ファーレンハイトを部下として取り込みたい彼女と、美形な彼を部下になどしたくはない、醜男というほどではないが、平均より若干下の容姿持ちのフレーゲル男爵。
「こんな浮ついた顔の男は駄目だ」
―― 浮ついているというよりは、血色悪いだけで……たしかにこの水色の瞳と、銀髪は綺麗だけど。でも、これを逃がしたくはない。無派閥でありながら、出世した貧乏貴族提督
だが絶対に手に入れたい彼女は、フレーゲル男爵の自尊心をくすぐって見ることにした。
「フレーゲル男爵」
「なんだ?」
「この少佐ですが、良い練習台になると思うから推薦したのです」
「練習台? なんの練習だ?」
「フレーゲル男爵が寵姫の弟を部下にした時の」
「私は寵姫の弟など、部下にはしないぞ!」
「ですが、彼が頼ってきたらどうします? 寵姫の弟ですよ」
「……伯父上に頼んで遠ざける!」
「それは簡単ですが、出世は確実ですよね」
「腹立たしいことだが、そうだな」
「ですが最初から元帥ではありませんよね?」
「当たり前だ! ……まあ、陛下ならやりかねぬが」
不敬罪だが、彼女はそこは聞かないことにした。
「彼が部下になる可能性は捨てきれません」
「……それは同意するが、それと、この男が練習台というのは、どのような関係が?」
「フレーゲル男爵、寵姫の弟を見たことありますか?」
「ないが、美しいそうだな」
「私は先日、大伯父に見せていただいたのですが……シュトライト」
部屋には下級貴族の選定をしたシュトライトも控えており、
「こちらになります」
心得たとばかりにフレーゲル男爵にラインハルトの映像を見せた。”これほど”の美しさだとは思っていなかったフレーゲル男爵は、驚きを露わにしたが、彼女が思っていたよりも早く立ち直った。
「美しいことは認める。この男など比べもにならぬな! お前は互角以上だが」
ラインハルトと単純に美醜を比較したら、勝負になるのはジークリンデくらいのもの。
「ありがとうございます、フレーゲル男爵。ですが、この男も整っていることは認めてくださいますね」
「ふむ」
「シュトライトに調べてもらったところ、このファーレンハイト少佐は、莫大な借金を抱えております。彼の借金ではなく、父親が作ったものですが。帝国騎士で貧困、容姿は整っている。美しい姉君はいませんが、寵姫の弟とよく似た育ちです。ですのでこの男で、練習なさってはいかがでしょうか?」
「練習?」
「シュトライト」
彼女が一人で喋り続けても説得力はないだろうと、ブラウンシュヴァイク公の有能な家臣シュトライトに続きを説明させた。
説明内容は過去、寵姫の親族によって破滅させられた門閥貴族について。
権力を持った親族とそれ以外の貴族の闘争。それも軍人に絞って調べ、説明させた結果……
「避けて通れぬか。……そうか、仕方ないな。この男を部下にしてやろう」
宮廷工作には才能あるフレーゲル男爵は、寵姫の弟を操るための練習台としてファーレンハイトを部下にすることを認めた。
もちろん部下にしたのは、ファーレンハイトだけではない。他の下級貴族はフレーゲル男爵の希望通り、あまり容姿が優れない優秀な男たちを選んだので、これらは問題なく許可されたのだ。
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サロンで全く声をかけられなかったのに、どうして招聘されたのか? わからなかったファーレンハイトはブラウンシュヴァイク邸の一室で説明を聞かされたが、納得はできなかった。
「どうしてそこまでして、小官を」
説明をしてくれた、シュトライトに率直な意見をぶつける。
「男爵夫人が卿を推したので」
「それだけですか?」
「それだけですが、男爵夫人は鋭い御方です。卿の経歴書に見出したのでしょう」
ファーレンハイトはシュトライトに関してはそれなりに知っていた。
帝国有数の権門の当主の側近の一人ともなれば、興味がある、なしに関わらず耳に入ってくる。それが同じ軍人であれば尚のこと。
「ですが……」
「男爵夫人とのお話が終わり、送る際に説明いたします」
そんな彼が認める男爵夫人 ―― どのような人物なのだろうかと、ファーレンハイトは曲線が美しいロココ調の椅子に座り、足は組まず、肘掛けに両手を乗せてゆったりと座った。
このような豪華な椅子に座ったことなどない生まれ育ちだが、
―― 男爵夫人が認めるだけのことはある
その所作には充分なものがあり、調度類の豪華さをまえに、みすぼらしさを感じさせるようなことはなかった。
「シュトライト」
「男爵夫人」
クリーム色地に若草色がアクセントとなっているドレスを着て彼女は現れた。
ファーレンハイトは初めてみた彼女の美しさに驚き、やや椅子から立ち上がることが遅れたが、すぐ正気に戻り膝をつき挨拶を述べた。
「ファーレンハイト少佐」
「はい」
「皇帝陛下暗殺未遂事件の実行犯逮捕のために、協力してもらいます」
聞いたが最後、逃げられない任務が下げている頭に降り注ぐことになった。
ファーレンハイトにこれからの予定を説明し、彼女は早々に立ち去った ―― この日、フレーゲル男爵が「我が友アルフレットを連れてくる」と言ったので、急いで帰宅せねばならなかったのだ。
シュトライトが地上車のハンドルを握り、助手席にファーレンハイトが乗り、銀行へと向かった。ファーレンハイト家の借金を清算するためである。辞退しようとしたのだが”金で懐柔されては困ります。分割返済は受け付けます。利子は必要ありません”そのように言われたので、ファーレンハイトは黙って従うことに決めた。
「失礼ながら、男爵夫人は中々賢い御方ですね。シュトライト中佐」
「ええ」
ファーレンハイトがいう「賢い」は利子の存在を知っていたこと。
門閥貴族は借金には利子がつき物だということを知らない者も多く、金を借りて返せなくなってしまことが多い。
おおよそ借金とは程遠い生活をしてきたであろう彼女が、利子の存在を知っていたことに二人は驚いたのだ。
「シュトライト中佐は、あまり驚かれていませんでしたが」
「実は、ファーレンハイト少佐が来る前に、あることを調査するように命じられまして。それが見事に的中していらっしゃったのです」
「見事、ですか?」
「男爵夫人はクラリベル・フォン・ミューゼルの死因が偽装されているように感じられるとおっしゃられ、調べたところ事故死でした」
「事故死ではなかったのですか?」
「病死と書かれておりました。恥ずかしながら、このシュトライト。書類を読んだ際に違和感などまったく覚えず。リヒテンラーデ侯のお気に入りとは聞いておりましたが……まさか容姿ではなく実力とは。ほんとうに驚かされました」
「その様子ですと、リヒテンラーデ侯も知らなかったようですが」
「知らなかったそうで、男爵夫人の慧眼に舌を巻いていらっしゃいました」
「そして、この事故に裏があると」
「男爵夫人はそのように考えておられます。実際、事故を起こした者の近親者が西苑で、女官として働いていますから」
「男爵夫人には隠し事はできそうにありませんね、シュトライト中佐」
「まったくです、ファーレンハイト少佐」
彼女は多数決を取ったときと同じく、利子についての知識が特別なものだとは知らず、また事故で死んだという知識を披露したため『ローエングラム王朝』の忠臣である二人に、ただ者ではないのでは? と思わせた彼女は ―― ランズベルク伯を出迎えていた。
「初めまして、男爵夫人。私の名はランズベルク伯アルフレット。レオンハルトとは古くからの友人に御座います」
ちなみにファーレンハイトの借金を清算に使われたのは彼女の資産ではなく、フレーゲル男爵の資産。もちろん最初は拒否したが、ここは是非ともフレーゲル男爵の器の広さを見せてやってくださいと説得し ―― 借金の理由がファーレンハイト本人ではなく、父親が原因であったことで「なんとなく」納得して、返済してやることにした。
彼女本人も結婚に際しては相応の持参金と、リヒテンラーデ侯からの祝い金という名の工作費用を受け取っているので、そこから出してやっても良かったのだが、
「なぜ、お前が出さなかったのだ? ジークリンデ」
「私が私の資産で男の借金を清算したら、噂になるからです、大伯父上」
「下らぬ噂など気にする必要もなかろう」
「良人の気分もよくないことでしょう」
「そんなものか?」
「大伯父上は男女の機微についてはあまりお詳しくないから、そのようなことを言われるのです」
「十一歳の娘に言われるとはな」
「私はこれでも良人を持つ身ですので」
後々フレーゲル男爵に邪推され、通常死亡フラグが立たぬよう警戒した結果でもある。
死亡フラグには大きくわけて二つある。
物語に則した死亡フラグと、普通に生きているだけで発生するもの。
前者に関して彼女はその知識で回避しできる可能性を模索するが、後者は日常生活に注意を払うしか回避のしようがない。
殺人の犯人の多くは顔見知りの犯行であり、その中でも配偶者がトップであることは、銀河帝国となっても変わっていない。