黒絹の皇妃   作:朱緒

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第129話

 迎賓館を出てホテル・シュワーヴェンの最上階へ ――

 高級ホテルのもっとも豪華な部屋へと通されたジークリンデたちだが、その内装に驚くことはなかった。

 ジークリンデは自宅も職場も宮殿なので、驚きようがない。

 

―― 下手に驚いた素振りをしたほうが、変でしょうしね

 

 ただバルコニーは見事なものであった。かなりの広さで小さめな立食パーティーが開けるほどの広さ。庭もあり ―― なによりフェザーン中心街を一望できる眺めは、すばらしかった。

 ジークリンデは縁から身を乗り出すようにして、建物を指さして尋ねた。

 

「あの赤茶色の屋根の建物が、シュッセンリート迎賓館?」

「さようでございます」

 

 高い建物とあまり縁が無い貴族の子女は、こういった高層階の部屋を非常に好む。

 

「すごいわね、レオンハルト」

「そうだな。あそこに見えるのが自治領主館だな」

「そうなの」

 

 楽しげに景色を楽しんでいる二人だが、まだ殺し屋の問題が片付いていないので、事情を知っている者たちは、さっさと部屋へと戻って欲しいと願いつつ、周囲を警戒していた。

 狙撃されることもなく、部屋へと戻り ―― ゆっくりとお茶を飲んでいると、ジークリンデとしては唐突に、フレーゲル男爵から、ミュラーの態度について指摘された。

 

「優しくし過ぎ?」

 

 器が小さいと自覚しているフレーゲル男爵は、開き直って、器の小さい人間らしい行動に出た。無理に器が広いかのように振る舞ったところで、解決にはならないのも確かだが。

 

「わ、私が言ったわけではないぞ」

 

 思いも寄らぬ出来事に、ジークリンデは本心から驚き、白地にピンクの薔薇が描かれているカップを持ったまま、フレーゲル男爵を見つめる。

 

―― お姫さまが他の男に優しいのは、嫌なんですね。器が小さいとは言いませんが

 

 吸い込まれるような翡翠色の瞳を前にして、フレーゲル男爵は自分の小ささをかみしめる。

 

「レオンハルトから見ても、優しくし過ぎですか?」

 

 フレーゲル男爵がそのように感じていることを知っていたファーレンハイトとフェルナーは、伝えておくべきかどうかを、わさび入りの巻物を前に悩み「言わない可能性もある」としてフレーゲル男爵の名誉を損なう必要もないだろうとして、伝えないほうを選んだ。

 

―― 伝えておくべきでしたね。お姫さま、本当に驚いてるなあ

 

 結局告げてしまったフレーゲル男爵に、フェルナーは部屋の隅から生ぬるい眼差しを向ける。

 

「私は気にならんが。まあ……そういうヤツも居るから、気をつけろ」

「そうですか。ではアーダルベルトやアントンに対しても、そう見ている人がいるということですか?」

 

―― 私たちと同じくらいの接し方のつもりなんですか? いやいや、違いますから。准将は同じようなものですが、私とお姫さまは、まったく違いますから

 

 フェルナーの意見はそうだが、ジークリンデとしては二人に対する態度と、ミュラーに接する態度は、ほぼ同じにしているつもりだったので、他の二人にも優しくし過ぎだと言われているのかと心配になり、まだ半分以上紅茶が残っているカップを置き、体の向きを変え、フレーゲル男爵の手を包み込むようにして握り、不安を前面に出して訴えた。

 

「いや、そいつらは言われてない。ただミュラーというのが……まあ、私もそんなことを言う奴らの気持ちは分からんので、答えられんのだが……ジークリンデは気にせずに優しくしてやっていいんだぞ。そんなことを言うやつは、この私が対処してやるからな」

 

―― 墓穴掘ってるんだか、なんだんだか……面白いからいいですが。その仕草で迫られたら、本当のことは言えませんね

 

 国務尚書をして「男なら確実に落ちる」と言われる仕草で、フレーゲル男爵から許可を得たジークリンデだが、

 

「でもレオンハルトにあまり迷惑はかけたくありません」

 

 いままで通りに接している間に、フレーゲル男爵によからぬことを吹き込んで、ミュラーが被害に遭うかもしれないと思い至ったジークリンデは”いやいや”とばかりに首を振る。

 

「それほど気にしなくてもいいぞ」

 

 フレーゲル男爵に讒言している者などいないのだが ―― まさか自分の夫がミュラーに嫉妬しているなどとは思ってもいないジークリンデは、それでも不安が拭いきれない。

 

―― 困ってる、困ってる。頑張ってください、閣下

 

「……ならお言葉に甘えて、いままで通りに接します。でも、本当にレオンハルトの迷惑になりません?」

 

 許されてもすぐに”はい”というのも品はないが、あまりに意固地になっても怒らせてしまう。

 この辺りの駆け引きは、かなり難しいところだが、ジークリンデがはにかめば、大体は問題なく終わる ―― ジークリンデ本人は知らないが。

 

「迷惑になどならんよ」

「でもこの頃、色々悩まれていらっしゃるでしょう? 酒量が増えるほど悩まれているレオンハルトに、些細なこととは言え、これ以上悩みを増やすのは心苦しいですし」

「酒は少し減らすから、いままで通りに接してやれ。いきなり態度を変えられると、なにか無礼を働いてしまったかと、困惑するだろう」

「……分かりました。じゃあ、レオンハルトに甘えてしまいます」

 

 フレーゲル男爵に抱きついて、喜びを全身で表す。まだまだ控え目ながら、心地良い弾力のある胸がぎゅっと押しつけられ、

 

「明日はミュラーを連れて、雪祭りを楽しんでくるがいい」

 

 フレーゲル男爵は機嫌よく、ジークリンデの腰を抱き返した。

 

**********

 

 翌日ジークリンデはフェザーンの南半球の大陸で行われている、雪祭りへ地上発着のシャトルで向かった。

 シャトルで移動することは聞いていたジークリンデだが、軌道エレベーターから軌道ステーションへと入り、そこから乗り込むのだとばかり思っていたのだが、予想に反して地上からの発着。

 理由は当然「初日に気を失ったから」

 季節が「冬」の大陸へと行くために低めに温度が設定されたシャトルの客室内で、ジークリンデが不平を漏らす。

 

「慣れれば平気なのに」

「わざわざ慣れる必要などありませんよ」

 

 ジークリンデが慣れるまで何度も気を失わせるつもりなど、彼らには毛頭ない。

 

「……」

 

 座席はボックス仕様で、ジークリンデの向かい側には、濃い灰色チェスターフィールドコートを着たフェルナー。

 斜め向かいには、軍支給品の前に六ボタン付きの、ハーフ丈のオーバーコートを着ているミュラー。

 

「それほど軌道エレベーターに乗りたかったのですか?」

 

 ダークチェリー色のビキューナ生地のロングケープコートを身に纏っているジークリンデの隣に座った、フェルナーよりやや白身がかった灰色のチェスターフィールドコートを着ているファーレンハイトが答える。

 

「乗りたいです。もしかして、帰国する時も、シャトル地上発ですか?」

「そうするつもりですが」

 

―― 帰りは軌道ステーションを、ゆっくりと見て回るつもりだったのに

 

 ジークリンデとして二度と訪れることはないフェザーンなので、ありとあらゆる所に足を運んで、様々なものを見たいと思っている。

 特に軌道エレベーターとステーションは、帝国にはないものなので、本音を言えば帰りだけではなく、滞在中、軌道エレベーターに乗って遊びたいと思うくらいに ―― 気を失っても乗りたいほどであった。

 

「……」

 

 不服だとばかりにファーレンハイトに、ジークリンデは軽く背を向けて窓の外を見るような体勢を取る。

 ”昔はこの体勢で頬を膨らませていらっしゃったなあ”と、ファーレンハイトは懐かしみつつ、ご希望に添いましょうかと。

 

「当初の予定通り、軌道ステーションから搭乗することも可能ですが」

 

 その言葉を聞いて、ジークリンデはくるりと振り返り、にっこりと笑う。

 

―― 准将、甘いですね。気持ちはよく分かるし、きっと私も同じ行動を取るでしょうね

 

 二種類の方法を用意する手はずをフェルナーが整えている間に、シャトルは大気圏外へ、そして、夏から瞬く間に冬にかわり、真っ白な雪に覆われた凍てつく大地に、ジークリンデは降り立った。

 

 顔はやや寒いが、保温性に優れたコートに手袋、気管支が弱いジークリンデには必須のマフラー。フードが付いている帽子と、見た目は華奢だが素材は軍の寒冷地仕様のブーツ。

 雪祭りだがメインは氷像。

 氷で作られた宮殿は、ジークリンデでも目を見張るような出来映え。

 三階建てで、宮殿内では料理も楽しむことができる。

 

「一番人気はジェラートだそうですよ」

「寒いのに……たしかに、みんな食べてますね」

 

 青に緑、赤にオレンジなど、オーロラを似せた光が移ろい照らす氷の宮殿内を歩き回る。幻想的な宮殿を出て、今度はミュラーに「あれは? これは?」と聞きつつ、雪像を見て歩く。

 

 巨大な滑り台などアトラクションもあったが、ドレス姿で滑り降りるわけにはいかないので”いいな”とうらやましく思いながら、はしゃいでいる自分と同い年くらいの少女たちを眺めて我慢した。

 

「ねえねえ、ミュラー中……あっ」

 

 ジークリンデがミュラーの袖を引っ張り、雪像を協賛の業者について尋ねようとすると ―― ミュラーの軍用コートの袖が肩部分が大きく解れて裂けた。

 もともと縫製が甘く解れ気味だった、いわゆる不良品。

 去年支給されたとき、ミュラーも気付いていたが、直すのが面倒でそのままにしていたコート。ジークリンデの手によって、不具合があらわになった。

 少し離れたアトラクションで遊んでいる子供たちの声が、聞こえてくるが、”びりっ”という音を最後に、辺りは奇妙なほど静まりかえってしまった。

 

「え、あ……わ、わたし、怪力なの! 私が怪力だから! 壊れたの!」

 

 あまり経験したことのない状況に硬直していたジークリンデは、焦って自分でも誰に向けているのか分からない弁解を始める。

 

「あーはいはい、怪力なんですね。はいはい、わかりましたジークリンデさま」

 

 フォークとナイフ、スプーンしか持ったことがなさそうな華奢な指と、腕力があるとは到底思えない細い腕。

 

「ミュラー中尉、肩、寒いでしょう!」

「コートは着用せずとも、小官は平気です」

「平気じゃないでしょう。あっ! そうです」

 

 ジークリンデはマフラーを外しコートの前ボタンを上から二つほど開け、胸元を飾っているアレキサンドライトのブローチを外す。

 

「ミュラー中尉、少し屈んで」

「はい」

 ジークリンデの目線まで下がった肩と、そこから外れた袖を掴み、ブローチのピンを通そうとしたのだが、縫製は雑でも生地は厚くて丈夫なため、薄手で柔らかな生地で出来たドレスを飾るために作られたブローチのピンは、なかなか刺さらず。

「ジークリンデさま」

「アーダルベルト。刺して留めて、応急処置して」

 

―― ついさっき、怪力だって仰ってたのに……やれやれ

 

「かしこまりました」

 みんな怪力発言を思い出し、「怪力ならピンくらい軽く刺せるでしょうに」と ―― 笑うわけではないが、可愛らしいものだと黙って見守る。

 こうして裂けた部分をジークリンデのブローチで止め、雪祭りの見学を続行した。ただ予定よりも少し早くに切り上げて、地上車に乗り込み、フェルナーに調べてもらったコートの専門店へ。

 

「申請さえすれば、新品を配布してもらえますので」

 

 ”コートを駄目にしてしまったので、弁償させて”

 ミュラーは支給品なので気を遣って下さらなくとも結構ですと、辞退を申し出たのだが、

 

「届くまで三ヶ月はかかるでしょうから、ジークリンデさまのご意見に沿うべきだ」

 

 ジークリンデが店で買い物をしたことがなく、フェザーンで買い物をしたがっていることを知っているファーレンハイト。ただ店になにか仕込まれていると困るので、できれば……と考えていたが、突発的な買い物ならばトラップが仕込まれている可能性は低くなるので、これは良い機会だと ―― そうでなくとも、ミュラーの意見とジークリンデの希望なら、迷いなく後者を選ぶが。

 

 フェルナーは同乗していない。

 彼は店を借り切るために、一足早く店へと向かっていた。

 ”店で買い物をさせても良いが、借り切れ。金はいくら掛かっても構わん”とは、フレーゲル男爵からの命令。

 

 フェルナーは店を借り切り、オーナーと店員一人を残して帰らせ、ざっと店内を見て回り、到着報告を受けて入り口前に立ち、出迎えた。

 

「お待ちしておりました、ジークリンデさま」

「そんなに待たせましたか? アントン」

 

 コートを脱ぎファーレンハイトに手渡す。

 

「言葉の綾です。忙しく動き回っていたので、まったく待っておりません」

「私、アントンのそういうところ、好きよ」

「光栄でございます」

 

 僅かな店員に出迎えられ、大勢の護衛を引き連れたジークリンデは十五年目にして初めて店で買い物する機会に恵まれた。

「これは既製服と言いまして、下層階級の者は、普通はこのように完成している服を買います」

 

 ”はい、知ってます”

 ジークリではそう言いたい気持ちを抑えて、フェルナーの説明を黙って聞く。

 

「下層?」

「既製服にも高価なものと、廉価なものがあるのです。この店は上流向けですのでご安心を」

「そうですか。あ、そうだ。あのゾンビ映画で、私と似たような立場のお嬢さんは、このような場面で”これ全部”でしたっけ? 私も言ってみようかしら」

 

 軽い冗談で言ったのだが、

 

「オーナー。展示品の総額はいくらですか?」

「計算してみないことには」

 

 冗談で済まないのが門閥貴族の財力。

 銀河帝国の富の九五%は、門閥貴族が独占している。その九五%は均等に配分されているわけではなく、ジークリンデは俗に言う富を持ちすぎている側に属している。

 

「冗談よ、アントン」

「もちろん、存じておりますとも」

「ミュラー中尉」

「はい」

「好きなのを選んで。アントン、店内を見て回りたいわ」

「かしこまりました」

 

 フェルナーにオーナーに店員、護衛もを引き連れて、ジークリンデは売り場ではなく、バックスペースへ。

 

「ファーレンハイトさん」

「なんだ、ミュラー」

 

 取り残されたような状況になったミュラーとファーレンハイト。

 静かな店内で値札の付いていないコートを手に取り、

 

「どうしてこんな高級を選ばれたのですか?」

 

 不相応ですとため息交じりに尋ねた。

 

「ジークリンデさまのお買い物だ。あのお方に高級店以外で買い物をさせるなど、できるはずもない。卿の身分や階級や資産状況などは、一切考慮していない」

「失礼しました」

「ブローチ付きのコートを脱いではどうだ?」

 

 どちらかと言えばのろのろとボタンを外し、脱いで腕に持ち、いままで触ったこともない薄手で柔らかな生地で作られたコートを手に取ってみた。

 

 倉庫や休憩室、商談室などを見て売り場に戻ったジークリンデは、ハンガーに掛かったコートを持ち直立不動で立っているミュラーに、決まったかどうかを聞く。

 

「ミュラー中尉。それでいいの?」

 

 ミュラーが選んだのは、チャコールグレーで、スタンダードなステンカラーコート。

 丈は膝程までのロングで、非常に無難な形のもの。

 

「はい」

「私はこれが似合うと思ったんですけれど……」

 

 ジークリンデがフェルナーに持たせていた、黒に近い藍色のピーコートを手に取った。

 倉庫にあった品で、ミュラーに似合いそうだと ―― それをミュラーに合わせてみる。

 しばしの間二人が見つめ合うような形となり、

 

「好きなのを選ぶように言ったのは私でしたね。そちらにしましょう」

 

 ジークリンデは店員にピーコートを返しミュラーが選んだデザインにしようとしたのだが、

 

「あのケースに入れて飾られているのと、ミュラー中尉が選んだのは同じ……ではありませんよね。生地が違うのかしら?」

 

 ミュラーが選んだコートと同じデザインで、ほとんど同じような色のコートを身につけたマネキンが、アクリルケースの中に収まっていた。

 

「デザインは同じですが、生地が違います」

「もしかして、私が着ているのと同じ、ビキューナ?」

「さすが男爵夫人、お目が高い」

「ミュラー中尉。デザインは同じですから、こっちにしましょう。ビキューナ生地って、とっても軽くて、温かいのよ」

「いや、あの……」

 

 ミュラーはビキューナについてはまったくの無知であったが、宝石を飾るように展示されているコートは、自分が選んだコートよりも高価だろうことは分かる。

 

「そっちにしろ」

 

 断りたがっていたミュラーだが、ファーレンハイトにそう言われた上に、

 

「一生物らしいわよ。私が贈ったコートが、ずっとミュラー中尉の側にいられるなんて、嬉しいわ。これに袖を通すとき、少しでもいいから私のこと思い出して。ジークリンデという貴族の娘がいたということを、あなたが忘れないでいてくれたら、私は宇宙で誰よりも幸せでいられるわ」

 

 ジークリンデに手を握られ、こう言われては、頷くしかできなかった。

 

―― ジークリンデさま、相変わらずだ。ミュラー、弄ばれるな……御本人には、そんなつもりはないのは分かっているが凶悪だ

 

―― お姫さま、ひどい。品物がなくても、ミュラー中尉は一生お姫さまのこと、忘れることないでしょうに。そしてそんな台詞まで。お姫さまって……可愛いからいいんですけれど、凶悪ですよね

 

 その凶悪さは、生き延びたいという気持ちから生まれたもの。

 


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