黒絹の皇妃   作:朱緒

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第128話

 証拠はないが、濡れ衣を着せられそうになったミュラーに、二人は式典当日の出来事を説明するのだが、フェザーンの警官は遠ざけたいので、

 

「ミュラー中尉以外は下がって。アーダルベルトとアントンは残って」

 

 彼らはジークリンデに事情を説明せず、人払いを頼んだ。

 事情を教えてもらえないことに関してだが、ジークリンデは自分が警備については詳しくはないことを重々理解しており、また、聞かせられない会話があることも分かっているので、そこは深く追求せず、彼らの要望に応えることに。

 警官たちは指示に従い、部屋には四人だけとなる。ジークリンデには会話を聞かせられないことは、前もって説明していたので、

 

「では私も……」

 

 ジークリンデは部屋の中央に置かれた椅子に座り、両手で扇を握り締め、仮眠に使うヘッドフォンとアイマスクを、フェルナーの手で装着させた。

 背筋をしっかりと伸ばし、微動だにせず、彼らの話が終わるのを待つことに。

 

―― なんの話をしているのでしょう。知りたいですけれど、仕事に首を突っ込み過ぎるのも……はしたないですしね。根ははしたなくて下品なので、聞きたくて仕方がないのですけれど

 

 衣擦れの音一つ立てず、行儀良く座っているジークリンデの前にフェルナーが立ち、

 

「ホーフ・ジークリンデ! ホーフ・ジークリンデ! ……完全に聞こえていません」

 

 念のために絶対に反応することを知っている台詞を大声で叫び、確認をする。

 

「ジークリンデさま。ホーフ・ジークリンデ……」

 

 ファーレンハイトも同じく耳元で、だがフェルナーとは違い囁くように ――

 そんな確認作業のあと、間髪を容れずに昨日あったことを、フェルナーが語る。

 

「小官はそのようなことは!」

 

 会話の腰を折ることなく、最後まで話を聞いてから、ミュラーは自分には心辺りはないとはっきりと言い切った。

 

「信用していますので、ご安心ください」

「卿を陥れようとしている者がいる。それを念頭に置いて欲しい」

「信頼にお応えできるよう、精進いたします」

 

 二人が自分のことを本当に信用しているかどうか? 分からないが、ミュラーとしては信頼されるように動くしかない。

 

「ジークリンデさまが選んだのだから、信用している」

「ジークリンデさまに選ばれた者同士、次回がないように注意しましょう」

「はい」

「ところで、なにか心当たりはありませんか?」

 

 昨日の事件だが、ジークリンデを本気で誘拐しようとはしていなかった場合 ―― 要はミュラーに罪を着せるために、ジークリンデを使った可能性に行き当たった。

 

「なにか? とは、具体的になんでしょう? フェルナーさん」

「赴任してから現在まで、警官との間で、なにかトラブルなどはありませんでしたか?」

 

 事前に行われた身辺調査では、これといった問題はなかったのだが、些細な出来事まで完璧に網羅しているとは言い切れない。

 

「思い当たる節はありませんが……」

 

 ミュラー自身も忘れているような些細な出来事 ―― ミュラーにとっては記憶からすぐに消え去るようなことであっても、相手はそうは思っていないこともある。

 

「そうですよね。身上調査書には、警官のお世話になったなどは、ありませんでしたし」

 

 こればかりは、誠実に生きていようが、避けられない、類いのもの。

 

「警官としてではなく、私人としてのトラブルがあったかも知れん」

 

 もしかしたら、逆恨みという線もある。これは基本的には悪いことをしていないので、調査で見逃す率が高い。

 

「とくには」

「好意を寄せていた女性が、ミュラー中尉に惚れてしまったとか。そういうことも……」

「そんなことはありません! 小官は、まったくもてませんので!」

 

―― なんか眠くなってきましたー。暗くなると眠くなるなんて、まるで子供のようじゃないですか。こういう時こそ、背筋を伸ばして眠気を払わなくては

 

「大声で叫ばなくてもいい」

 

 このミュラーの声を聞けば、ぼんやりと眠くなっていたジークリンデも、一瞬にして睡魔も飛び立つのだが、ヘッドフォンが完璧な仕事をしていたことで、適度な無音状態が続いていた。

 

「失礼いたしました」

 

 女性関係に関しては、特に念入りに調べられているので ――

 

「なにか思い出したら、些細なことでも良いので、教えてください」

「できる限り、情報は共有したい」

「かしこまりました」

「話は終わりだ。あまりお待たせすると、ジークリンデさまが飽きるだろう……ジークリンデさま、お待たせいたしました」

 

 ヘッドフォンを外されたジークリンデは、わき上がる興味を必死に押さえ込み、彼らがなにを話していたのかには触れずにやり過ごした。

 

**********

 

 実直な好青年。

 薬物を使用した誘拐など、企てる筈もない。

 面白みに欠けるが、誠実さは買う ―― 等、人当たりのよいミュラーなのだが、フレーゲル男爵は彼のことを嫌い、わざわざフェルナーとファーレンハイトを呼びだして、文句を言い出した。

 

「あのミュラーというのが、気に食わん」

「ミュラーがなにか、失礼なことでもしでかしまたか?」

 

 以前は肥大化した自尊心と、性格の悪さからくる猜疑心の強さが目立っていたが、最近はいい人とまでは言わないが、妻に良いところを見せるという目的で、おおらかさを前面に出している ―― 本来は自分の意に沿わないことは、些細なことでも許せない、非常に器の小さな男である。そんな男なので、妻が男性に優しくているのを見ると、理屈抜きで腹が立つ。

 

「生理的に気に食わん」

「ジークリンデさまが、お優しいからですか?」

「そうだ」

 

 フレーゲル男爵は優しいジークリンデが好きなので、下々の者に対して優しくするなとは言わないが ―― 妻に優しくされている者たちを見ながら、内心では”調子に乗るな”と毒を吐いているくらいに、彼は小さい男であった。

 

「ジークリンデさまは、ほぼ誰に対してもお優しいのですが」

「まあ、そうだが」

 

 未だにジークリンデがファーレンハイトに優しくする姿を見ると、五回に四回は”こいつ……死ねとは言わんが、少し……”そう思うくらいの狭量さ。

 

「選ばれし一族の貴公子が、平民相手に嫉妬など、情けなく、無様が過ぎますよ」

 

 ジークリンデやフレーゲル男爵より、二段も三段も勝っているファーレンハイトは、その辺りのことも分かっているが、人間性が幼稚だとか、薄っぺらいだとか、無様だとかは、当人に面と向かって言うことは滅多にない ―― 要するに、たまにある。

 

「お前な!」

 

―― 准将は口が悪いとシュトライトが言ってましたが、本当に口悪いな……私も言えたものではないが

 

「でしたら、ジークリンデさまに頼めばいいのでは? ”妬心が押さえられないから、ミュラー中尉に優しくするの止め欲しい”と言えば、ジークリンデさま……言いたくないんですか? じゃあ我慢なさるべきかと」

 

 ファーレンハイトよりは幾分優しく、フェルナーは解決策を提示したのだが、”それ”が言えたら、フレーゲル男爵も苦労はしない。

 彼には彼なりの矜持があり、妻の前では顔はともかく、いい男でいたいのだ。

 

「……」

 

 握り拳をつくり、三白眼で睨めつけ、今にも歯ぎしりが聞こえてきそうな程に強くかみしめ”ぬぐぐぐぐ……”状態になっているフレーゲル男爵。

 

「ではグートシュタイン公爵夫妻に少しばかり、悪者になっていただくのはどうでしょう」

「なにをするつもりだ、貴様」

「本当に悪者にするのではなく、”公爵夫妻が”ジークリンデさまがミュラー中尉と仲良すぎるのを気にしている……と言えば、角は立たず男爵閣下としても、言いたいことが言えるので良いのでは?」

「……」

 

 自分が悪役にならなくて済むのなら ―― フレーゲル男爵は瞠目する。

 

 剛胆なファーレンハイトや、大胆なフェルナーが呆れるくらいの人間の小ささ。それはある種の感動すらもたらすほど。

 

「ねつ造する行為はあまりお勧めできませんが、フェルナーの案は悪くはないと思います。勇気がおありでしたら、グートシュタイン公爵夫妻に事情を説明なさるのも良いかと。ご夫妻でしたら、レオンハルトさまのお気持ちを汲んで下さることでしょう」

「言えるか!」

 

 友好な関係であるとはいえ、同じ門閥貴族に弱みを見せるのは、恥ずかしい ―― だが下々の者に対して、本心を吐露するのも嫌だと。

 

「私たちに言ったところで、なにも解決しませんよ」

「お前たちがそれとなく!」

 

 早い話がジークリンデの警護からミュラーを外せと言いたいのだが、自分から言い出したとジークリンデに知られたら嫌なので、護衛を統括しているファーレンハイトに「私の気持ちを理解しろ」と言っているのだが、軽くながされていた。

 

「私どもが、ジークリンデさまの言動を批難するなど」

 

 ファーレンハイトもフェルナーも、そう言われていることをわかりながら、素知らぬふりを続ける。

 

「批難ではなく! お前、上手く言えるだろう? ファーレンハイト。何年ジークリンデに仕えている」

 

―― 准将、苦労して国務尚書を説得して、ミュラーをお姫さまの護衛にしたそうですから。なによりこの人、お姫さまの意思最優先ですので、無理ですよ。いや、いま警備から外すと、問題が発生するんで、諦めてください……じゃなくて、諦めてもらうために説得するのか

 

「四年ほど仕えておりますが、だからこそ言います。私ごときには、なにも言えません」

「どう考えても准将は、リヒテンラーデ一門の生まれで、ブラウンシュヴァイク一門に嫁いだ姫君の言動に、どうこう言えるような身分ではありませんよ。准将が元帥で長官にでもなったら、別かも知れませんが」

「俺がもし三長官になったとしても、ジークリンデさまに具申などするつもりはない」

「言い切りましたね」

「ジークリンデさまは軍人ではないからな」

「もしもジークリンデさまが軍人になって、階級が准将の下なら、意見するんですか?」

「まさか。大体、ジークリンデさまが軍人なんて、あり得んだろう」

 

 後年ジークリンデが軍人となり、彼らの上に立つなど、誰も想像してもいなかった。なにより、こんな会話をしていたことすら忘れ去っていた。

 

「あいつが悪いんだ」

 

 話を横道にそらしていたのだが、フレーゲル男爵は許してくれず。

 先ほどまでは片手だったのだが、今度は両手で握り拳を作り、声を大きく張り上げる。

 

「ミュラー中尉ですか?」

「そうだ。あいつはジークリンデに、崇拝以外の感情を持って接している! それが気に食わん。その点、お前はジークリンデに崇拝以外の感情を持っていないから、信用できる」

「お褒めに与り光栄ですが、当たり前のことを褒められても、いささか困ります」

 

 指をさされたフェルナーは、恐悦至極にございますと言わんばかりに、胸の前に腕を持ってきて、深くお辞儀をした。

 

「当たり前のことが出来んやつが多い! 腹立たしいことにな!」

「あのミュラーという男、ジークリンデさまに普通の感情を持ってはおりますが、それを押しとどめるくらいの節度は持っております」

 

 ミュラーの節度など、この際なんの意味もないのだが ―― 他に言う台詞も思い浮かばなかったので。

 

「男爵閣下のほうが、おおかたは優れていらっしゃるのですから、嫉妬する必要などないのでは? 顔は、まあ、好みによりますが」

 

 勢力があり、財産もある門閥貴族のフレーゲル男爵と、士官学校をまあまあの成績で卒業した程度のミュラーとでは、まさに天と地ほどの差がある。容姿だけはミュラーのほうが、万人に好まれそうだと ―― 玄人に好まれる顔立ちのフェルナーは思っている。

 

「ジークリンデさまは、容姿で判断するようなお方ではないからな」

 

 フェザーンに来る前に、ロイエンタールに言い寄られていたが、素気なくしていたジークリンデの姿を間近で見ていたファーレンハイトの台詞には真実味があった。

 

「お前ら、さりげなく失礼だな」

 

 自分の見た目が目の前にいる二人よりも劣っていると自覚しているフレーゲル男爵は、先ほどまで怒り、握り締めていた手を解き、前髪をかきあげる。

 フレーゲル男爵の前髪と言えば、”ぱっつん”が有名。あの眉の上で、まっすぐに切りそろえられた前髪だが、ジークリンデが前髪を変えてみることを提案し、それを受け入れてくれた。

 それは良かったのだが、ジークリンデの言動にはほとんど異議を唱えないファーレンハイトをして「レオンハルトさまの前髪は、前のほうがよろしいかと……臣は愚考いたします」と ―― 眉の上で切りそろえたれているデザインが、もっとも無難であった。それ以外は受け付けない顔立ち……とも言えるが。

 

「誠に申し訳ございません」

「なにせ生まれが卑しいもので」

 

 二人とも微笑みを浮かべたまま敬礼する。

 

「卑しい生まれで誤魔化すな」

 

 やや怒気が抜かれたフレーゲル男爵は、背もたれに体を預けた。

 

**********

 

 呼びだされて、解決策が生まれたような、分からないような状態になり、二人は下がるよう命じられ ――

 

「器の小さいお方ですね」

 

 帝国ではあまり見かけない料理を口に運んでいた。

 ジークリンデが”フェザーンでしか食べられない料理を食べたい”と言ったため、こうして体を張って事前調査をおこなっているのだ。

 

「ああ、器は小さいな」

 

 ジークリンデはフェザーンに一縷の望みをかけていた ―― 味噌とか醤油とか、一夜干しとか海苔とか ―― 

 

「帝国の行く末を憂い、行動を起こそうとしている方とは思えないくらいに、器小さいで……っ……」

「そうだな。どうした?」

 

 フェルナーは口元を押さえて、食べていたものを皿に置き、フォークを掴んでほぐそうとする。

 

「この黒いヤツで巻かれたライス、刺激が強いものが混入されてるんですが……毒?」

「わさび、ではないか? 白みがかったモスグリーンならば、間違いなくわさびだろう。ジークリンデさまが、仰っていた」

「わさび……あーそのようですね」

 

 端末で”わさび”と検索し、食感などに目を通し、自分を驚かせた物質が食べものであることを、渋々認めた。

 

「お前、辛いものが好きだと言っていなかったか?」

 

 かんぴょう巻きを食べて、眉間に皺がよる一歩手前の表情で、首を傾げているファーレンハイトが尋ねた。

 

「この辛さは苦手です。話を戻しますけれど、どうします?」

「どう? とは」

「ミュラー中尉のことです」

 

 フレーゲル男爵がミュラーに対し、あまり良い感情を持っていないことがはっきりとした。あまりミュラーをジークリンデの側に置いていて、我慢の限界を超えたら ―― ミュラーが害されるのではないかという懸念から。

 

「ジークリンデさまが、気に入っていると何度も言えば、腹は立ってもミュラーを殺したりはしない。レオンハルトさまのあれは、自慢だと思って聞き流せ」

 

 ファーレンハイトは鉄火巻きをフォークで転がしながら、発作で自慢だと。

 

「やっぱり自慢なんですか」

「どんないい男に言い寄られても、ジークリンデさまは歯牙にもかけない。結婚以来、ずっとその姿勢を貫き通していらっしゃる。マールバッハ伯の甥を知っているか?」

「若くして典礼省のエライ人になったお方ですね。名前はオスカーでしたっけ? 金銀妖瞳の美丈夫だとか……え、まさか、あの人もジークリンデさまに?」

 

 確か自分と同じ年に生まれたはず ―― フェルナーは”おいおい”と、記憶にある一度見たら忘れないクラスの美形を哀れんだ。

 

「そのオスカーだ。二十三歳の女に不自由しない美男子が、十五歳……あの時は十四歳だが、十四歳のジークリンデさまに言い寄ってきたが、まったく相手にしなかった」

 

 オスカー・フォン・ロイエンタールと名乗られれば別だったが、軍人ではないオスカー・フォン・マールバッハなど、ジークリンデにとって似た別人で、興味の対象外。

 ただこれは、良い状況でもあった。

 ロイエンタールだと知って、自分からコンタクトを取ったりしたら、修羅場になるのは確実。

 

「あのクラスの美形でも、一切浮つかず?」

「ああ」

「じゃあ、ミュラー中尉相手に心配する必要なんて、ないじゃないですか。ファーレンハイト、わさび、キツいでしょう?」

 わさびがきいているにぎり寿司を口に入れたファーレンハイトが、テーブルに肘をついて額を押さえた。

 

「……これ、ジークリンデさまに、食べさせていいものか?」

「ご所望されているんですよね……調べたところ、わさびを抜きでも作れるみたいですよ」

「……」

「……抜いても、叱られないでしょう。だって、食べたことないんですから。きっと分かりませんよ。口直しにワイン飲みます?」

「もらう」

 

 こうしてジークリンデはわさび抜きになった。

 

―― わさびも食べたかったのにー

 


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