黒絹の皇妃   作:朱緒

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第124話

 ”滞在期間中に書類に目を通して、フェザーンと地球教に関して、ルビンスキーに質問を……でも、今回はこの程度で”

 

 滞在中、もう一度面会しようと目論んでいるジークリンデの、斜め後ろに立っているフェルナーは、貴族らしく振る舞い、有無を言わせず平民を従わせている姿に、感心していた。

 

―― 来る前に「きっとフェザーンの黒狐に、好き勝手されてしまうわー」とか言ってたわりに……ルビンスキーのヤツ、夫人のこと信用してるな

 

 ジークリンデが宗教団体に関して知らないと言ったのを、疑っていないようにフェルナーは見えた。

 実際、フェルナーの想像通り、ルビンスキーはジークリンデの言葉を疑わなかった。”信じる”のではなく”疑われていない”

 猜疑心の塊であろうルビンスキーですら、一切疑わずに信用する。

 ジークリンデはルビンスキーを騙せるほど、演技が上手いわけではないのだが、美貌に、たおやかな雰囲気、よく通る透き通った声が、猜疑心を溶かしてゆく。

 そのささくれだった感情を溶かされた方は理解しているが、溶かしたほうはまったく自覚がない。

 

 ある種、黒狐を懐柔しつつあるジークリンデは、書類が届くまでの間、別の話題に切り替えた。

「あなたは、とても女性に人気があると聞いたわ」

「否定はいたしません」

 十代半ばの人妻と、三十代半ばの妻に先立たれたばかりの男がする会話らしからぬ内容で、周りで聞いていた者たちは、一体なにが起こったのかと思うも、黙って突っ立っているしかできない。

 唯一の例外はフェルナー。

 むろんフェルナーも話し掛けたり、会話に割って入ることはできないが、ミュラー以下フェザーンの警官たちとは違い、嫌な予感が胸を過ぎった。

「正妻以外の女性との間に、子供をもうけたりしたこと、あるのかしら?」

 

―― 女性問題をまだ引きずって……なんでルビンスキーに聞くんですか……いや、ミュラーにこの手の話題を振っても、どうしようもありませんが

 

 フェルナーはこの話題が、先日から引き続きのものだと解釈した。

 ジークリンデとしては、先日の話題とは無関係で、ルパート・ケッセルリンクについて、知りたいがための会話であった。

「ない、と言い切ってしまいますと、男爵夫人に嘘をつくことになるやもしれませんな」

 

 ジークリンデはなんとなく、知っているので話題として選んでしまったものの、ルビンスキーが隠さずに語った場合、どうするのか? などは、なにも考えていなかった。

 

「まあ、男性の場合は、ある日突然、実子と対面ということもあるでしょうね」

 

 精々、この時点では「やや」変わった感のある世界で、ケッセルリンクが存在するかどうかを知りたかった程度。

 

「そうですな。突然どうなさいました?」

「あなたに聞きたいのですけれど、愛人に子供を押しつけられたらどうします?」

「これは、難しい問題ですな」

「いつか、起こりうることではないのかしら?」

 

―― ん? なんだ、一瞬……ルビンスキー、隠し子がいるのか?

 

 どこか変化があったのかと問われると答えられないが、勘に近いものがフェルナーの肌を撫で、ルビンスキーに僅かな変異を覚えた。

「帝国で噂でも?」

「それはありません。正確に言えば、私の周辺で、あなたのことを噂する人はいません。安心なさい」

 新無憂宮の側室たちがわざわざ、ルビンスキーを話題にする必要などない。

「安心はいたしましたが、いささか不満ですな」

「あなたらしい。それで、質問に答えていただけるかしら?」

「考えたこともございませんな。私の”息子”ならば、いかなる苦境にあろうとも、自らの力で道を切り開くことでしょう」

「あなたらしい」

 

―― 息子? 息子限定……意図してなのか、それとも引っかけか

 

 ”子供”ではなく”息子”と性別を限定したことに、フェルナーはやや引っかかりを覚えた。

 

「男爵夫人はいかがですか? ある日、突然、男爵閣下が子を連れて帰宅したら」

 

 貴族にはよくあることで、妻ならば心構えがあって然るべき出来事なのだが、ジークリンデとしては、それは絶対に避けて欲しかった。

 

「多分というか、絶対に取り乱しますね。この世界で一番不幸な女だと、泣き叫くことでしょう」

 

 女児ならば一応生き残ることはできるが、男児となればそうもいかない。

 帝国歴四八二年の十五歳に届いていれば処刑で、それ以外は流刑。

 自分の身を守るのに精一杯のジークリンデとしては、その子の未来を思い嘆くくらいしかできない。

 

「意外ですな。男爵夫人ならば、受け入れるとばかり」

 

 ルビンスキーが顎のあたりを撫でつつ、本心からの意外さをこぼす。

 それは側で聞いている、護衛たちも同じであった。

 フェルナーも含めて、彼らはジークリンデとは短い付き合いでしかないが、笑顔で受け入れるのではないかと、信じて疑っていなかった。

 

「それに、十五歳違いでしたら、子というより弟か妹にしか、思えないでしょう」

「そういえば、男爵夫人はまだ十五歳でしたな。ところで、お父上の伯爵閣下に再婚のお話でも?」

「聞いてはいませんし、私は伯爵家を出た身ですから、知るとしたら再婚が本決まりになってからでしょう」

「なるほど。しかし男爵夫人は、やはり伯爵閣下の面差しがありますな。写真で拝見したときも思いましたが、実際に見てより強く、そう思いますな」

 

 ジークリンデは希有な美少女だが、よくありがちな「両親のどちらにも似ていない、突然変異」ではなく、今は亡き母を含めて四人で並ぶと、血がつながっていることが分かる。

 個々のパーツの美しさと、それらが完全に調和した顔立ちは、まるで別物なのだが、美しさによる孤立はなかった。

 

「あら? あなた、父上のことを知っているの」

 

 フェザーンに来る前に、父親からフェザーンの知り合いについて聞いていたジークリンデだが、このルビンスキーの名は上がらなかった。

―― こんな目立って、良い意味でも悪い意味でも印象深そうな男なのに、お父さま忘れたのかしら……それとも、ルビンスキーが嘘ついている? 単純にお父さまが嫌いだった可能性も……まあ、いいわ

 

「子爵閣下……伯爵閣下がまだ家督を継いでいらっしゃらない頃、フェザーンに留学された際、なんどかお目に掛かりました」

「そうでしたの」

 

 こんな会話が続き、ルパート・ケッセルリンクにはたどり着けぬまま ―― フェルナーが、ジークリンデの欲しがっていた書類を受け取る。

「こちらになります」

「お手数をおかけしました……お名前を聞いても?」

 ミルクティーを思わせる髪色の男性は、自治領主とは違い、人好きする笑顔を浮かべて名乗った。

「アレックス・キャゼルヌと申します」

 

**********

 

 ジークリンデがフェルナーを連れてルビンスキーと会談していた頃 ――

 

「なんで……ファーレンハイト大佐が」

 高等弁務官事務所は見えるが、かなり離れた建物の物陰で、一人の青年が、うめき声と聞き間違えそうな呟きを漏らした。

 独り言ではないのは ――

「ファーレンハイト大佐……あの銀髪の者か?」

 彼の隣に可憐な少女が居るからに他ならない。

 青年は金髪の少女の手を引き、完全に身を隠し、辺りをうかがいながら、来た道を引き返す。

 肩を落としている青年に、少女は優しく声をかける。

「なにか気になることがあるのか?」

「マルガレータさま。実は……」

 

 思わず人が振り返るほど、長く美しい金髪を持つ少女の名はマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー。

 そのマルガレータの手を引き、辺りに注意を払っているのが、トリスタン・フォン・ベンドリング。

 マルガレータは父であるヘルクスハイマー伯爵とともに、亡命するためにフェザーンを目指したのだが、途中、事故で父と召使い全員をを失い、奇跡的に助かったのは良いが、どうすることもできず宇宙船で放浪していたところ、彼女たちを追ってきたベンドリングに回収され ―― 紆余曲折というわけではないが、ベンドリングはマルガレータを助ける道を選び、フェザーン経由で亡命申請をしようとしていた。

 

「妾のことは、マルガレータと呼べと、何度も言っておろうが」

「申し訳ございません」

「まあよい。それで、なにが気になっておるのじゃ? トリスタン」

「なぜファーレンハイト大佐が、あそこに居るのかが……」

 

 ベンドリングが軍に属していた時点では、ファーレンハイトはまだ大佐であり、昇進したことを知らない。

 軍服を着用していたなら、昇進したことも分かっただろうが、フェザーンでは貴族らしい格好をしているので、外見から見分けることは不可能。

 

「あの者は美姫の従者じゃろうて。かの美姫がフェザーンに赴けば、従うのは当然のことであろう?」

 マルガレータはジークリンデより五歳年下で、なによりブラウンシュヴァイク公と敵対している、リッテンハイム侯側に属していたこともあり、ジークリンデと直接会ったことはなかった。

 ただまったく交流がないわけではなく、亡きヘルクスハイマー伯はジークリンデが開いたパーティーにも、顔を出しており「マルガレータも将来は、フライリヒラート家の美姫のようになって欲しいものだ」そう語っていたのを、何度も聞いたことがあった。

 

「それは、そうなんですが、どうして同盟の弁務官事務所近くにいるのかが……なぜ夫人のお側に居ないのか」

 二人は亡命するために、同盟の弁務官事務所を目指したのだが、そこに見知った相手がいたので、ベンドリングは足を止めて、引き返すことを選んだ。

 この判断は正解とも誤答とも言えるものであった。

 ファーレンハイトはマルガレータのことはフライリヒラート伯爵経由で、その容姿と名を知っていたが、彼らが自分の脇をすり抜けて亡命しようとも、声をかけることも、止めることもしない。

 要するに、亡命しようと思えば亡命できた ―― むろん、途中で銃撃を受けて殺害されかけても、助けようともしないが。

 

「噂を聞く分では、美姫から離れるような者とは思えんがのう」

 

 新無憂宮の西苑、いわゆる後宮まで付き従い、警護しているとは、マルガレータも聞いていた。

 マルガレータが帝国を離れた時点では、まだファーレンハイトが専属の護衛であったが、今はフェルナーに変わっているので、彼女が持っている情報もすでに古いものとなっていた。

 なんにせよ、遠出するときは、必ず側にいる「将来の艦隊司令官」

 決められた範囲内で、結果を出そうが出すまいが出世できるが、それ以上はないベンドリングには縁の無い大佐だったのだが、

 

「西苑か……」

 

 ベンドリングとファーレンハイトは、職務などが重なったことはなく、後者ファーレンハイトは、その存在を知らない。

 前者、ベンドリングがなぜファーレンハイトのことを知っているのか?

 ジークリンデの従者であったからという理由もあるが、ある人について尋ねたかった。

 その人の何を尋ねるのか?

 聞きたかったベンドリング自身、分からないのだが、かつての自分の婚約者について、聞いてみたいという欲求に駆られていた。

 

「どうしたのじゃ? トリスタン」

 

 彼を見上げてくる、あどけない少女を助けたいという感情に突き動かされての行動だが、どこかに彼自身、帝国から遠ざかりたいという気持ちがあったことも、否定できない。

 

「マルガレータさまを追う前に、婚約者が西苑で邸をもらったと聞きましてね」

 

 隠すほどのことでもないと、ベンドリングは遠い昔に別れた婚約者のことを、遠い目をして語った。

 

「陛下の側室にか。それは……色々と辛かろう。家柄だけで、決まったものであったとしても」

 

 家柄同士で結婚が決まる貴族は、フレーゲル男爵とフリーデリーケのように、ひどく拗れることもあるが、ベンドリングはそうでもなかった。

 

「私が彼女の婚約者だったのは、かなり昔のことで、ほんの僅かな間でした。男爵家の三男と、跡取りがすでに居る男爵家の令嬢という、ごくごく有り触れたものだったのですが、私の婚約者殿は、それは美しい少女でして。彼女の一門の当主が、その美貌に目をつけて養女に迎えました。男爵家の令嬢は、ノイエ=シュタウフェン公爵家の姫君に。この時点で、もう私にはなんの縁もない人になってしまわれたのですが……養女となってからも、変わらず付き合いはありましたが。西苑に入る前に手紙が届き、それが最後でした」

 

 手紙の内容は「さようなら」でもなければ「あなたは幸せになって」でもない。それは、とても婚約者らしく、ベンドリングが想像した通りのことが書いてあり ―― 元婚約者の名は、カタリナ・フォン・ノイエ=シュタウフェン。

 

「そうか……まさか、陛下の側室を連れて逃げるわけにも行かぬしな。じゃが、亡命してよいのかえ。一、二年で西苑を下がることになったら」

「ご心配なく。養女とはいえ、公爵家の令嬢となった人ですので、私では釣り合いが取れません。もしも、すぐに下がることがあっても、きっとフォン・ビッテンフェルトのような高位の方と、新たに婚約されることでしょう。なにより、強く生きていかれることを、私は信じております。カタリナさんは、本当にそういう人ですから」

「そうかえ。ならば主の言葉に、甘えさせてもらおう」

 

 ベンドリングに比べて若く、家族を失ってしまったマルガレータの帝国に残したものは、ほとんど存在しない。

 だがベンドリングには、家族もあれば、同僚もおり、結局どうもできなかった婚約者もいた。多くのものを振り切ってやってきた彼の心中は、複雑ではあったが、この決断を後悔してはいなかった。

 

「はい。それにしても、男爵夫人に、なにかあったのでしょうか」

 話ながらもベンドリングは色々と考えたのだが、やはりファーレンハイトが同盟の高等弁務官事務所近くにいる理由が、まったく分からなかった。

「さあ。じゃが、万全を期するためには、夫妻が帰国してから、亡命申請をしたほうがよさそうじゃのう」

「そうですね。目立たないよう、ホテルに滞在してやり過ごしましょう、マルガレータさま」

「マルガレータじゃ。何度言えば分かる、トリスタン」

 

 こうして二人は、あまり高級ではないホテルに偽名で宿泊した。

 この時点ではまだ貴族であることを隠さず、没落した貴族を装った。どこかの部屋を借りて滞在するのは、身分証明の問題もあるが、召使いに傅かれて生きてきたマルガレータには、何事も自分でなすのは難しいので、ホテルに滞在するのが無難であった。

 同盟に亡命した際には、自分で何もかもしなくてはならないマルガレータだが、いかに聡明な彼女であろうとも、漠然と”なにか”しか思い浮かばない状況。

 これからゆっくり……はできないが、色々と覚えて行く必要がある。

 

「八月の末まで滞在するようですね」

 

 チェックインしたベンドリングは、ジークリンデたちの日程を調査し、帰国するまでこのホテルに滞在するか? しばらくの間、首都から遠ざかって身を潜めるべきかなどを思案する。

 

「南半球の観光スポットなら」

 

 弁務官事務所は首都にしかない。

 また別荘地は多くの貴族が滞在しているので、マルガレータのことを知っている人がいる可能性を考えると近寄ることはできない。

 

「雪祭りは、美姫も訪問するようじゃの」

 

 フェザーンは全宇宙でもっとも人口を有している惑星だが、鄙びた街なども存在する。そのような人の少ないところに潜むのは、目立って危険なので、多くの人が訪れる観光地に滞在しようと考えたのだが、ジークリンデの訪問が記載されていた。

 この時点ではまだ、簡単にジークリンデたちの予定は入手できたのだが、この翌日から情報が遮断されることとなり、ベンドリングは自分が調べたことが原因ではないかと焦り、更に身を隠す必要を感じ実行に移し、逆にその行動で足が付くことになる。

 


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