと以外は、人の話を聞き入れることができるんですね

 

 フレーゲル男爵が、己の妻に対する愛と、己の狭量さを”これでもか!”という程、ミュラーに見せつけた乗馬は終わり、ホテルへと引き返してきたのが正午過ぎ。

 

 ホテルのレストランでは、ランチタイム終了後、今度はティータイムとなり、

 

「ホテルのアフタヌーン・ティーって、どんなものかしら」

 

 ジークリンデはフレーゲル男爵とともに、アフタヌーン・ティーを取るべくレストランへ。

 当初希望を聞いたとき、誰もが部屋で開くよう手配するのだろうと考えたのだが、ジークリンデは部屋ではなくレストランで楽しみたいと ―― ファーレンハイトたちとしては、殺し屋もそうだが、誰でも立ち入れる店となるとアンドリュー・フォークが心底面倒だとは思ったが”貸し切りにはしないわよね?”と、上目遣いに聞かれては「はい」と頷き従うしかない。

 

 レストランのテーブルは区切られているとはいえ、他の人もお茶を楽しんでいる空間が楽しいのであって、貸し切りなどにされたら、部屋で開かれているのとなんら変わりないので、ジークリンデとしては楽しくはない。

 

「楽しみか? ジークリンデ」

 

 このティータイムには明確なドレスコードはないので、ジークリンデは少々頭を悩ませたが、結局普段通りに ―― 水色のボイル生地のS字型スタイルのドレスで、胸元は花文様のレースを重ねたもの。

 

「はい! だってレオンハルトと一緒ですもの!」

 

 両手で頬を隠すように触れ、笑顔を浮かべ、全身で嬉しさを表現する。

 

「うむ。私もジークリンデと二人きりで、幸せだ」

 

 もちろん周囲にはミュラーを含む護衛がいるのだが、基本貴族はそれらを数に入れないので、当然の台詞になるのだが、間違いなく意識しての台詞であることは、ジークリンデ以外の者たちは感じ取っていた。

 

―― うん、まあ……自慢しまくっても、良いです。自慢したくなる奥方さまですから

 

「そう言っていただけると、私も嬉しいです」

 

 五年後に再会しても”あの通り”だったことからも分かる通り、ジークリンデは自身に向けられているミュラーの好意は、淡いものなので気付かず。

 フレーゲル男爵の態度もいつも通り……ということもあるのだが、とにかく一人、怖ろしいほどに鈍感なジークリンデだけが、その意図に気付かず。

 

―― 全ての男は例外なく自分に惚れると自信を持ったところで、誰も何も言わないでしょうに

 

 これほど美しくとも自信過剰ではないジークリンデのことはフェルナーとしては好ましいが、同時に、少しは自分が無意識で男を弄びかけていることに気付いて欲しいとも思うのだ。

 

―― 無意識だから、どうしようもないんですがね

 

 きっちりとした格好とふわふわとした子供っぽい仕草と、時折見せる年齢以上の大人びた表情 ―― どれもこれも、ジークリンデを魅力的にみせる。

 そんな話をしている間に一行はレストランに到着し、予約席に通された。

 

「可愛らしいわ」

 

 丸いすこし小さめなテーブル。

 白いテーブルクロスに、白い皿が目をひくケーキスタンド。それを支える枠を飾る、朱色味を帯びた赤いミニバラと、小さな緑の葉。

 

「そうだな」

 

 フレーゲル男爵はシャンパングラスを持ち、ジークリンデが可愛いといったミニバラに軽く触れる。

 皆、ジークリンデの言動を「お姫さまらしいな」と、微笑ましく眺めていたが、ジークリンデ自身は「これ食べられるのかしら? 食用花? フェザーン人は無駄なことはしないでしょうし。昔も食べる花はありましたけど、でも……」これ(ミニバラ)は食べていいものか? 食べないと失礼にあたるのだろうか? フェザーンでは食べるのが普通なの? と、とても悩んでいた。

 

 聞くべきか、聞かないべきか? 悩んで聞かないことに決めた。それほど花を食べたかったわけでもないので ――

 

 蕾のミニバラを愛でつつ、目の前のサンドイッチやスコーン、ケーキや紅茶よりも、フレーゲル男爵と話すほうが楽しみだとばかりに、ジークリンデは話し掛け、フレーゲル男爵も同じように会話を返し ―― まさに会話に花が咲いた結果、

 

「……」

 

 ジークリンデのフォークとナイフを持つ手が止まり、深刻で物憂げな表情を浮かべる事態に。

 

「ジークリンデ、どうした?」

「おなか、いっぱい……」

 

 上段のケーキに到達する前に、満腹になってしまった。

 

「そうか。ならいい」

 

 あまりに切なげな表情だったので、どうしたのかと ―― フレーゲル男爵だけではなく、全員が心配し、大事ではないことに安堵したのだが、当のジークリンデだけはわりと深刻だった。

 

「楽しみにしてたのに……」

 

 ジークリンデはブルーベリーケーキが”以前”好物だった。

 だが帝国ではあまり一般的な菓子ではなく、見かけることはなかった。

 菓子職人に指示して作らせるにも、作り方も分からないので ―― 好物ではあったが、食べられなければ死ぬといった程でもないので、他の菓子も文句なしに美味しかったので、我慢というほどの我慢は必要なく過ごしてきたのだが、目の前にあれば食べたくなるもの。

 だがアフタヌーン・ティーの作法として、下段から食べなくてはならない。

 早く上段に到達したいからと言って、勢い込んでがっつくとはいかないので、下段のサンドイッチから皿に取り ―― 是非ともそれを食べてみたかったのだが、話に夢中で気付けば……。とくにS字型スタイルのドレスということもあり、締め付けがしっかりとしているので、無理と感じたら、なにをどうしても無理。

 

 ドレス選びを失敗した自分を恨めしく思いながら、ジークリンデは残りの紅茶を飲み干した。

 

 ティータイムでは諦めることになったブルーベリーケーキだが、フレーゲル男爵が手配し、この後の観劇の最中、ボックス席でブルーベリーケーキを食べる機会を得ることができた。

 

「太るかも」

 

 観劇後、舞台に出演している役者たちも参加するパーティーに出席することになっている。

 

「それは、それで構わんがな」

 

 パーティー会場は料理が多数並ぶが、ジークリンデはいつも通り食事をせず、白ブドウジュースを持って、笑顔で話を聞く時間が待っていた。

 

「レオンハルトが構わないというのを信じて食べます。本当に太っても、大丈夫ですの?」

 

 それもあって、ケーキの一切れくらいは食べさせておこうと、こうやって手配した。

「構わんぞ」

 

 小さな口とケーキをその口元へと運ぶ、銀のフォーク。

 

―― せんべい食べてるのより、ずっとお似合いです。異音もしないし

 

 ミラベル・ボーヴォワールが出演している舞台を見ながら、大きな花柄の模様が描かれた皿を手に持ち、シンプルな銀のフォークでケーキを食べるジークリンデの側で、警護に当たっていたのはフェルナーだった。

 

**********

 

 フリーデリーケが放った殺し屋 ―― これに関しての決着は、フリーデリーケも、仲介したフェザーン商人も思ってもいない方向で収まった。

 

 彼らにとっては悪い方向に。

 

 ただしフリーデリーケや仲介した商人にとっては思っていない方向だが、四年ほど警護についているファーレンハイトに言わせると”初めてではない”結末。

 

 調査を進めていた彼らの元に、テルエスに関する情報が続々と集まってきた。

 裏でルビンスキーが手を回していることは、彼らにも容易に想像がつく。

 だがルビンスキーから直接情報を渡されているわけではないので、情報が伝わる間にテルエス側が、仲介している者を買収し、情報工作している可能性もある。

 またジークリンデ側が自治領主を通して情報を集めることくらい、相手も想定の範囲内だと彼らは推測する。

 嘘の情報を彼らに流すためだけではなく、ジークリンデの日程も買収されている可能性がある。

 ルビンスキーの近辺に情報流出、誘導経路があると考え、

 

「こちら側から”どちらか一方は不問にする”と持ちかけてはどうだろう?」

 

 テルエスが男女の二人組ならば、どちらかを懐柔する方法が取れるのではないかと、シューマッハは考えた。

 

「二人組ならば仲違いする可能性はあるが……女性のほうが嫉妬して、無軌道になることも考えられる」

 

 難色を示すシュトライトの脇で、監視画像を見ていたフェルナーが、難しい顔をして画面に身を乗り出す。

 

「どうした? フェルナー」

「ミラベル・ボーヴォワール」

 

 画面に映し出されているのは、ジークリンデと話し掛けている女優のミラベル・ボーヴォワール。

 

「その女優がどうした?」

「なんか引っかかるんですよ」

 

 なにがどう引っかかるのか? フェルナーも説明できない、勘としか言えないのだが、なにかが気になり ―― その場面を何度も繰り返し再生する。

 

「その女の体つきは、狙撃手には見えないが」

 

 ジークリンデに話し掛けられるほど近づいているので、当然彼らの近くでもある。露出の多いドレスを身につけているミラベルなの体つきは、射撃に必要な筋肉などは持ち合わせているようには見えなかった。

 

「ごくごく普通に、男が狙撃手で、女がターゲットを誘導する役割だとしたら?」

「逆を教えられていた、ということか」

「逆ではないかも知れないな。演技派で、男装役も”男装している”と分からないくらいに自然だったな」

「男よりも女のほうが警戒されないな」

 

 フェルナーの意見を信じたわけではないが、テルエスの片割れが、すでにジークリンデに近づいていると考えるほうが自然。

 フレーゲル男爵はミュラーへの態度を見て分かるとおり、ジークリンデの側に男がいるのを好まない。フレーゲル男爵はやや度が過ぎるものの、既婚男性の妻に気のある男性が近づくのを嫌う人は多い。

 

「……アンドリュー・フォークだ!」

 

 会話しながらも、画面を睨むように見続けていたフェルナーは、ミラベルが気になった理由に思い当たった。

 

「叛徒の主席がどうした?」

「ミラベル・ボーヴォワールが、アンドリュー・フォークのことを気にしているんですよ」

 

 映像にはそんな素振りは映っていないが、現場にいたフェルナーはその僅かな違和感を感じ取っていた。

 だが離れた位置から状況を確認したとき、それに気付いた。

 

「殺し屋にしてみたら、アンドリュー・フォークは邪魔だろうな」

「たしかに邪魔でしょうけれど、ちょっと意味合いが違うんです、シューマッハ。よく見ていて下さい」

 

 複数の画像を画面に並べ、ミラベルの動きと、周囲の建築物を照らし合わせる。

 するとミラベルは狙撃ポイントにとジークリンデが入りかけると、間にフォークを挟むようにして、ジークリンデの手を引いて移動させていた。

 

「一度や二度なら偶然ですけれど、ジークリンデさまがこの近辺に立たれると、さりげなく、でも迅速に移動させるんです。その移動の間の盾にアンドリュー・フォークを使ってるんです」

 

 ミラベル自身、狙撃手がいると思われる側に立つことはなく、絶対に誰かの影に入っている。

 

「その場では気づけなかった俺が言っていいかどうかは分からんが、たしかに不自然だな」

 

 同盟の人間を盾にしたのは、フェザーン人では盾にならないことを知っているため ―― 同時にフォークが同盟の人間であることも知っているということ。

 

「かなり巧妙ですよ。でも偶然だと言い張られたら、どうすることも出来ません」

 

 だがここまではフェルナーの勘による推測でしかない。ここが帝国であれば逮捕も尋問も簡単だが、残念ながらここは自治領で、彼らは帝国人。確たる証拠もなく逮捕するわけにもいかない。

 

「では賭けてみるか?」

「賭け、ですか?」

「ミラベル・ボーヴォワールに”お前はテルエスの一人か”直接尋ねる」

 

 フェザーンの滞在期間はあと僅か。何事もなく帰国できるなど、甘い考えは持っていないし、彼らとしてはそんなつもりはない。捕らえて、証言させ、ボルネフェルト侯爵家は許してやるが娘のフリーデリーケは排除したいと考えている。

 

「違ったらどうするのだ? ファーレンハイト」

「その時は、事情を説明して、ジークリンデさまの影武者でも頼む」

「その女優とジークリンデさまを見間違うような狙撃手など、いるのか?」

 

―― わりと酷いことさらっと言うな、シュトライトさん

 

 紳士的な容貌と落ち着きある態度のおかげで、いい人に見えるシュトライトだが、たまに酷いことも言う。

 

「准将が見る分には、ミラベル・ボーヴォワールは夫人に惚れ込んでいるんですね?」

「それは確実だ」

「じゃあ、行動に移してみましょうか。じゃあ私、早速ミラベル・ボーヴォワールの家に行ってきますね」

 

 フットワークも軽く、ブラスターのエネルギーパックの残量を確認して、立ち上がったフェルナーを止める。

 

「待て、フェルナー」

「一緒に行きます? ファーレンハイト」

「こっちの警備を手薄にするつもりはない」

「じゃあ」

「もし情報通り”女が狙撃手”だった場合はどうする?」

 

 接近戦ならフェルナーのほうが優位だろうが、手が届かないどころか、見えもしない位置から狙われたら元も子もない。

 

「頭吹っ飛ばされますね」

 

 自分の額の中心を、人差し指で軽く叩き、小さく舌を出して笑う。態度は軽佻浮薄そのものだがだが、目を合わせれば、そんな考えはすぐに霧散する。

 

「敵の陣地に赴く必要もないだろう」

「ジークリンデさまを囮にして、こっちに呼ぶと?」

 

 ミラベルのジークリンデに対する今までの態度が、彼らを欺くための演技だったとしても、ジークリンデからの呼び出しを断ることはできない。

 

「勝手にお名前を借りよう」

「……来ますかね?」

「来るだろう。ところでフェルナー。お前は諜報部だったな」

「准将。私の経歴書、穴が開くほど見たでしょう」

「まあな。諜報部というのは、偽造もできるよな」

 

 ファーレンハイトはジークリンデから渡されたメッセージカードをまとめたファイルを開き、

 

「単文メッセージを組み合わせて、文字を真似ろ」

 

 それを使って呼びだす文章を書けと命じた。

 

「夫人の字を真似るんですか? なんか悪いことをしてるような気がして……あまり気が進みませんね」

 

 ミラベルがジークリンデの文字を知っている筈はないが、テルエスであった場合は、すでにそれらの情報を手に入れている可能性もあるので、真似る必要があった。

 

「お前がもらったカードを、そのまま呼び出しに使っても良いが?」

「私のは数が少ないから、あなたのカードを貸してくれません? 准将」

「嫌だ」

「分かってますよ、はい、分かってますとも」

 

 フェルナーは大量の見本を前に、ジークリンデの専用の筆記用具(予備)を使い、

 

「もう、そのくらいで良いだろ」

「充分似ているぞ」

 

 ファーレンハイトやシューマッハたちに、そこまでやらんでも……と言われるくらいに、丁寧に文字を真似て、ミラベルを呼びだすための偽の手紙を送り届けた ――

 


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