黒絹の皇妃   作:朱緒

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第123話

 ジークリンデの疑問をなんとかやり過ごし、フレーゲル男爵の帰宅と共に下がったファーレンハイトは、フェルナーにシュトライト、そしてシューマッハが待つ部屋へと戻り、フリーデリーケに関する情報の統制を提案した。

 

「やはり女性はその手のことには、敏感だな」

 シュトライトはジークリンデの成長を愛しむように頷く。

「小さなことに、違和感を覚えたようだ」

 ”ジークリンデに対しては”隠し通したいファーレンハイトは頭を振る。

「……」

 フェルナーは髪の毛を外したグローブを握って、眉間に皺を寄せて目を閉じ、深いため息をつくだけ。

「ブラウンシュヴァイク公の浮気も、アマーリエさまには筒抜けであったからな」

 皇女を娶っているブラウンシュヴァイク公だが、浮ついたことは何度かあり、そのほとんどを妻であるアマーリエは知っていた。

「……」

 アマーリエは、人妻から少女まで、幅広く女性遍歴を重ねたフリードリヒ四世の娘である。節度を持った浮気……というのは、少々おかしいが、放蕩からはほど遠い、男性貴族の嗜みの範囲で済んでいる浮気に関して、アマーリエは知っても追求することはなかった。

「そのアマーリエさまから、色々と聞いたようだ。夫が他の女のことを考えている時の仕草だとか、態度だとか」

「……」

「そうか。アマーリエさまは、父君の女性関係でそれらの知識を身につけたのだろうな」

「間違いなく、そうだろうな。男の心に他の女が存在する際の見分け方の他に、愛人に対して正妻が取るべき行動や、愛人の子に対する接し方なども、教えていただいたそうだ」

「ジークリンデさまの母君は、早くに亡くなられたから、アマーリエさまが代わりに教えたのだろう」

「……」

「そうだろうな、シュトライト。たしかに貴族の女性には必要なことだが……そろそろ立ち直れ、フェルナー」

「……あ?」

 ジークリンデに自身の髪をちぎらせたショックから、未だ脱していないフェルナー ―― 職務中は、そのような素振りはなく、完璧なのだが、仕事が終わると、まだそれを引きずっていた。

 

―― しばらく、放置しておくか

 

「シューマッハから連絡が届いています」

 シュトライトから端末を渡されたファーレンハイトが、書かれている文字を、わざと声に出して読む。

「殺し屋の名はテルエス。本名かどうかは分からない……か。性別もまだ不明か。女の名前だが、女とも限らないだろうしな」

 

**********

 

 フリーデリーケが放った殺し屋をどうするか?

 

 フェルナーとファーレンハイトだけでは手が足りないので、シューマッハとシュトライトにも事情を説明し、協力を求めた。

「そこまでとは……」

 一人、フリーデリーケと面識のあるシュトライトは、彼らしからぬ渋面とともに、やるせない感情がこもった息を吐き出す。

 貴族の血縁関係に精通しているシュトライトは、フリーデリーケの破滅を望んでいるとしか思えない蛮行により、被害を被る人々が、次々と思い浮かび ―― フェルナーではないが、暗殺しておくべきであったと、ひどく後悔した。

 

 シュトライトはことを荒立てることを嫌い、被害は最小限に抑えたいと考え、そう言った方向の計画を立て、実行できるタイプでもある。

 その後、フェルナーとファーレンハイトの両名から「フレーゲル男爵には伝えないで、対処したいと考えている」と聞かされ、その計画に一も二もなく賛同した。

 

 シューマッハは異存はなかったが、重要な問題に突き当たることを指摘する。

「そうなると、資金調達が問題だな」

 フェザーンは金で情報を買える。

 もっともそれは、フェザーンだけではないが、フェザーンに知り合いなど居ない彼らにとって、金はどうしても必要であった。

 ジークリンデのために使える資金は豊富にあるが、明細が必要になる。この件は内密に済ませたいので、これらの資金は使えない。

 頭を付き合わせている四人は、自由に使えるような金は持っていない ――

 

「巻き込むのは心苦しいが」

 

 口が堅く、資金を提供してくれそうな、信頼できる人物に事情を打ち明けて、協力を求めることになった。

「それは本当なのか」

「本当です、ランズベルク伯爵閣下」

「にわかに信じられないが……」

 事情を聞いたランズベルク伯は、顔見知りの女性貴族が、親友の妻を殺害するために、殺し屋を雇ったと聞かされて、驚き、そしてすぐには信用しなかった。

「確証をお見せしたいのですが、それを得るためにも金が必要です。なにとぞ、ご協力を」

 要約すると”金を下さい”であり、ランズベルク伯もそのことは理解できた。

 彼は親友夫妻を救うために、私財を投じることにためらいはないが、同時に貴婦人が殺害計画をを立てるなど、想像ができないで困惑していた。

「君たちがそのような嘘をつくとは思っていない。だが……」

 かなりのロマンチストであり、騎士道精神に溢れる詩人は、守るべき女性の別の一面に悩み ――

 

「私も捜査に加わり、自分の目で見て確認したい」

「……」

「……」

 資金提供者の意見を却下することはできず。

「閣下がご一緒して下さるのでしたら、行動の幅も広がりますな」

 だが平民がうろついていると排除されるような場所であっても、伯爵クラスであれば、無下にされることもない ―― なによりランズベルク伯は自由であった。

 そもそもランズベルク伯が同行した理由は、フェザーンに行きたかっただけであり、これといった仕事もなければ、投資や開発事業に関する話し合いもなにもなかった。

 特に予定がなく、気持ちが赴くままに出歩ける彼に同行する……なる名目で、調査ができる。シューマッハが彼の供をしながら、情報収集を担当することに。

 

**********

 

 大きな窓を背にしている執務室 ―― 帝国と同じような作りだが、その内装はまるで違い、華美を完全に排除し、機能的というよりは殺風景な、自治領主の執務室。

『自治領主に協力を仰いでみますか?』

『自治領主と取引できる立場でもないしな。自治領主のほうも、なんの権限を持たない、こっちの提案に乗る利点もないだろうから』

『そうですな』

 迎賓館に取り付けた盗聴器。

 その幾つかは発見、撤去されたが ――

「いかがなさいますか? 自治領主閣下」

 盗聴器が拾った音声を聞き、補佐官のボルテックがルビンスキーに、この情報をどうすべきかを尋ねた。

「一行が帰国したのち、仲介した商船の者たちを処分すればよかろう」

「それだけで、よろしいのですか?」

 積極的に恩を売りつけるため、殺し屋を排除するものだとばかり考えていたボルテックにとって、ルビンスキーの答えは意外すぎ、聞き返す。

「ああ、それだけだ」

 ルビンスキーは彼らが、盗聴されていることを知りながら喋り、自分たちに情報を流していることには気付いていた。

 その意図するところに、色々と心当たりがあり、積極的に反応しないことが、もっとも効率よく、彼らもそれを望んでいると判断した。

「かしこまりました」

 話すことはないと、ルビンスキーから下がるよう命じられ、ボルテックは納得いかぬまま、執務室を辞した。

 

 ルビンスキーはその後も、会話を聞き、己の禿頭をなで上げるようにし、野心家であることを隠さない、口元にあまり人好きしない笑みを作り、ジークリンデの経歴と数枚の写真に目を通す。

「取り扱いの難しい品だな」

 ルビンスキーが見ている写真は、帝国側が提供したものではなく、彼が独自に入手したもの。それも自宅で、コルセットを必要としない、シンプルなアール・デコスタイルで、髪も降ろしたまま、少々行儀悪く、窓辺に腰をかけている姿など。

 視線はまったくの別方向をむいており、隠し撮りされているのが明らかな写真が何枚も。

「意識せず、どの角度から撮影しても、損なわれることがない。希有な美貌とは聞いていたが、噂通りとは」

 数え切れないほど隠し撮り写真を見てきたルビンスキーだが、ここまで、いかなる角度で撮影しても、はっきりと美しさが分かる写真ばかりというのは、お目に掛かったことがなかった。

 数多くの人同様、その美しさに感心はしたが、愛人に欲しいとは考えなかった。

 手に入れ辛いというのも、もちろんあるが、ルビンスキーは若すぎる女には興味がない。

 まして、認知はしていないが息子であるルパートと、さほど年齢の変わらない少女など、彼の興味の範囲外であった。

 

「五年後が楽しみだな」

 

**********

 

―― 気合いを入れて……

 ルビンスキーと会談を前に、ジークリンデは念入りに洋服をチェックし、化粧を終えた顔が映る鏡を、いつになく真剣に見つめた。

 

 ジークリンデとしてはフェザーンの黒狐に会うと思うだけで、気が滅入るのだが、サイオキシン麻薬と地球教、そして自治領主は切り離せない問題であり、その道筋を付けるためにも、避けられない会談であった。

 

 ルビンスキーは竜頭蛇尾に終わったこともあり、策略家として二流のように取られることも多いが、ラインハルトが台頭するまでは、間違いなく一流であった。

 

―― 少なくとも、私が”どう、こう”できる相手じゃありませんよね

 

 天才や梟雄、異能などがひしめく世界での評価であって、実力で自治領主になった男と、まともに渡り合えるなど、ジークリンデ自身思っていない。

 

 会談が行われたのは窓がなく、外から狙うことは不可能な部屋。

 内装はすべて帝国よりでゴシック調。この手の部屋にありがちな、金縁の額に収められた、歴代領主の肖像画も飾られていた。

 

 領主の肖像画だと分かったのは、絵の下に取り付けられている、金色のプレートに書かれた文字。

 生没年月日に、自治領主在位年数。そして名前が刻み込まれており ―― ルビンスキー以前の領主たちのことは、ジークリンデとなってから覚えたので、間違いはなかった。

 

 フェルナーとミュラー、それと数名の警官を連れ、部屋へと入ったジークリンデは、ルビンスキーからの挨拶を受け、びくついている内心を気取られぬよう、いつも通りの態度を取って椅子に腰を下ろす。

 

―― 初日にも思いましたけれど、背広姿があまり、似合いません……堅苦しい格好とかしなくていいのにー

 

 カジュアルな格好でも咎められないフェザーンだが、さすがに大貴族との会談となれば、自治領主であっても、ネクタイを締めて、ジャケットのボタンも正式にかける。

 

「……で、男爵夫人、私になにを聞きたいのでしょうかな?」

 ルビンスキーは、子供に話し掛けるように、自分との会談の目的を問うた。

「フェザーンの孤児院について」

「男爵夫人は、慈善事業に興味がおありでしたな」

「興味はありませんよ。貴族の義務であり、私はそれを果たしているだけです」

「これはこれは、失礼いたしました。ノブレス・オブリージュでしたな」

 

―― いいえ、そういう高等な主義主張などではなく、単純に、生き延びるためのばらまき作戦ってやつです。ため込んでも、死んだり流刑になったら、意味ありませんから

 

「言葉はどうでも良いのです。私が聞きたいのは、フェザーンの孤児院の多くが宗教団体によって経営されていることです。彼らは信用できるのかしら?」

 フェザーンに来る前に、これらのことは調査してきた。

「信用とは?」

「宗教というものが、何をするものなのか、私には分かりませんが、自治領主が許可を出したということは、あなたを納得させるだけのものがあったのですよね。私はそれを知りたいのです」

「フェザーンの法律で定められた規定を満たしていたので、許可を出しました」

「個人の篤志家と宗教団体、どちらも同じ規定なのかしら?」

「同じですな。規定というのは、資産状況と経歴調査くらいのものですので」

「個人の篤志家は分かりますけれど、宗教団体はどこまで調査するのかしら?」

「代表者の経歴と、宗教団体本部の資産ですが。男爵夫人は、宗教団体に興味がおありで?」

「宗教には、なんら興味はありませんわ」

「随分と熱心に質問なさるので、興味がおありなのかと」

「良人の領地に、どこかの宗教団体が孤児院を作りたいと申し出てきた場合、どう対処するべきかを知りたいので。先達がいるのならば、聞いたほうが早いと考えたからよ」

「なるほど。ですが、それは無意味でしょうな?」

「どうして?」

「宗教団体は、支配からこぼれ落ちた者たちを拾います。男爵閣下の領地は、夫人のお力により、宗教団体が割り込む余地がありません」

「褒めているのかしら?」

「そうとっていただけると、幸いですな」

「あなたの言葉を信用しないわけではありませんが、もしものことを考えて、フェザーンで認可した宗教団体の、資産状況と経歴を頂戴」

 

 ジークリンデは笑顔で、ルビンスキーに吹っ掛けた。

 

―― 微笑むと、びっくりするって、ファーレンハイトたちが言ってたから……それを信用して、笑ってみたけれど、どうかしら?

 

 驚いたからどうなるものでもないが、

「……頂戴と言われましても」

 少なくとも笑いかけられた方は、悪い気はしない。

「無料では駄目なのね。お金を払えばもらえるのかしら? フェルナー、支払って」

「金額が分からないものは、支払えません」

 

 ジークリンデもその程度のことは知っているが、警戒されぬよう、世間知らずを前面に出して話す。それと同時に ――

 

「まさか慈善事業に関わる書類に、機密があるとは言わないでしょう、自治領主。自治領の書類の様式は、帝国と同じと大伯父上に聞きました。そうでしたら、私も読めますわ」

 

 馬鹿ではないことも証明しなくてはならない。

 

「秘密はございませんが……夫人から命じられたとなれば、従うしかございませんな。直ちに用意させましょう」

「ついでと言っては悪いけれど、自治領で慈善事業を行っている宗教団体に関する情報の、全てが欲しいわ。おかしな団体に孤児院や、救済院などを建築されても困りますから」

「おかしな……とは? 具体的になことなどおありでしたら、お教え願いたいのですが」

「知りませんわ。大伯父上がそのようなことを言われたので、そのまま言ったまでのこと。大伯父上は私に、詳しいことは、教えてくださらないの。もしかして、自治領主は何か知っているの? そうなのでしたら教えて。大伯父上には、あなたから聞いたというのは、内緒にしておくわ。教えてくれるのなら、褒美をあげるわ。褒美はなにが欲しい」

 

 自治領でその領主に対して「褒美」をあげると、上から軽やかに言う。

 だが室内の空気が凍り付くようなことはなかった。それはさも、当たり前であり ―― ここは帝国の辺境自治領であり、ジークリンデは宗主国の宗主代理妃であり、誰もがそれを当然のごとく受け入れた。

 

「私も男爵夫人にお教えしたいのはやまやまですが、国務尚書閣下が教えてはならないと判断していることを、お教えするわけには行きませんので。その代わりといってはなんですが、慈善活動に積極的な宗教団体だけではなく、消極的な宗教団体のリストまで、全てお渡しいたしましょう。料金などは必要ございません」

 

 おおよそ五百年の間、彼らを支配してきた階層に属するジークリンデ。

 かつての記憶と、現在積み重ねた人生の差が徐々に小さくなってきた現在、その仕草や態度は、当人が意識せずともまさに門閥貴族であり、支配されてきた彼らはそれに逆らう術はなかった。

 

「あら、いいの?」

 

―― なんか企んでる? ……企んでないルビンスキーなんて、存在しませんでしたね

 

「このアドリアン・ルビンスキー、自治領主として、宗主陛下にいつでも忠実であることの証でございます」

 

―― 途轍もなく嘘くさい。これがフェザーンの黒狐ですか……

 

 とにもかくにも、ジークリンデは自治領における、宗教団体の活動概要を手に入れることに成功した。

 


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